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<江戸怪談>地下より人現れるの話

九月頃承りしに、夏の頃、信州浅間が嶽の辺にて、郷家の百姓井戸を堀りしに、二丈余に深く堀りけれども水出ず、さん瓦を二三枚堀出しけるゆへ、か丶る深き所に瓦あるべき様なしとて、又又堀りければ、屋根を堀り当てける故、其の屋根を崩し見れば、奥は真くらにて物目も知れず洞穴の如く、内ニ人間躰のものもある様子故、松明にて段段見れば、年の頃五六十の人ニ人あり。

依って此者にいちいち問ひければ、彼の者申す様は、それより幾年か知らざれども、先年浅間噴火の節、土蔵に住居なし、六人一度に山崩れ出る事ならず、四人は種種に横へ穴を明けなぞしけれども中中及ばずして遂に没す。私ニ人は蔵に積置きし米三千俵、酒三千樽を呑みほし、其の上にて天命をまたんと思ひしに、今日各各出会する事、生涯の大慶なりと言ひける故、段段数へ見れバ三十三年なり。

其の節のものを呼出し、引合せれば、是は久しぶり哉、何屋の誰が蘇生しけるといへり。直ちに此の儀を代官所へ訴へ、上へ上げんと言ひけれども、数年、地の内にて暮しける故、直に上へあがらば、風に当り死なんとて、段段に天を見、そろりそろりとあがらんと云ひける故、穴をまづ大きく致し、日の照るごとくに致し、食物をあてがい置きしと、専らの評判なり。

此のニ人、先年は余程の郷家にて之有りとなり。其咄し承りし故、御代官を聞き合せしが知れず、私領か、又は虚説なるや。〜藤岡屋日記(鈴木棠三版)
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昨夏引いておいた小石川の地下屋敷のとき確か触れた話。ほら話かもしれないがいかにもとぼけている。

by r_o_k | 2018-04-24 21:12 | 鬼談怪談

百鬼夜話51「蒼いタイルの世界」-100「屍桶の因果」(終)

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後半です。先に続編をあげてしまったので少しトーンがおかしくなっています。最大28年前の文章ですので(2017年時点)その点、おてやわらかに。自分でも忘れている。


第51夜、蒼いタイルの世界

誰に言っても信じてもらえなかった、これが私のタイムスリップ体験である。
幼稚園卒業間際、もしくは小学校2年生くらいだっただろうか、続けざまに
妙なものを見ることがあり、決まって土曜日の朝であった。
この朝も家族より先に目を覚まし、布団の上にぼうっと立って、居間の時計を見ると「6時」だった。
寝室に戻って、みんな寝ているのを見た。ふと何を思ったのか、しゃがんで、頭を足と足の間に差し
込んで、そんな格好をしてみたくなったのだ。
顔を上げた。
変わらぬ寝室のはずだ。
が、そこは
全面
蒼い
タイル張りの大広間だった。
美術館のような、柔らかな明かりに満ちてはいるが、どこにも出口の無い、天井の高く、
大きなおおきな広間だった。・・・しばし唖然とする。
遠くにオブジェのようなものがある。巨大な白亜の「手」の像だ。
それが、宙を掴むようにゆっくりと、動いている。
ぎくりとして冷や汗が流れる。怖い。
するとその手のオブジェの横から、背広の紳士があらわれた。
あまりにも遠くて、居たたずまいがよくわからない。
しかし近づいてくるにつれその紳士が
のっぺらぼう
だということに気が付いた。
今思えば、著名な画家キリコ描く人物像によく似たふうの、
だいたいが全体に非常にシュールで・・でも明瞭な「異世界」だったのだ。
泣き出しそうになった。のっぺらぼうはこちらにむかって歩いてくる。
手は宙を掴もうと蠢いている。こちらは逃げ場もなく、
なんでこんなところへきて、
・・・戻れるのかどうかもわからない。
もとの格好をしてみよう。
ふとしゃがみこんで、両足の間に頭をつっこむ。
目をぎゅっとつぶり、祈る。
次に目をあけたらきっと、もとの寝室だ。
夢だったんだ。
・・・顔をあげた。
ソファの上にいた。ソファの上でしゃがみこんで、ぽかんとベランダを見ている。
真夏の昼下がり、肩から虫かごがさがっている。
「ウンチでもしたいの」
母の声がして、台所から顔が覗いた。
夏の。昼下がり。
・・・まだ戻ってない。
ひっと声をあげた。
蝉のひっきりなしの声がして、私は今度こそとソファの上でしゃがみこみ、
両足の間に顔を突っ込んだ。
ふと頭に、カマキリの怪物が暴れるアニメのシーンがうかんだ。
ぎゅっとつむった目を、そろそろと開けて、足の間から周りを伺う。
しんとした冷気。
蒼いタイル。
全面蒼いタイルのあの美術館だった。
また来てしまった。
あっ
のっぺらぼうがさらに近づいている。
木でできたようなのっぺり顔が、少しずつではあるけれど、まるで白亜の掌と同じ
緩慢な動きで、ゆっくりこちらへ向かってくる。
ぎゃっ。
両足を閉じ目をつむった。
・・・そして、次に目をあけると、
もとの寝室・・・薄暗い寝室に戻っていた。
呆然としてふらふらと居間へ出た。
時間・・・5時45分くらいだった・・・。
タイムスリップと人はよくいうけれど、実際にそんなことが起こりえるのか?
これはやはり夢で、幼児期に見るタイプの現実との混同にすぎない。
そう考える方が多いと思う。
その時点では、私もそう思ったのだ。
・・・夏休みである。
昼になって、素麺を食べて、午後は蝉取りに出かけようとしていた。
肩から虫かごをさげ、ソファに乗った。子供特有の無邪気さで、ソファの上で飛び跳ねたあと、
しゃがみこんだ。
母の声がして、台所から顔が覗いた。
そのときの台詞が、
こうだった。
「ウンチでもしたいの」

(これは”あのとき”と一緒だ。
ふと、あのときと同じ格好をすると、「朝に転送される」のではないかと
思った。イマはある種の”接点”なのか?ところが両足の間に頭をはさんでも、
目をあけたら蝉の鳴く夏の昼下がりのままだった。
そのまま蝉取りにでかけるのだけれども、
降り注ぐ蝉の声まで一致している気がした。
嫌な感じだった。
・・・
これだけではないのである。
そのころみんな見ていた人気アニメがあった。
次の日が放映日だった。
そこに出てきた今回の怪物。
あの頭に浮かんだとおりの姿。
カマキリの怪物だった・・・。
以上、
私のタイムスリップの、これがすべてである。
「精神だけ」のタイムスリップ、そのイメージを強く持つようになったきっかけだった。
しかも精神が二重に存在している(同じ肉体を共有した「ふたつの時間」上の精神)。
肉体的なタイムスリップはありえない。でも、心だけが次元の限界を超えて、
いや、もともと人間は四次元的な存在で、感覚器官が三次元にしか対応していないだけで、
存在そのものは四次元的なひろがり・・・たとえば「時間軸」上のひろがりを、持っている
のではないか・・・。
後日談としては、友人を呼んで同じ部屋で同じ格好をしてみたりしたんだけれども誰も
”転送”されなくて、私は一人ぼっちだった。「巨人」を見たり(高田を多摩川グランドに見に
行ったわけではない)、カーテンの下から伸びる老婆の手に足首をつかまれたりと物騒な日々を
送っていた、中でも極めつけのとっておきの話だ。ちょっとごちゃごちゃ輻輳しており、いわくも
元よりわかるはずもなく、カイダンにするならちょっと加工が必要かもしれないが、
前にも書いたとおり、現実の幻想といういうのはこんなものである。
未整理で、不恰好なものなのだ) 第52夜、あくび海坊主

第52夜、あくび海坊主

鹿児島の離島で、早川考太郎氏が見たものについて。(今野氏著作より)
何らかの調査で渡った帰途、小さな郵便線で、開聞岳を左手に湾内を北上する頃には、夜半近くに
なっていた。用を足そうと甲板に出て船尾に立つと、白い航路のかなたに、一人の壮漢が見えた。
はっとしたが、溺れているようでもなく、水上に筋骨たくましい上半身を出し、立ち泳ぎのように
直立している。何よりもおかしいのは、その男は水を掻いて泳いでいるわけでもないのに、
船と同じ速さで、船のあとをついて来る。しばらく暗い水面の男をながめていると、男、不意に
あーあ、と大きなあくびをした。そのときこれは生きた人間ではないということが、急に頭に
来た。ぞっとして船室へ戻る途中、舵をとっていた船長が、
何か見ましたか
と聞く。
いいえ
とこたえ船室に駆け込んだ。昭和9年の話。 第53夜、狐の玉

第53夜、狐の玉

牛の玉の噺が出たから狐の玉も少々。篠田さンの「銀座百話」(昭和12年

岡倉書房)から。

銀座は「玉の井」食堂、白狐の庇護を受け繁盛とはモウとうに昔の噺。

ソウ何故玉の井と申しますかというとこのあたり妾どものとこに評判の高い

井戸がありまして、伝説に、最初この井戸を堀った時に、水が出ず光りもの

がする。ナンだろうと段々掘り下げてみますと”白狐”のお尻にある毛の玉

出現たンだそうです。ソレを神棚へおそなえして縁義を祝いますと、井戸の水も

コンコンと(洒落てンじゃありませんよ)、清泉が湧いて大層評判になり「玉の井」

の屋号を受けたと申します、白木屋さんの白木観音(元日本橋東急屋上、現

浅草寺域内に転居)の水のように水脈がこのあたりにもあるものと見えます。

江戸の末期、手堅くこの「玉の井」を守っておりますおばあさん、或る日魚河岸

通いの芝の魚屋さんが「コー金に困ってるンだが、済まねエ、これを買って

くンねエ」ソレは芝明神の富クジの札なンです、「そンなものは」と堅気の婆さん

断っても日ごろご贔屓の魚屋さん、よくよく困ればこそ、トミ籤を売のだとも考え

お金を融通するつもりで買い取ったンだそうです。ソレがどうでしょう、当たり籤

だツたンです。千両の。 第54夜、クリーム

第54夜、クリーム

直入にいきましょう。

雪山で、小さな小屋にとまっていました。

窓は木で打ち付けられ雪に破られないようになっています。

・・・深夜、ドウモ寒い。スー、スー風が通る気がする。

目をあけて窓を見ると、何とすこうし開いているみたいなのです。

そこに、ゴム手袋のようなものが掛かっている。

変でしょう。だって打ち付けた木はどこへいったんです。中から開けない限り、

窓は開かないし、窓際の人たちはぎっしりと床を埋め尽くし、ごうごうと鼾をたてて憚らない。

誰があけるんです。

そしてアノ白いゴム手袋は何です。

開いた窓の・・・5センチくらいですか・・・間から、だらりと床を向いて引っかかったような手の形。いえ手ではないんです。てらてらと艶があって、生気の無い、無機的な感じがしたもんです。余計に不気味でしたよ。

だれだあんなところに手袋干したのは。

と思うことにしましたね、ゴム手袋して冬山登る馬鹿もいないだろうに。

シュラフに頭を突っ込んで、最小限の顔だけ出して紐を締める。そうしてなるべくスースーいう隙間風をよけようとした。

でも、どうしても気になるんですね。

天井を向く視界の下のほう、足の方向。窓際の、あの隙間と手袋ですよ。

ちょっと・・・延びてないだろうか。

手袋が、少し長くなってるンです。

最初は、窓の隙間から5つの指をだらりと下げるような感じだったのが、手の甲あるでしょう、それが全部見えるくらいに垂れ下がっている。

普通手袋なら、重みで落ちるくらいの長さなんです。

手長手袋なんて無いでしょう。普通手首で納まるものが、あの長さだと肘まで・・・肘まで?

伸びてるんですよ目の前で!!

だら、だら。

ずーっと音がする気がしましたね。下目使いで、ただでさえ零下二桁に近付こうってんのに輪をかけてぞっとしましたよ。

生クリーム、あるでしょう。

マヨネーズみたいな口をつけて、ぎゅっと押すと、

だらりと濃ーい粘着質のクリームが流れ出て来る。

そんなかんじで、「手袋」の手首部分が伸びていくんです。

てらてらと光沢のある「手袋」が、力感の全く無い手指を床に向けて、窓際から桟、柱に沿って、ぐぐ・・・と伸び落ちていく。

やけに白いから、クリームをおもいうかべたのかもしれませんね。空腹に苛まれる山行ですからそう思ったのかもしれませんが、肘も肩も無いのですね。人間だったら当然肘も肩もあるべきところも膨らみも引っかかりもせずにおんなじ太さで、大蛇のようにずるずる流れ落ちていく。「手」が、窓際の人の頭の後ろにたっして、視界から消えたんです。

「うわっ」

声がしました。何かされたんでしょうかね。窓際の髭面ががばりと起きて、額をさすっている。あれ、いつのまにやら手は消えてます。窓も、閉まってます。

その見知らぬ人には何も聞きませんでしたし、こっちも言いはしませんでした。

お互い気持ちの良いはなしじゃないし、その後の行程もあるンだから、縁起でもないことはいいっこなし。

・・・ですがね。

後で聞いたんだけど。

その小屋・・・数日前に、かつぎこまれた人を一晩置いたそうなんです。

「置いた」・・・そうね。凍死者です。

真っ白だったそうですよ。全身の肌が、ね。

・・・手、も。 第55夜、ふしぎな花

第55夜、ふしぎな花

誰も供えた憶えの無い花が供えられている。

毎日だというのだ。

そのカーブで昔、走り屋が死んだらしいとは聞いていた。

でも、昔の話しだ。

しかも花のことは最近唐突に、らしい。

ある暇人が、一日中ずっとそのカーブを見ていようと思った。

ずっと立ってて、まあ小便くらいならそのへんですませた。

花が供えられる瞬間を捉えようとしたのだ。

街灯もあるし大きなライトを持ってきていて、夜が来て、寒い中

一人で立っていたというから根性がある。

・・・でも夜半。ふとうとうとしかかった、そのとき。

「ぎゃーっ」

どかん、

と音がして、はっと目を上げると、

ライトのあかりの中に・・・

何本もの「白菊」が、立てかけられていた。

今、まさに今供えられたような生きの良い花だったそうだ。

切り口も瑞々しく、投げ捨てると車に飛び乗り、

泡食って逃げ出した。それきり。

・・・

この現象は、ひと月くらいでだしぬけにおわったという。

理由のわからぬ不可解さが、如何にも異界的ではある。 第56夜、宴

第56夜、宴

学生時分、よく夜中にジョギングをしていた。くろぐろとした山並みや月明かりの畦道を友人と連れ立って走る。情趣あるといえばあるし、怖いといえば怖い。野犬の声だけが後を追って来る真っ暗闇、なんて状況もあったりした。いつも違う道を走る。

真っ暗闇の中から、どんちゃん騒ぎの声が近付いてきた。その日もいつもとは違うルートである。

「誰か騒いでいるね」

「え、何も聞こえないよ」

「いや、騒いでいる」

だんだんと近づく楽しげな話し声、ざわめきは低い崖面に沿ってしつらえられた塀の、上のほうから聞こえる。道は崖沿いに上り坂になり、程なく崖の上に至る。

あっ

友人が絶句した。

そこは墓場だった。


これは少し長いスパンの話しになる。

白菜畑の真ん中の長屋に、友人と共に住んでいた。これも学生時分の話し、飲み会の帰りで夜半過ぎることなど日常茶飯事である。ときどき、

私の目にだけ見えるものがあった。

満月の晩、ある白菜畑の真ん中に、枯れ木のような老人が、月明かりを浴びながら、

舞い

踊っているのである。

楽しそうに、酒でも入った風に。でも身は案山子のように枯れ細り、定かには見えないが、格子模様のぼろぼろの着物を着ている。

歌ってもいるようだったが声までは聞こえない。ましてや畑の真ん中だから近寄るわけもなく(そうでなくても近寄らないか)、その幻の老人は時々舞いを舞って、ひとり酒宴を行っていたようである。午前2時くらいのことが多く、新月には現われなかった。

何年かが過ぎた或る日。

白菜畑は潰された。

そこにアパートが建ち、おおきな駐車場がしつらえられた。

学生であった私は卒業も近くその地を離れるのも遠くない。卒論が終わって酒宴が続いたある晩。もう朝方近くに、私はかつてあの独り宴の繰り広げられた畑があった、アパートの前を通った。

しんとした駐車場で、何か動くものがある。

あっ

あの老人がいた。

骨と皮の老人が、固いコンクリートの上で、かつてと全く変わらぬ様子で、一献傾けては舞っている。満月の明かりが乾いた肌を照らして白々としている。

楽しそうだった。

ああ・・・まだいたんだ。

・・・

私は嬉しかった。 第57夜、船底

第57夜、船底

最初はトン、トン程度だった。

いやだ、何?

ああ、船底を水が打つ音だよ。このくらいちいさなボートだと、水中をつたう波が当たって音をたてるのさ

水面はしかし鏡のように草木をうつし静かである。オールを上げ凛とした空気の張り詰める湖の神秘を楽しむ彼女にとって、それは思わぬ出来事だった。

彼は良く海に出てカヤックなどしているからそう間違ったことを言ってはいまい。ただ、

海ならわかるけど、こんな静かな・・

トン、トン、トン

ほら・・・また・・・なんか、ノックみたいじゃない・・・

トン、トン、ドン。

ドン、ドン、ドン。

そろそろ行くか。

彼の取り上げ、おろしたオールが震えている。確かにおかしな音なのである。まるで水底から、ボートの上に向けてノックをしているように・・・

のせてくれ

ここをあけてのせてくれえ・・・

ドン、ドン

ざーっと滑るように流れるボートにまるで水中から寄り添うような、先ほどと変わらぬ・・・いやすこし大きくすらなっている。音。

ドン、ドン、

どすん、

どすん!!

ばしゃ、

オールを落としてしまった!彼があせって半身を乗り出す。ぐらりと傾くボートに、反射的に逆の舳先に取りつく彼女。なんとかそっくりかえるのを防ぎ、オールを取り上げた彼の腕は被った水に凍えていた。

彼女は彼の腕に手を伸ばすが、

きゃっ

黒髪!

いや、ほんとうは水草だったのかもしれないけど、黒く細長いものが一掴み、ぐるりと巻き付いていた。

彼氏は打ち付けるように腕を水に漬け、落とすと言った。

オール、ちょっと持ってくれないか

何で?

いや・・・ちょっと

真っ青だった。

彼女はかわりにオールをおろすと、ゆっくりと漕ぎ出す。岸辺はもうすぐで、音もしなくなっていた。

「さっきはどうしたの?結局最後まで何も言わないで、こっちが不安になるじゃない」

「ご、ごめん」

ボートハウスで、彼が語ったこと。

「オールをとろうとして、上半身乗り出した時さ・・・・水中に、見えたんだ」

「髪の長い女・・・髪をゆらゆらと四方に広げて、笑いながら・・・」

「オールを掴んでいたんだ・・・だから力づくで取り上げようとしたら、ひっくり返りそうになってさ、」

彼女は思わず口を覆った。

「その女って、赤い服、着てなかった?」

「え?」

「右の目元に、黒子がなかった?」

「・・・」

この深い湖は、自殺者が多いことで知られる。

彼女の友人で、赤い服を着て、右の目元に黒子のある女性が、

不倫沙汰のうえ、ひとり入水自殺をしていたのだった。

そのときまで彼女はこのことを忘れていた。

ここは死体があがらないことでも有名である。

水中に流れがあり、水底と水面を対流してまわる。

死体はその流れに乗って動き回る為、一個所にひっかからないというのだ。

彼女が今も流れの中を巡回していたとしても・・・おかしくはない。

どん、どん

というのは、彼女のノックか、水流の当たる音だったのか。

「・・・あたしへの合図だったのかしら」

ふと彼氏の腕を見ると、一本だけ、黒くて細長いものが絡み付いているのが見えた。さっき絡んできた残りだ・・・。

「いや、嫉妬かもしれない」

・・・

二人は程なく別れた。

(定番の水モノではある。幽霊だったのか、それとも、ほんとの死体だったのだろうか・・・) 第58夜、座師

第58夜、座師

墓場をあるいていると、墓石に座ってる”モノ”が見えることがある。

煙管をふかして、ぽかんとしている老人、

泣きじゃくる、でも泣き声の一切きこえてこない子供、

落ち着きなく、そわそわしている壮年の男。

そういって彼は一息ついた。

こんな話し信じらんないよな。

墓参りに行ったんだ。

中学校の先生だよ。

丁度新盆だってんで、たくさん人が集まっていたんだ。

その中に、ひときわ騒がしい男がいる。

なんだか挨拶のような雑談のような、でも要領を得ないような話しを

しているんだ。でもどこかできいたことのある声なんだよ。

頭と頭の間から覗いたさ。

そんな男なんていやしない。

坊主が金ぴかの袈裟着て唸ってたよ。

で、そこで旧友なんかと再会したりして、折角だからと法事につきあったんだけど、そのうちどこかで一杯やろうなんてことになって。

線香の一本も立ててから墓場を出た。

夕方かな。そいつはこれから仕事だなんていってサッサと帰りやがって、

俺はふと、誰もいなくなった墓場に、先生をたずねてみようと思った。

さっきは騒々しくてたまらなかったけど、結構迷惑かけて、でも最後には就職の世話までしてくれたんだ・・・もっともスグやめて東京にでてきちまったんだけどさ。

だから、もう一回ちゃんとお参りしておこうと思ったんだ。

かあ、かあと烏が鳴いていた。

盆飾りが方々に散らばって、マツリの後、ってかんじかな。

その中に、真新しい墓石がある。センセイのだ。

その上に、人が、正座しているンだ。

・・・そう、そのセンセイなんだよ。先生。

びしっと背筋を伸ばして、

黒縁のメガネをかけて、七三に分けてさ。

まさかとは思ったけど、

近寄るに連れ、透き通った身体のむこうに羽ばたく烏が、これは

アレ

なんだと実感させた。

でも、真ん前に立つと、焦点の定まらないような目で、でも、にっこりと笑ったんだよ。それで、ゆっくりうなづいて、消えたんだ。

オイ、信じてくれよな。

涙が出てきたよ。

センセイ、俺のことちゃんと憶えてたんだって。

そんで、気付いたんだ。先生の声を思い出したんだ。

昼間、何か大声で喋っていた声、先生だったんだよ。

それにしても、、、

”アレ”はなんだかわからないね。残像みたいなもんかもしれないけど、

残像は笑うんだろうか?

喋るんだろうか・・・

(これは私もわからなくはない。墓石に立つ兵隊さん、焼き場の煙突に乗った女の首なんぞも”見た”ことがある。) 第59夜、地獄の犬

第59夜、地獄の犬

盆の夜、庭先には先祖の霊を迎える提灯が灯っていて、横では曾祖母がお経を唱えている。まだ
小学校に入るか入らないかのこと、経が進むうちに疲れてきた。そんな矢先、ふと振り向いた。
背後の壁。
大きな「犬」の形をした、「何か」がいた。
今にもこちらへ飛び掛らんとしているように見えた。
それは家にある犬のぬいぐるみにそっくりだったけれども、影のように蠢き恐ろしげな顔つきで
唸り声をあげている・・・
「怖い!」
曾祖母にしがみつき、声をあげて泣いた。ところが曾祖母は平然と頭をなでて、なだめるだけであ
った。しばらくし、泣きながら恐る恐る振り向くともう、そこには何も無かった。
曾祖母はそれが先祖の帰ってくる先触れだということを知っていたのだろう。だから平然として
いられたのだ、と彼は後に語った。

「異界」の存在を示唆するようなできごと。何か「裏」の世界のようなものがこの現実の世界とは
別に存在し、そこからの来訪者が不意に現れ、不意に消えていく。たとえばその解禁日のようなもの
が「盆」である。1990記

・・・黒犬の話(「怪物図録」参照)はイギリス・ドイツを中心にヨーロッパに広く伝わっている。
しかし別項にも書いたとおり私自身黒犬の奇妙な襲撃?を受けたことがあるし、このような話を聞く
につけ、地獄の番犬「アケローン」はしょっちゅうこの世に顔を出しては生者にちょっかいを出して
いるのだろう。 第60夜、田螺のこと

第60夜、田螺のこと

文化の初秋、石川氏の親族の家の池で田螺が蓋を開けて水中に遊んでいたところに、一尺四寸もある蛇が出て、蓋に口をつけ吸い喰わんとする。田螺、急に蓋をしめ、蛇の下あごを咥えると、蛇、苦しんでのたうちまわるが離さなかった。日暮れ頃、蛇は終に力尽き田螺は遂に水中に落ち難をのがれたという。
これと同じことが起こったと、数年前聞いた。テレビで見るに、やはり田螺が蛇を喰い返した話だった。

江戸も今も、奇事を奇事と感じ人に伝える人の心は変わらない。1990記 第61夜、畑の輪

第61夜、畑の輪

「ミステリー・サークル」。古くは戦後から、日本も含む世界中の草地に出現するもの。
特に近年イギリスの南部で毎年夏に現れるもの、不可思議な形を数多く見せる。基本的には、
円形に麦などがなぎ倒されるもので、中には象形文字のような形を示すものさえ、1990年夏
より出だしたが、やはり信憑性が高いのは、単純な、しかし真円を呈するサークルと思う。
本物は偽物に比べてかなり真円に近く、麦はきれいに渦を巻いて、倒れる。倒れるといっても
本物は麦穂をまるでスプーン曲げのように「曲げ」るものだけで決して折ったり根を露出させた
りしないらしい。麦は倒れたまま成長し、そのまま刈り入れもできるのだという。そして円の
縁は明確で、きわに立つ外の麦は少しも折れない。
倒して円形痕をのこすものは、古くは「ソーサーネスト」と呼ばれた。その名のとおり、Flying
Saucer、すなわち円盤の着陸痕と考えられたものである。ただし、渦を巻いて麦を倒すものとい
うよりは、まるで強い風がまっすぐ地面に吹き付けられたように、中心から放射状に倒されるも
のが多かったように思う。そして何よりミステリー・サークルはこれら古いものがせいぜい直径
5メートルほどなのに対して、直径20メートルに達するのも普通である。このあたりに根本的な
違いがあろう。
円形痕には他に、円形に草が枯れるというのもある。UFOのせいにされがちだが、1990年に茨城
の牧場に現れたというものは、多分ミステリー・サークルを真似した誰かのいたずらだろう。
薬品を使えば枯らすのは簡単だし、5メートルくらいだったら造作も無い。かつてスイスのマイヤー
という人がUFOコンタクティと称して偽のUFO写真などを大々的に見せびらかしていたその中
にも、円形に草が焼けた「着陸痕」があったが、茨城のものはそれよりもズサンな円形をしていた。
だが逆に草がいつまでも生えつづける、という事象もあるらしい。周囲が枯れる時期に新たに芽が
出て、逆サークル状態になるという。放射能が検知されることもあるというがその影響だろうか。
日本テレビとBBC放送は、小さな光と渦状の(しかもサークルより一まわり大きかった)物体?が
現れるのをとらえ、翌朝現地にサークル出現を確認したと放送した(1990)。さらに真昼間、畑の
上空で高速回転する灰色の筒(霧?)もヴィデオにとらえ、サークルとの関連をさぐっていた。
サークル出現のとき、別の所にいた人が、現地の方向に光の霧の柱が立っているのを見たと言って
いた。
プラズマや竜巻(なんとかバースト)説をとることもできよう。特に灰色の回転する筒は竜巻と考え
られそうな気もする。竜巻はしばしば不可視な部分も伴うから、中途の部分だけがたまたま見えた
だけといえなくもない。
自然は何をするかわからない。うかつに宇宙人のせいにもできないし、かといってすべてを自然の
ものとするのも危険だ。現状を見るに、皆可能性をたった一つに絞りすぎている。自然+人為+X(
それが何なのかわからないが)説が自然だろう。(1991記) 第62夜、異形のこと

第62夜、異形のこと

高校の頃の話という。
彼がこたつで寝ていると、

あ。

体が動かなくなった。金縛りのようだ。
目を開けた。

あ。

見ると、右手が宙に伸ばされて、
その先を、別の手がつかんでいる。

あ。

男の手が。すーと宙から伸びて、つかんでいる。
手袋をはめているようでもあるが、はっきりとは
わからない。

彼は右手を引いてみた。

ずるっ。

何か、が引きずり出された。宙から、である。
右手をつかむ手の先からのびる手の根元に、

緑色の、ごつごつとした頭のモノがいた。人の形をしたモノが。

あ。

驚いた。驚いて、離してくれ、と思った。

離してくれ。

離せ。

誰にも言わないから。

パッ、と消えた。そのモノが何であったのかは今でも皆目見当もつかない、という。

(1990記) 第63夜、ペンタグラム

第63夜、ペンタグラム

ミステリーサークルの話を書いたが、古い雑誌をめくっていてふと我が大学にも
似たような事が起きていたことを知った。
記憶が定かではないが、1983年くらいと書いてあった。噴水のある池の前に、広く
芝生が敷かれており、そのまわりに校舎が並ぶ、という場所がある。
その芝生に突然、六ぼう星、又は「ペンタグラム」と呼ばれるマークが浮き出た
というのだ。
六ぼう星はユダヤのマーク、ダビデ王の紋章と呼ばれる。古来西洋では魔術的な
象徴、すなわち魔法陣と見られてきた(魔術との繋がりにユダヤ移民に対する差別意識は否定できまい)。正三角形をふたつ上下互い違いに重ねあわせた図形である。
子供に「星」を描かせてみよう。それも魔法陣である。すなわち一筆書きの五角形の
星マーク、五ぼう星、日本で清明印と呼ばれることがあるのは陰陽道との(おそらくは偶然の)繋がりがあるからだ。
この「ミステリー・ペンタグラム」は芝を茶色に枯らして浮かび上がっていたもので、
対角線約5メートルの大きさ。当時の大学を大いににぎわせたそうである。
薬物を使えば枯らす事は簡単だ。多分イタズラか、オカルトマニアのしわざだろう。
当時の大学は病んでいた。自殺者も多かった。そんな一エピソードだったという訳だ。 第64話、枕がえしのこと

第64話、枕がえしのこと

「枕がえし」は妖怪とされることもあるが、たいていは寺屋敷にて仏壇や神棚に足を
向けて寝たり「北枕」で寝ると、夜中必ず変事に遭う、又はうなされ、朝目覚めると
決まって逆の方向を向いているといった話であり、
実体は誰も見たことが無いモノである。
栃木の大中寺は江戸時代には大寺で知られた古刹で、参道の杉並木は見事なものだが、
今もくっきりと残る「七不思議」で有名である。本堂の脇窓から奥を覗くと、薄明かり
に照らし出される奥の間が見えるが、そこが「枕返しの間」である。ここで一宿を
借りた者のすべてが上記の変事にあい枕を逆に返されたという伝説がある。
「北枕」は庶民の間では死者の頭位として忌まれた。キタマクラという猛毒を持つフグ
がいる。縁起が悪いとされたのである。鬼門に頭を向けて寝るのも良くないとされた。
なぜなら北東は死者の向かう方位、鬼の来る方位であり、寝ている間忘我の間に体を
取られてしまうからだ。私自身、小学生の折、「枕返し」にあったことがある。北枕
が何でいけないのか、試しにやってやろうと北向きで寝た。その晩、胸の上に重いもの
がのしかかり、奇妙な悪夢を見つづけた挙句、朝になると頭は南向き、枕に足を乗っけ
て寝ていた。以後、北枕は怖い、とずっと北だけは向かずに寝てきた。たとえぎゅうぎ
ゅうの山小屋であっても、フェリーの二等船室であっても。
ついこの間、「北枕」がなつかしくなり、ためしに北を向いて寝た。
・・・何もなく良く眠れた。さびしいものだ。(1991記)
そして今、北東の鬼門を向いて寝ている。不眠症で大変だ。(2000補記)
第65話、布怪

第65話、布怪

中国はク州の城の或る池から、夜になると一疋の白布が出てきて、ネリギヌを地に横た
えたようになっている。そして、通りかかった者がそれを拾うと、ぐるぐる巻きにして、
水の中に引き入れてしまうという。”一反もめん”の類か。
日本では狢(むじな)、山あいの一本道を夜半に歩いていると、長い帯を天から垂らす。
夜中の暗い山道に、天からとほうもなく長い帯が垂れている。ただそれだけなのだが。
幼い頃、まっくらな洗場に手を洗いに行くと、窓外にハンケチほどの白い布が2,3枚
ひらひらと動いているのが見える。そのようすが何とも不気味で、翌朝改めてその窓を
見ると、ぎっちりと物置に接していて布のはためく隙も無い。果たして昼間の窓に布は
無かった。あれは何だったのか。今でも不思議に思う。(1991記)
第66話、小龍のこと

第66話、小龍のこと

小龍が大きくなり天へ昇る話というのが多くある。器物中、屋根上、床下、さらには身体
の中より小さな蛇が出て、見る見るうちに大きくなり、激しい雷雨と共に昇天する。
いずれもこのような結末になる話、もとは中国、そして江戸時代の日本にたくさんある。
何かの根拠あっての話なのだろう。龍に”成る”ものには海の巻貝、空の鳥、あるいは
山の土中に潜む”ほら貝”が「ぼわん」という爆発音と共に空に上がり、黒雲に吸い込ま
れる。龍のほとんどは青天の霹靂・不意の稲妻や竜巻、虹のたぐいなど複数の空中現象が
誤認されたものだろうことは言うまでも無いが、それでも何か面白いものが混ざっている
気がする。何かにまたがった童子が先導する雷雲に龍が蟠るなど何か江戸よりも平安の世の
鵺のような雰囲気もある。(1991記) 第67話、人体発火のこと

第67話、人体発火のこと

先日英国のテレビ番組が紹介されていて、面白かったのでその骨子をここに記しておく。
ごく稀に、人が一人で居るときに起きる怪事として、「両足首だけ」を残して身体が
「燃え尽きて」しまうことがある。「人体発火現象」と称されるものだ。殺人説、オカルト
現象説が流布する中、決定的な説として次のような説が提示された。
焼け焦げて骨すら跡形もなく黒い炭となり、ただ足首のみが無傷で燃え残る。ほぼ密閉
された室内は煤の跡以外はほとんど被害を受けていない。人体にごく近い位置にあった
カーテンすら焼け跡がない。只、プラスティックだけが奇妙なねじれを生じている。これは
人体が突如として一気に燃え尽きたことを示すものではない。長時間かけてゆっくりと燃え
ていったことを示しているのである。火の影響が人体以外にほとんど見られないのは、人体
内部の脂が丁度ろうそくの蝋のような役目をはたし、小さな炎のままで内部から焼いていった
ことを想定させる。時間さえかければ、骨までも焼き尽くすことは可能だし、足首が残るのは
その手前まででやっと火勢が尽きたと考えればよい。これは実験で、脂を巻いた骨を端から
焼いていったとき、決まって末端が残る・・・しかもまったく無傷で・・・ことから証明
された。何らかのきっかけ・・・事件現場ではストーブやガスコンロといった火を使う器具が
決まって見つかっている・・・で体の一部に火がつき、元火の方は消した(消えた)ものの、
体についた火のせいで気を失ってしまう。失神した人体を、少量の火がゆっくりと、ろうそく
がとける如く、焼き尽くしてゆく。室内はその「時間」の長さの間に高温状態になる。プラス
ティック製品のねじれは、その高温のせいであった。
人体発火現象は、前世紀においては深酒のために体内のアルコールが火を誘い、骨までも焼き
つくすのだとされていた。しかし、今や、人体発火現象は、いくつかの偶然の重なった惨事で
あると説明されるようになった。
オカルト的なミステリーは科学的な検証によって解明されたのである・・・

・・・が、その”解答”というのも、何ともはや、猟奇的で、いかにもオカルト的だ。ゆっくり
と燃え、死んでゆく人間。イギリスという国は、これだから面白く、怖い。
(1991記)
第68話、死の音楽

第68話、死の音楽

エルヴィスの死のコードは有名だがここでは死にまつわるクラシック音楽について書いて
おこうと思う。
諸説紛紛のモーツアルト「レクイエム」謎の依頼者に対し己の死をはっきりと自覚しながらも
書き連ね、絶筆に終わった作品である。己の死のための「レクイエム」であるかのようだ。
リストは親友のワグナーがヴェネツイアに赴いたとき、「悲しみのゴンドラ」という曲を
書いた。内容はまるでワグナーの来るべき死を悲しむかのようなものだった。翌1883年、ワグ
ナーの死に際して彼は改めて「R.W.・・・ヴェネツイア」というピアノ曲を書いている。
チャイコフスキーは、19世紀も終わる頃、純管弦楽の最高傑作「悲愴交響曲」を書いた。
終楽章が緩徐楽章という構成は独特の陰鬱さをかもし、心臓の止まる音までを克明に描いた
終端は、何か異界的な恐怖を与える。作曲家は初演後、突如頓死した。
マーラーは愛児と妻アルマとの幸せな生活の中で、なぜか「亡き子をしのぶ歌」という歌曲集
を書く。アルマはその不吉な題名に強い反感を示す。
愛児はその後、突然死にみまわれた。(1991記)
第69話、お玉ケ池因縁

第69話、お玉ケ池因縁

今より1000年以上前、八幡太郎義家が貞任征伐に向かった奥州街道は、渋谷、戸塚、滝野川、
西ケ原、平塚、箕輪と、江戸を鍵の手に廻って墨田村へ渡るコースだった。これを幹線として複数
の近道があり、ひとつが神田から浅草に通っていた。このあたりの街道筋に桜が多く付近に桜ケ池
というのがあって、池畔に茶店も立っていた。ここにお玉という美しい看板娘がいて、愛想も良か
ったものだから、旅人は飲みたくも無い茶を飲みにわざわざ寄る始末。当然地元の男衆で熱を
あげるものは後を絶たなかった。とりわけ二人の若者がしのぎを削り争いごと絶えず、お玉は
悩み抜いてその挙句、池に身を投げ死んでしまったという。勿体無いことだと近隣の村人たちは
彼女の遺骸を池畔に埋め、かたわらに柳を植えると「お玉稲荷」を作って、この哀れな美女の霊を
弔ってやった。以来池は「お玉ケ池」と呼ばれるようになったが、いつごろのことだったか定か
ではない。かつて入り江であった江戸市中、お玉が池も不忍池より大きかったが、終戦前までは
神田松枝町に四畳半ぐらいのあとが残っていた。戦災と同時に綺麗に埋まってしまい、稲荷のほうも
昭和25年に筋向いの空き地へ「お玉ケ池神社」として再建された。
池のあったころはその水が子供の百日咳に効くということで方々から汲みにきたものだったという。
千葉周作の道場でも知られたものだが震災と戦災、そして区画整理がまったくにその姿を消し去って
しまった。また、稲荷建立と同時に植えられた柳のほうは孫兵衛という者に切られてしまったが、
これには無理からぬ因縁噺がある。
明暦の大火で稲荷が焼け再建して、70年くらいたった享保14年2月のこと。或る朝の未明大工の
棟梁だった孫兵衛宅の女中が水を汲みに出ると、何を勘違いしたのか、お玉さんが柳の下に、ドロド
ロと姿を現した。女中は驚いて気絶。そこで怒ったのが棟梁である。
「いったい、おれのところになんの恨みがあるのか。お玉さんとて容赦はしないぞ」
柳にユウレイは付き物だから、柳さえなければ出られまいと、孫兵衛やにわに鋸を取り、ひき切って
しまった。ところが祟りはおそろしく、先ず5月に倅が死に、次いで切ってから一年目、孫兵衛本人
も頓死してしまったのだ、という。
(「東京伝説めぐり」戸川幸夫著、駿河台書房・昭和27年より抄抜) 第70話、写真嫌いの蛇

第70話、写真嫌いの蛇

奈良の吉野山、竜王権現の滝場に”御本体”の大きな青大将が棲んでいる。卵を捧げて祈ると現れて卵を食らうが、目に見え、実在するのに、写真では絶対に写せない。写真全体が血のように赤く染まってしまうこともある。今もいるはずであるが、5年ほど前に訪ねたときは、何も出なかった。 第71夜、南の豚怪

第71夜、南の豚怪

終戦後の話。冬の月夜の晩、なぜか小雨のちらつく時分のことだった。二人連れが川べりを
歩いていると、どこからともなく仔豚が出てきた。二人はこれを捕らえようとするけれども
グーグー鳴きながら走り回り叶わない。そのうち、次々と同じくらいちいさな仔豚が出てきて、
いつのまにやら数知れずに増えていた。何とか一匹ずつでも捕まえようとするがすばしこい、
どうしても捕まえられない。あたりにはクレゾールの濃い匂いのような、雄山羊の匂いのよう
な強い匂い、嫌なにおいがたちこめてくる。仔豚たちはやがてそこの空き地の藪の中に入って
行ってしまった。
次の日そこへ行ってみると近所で豚を飼っているようなところは見当たらない。不審に思った
二人組、年寄りに話を聞いて、初めて震え上がった。
「そのあたりは昔からミンキラウワの出るところじゃが、おまえたちは命を取られずにすんだ
から儲けものじゃ」
奄美島の話である。ミンキラウワとは「耳無豚」のことで、カタキラウワ(片耳豚)と共に
特定の場所に出る、家畜の化け物であった。この豚どもは人に出会うと股をくぐろうとする。
くぐられた者は魂を抜かれる、あるいは腑抜けになる。出会っただけでも熱を出す。足を
”はすかい”にして、くぐれなくすれば助かる。
特に女の一人歩きに出るというが、場所によっては二人でも出る。

徳之島の豚怪にムイティチゴロ(片目豚)がいるが、やはり股をくぐるという。豚は女や男に
化けて人を惑わすこともあるとされており、本土の狐狸に匹敵する。沖縄になるとアヒルや牛
の化物と共に、人の前をサっと横切るだけの家畜の亡霊のひとつとして、豚があげられている。
本土で豚の化物の話を聞かないのは肉食文化の違いだろうか。

奄美の豚怪をもうひとつ。足の切れた仔豚、ハギハラウワークワは、たとえばある地点では
丁度長さ約83センチで俵のような形をしてくるくると転がった。「野槌」のようなものだが
耳や目、足を欠いた形で現れるところを見ると、はなから人に食われるために生まれてきた豚の
やり場の無いウラミが、体を千切られた形で出てきたと思わずにはおれない。1990

2000後記、こういう話を書くと、じゃあなんで食肉店にでないのとか、食肉大国には無いのとか
いう疑問が湧いてくる。最近私は、人間も動物も、ある種ドクトクのウラミを残す「ことができる」
特異体質を生まれ持ったものがいて、そういうモノだけが死んだ後も特権的に現れるのではないか
と思っている。・・・否特権的でもないかもしれないが。苦しみの果てに死んだあと、未来永劫
いつまでもそのときの痛みや苦しみを味わいつづけなければならない、なんてことになったら
それこそほんとうの地獄だ。 第72夜、断片

第72夜、断片

「肉塊」

蒲田。深夜に独り残業。パソコンから目を離し、伸びをしようと顔を上げたとき、

メガネの端・・・鏡のように後ろを映し出すその僅かな隙間に、

書棚の間からこちらを窺う、

うす赤いものがうつった。

血肉の塊。

ふるえるそれには黒い毛のようなものが少し生えていた。目のようなものもあった。がっと振り返ると、もうそこには何もなかった。

だが、じきに遠くから近付いて来るサイレンの音があり、

没頭していてはっきりとはわからないが、肉塊のあらわれる前、

近くで衝突音がしたような・・・

「ぶつ切れ」

場所は新大久保。独り機械室で篭りきりの作業。端末に情報を打ち込む単純作業に、朝まで取り組まなければならない。ヘッドフォンからは激しいロックがながれ、リズミカルに投入を続ける。

気付かなかった。

没頭の余り気付かなかった。

ちらりと目を上げると、そこにアレがいた。

ダリの絵、もしくは全身プラスティネーション標本。

コマギレのサラリーマンの巨体が、立ちはだかっていたのだ。

肉塊の大小、スーツの切れ端の大小

まるでパズルのように組み合わさろうとしており、もとの姿を必死で保とうとしているようであり、

でもパーツが足りないらしく、スカスカ。

「それどころじゃねえんだよ」消えた。

その機械室はいわくがあり、子供の走る影が見えることもあったらしい。

「ピンクのカーディガン」

青山。これはいわくつきのビルでのこと。まだ新人研修で早くに会社をひけたとき。

地下の廊下を通らねば外へ出られない。隅に墓石のようなものをまつった場所があり、どうやらほんとうにいわくつきらしい。

そしてずうっと歩いて、外へ出ようとする階段へ向かう曲がり角で。

友人からひとり離れ、ふと脇道の奥を見た。廊下の突き当たりに扉があって「認証」がないと入れないところ。

「認証器械」のすぐ脇の壁に向かって、アタマを壁に付け、俯き加減に背を向ける”女”が居た。

ピンクのカーディガンを着て、ぞろっとしたスカートをはいて、ちょっと見ない古い感じの少女が、ながい黒髪を前に垂らし、額を支えに寄りかかっていた。

ああ

入りたいのだ。

誰かを、さがしているのだ。

死者も認証マシンには勝てないか。いや生前の記憶が邪魔をして、入れないと思い込んでいるのだろう。笑って友人を追った。友人を怖がらせて面白がりながら、ふと哀れな気もしてきた。

その女はたびたび目撃した。今でいえば映画、某リングの貞子のような雰囲気。あれはあるていどリアルな映画である。 第73夜、風化老人

第73夜、風化老人

大学の頃ほとんどの学生が寮生活を送っていたせいか色々なウワサがとびかったものだ。

主要なものは別項でまとめようと思うのでここにはちょっと特異なウワサを載せておく。

将門伝説より「一の矢」という名(じっさいの地名)をとった寮がある。

そこは二人部屋で広い。

尤も私の卒業する頃は風呂の無い寮よりアパートに入居する人間が増えたせいで、二人ではなく

独りで利用する例が多くなっていたのだが。

そこの一室が、「開かずの間」となっている。

この学校寮に「開かずの間」は多いのだが(しかも毎年場所が変わる)

そのひとつだったというわけだ。

その部屋は一応誰もすんでいないことになっている。しかし、

実際には一人、男が棲んでいる。

「あー酔っ払った」

ガクセイがいつものように飲み会から帰ってきた。

「あれえ、どこだったっけ」

まだ入学したてで部屋の場所をちゃんと憶えていない。

「がちゃ」

「なんだよ」

「す、すいません」

この寮は安全なせいか、鍵を掛ける習慣の無い者が多い。

ふうと酒クサイ息を吐いて走り去る。あ。

この部屋だったような・・・

見覚えの有りそうな汚れの付いたとびら。

中から何も音のしないことを確認して、ノブに手をかける。

・・・

がちゃりとあいた。

ぎーっ、立て付けが悪いような音。

黴臭い風が中から巻き起こる。

部屋の中をおそるおそる覗くと、埃が渦を舞いている。その中に薄明かりが見えた。

そして、本が山積みになった机に向かい、ごそごそと動くちいさな人影があった。

「また・・・ごめんなさい!」

扉を閉めようとした瞬間、人影が振り向いた。

皺くちゃの老人・・・

そして、舞い起こる埃風。見る見るうちに老人の姿が解けていく・・・風化していくのだ。

無数の塵を撒いて骸骨になり、さらにがくんとひらいた顎骨の間からさーっと砂が引く

様に、一片も残さず消え去ってしまった。

ふっと消える灯り。

窓の薄明かりの中に、蜘蛛の巣が縦横に張られた、もう何年も使われていないような

部屋だけが残った。

・・・

原典は荒俣宏氏「日本妖怪巡礼団」であるが私が入学したときにはこの話し自体

「風化」してしまっていた。そう酔客の話しに仕立てたついでだ、もうひとつこれは私自身の

はなし。

・・・

大学構内でヒトが行方不明になった。今は珍しくないが、広大なキャンパスを持つ郊外の

学園都市でのこと、森林や茂みのようなものも多く、ただ真冬だっただけに泥酔して

帰宅する途中消えた、彼の安否が気遣われていた。

おりしもUFOアブダクションブームのころ、

「うちゅうじんにゆうかいされたんだ」

という偏差値の低いうわさ迄出る始末。

さて既に書いたとおり学生時代の私は友人とよく夜中のジョギングをたのしんでいた。

毎回コースが違う。それが面白い。思うが侭に走るから、ときどき迷うことはあっても

大抵は家に辿り着ける。

行方不明の話しも、何の解決もせずに「風化」したころのこと。

その日は普段行かない方角をえらんだ。畑中の知らない道が続き街灯の灯りも

心もとない。引き返して大学沿いの大通りが見えて来るとほっとした。その明るい灯を

目掛けて走る。

ふと道路脇の草ツ原・・・休耕田の雑草地が、気になった。

そこだけ少し暗い。何か、闇がある。

「なんでだろ、なんか、妙なかんじだ。気持ちが悪い」

「早く行こう」

この日は走りすぎていた。いつもじゃない方向を選んだだけに疲れていた。

吐き気がしてもおかしくない状況だ。

そのまま大通りに出て、家に戻ると一杯やって、寝た。

翌日。

テレビが騒然としていた。

「行方不明の某大生、近所の草叢でミイラ化して発見」

大学のすぐそばの、道路脇の草叢に一冬、誰にも見つからず、

そして

その場所。

・・・昨日通りかかった、あの草叢だった。

稲を植えるため雑草を刈っていた最中にみつかったそうだ。

死因は凍死。

ぞっとした。そりゃそうだ。 第74夜、南島のお岩さま

第74夜、南島のお岩さま

沖縄は血気盛んな島々、ウラミつらみの話も数多く、ヤマト(本土人)との争いやヤイマ(八重山)
との争い、ましてや大日本帝国の前哨となり壮絶な地獄絵を展開した場所であるから、このての話
、枚挙に暇が無い。ここでは古典的な話を取り上げよう。琉球三大歌劇のひとつ、ハンドゥ小(グ
ワー)の怨恨の物語だ。

本島北部に向かう途中、国頭村という山海に恵まれた地がある。辺土名という所に住むハンドゥ小
はとても器量良しの娘であった。母や従姉妹のマチ小らと静かに暮らしていたが、ある日、伊江島
の加那という青年が難破して流れ着いたところを助けた。青年も色気有る風だったから看病するう
ち、二人の間に深い仲が結ばれることとなった。持ち直した加那はしばらく村にとどまるが、契り
を重ねるうち、ある日突然、姿を消してしまう。
島に帰れば女房もいる、家族持ちの男だったのだ。
可愛そうなハンドゥ小はその意もわからず精神を蝕まれ、ただ一途に、うわごとのように男の名
を呼びつづける。
加那
加那
それこそ恋の病、妻に無理やりにも連れ戻される加那の姿を夢にも見、マチ小は旅の男の気まぐれ
を忘れさせようと苦心するが、いてもたってもいられなくなったハンドゥ小、伊江島に渡って加那
の気持ちを確かめたいと打ち明かす。マチ小は伊江島にわたる船頭さんに頼んで、連れて行っても
らうよう計らってやった。
島々がたとえ目と鼻の先でも言葉すら違うところ、伊江島のハンドゥ小にも他島者への冷たい目が
注がれて、青年たちにからかわれながらも、村頭のはからいで加那に会うことができた。
だが加那は冷たかった。
話もそこそこにさっさと逃げ去ってしまった。
それ以上に加那の家族の仕打ちは無情なもので、打ちひしがれたハンドゥ小はモウ死に場所を求めて
さまようところを船頭に止められる。船頭は逆上して櫂で打とうと追おうとするが、逆に制されて、
ただ慰めの言葉をかけながらひとまず自分の家に連れ帰る。
夜中、ハンドゥ小は抜け出して、城山の奥に入ると、生地辺土名の方を向いて首を括ってしまった。
ハンドゥ小の変わり果てた姿を見つけた船頭とマチ小、連れ来たことをしきりに悔やむが後の祭り。
ハンドゥ小のお骨は故郷の見える島の端にひとまず葬られた。

さて暫くたって加那が謎の病に臥すようになる。故郷にお骨を戻すため来島した船頭とマチ小、
加那にただの一度だけでもハンドゥ小に弔いの声をかけてやってくれないかと頼もうとするが、
加那の容態を案じる地頭に追い返されてしまう。地頭は飯ものどを通らぬ加那に無理に飯を食わせ
ようと勧めるが、そのとき城山のほうから、
確かにハンドゥ小の声で、唄が聞こえてくる。
加那は苦しみと恐怖で身悶えた。食事に手を付けんとすると器から妖火があがり、障子の向こうに
ハンドゥ小の影が現れる。
すると加那の目が潰れた。
恐れ泣き喚く加那は地頭にすがりつき、大刀を抜いた地頭、亡霊めがけて振り下ろす。
ぎゃあっ、
ばさり。
倒れたのは加那の妻であった。
再び姿を見せた亡霊にも錯乱した地頭、咄嗟に斬りかかる。
いやあっ、
ばたり。
それは自分の娘であった。
二体の屍を前におののく地頭と加那、更に飼っていた家畜が次々と死んでゆく。下男たちは恐れを
なして逃げ去ってしまう。
騒動を聞きつけて引き返してきた船頭はこの地獄絵図を目の当たりにして、思いを唄に叩きつけた。
天と地や鏡
人の罪罰や
あたて此の形
なたさやー男
・・・
その屋敷跡は今も公園として残っている。地頭の家の廃墟もその裏に残骸をさらしている。
米軍の猛攻に凄惨を極めた島の中にただ古い恨み話を伝えるハンドゥ小の銅像は不気味な鈍い輝きを
放っている。
公園の前には、錆びた魚雷が無造作に転がっていた。
(参考、琉球孤沖縄の観光と伝説:沖縄トラベルサービス社刊) 第75夜、残像

第75夜、残像

目についてはなれない情景というものがある。

何も衝撃的な事件や印象的なシーンを目撃したというだけではなく、日ごろ何気なく

見続けている日常の断片が、妙に食らいついて離れない。

たとえば街道沿いの看板の文句とか、車窓から一瞬見える鉄塔の先の旗の模様だとか、

そういったものが瞬時に残像としてアタマにこびりつくことがある。

私は夜の車道を歩いていた。横をびゅんびゅんと車が通りすぎて行く。

大きな黒い車が通り過ぎた。

後部座席に目が停まった・・・いや一瞬のことである。

おかっぱ頭の女の児がいた。

赤い着物を着て、真っ白な顔をした、まるで昔人形のふうに

すわっていて、

「こちらを見ていた」。

まっすぐ確かに私の目を見ていた。

単に車窓風景を眺めていただけかもしれない。だが今時あんな女の子が

いるだろうか?

瞬時にそんな奇異な気持ちと、網膜に残像が残った。

そして次の瞬間・・・車は通り過ぎたのに・・・

「残像」の中で、

女の子がにやり、と笑ったのである・・・

通り過ぎた車の残像の中で、残像の女の子が笑った。

どう説明すれば良いのだろうか。

おわかりになるだろうか。良く説明できているかどうか心もとない。

ただおもったのは、あれはこの世のものではなさそうだ、

ということだけだった。 第76夜、テントを叩く影

第76夜、テントを叩く影

そうだね、あの映画はたしかにリアルだった。

ブレアウィッチプロジェクトのことだ。2も制作されているが、全てが暗示的に作られており、

原因が今一つはっきりとしないところがいかにもリアルなのだ。原因を探らない主義の私に

も興味深い映画だった。

そう、キャンプの夜の不安な思い出。

中学1年生のころ、尾瀬にキャンプに出かけた。

尾瀬のテント場でテントをはって、行程自体はたいしたことがなく、割合と元気だった。

ある晩のこと。ふと目を覚ました。

がさり、がさり。

周囲の草ぐさを踏みしめる音。無論灯りなど無い真っ暗闇の中でのことである。

誰かキジ打ちにでもいったのだろうか(注:山用語でトイレのこと)。

でも、足跡は遠ざかる気配も近づく気配も無い。しかも、私の頭の上から左側、そして足、

さらに右側の出口付近、また頭の上・・・ぐるぐると、このテントの周りを廻っているのだ。

恐怖が全身を駆け巡った。

薄ら寒い高原の夜、月の無い晩。

真っ暗ななか、何者かがこのテントを狙っている。

何を狙っているのか知れないが。

がたがた歯の根もあわないほどに震えシュラフにくるまる私は、遂に意を決して、

ヘッドランプを取り上げると、音が足元方向に向かった時をみはからい、

スイッチをひねった。

ぱっと明るく照らされたテントの壁面に、大きな人影が映し出され、次の瞬間

どさん!

と倒れ込んだ。目前に迫る布地、「人の顔型」!

思わずライトを消す。それ以上「何かが見える」のを防ぐために。

パニックだった。丸まって震えながら、耳を塞ぐしかなかった。

・・・

・・・周囲は皆寝ている。そして気が付くと足音も消えていた。

ライトをつけると、壁面は何事もなかったように平らかだった。

朝までまんじりともできなかった。

昨夜誰かがそんなことをしたのだろうか、と聞いてまわっても知らないとの

声ばかり、私たち以外の人間がイタズラでやったとも思えず、

気味の悪い想いを残して、私はテント場を去った。

寝不足の頭を抱えながら。 第77夜、まとわりつく手

第77夜、まとわりつく手

「手」は面白い。「人」を認識する重要な要素として、顔とならんであげられるのが「手」だろう。

2本の腕から合わせて10本の触手が生え、それぞれ二節の関節を持って勝手な動きをする。

その動きかたひとつで、

楽しくも憂うつにも、色っぽくも凄惨にも感じさせる。

或る意味それ自体が「命」なのである。

また学生時代の話しになって恐縮だが、私は「手」に取り憑かれた。

正確には手首、である。因果は例によって判然としないのだが、

兎に角最初は自転車だった。

夜中に友人宅から帰ろうと、自転車にまたがり、

まっくらな中、ハンドルを握ると、

むにゅ

という感触がして、思わず手を引っ込める。両手ともだ。

恐る恐る握り直すと、冷たいゴムの感触になっている。

少々酒が入っていたせいか気にしなかったが、

そんなことが何度かあった。そのうち、

どんどん感触がハッキリとしてくる。

それは何か。

・・・柔らかい人間の「手」。

私が握る前に、既にハンドルを握っている「手」があり、

その上から握っている感じなのだ。

毎度毎度のことで、そのうち中仲感触が消えなくなった。

あるとき仕方なく、

見えない両の「手」をむにゅりと握ったまま、自転車を走らせたのだ。

消えない感触・・・気味の悪い柔らかさと、蛇のような冷たさ・・・ゴムの

無機質とは明らかに違う・・・だけを今も憶えている。

家について自転車を放すと、駆け込み急いで水道を開ける。

両手をごしごし洗うが感触は忘れられない。それは細い指の少々節立った

女の手だった。

その晩のことである。金縛りに遭った。

ぐぐっと身体を押さえ込まれるような中、掛け布団の上に、

ぽそり

と何者かが載った。

目玉だけをそちらへ向けると・・・「手」があった。

今しも飛び掛かって来るかのように、指先をこちらの喉元に向けて、乱暴に剥げた

紅いマニキュアの割れた爪までもがハッキリと見えた。

指の後ろは闇の中に溶け込んで本体があるかどうかもわからない。凄く危険な感じ

がしたが、そのときはそのままだった。気を失って、朝になっていたのだ。

次の日から、断続的にではあるが、寝床の中で「手」に襲われるようになった。

「手」は少しずつ動き出す。喉元を狙っているのかと思えばそうでもないらしい。

あるとき、「またか」と思って布団の上を見ると何も無く、そのかわり肩に感触があった。

ぞくりとした。

肩に乗せた手は、冷蔵庫で冷やしたかのように冷たく、食い込んでいくように感じた。

爪を立てるようにして「手」は、私の背中に廻る。

そう、このころは良くあることだったのだが、

ニンゲンの見えない「出入り口」は肩口、首の後ろ側のあたり、又

肩甲骨の裏あたりに、開いていて、

ヤツラは

そこから体内に「入り込む」ことができるようなのだ。

何のことをいっているのかって?

アイツラがニンゲンに「取り憑く」ための見えない出入り口があるってことだ。

今現在の私は霊感も何も失せて、そのときの感覚も今一つ思い出せないことが多い

のだが、

ともかくそのときは

「やられる」

と思った。何とか身体をうねらせ声をあげてのがれようとする。金縛りとはいえ解けない

ものではない。たいていなんとかできる。

そのときは肩から外れたとたんに身体が軽くなり、収まったようだった。

だが。

次の晩も奴はやってきた。

今度は視界に入らない。なぜなら布団の「裏側」から来たからだ。背筋に沿って這い昇って来る。

仰向けでもアイツラには関係が無い。

布団の「下」から腕をのばし、私の背を弄っているのだ。

だがそのときはそれだけで消えた。

しかし次。

右の肩がぽんとたたかれる感触があり、次いで一旦離れたかと思うと、視界に奇怪な蒼白い手が

がばっと顕れた。後ろに蛇のようにずるっとした生白い肌・・・その先は無く、まさに「手首」のみ・・・。

まじまじと見えたのは初めてでそれだけでもう抵抗する気が失せていた。手は私の布団に胸側

からずるずると入ってゆき、泣きそうなこちらを「尻目」に、胸から背の方向へずるずると廻っていく。

そういう感触のうちに、肩甲骨の下のあたりにさしかかる。

ヤバイ・・・

とおもったらもう、「手」の感触が肩甲骨を押し上げて、「肋骨」と「肺」の間に入り込んできた・・・

・・・ついてきてくれていますか?

この体験は私の最も恐ろしく、あるいは”いっちゃった”体験なので、真偽を疑われても仕方が無い

と思っている。・・・

「手」は肋骨の内部に入り込み、ずるり、ずるりと前の方に廻って、

ぐーっつ

と「右肺」を「握り」、締め付け出した。まるで蛇のように、「直接」にだ。

こんな体験は初めてだ。手術なんかも受けたことがないから、気味も悪いし、どうしたらいいものか

わからない奇妙な感覚。心霊治療の絵がふと頭に浮かぶが、それより

体内に”物理的に”入り込んだ手の力は物すごく、肺はきゅうっと締められて息が辛いし、痛い。

それどころか「手」はぐるりの先の「心臓」に至ろうとしている、と思った。

ああ。

そのとき、

がちゃん!

という大きな破裂音がして、「胸のつかえ」がぱっと消えた。

悪夢のような時間は唐突に終わった。闇の中、すーっと気が抜けたようになってそのまま、

朝がやってきた。

終わった。

とにかく終わったらしい。

立ち上がりかけてふと枕元を見ると、

私は「一応」カトリックなのだが、

いつも枕元に飾っていた陶器のマリア像が、

「粉々に」

砕け散っていた。

・・・。

助けてくれたのか・・・。

少し幸福な気分になって、ふと枕を見ると、

「手首の破片」が転がっていた。

私は今も大切に、その破片を保存している。

無論それきり手首におそわれることはなかった。 第78夜、狸三題

第78夜、狸三題

徳島県美馬郡半田町にある坊主橋。その際の藪のなかに、坊主狸が棲む。夜半に人が通ると、
いつのまにか頭を坊主のように剃られてしまう。そこで、橋の名も「坊主橋」という。
脇町大字脇町では、隣村の新町へ行く途中の、高須というさみしいところに、昔、衝立(つい
たて)狸というものがいた。夜更けに通ると、道の真中に大きな衝立が立って進むことができ
ない。大抵の人はびっくりして引き返す。豪胆な者は丹田に力を込めて、構わずに通る。すると
訳無く通れるが、一般の人はひどく恐れた。そこで近隣の人々が集まって、ここで光明真言を
四万八千遍唱えて、そのしるしの高さ一丈もある板石を立てて狸を封じ込んだ。その後は何も
無い。三島村の舞中島には、昔、蚊帳吊り狸というのがいた。夜更けに、道中に蚊帳を吊るして
あるのに出くわす。まくってみるとまた蚊帳。いくらまくっても、蚊帳。いくら戻っても、蚊帳
がつづく。夜明けまでうろうろしなくてはならない。が、よく心を落ち着けて、丹田に力を入れ
て、まくって進むとちょうど三十六枚目に向こうに出られるという。1990
第79夜、戸越のヌシ

第79夜、戸越のヌシ

東京品川の戸越は今は商店街の庶民的な風情でしられる。その戸越公園に池がある。江戸の頃
村人が鯉を釣っていたが、いくらでも釣れるので、日が暮れてしまった。すると足元の水面に
どす黒い物が出てきて、それを見たとたんに頭痛がし、倒れてしまった。家人に助けられて
帰ったが、三十日ほど不眠に悩まされた、という。1990
第80夜、山女(やまおんな)について

第80夜、山女(やまおんな)について

熊本は内大臣山のある山師の話。彼の母が下益城郡まで塩を買いに出て、椎葉の我が家に帰る
途中、山犬落というところで休んでいるときに、山女にでくわした。頭は”ウッポリ髪”で
毛先は地面につくほどに長く、「節」があった。山女は母を見てゲラゲラ笑い、母は大きな声
をあげた。山女は笑うとき、血を吸うといい、母もそのとき吸われたか、のち間もなく死んだ。
1990 第81夜、くらげ

第81夜、くらげ

1973年のこと。貨物船クランダ号は、シドニーの遥か沖合いにいた。突然大波に襲われると、
二十トンもあろうかという巨大なカンテン状の塊がデッキに姿を現した。それはどうやら”くらげ”
らしい。触手はデッキの上をくねくねと動き回り、機械室に巻き付き、見張り番を叩き殺した。
長い触手は60メートルに達した。
SOSを発すクランダ号に救援船が到着した。乗組員たちは強力なポンプをいくつか使って、怪物を
海へ撃退したという。
真偽は、定かではないが。1990
第82夜、屍鬼のこと

第82夜、屍鬼のこと

京は七条河原の墓所に、化物が居るとのうわさがたった。それを聞きつけて、若者どもが寄り合い、
金を賭けて肝試しをすることにした。一人が例の墓所へ夜半時分に行き、杭を打って、紙を付けて
帰ろうとすると、
年の頃80ばかりと思われる老人、白髪を頂き身の丈8尺くらいの者が、顔は夕顔の如く白く
やつれ、てのひらにはぱっちりと目がひとつ付いて、前歯二本を剥き出しにして追いかけてくる。
男、肝魂も失せて、近くの寺に逃げ込み、僧に助けを求めた。僧は長持を開き、中に隠れさせた。
するとくだんの化物、この寺に追いかけて来て、つくづくと見わたすと帰っていったと見える。
しかし例の長持のあたりで、何とも知れず、犬の骨のようなものをかじり食べるような音がして
いた。僧は怖ろしく思い隠れていたが、もはや化物も帰っただろう、男を長持から出そうと蓋を
あけると、例の男は骨を抜かれ皮ばかりになっていたということだ。1991
第83夜、くすぐり様

第83夜、くすぐり様

窓をあけっぱなしで夜更かしをした。室内の空気が二時近くになって急に重苦しくなった。「何か」
が室内に入ってきたようなのだ。
「早く寝てしまえばよかった」
このような時は寝ようとすると決まって金縛りに遭う。果たしてそのときも寝入りばなに、あの
「独特の」状態に陥った。「仰向け」でいると「最中」に何か見えたり何かされることが多いので、
下を向いて寝たのだが、いつのまにか横を向いていて、腹の真ん中を、何かがくすぐる。へそのまわ
りを、男の手らしき厳つい手が、指先を細かく動かして、くすぐっているのだ。おかしい。何とも
気味悪く、かと言って恐ろしくは無い妙な感じである。くすぐったい以前に、やはり気持ち悪く、
目を開いて何か見えるのは嫌だから、目は開かなかったが、くすぐったくてたまらず、力を振り絞
って手を伸ばし、テレビのスイッチを入れ、ボリュームを上げて追い払おうとする。それでも収まら
ないから電灯のスイッチも入れると、
パッ、と消えた。
しかし室内のフンイキはあいかわらず重苦しい。その日は、フンイキが元に戻るまで起きていようと
思ったが、いつのまにか、電灯やテレビをつけっぱなしで寝入っていた。
・・・1992年8月16日。盆明けの晩であった。 第84夜、かえってきた男

第84夜、かえってきた男

寛政六年(1794)芝の辺りに、その日暮らしの男がいたが、病にかかり急死した。それを念仏講の
仲間などが寺へ送り葬った。しかし、1、2日後、塚中から唸り声がし、段々高くなっていった。
びっくりした寺の僧が掘らせると、生き返っていた。そこで寺社奉行に知らせ、町奉行の許可を
得て、その身をひきとった、という。
やがて身の回復した男は番所で事の次第を話した。
「死んでいたとはわからなかった。どこか京へのぼり、祇園辺りや大阪道頓堀辺りを歩き、東海道
を帰ってくると、大井川で旅費がなくなってしまい、川渡しの者の同情に頼って渡してもらい、そ
れから家へ帰ってきたところが、まっくらで何もわからないので、声をたてたと思う。まことに
夢をみていたようであった」
江戸の臨死体験には「旅」モノが多い。この男も病はスッカリ治ってしまったようだ。
私は子供のころ酷い風邪などにかかると、周囲の風景がぐるぐると廻りだし、かざぐるまのように
とおざかってゆく。気を失ったように寝込み目を覚ますと、決まって風邪は完治していた。ために
私は「ニンゲンはいったん死んでよみがえると、病気が治る」という誤解を長いこと持つように
なったことを思い出した。1991
第85夜、離脱

第85夜、離脱

ハッキリした経験が一度だけある。小学校高学年のころ、風邪で寝込んでいた夜。
いつのまにか、まっくらな室内に、立っていた。ふらふらと足も立たないはずなのに、立っていた。
鼻をつままれてもわからない暗闇の中。ふと背後の寝床のほうから、
「物凄く怖いモノ」
が飛び掛ってきた。うわっと逃げ出し、二階であったから、階段を駆け下り家族のいる居間に向か
おうとする。が、急な階段の途中でふっと足を踏み外してしまった。すると、体が浮いて、
ふあーっと、
雲のように落ちていく。でも「何か」は追ってくる。浮いたままで廊下に降り、滑るように逃げる。
狭い家だから扉はすぐだ。その扉の下から明るい光、賑やかな声が漏れる。そのとき気が付いた。
あきらかに視界が低い。扉の下の狭間からすり抜けられるほどに低い。「何か」はもうすぐそこ
まで迫っている。気を失った。最後に耳に残ったのは、姉の軽口だった。
翌朝、スッカリ回復した私はちゃんと寝床の中で目をさました。
それでも重い足をひきずるように階段を降り、居間で姉に尋ねる。昨夜、こんな話をしていなかった
か?
答えはYES、それが幽体離脱と呼ばれていることを、私はずっと後になって知った。
ただひとつの疑問、それはあの「怖いモノ」が何だったのか、ということだが・・・
第86夜、新旧妖怪数題

第86夜、新旧妖怪数題

「とびあがり」
某学校の階段に、さびしげな少年の座ることがある。近寄ると、ぽうっと宙に浮き上がったかと
思うと、にやっと笑って振り返る。昔この階段より落ち命を失ったモノの名残という。

「覗き婆」
部屋の襖や玄関の戸を少しでもあけておくと、目付きの鋭い小さな婆が覗いて睨み付け、ぴしゃ、
と閉めていく。

「指突き」
不意に背中をつつかれる。振り向いても誰も居ない。寝ていても起きていても、歩いていても座って
いても。

「廻り男」
夜半、急に金縛りになったかと思うと、自分を中心に、室内を、何者かがぐるぐると飛び回る。
窓から入ってきて、窓から出て行くと解ける。黒い影のようだが気配だけのこともある。
あるいは気がつくと、自分自身がぐるぐると回されていたりもする。
いろいろなところで出会う。西表島でも遭った。

「ふらり」
車が通るとき、何もしないのにひとりでに体がふらりと揺れて、飛び出し轢かれそうになる。気に
していることが特に無く、ぼうっとしているときに多い。三宅島で度々遭った。

「天吊シ」
山梨は北巨摩郡下の或る家に出る怪。夜中にたびたび天井から、稚児らしきモノが降りて出る。
これを天から吊るされた子として「天吊シ」と呼ぶ。
第87夜、銭神について

第87夜、銭神について

夕暮れに薄霊のようなモノが立ちこめる気配がする。なにやらわからぬ声らしきものを発し、人家
の軒先を走るのだ。これを刀で斬り止めると、銭が沢山こぼれ落ちてくる。「百物語評判」によると
これこそ「銭神」なのだそうだ。 第88夜、自動書記

第88夜、自動書記

風景が自ずと描き出したような絵、音が自ずと沸き上ったような音楽、芸術の分野でこの言葉

は写実的というより象徴主義的な意味合いを持つ。若干のダダイズムも盛り込まれた・・・

たとえばエリック・サティの「自動書記」はそんな作品だ。

「作者の姿が見えない作品」、作品を完全に透化して見える向コウ側。

もとはオカルティックな意味合いがあって、19世紀後半以降に流行った「交霊実験」の一つだ。

憑依者が何の意志も持たずに、「霊の命ずるままの文字」を書き付ける。チャネリングという

言葉がはやった事があるが意味は同じようなもので、自分以外の何か見えない存在が、何か

言い残す手段として、依拠者の手を借りて、何かを書く。そこに「書いている肉体」の存在

は無視される。サティの独特の作品もまた、権威的な意味合いを持つ「作曲家」の介在しない

音楽という考えの発露であった。依拠者の口を借りればそれこそ霊的な憑依ということになる

が、それはダダイズム的な芸術・・・意味をなさないものを通して見る者自身に意味を見出させ

る、「象徴」としての無意味とまさに表裏なのかもしれない。なぜってそういう場で霊の語ること

で、根拠ある意味をはっきり指し示した例など、数えるほどしかないのだから。

それは大方「無意味な単語」を語り、相手の中のそれらしき無意識の記憶(知覚)を呼び覚ま

しているに過ぎないように思う。

こういった覚めた視点から、私の体験を語ろう。

小学6年生のころだ。塾に通っていて、算数だけを教えるところだった。算数の勉強ほど退屈な

ものはない。自分で考えるのではなく、一方的にまくしたてられる算数ほど、眠くなるものはない

だろう。私はしょっちゅう寝ていた。

あるとき、それでも必死で黒板を書き写そうとしていた。

だから右手には鉛筆が握られているのだが、私自身は

「車の中にいた」。

見知らぬ人の運転する車に乗って、どこかへ向かっていた。私は恐怖していた。前に大きな橋が

見える。この男は私を橋の上から投げ落とすつもりなのだ。私は怖かった。

「はっ」

目を覚ました。ほんの数秒のことだったろう。びくびく上目遣いに先生を見、バレていないことを

確認してから、ノートに目を落とす。

そこに数式の羅列はなかった。

ただひとこと、ミミズののたくったような文字で

「大阪 九州 550キロ」

と書いてあった。

算数である。大阪や九州などどこにも出てこない。

行ったことも気にしたことも無い。

550なんて数字も黒板には全く書かれていない。先生が語った内容であろうはずもない。

自覚しない文字を書いていた。しかもミミズがのたくっているから、自分の筆跡ではない

ように見える。

そのまえの夢のモチーフ・・・橋から投げ落とされる・・・そして「九州550キロ」の部分が、

特に私を戦慄させていた。その戦慄の意味はわからない。何故戦慄しているのだろう。

・・・

これは「自動書記」じゃないのか。

殺された子供の、「ダイイング・メッセージ」のような・・・

・・・・今では私も冷静になって、まああのとき実際にそんな事件があったかどうか調べれば

因果もわかるんだろうけど、多分そんな因果は無いだろうし、あれはグウゼンだったんだと

思う。

ただ、その夢の風景が、

何故か映画「シックス・センス」の車中のシーンによく似ていて、それで思い出したというわけだ。

内容は全然違うのだけれども、あれが死者の話しであったがゆえ、ふとここに書きたくなった。

見知らぬ文字を知らぬ間に書いていた、という記憶を持つかたは、

どなたかいらっしゃるだろうか。 第89夜、七人みさき

第89夜、七人みさき

以下は七人みさきと呼ばれる有名な妖物とはひょっとすると違う話しかもしれない。

だがなんとなくゴロが良いので、「七人みさき」としてここに書かせていただこうと思う。

鳥も通わぬ八丈島、とは昔のはなし、上方から潮流に流されて、七人の坊主が

はるばる平根が浦に流れ着いた。小舟を降りて陸に上がった坊主は誰もみな一様の

迫力があり徳を積んでいるようであった。島民が恐る恐る隠れ見るうちに、坊主は水を

探しはじめ、近くに泉が無いことを悟ると、ひとりが小柄を抜いて、地面を掘った。

するとすぐコンコンと泉が湧き出した。島民はあっけにとられた。この泉は「コミノ川」と

名づけられ今も名が残っている。坊主はうまそうにそれを飲んだ。

やがて坊主たちは人家を求め山道をのぼるが、途中で空腹のためへたりこんでしまった。

一人の坊主が頭上に停まった何羽かの鳥に目を止めた。

えいっ、えいっ

気合をかけると鳥たちは一斉に、

ばさり

ばさりと落ちた。

毛を毟り生のまま貪り食う坊主たちの姿はあさましかった。

島民たちは恐怖した。魔術を使う、恐ろしい坊さんたちがやってきた。

そんな魔物を村に入れるわけにはいかぬ。

東山、いまの三原山より村に通じる山道に、早速頑丈な柵が打ち建てられた。

坊主らが村に至るにはその道を伝うしかない。

果たして坊主は柵を越えることが出来ず、島民の情けにありつくことが叶わなかった。

東山の頂き近くに居を構え、鳥や木の実などを食していたが、それだけで生きて行ける

ほどには徳がなかったのだろう。

不動の沢、六ッ羽が峠、果テイの川、それぞれの地で、次々と息絶えていった。

以後、村の家々のまわりを白い衣を着た坊さんたちが歩き回るという怪事が相次いだ。

農作物が不作となり、家畜が死んだりすることが続いた。拝み屋を頼んでおがんでもらうと、

これは七人の坊主の祟りだ、ということになる。村人たちは早速東山に登り、塚を建てて

非情な仕打ちを詫びた。だがそれでも完全には祟りはおさまらなかったという。

東山の頂上付近で、坊主の話しをしたり、悪口など言おうものなら、必ず災厄に見舞われる。

昭和27年のことという。東山を横断する林道工事が行われた。そのとき村人数名が頂上の

近くで、

そりゃ坊さん

こりゃ坊さん

と囃し立てながら地固めをした。その翌日現場付近で山崩れが起き、工事中の村人七名が

生き埋めになったのである。当時はかなり有名になった怨念話。

(参考:「東京ミステリーの旅」みき書房、中岡俊哉著S59) 第90夜、つよいひと

第90夜、つよいひと

常陸の国土浦城主土屋家が家臣、小室甚五郎は剛勇の誉れ高く武芸に秀で鍛練を怠らず、

特に鉄砲を好み山野を駆け巡り猟に出ることを唯一つの楽しみとしていた。

土浦に当時雌雄二匹の狐が棲んでいた。名を官妙院、お竹といい地元では稲荷社を建てて

崇めていた。

妙日甚五郎、いつもの如く鉄砲を肩に近隣の山野を跋渉していたところ、偶然、お竹狐に

でくわした。

甚五郎は自慢の腕前で、此れを撃ち殺してしまった。

家に帰り、早速料理して酒の肴としてしまったという。

するとまもなく近隣の他国領内の農家の妻が狐憑きにあった。出たは雄狐「官妙院」、言葉

極めて甚五郎を罵る。

夫はじめ村中の者が集まり、官妙院に向かって言った。

「それ程小室甚五郎様が憎いのなら本人に取り憑くのが道理。民が稲荷の使いとして崇める

貴方がなぜ縁もゆかりもない他国の者をこのように苦しめるのでしょう」

口々に非難を受けると、官妙院が言うには、

「甚五郎に取り憑くなど滅相も無い!我が妻を危めた挙げ句酒の肴に食ってしまう、凄まじき

人間に取り憑くことなど到底出来るものではない。今では土浦領に入ることさえ恐ろしく、仕方

無くこちらに来て縁無き妻に取り憑いたのだ。不憫に思って、ドウカ憎き小室甚五郎を殺して

下さい」

ということであった。

甚五郎の耳にもこのことが伝わった。烈火の如く怒った甚五郎、役人に事情を説明しその農家

へ赴くとコウ言い放った。

「狐畜生の分際で人に取り憑くなど不届き千万。増して当の我に憑かず他国の人を苦しめるな

ど誠に許し難し。直ちにその女から離れよ。もし離れ無くば我は主人に願い稲荷の祠を打ち壊

し、更にどれだけ月日がかかろうとも毎日精進して草の根を分けてもお前を探し出し、見事撃ち

殺して呉れようぞ」

仁王立ちで大声で罵ったあと領内の祠に向かい、同じように罵ったところが、それに驚いたので

あろう、狐は直ちに落ちて、二度と姿を現さなくなった、という。

(「耳袋」より)

・・・今でも「憑き物」に対してこのような疑問が投げかけられることがある。なんで恨み千万の

当人に取り憑かないで、周辺の他人に取り憑くのか。つよいひとは結句霊の世界でもつよいもの

なのだろう。 第91夜、左足をかえして

第91夜、左足をかえして

この「夜話」を書き始めたのは「化物屋敷」の話からだった。ここに書くのは或る有名な病院の話し

で、その名を聞けばソッチ好きはピンとくるだろう。ソウ何らかのトラブルで何年も廃虚と化して

いた、神奈川の或る病院址での話し。(今は取り壊されているかと思う)

 まあ5人で肝試しに侵入した輩がいたわけである。

 幹線沿いで割合と車が入り易いせいか侵入者の後を絶たず、「スポット」としてテレビで放送さ

れ続けた一時は、どこの馬のホネともつかない輩でごった返す始末。それがピークであっ

たころなのに、その雨の夜は何故か自分たちだけしかいないようであった。

 ひととおりのコースのようなものがあって、手術室だとか、地下室だとか、ラクガキだらけの廃屋

の中をそぞろあるくわけだけれども、一人がある階段の手前で悲鳴をあげた。

「血だ!」

懐中電灯には紅いといえば紅く見える何かの垂れ滴った段が映し出されている。ゲラゲラ笑う

奴がいて「血なわけねーじゃん。血だったらいつまでもこんな赤い色してるかよ」もっともであった。

だが、その階段はたしかに変だ、と気付いたのは少し霊感のあるといわれていた男だった。

「足・・・いたくねえ?」

「別に」

「なによ・・・なによう、突然」

「いや、左足・・・痛くて、のぼれねえ」

「きのせーだろ」そんなことを信じない奴がいて、彼の左足を軽く蹴り上げた。

「い・・・あれ?あ、治った」そして探検はつづく。

「さあ、こっから地下いくぞ」

「ええ、もういーじゃん。かえろうよ」

「なにいってんだよ、メインじゃねーか」

「メイン」

「レイアンシツだよ、霊安室」

「えー」とかなんとかいいつつも、スプリングのはみ出たベッドの羅列や、壁の不気味なラクガキ

に少し飽きはじめてきた一同は、地下への階段を躊躇無く選んだ。

「さ、、、こ、こ、が霊・・・」開け放たれた扉を先頭をきってくぐった男が、何か言いかけて止めた。

「・・・」

「?」あとにつづく連中。なんの変哲も無いがらんどうの部屋だが強いて言えば壁の

”GATE of HELL”+骸骨というラクガキが嫌な感じだ。

「・・・何か言ったか?」

次に入った男が、先頭の異変に気が付いた。

「・・・ダシテクダサイ・・・」か細い裏声。

「え?」先頭の男が、部屋の奥でぼうっと佇んだまま、呟いたのだ。

「XXX、ビビラスなよー」

安堵の溜め息が狭い部屋に響いた。

「XXXどけよ」しかし彼は呟きを止めない。

「ここからだしてください・・・」

「おいー」

あきらかに尋常ではない。

「もうやだー、かえろうよ」

「かえして・・・」

ふと違う方向から声が聞こえた。懐中電灯の中に例の霊感のある男が、空ろな目をして

呟く姿があった。

向ける懐中電灯の灯りに妙な輝きを返す瞳はあきらかに正気ではない。

部屋の奥から再び、「さむい・・・ここはとってもサムイのよ・・・」

「かえして、ワタシノヒダリアシヲかえして・・・」後ろからは取り憑かれたような空ろな声。

サラウンドで繰り広げられる恐怖の音響にパニックになったのは女の子だった。

「わあーっ」

号泣の声に呼応するかのように、両端の二人も声を高めた。

「足をかえして・・・なんで切ったの・・・かえして!かえして!」

「この部屋から出して・・・一緒につれていってよう!」

「るせえな!てめえいいかげんにしろよ」信じない、信じまいとして正気を保つのがやっとの

状況で、ひとりが奥の男を薙ぎ倒そうと首に手をかけた。

「ぐっ」

ばたり、と倒れたのは手をかけたほうであった。

「くるしい」胸を押さえている。奥の男は微動だにしない。

「ヤバかねえ?」遅いのだった。泣きじゃくりながら逃げ出した少女を追うように、残された

青年は走り出した。その足を倒れていた男が掴んだ。

「出せえ・・・ココカラ出せえ・・・」

扉から半身を出してぶち倒れた青年の耳に遠くから悲鳴が聞こえた。

「イヤー!誰かついてくる!」

足を思い切り振り頭を蹴ると、手放さなかった懐中電灯を彼女の逃げていった方向へ向けた。

ライトの間近に、ハイヒールの女の足があった。

・・・一本だけ。

ライトの薄明かりがその上を映し出すと、真っ白い肌の青ざめた顔が、こちらを見下ろし、

「足を返して」

ぎゃっ、と、

気絶した。

次に気が付いたのは、あとから侵入してきた別の連中に頬を張られたときであった。

全員がそれぞれ倒れていて、それ以外に特に異変はなかった。そう長くは倒れていなかった

ようだ。

「もう・・・こんなことはやめよう」

「ああ」

「もうイヤ・・」

埃だらけで顔を見合わせるのだった。

・・・

さて。

左足のことなのだが、この「ウワサ話に近いもの」を聞いてまもなく、テレビでここが取り上げら

れたさい、

ある霊能者が言っていた。

「ここで手術して、左足を切断したかなにかで、でもほんとうは切らなくても済んだとかで、悲観

して自殺した女の人がいたようね」

・・・さらに別な番組で、別の霊能者が、

「左足・・・ひだりあしがいたい」

と言っていたその場所というのが、「赤いペンキが垂れた階段」だったのである。

まあウワサ噺は千里を駆ける、みな口伝レベルで繋がっているのかもしれないが、

その一致が偶然とすれば、不思議な話しではある。 第92夜、亡魂船

第92夜、亡魂船

八丈島の昔話。

太郎と次郎という若い漁師がいた。幼なじみで仲が良かったが、共に船主の娘ナカを好くように

なった。船主は稼ぎの多いほうに娘をやろうと言う。二人はいがみあい、やがて仇同士の様

に魚とりの競争を始めた。いつもの漁場にそれぞれ小舟で漕ぎ出すと、一斉に釣りはじめる。

だがまもなく次郎の針に次々と大魚がかかりだし、太郎を尻目に小舟は魚の山になってしま

った。そこでやめればよいものを次郎は欲を出し釣り続けた。太郎はほぞを噛む気持ちであ

ったが、ふと次郎のほうを見ると、魚の重みで今しも転覆しそうであった。

「次郎」

声を掛けたときにはボコンと妙な音がして、どざあ、ぶくぶく沈んでいく小舟、慌てて泳いでき

た次郎が太郎の舟に手を掛けた。

「の、のせてくれえ」

「駄目じゃ」

太郎は次郎の手を櫓で薙いだ。

「ナカを譲れ。そうすればのせてやる」

「そんな非道い。助けてくれ」

がぼがぼと水を飲んで苦しむ次郎を尻目に、太郎は釣りを続けた。

「のせてくれ!」

堪らず両手を掛けた次郎に太郎は振り向きざま、櫓の一撃を浴びせた。

「クタバレ!」

「ぐあっ」

次郎はひとしきり浮き沈みを繰り返したあと、

ごぶごぶごぶ、と水底に沈んでいった。

太郎はそのまま港へ帰ると今日の水揚げを船主に見せた。夜になっても

帰らぬ次郎に浜は大騒ぎとなり、みな火を焚いて待った。

「太郎、おまえ一緒じゃなかったのか」

「いや、きょうは別の漁場だった。一日じゅう会わなかった」

そしらぬ顔であった。

・・・

ナカは太郎の嫁になった。

太郎は平然として毎日漁に出ていた。

そんな或る日、いつになく魚がかかり、太郎は夢中で釣り続けていた。

ふと沖のほうから妙な声が聞こえてきた。

「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ・・・」

忽然と一隻の小舟が現れた。みるみるうちに太郎の小舟に近づいてくる。

元気な掛け声をかけ漕ぎ来るもの、それは次郎に違いなかった。

太郎は恐れた。

次郎は太郎の舟に舟を寄せると、空ろな目で声をかけた。

「ひしゃくを貸せ。ひしゃくをかしてくれえ」

何を言ってもひしゃくを貸せの一点張り。骸骨のように痩せおとろえた次郎の

声には不気味にも何か強い調子が混ざり、太郎は漁師のタブーを忘れ、思わず

ひしゃくを取りあげた・・・

漁師のタブー。

死んだものの乗った舟・・・「亡魂舟」に出遭ったときは、決して柄杓を渡してはならない。

もしくは柄杓の底を抜いて渡せ。そうすれば助かる。そうしなければ・・・

・・・太郎は催眠術にかかったように柄杓を投げた。次郎は吸い付くように柄杓を受け取る

と、呟いた。

・・・太郎め、我が恨み思い知れ・・・

次郎は信じられない速さで海水を掬い上げては太郎の舟に汲み入れる。慌てた太郎は

「次郎、許してくれ、拝むから、ゆるしてくれえ」

というばかりで、見る見るうちに水浸しになり、やがて次郎の舟がそうであったように、

重みに耐えかね

ぼこり

という、妙な音をたてて沈んでいった。太郎もまるで足を引かれるかのように沈み、黒潮に

流されていったのだ。

・・・

舟幽霊の噺に海彦山彦(日本最古の物語といわれる)を掛け合わせたような伝説である。 第93夜、牛鬼ナル物

第93夜、牛鬼ナル物

出雲に「牛鬼」なる怪事有り。

山間の、谷川が流れ上に橋が架けられているような場所で、雨降り続き湿気があるとき。橋に近づくと何やらひらひら舞うように飛びまわる無数の光り物がある。

橋を渡ってはいけない。そのまま渡ろうとすると、蝶のように飛んでいた光りが体にまとわりついて、しまいにはしっかと取り付いてしまう。衣服には銀箔を押したようになる。手で払おうとも払えるものではない。

土地の人、「牛鬼」に遭ったならば、囲炉裏に薪を多くくべて、体を炙ると良い、と。早速そのようにしたところ、全てが、すっと引けるように消えてしまった、誠に妖しき物なり、と鵜飼半左衛門なる出雲の人が語ったという。

~「大江戸奇怪草子」花房孝典編著、三五館刊を参照、原典、和田烏江著「異説まちまち」

・・・牛鬼とはよくいわれるように牛の化け物というわけではなく、わけのわからないもの、あやかしのたぐいをそう呼んだものであるらしい。 第94夜、ゆびがいたい

第94夜、ゆびがいたい

「かあさんの祟りだ」

口火を切ったのは伯母だった。左手の小指に、包帯が巻かれている。

「そうだ。東京なんかに入れてしまったから」

「でも、田舎のほうにも分骨しました」

ぽそりとか細い母の声。その左手の小指にも包帯が巻かれている。

「それが嫌じゃゆうてた!」

しわがれ声を荒げているのは大伯母、もう八十にもなる。

左手を上げ、小指を立てた。固い皺だらけの指に、くっきりと、まるでリングのような赤い環が腫れ出ていた。

「キクは分骨は嫌じゃゆうてた。体がばらんばらんになるようで、嫌じゃゆうてたぞ。それをあんたらが」

母の膝がびくっと震えた。横の父が、深く息を吸うと口を開く。

「でもかあさんは東京で亡くなったんだ。僕らが折角墓を建てたんだし、だいたいあんな山奥に埋められるなんて、かあさん寂しいと」

「伸一はなんもわかっとらん!ご先祖様のいらっしゃるお山にかえるのが一番なんじゃ。東京のあんなわけのわからんところに押し込めて」

「もう止めてよ!」

妹が大声を出して立ち上がった。後ろ手に障子をばしん、と閉めた。

沈黙が流れる。線香の匂いが鼻につく。

「・・・でも何で小指なんじゃ」

伯母がこそりと言う。父は首を振ると、

「分骨したのが、小指だったんだろ」

母の顔が曇る。

「もういいよ。今度田舎行って、全部おさめてくるよ。それでいいんだろ」

「それじゃ、こっちのお墓は・・・」

母が驚いたように顔を上げる。大伯母は大きく首を縦に振ると、低い声で、

「こっちはこっちで、あんたが死んだら入りゃええんじゃ。でも伸一、おまえは」

「もううるさいよ」

「何がうるさいだ。とんだとばっちりだ。痛くてかなわん」

・・・そして、おばあちゃんの入った白壷が、真新しい墓石の下から取り出された。日曜日、父は飛行機で田舎に日帰りした。

その日からだった。

母が高熱を出し、寝込んでしまった。指のみならず、全身がまるで火傷をしたように赤くなり、ぼくは泣く妹をなだめるのに必死だった。

まもなく大伯母が階段で転んで入院したとの知らせが入った。

電話で父が伯母と何か言い争っている。

うちは大混乱だ。

妹が、ふとおかしなことを言い出した。

「きのうおばあちゃんが来た」

「え」

「夜、寂しいって言ってた」

「・・・」

白い服を着た中年の女の人が来た。仏壇に向けてなにやらぼそぼそと言ったあと、父に何やら渡して、帰っていった。

父はそれを母の頭の上に置いた。お守りのようなものだった。そして、僕らに向かって言った。

「また田舎行ってくるから。ばあちゃん、かえしてもらうから」

・・・

良く晴れた日。

すっかり全快した母と、父、大伯母は無理だったけど伯母さんも一緒に、横浜の高台にある墓地に行った。父が包みを開くと、大きな木箱と、小さな木箱が出てきた。田舎に埋めていた小壷の蓋をぽくりと開けると、父は、うっとヒトコト口にしたが、そのまま大きな骨壷の蓋も開ける。そしてやや乱暴に、小壷のほうを、骨壷の上で、ひっくり返した。

ひとかけらの白い骨が、一瞬目に入った。

「小指だ」

そのひとかけらといくばくかの灰が流し込まれた骨壷に、再び蓋がかぶせられ、開かれた墓の下に消えた。

空の小壷はお寺におさめた。

妹が囁いた。

「おばあちゃん、喜んでる」

これで終わったのだ。

・・・

(私の体験ではありませんのでねんのため) 第95夜、蓮華往生

第95夜、蓮華往生

東京目黒は碑文谷に都区内最古の建築で知られる円融寺釈迦堂(国重文)がある。鎌倉末期から室町時代の唐様建築で勢いのある軒の反りが素晴らしい。堂内は国宝指定の鎌倉円覚寺など同様いわゆる「傘造り一本くさび」。屋根の葺き替え時に飛騨匠の花押と、戯れの「我が手よし人見よ」の刻みが発見された。よほどの自信があったものと窺わせる。さてこのコーナーは何も東京史跡巡りのコーナーではない。怪談のコーナーである。ここではお化け噺とは又違った恐ろしい伝説について記しておく。

竜田川の吉田寺のように、「ぽっくり寺」の名を頂いた寺は各地に存在するが、老いて長く床に臥すことを嫌い、或る日ぽっくり極楽往生することを願う習慣が、この今や高級住宅の地にもあった。即ち即身成仏、「蓮華往生」の秘法をもって「即座に」仏にしてくれるというので、この寺、元禄の世に大変な評判となったという。

その手順というのが、まず本堂に設置された大きな蓮台に、経帷子を着た成仏(死ぬこと)志願の信者が合掌して座する。僧侶が大勢でそれを取り巻き、経をあげはじめると、八葉の蓮華がしぼんで、信者を包み隠す。読経の声がいっそうに高まり、しばらくすると蓮華が開いて、中央では信者が安らかに息絶えている、こういった具合である。何とも奇天烈で血生臭いものであるが、信者の家族は奇跡と信じて喜びの涙を流し、御礼の寄進を行ったという。

当然疑うものもいるわけで、これはあくどい偽装殺人だとにらんだ目明かし、信者に成りすまして乗り込んだ。すると、閉じた蓮華座の下から、「槍」を突き出して殺すための「仕掛け」が見つかったのである。寺は当時法華寺の名をいただいていたが、この殺人仕掛を考え付いた住職は日付、発覚後に遠島となり、寺はいったん取り潰しとなった。後に堂だけをひきついで円融寺の名になったのである。日付の弟子に養道という者がいたが、上総一宮にのがれ蓮長寺に入って再び「蓮華往生」を始めた。懲りないものだ。

さて以上は伝説である。じっさいは下総安房郡の妙光寺にあった話しだともいう。法華寺は何かゆえあって幕府ににらまれ、円融寺と名を改めなければならなくなった折り、蓮華往生の濡れ衣を着せられたのが事実らしい。伝えるところ大久保彦左衛門と一心太助が乗り込んだともいうが嘘であろう。

しかし自殺ほう助の商売とは寺も考えたものだが、江戸時代とはソウイウ時代でもあったのだ。文化が爛熟してくると人は遠くなった死に憧れを抱くようになる。そんな心理につけこんだものか。

恐ろしい。 第96夜、内匠頭が祟り

第96夜、内匠頭が祟り

港区田村町、江戸も始めのころは入江先の海辺の地であった。ここに銀杏の大樹があり、舟の入る良い目印になったということで”入津の大銀杏”の名を頂いていた。大正まで元気に繁っていたが、震災で惜しくも焼けた。古老によれば三抱えもある大木で、焼けた後も立っていて、夜など大入道が手を広げているように見え気味が悪かったそうだ。

この樹には浅野内匠頭の魂が乗り移っている、といわれていた。

はらはらと舞い散る桜の下で腹を切ったというのは芝居のうえでの話し、実際はこの田村右京太夫邸に生えた大銀杏の下で、切腹の儀を執り行なった。今でも車の喧騒の中、「浅野内匠頭切腹之地」という石碑だけがひっそりと立っている。

震災に焼け残った黒焦げの樹は、それでもまだ辛うじて威勢を保っていたのだが、近所に、増して威勢の良い魚屋が居て、

内匠頭のタマシイ?ソンなものがこの文明の世にのこっているもんか

とバッサリ切り倒し、まな板にしてしまった。

すると、

毎晩夢枕に腹を切った武士が顕れて、

「何故

切った」

と恨み言をのべる。

流石の魚屋もしまいには狂い死にしてしまったという話しが伝わっている。

一説には近所の風呂屋の薪に買い取られたともいい、入浴客の夢枕に立つでもなく結局何事もなかった。二抱えも三抱えもある大樹をマナ板にする馬鹿もいなかろうから風呂屋の説が真相だろう、というのは戸川幸夫氏の説であるが伝承としては魚屋の話しのほうが面白かろう。魚屋が神木を切り倒しマナ板にしたら夢枕、気が狂ったという話しは他所にも伝わっているから、この話しが真実かどうかは甚だ疑問ではあるけれども、つい大正のころまで忠臣蔵の内匠頭が魂の篭った樹木が繁っていたという話しはなかなかロマンがある。 第97夜、かぴたん妖術二題

第97夜、かぴたん妖術二題

かぴたんとは江戸時代出島に置かれたオランダ屋敷の商館長。ここにあげるふたつの話は、いずれも同じ「伴天連の妖術」をつたえている。キリスト教にそのような妙な術が伝わっているわけはないのだが、あながち嘘とも思えず真実は如何と思わせる不思議なものだ。

江戸時代の旅は、とおい地方で不穏な動きが起きるのを抑える意味もあって、国毎の関所や役人の配置、馬の乗用をはじめとするさまざまな制約が設けられていたが反面、武士は参勤交代をはじめとして、妻子や親族から引き離され遠い地に封ぜられることを強要されるものであった。また蘭学を勉強する者や通辞を生業とする者は唯一長崎の出島に赴かなければならない。家族と離れて生活する者が多くいたわけで、みな国元に残した妻子や親の安否を気遣うことしきりであった。

国元を離れひとり通辞即ち通訳の仕事をしていた西長十郎という者がいた。故郷に遺してきた妻子のことが日々気がかりでならない。あるとき知り合いのオランダ人が帰国することになり、世話になった御礼をしたいという。長十郎はさしあたって欲しいものはないが唯一六年も会っていない国元の妻子が気になるばかりだと言う。すると何やら大きな鉢を取り出したオランダ人、水を満たすと、顔を漬け、まばたきをせずに良く見てみよと言う。言われるままに顔を漬けた長十郎、見る見るうちに水のなかに故郷の景色が見えてくるではないか。

長十郎は故郷の道をゆき、やがて自分の家の前までやってきた。垣根の外より家の中を窺うと、縫い物をしている妻が居た。

なつかしい顔に見入るうち、ふと、目が合った。

妻が驚いた顔をして何か口にしようとした。だがオランダ人が水をかき混ぜたため、懐かしい景色、妻の顔は消えてしまった。

我にかえった長十郎、

今少し時があれば話が出来たものを何故

その問いにオランダ人答えるには、

そこで話をすればふたりとも命を失うことになる、だから慌てて消したのだ

と。

しばらくのち、長十郎は無事国元へ帰ることができた。

妻と再会を喜び話しを交わすうちに、フトこのときの話しになった。

さても不思議な幻であった

と笑う長十郎、すると妻、

あれ、それは秋も終わりのころで御座いましたか

ああ、秋陽の長く影を落とすころ、仕舞いの紅葉の舞い散る庭で、子供が犬と戯れていた

ああ丁度そのときでございましょう

子を犬とあそばせて、縁先で縫い物をしておりましたときに、貴方の御姿を御見かけいたしました、ええ、確かで御座います

垣の外より家の中を覗いて、スグ消えて仕舞われましたね

何々月の何々日、何々時のことでございました。

長十郎はゆっくりうなづくと一言、

まさしく。

・・・

今ひとつ。こちらは「耳袋」の収録になる。

長崎奉行の用人、福井某という者、主人とともに長崎に赴いたが、風の便りに母親が病に臥していると聞き、以来江戸のことばかり思って、自ずもまた病身となってしまった。食も進まず痩せ衰え、主人も心配し思い付くばかりの治療を施したが一向に良くなる気配が無い。するとある人「オランダ人の医師に見せれば何か良い法があるかもしれない」と入れ知恵する。主人ただちに通辞を立てて出島のオランダ屋敷にそれを伝える。

オランダ屋敷のかぴたんは早速医師に話す。医師、診断して言うには、回復の法ありとのこと。かぴたん、福井某を商館に呼び寄せた。

医師、大きな盤に水を汲み入れ、福井某の前に置くと、

この水に顔を漬けるべし

と言う。

福井某は指示にしたがい顔を漬けた。すると医師、頭を押さえつけ、しばらくして

目をあけよ

と言う。

静かに開けた目の前に、

紛れも無い我が母が帷子を縫っている姿が、ありありと浮かんだ。

その刹那、医師は福井某の顔を引き上げて、なにやら薬を服ませて

これでよい

と言った。その日より福井某の病は薄紙を剥ぐように快方に向かった、という。

一年ほどして御役交代の沙汰があり福井某は無事江戸へ戻ることができた。

そのとき母が言うには、

今より丁度一年前になりましょうか、お前のことを恋しく思いながら、送る帷子を縫っておりましたとき、ふと目を上げますと、隣家の小笠原様の塀の上に、お前の姿がありありと浮かび、しばらく顔を見詰め合ったことがあります。あまりにもはっきりとした姿であったので、もしや長崎で変事でもあったのではないかと随分と心配をいたしましたが、ややあって消えてしまいました。

きっと私の気の迷いでもあったのでしょう

その日限、時刻を質するうちまさしく福井某が、かぴたんのもとで盤の水に顔を漬けた、まさに同じ日限、時刻であった。これはまさしく幻術、オランダ人は今でも伴天連宗門を信じているそうだがこれも切支丹の妖術の一つでもあろうということになった。 第98夜、音魂

第98夜、音魂

「壁のあいさつ」

或る地下鉄の駅構内、階段への上がり縁。
霊感のある人がそこを通りかかると、壁の「中」から
”おはようございます!!”
という声が聞こえる。
”お疲れさまです!!”
の場合もある。はきはきとしたキレの良い青年の声だそうである。
なぜそんな声が聞こえるのか、いわく因縁がはっきりしない。
最初は驚くが、じき暖かい気持ちになる、という。

「叩かれる扉」

毎晩夜中の2時半に、扉がノックされる。決まってその時刻に、
ガンガンガンガン!
鉄扉だから可也うるさい。開けてみても、誰も居ない。必ず3回繰り返される。
連夜の睡眠不足に堪り兼ねた男、ある晩待ちかねて、叩かれている最中に扉を
開いた。すると、開いた扉の外側の、丁度人間の手を上げたぐらいのところが、
ガン、ガン!!
という音をたて、僅かにへこんでいた。扉の外には何も見えない。まるで透明
人間か、もしくは扉の薄い鉄板の中から沸き起こるような打音に、初めて恐怖
を感じた。だが翌日以降、扉が叩かれることはなくなった。

「喋るピーマン」

おおきな赤いピーマンを食卓の飾りにと置いていた。しなびかけて捨てようかと
思っていた矢先。早朝、なにやらうるさい音で目が覚める。食堂のほうから、
こそこそこそこそ、
えんえんと繰言をするような、でも中身のさっぱり聞き取れない「声」が聞こえ
てくる。泥棒か、と恐る恐る足をしのばせ、まだ薄暗い食堂へ行くと、
ぴたり
と止まる。ようく目を凝らしてみると、「気配」はするものの、人の姿は見えない。
ことことことこと
小さな音が持続していることに気が付く。ふと卓上のピーマンに目が行った。
ピーマンだった。
地震でも起きているかのように、かたかた震えて、音をたてている。近寄り、
指を伸ばして触れたとたん、
ぎゃーっ!
耳をつんざく叫び声が、天井から降り注いだ。うわっと床にしゃがみこむと、
ピーマンの揺れは止まった。
古びたピーマンに何かがうつったのかもしれない、とその日のうちに捨てた。
果たして、変事はそれきりだった。 第99夜、蛇口の声

第99夜、蛇口の声

その団地で幽霊話が出たのは、5月も半ばのころであった。

ある号棟で、それは起こった。

「絶対、女の声」

「うちも聞こえるのよ・・・」

「蛇口ね」

「そう。夜中なんてハッキリ聞こえる」

「聞こえるなんてもんじゃないわよ。うちの子なんか怖がっちゃって」

「気のせいかなとも思ったんだけど」

「いや、絶対声だわ。だって微妙に抑揚があって」

水道の蛇口をひねると、水の流れる音に混じって、幽かに

「あー・・・うー・・・」

という、唸りとも泣き声ともつかぬ女の声が流れ出す・・・。

「気味悪いわね」

「全部の部屋がそうなのかしら」

「今度、集会で言ってみようか」

「でも変なウワサが立つのも嫌だね」

「そういえば、1Bの××さん」

「ああ、あの」

「蛇口から・・・欠片が出たって」

「彼女の言うことはあてになんないわよ。でも何のかけら?」

「・・・爪だって」

「えー」

「ピンクのマニキュアのついた爪だって」

「嘘でしょ」

「あの人おかしいのよ」

・・・声は二週間ほども続いたが、

一旦、ぷつり、と止まった。

とまったは良いが、ひと月もすると、別の事象が発生した。

生ぬるい梅雨の時期である。

「・・・最近、なんか・・・匂わない?」

「そう!生臭い」

「水?うちは気にならないわよ」

「○○さんちは、浄水器つけてるからよ」

「なんか一寸濁ってない?」

「そうね・・」

かわりに「水」がおかしくなった。寄り合いで話題になり、

遂に住民集会で取り上げられた。

「みなさん、水がおかしい、と感じている方は挙手願えますか」

ほぼ全員の片手が上がる。

「屋上の貯水タンク」

「そうだ、あそこに何か異物が入ったんじゃないか」

「まさか・・・うち赤ちゃんいるのよ!変なものだったら怖いわ。

調べましょうよ、すぐ」

「そうだ。今から行ってみよう」

屋上に大きな丸い貯水槽がある。じめじめとした空気の中で、鍵が解かれ、

丸い蓋が

ぎー・・

と開かれた・・・

「ウッ」

強烈な腐臭が鼻をつく。

「何・・・あれ」

水面にぼんやり浮かぶものがあった。

大きく黒い影。

死骸であった。

人間の。

女の。

扉の裏に・・・引っ掻き傷が、無数に付けられており、黒くこびりついた血液、

そして

ピンクのマニキュアの付いた爪の欠片が、沢山

・・・

死骸は腐乱しきって、ぶくぶくと膨らんでいた。死後一ヶ月、やがて歯形から身元が割れる。団地のそばに住む若い女性。丁度一ヶ月くらい前から、行方不明になっていた。程なく男が捕まった。男は水槽の中に女を閉じ込めたことを認めた。・・・それは「管理人」だったのである。

水槽は綺麗に掃除し直された。

だが、

ぞろりと抜けた髪の毛が一群れ、天井にへばりついていて、

梅雨の時期になると、一本一本、

抜け落ちて、

「キャー!」

「か、髪の毛、髪の毛が、蛇口から・・・」

・・・ウワサ、である。

・・・百話の仕舞い前に、こんな怪談らしい怪談でも、入れておこうと思った。 第100夜、屍桶の因果

第100夜、屍桶の因果

百物語の仕舞いに、江戸の因果噺でもしよう。

明和の昔、吉原は三日月お仙、浅草の水茶屋お仙と並んで江戸三お仙の

一人に推されたのが、谷中は初音町の笠森お仙であった。今にも名を残す

谷中は大円寺、笠森稲荷境内の茶屋娘を描いた鈴木春信の錦絵が大評判

をとり、一目その「お仙」を見ようと押し掛ける人々で店は大繁盛。現在永井

荷風の笠森阿仙之碑がひっそりと建っている。お仙がつとめていたのは

本当は大円寺でなく天王寺福泉院(現、功徳林寺)境内の茶屋だったというが、

笠森の名を大円寺にあるカサブタのカサ守稲荷とかけて戯れたものである。

美女の代名詞として長く名を残したお仙であるが、生まれつき不幸で一説には

死も悲惨であったという。

お仙の父は草加の名主だったが博打に身を持ち崩し、身包み剥がれて尚の

挙げ句、三人娘の長女であるお仙を吉原へ叩き売ろうとした。それを見かねた

鍵屋太兵衛なる茶屋の老爺、お仙の美貌に二十五両で引き取り養女とした。

何しろ一枚絵になる程の看板娘、鍵屋はたちまち評判となり近在の若衆の

立ち寄り処となる。米団子のかわりに土団子を出しても千客万来だったとい

うからめでたしめでたしといきそうだが、

一方名主の父は残り二人の娘も叩き売ってしまい、遂には盗みや騙しを行う

ようになった。

そしてひょんなことから、甥を殺してしまう。

死骸は「桶」に詰められて、千住大橋からドボンとやられた。

だが程なく悪行が露呈した名主、

刑場の露と消えた。

「桶」の因果はここより始まる。

・・・

次女のお三輪は男に騙され、自害してしまった。

仏さん、どうするかねえ。

桶にでも入れて埋めてやんべえ。

そのとおり、桶に詰められて、埋葬されてしまった。

・・・

三女のお富はふいと船から落ちた。

誰か落ちたぞう

どこだどこだ

見えねえ

だれだだれだ

この流れじゃ駄目じゃろう・・・

翌朝、死骸が上がった。その姿たるや意表をつくものであった。

なぜか、桶に入った形で浮かび上がったのである。

亡くなった二人、いずれ劣らぬ美女であった。

・・・

お仙だけは生き残って我が世の春を謳歌していたが、茶屋に通う中川新十郎

なる佐竹侯の家臣と懇意になる。この美青年とお仙は人目を忍ぶ仲となった。

だが面白くないのは養父の太兵衛である。一説にこの老人、お仙に道ならぬ

思いを寄せていたといい、二人の仲を知ると怒りを露にした。

驚いたのはお仙のほうで、何とか養父を説得しようとするものの話のわかる

状態ではなく、どうしようもない。お仙は新十郎と手に手を取って、逃げ出して

しまった。

お仙のいない茶屋は客足もパッタリ途絶え、娘も金も失った太兵衛は狂乱し

お仙ようー、お仙ようー

と叫びながら、江戸中を歩いて廻る始末。

やがて浅草に小さな居を構えたお仙を発見、暴れ入る養父に取り乱したお仙、

逃げようとして台所のヌカミソ桶に足を突っ込み、転んでしまった。

両の手で土を掻くお仙に取り縋った太兵衛、鬼のような形相で白い喉元にかじ

り付くと、真っ直ぐに食い切った。

あれえ・・・

お仙もまた、桶の因縁により、あえない最後を遂げたのである。

・・・

一説にはお仙は見つかることなく浅草諏訪町河岸に蟄居して新十郎と仲むつ

まじく暮らしたともいう。桶の因果噺は絶世の美女をそねんだ作り話かもしれな

いことを付け加えておく。

・・・

さて、

これで百夜の仕舞いとなる。

百の怪談をするとホンモノが出てくるという。

不幸をもたらすともいう。

・・・

私はここに仕掛けを設けた。

この「夜話」、0話から始まっている。

即ちほんとうは100話ではなく101話なのである。

番号的には100夜であるというだけだ。

大丈夫、大丈夫・・・

というわけで、

一旦「百鬼夜話」を終いにしたい。

次のシリーズにご期待ください、

・・・

って、いったい誰が読んでるんだろう。


by r_o_k | 2017-08-16 02:09 | 鬼談怪談

怪異にうす(2006/4/29~9/12)「鳥か?飛行機か?」〜「お化けの木に顔」

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2006年09月12日

お化けの木に顔


これってアオギリのたぐいじゃないの・・・?大昔はやった「人面木」、枝落としたあとが顔に見えるという。farshoresは確信犯なのかなあ。

木に顔が出てますよー
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2006/9/12(抜粋てきとう訳)

信じられへん!でもほんまやねん。何千人の人が自分の目で確かめるためにKampung Paya村に押し寄せてるっちゅー話や。

ビンロウジュの幹から人間みたいな顔が生えてきた。5メートルの高さのところにはっきりと人間の目、歯、鼻みたいな刻印が見て取れる。村人は説明のつかないまま「幽霊の木」と呼んだ。近所に住む54歳のZainol Nayanは一ヶ月ほど前に木の上にこの刻印が現れているのを見つけたというが、はっきりしたのは先週の金曜日のことだ。「あれからわんさか村の衆が集まってきて、それからまるで野火みたいにあっという間によそ者まで伝わったんだ」10年以上前に自生したというこのビンロウジュについて、今まで一度もおかしな話はなかったという。34歳の主婦Noraziah Zakariaはニュースを聞いたとたんにすっとんで来たという。「面白くてショッキング。ほんと人間の顔みたいだわさ」木を見上げながら語った。村人の何人かは顔のようなものが日々変化していると言う。数日前に撮った写真と昨日撮った写真が異なっていると主張している。ちゃっかりした村人がRM2のために「幽霊の木」の写真を販売している。昨日の木のまわりはもう黒山の人だかりで、警官がもみくちゃにされていた。(New Straits Times、マレーシア)


~あやすい。。これがfarshoresに引用されると題名が「幽霊木の変化する顔」になって、どんどん妖怪じみてくるわけですな。

お菊人形inマレーシア

Farshoresからのリンクは凄くめんどくさいことになってますねえ。しょうがないんだけど、使えない・・・

博物館のヴァンパイアの髪の毛が伸びます伸びます

2006/9/12(抜粋てきとう訳)

マラヤ大学のアジア芸術博物館に展示されている「髪の毛」があきらかに「成長」しているという騒ぎをKOSMO!レポートが報じた。8月1日に展示されはじめたその髪の毛は女性のjenglot(吸血鬼)のものとされ、最初17センチの長さだった。

レポートはマラヤ大学Mythical Creature Exhibition projectのリーダーMohd Nul Hakim Derasipが、髪の毛は今や35センチまで伸びて地面に届きかかっていると証言したと伝えた。彼は誰かがウィッグか模造毛髪をくっつけたのではないかと疑ったが、夜間は博物館は閉じられていた。もっとも特別に許可を得た訪問者が展示品に触れることもできたという。彼は"Bintaro Karang"と呼ばれる超自然的な別の展示品の腋毛にも不思議な成長がみられたことにも注目している。Universiti Sains Malaysiaの科学調査専門家Zafarina Zainuddin博士はハキムの主張につじつまの合わない点を指摘した。自然の毛髪ではないものは成長しないのだ。「あれには一つも生きた細胞が無いのです」彼女は語った。いずれにせよザファリナ博士はこれが地球外に由来するものかどうか、生物のものとしてDNA鑑定を行っている。(TheStar、マレーシア)


~気力ないので興味あったら詳細は自分で調べてくださいな。



2006年09月11日

アルゼンチンの怪人、青森のキリスト

最近サボってます(泣)東スポに南山宏先生の怪人記事が載っていたそうで、 なんでもアルゼンチンに黒マントの怪人が出現、ライフルで撃たれても平気で 屋上から屋上を5メートルジャンプしながら歩き回るそうで。うーん、海外ニ ュースウォッチもサボっているので(泣)詳細不明。ちょっとaboutのパラノー マルコラムで探していたら、何と「青森のキリスト」の話題が物好きBBCのニ
ュースになっていたことを知りびっくり。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/from_our_own_correspondent/5326614.stm

おばちゃんが怖い・・・
沢口家のかたが出演。
「うちは仏教でキリスト教じゃないよ」
・・・

ちなみに昨年の来訪記事はこちらに。

http://okab.web.infoseek.co.jp/otherkaiitop.html
下にあります。

・・・う、写真が消えてる・・・アップしなおし。



2006年08月29日


怪物図録

2006年08月24日

ジョンベネ事件で霊能者がピタリと?

サハリンでプレシオサウルスの死体を釣り人が釣り上げるご時世に、なくなった霊媒がジョンベネ殺害犯の似顔絵を描いていたというお話。USではかなり話題沸騰中です。いち日本人にはこの似顔絵が似てるんだか似てないんだかビミョウに見えるんですが。

死んだサイキックのジョンベネ殺害犯スケッチが再び脚光~かつて連続殺人犯追跡にさいしコロラド当局を助けたサイキック
2006/8/17

デンバー>サイキックのドロシー・アリソンはかつて霊視結果に基づきラムゼイ家にジョンベネ殺害犯のスケッチを送り届けていた。ラムゼイ一家ウェブサイトは一般にこのスケッチを公開し、「この男性を目撃したことがありませんか?」と問いかけた。「1996年12月この男性がボウルダー地方にいた可能性があります」。また、ボウルダー警察にこのスケッチを提出した。ボウルダー警察は家族の外に誰もこの犯罪に関わった者はいないと主張し続けていた。ジョン・カー容疑者の写真とこのスケッチを並べてみると著しい類似があるように見える。アリソンは当初全国的に放送されていたリーザ・ギボンズ・ショウの1998年の出演にさいし、このスケッチを描き上げた。その一年後に亡くなった。www.ramseyfamily.comのラムゼイ一家ウェブサイトは、1997年の春と秋に娘の殺害犯を探すために使用した広告とちらしと同じものを載せていたが、これが報道発表用に流用された。ちらしの一枚にはアリソンのスケッチが含まれていた。ラムゼイ一家のウェブサイトは2004年にドメイン名の利用期限が切れている。ジョンベネの死の4年前にアリソンはヘザードーン教会の殺人事件の調査にさいしエルパソ州の捜査官に力を貸したことがある。「30年間、私は一度としてサイキックから正確な情報を得たことはありませんでした」ベテランの法執行官は1995年にデンバーポストに語っている。「しかし、ドロシー・アリソンの情報はまさに正しかった」。ロバート・ブラウンは教会での殺人で後日捕らえられ有罪判決を受けた。先月、彼は合衆国内で最大49人の殺害を認めた。

ラムゼイ事件においてもう一つ不思議な点は、元々教会の殺人事件でブラウンを逮捕した男性が、ジョンベネ殺人事件の調査チームに加わっていたことだ。彼は常々踏み込む者は犯罪に対して責任があると言っていた。(WSBtv)

関連
デンバー・チャンネル(abc7)の元記事
ドロシー・アリソン

~ドロシー・アリソンは著名な霊媒師で、昨日「世界仰天」で取り上げられていたおばさんなんかと並んで、「この世界」では非常にビッグネームです。行方不明者を探す「超能力捜査官」という世界では。みのもんた特番に出ている人たちなんかもこのあたりの人の亜流で出てきたような感じでした。まあ、「能力」に時系列などないんでしょうけど。死後までその鮮やかな「手法」を駆使している・・・とはちょっとイジワルかな。

<8/29追記>ジョンベネ殺害容疑者として逮捕されたジョン・カーはDNA検査の結果犯人ではないとのこと。狂言だったことがほぼ確定したらしい。あー、ドロシー、そこまでは見抜けなかったか!


2006年08月21日

京都異界つつき
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2006年07月18日

赤岡絵金まつりと高知怪異拾遺


2006年07月17日

怪物図録


↓沖縄から拾ってきた「何か」
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2006年07月13日

ノアの箱舟、また発見される

X51さんが既に挙げてるニュースですけど。WEBラジオ「ドリームランド」(・・・遊園地のイメージが・・・)でこういうのをやってました。

ドリームランドが報じる;ノアの箱舟は実在した
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2006/7/7(てきとう訳)

聖書に書かれている多くのことは神話にすぎないと判明していますが、今週のドリームランドではリンダ・ハウ(訳注;斯界では有名ですね)がノアの箱舟(Ark)に関する新情報・・・アララトとして知られるイランの一帯で発見された古代船の残骸について・・・を報告します。

レナード・デヴィッドはLiveScience.comに、東トルコのアララト山上で人工衛星クイックバードが発見したいくつかの船に似たミステリアスな痕跡について書いています。痕跡は氷河の厚いブロックに覆われて氷漬けになっています。

法学者ポーチャー・テイラーは30年間政府のセキュリティ・エージェンシーで働くかたわら、ライフワークとしてノアの箱舟探索を続けています。彼は残骸が撮影されたエリアをもっと近接撮影するために再び人工衛星クイックバードを向かわせるべく尽力しています(訳注;あれ?BBCか何かで実際に現地に行ってなかったっけ?氷の下だから見てわからなかったけど、地形説も出てたような)。「私は持てる人脈と総力をかけて衛星をせめて再びアララト山へ向かわせるべく働きかけています。」テイラーは言います。

「イメージの解釈はアートですね」ボストン大学センターの遠隔探査のディレクター、ファルーク・エルーバズは言います。「太陽光線が観測された物体の形状にどのような影響を与え得るかについて、よく知っておかなければなりません。」

しかし恐らく彼らは別の場所を見ている可能性があるのではないでしょうか?(ドリームランド)
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ま、これだけじゃ生殺しですので。

テヘラン山岳部で化石化したノアの箱船を発見か イラン

米テキサスの聖書考古学研究所(B.A.S.E)によれば、今回の探索は元探偵で作家のボブ・コーンヌーク氏を含むチームによって行われ、先月テヘラン北部の山岳標高13000フィート(約3962m)の地点において、化石化した船体らしき木片などを発見したという。コーンヌーク氏によれば、発見された木片は全長400フィート(121m)に及ぶ巨大なもので、明らかに人間の手によるものであると語っている。(以上引用)

元記事(2006/6/29)ニュース映像

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北テキサスのグループは失われたアークの「レイダース」になれるのでしょうか?聖書の真実の証拠を捜し求める考古学研究所の組織した探索チームが、6月前半に行われた調査から帰還後、ノアの箱舟への鍵をつかんだかもしれないと言いました。彼らによればテヘラン北部の山に立ちすくむ木の船
の実在を確認したというのです。(引用訳)


・・・なんかこれもテレビでやってたような気が。木片がたくさん見つかったとか。

いちおう言っておきますと、聖書に書かれていることが歴史的事実であると信じる「一種の宗派」があり、聖遺物を求めて世界中を探し回ってるという背景があります。かつてはその本は一般書籍扱いされけっこうフューチャーされていましたが、ビリーバーぶりに普通のキリスト教者含めみんな引いてしまい、余り話題にならなくなった感じがしますね。

聖遺物としてはヨーロッパや中東で血みどろの奪い合いが繰り返され伝説自体も変容していった有名な「アーク(聖櫃、モーゼが十戒のかけらを納めたという)」「聖杯(最後の晩餐でキリストが口にした器、ダヴィンチコードのせいで随分と拡大解釈されてますが一般的にはフランス経由でイギリスにわたりアーサー王伝説につながったという感じで知られている。おわかりのとおり、いわゆるアークがユダヤの旧約聖書の話であるのに対してこちらは新約聖書の世界であり、決定的な差があります)」というどこにいったかわからないものをはじめ、実際に「存在する」ものには、キリストの頭に載せられた「いばらの冠(見るからに・・・ねえ)」、キリストの遺骸が浮かぶ「聖骸布(これはほぼ偽物と確定)」、アニメで有名になるとは思わなかった「ロンギヌスの槍(キリストを貫いたとされる槍ですね)」などなど(ローマ教皇の持っている神との約束の鍵なんてのもそうなのかな)、いくつかのものが知られています。聖人のものを含めるとかなりの数になりますねえ。さすが物質文明です。西欧的即物性です。

偶像崇拝を禁じたのはモーゼ、ユダヤ教ですがキリスト教でもその考え方は根強く、十字架はあくまで人間の身代わりとして犠牲になったキリストの行為の象徴として畏敬を受けるもので、マリア崇拝も本来的にはやってはならず、神は形のない、定義すらしてはいけないといういささか中東的な原理主義に近い宗派もあり、いちがいには言えないですね。聖人の遺骸をあがめ、その体の一部を折り取って携帯したり薬にしたりというのも、猟奇的に思われるかもしれませんが、世界的にはごく普通の宗教のあり方として受け止めておくべきでしょう。死後一部バラバラにされ各地で崇敬されたフランシスコ・ザビエルの遺骸の手の指を食べちゃった信仰者がいた、とか、案外そのての話は多い。ここに最後の晩餐でのキリストの言葉を重ね合わせることもできるでしょう、しかしそれは余りに即物的で素朴な解釈とも言える。

しかし宗教は難しいのでここまで。しろうとの手を出す領域じゃないですな。



2006年07月06日

アナタニイコトガアル

~八重山の火葬場の騒動である。1951年6月28日の「自由民報」記事である。「怪談現る、亡霊の手首が火葬がまに字書く」との見出しで次のように報じている。

火葬がまの煤の上に亡霊の手首がアナタニイコトガアルと片仮名を書いた。急にまき起こった怪談めいた話題に記者は昨二十七日午後某半、火葬場にかけつけた。成程二つ並んだかまの中、右側のかまの火口の上の火葬の煤で黒くなったシックイの上に、火口とびらの右上隅からはじまって左へ曲がってアナタニイコトガアルとの十字がうすぼんやりと見られた。次は番人砂川正一さんの話である。一昨二十六日、新川の某女を火葬するために四時半火を入れた。それから砂川さんはずっと入口で火加減を見ていたが、七時半頃にかまは青い火をふき始め、それが天井をなめ始めたので驚いて入口にあった煉瓦で防いだ。するとしめてあるとびらの中から手首だけが現れ、それが上に逆に字を書き始めた。自分の錯覚かと身をつねって見たが、そうでない。驚いてみつめる中に手は消えた。砂川さんは文字を知らないので子供を呼んで見せたら前記の一文と判明したというのである。ところが、一ヶ月程前にも同じ場所に漢字の書かれたこともあったが、その時は何者かのいたずらと思って消したが今度はまのあたり見たと砂川さんはふるえている。」

この記事の続報が六月三十日に掲載されている。人間の輪郭らしいものも見えるとも記されている。しかし、八重山署は幽霊の文字を否定し、徒に不安の念をもたないようにと呼びかけているとある。(崎原恒新「琉球の死後の世界」、一部漢字等を変更)

~火葬が沖縄では新しい習俗であったころの怪談だ。昔は仮死状態の人が火葬され窯の中で暴れた等の話がまことしやかに語られていたもので、しかしこの話では「幽霊の手が書いた」ということになっている。「アナタニイコトガアル」というとつとつとした未完成の文章も奇怪さに拍車をかける。「あなたに言うことがある」とは、何だろう?そこまで追わないのがまた沖縄のおおらかさだが、一方で識字率が低かった時代を背景とした片仮名文字ということも認識させる。ただ、怪談ではしばしば片仮名を呪文的に扱う例もみられるのは全国的なものだ。壁に文字が現れる、という怪談として記憶に新しいのは茨城県つくば市の「お姉さん」ビルだろうか(過去記事参照)。

民俗学的手法をもって採取した情報を主観抜きで羅列集成した一般書としては松谷みよ子さんの「現代民話考」が有名だが、このいわゆる沖縄本は「地元の懐疑派研究者が地元の怪談奇談を主観抜きで採取集成した」という意味で上をいく迫真味をもって迎えられる好著である。現代民話という分野にはその土地土地の属性(古い新しいに限らない)や表面に現れない心理的側面が大きく影響する。沖縄は特に広範囲の島嶼内で様々な紛争抗争あるいは移住廃絶をへて琉球王朝に統一されたあと独特の文化が築かれてきたうえ、東西いろいろな異文化の流入併合をもって複雑で混沌とした状況が生まれている土地であり、島ごとに違うのはおろか隣村隣家との間でさえ全く違う習俗や伝統をもっている状況が多々見られる。そういう場所でよそ者がフィールドワークをしていくというのはかなりの困難が伴い、ともするとごく狭い範囲にしか通用しない「ローカルルール」をジェネラルなものと勘違いして歪められた情報を本土に持ち帰ったがために、それが本土での常識的見方になってしまったりすることはしばしば見られる。この書籍は土地の文化的宗教的背景を広くよく理解した土地の人が取りまとめたものとして貴重であり、内地の人間の沖縄怪談より一歩二歩踏み込んだ内実込みのものを提示することに成功している。もし興味があればどうぞ。単純に読み物としても楽しい。




2006年06月29日

ひさびさ「物体型」UFO?

正体枯れ尾花、みたいな記事が後で載らないことを祈ります。北スコットランドからの最新情報。

ミステリアスな物体が目撃者のまわりを旋回飛行2006/6/27エマ・クリスティ筆

バンフシャーBanffshire海岸で6時間以上にもわたって旋回し続ける謎の物体が目撃されセンセーションを巻き起こした。村人のノーマン・デフォーが最初にその「航空機」を見つけたのは午前10時ごろだった。「最初ジャンボジェットだと思ったんです。でも双眼鏡を通して見えるそれは灰色をしていました。後ろに飛行機雲を残しながら、何時間もぐるぐると旋回し続けていたんです。私は何かが起こるしるしだと確信したんです。」彼は語る。Portsoyのホテルオーナーはお客さんが飲み物を残したまま未確認の飛行機を見に路上へ出て行ったと報告した。地方航空専門家ジム・ファーガソンはこれをAirborne Warning and Control System (AWACS)機ではないかと考えている。「AWACSは電子部品と大きなレーダーをエラ状の襞の中に備えた改造航空機です。2から3マイルもの幅のレーダー写真を撮影することができます。」と言う。RAFのスポークスマンはしかし、これが通常の訓練飛行中の航空機の一機であった可能性を示唆した。「この手のトレーニングは常に行われています。まさしくあなたがそれをいつも見ることができなかった、というだけでしょう」彼は続ける。「通常航空機は雲の中に隠れていますから。たまたま、快晴の日だったので人々が気がついた、というだけでしょう」カナダやニュージーランドを含めたNATO空軍の訓練は木曜日に終わることになっている。

~やっぱ飛行機か?

沖縄行ってきます(あさってからですが


2006年06月21日

「テキサスのトカゲ男」また出現か?

子供からの投稿

僕は今13歳ですが、これは12歳のときに起こったできごとです。この日は僕の記憶に永遠に深い傷跡を残すものとなりました。その日の始まりは今までの人生で一番素晴らしいものでした。おじいちゃんが僕たちを西テキサスの大きな泉のそばまでハンティングに連れて行ってくれたんです。僕たちがジープで山すそを走っていると、突然二つのうずらの家族が飛び出してきました!おじいちゃんは僕の二人の弟に狩りを教えている途中でした。それで、彼らはおじいちゃんと一緒に一家族を追いました。僕は一人でもう一家族を追ったのです。

僕は大またで山を歩いていきました。僕のショットガンと散弾でいっぱいになったバッグだけを持っていました。僕はとても大きな岩で足を擦ってしまいました。痛くて叫んでしまいました。傷を見ようと下を向き、そのまま数分間休みました。近くであひるの声がしました。傷を洗うのに格好の池が近くにあることを知りました。僕は声のする方向へ向かいました。小枝を踏むと池から6羽のアヒルが飛び立ちました。僕は小枝の音で彼らを驚かせ追い払ってしまったんだと思いました。そのままそこへ向かいました。

岸辺で足を洗っていたときでした。水の撥ねる音を聞きました。顔を上げると、一人の男がかがんで池の水を飲んでいます。すぐに僕はこの男が尋常ではないことに気づきました。男はうろこに覆われていて、トカゲの頭を持っていたのです!僕は立ちすくみ・・・筋肉を動かすことができません。奇怪な生物が水を飲む姿を前に立ちすくんでいると、突然「それ」が頭を引き上げるところを見ました。「それ」は私をじっと見詰めました。何時間にも思えました。「それ」は水に飛び込むと、まっすぐ僕のほうへ泳いできたのです。できることは「それ」を撃つことしかありません。3発撃ち込むと恐ろしい舌打ち音が聞こえました。僕は走って走って走りました。おじいちゃんに合流して話しても信じてくれませんでした。何か言ってやってくれませんか?

Paranormal Phenomena
Your True Tales
June 2006

~UMA話というと圧倒的に獣人かあきらかなネタばかりな昨今、ここの読者投稿は結構生々しい幻想動物報告が載ったりして楽しい。テキサスのリザードマンは有名な都市伝説だ(都市?)。子供は幻想と現実をごっちゃにしてしまう脳構造を持っているものだが、銃をぶっぱなすくらいの年の自立したアメリカの子供に、日本の小学生が抱くような幼稚な幻想が浮かぶものでしょうか?かがんで水を飲んでいたというから、直立している姿は見ていないのだ。アメリカではよく逃げ出したミズオオトカゲがUMA的な報告として取り上げられるが、その類の誤認なのかもしれない。もっとも、岩のごろごろしたエサの少なそうなこの土地で、このように大きく成長し生き延びることができるものなのかどうか、定かではないが。掲載ホヤホヤの投稿のてきとう訳でした。



2006年06月20日

宇宙人ドクロと超古代文明

日本でも鬼の頭骨のようなものがよく話題になっているが、元々病理的な原因によって頭蓋骨が変形したものを珍重する傾向は世界的なものである。エジプト王族の長頭化や(日本でも貴族は長頭が多かったとされる)水頭症といったものにも言及したこの記事はけっこう興味深い。のでちょっと遅いけどてきとうに引用訳。

宇宙人のしゃれこうべについての大論争
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人間のしゃれこうべほど、恐怖や好奇心の入り混じった奇怪な感情を煽りたて、否応無く死を直視するよう仕向けるものはない。普通の人間のものと著しく異なる「独特の形状のしゃれこうべ」を発見したときに、我々はどうやって、何故それがそのような形に変形したのか理解しようと強い好奇心に駆られる。

もちろんこういった普通ではない発見に対して合理的な説明をつけることは可能だ。ある研究者はしゃれこうべの形状が古代文明の伝統を伝えるものと解釈し、他の者は特定の医療が施された結果の状態だろうと推測する。

しかし、こう解釈する研究者が増えている。これらの人間の「進化」は、地球外文明に由来する遺伝子工学的な成果であるというのだ(”宇宙人の介入論”)。少なくともいくつかのしゃれこうべがそういったエイリアン・コンタクトがあったことを証明するDNAを提供するかもしれないと信じている。

異世界文明論はこれらしゃれこうべの調査の進展と共に少しずつ人類の進化に関するメインストリームの考え方にたいし挑戦を始めている。彼らは大昔の人類に何が起こったのかについて、我々の知識の欠落を指摘する。

スターチャイルドThe Star Child
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最も有名な変形頭蓋骨にいわゆる「スターチャイルドのしゃれこうべ」がある。2001年にテキサス州のあるカップルから研究者ロイド・ピエLloyd Pyeにもたらされたものだ。中央アメリカに多く残る伝説によれば、「宇宙の人々Star People」がしばしば地球を訪れ、何人かの女性と結婚し、混血児が生まれたという。それをスターチャイルドと呼んだ。そのような子は非常に祝福されたもの、天恵であると考えられ、コミュニティ全体で育てられた。5から8歳になると、「宇宙の人々」は子供たちを集め、彼らの世界に連れ去ったという。

スターチャイルドのしゃれこうべに関して当時詳細は公式に記録されなかったが、ピエによると持ち込んだ10代の少女は両親とメキシコで休暇中にこれを発見したという。あきらかに幼児に見える遺骸は、母体と共に洞窟の中の浅い墓穴から掘り出された。少女は近在の家から更に二個のしゃれこうべを手に入れた。50年ほど保管されていたものだという。こういった由来話のどの程度が真実でどの程度が都市伝説なのかは周知の通りだが、これら由来の定かではないものが科学を困惑させる謎をもたらしたことは事実である。しゃれこうべは広範囲にわたる試験により本物と立証された。またこれらのしゃれこうべは、いくつかの驚くべき分析結果を示した。まさにユニークなものであった。

保守派もしくはメインストリームの科学、既存の自然科学のパラダイムに傾倒しているコメンテイターたちは、ピエをいかさま師や疑似科学者と呼び非難したが、実物がある以上、真実から何者も遠ざける言説にはならない。ピエは独立分析機関で精力的に活動し、しゃれこうべは11人の異なった専門家によって世界中の研究室で調べられた。インディペンデントな科学者たちはしゃれこうべのDNA並びにX線写真についてテストを行った結果、これが極めて異質のものであると指摘した。

一つの最も明白な特性は頭蓋の信じられない大きさだ。人間の頭蓋骨は普通1400立方cm(cc)の容量を持っている。しかしスターチャイルドのしゃれこうべは大人の人間の平均を上回る1600ccもの容量を持っていた。成人まで生き残ったなら、人間の平均を超えて1800ccにも成長しただろう。分析によると正常な人間の頭蓋骨に比べ50パーセントも厚く、強かった。また人間に毒があるアルミニウムのような未知の繊維が含まれていた。

合理的な説明?

スターチャイルドのしゃれこうべがとても異常なものであることは明白だ。クリティックスはエイリアンと人間の混血論について、先天性の欠陥が子供のしゃれこうべの独特の姿をもたらしたという説を提唱している。医学的説明の中で示唆されているのはCrouzon症候群やApert症候群、そしてHydrocephalus(水頭症)などの頭蓋顔面異常といったもので、殆どのクリティックスは最も可能性が高いものとして後者の説をとっている。医師によればCrouzon症候群やApert症候群の幼児も水頭症で苦しむという。

従って理論上スターチャイルドはこういった欠陥が複合的に現れた結果と考えることができる。水頭症の物理的影響は、見た目強い類似性を感じさせる。しかし水頭症論の支持者は、スターチャイルドについて各研究機関で調査された結果を考慮していない。これらの結果に共通するもの、スターチャイルドの骨の中で見つかった微生物学的な例外の存在可能性についても説明付けていればそれは信頼に足る判断だが、しかしそうではなかった。クリティックスは疑似科学者とピエを非難し続けるが、彼ら自身の説もまた推論の域を出ないのである。

スターチャイルドのしゃれこうべの更なる分析が、結果として地球外文明による遺伝子操作の証拠を提示するか、単に母なる自然がランダムに我々の遺伝子にもたらす異常にすぎないという確認になるのか、そのどちらであっても注目すべきものである。それまで我々はあらゆる可能性を受け容れる度量を持たなければならない・・・宇宙人と人間の混血という説に対しても。

第二のスターチャイルド
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多くの人々がスターチャイルドのしゃれこうべに注目しているが、二番目の奇妙な頭蓋骨が数年前ブラジルのウベラバUberabaで発見されたことに注目している人は殆どいない。第二のスターチャイルドのミイラ化した遺骸はウベラバのWilson Estanovic自然史博物館に保存されている(訳注;昨年のテレ朝の怪奇特番で取り上げられたもの。この博物館自体怪しい)。二つの頭蓋骨の間には物理的な不一致点が明確にある。ピエの標本のように、頭蓋骨は明確に幼児のものであるにもかかわらず、サイズは正常な大人の頭蓋骨のおよそ二倍にも達するのだ。写真を見るとわかるように、頭の大きさは残りの貧弱な体躯から逸脱したものになっている。残りの体躯は長さ約50センチ(20インチ)しかないのだ。

この子供には他に興味深い点として6本の爪がある。宇宙人に誘拐されたというアブダクティの再現された記憶によると、彼らは6本指だったという。多指症は珍しいことではない・・・もしこの子供が宇宙人と人間の混血であったなら。宇宙人干渉論者のセオリーに従うなら、多指症は古代に起こったDNA操作への先祖返りとも考えることができる。過去のDNA操作はこの遺伝子が今日の人類にときどき起こる現象を説明することができるのだろうか?ところで、巨人の手足には6本の指があるという話も、ごく一般的である。

角のあるしゃれこうべ
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角のあるしゃれこうべは現存する最も論議を呼んだものの一つである。医学で容易に説明できるものばかりではない。このしゃれこうべはフランスで1920年から40年の間に発見されたと言われているが、現在は行方不明である。Surnateumは超自然史博物館だが、このしゃれこうべを分析したと主張している。分析結果は角はまさしく頭蓋骨の一部、即ち本物であったという。分析結果はこう閉じている。「詳細な試験とX線結果は疑問の余地なく、”この頭蓋骨は偽造ではない”ことを示している」

この角のあるしゃれこうべは唯一無二の例ではない。1880年代にアメリカの古墳から掘り出されたという、身長7フィート(訳注:220センチ)以上もの角のある巨大な男性の骸骨が報告されている。西暦1200年頃に埋葬されたと推定されている。写真の角のあるしゃれこうべのように、ペンシルバニアの巨人の角は眼窩の上から伸びていると報告された。

この発見は古物趣味のある一団によってもたらされた。そのメンバーにはペンシルバニアの名士が名を連ねている。ペンシルバニアのブラッドフォード郡セアーSayre町で発見されたあと、残りの遺物はメンバーが所属するフィラデルフィアのAmerican Investigating Museumに送られた。博物館は後にこの遺物が盗まれ、復元できないと主張した。

これは偶然の一致なのだろうか?神話のサテュロスやパンに容易に例えられる「角のある巨人」がセアー町で発見されたということは?遺物が失われた今、検証を進めるために残された手がかりは目撃者や伝説、神話のもたらす話以外に無い。「角のある生き物」はノルウェー神話から秘教哲学に至るまで世界中で「神」と結びつけて考えられている。例えばBaphometはテンプル騎士団に崇拝されていた。バイキングは彼らのヘルメットに象徴的な角を装着していた。Nephilimとして知られる巨人は宇宙人と人間の混血の形で旧約聖書の重要な要素を担っている。宇宙人と神話上の神とこれら角のある巨人の間に何らかの関連があったという可能性を考えることはとても面白い。

遺伝子工学の証拠
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研究者のロバート・コノリーは細長い奇妙な頭蓋骨の写真を撮った。1995年南米でのことである。頭蓋骨は何万年も前のものと推測されている。人類学者はこれがネアンデルタール人と人間の両方の特徴を持つ驚異的なものだという。例えばあごは非常に重く、眉は発達している。これはネアンデルタール人の特徴だ。更なる分析は人類の進化の別の可能性として、古代人類の二種の交配があった証拠を示しうると思われる。人類学者はそれは不可能だと言う。南米にネアンデルタール人はいなかったからだ。仮にこれが正しかったとして、この”ネアンデルタール人類”のしゃれこうべがその時代にそこに存在したということ自体が興味深いものとなる。専門家はそれがそこにあるはずがないというのだ。

この頭蓋骨の存在を説明する科学的推論が無い一方で、何人かの研究者はこの明らかに混血の頭蓋骨が遺伝子工学が存在した証拠ではないかとぶちあげた。彼らは地球外からの訪問者が人類を進化させる実験の過程で故意に雑種を生み出したのではないかと言う。人類が作られたか、遺伝子を組み替えられたことを示すのではないかと。この頭蓋骨が推論を支持するものかどうかまだわからないが、我々は人類学者にはこの頭蓋骨が存在する理由を説明することができないことは知っている。

文化的伝統

多くの変形した頭蓋骨が存在する。多くの研究者はこの特徴的な頭蓋骨を古代の慣習によるものと考える。頭蓋骨が結合していない子供の頃から頭を木板で挟みロープか布で強く巻くと、頭蓋骨は奇形化する。即ち平らで細長い形になる。その生理的外見が社会的地位を誇示するものとなったと考えられている。南米の各地やアフリカ文化圏にみられ、身体改造の最初の例と考えられている。少なくとも9000年さかのぼれるものであり、いくつかの標本はこの習慣が実に2万年もの間続けられたことを示唆している。

事実の再評価

この特徴的な頭蓋骨と頭蓋緊縛の習慣を関連づけるには問題がある。緊縛は総合的なボリュームではなく、頭蓋骨の形を変えるものだ。巨大で、重い顎は頭蓋緊縛の習慣を持つネイティブのペルー人の顎よりもはるかに大きいのである。更に突き出た眉はあきらかにネアンデルタールのものなのだ。人類学者がネアンデルタール人が頭蓋緊縛の習慣を持っていたという証拠を今までに提示したことは全くない。頭蓋骨がこうなっている以上、ネアンデルタール人と人類の混血、という解釈を排除する理由にはならない。

一見、変形させられた頭蓋骨の素晴らしい例に見えるこの骨は、顎のサイズや頭蓋の容量、及び総合的な特徴からしてネアンデルタール人のものであるという多くの研究者による厳密な分析を通し、我々が最初の印象を再評価したという結論を下すのみである。ユニークな物理的特性を鑑みて、我々がここに持っているものは、単純に混血頭蓋骨と考えることもできる。人類とネアンデルタール人、そしてことによると全く違う何かとの。頭蓋骨が遺伝子工学の実在例の候補であると推測することは、この状況においてはそれほどおかしな言説ではない。

神のイメージ

何人かの人々は古代文明が彼らの神をまねて頭蓋骨緊縛文化を作ったと推測している。自分たちを「神」のように見せるために。古代人が自分たちより完全であると考えた何らかの存在に似せたがった可能性以外に、何十年もの間頭蓋骨を変形させるために痛みに耐える広範な文化を持ったと想像するのは難しい。

エジプトの頭蓋骨
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古代エジプトに珍しい整形頭蓋骨の別の例がある。Akhenatonと彼の妻Nefertiti、そして彼らの子供は異常に高い身長と細長い頭蓋を持っていた。エジプト学者は緊縛頭蓋とされるものがファラオが生き神として扱われた時代に、人々を納得させるために様式化され作られた姿であると示唆している。しかしツタンカーメンの頭を再度分析したさい、頭蓋が細長く描かれた少年王の像が、かなり正確に元の姿をうつしているという結果が出た。エジプト学者は不愉快な沈黙を守った。従来の解釈では、ツタンカーメンが緊縛でも別の奇形でもない正常な頭蓋を持っていたということを説明することはできない。

エジプトはかなり高度な工学的知識を持っており、早くから文字を使った。それは「不可能なほど」短期間に得られたものである。エジプトのファラオ、生き神の奇妙に細長い頭蓋骨は、その高度な文明が宇宙人によって高度に発達したという説を証拠立てるものとも考えられている。古代エジプト文明の研究には驚異的な推論が沢山ある。例えばジュディ・ケイ・キングはエジプトの古代神話と図像解釈学の研究を通して、当時人類が持ち得ない知識、即ち分子生物学に関する複雑な理解がそこにあったと示唆している。

真実は彼方に

我々がこの記事で取り上げた変形頭蓋骨の真実は定かではない。まだ研究されていない多くの他の例も存在している。我々がここで言えることは、人類の起源の神秘にはまた多くの答えの無い質問が存在するということだ。三つの異なった種の頭蓋骨、混血児、角のある頭蓋骨、最後の細長い頭蓋骨を見て、我々が確かにいえることは、これらの頭蓋骨が我々の構築してきたパラダイムの枠外にあるということだ。科学はそのようなものを再評価するさいに二の足を踏みがちである。多くの場合メインストリームの科学者は「沈黙の壁」の態度をとる。それは現状のパラダイムを守りたいという希望だ。真実はここにある。これをあきらかにするか無視するかにかかわらず、我々は事実だけを直視すべきだ。(”トトの書”thothweb.comよりかなり抜粋意訳)


~ひー長い。。後半はけっこう聞く話なので省きました。ひねくれたロジックを駆使するビリーバーの文章ではありますが、前半は資料的に面白いというか、日本にもこういうのってあるよなーという感じなので、面白く訳しました。



2006年06月07日

サウジの石化人の林
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ひさびさにfarshoresから拾いました。しかし画像をどこから入手するんでしょうねえ、元サイトに画像がないのに。


サウジ人、神秘の石を旅行者へ公開希望

2006年6月2日ロイター配信「半島」webニュースより

(ザッサーな抜粋訳)
サウジアラビア、RAJAJIL
「ラジャジールの石」は澄み切った砂漠の空へ向かって印象的な姿で突き立っている。砂色に染まる傾いた石塊群はまるでイギリスのストーンヘンジを思い起こさせる。この5本組の柱のグループが50組もサウジアラビア北西部のNafud砂漠の縁に群生している理由は誰も知らない。地元の伝説によればこれは神により罰せられた失われた部族の変わり果てた姿なのだそうだ。それが何であれ新しい観光の名所になる。地方公共団体は立石と古い歴史を持つAl Jouf地域に期待を寄せている。考古学者はラジャジールの石が古代エジプトやイラクのような文明の黎明期にあたる紀元前3000年以前にまでさかのぼれると信じている。石にはイスラム教以前の神に繋がる女神Widdのようなラクガキがある。

ストーンヘンジのように寺院や墓所や天文台やその他の用途に使われたという定説はない。学者によるとストーンヘンジは紀元前3000年から1600年の間に建造されたという。ムバラクは石が恐らく太陽崇拝のため故意に砂漠の辺縁に配置されたと言う。アラビア半島北部では太陽が崇拝され南部では月が崇拝されていた。リヤドから1200キロ離れたSkakaオアシス近辺を調査した結果、彼は崇拝には通常高地が選ばれていたとする。

ある人々はこれらは「汚いこと」をしたために石に変えられた部族だという。掃除にパンを使ったり、洗濯にミルクを使ったりといったことだとムバラクは言う。しかしこれは単なる神話にすぎない。氏は現在観光事業振興の前にこの場所が宗教的なものと結び付けられることを恐れている。(後略)

farshores

~イスラム以前のアラビア半島というのは想像もつかないが、考古学的にはけっこう研究されているようで。しかし見た目これって巨人の指みたい。メンヒルとかいうのかな、「超古代文明的」には。




2006年06月05日

北極のナゾの生物頭蓋骨(角あり)

「まだ北極が温暖な気候であった数百年前」とは。
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怪奇生物原文

カナダのバフィン島の「凍土内」から見つかったとのことで化石種の可能性が高いと思われる。カナダでは新種化石発見が相次いでおり研究の進展具合を伺わせるが、少なくともこの記事はあんまし鵜呑みにできないあやふやな部分もあることを念頭において、よろしければどうぞ。



2006年05月29日

怪物図録




2006年05月24日

モルジェロンズは「かんの虫」か「コーク虫」か?

皮膚の下に寄生虫が蠢く ― 謎の"モルジェロンズ病"患者が増加 米

ここ見ていたら、なんか「かんの虫」そっくりだなあ、と思いました。もちろん医学的には寄生虫妄想だと断定されてはいますが、

「小さな白い虫が耳から出てくるんです。中でうずいているのを感じるので綿棒で耳をつつくと、それが出てくるんです。」

「皮膚に傷が出来て、そこから何か毛羽だったものが出てくるんです。丁度胞子か何か、そんなものです。」

「傷口を顕微鏡で見ると、そこに黒と白の小さな繊維が見えるんです。自分の目で見なければ、信じられないと思います。問題なのは、患者がそこまで苦しんでいるように見えないので、医師がこれらの病気を真摯に捉えず、きちんと診察しないということなんです。」


どれも「線虫」みたいなもの(ガーデニングなんかやる人にはおなじみですね)、即ち「かんの虫」を想起させるんですよねえ。

小虫が体中(もしくは皮膚の下)を這いずるという妄想は、まさにコカイン中毒やアルコール中毒などで見られる症状の一つである。それが一般の人にも現れないとも限らない(脳内物質の問題でしょうから、クスリの影響がなくても気質的に現れうるでしょ)。でもなんか、なんとなく、日本の「かんの虫」や、都市伝説で聞かれた「ピアスの白い糸」なんかに通じる感じがします。この「病気」は300年の歴史があるそうなので、ひょっとしたら欧米から「渡来」したものなのかもしれませんねえ。。
(某SNSより転載)


2006年05月15日

ブラジルのストーンヘンジ

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ブラジルの考古学者がアマゾンの奥地で古代の石造構造物を発見、同地域の歴史に新しい光を当てるか?

この場所は西欧による植民地化以前の天文台もしくは教会であったと考えられている。精巧な天文学的知識が存在していた証拠であるという。外観はイギリスのストーンヘンジに例えられる。西欧による植民地化以前、アマゾンには先進的な文明は存在しなかったと今まで考えられてきたのだ。

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「冬至」

考古学者がブラジルのかなり北部のアマパ州で発見したのは、127もの大きな石のブロックが丘の上を取り囲むように地面の上に配置されているというものであった。保存状態はよく、それぞれ数トンの重さの石は垂直に立てられ均等に配置されていた。この構造物がいつ頃作られたものかはまだわかっていないが、同地で発見された伝統的な陶器の欠片は2000年は遡るものだと推測されている。研究家たちはその洗練された土木技術に強い印象を受けた。石は太陽が天空で最も低い位置を動く冬至を正確に示すために配列されているように見える。アマゾンの古代人は農作物の生産サイクルを決定するのに星と月の位置を利用していたと思われる。

アマパの発見はストーンヘンジと比較されているが、南イングランドの古代ストーンサークルはもっと古いものである。大体紀元前3000年から1600年に建設されたと考えられている。(bbc、5/13/2006)

~純粋に古代へのロマンをかきたてられるものだが、裏返して言えばアマゾンもそうとう奥地まで開拓が進んでいて、密林に覆い隠されてきた遺物がこれだけ露出してきてしまっているとも言え、なんとも手放しで喜べない感じではある。この場所も木々を失い綺麗に整地されているように見える。超古代文明と言うには余りに新しいものであり(紀元後と推測されている)、かといって今まで知られていなかったものなだけに、更なる研究成果が待たれる。あ、なんかマジメに中身のないコメント書いてしまった。。



2006年05月14日

怪物図録



2006年05月11日

アニメ遅延で人骨抗議・・

テレビ東京に骨?届く 警視庁、脅迫容疑で捜査
2006年 5月10日 (水) 23:37
 東京都港区のテレビ東京に、骨のようなものが同封された抗議文が届いていたことがわかった。警視庁で骨を鑑定するとともに、脅迫にあたるとみて調べている。
 テレビ東京や愛宕署によると、8日午前に届いた郵便物の中に、骨のようなものが入っていた。3、4センチ大のものが少なくとも10個以上入っていたという。4月下旬、世界卓球選手権の放送時間延長で、その後のアニメ番組の放送時間がずれ、録画できなかったという内容の抗議文が同封されていたらしい。(朝日)


・・・ちらちらブログに取り上げてる人がいるのでうちのニュースサイトでは除外(今日はニュースの特異日ですな)。

日経はこっち

~同署やテレビ東京によると、小包は8日午前、同社に届いた。抗議文はカタカナで書かれており、先月26日の世界卓球選手権の放送時間が延長され、録画予約していた、その後のアニメ番組が録画できなかったとの内容だった。骨は焼かれた人骨のようなものだったといい、同署は鑑定している。~

やはりアニメですか(苦笑
横浜消印なので、確実にテレ東ですな(偽装工作するほどの脳がある相手とは思えない)。

抗議文は、4月26日夜に放送された「世界卓球2006」の放送時間が30分延長になったため、その後に放送されたアニメ番組が録画できなかったとする内容で、同署は骨を鑑定するなど調べている。(読売)

~各紙別の情報を小出しにしてるけど、もうこれで該当番組は絞り込めてしまうなあ。26日(水)深夜から27日(木)早朝のアニメ番組って。

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/inukami/
1時~1時半。
民俗学少し知ってればピンとくるだろうけど、犬神(狗神)ってそもそも猟奇臭い因習であり民間信仰だ。中国伝来のいわゆる「蟲(蝦蟇と蛇と百足の三虫を壷に込め土中に埋めて生き残った最強のものの毒を使ったという説があるが、古代には単に毒性を帯びたものをこの名で呼んだ)」毒から近世に発想されたものと思われるが、飢えて欲に苦しむ犬を斬首し、その首だけを薬にしたり毒にしたりする(猿でも似た使い方があり、いにしえは生贄の人間だったかもしれない)。毒は昔は一種の呪力と考えられていたから、その魂を主として悪事をなす使役神に使うというところまでいったのが最近まで山間に残っていた慣習なのだ。まあ漫画小説好きなら式(鬼)とか式神みたいなもんっていったほうが早いか、シキも華南伝来の古い陰陽道が平安時代に日本流にアレンジされ以後神道と一緒に現代まで伝来してきたってだけなんだけど。生贄の殺し方が残虐で恨みや渇欲が募れば募るほど毒=呪力は強くなる。また、そういう由来を失い、見えないけど竹筒や壷に入っているもの、みたいな一種の霊扱いをされ伝来されていることが多い。そのためオサキ狐やクダや蛇神なんかと混同もされる。

ありゃ話それたね。人骨との接点を考えるとそんなところもあるかなと。アニメは見ないので知らん。ありふれた召還魔物コメディぽいな。絶対服従の犬神って人格化するとメイドぽい。

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/hack_roots/
1時半~2時。
こっちはハードな内容みたいで年齢層も違いそうだ。内容はバーチャとリアルの区別がつかなくなった系のかんじだし(それにしてもなんか聞いたような話だな)。ネット世代は実感としてデジャブ感じたりして。そういう意味ではこっちのマニアって線も捨て切れないんだなあ。

・・・ヲタが市民権得たはいいけど、市民権得すぎなところがある。基本的には「マニア」maniacって原意の通りな人間たちなわけだ。ある部分で狂ってる。

そういうのを割れ窓として全体が狂ってくると何物の区別もつかない阿呆になってくわけですなあ。しかしどういう発想なんだかねえ。ヲタは変態で猟奇、って宮崎事件時のレッテルを改めて貼りなおされるようなニュースですよ。揺り戻しが来るかな。

それにしても盗んだ骨だとしたら腹立つ話だ。日本の墓地ってあけっぴろげで骨壷出しやすいし骨盗み放題だし。

(某SNS日記より一部転載)


2006年05月09日

「夜話」へトップ記事から移植


2006年05月08日

monsters_japan

フライング・ヒューマノイドが英国に出現?

買い物客たちがTrago Mills上空の「UFO」に困惑
2006年4月29日

鳥か?飛行機か?

目下一番信憑性の高い推測はジェットパックを背負った男性だということだ。大きなジェットパックの形に似た「twigのような物体」がTrago Mills上空を上昇しているところが目撃された。目撃者の退任教官バリー・マーシュはニュートン・アボット近くの古いビッキントン通り沿いを旅行しているところだった。マーシュ氏はこの物体がTrago MillsからHaytor上空に移動するまで、同様に目撃した歩行者たちの間に騒ぎを巻き起こしていたと言った。「10時25分でした。我々は物体が地上200フィートから300フィート(60~90メートル)まで上昇しているのを見ました。何かの力によって動いているように見えました。でもそれは気球のようなものじゃない。一番しっくりくる描写はtwigかジェットパックのようなものだった、ということです。まるでジェームス・ボンドの世界から抜け出してきたような。居並ぶ人々に沿って道路の反対側を運転していましたが、彼らはいちように見上げて指差していました。私はその動きからあれが気球ではなかったと考えます。沢山の人があれを目撃したはずです。あれが何だったのか、私は興味があります。」

デボンとコーンウォール警察の広報はこの不思議な物体に関するどんな問い合わせも受けていないと語る。ニュートン・アボットのTrago MillsもどんなUFOにも気づかなかったようだ。(WesternMorningNews,Devon/England)


~ところで今日のニュースでこういうものがあった。

英国防省、E.T.の存在を否定「UFOは錯覚」

未確認飛行物体(UFO)の目撃証言をめぐり、英国防省が4年間をかけた調査の結果、「地球外生命の存在を裏付ける証拠はなかった」とする極秘報告書を2000年に作成していたことが7日、判明した。情報公開法によって、英大学の教授がその内容をBBCテレビなどに明らかにした。国防省の極秘報告書は「英国における未確認飛行現象」とタイトルで、全400ページに及び、表紙には「極秘」のスタンプが押されている。(中略)報告書は数々のUFO目撃証言を調査した結果から、「自然界の物理的な力以外に敵対するような現象が存在する証拠はみられない。危険を引き起こすような確たる物体が存在しているという証拠もなかった」とし、UFO目撃は自然現象による錯覚だと結論づけている。(産経 他)

~ましてや宇宙人が情報操作してどうたら、なんて証拠はどこにもない、という。英国は米国ほどではないがUFOのうわさの絶えない国で、ロズウェルが有名になる前は米軍基地にUFOが着陸した、という話が「第三種接近遭遇」談としてはかなり有名であった。その後のミステリーサークル騒ぎでやや低調になった感があり、その中でのこの報告は何も不思議なものでもないが、何やら「夢追い人陣営」に水をさすようなニュースではあります。

(一部略、引用等問題あれば消します)

by r_o_k | 2017-08-16 01:07 | 鬼談怪談

奇談つれづれ(2005/6/20-8/21)「人面犬ビデオ」〜「怪談の夜」

つづきです。(ほとんどリンク切れになっているので画像が表示されなかったらごめんなさい)
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2005年08月21日

怪談の夜

(某SNSの日記より早々に転載)

山間の村で怪談を聞いてきた。

最近は、きほん的にスケプティカルな立場からコワバナ関係の話を愉しんできたのだが、今日は思いのほかヘビーな話が多く、鎮守の森の下で蝋燭の明かりにひたっていると、


ああ


・・・心の釜のフタが開いてしまったみたいだ!


話者の背後、真っ暗闇の階段を、上のほうから、ずる、ずると、白い影がずり落ちてくるのが、見える。向かって右側の、闇の深い影に。


白装束?

急な石段を、痩せた女が白装束のまま、俯せで、頭を階下に向け、腕は腰あたりに下げたまま、マッサカサマにズリ落ちてくるのだ!

顔を伏せたまま。ゆっくりと、話が進むに従い、降りてくる。。


マジすか。。


上にはお稲荷さんがあった、キ、キツネ??



・・・少し前のほうが騒がしい。ふと話者の前の蝋燭が消えたことに気がついた、あッ

顔を上げた!


顔だけが、話者のすぐ後ろに浮かんだ、茹で卵のようなイヤな質感の、能面のような顔「だけ」が。ぽっ、と不意に左を向いて、そのまま左側の明かりに溶けるように消えた・・・



・・・というわけでさっきから肩が重い。百物語をすると怪異が顕れるとは江戸の世からのならい、しかし百もいかないうちに顕れるとはいささか性急すぎはしまいか。


帰り道同行の人に怪談をまくしたてて少しでもケガレを分散させようとしたんだけど、右の肩にかかる変な圧力が消えないのだ。



指をいっぽんだけ、ぽそっ、と載せたような。





・・・つか替えたばっかの電球切れたぞ急に今!なんでだ!うぎゃー(パニック

マジです(T-T)


00:22


切れてない!なのに点かない!うわー!!



キレテナーイ


(その後、電源コードがぶちっと切れていたことが判明。こんなことは、ここ15年で初めてなんですが。。つかそのご数時間して大量のクスリにより 無理やり寝たので、朝スッキリしてたのは御愛嬌でございます)

<後日談:8/24>
その日の午後に急に熱を出し臥せってしまいました。医者は扁桃腺炎と言っていますが、三日も続くのも夏に風邪ひくのも初めてなのでちょっと不気味です。もっと不気味なのは、昨晩電源コードがひとりでに治ったことです・・・


2005年08月17日

口をきいてはならぬ

墓参りの帰りに妙な話を聞いた。

御年九十三になるというご婦人、話がじつにゆたかで面白く、喫茶の人と永く聞いていたのだが、女学生のころ幽霊を見たのだという。夜半枕許にす、と誰かが座る。


・・・T子


叔父さんだ。しかし幽霊だとわかった、何故なら遠く長野で村長をしているはずなのだ。


T子


「ユウレイと口をきいてはならない」


そう聞かされていた。がたがた震えながら、呼び掛けには決して答えなかった。暫く呼び掛けが続くと、悟ったのか叔父は話を続けた。これから遠いところへ行くからお別れを言いにきたのだ、と。それでも口をきかないでいると、これから別荘にいる妹(この人の母君)にもお別れを言いに行く。す、と消えた。


おとうさま、今幽霊を見ました、叔父さまです。


恐怖に怯えながら父君を起こすと、ん、とやさしく受け止めた。


一緒に寝てもいいでしょうか?


・・・翌朝、電報がきた。危篤ということだったがとうに亡くなっていたのだろう。母君のほうへ行ったかどうかはわからない、でも弟や親戚やみんな死ぬとき、別れを言いにきたのよ、私優しかったからね、とからからと笑った。迷信に阻まれ挨拶を拒まれた叔父さんの胸中如何ばかりだったか、しかしこの死者としゃべってはいけない、という伝承は遠く江戸時代の文献にみられるもので、流石父君が大隈大臣付きの記者だっただけはある、と感じた次第。


昨日の地震と関東大震災が直にリンクする東京の記憶にくらくらしながらのひとときだった。ああ、まだこういうかたがたがご健在なのだ。


恋を識らない青年に教えてあげなさいと頼まれて、一日新宿でデエトをした話、父君の秘密の初恋の話、本で読むような繊細な時代の話が、識らない筈なのに懐かしい気分のうちに伝わってくる。青年は戦後しら骨となって返ってきた、その哀しくも美しい記憶の中に怪異が潜んでいる。その自然なさまに今の不自然に特異な怪異の有様に改めて頭を拈りつつの帰途である。


2005年08月12日

今度はマリアさまの木

farshores.orgに写真モノが載ってたので転載。ちなみにちょっと休みますので今週はがんばって更新しときました。まずはabcのニュース。奇蹟好きだなあこのテレビ。

ノースバレーに処女マリア出現?2005年8月10日


何十人もの人がこぞってマーセッドMercedへ向かいだした。ノースバレーの婦人が近所に奇蹟が起きたと語ったからである。エリザベス・フランコによると彼女の木の幹に聖霊が現れたという。マーセッドの婦人は数週間前にこれに気づいた。それが処女マリアの像であると信じている。既に小さい神殿が木の下に設けられている。訪れ祈る80名の人々によって沢山のキャンドルや花々が供えられている。(abc30)

エジンバラの地下街に出た顔

次はなかなか面白い心霊スポット探訪記、日本人の大好きなエジンバラの伝説の地下室に出た幽霊の話。長いので省きつつ訳しましょう。徒歩ツアーというのが欧米の夜の街ツアーでは一般的だが、その中でも人気の高い心霊スポットツアーの、エジンバラ版とでもいうべきもの。そこで彼女が撮った写真には・・・

エジンバラの恐ろしい地下街の夜(抜粋抄訳)デリー・キールナンのコラム 2005年8月11日



「あなたは懐疑論者ですか?」石造りのロビーでツアー・ガイドが聞いてきた。エジンバラの悪名高い地下街の扉を開けながら。私は軽く微笑んだ。「あなたは迷っている」彼は楽観的に推してみせる。不気味な軋み音をたてて扉を動かす。「ええ、」私は嘘つきだ。幽霊など信じていない。階段を二つ降りると冷たい微風が頬をかすめ、背筋に沿って恐ろしいメロディを奏でる。私がそれほど冷静でなかったなら、ちょっと不吉な予感がしただろう。誰かが戻れと警告していると。メルカット・ツアーの企画による6時間の地下室の夜。数人の勇気ある人たちが陰気ないにしえの深みに降りて行く。そこでは生者を苦しめるために、死者の霊が息づいている。地下室にキャンドルとランタンが点され、幽かに不気味な雰囲気が演出される。はっとする。魅力的だ。水の滴る壁は汚く、冷たい水がでこぼこの床を湿らせる。気温は保たれている・・・急に凍るように寒くなるまで。これは幽霊の存在のサインだと私は確信する。周辺のエネルギー変化を測定する装置が配られる。ボタンを押せば幽霊が検知できる(注:このてのものは昔からイギリスでは一般的だったが、最近韓国でネット連動型の小型検知器が発売され、日本でもこの夏にサービスが開始されている)。でもこの暗闇で長いこと過ごす間、蜘蛛の足のような針など見えやしない。意味が無い。

ここは1788年に作られた。地下街はかつて店で溢れかえっていた。個室に区切られ、7年前に避難してきた宝石商やパブ、織物屋があった。売春宿やギャンブル場もこの空疎な空間で栄えたものだが、水漏れが激しく1820年までには殆どの店が解散した。1830年永遠に閉ざされる前には、不法入居者と犯罪者が地下街を病気の蔓延するスラムに変えていた。酒場の部屋では私の観光ガイド、ゲーリーとストルーアンが超常現象に関する色々な理論を説明する。ゲーリーは幽霊やスピリッツは具現化するために生きている犠牲者の体から熱を奪うと忠告する。みんな身震いする。ぽたり、ぽたり、ぽたりと水が滴る音が陰気な部屋に響く。酒場を去るときに別の見解が示された。地下室はスピリットにとって「弱点」である、それはハロウィーンが「弱点(weak date)」であるのと同じように。我々はひとしきり理論を聞いた後、12の部屋を単独で歩き回るように薦められた。すると我々の仲間の冒険者たちは急に奇妙な出来事に遭遇し始めた。ある者は不意の病気と頭痛に襲われ始め文句を言う。他の人は瞬風や寒い場所に出くわす。衣服が引っ張られたり、遠くからの叫び声を聞いた者、どんと叩く音を聞いた者、三人の女性は生々しい経験をした。足を引きずって歩いている男性、赤ん坊と一緒にいる女性、舞姫、及び飛び跳ねる子供。文字通り「老人の匂い」を嗅いだ女性もいた。私はまだ鎧兜で武装するほど懐疑論に凝り固まってはいない。まだ何も私の考えを崩すものは無い。私たちがワイン貯蔵庫にそっと入るのにつれて、隣の進入禁止の判事部屋の一つから異様な音が聞こえた。幻聴ではない。事実、本当だ。ゲーリーが確かめに上に上がる。そこには誰もいない・・・。廊下の一つを通って歩いていると、運の悪い女性が彼女の正面に石の落ちる音を聞いた。私は偶然だろうと破れかぶれの言説を投げかけるが彼女は断固としてそれを蹴ることを拒否した。するとストルーアンが言った。「石の一投げ」という現象がこの廊下でよく起きます。ジャックという好意的だが悪戯好きなスピリットが起こすんだと。ジャックは袖を引き足を蹴る。青いベルベットの上着を着た6歳の少年で、子供が参加するときによく現れるらしい。別のツアーでは一人の女性が、ジャックが近寄ってきたと主張した。「お願い行って、彼が戻ってくる、お願いだから」と言った。二続きの部屋の角で、私はすぐにジャックが我々の誰に警告しているのかがわかった。ボタンを押していないのに、私の装置が作動して音が鳴り響いた。ここはブーツ氏が2年前に少女を襲った場所だったのだ。彼は悪魔的な心を持ち、貧しいジャックを殺した人物と考えられている。目撃者によると、煙のような存在が少女の後ろに現れ、彼女の体めがけて突進したという。少女は気が遠くなって、倒れるところを抱き止められた。あるカップルが少女が倒れたとき病的で髭もじゃな男に掴まれていたと言った。田舎道に立ち昇る嫌な霧のように、私は私の懐疑主義が体から抜けていくのを感じた・・・まだ朝まで3時間もあるのだ。(scotsman.com)



いいですねえ。日本では「危険!」とかいってこういうものを遊ばないから却って大したこと無い場所でも好奇を誘って挙げ句犯罪に巻き込まれたりする輩が出るんだよなあ。禁酒法時代のアメリカなんて洒落たことは言わないけど。毎年はとバスで講談師と行く東京怪異ツアーというのがやってたんだけれども、最初夜だったのがまっぴるまになって、今年はやるんだかどうなんだか。ちなみに写真の説明。最初のが壁の中央に顔が大きく写っている「とされる」写真。蝋燭の右側、縦長の紡錘型の顔?二つ目が演出された地下街風景。ツアー宣伝写真だそうです。三つ目は筆者が撮った何気ない写真で、幽霊をよく見ることができるように電灯がついてる場所もあるというのだけれども、え、幽霊ってライトでよく見えるようになるようなものなの???この人の文章や曖昧なスタンス、私はとても共感できました。夏に爽やかな心霊ツアーですね(どこがだ

 

投稿!心霊写真inNY

about.comパラノーマル・ブログギャラリー

投稿写真集でなかなか面白い。日本のコソコソしたものよりばーんと写ってるものが多く、もっとも形は不明瞭だけれども、国民性がゴーストにも現れているというのは面白い現象です。エクソシストの撮影の行われた階段(落ちるやつ)で撮られた幽霊、って誰なんだよw(そういえば2のガラスに浮かぶ顔もコンピュータ合成臭かったなあ)路上になんとなく見える「羊頭の悪魔」とか、日本でもよくある自然叢(相)というやつも入ってる。悪魔と判断してるの、これも国民性だな。未だにオーブも出てるけど無視だ無視。物凄い「でかい」か、色が変かしなけりゃオーブなんて殆ど塵です。まあ、最近エンハンスドな、加工の施された画像が多いので、色すらあてになりやしませんけどね。この中にもいくつか輪郭強調画像がありますけど、捏造画像に占められた日本のサイトよりは素朴で良心的だ。

ちなみに自然ソウというのは木の葉や何かの陰影などがたまたま人間の顔の形に写ってしまったというもので、昔はこのての「心霊写真」が巷に溢れていた。中岡本なんて殆どこれだった。火星の「人面岩」もこの類い。あれはNASAがたまたま光の具合で人の顔に写ったから、宣伝用にピックアップして公表したところ、オカ業界で大騒動になって宗教までできてしまったんですね(昔の日記にその後の正体写真含め載せてます。にこちゃんマークもピラミッドも何でもあるんですよ、火星にはw)。

そこになかったものが写ってる、からといって写真はそもそもメカニズム上事実をそのまま映し出しているとは限らない、寧ろ忠実に事実を写し出すなんてことは稀といってもいいくらいで、そこんとこもよく意識して見る必要性はある。デジカメになるとさらに機構的に「オーブ」のような光が入りやすくなり、デジタル処理や構造の細密複雑化(裏返しで操作の単純化)によってフィルムとは別種の変なものも撮れてしまう可能性が高まる。手軽になったということは「写真の真実」をわかってない人も簡単に撮影を楽しむようになったということであり、心霊写真激増の背景にデジカメ(ケータイカメラ)人口の増大があるのは単純なことです。裏返して反論したくなる人もいるかもしれないけど、じゃあフィルム時代によく見られた「指紋型」「紅い色ムラ型」の心霊写真がデジカメで殆ど出てこないのはなぜ?結局現像という過程で(ポラロイド含みますよ)発生するミスがそういうものを産んでたわけで、テレビではヤラセとして霊能者にそういうものを心霊と「言わせて」いたことも多かったと聞く。奇妙に歪んだ(重なったりぶれたりするのではなく、滑らかに歪む)顔とか最近よく見るタイプの心霊写真だけど、あれも「リング」が公開されるまでは殆どなかった。まさにこれこそコンピューターの得意とする加工写真の典型なのである。ビデオになってくると機構的な問題が更に増大する。顔が溶けるように変化してる、怖いってビデオを見たこともあるけど、あんなのはデジタル映像にありがちな・・・衛星やネットで映像を見る人間にはおなじみの・・・パケット落ちした映像にすぎない(パケットという通信用語が妥当じゃないのはわかってますけどわかりやすくそう書いておく)。物凄く平たく言えばデジタルモザイクかけたような状態が混ざっただけなのである。画質劣化が拍車をかける。

だいたい「心霊写真屋さん」が商売成り立つくらいですもんね。テレビの投稿心霊写真、特に最近のものは殆ど信憑性がないと言っていい。

ただ自然ソウに話を戻すと、人形に魂がやどると言われているように、人の形をしたものは全て依りましになる可能性があるって考えかたもあって、そういう見地から、「これは心霊写真じゃないけど、強烈な霊気を感じる」なんて判定をするおばさんもいます。信じるか信じないかはあなたの自由、でもいるかいないかといえば、「いるんです(by金造)」。・・・PCが一般的になってきたここ10数年で個人で画像のコンピューター加工が容易になったことにより、実物判定の困難な偽画像・映像がやたら見られるようになった。繰り返しになるが今簡単に出てくるあからさまな心霊の顔写真なんてまず偽造だと思ったほうがいいだろう、ああいうのは二重露光でもしなければそうそう撮れるもんじゃない。「自然ソウ」の誤解のほうがまだ罪は軽い。祟られるのはどっちだろうね。

最近の投稿写真をピックアップ。

ソルトン湖の幽霊

カリフォルニア州プラセンティアのリタ・スウィフトさんからの投稿。私が送ったのはソルトン湖(カリフォルニア南東部の景勝地)のインディオの近くで撮った写真です。カメラはブローニーを使っています。私の夫と私は両親と港湾長のボートの上にいました。この写真は20枚撮ったうちの15枚目です。他は普通でした。父は私に多くの人がこの湖で溺れているといいました。父は第二次大戦のためにここでパイロットたちを訓練していました。訓練中に湖に墜落して行方不明になる者もいたそうです。この幽霊はひどく急いで湖から去ろうとしているように見えます。よく見れば手に指があるのがわかるでしょう。私は古代のソルトン湖が砂漠であったという話を聞いたとき、別の奇妙な解釈を得ました。この湖はセント・アンドレアス断層の近くなのです。そして湖の一部では地面から温泉が吹き出し大きな熱い沼地を形成しています。

父は第二次大戦の間、アイルランドのベルファストに配置されたB-17のパイロットでした。父は一枚の写真を撮っています。写っているのは昇進したばかりのナビゲーターです。彼は昇進を喜んでいましたが、戦争で生き残ったかどうかは定かではありません。1988年、父は亡くなりました。私はこのナビゲータの写真を父のコレクションの中に見つけました。私にはこの人が影の霊体に覆われているように見えます。日本から来た女性が(また日本かい(苦笑))ナビゲーターの足の左側、砂の上に顔が見えるって言うんです。私にも見えます。父のカメラがどんな機種だったか私は知りません。でもたぶん一般的なカメラだったと思います。

~一枚目は私はかなり面白いと思った。冷静な解釈が入ってるけど、これは真実と思っておいたほうが面白い。二枚目はよくある見間違いの範疇かなと思う。日本人は複数の幽霊が見えると言ったそうだけど、これこそ「自然ソウ」ですね。

 


2005年08月11日

テキサスは謎獣のスクツ、そしてチュパカブラ疑惑

昨年あたりからアメリカの物好きを賑わしている謎獣騒動の中心がこの「テキサスのミステリーアニマル」。目撃者多数。チュパカブラが空を飛んでメキシコから侵入したのと期を一にして現れたこの「場違いな動物」、なんだか凄く似ている動物を見たことがあるような気がするのだがどうなんでしょう?はよーて、とかいったような???イギリスではクロコダイルやらカンガルーやらいろいろ見つかり続けているみたいですけど、だいたい逃げたペットという発想がないのが不思議・・・ていうかわかってて楽しんでるんですよね?というわけでお楽しみくださいませ。

以下KLTVの記事。ROOM322とかRENSEさんのところ参照。目撃場所の映像があるけど・・・いい環境ですねえ・・・

「なんじゃこのいきもの」

テキサス東部一帯で目撃されたミステリアスなもの



これは何の種類の動物ですか?

「見たところハイエナかグレイハウンド、病気の犬、うーん、怖い犬」TJCの学生リンゴン・ギルフォードは言います。ハリソン郡の男性がこのスナップ写真を数日前に撮影しました。オンラインでつながっている数百の視聴者の方々に最新ニュースとしてこれを見せご意見を伺いました。答えは多岐にわたりました。ペルーの毛の無い犬から脱毛狐、オーストラリアのディンゴ等々。今日通行人にこれを見せてインタビューしたところ、同様の反応が返ってきました。一人の女性は「ジャッカルとグレイハウンドの雑種でしょうね」と答えました。他の男性は「醜い動物だね、馬ではないと思うよ」。「病気に見えるね」また他の人はそう言いました。何人かの方は私たちにこの動物がいわゆる「チュパカブラ」に違いないとメールされました。チュパカブラとは「山羊の血を吸うもの」という意味です。プエルトリコのフォークロアにある架空の生き物のことです。ググってみると多くの似た写真が見つかりました。テキサス国務省健康課の人獣共通感染症担当医、ジェームズ・ライトはこの動物がチュパカブラだという説には否定的です。「そうですね、これがよそから入ってきたものだとするならば、私は犬科の動物であるとみますね。宇宙から来たものではなく。」彼によればこの動物は酷い疥癬にかかっている一種の犬かコヨーテであると思われるそうです。「殆ど確実に、これは毛包虫症のせいでしょう」彼によるとこの病気はとても酷い脱毛を伴なうそうです。ライトはこの生物が数ヶ月前アンジェリナ郡のラフキン近くで見つかったものによく似ていると言います。ラフキンの動物も専門家の間では激しい疥癬があるイヌ科の動物だと考えられています。ライトによればこのミステリーは解決済みといいますが、ハリソン郡の動物は果たして犬科の動物でしょうか、決めるのはあなたです。(KLTV2005/8/3)

近似する動物についてはROOM322にリンクがまとめてあるのでそちらを見て。この動物は2004年の始めごろに初めて目撃されたが、一人の目撃者によるとそのときは青味がかったグレーだった。しかし最近その人が再度目撃したさいには、毛が抜け変わったのか(つか毛が無かったはずでは・・・)赤褐色になっていたという(早く捕まえろよ・・・)。チュパカブラ関連はもう噂が噂、憶測が憶測を呼んで「フォークロア」と呼ばれるようにさえなってきているし、ネットでは捏造写真が横行してもうわけわからん状態にあるけど、ただ一つだけ明らかなことがある。これはどう見てもアバダンの使徒ではない。弱そう。

チュパカブラについては、about.comのパラノーマル関係の情報の中にジャージー・デビルや伝説上の生き物との共通点の比較記事がある。ここのリンクからは更に詳しい情報(たとえば)が読めるので興味があればどんぞ。
<チュパカブラ部分の抄訳>
チュパカブラと認識されるものが最初に登場したのは1975年夏、プエルトリコでである。数匹の家畜の死体が発見され、いずれも首に奇妙な刺し傷があった。90年代には俄かに食欲が増したのか目撃例が激増している。これらキャトルミューティレーション(注)に酷似した家畜大量虐殺が全てチュパカブラのせいと考えられた。肉は一切手がつけられずただ血だけが全くなくなっていることから「山羊の血を吸うもの」チュパカブラと呼ばれる。1991年の雄犬の事件については「まるで体内の全てのものが目から吸い出されたように見えた。空の眼窩があった。内臓は全て失われていた」とレポートされている。

(注:そのまんまだが家畜虐殺事件のこと。夜の間に牧場の家畜が何匹も殺されるという。70年代に矢追さん番組で有名になった。しばしば家畜でないものも・・・眉唾だが「人間」についても・・・殺されることがあったという。鮮やかに体の一部(目玉や首、肛門と直腸、生殖器など)が切り取られ持ち去られている、血が一滴も流れていないなどの状況証拠から、かつてはUFOに乗った宇宙人が実験のためサンプルを採取して廻ったと思われていた。今は悪魔崇拝者の儀式や未確認の肉食獣による捕食行為など複合的な要因によるものと考えられている。アメリカ西部でさかんに取りざたされていたが、のち世界中で確認されるようになったそうだ。チュパカブラはこういう背景の上にかっこうの犯人像として注目されるようになったわけである)

このような大量虐殺はしばらくプエルトリコ島内でしか発生していなかったが、90年代の終わりから2000年代にかけてフロリダ、アリゾナ、テキサス、メキシコ、中米、南米(チリ)やカリブの島々でも報告されるようになった。チリでは4月から6月にかけてチュパカブラを捕獲したというニュースもあった。そのチュパカブラはアメリカ政府機関によって持ち去られたとも言われる。この時期のチュパカブラに関する描写はかなり明確に残っている。いわく、

・身長3~4フィート(1メートル前後)
・顔の表皮は暗い灰色
・体には粗い毛が生えていて、いくつかのレポートによると体皮をカメレオンのように紫や茶色や黄色に変えることができる
・黒、あるいは朱色か赤い目
・狼か犬に似た鼻
・鋭い牙
・三本指の鉤爪のような「手」を持った短い腕
・鰭かスパイクか襞のようなものが背中に一列に並んでいる
・強そうな二本の脚で立つ、鉤爪を持った足
・カンガルーのように、歩くよりも地面を蹴って飛び跳ねる(少なくとも1回のバウンドで20フィート(6メートル強)飛べたという目撃談がある)
・いくつかのレポートでは飛べるように蝙蝠のような翼があると報告されている
・目撃者に不快感を与えるヒス・ノイズをたてる

(個人的ぼやき:あきらかにオウルマンやモスマンやジャージー・デビルなど既出の幻想動物のイメージが重ねられている。もちろん、宇宙人グレイもだ。グレイの顔をしたカンガルー型の獣という見てくれが今や定番となっているが、そういう全ての属性を備えた姿がきちんと写真に捉えられたものはさっぱり出てこない。)

今もチュパカブラ(ス)現象は続いている。最新の襲撃はチリで報告され、これは継続中である。2002年2月、目撃はされていないが、何羽もの鶏が血を吸われ殺されたのはこいつのせいだ、と非難されている。(about.com)


2005年08月10日

終末論的チュパカブラス、その恐るべき予言?

言論の自由とはまさにこのことだ。チュパカブラ=聖書の悪魔「アバダンの使徒」という妙な言説をネットラジオで放送できるというのも言論の自由のおかげだ。悪魔崇拝者が世の終わりを唱えいたずらに人心を惑わすのはもうミレニアム騒ぎで勘弁・・・といった感じにはならないのがキリスト教国家の宿命なのか。家族内で解決してくれ、という気もするコラム記事でもあるのだけど・・・ちなみに写真はその悪魔のものというのだが・・・以下やや意訳気味。中に出てくる聖書の日本語訳はちゃんとしたところから別途引用させていただきました。

「それはまさに黙示録から飛び出した世の終わりの悪魔」

先週Aaron C. Donahueのカメラの前でポーズをとりウェブサイトの一面を飾った悪魔は、この日曜日、Glasya-Labolas、即ちGoetia(注:悪魔召還の書)に記された第25精霊であり、まさに黙示録から飛び出した生き物であると特定された。ドナヒューは言う、この霊体は彼のベースを通り抜けるとき奇妙に動く目立つ鼻があるのが見えた。悪魔召喚の儀式の後に現れており、この惑星に終末をもたらすにあたって作られた特別な悪魔なのだという。彼は南アメリカや北アメリカの一部の人々に広く目撃されているいわゆる「山羊吸血鬼goat sucker(注:チュパカブラの英訳)」と呼ばれる生き物は、この霊体であるという。世界の他の地域では奇妙な犬のような生き物が目撃されているが(注:黒犬獣系の動物や「場違いな動物」系のUMAを指していると思われる)、これらについてはそう特定はできない。数年前、ドナヒューが廃墟で呪われているとされるフリーメーソン寺院でGoetiaの精霊を召喚したとき、一連の遠隔透視によって描いた中でGlasya-Labolasについてこう書いている。

「私はいなごのような存在が地球から「飛び」出していくのを見た。彼は男たちを咥えている。この夢はとても恐ろしいが、彼らは男性の病気は別として、未だ自然界の一つのものにも害を及ぼしてはいない」

もしあなたがドナヒューのこの霊体の写真を調べるならば、何か猟犬のような顔をして、しかし上「腕」に長いものがついていて、羽根がある鉤爪もしくは翼を持っているであろうことがわかる。下「肢」はいくぶん鳥のような外観を持った鉤爪の上に伸びている。ドナヒューと彼の姉妹(ジェニファー・シャープ、日曜のショウの主催者)は黙示録の9章よりこの悪魔と、共にやってくる生き物の軍勢に関する描写を引用している。詩にはこうある。

「一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。 そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。 いなごは、地や草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。 殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。 」
訳参照)

ドナヒューはこれらの言葉を書いた預言者が「時の終わりからの怪物」のビジョンを持っていたと語った。彼は、生き物が7つの封印の6つ目の始まりの後に姿を現すと語った。人々がこれを目撃しているということは既に6つ目の封印が解かれたことを意味している。もうあと少しの時間しかない。ドナヒューは、悪魔が地球に好意的であり、この惑星を救うために戦っているのだからといって、人々が好意的な霊体として彼らを考えるべきではないとリスナーたちに警告した。「これはあなたの友達ではない。そんなことは問題ではない。しかしもしあなたが緑への愛を持たない人々の一味なら・・・もしあなたが私利私欲のために母なる地球に害を及ぼしている人々の一人なら、この生き物はもうじきあなたを迎えに来る。そしてあなたは想像も及ばない苦しみと痛みを経験することになるだろう。」ドナヒューは言う。黙示録の話はキリスト教者の嘘を支持するように捻じ曲げられている。例えば、いなごが「額に神の刻印を押されている」人々を刺さないだろうというくだりは、第三の目のことを示している(注)。言い換えれば、正しい魂の道にあり、ルシファーの真実に気づいている人々はこれらの生き物に切り裂かれまいということだ。

(注:神秘主義者が主張する、人間が額に持っている「超能力センサー」のこと。ムカシトカゲの額にかつて目のあった痕跡が認められるという古い学術的発表に基づき、人間にも第三の目があった(ある)と主張。謎の器官と「されていた」松果垂体にその主体があり、「覚醒」によって開くことができると言われる。発想の源流はお約束どおりインド、ネパールあたり。主に女性や仏陀がつけている「額のしるし」ですな、キリスト教と何の関係があるんだ。ちなみにムカシトカゲなどの動物の「第三の目」にかんしては一般には熱感センサーであると考えられている。)

Glasya-Labolasに関するドナヒュー・オリジナルの話について、私はこう書いた。我々は恐らくこの悪魔の存在を「サソリの刺し傷の痛みを引き起こした一種の病気」として意識し、それを実見することは難しいと思うと。私は昔の魔術師がこの精霊をドナヒューのように明瞭に見ることはできなかったと書いたが、彼らは接近はしている。「それをグリュフォンの翼を持つ犬のような動物と描写した。もしあなたがドナヒューの写真にある生き物の頭部を近く見るならば、その見た目がある種の猟犬とやや類似していることがわかるだろう。しかしながらそれは頭上を大きく飛び越えて、ベースから遠くへ去ってしまったのだ。」Glasya-Labolasは不和と流血を引き起こす能力でよく知られている。人間にまったくの愛情を持っていないのだから、世界の動物のどれかに害を及ぼす前に真っ先に、人間を殺すだろうに。(James Donahue)


・・・読めばわかるとおり、チュパカブラとアバダンの使徒の一致の根拠となっているのは、この変な写真(チュパカブラにも見えん)を除けば結局「アーロン・C・ドナヒュー」が唱えていた「ビジョン」のみである。そのビジョンに沿って語っているのだから本当にアバダンの使徒であるかどうかも判別がつくはずもない。チュパカブラの刺し傷=病気説にさりげなく触れているジェームズさんもほんとはわかってると思うんだけど、実際どう思ってこのコラムを書いたのだろう。

:顔だそうです。犬じゃないやん。人には見えるけど・・・単なるお化けだったら戸惑ってるだろうな、本人。

息子アーロン・C・ドナヒューのサイト(泣)。若いっ。ウンモ星人だあ??ニッポン大好き。テレビ朝日にも出たよ。他の写真も載ってるよ(めんどくさいので転載はしない)。オーブの写真も(めんどくさいので転載はしない)。幻視図もあるよ(めんどくさいので転載はしない)。

ジェームズ・ドナヒューのサイト。親子揃って・・・


2005年08月09日

んん~??龍の写真??

またX51ですごめんなさい。

「ヒマラヤ上空で龍らしき物体を撮影か チベット」

チベットのヒマラヤ上空にて、龍らしき物体が撮影され、話題を呼んでいる模様。2004年6月22日、写真の撮影者はチベットのアムド地方へと旅行し、帰国途中、飛行機の中からヒマラヤを写真で撮影、その中に偶然「龍」らしき物体が写りこんでいたという。その後、撮影者はそれらを「チベットの龍」としてウェブなどで公開した。写真に映し出された物体は、確かにウロコのようなもので覆われ、背に当たると思しき部分には背針のような突起物が見られる。また龍は一匹ではなく、雲の間を縫うようにして、二匹ほどの姿が映し出されているようである。(X51)


「大紀元」の元記事

<元記事より抜粋補足>

ある人がチベットの雪山を飛び越えるとき謎の二つの奇妙な竜状の物体を撮影したとして、ネット住人たちの強烈な興味を惹いている。この人はアマチュアカメラマンで去年6月22日にチベットの青海-西藏間を繋ぐ青蔵鉄道の開通セレモニーに参加したあと、拉薩(ラサ)から内陸へ飛行機で戻っていく途中チベット上空で偶然これを捉えた。彼はこれを非常に珍しいことと感じ、「チベットの竜」という名をつけた。証拠は写真だけだが、この物体の表面にははっきりと這って進む生物の特徴に似たものがあらわれている。即ち体つきにウロコに覆われた体表、背中に椎骨の飛び出るさま、更に徐々に細くなっていく体の後尾・・・部分だけしか撮影できていないのでこの二つの奇異な物体が何なのか不明だが、雲の中を飛行する巨大な竜二匹を彷彿とさせる。この写真はいくつかのサイトとフォーラムに貼り出され、ネット住人たちの好奇を呼び寄せた。ケンケンガクガクの議論を呼び、中には自然界の神秘に心打たれた者、偉大な中国を褒め称える者や未開の地域に巣くう未知の文明の存在への興味、言い伝えられてきた龍との類似を挙げ竜であってほしいとする希望の言葉などが見られる。しかし多くの人はこの写真の真偽を証明してほしいと願っている。

中国の神話では竜とは一種の神仙であり、妖怪的な動物でもある。それは普段姿を隠しており、春風の時に天に昇り、秋風の時には淵に潜む。雲を起こし雨を降らせることができ、皇帝の権力のシンボルとして、歴代皇帝は全て自ら龍を名乗り、器物を龍で飾った。山海経(センガイキョウ、中国の有名な「妖怪地誌」)にも記載されている。黄帝は龍に乗った。先人は4種類の龍を挙げている。ウロコのあるものを蛟(みずち、コウ)龍と呼び、翼のあるものを応龍と呼び、角のあるものは?竜(キュウ竜)、無いものは?竜(チ竜)と呼ぶ(注:このへん本草綱目にも載っている分類法だが言葉の混乱があり一様にこの定義では分類できない。どれも神仙の類いとして信仰されているが最終形態が応竜という説も根強い)。

文化的に言うと竜は中国の先賢たちのトーテムである。古代の王は竜に変化することができたといわれる。中国の殆どどの民族でも竜をテーマとする伝説や物語を持っている。竜船や竜型の灯篭で楽しく祭りをとり行い、天候が平穏であることを願う。本当にこういう動物が実在するのかどうかについては解けない謎となっている。歴代の記録の中にかなり多くの神竜の目撃談を目にすることができる。「竜にぶら下がる」といった怪しい事件や、何らかの特殊な状況下、天上の竜が突然地に落ちてきて衆人に目撃されるといったものだ。比較的近い目撃例としては満州国の時代に記録がある。1944年8月に黒竜江省の牡丹江南岸の陳の家の村に落下した烏竜があった。気息奄奄としていて、現地の村人たちは進んで体に水をかけてやった。そのときのことを伝える話には、この動物の頭には一本の長い角があり、体はウロコに覆われ、強烈な魚臭い匂いを発しだしてハエを大量に呼び寄せた。8、90年代に作家が調査したものが一冊の竜の専門書にまとめられている。竜という不思議な動物の出現と人間の交わりは時代の移り変わりによって変わっていく。このチベット神竜が確かに現れて、好奇心をくすぐったことは確かである。8月5日

:拡大画像

X51いいっすね、速いねーニュースが。私には「加工された」層雲にしか見えないんだけど、夢ですな夢。10日の東京福袋(英訳サイト経由で同じ大紀元の記事が引用)では氷河説が唱えられていたけど、それだとちょっと不自然に大きすぎる気もする。

UFO対UMA 白頭山大決戦

最近下ネタばっかで取りあげるネタがなかった東京福袋のブログ、なにげにUFOなんて取り上げてびっくり。しかも例の中国と北朝鮮の国境の神山での出来事だというのだ。

「北朝鮮の白頭山一帯でUFO目撃相次ぐ」

 北朝鮮を訪れた複数の韓国の観光客が白頭山上空を飛ぶUFOを発見し、つづいて中国側からもその場で怪しい光を目撃したという報告があった。
 韓国の聯合ニュース(注:現在は掲載なし)は中国の男性が7月8日、白頭山にある滝の上空に浮かぶ丸い物体の写真を撮ったと報じた。
 また韓国の写真家による撮影隊のメンバー、リー・マンウックさんは彼が撮影した画像をオンライン・ギャラリー"ePhotoart"に投稿した。その画像には白頭山の上を飛ぶUFOが写っている。マンウックさんはこの写真を7月19日に撮ったという。

 さらに韓国のシンハン銀行の職員ユン・テウンさんは通信社に対し、6月に奥さんが撮った写真の中にUFOを見つけたと語った。「他の人はこれはツバメだと言うけれど、私には鳥に思えないんですよ。」とテウンさんは語る。
 学生のチョイ・ジョンヨンさんは6月16日から17日にかけてこの一帯を旅行した折、同様の写真を4枚撮っている。
 「この物体をUFOと断定するのは難しいけれど、同じ一帯で複数の人が目撃しているのは不思議です。偶然の一致とは思えません。」と名前を明かさない42歳の会社員は語った。(tokyo fuku-blog)


原文farshores.org。こちら
元記事コーリア・ヘラルド(同文)。こちら

こんな記事、気が付かなかった(苦笑)湖水に棲む水怪でも知られる白頭山のUFO目撃談である。写真がかなり芸術ぽいというかなんか加工気味なのが気になるし、観光客が騒いでるだけというのもなんだかなという感じだが、メキシコのUFOくらいには信憑性はあるかも。北朝鮮の新型兵器だとしたら・・・


2005年08月08日

空を舞うもの・・・今度は「ワーム」

クリッターの仲間出現か??メキシコシティで妙なものが撮影された。フライング・ヒューマノイド、フライングフィッシュ(ロッド)、そして今度は巨大な「ワーム状のもの」である。空にはいろんなものが浮いている。

x51から。

謎の糸状未確認飛行物体が撮影される メキシコ



rense】先月4日、メキシコシティにて、まるで回虫のような姿をした糸状の未確認飛行物体が撮影されたとのこと。撮影者のフラヴィオ・アルカンタラ氏によれば、物体が現れたのは午後1:57分頃、黒く巨大なその姿を自由自在に変形しながら飛行していたという。またほぼ同時により小型のUFOもその付近に現れたと語っている。「奇妙な物体でしたが、不思議と怖くはありませんでした。とにかく興奮して、アドレナリンが大量に出ましたね。実はこれまでにも何度かUFOを見たことがありますが、私自身の見解としてはあれらの物体は宇宙から来ているものなどではなく、地球上のどこかから飛んできているんだと思っています。」

:赤丸が小型UFO?

そう語るフラヴィオ氏は、確かに、今年5月にもメキシコシティ上空で奇妙な物体の撮影に成功している。物体は白い有機体のような形で、その姿を自在に変えながら飛行し、白い小さな球形の物体を次々と排出していたという。

:以前ニュースでも流れた映像。



そして今回フラヴィオ氏はこれらのビデオを研究センターに送付し、今後ビデオの研究が行われると共に、その様子がメキシコの国営テレビで放映される予定である。

実はこうした物体は一昨年の7月にも撮影されている。ホセ・エデュアルド・ディアズ氏がメキシコシティの上空で撮影した物体はあたかも”襟首”のような環状の形で、姿を自在に変えながら、小さな黒い球形物体と共に飛行していたという。



「物体は最初、輪っかのような形をしていましたが、まるで物体それ自体が編み物のように姿をコロコロと変えていました。また物体からは小さな黒い球のようなものが排出されていました。一体何だったのか分かりませんが、とにかく驚くべきものでした。」

またメキシコシティでは近年、これまでに目撃されていたような"既知の"UFOの姿からはほど遠い、奇妙な形の物体が他にも多く撮影されている。それはフライング・ヒューマノイドや、球形飛行物体、今回報告された不定形な有機体的飛行物体などである。(x51)


・・・しかしなあ・・・風のある日とかよくビニールハウスとか紐とか飛んでるよなあ・・・更に言うならこういう紐状の飛行物体のニュースって70年代くらいに一度流れたことがあるような覚えがあるんだけどな。同じような数珠のような感じの。糸、ってあるから一瞬エンゼルヘアーかと思うがそういうもんとは違う感じではある。

また奇蹟のキリスト像

キリスト像が開眼の“奇跡”…しかし教会関係者は冷静

米ニュージャージー州で公営団地の一角の祭壇にある目を閉じたキリスト像の右目が、ある日突然見開いた状態になり、近所のカトリック信者の間で「奇跡だ」と話題を呼んでいる。まぶたの部分が風雨にさらされてはがれ落ちたか、誰かが削り落としたとみられるが、信者らは「何か良いことが起きる前兆だ」と大興奮。しかし地元の教会関係者は「こういう話は時々耳にするが、大抵はちゃんとした理由がある」と“奇跡”にも冷静だ。(ニューヨーク共同)ZAKZAK 2005/08/05

以下、元記事に近いもの。abcのニュース。

信心者たちが偶像は「生きている」と主張
~ニュージャージーで何十人もの信者が朝から寝ずに像の近くに集合。彼らは口々に言う・・・復活だと。

Hobokenのジャクソン通り公営住宅団地の外側にある「キリストの聖心像」は生誕の場面の中心をなすものである。何人かがこの像が右目を開き群集に向かって頭を向けるのを見たという。彼らの多くはこの出来事をドラッグと暴力のような問題からこの近所を救うために顕れた奇蹟だと呼んでいる。(Hoboken-WABC, July 29, 2005、abc7)


・・・ま、開いたとも壊れたとも、どちらともとれるような像の作りのようで、頭を動かしたというのは集団催眠的な感じもしなくもないが、ほんとこういうニュースが頻発しているってことは余程人々が不安の中に生活しているのだということを示していると思う。アメリカでさえ。



2005年08月05日

十二番目の惑星まで??

ひさびさにananova見たら1日の記事で十一番目の惑星発見に加えて十二番目の惑星発見のニュースが載っていた。記憶にない。小惑星として伝えられたのかな?いちおうログっておきます。十個目の印象が強烈だっただけに、なんだか扱いが・・・

「新惑星発見」

二つの新惑星が太陽系で発見された。一つ目は米国天文学者のマイク・ブラウンが発見した。ブラウンは生まれたばかりの娘にちなんでライラと命名した。ライラは太陽から970億マイルの距離にある。

二つ目の惑星はスペインのチームが発見した。サンタは、直径ちょうど930マイル、1つの月を持っている。(ananova)

巨人、骨になる(延長なし)

バングラディシュの大新聞ザ・ニュー・ネーションが「巨人人骨発見」のニュースを掲載していたとプレイボーイ日本版に書いてあった。4月22日発行というがサイトを見るとこの日にニュー・ネーション紙が発行されていた形跡がないのだが。さっそくネットで見ると・・・おい、去年の4月22日じゃねーか!しかも去年のニュースとしてネット検索するとかなりいろんなところに当たるぞ。

「サウジアラビアで巨大人骨発見!」

サウジアラビアの南東にある砂漠地帯”ラブ・ウル・カハリ(からっぽな地帯)”で事件は起きた。天然ガス採掘会社”アラムク”のスタッフが作業中、地中20メートルほど掘り進んだところで、巨大でおびただしい数の骨らしき物体が次々に出土した。同社の現場スタッフ、アル・ザヒリ(32歳)は語る。「もしかしたら・・・と思いました。地元ではこんな伝説があります。巨木を片手で軽々と引き抜いてしまうほどの巨人たち、アアド族がかつて存在した。しかし、アアド族は神にそむき、神を愚弄した。そのため神は怒り、彼らを破滅させたのです」発掘作業が進むにつれ、肩甲骨、胸骨、背骨、腕骨、頭蓋骨が次々に出土する。人間の約20倍の大きさであるという以外は、ほぼ完璧な人骨である。推定身長は焼く25メートル。現在、”ラブ・ウル・カハリ(からっぽな地帯)”はサウジアラビア軍の管理下に置かれ、立ち入り禁止となっている。(4月22日付バングラディシュ「ザ・ニュー・ネーション」/プレイボーイ日本版2005年8月16日号)


ちなみに温度差を示すため直訳ものせておきますか。ラブ・ウル・カハリRAB - UL -KHAALEE・・・ルブアルハリ砂漠のことだよ!

「サウジアラビアで巨人の骸骨が発見~リヤドRiyadhから」
By Saalim Alvi from Riyadh
Apr 22, 2004, 12:04

近年ガス採掘はサウジアラビア南東部の砂漠にまで及んでいる。この砂漠地帯はアラビア語でルブアルハリ、からっぽ区域Empty Quarterという意味の言葉で呼ばれている。このボディはARAMCO採掘チームによって発見された。これはAAD国とhood国の人々について、アラー(SWT)がコーランを通して語った話を示唆している。彼らはとても背が高く、肩幅が広く、とてもパワフルで、巨木をひょいと片手で抜くことができるほどであった。しかし、誤った道を歩み、アラー(SWT)に背いたため、アラー(SWT)は国ごと破滅させた。サウジアラビアのULEMA KIRAM はこのボディがAAD国のものと信じている。サウジアラビア軍はこの地域全域を管理下に置いた。そして、サウジアラビアのARAMCOの人間を除きこの領域への立ち入りを禁止した。サウジアラビア政府はこれを機密事項として隠蔽していたが、いくつかの軍用ヘリコプターが空撮を行った。その乗務員の誰かがサウジアラビアからインターネットを通して情報を漏らしたのである。
© Copyright 2003 by The New Nation


・・・しかし何度も書くうちにこの話、よくある神話だよなと・・・聖書やギリシャ神話にそっくりな話があったような気がするんだけど。強い人間を神が叩くというのもパターンだ。プレイボーイ誌上で既にこの筋の権威並木伸一郎氏によって偽物と断定されているわけだが(そりゃ25メートルが直立すれば足骨が支えきれないわな)、写真のインパクトはそれなりにある(誌上写真の提供元が並木氏なのはなぜ?)。Wired Newsとして楽しんでおきましょう。プレイボーイは世界中の巨人伝説をついでに載せているので見てみても面白いかも。世界中に巨人がいたんだ、と感心するもよし、世界中みんな考えることはいっしょだな、と思うもよし。以下の記事も載せてありました。同じものを示しているはずなのに・・・この新聞はweb化されてません。

巨大な人骨は西インドの砂漠地帯で発見された。インド政府はその地域を封鎖し、インド軍の管理下に置き立ち入り禁止区域に指定している。インド政府は、この巨大人骨の発見について固く口を閉ざしている。本紙が独占入手した情報では、巨大人骨のそばでサンスクリット文字が刻み込まれた石板が発見された。どうやらその石板がこの巨大人骨の謎を解くカギになりそうだ。石板にはこう刻まれている。”はるか昔、ラクシャサスと呼ばれる巨人族がいた。しかし神にそむき、その報いを受け排除された”と。(5月10日付「ニューデリー・クロニクル」」/プレイボーイ日本版2005年8月16日号)

・・・とまあついでにクリプトズーオロジイドットコムを見てみるとこっちにも載ってましたわ。

・・・そして種明かし。じつに明快でございます。


「この写真はもちろんNYのハイドパークそばを2000年9月16日に空撮したものにすぎない。ここはPaleontological Research Institutionとコーネル大学地球科学部によって発掘された場所で、彼らが見つけたものとはマストドンの化石なのである」

:アメリカマストドン

このサイト主、怒ってます。なんで「ザ・ニュー・ネーション」たる大新聞がこんな捏造写真を載せたのか。答は並木氏が言ってます。「タブロイド紙でしょ、WWNみたいな」Wired News、Wired News。頭冷やそう。


2005年08月03日

パレルモの魔女の落書き

ここに書くのは可愛らしい魔女が箒にまたがって男の子を助ける物語に関するエピソードではない。知識や智恵を持った者が「魔女」の烙印を押され殺された時代の遺物に関することである。

パレルモというと修道院地下の生き身のミイラ安置所で有名だ。といってもここは神聖な場所であり肝試しのホラースポットなんかではない(勘違いした日本のテレビ局が昔はよく取材に行っていた)。いくつかのキリスト教国家では魂の抜けたはずの屍骸がなぜか物理的に神聖なものとして扱われている。イタリアには特に多く、この修道院の長大なカタコンベは一例にすぎない。人骨で出来た聖堂を見たことのある人もいるだろう。即物的な肉食民族の国民性でもあるのだが、中国だって日本だってそういう例がないわけではない。高僧の即身仏を崇める感覚だって似たようなものだ。アメリカで一般的な屍骸のいわゆる「防腐処理」然り。生前の姿をできるだけ留めておきたいのは本人の願望以上に周囲の切実な願いでもある。この尊厳的行為の結果をショッキングホラーで片付けるのは阿呆のやることだ。

さて話がずれたが、以下に引用するのはAnsaの記事である。若干意訳。

「魔女の落書きがパレルモで発見~女たちは4世紀前異端審問で裁かれた」

4世紀以上前、異端審問によって断罪された女性たちが火刑を待つ間パレルモ刑務所に残したのは、印象的な一そろいの落書きだった。この火曜日に考古学者たちが発表した。

最も新しい落書きは恐怖の異端審問の行われたパレルモの古い建物の修復工事中に発見された。そこは異端を根絶する使命を課せられたカトリック教会の司法部であった。1601年から1782年まで、数限りない囚人が拷問を課せられ、また試された。この建物の未だ威容をはなつ巨大な施設の中で、である。そこに引きずられる者・・・異端者、占い師、冒涜者、悪魔の仲間と疑われた者は情け容赦無い異端審問によって生きて出られることはありえなかった。「事実、多くの犠牲者は教会が単に脅威と感じたインテリやアーティストだったのです」修復部長のドメニコ・ポリカルディは説明した。この構造物を博物館へ移す作業は昨年始まった。学部長のオフィスのスペースと引き換えにパレルモ大学の支援を含む800万ユーロの基金が使用された。1782年にヴィセロイ・ドメニコ・カラッチョーロは全ての異端審問の文書を燃やすように命じたが、歴史家たちは数百もの落書きがこの構造物で行われた行為をいくつか解明することになるかもしれないと言う。修復作業者が、不運な「魔女」が尋問者に対して残した侮辱の言葉の上に、明らかに呪いを覆い隠す目的で塗られた白い漆喰を擦り取ったとき、最も新しい碑文が発見された。それは一階にあった。「この構造物は驚かせることを止めません。大学は並外れた遺産を保存するために考えられるすべての手段を尽くすと誓約します」ジュゼッペ・シルベストリ学部長は言った。

刑務所の敷地の別の1区画で以前公開された落書きは多彩な図像や文章を含んでいる。シチリアの地図、宗教画、救いや許しを乞う詩や絵を見ることができる。(8月2日パレルモ)


魔女裁判は未だにイタリアの宗教界に暗い影を投げ落としている。オカルトとはくれぐれもこういうものだ。血生臭く、因習的で、しかも多くは「政治」に裏付けされている。オカルト話をそのまま鵜呑みにしてはいけない。楽しむために、フィクションとして扱うならともかく、本当にそういうことを信じようとするのなら、多角的に見、裏の裏を読んで分析することは大事である・・・スケプティカルな立場をとるかそうでないかに関わらず。


2005年08月01日

キリストいろんなところに出まくり

またかいという感じですが場所が場所。ロイター(本国/UK版)に掲載。exciteが訳してくれてるのでそのまま転載。画像は探しましたが(無料では)ありませんでした。残念。

木にキリストの顔が現れる


[サラエボ 29日 ロイター] 枝を切り取った木の切り口にイエス・キリストの顔と見られる模様が現れたとして、この木を一目見ようとボスニア北西部の町に多くのキリスト教信者たちが訪れている。

「キリストの顔」は、近くで見るとはっきり分からないが、木から2~3メートル離れて眺めると顔に見えるとのこと。地元紙が伝えたところによると、枝が切り取られたのは約1年前のことで、顔が現れたのは最近のことだという。

無神論者は単なる「造化のいたずら」だとしている。しかし、熱心なキリスト教徒達は木を眺めに連日のように訪れている。信者達はロウソクに火を灯し、ひざまずいてお祈りを捧げ、お金を置いていったり、木の皮を剥いで家に持ち帰ったりしているという。地元教会のバシリジェ司教は、木を傷つける行為や、お金を置いていったりするのは止めるようにと信者達に忠告した。

(excite)


2005年07月29日

ぶよぶよ

なんじゃこりゃ。7/27のニュース

自己治癒能力を持った謎の生命体「太歳」を発見か 中国

【温州网】中国は広東省佛山市、南海区獅子山にて、石のような姿をした謎の物体(写真)が発見され、伝説的に知られる謎の生命体「太歳」ではないかとして、話題を呼んでいる模様。調査に当たる研究者らによれば、物体は重さ2kg、丸みを帯びた形をしており、表面を傷つけると粘液のような物質が身体から滲みだし、自己治癒するという特殊な能力を持つという。(X51)

原記事

シンハネット

また活動を活発化しだしたX51から。かなり詳しく説明されているのでぜひ向こうの記事を読んでください。川でみつかったそうで、土中に存在し掘り出されると災厄をもたらす、でも不老不死の妙薬でもあるブヨブヨ生命体「太歳」(屍骸の成るという「ハク」に似た感じですな)とはまた違うような気もする。きもい。でもこのきもさは海でナマコやアメフラシを見たときのきもさに似ている。川に棲息する新種のナマコだとしたら凄え!山中に生える変にでかい菌類、キノコをみつけたときの感じにも似ている。でも川ですしねえ。2キロというのは大きさに比べてかなり重いので、キノコ説は否定されるのかなあ。記事に大袈裟な見解が入っていたとしたらたんなる何らかの無生物・・・昔よく「太歳」と間違えられたというゴムや樹脂や腐乱物の塊・・・の類いである可能性もある。色はフルーツっぽいなあ。黒や茶色、灰色というのが「太歳」の色とされているので、この黄色っぽい色は何か違う感じがする。切れ込みはイモ貝みたいな入り方をしているけど口というにはちょっと生命力が感じられない。つかほんとに生命?つか昔報道された「水中で燃える(萌えるではない)石」みたいな不法工業廃棄物のたぐいじゃないだろうな。。たぶん中国だから続報はないでしょうなあ。

太歳が日本でも発掘された、という話は中国伝来の可能性が高い。日本の妖物伝承にそのては実に多いのだ。始皇帝をだまくらかした徐福が不老不死の妙薬の主材料として挙げたのもこの太歳なるものであったといわれるが、サルノコシカケか何か所謂「レイシ霊芝」と呼ばれる菌類だったと考えられている。よく知られるとおり菌類は地下で大きな塊を作ることがある。さて徐福が不老不死の妙薬を求めて日本に来たという伝説は有名だが、そのときに既に知識としての太歳が伝来していたとしたらもう、長い間に日本化が進み、全く別物をその名で呼んだ可能性もあろう。違うものを見た目でその属性・・・不老不死や厄物など・・・を持つものと認識することだってあったろう。勿論中国でもそうであるように、他の理由により太歳と呼ばれるようになったもの(危険物・犯罪関連物埋蔵場所や土葬墓場など、明確なタブーをともなう「物体」)もあるだろう。中国でも日本でも、物知り爺さんが「これは何々じゃ」と言って奇妙な解説をするパターンのお話が古今数多いが、くせもの。じーさんが言ったからほんとだ、というのはまちがい。少なくとも現代、じーさんと言っても昭和生まれが多いわけで、昭和といったらもう機械化された大戦争やらかした時代ですよ。素朴な農民だってラジオを持ってるしグリム童話を昔話として子供に聞かせていた時代、もうかなり「伝統的な伝承」というのは失われていた時代なわけで。

の一方でシンハネットに特集記事があった。かなり詳しい(読むの面倒だから読みたい人は勝手にどうぞ)。ここに出てくる画像を転載しておこう。新聞系のサイトはいつリンク切れるかわからんからな。

内モンゴル産の「擬似太歳」太歳ぽいもの。

うんこ。もといこれも擬似太歳。オイルの塊や汚泥を思わせる。

最も今回のものに近い色であるが、より物質的だ。牛皮のような筋があるというが鉱物的な層にも見える。今回のものにやや近い感じはする。これも内モンゴル産。

いずれも最近(1999年以降)みつかったもので、それ以前のものだと更に数もバリエーションも増えると思われる。いずれにせよタイサイなる言葉はかなり広いばっくりした定義のものといえそうだ。

 

赤い鉢巻きの男~お祭り好きなのか?違うわ!

farshores.orgの調子がどうも悪い。また、ここの話題は欧米中心なので、旧植民地周辺以外の例えば中国なんかの情報には疎いようだ。ぶにょぶにょも海ワニもアップされていない。でも今日の午後に回復したのであけてみる。babel fishで日本語訳ができるようになっていてびっくり。もっとも、英語である以上日本の翻訳サイトを使えば別にこのサービスを使う必要もないわけだが、ハングルも中国語も対応しているのがミソか。ま、そこで古いクリプトズーオロジイの記事を見ていると面白い記事があった。4月くらいに書かれたもののようである。全文忠実に?訳すのはいいかげんうざいので抜粋をてきとうに書きます。

「火山噴火がコモロ諸島の伝説に新たなひねりを加える」

ロイター IDGIKOUNDZI, Comoros

「赤い鉢巻きRed Headband」・・・彼を見て生き残った者はいないという。だから先祖の誰が彼の存在を確かめたのかは雪男やネッシーの正体同様永遠の謎なのである。はっきりしているのは4月17日の大噴火で伝説に新しいひねりが加えられたということだ。有史以来、悪霊が赤い鉢巻きを締めてジャイアント人間として現れるという伝説が語り伝えられている。それはKarthala山頂上のクレーターを徘徊するといわれる。背の高さは家より高いという話もあればドワーフ(小妖精)程度というあてにならない説まである。なんでまちまちかって、彼が非常に遠くからしか目撃されないからだ。「村を離れた住民が帰ってこないと「赤い鉢巻き」を見たと疑われるんだ」イブラハム・アリは60歳になる。噴火で夜のようになり真っ黒な雨が降ったIdgikoundziという山村からやってきた農夫だ。「見たという人はいるよ、巨人だったってね」コモロ伝統の綿のローブを身にまとった他の長老とともに座っている。何世紀も前にylang ylangやバニラを求めるアラブの商人が持ち込んだイスラム教の信者たちだ。トタン屋根の家の中、山羊がメーメー鳴いて鶏がこつこつ床を突っつく・・・そんな雰囲気の中で一部の人々の間に脈々と息づく伝説が語られる。最も有名な犠牲者の話はこれだ。「昔々、7人の猟師が山頂近くまで鹿を探しに出かけた。すると後日彼らのガイコツが見つかった。地元の人々はそれを岩で覆い隠した」山腹から噴出する有毒ガスは1世紀前に17人を殺した。アフリカ東岸沖、大コモロ島を見下ろすこの火山が定期的に噴火を繰り返すこんにち、災厄が繰り返されることを人々は非常に恐れている。でも先祖達は灰が首都モロニの空を曇らせ熱帯のスパイス植物の肥料になる、この火山に住む人々を見殺しにはしないだろうという。「もし誰かがあそこで死んだなら、赤い鉢巻きに殺されたに違いない」アリは岩の上に座って語る。雲で覆われた頂上と直下の海に雪崩れ込む古代の溶岩に覆われた川に目をやりながら。こういう伝承は火山帯に住む人々には一般的なものだ。だがコモロの伝説がユニークなのは、地質学上の大事件、アフリカ大陸を南北に引き裂く痙攣が3000万年以上前にいわゆる「大地溝帯」を形作ったときの記憶が生活の中に今だに息づいている点にある。

コンゴの精霊、タンザニアの神
火山噴火は地質年代でいうと僅かな間隔で発生しつづけるが、緩慢なプレート褶曲を引き戻す軋轢や痙攣はその頻度から滅多に部族文化に影響する例はみられない。東コンゴ民主共和国の長老たちは、祖先の悪霊がNyiragongo火山の溶岩の中に住んでいて、2002年1月の爆発によりゴマ市の大部分を殲滅したと非難した。山頂の上に白い姿が浮いているところを目撃されることがあるという。この説明は彼らがいくら旧ザイールで何年も続く内戦で死んだゴーストたちの復讐だと言っても、単純に古くから炉辺で語り伝えられてきた物語と伝統的な祖霊信仰の焼き直しにすぎない。赤い服を着るケニアとタンザニアのマサイ族は火山に挟まれた大地溝帯の底で牛を曳いて暮らす遊牧民だが、特に目新しい伝承は持っていない。マサイの伝説によると平原の向こう側を放浪していた巨人がつまずいたとき、首都ナイロビ郊外にあるNgong丘陵が形成されたという。彼の拳の指関節の跡が地面を丸く削った。実に何世代も前の話である。山々には変化は無い。隣接するタンザニア北部ではOl Doinyo Lengai火山が未だ活動中であるが、マサイはこの山を神の家としてずっと崇め続けている。ここにも何ら新しい変化はない。地質年代上において既に岩とマグマの激烈な破砕により出来上がってしまった他の国と異なって、コモロは現在進行形で火山神話が形作られるまたとない好機を与えられた土地なのである。

7人の猟師の墓はここにしかない。

10年に及ぶKarthalaの最初の噴火によりクレーター側壁が溶岩の煮える大釜の中に崩れ落ち、1万人の人が避難を余儀なくされた。戦士の安息所は破壊されたかもしれない。何世紀も前の死者に激烈なエピローグをもたらしたかも。「我々は彼らが最後の爆発によって葬り去られたかもしれないと思っている。」アリは語る。しかめっつらをした他の長老たちは、ただ首を縦に振るのみだ。

2005年4月25日(ロイターの元記事は削除)

 


2005年07月28日

イギリス三大霊場が決定!

theSUNとWWNといったらタブロイド紙の代表格。元祖東スポのノリでウソホント入り混じった刺激的な情報を提供してくれる。問題も。

で、こんな記事。UK Hot! Newsの訳文から。

幽霊とUFO見るならここ!超常現象の多発地域が判明(27 July 2005)

 7月26日付「
サン」紙によると、幽霊やUFOなどの超常現象を目撃する確率が英国内で最も高い3地域が、最近の調査で明らかになった。いずれも3つの場所を頂点として結ぶ三角形のエリアで、英国版「バミューダ・トライアングル」(*)と言われている。(*フロリダ・バミューダ諸島・プエルトリコを結ぶ三角形の水域。航空機や船舶が突然消えてしまうことで有名)

 旅行会社「
スカイ・トラベル」が、超常現象ツアーの企画のため、その道の研究で有名な専門家に調査を依頼、判明したもの。

 1位はイングランド南西部コーンウォール州のペンザンスやセント・アイブス、ランズ・エンドなどを含む三角地帯。ここではUFOを目撃する確率が英国の全国平均の2倍、幽霊は同3倍となっている。ペンザンスにあるホテル「ドルフィン・イン」は17世紀、裁判所として使われていたが、ここでは絞首刑を宣告された船長の幽霊が出ると言われている。幽霊船が出ると噂されている入り江もあるほか、ネス湖のネッシーに似た「モーガウル」という巨獣や、フクロウと人間を掛け合わせた珍獣「オウルマン」の目撃談もかなり前から伝えられている。

 2位はイングランド北部のヨーク市とリーズ市、ハロゲート市を結ぶエリア。古代ローマ時代の兵士やヴァイキングの幽霊などが目撃されているそうだ。

 続く3位はイングランド東部のノーフォーク州。ここでは、不義の罪を問われた処刑されたヘンリー8世の2番目の妻、アン・ブーリンの首なし幽霊が出たり、幽霊を乗せたバスが走ったりするらしい。さらには、あるエリアを訪れた複数の人が古代ローマ時代にタイムトリップさせられる事件も起きているという。

 調査を行った専門家によると、特定の地域で多くの超常現象が起きる原因としては、過去にその場所で戦争や疫病の流行など悲劇的な事件が起きていること、またその場所の磁場や重力場になんからの変則的な要素があることなどが考えられるという。


・・・SUNはネットでは有料記事も多いのでWWNほどあやしげニュースをズルズル読むことはできないけど、やはり英国一の三流紙だけあって面白い。「3箇所選んだ」というのに「英国版バミューダ・トライアングル」とは・・・3地点結べばどこでもトライアングルだよ・・・だいたい日本もそうだけど狭い土地で長い期間に山ほど人が死んできたわけだから、あとは密度の問題なんだよな。あと、これは気をつけなければならないことだけれども、タブー視されて語られない密集地帯というものも存在する。最近のものではなく歴史的な惨劇ばかりがゴーストの名所として挙げられることが多いのはそういう理由によるのであって、ネットに出ないたぐいの裏情報ではそんな場所も(話半分だが)話題にのぼることもある。ここで挙げられた場所は「安全」が確認されているから旅行会社のツアーに適しているという選定基準もあったに「間違いない」(今はやりのギャグ)。??

2005年07月26日

中国にブロブ出現!

中国情報局のニュース。台風で怪物もなんぎ。シンハネットの原文記事はこちら

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「巨大怪獣」出現:体長12M、台風去った海辺に
2005/07/26(火) 12:10:35更新



  今月19日から20にかけて中国各地に大きな被害をもらたした台風5号「ハイタン(海棠)」が去った後、浙江(せっこう)省・寧波(ニンポー)市の海辺に「巨大怪獣」が出現した。台風の大波で打ち上げられた海洋生物とみられるこの「怪獣」は、体長12メートル。推定体重は約2トン。巨大なワニのような風貌だが、すでに腐乱しており、「その正体を確かめることは専門家でも難しい」という。26日付で北京晨報が伝えた。

  この「怪獣」が寧波市北侖春暁鎮の海岸で発見されたのは、20日昼ごろのこと。発見したのは付近に住む漁民で、「海に出て長いが、こんな魚は見たことがないし、なんだかまったく分からない」という物体に遭遇した。

  噂を聞きつけて「怪獣」を見にきた若者4人は、「研究」のために100キログラムあまりの身を切り取り、持ち帰ったという。

  専門家の話では、「怪獣」は死後1週間ほど経っている様子。海の生物とみられるが、骨格から魚とは判断しにくい。頭の部分が細長く、1メートルもあるので、ワニのように見えるという。(編集担当:恩田有紀)?


まークジラでしょう。博物館でマッコウクジラみたいな歯クジラの顎見てみ。ワニみたいな歯並びだよ。今年はクジラがよく打ち上げられるなあ。東京湾でも既に二匹迷い込んで死んだ。死体漂流のニュースもあったかな。宮崎では巨大なマッコウが打ち上げられたよねえ。


2005年07月25日

江戸びと杉浦日向子し去世事

私の好きな怪話師たちの中でも最も大事なひとでした。10年の寿命を余生に残した完璧ないきざまでした。

百物語は江戸怪談絵草紙の流れのうえに、でもその前の情けと死の気配に溢れた漫画作品群には「それ」を覗いてしまったひとにしか書き得ない稀なるものが通奏低音のように流れていた。

冥福は言わない、きっと幸福に決まっているから。

さようなら。安治に宜しく。

幽霊屋敷という不動産物件取引の難しさに関する論考

・・・というわけでまた訳してみた。内容的にはオカルトというより住民問題、「噂の東京チャンネル」なんかで取り上げられそうなものですけど、まあ、家を壊す壊さないっていう話にまで発展するのもアイルランドならではかな。じつに読みにくい文章でした。単語特殊。。

それにしてもこの記事じゃいわくいんねんが全くわからない。馬と幽霊の関係は?死んだ男はどうしたんだろ?

「ゴーストに会えるチャンスは家の売り文句にはならない」

Belfast Telegraph
By Alan Erwin
newsdesk@belfasttelegraph.co.uk
2005年7月22日

お化け屋敷で評判の家の「販売」が不安がる近隣住民の抗議にあい中止されたことがあきらかになった。北アイルランドの住宅販売業者のチーフエグゼクティブは、8年前恐ろしい目にあい逃げ出した女性からの、この家屋を壊せという要求に直面している。奇妙な、説明のつかない騒音が家のそこここから聞こえるという。話によると古い馬用の墓地の上に建てられた家だそうだ。また屋内では人の居住を拒否するナーバスな所有者が侵入者を拒もうとしてオカルト現象が発生した。

トラックドライバーのブライアン・マーシャル(51)は言った。

「あそこには何か人が住むことを許さない力があるんだよ。何だか周りの人々があそこの土地と相性が悪いって感じなんだけどな。」

この家はロンドンデリー州マネーモア、ロックビュー・パーク地区で売りに出された4つの空き区画にあった。居住者たちは新しい入居者が中に入るのを拒否したと主張する。なぜなら中に潜むものを怖がったためのようだとしている。この地所の評判が更に下がったのは、恐らく昨年近所で男性が殺害されたからだ。二人の家政婦が疑惑を持たれ追い出された。しかし、完全な破壊要求の大元になったのは、55番地を巡る不安だ。二人のシングルマザーが真夜中、階段の上に奇怪な姿を目撃し、隣人が来て一緒にいてくれるまでクスクス笑いのようなノイズが聞こえたと話したと、マーシャル氏は主張する。

「彼女達も聞いてるんです。彼女はチーフエグゼクティブに新しい家を強く求めそれを得ました。あそこはそれきり誰も入居することはありませんでした。」氏は語った。「何かおかしなことがあったと聞いた若い奴らが一度わっと入ったけど、長くはいられなかった。私は彼らを笑いましたが、自分で確かめようと入ってみると直径2フィートくらいの小さな石の輪とウィジャ盤を見ましたよ。」

マーシャル氏と妻のジェンマは住民団体に所属していた。住宅販売業者の経営者たちに対し利殖目的の個人への販売に対する反対運動を行っていた。非社交的な入居者を少しもチェックせずに入ってこさせていると考えていた。

今年の初めに行われたチーフエグゼクティブのパディ・マッキンタイヤとのミーティングで、彼は4つ全部の住所を取り除くように促された。 住民と何の協定もなしに25万ポンドもの売却を秘密裏に行ったと疑われていた。

そして住宅販売業者の広報担当はこう発表した。「地域コミュニティからの要求に従い、この物件を市場から引揚げました。」さらに彼女は付け加える。「私にはロックビュー・パーク55番地の家屋が呪われているかどうかについては判断するに足る情報も知識も無く、そうであると断言することはできません。」

しかし政治団体代表は住民のぴりぴりした神経をなだめるためにこの物件を迅速に処分すべきだと主張した。アルスター中部SDLP議会の議員メンバーパツィ・マグロンは言った。「ここは空家ばかりで無駄なブロックです。ここに置かれていいものはただひとつ、JCB(建設用大型車両)だけです。目障りなだけなんですよ、そして、誰がそこに入居するか、少しのコントロールもなしにプライベートな区域に入ってこられることについての住民の関心もあるのです。」


2005年07月20日

犬神持ちって書いていいの?

「幽」という雑誌が案外好きで買うのだが(漫画が多いからだが)、昨日買った号で、某漫画家さんが「犬神」をユーモアっぽく描いていた。

・・・ああいう「残る」メディアって編集が必ずチェックするもんだと思うんだけど、

「犬神持ち」

っていう言葉が書いてあった。

私は差別意識は人間の抱える根本的な業だと思う。非常に嫌いだが自分の中にその感覚が存在しないとは言い切れない。誤解を恐れずに言えば「あるのが普通」だ。差別的表現に表面だけ拘ってあらゆる場において自意識過剰的に自ら手枷足枷をはめていくのも嫌なので、自分のジャンクサイトではわりとヤバめに触れている。でも、プロが漫画という手段を使って公然と描く場合、事は単純じゃないだろう。

まさかこの用語がかつて差別用語として使われていたことを知らずに書いているとは思えない、だってそこで使われている意味がまさにその差別点に触れている。

漫画は頭に直に入る。視覚イメージと文章論理が一緒に入るから、何も考えずに見ている人・・・とくにこういうことに興味津々な若年層・・・は意識下に刷り込まれやすい。

大丈夫?

「犬神」について詳しく知りたいかたは「犬神博士」を読みましょう。「犬神」という漫画もありますが別物です。漫画が嫌だという人は「日本の憑きもの」でも読んでたもれ。?

ちなみに怪奇スポットとして別の漫画家さんが書いている和田塚(だよね?)には昔意味なく立ち寄ってバシバシ写真を撮ったおぼえがある。小雨交じりの嫌な天気だった。写真自体行方不明になってるけど、やっぱなんか感じたんだろうなあ。ああ、やっぱりそうだったんだ、て。

2005年07月19日

アイスランドの妖精事情

17日のサンフランシスコ・クロニクルにアイスランドの妖精にかんする記事が載っていた。復活したfarshores.orgから転載。

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「アイスランドはエルフを信じているのか?イエス、そしてノー、そしてごく僅かな恐らく」

Sarah Lyall, New York Times Sunday, July 17, 2005
Hafnarfjordur , Iceland


エルフは存在するのか?多くのアイスランド人たちと同じように、Hildur Hakonardottirはその質問が想像するより多くの複雑な要素を孕んでいると考えている。

「これはとても、とても、とてもデリケートな質問です」Hakonardottirは元博物館長に言った。「もしあなたがアイスランド人にエルフを信じていますかとたずねたら、彼らははい、もしくはいいえと答えるでしょう。彼らがはいと答えた場合、恐らく信じていない、そしてもしいいえと答えたら、信じていると思われます」

存在すると仮定して話を進めるなら、彼女はエルフをどのような外見と考えているのだろうか。

「そうですね、私の隣人は女エルフだわ」彼女は唐突に宣言した。「私の家の庭にある岩の崖に住んでいるの」

彼女は15歳のときにただ一度だけエルフを見たことがあるという。それはエルフが「自分の人生より長くを生き、1930年代の民族衣装の祖母のように着飾っていた」と判断するのに十分な年だった。Hakonardottirは67になるが、妖精の存在に疑いのかけらもない。「娘が私に一度言ったの、「エルフが住んでいる場所をどうやって見分けるの?」私は彼女に言ったのと同じ事をあなたに言おう、「勘」だって。」彼女は語った。

アイスランドの多くの人々が同じ「勘」を共有している。統計は人口の大部分の人がエルフ・・・一般的には人間のような形をした生き物で、険しい岩間の家に厳しく守られて生きているとされる・・・を信じているか、存在を否定したくないと考えていることを示している。しかし、エルフ信仰はアイスランドの文化に根ざしている半面、厄介な問題としても残っている。

アイスランドの歌手のビョークは、「あなたは北欧的な言い回しに注意しなければなりません。」と数年前ニューヨークの雑誌何誌かに語った。「私の友人はレコード会社の幹部社員がアイスランドに来るとき、 バンドたちにエルフを信じるかどうか尋ねて、誰であろうとはいと答える人にサインをさせると言ってました」

しかし、ビョークさえ、いいえとはっきり答えることができない。 「私たちは、自然が人間よりはるかに強いと考えます。」彼女は別のインタビューでエルフにかんする質問が上ったとき語った。 「スピリチュアルなものとの関係は未だ遠ざかってはいません。」

エルフだけではなく、予知夢の力、死者の霊力などといった超自然現象を信じる心はアイスランドのケルト族やスカンジナビアの伝統、そして過酷で力強い風景--特に厳しい天気といたる所に現れる岩石に彩られた風景と密接な関わりを持っている。

「もし庭に大きな岩があって、誰かが「エルフ岩だよ」とアイスランド人に言ったなら、彼らはそれを爆破して取り除くようなことをするでしょうか?しないでしょう」テリー・ガンネルは言う。彼はレイキャビクのアイスランド大学民俗学研究室の代表である。

「彼らは何も小さな人々がそこに住んでいて外へ出ては踊ると考えているわけではないのです」彼は付け加える。「彼らを取り囲んでいるのとは違う何らかの知られざる力、作用が存在するという感覚があるのです。」

このレイキャビクの外れにある港町は異常にエルフの人口密度が高いことを誇りにしている。旅行者はエルフの名所巡りに誘われる。エルフが取りついていると言われる大きな岩、数年前、見えない住人たちの生活をかき乱すことのないよう道路が迂回するようになったという場所もその中に含まれている。

Elly Erlingsdottirは町議会の実行委員会の代表だが、そうすることには意味があると語った。彼女が言うには最近、何人かのエルフが彼女の料理バサミを借りたという。彼女が繰り返し探した場所に、1週間後、返してあったというのだ。「私の哲学は、あなたは信じるすべてのものを必ずしも目で見る必要はない、ということです」と彼女は言った。「なぜならあなたの最大級の経験の多くは、眼を閉じているときに起きるからです」

最近、実行委員会は住民のガレージ建設願いについて頭を悩ませている。「一人のメンバーは「私はそれがエルフに了承されることを願う」と言います。」Erlingsdottirは言及した。委員会は事実上それが了承されることはないと思っている。多くの場合、地元の霊媒師がエルフ集団からの声を直接もしくは幻影を通して聞き、決定はなされる。町はプロジェクトを動かすために、霊媒師にエルフへ遠くへ移動するよう働きかけるように依頼するだろう、と彼女は語った。

このようなことは珍しいことではない。近くのKopavogurの「エルフの道Elfhill Road」という区間では、1970年代、二車線の道が一車線に狭められたことがあった。邪魔になる大きな岩・・・エルフの家と信じられていた・・・を何度も破壊しようとしたものの、いずれも装置の故障により断念させられたのである。岩は今でもそこにあり、不自然に道路に突出しているが、居住者がどう思っていたのかは定かではない。

「ここは街灯が沢山立っているので、彼らには明るすぎる。そしてうるさすぎる」Gurdrun Bjarnadottirは言う。彼は道の向かいに30年ほど住んでいる。「多くの人々が、彼らがそこにまだ住んでいると信じているけれども、私は移住したと思う。」

1996年、同じ町で、墓地への道を通すためにエルフの丘elf hillとみられるものを完全に破壊しようとしたとき、ブルドーザーの運転手Hjortur Hjartarsonはトラブルに見舞われた。

二台のブルドーザーは何度も不可解な故障に襲われた。地元テレビのカメラは丘に向けた途端映らなくなった。作業主幹は他の場所で働いていたけれども、プロジェクトを中止した。レイキャビク新聞Morgunbladidにプロジェクトの監督であったジョン・インジは、「エルフと折り合いがつかないかどうか見に行こうと思う」と語った。

地元のエルフ交感者が仲裁のために呼び寄せられた。そしてしばらくして、仕事は再開した。「私の意見としては、ええ、隠れ人であろうがエルフであろうが何にせよ、「それ」がこの工事を受け容れ、そこから立ち去ってくれたということです」Hjartarsonはウラジミール・ハフスタインに語った。彼はアカデミックな研究者であり、1990年代後半に「エルフの視点」という本を出版した。それはエルフとエルフの建設工事プロジェクトに及ぼす影響についてのものである。

彼は多くの似たようなケースを見つけたが、この命題に次第にウンザリし始めた。しばらく、アイスランド観光協会は彼を国家的エルフ専門家として引き合いに出した。「私は本分を尽くしたと少しは思います」彼は語った。彼は最近、UCバークレー校で博士論文を完成した。ユネスコについてのものであり、エルフについてのものではない。

エルフについての会話にぎょろりと目を向けるアイスランド人を見つけるのは簡単だが、筋金入りの懐疑論者を見つけるのは簡単ではない。しかし73歳になるArni Bjornsson翁は数少ないその一人だ。

「こんにち、殆どファッションのように超自然の存在を信じると発言することが流行っていますが、私は割り引いてこれを考えます」Bjornssonは25年間国立博物館の民俗学部長として働いてきた。

しかし彼でさえはっきり「いいえ」とは言わない。「もしあなたが私に「超自然的なものなど存在しないと確信していますか」と尋ねるなら、私は存在を信じていないと答えるでしょう」彼は言う。「しかし、私はその考え方を除外しようとは思わない。」??

2005年07月13日

人魂

また昨日変なのが来て二時くらいまで眠れなかった。なんか夢に入りそうで入らないところでいちいち変な音や雰囲気で目が覚める。先週もいきなり扉を開けた奴がいたが前ほど怖くはなかった。夢もあきらかにおかしい。さいきん夢見がおかしいのは日曜の死ぬ夢(死ぬ夢を見たのは高校生のとき以来だ)以降そうだったのだが、夢に入ると全く別人格の別シチュエーションの人間になってしまう。覚えている限りでは小太りの中年で薄い茶色のスーツを着た商売人になり、6万円を手に入れる云々の交渉をしている。「こりゃ俺じゃない・・・」と一方の頭が恐怖を感じ無理から夢を退けて目を開けた。すると、

薄私の胸の上あたりからしゅん、と左手上空に向かって、太く青白い光が動いた。まるでライトセイバーだ、と思った。残像が後をひくほど「むよ~」という動き、太筆で紙に線を描くような軌跡がはっきり見えたのだ。しゅん、と書いたが確かに一瞬であったけれどもはっきり見えた。人によっては人魂と言うだろう。私は生まれて初めてこんな発光体を見た。思わずケータイからブログに書こうと思ったが、ここでまた書き始めると翌朝の仕事が辛い。部屋の空気が明らかにおかしく、ふと、ライティングが「出る」光量レベルだったことに気が付いて、ライト全開で眩くして改めて寝た。すぐ寝付いた。

朝方何か来て目がさめたのだが覚えていない。もう薄明るかったので電灯を消した。

 

2005年07月11日

とんべえ

とんべえ地蔵の写真がでてきた。

さあてどれがとんべえ地蔵でしょう?正解は二十秒後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後のふたつでした。最初の印象的な地蔵はかなり時代の下るものです。これを誤ってとんべえ地蔵と載せている本も見かける。ちなみにとんべえ地蔵は多摩川沿いの蒲田に近いあたりにある史跡。今は川から離れていますが元々多摩川沿いに置かれていたもので(流路が変わったのです)、このあたりに集中して残る新田義興の祟り話しの中心地。カン計にあい沈む船上で自刃した新田義興が祟りまくって憎敵雷に撃たれて死んだりいろいろあって(このへんみんな写真とって集めてあったんですがどっかいっちゃった)、挙げ句民衆が計って船底の栓を抜いた船頭役の頓兵衛の建てた地蔵に石をぶつけまくって上記のような痘痕姿になってしまったという。これを呪いで痘痕になったという「とろけ地蔵」的異説もあるそう。東京区部では珍しい室町に遡る地蔵です。新田さんは新田神社という非常に聖域色の濃い神社に祭られており、その社殿の背後にこんもりと盛り上がったのが入ると祟られる義興の墓塚。武具なんか出たともいい、江戸後期には平賀源内プロデュースで塚に生える矢竹ご利益がはやったとかなんだとか。十騎塚とか女塚とか関係する不幸な人々の史跡も健在。

うろおぼえなのでいつかちゃんと書きますが。

2005年07月10日

卒塔婆嫌いの亡者

~岩政翁のもとに、天保13年の秋、周防の国にいる佐々惟詮が便りに付けて例の問書を送ったが、端のほうに書いてあった話を聞いた。

・・・ついでに怪しいことがあったので申しておきます。本国熊毛郡島田村の百姓、兼清重五郎蔭正という者、大平翁の門人で大分精が出て、少々著書もございました。この人2、3年前に亡くなって、遺族がその墓に「しきみ(墓に植える香のある樹)」と七本卒塔婆を立てたのですが、夜の間に抜いて投げ棄ててあり、立て直しておくと、また夜の間に投げ棄ててありました。それをくりかえして初七日にあたる夜、母と妻の夢に彼があらわれて、この二品は目障りだから立て置きなどするな、と言ったそうです。翌日母も妻も墓参りをして生きている人に語りかけるように、七本卒塔婆もしきみも世の習わしですから、取り捨てなどしたら人聞きが悪くございます。しきみは今から除きましょう。榊に改めます。七本卒塔婆は四十九日の間はこらえて下さい。その後は取り除きますから、と断ったところ、その夜からは投げ棄てられなくなったといいます。これは防府の鈴木高鞆が彼の母妻から直に聞いたと語ったものです。(岩政信比古談・松壷あろじ千家尊澄筆「桜の林」)

なんともそこつな亡者だ。しきみ(確か柑橘系だったか?)などの樹は恐らく元々は腐敗臭を抑え殺菌作用があるから供えられたもので、さするに江戸日本はやはり土葬の国だったんだと思った。武士仏僧のような階級でないと焼いてもらえなかった。もうひとつ不思議な話が書かれている。

・・・又本国大島郡安下庄に新宮の御崎という所があります。そこに御崎霊神という松の森があります。これは昔難破船の船員を浦の人が殺して物を奪ったのを、船員の霊が祟りをなしたために神に奉ったというものです。そういった所を近世になって、快念寺という浄土宗の僧が奪い取ったため、今は仏事で祭っていますが、その後かの霊が時々荒れて人を取り殺し、あるいは人をたぶらかす事が今も絶えません。そこの神主である長尾主計が語ったことです。又この人の話で、この庄の氏神八幡宮の境内に産社という森があります。この社の祭神は大多麻琉別ノ神と言い伝えています。これも珍しいことです。

松壷言うに、霊魂の人を守ること怪しい技などのあること、平田篤胤が玉多須喜に論じている。あわせて見るべきだ。(同書)

このての流れ着いた人を殺して持ち物を奪ったら祟ったという話は枚挙に暇がない。私は沖縄八重山の黒島にあるウタキに同様の伝説があり、今も祟りが息づいているということにちょっと恐怖を覚えたことがもうだいぶ前にある。陰惨な心根を持たざるをえなかった時代の同時多発的犯罪だったのか、それとも何か伝承の源があるのかわからないが、恵比寿さんの起源が流れ着いたドザエモンであるという話しとか、そこから新たな価値が生み出されたという古い神話に原点があるのかな、とも思う。ちなみに黒島の話は新しそうであった。恐らく華南あたりから流れ着いた高貴な異人の遺体を載せた船棺から財宝を獲ったところ酷い祟りが島を襲いウタキに祀ったということである。

・・・

ぜんぜん関係ないが妙に好きな怪異研究家の本を時々ぱらぱら読んでいる。江戸怪異に関する本が古書を探る上で参考になったところから読み始めた。永く読むと頭が痛くなるほど頭でっかちでマジメな理論を展開するが扱う対象が都市伝説から幽霊妖怪噺という分野、なおかつ元々はそのての専門的な研究を生業とはしていなかったようであるがゆえに、なんとなく穴が透けて見えてくる部分もあり、そういうところをてきとうに楽しみながら読んでいるのであるが、その一冊に「霊」と「妖怪」「妖精」のどちらが大モトなのか、といった言及があった。鳶魚さんの江戸本を彷彿とさせるお題だが、持っていき方はやや違っていて、渡来の近代合理科学の影響で「霊」という概念が生まれた(たぶんイギリスやドイツの疑似科学の影響と言いたいのだろう・・・円了さんじゃん)、「妖怪」が大本であり、本家ヨーロッパももともとは霊ではなく「妖精」が怪奇現象の原因とされていたというような意味合いの記述があった。論理的な組み立ての好きな人のようでここでもそうなのかーと信じさせるような書き方がしてあるのだが、よくよく考えると霊とか妖怪とかいう言葉、定義付けには全く意味は無いのである。江戸人なんていいかげんで、怪異話を伝えた人がまた農民市井から武士僧侶という多岐にわたる階層の人々であったがゆえに一つ言葉の意味が全て同じものを指し示していたと断ずるのは無理がある。単語だけなら「霊」という言葉は江戸本に頻繁に見られるものでそれが現代における「霊」とそれほど遠いイメージのものとは思えない。多くは人間、その死が前提にあるという点では同じである。だいたい日本やヨーロッパのように他国との相互的な文化干渉をさんざん繰り返し、また重層的に複数の言語を併用してきた長い歴史を持つ国々では、「霊」「妖精」「妖怪」という単語は横断的記号にすぎない。自明なことだが西欧と日本というかけ離れた国の言語の意味合いを単純統一化して同様に論じようという感覚自体無理があるのだが。

全ては「怪異」を引き起こす原因としての単なる定義である。民話化の過程で少数の典型的な姿に収束していったのが西欧のイメージとしての「妖精」であり、引き起こしたとされる事象は化け物や物の怪・幽霊といったものの引き起こす「曖昧なこと」と結局は大差ない。同じ名前でも多岐にわたる属性の存在はそれらが単に大雑把なくくりで定義されているにすぎない、元々範囲の明確でないものであることを示している。日本の妖怪は平安時代に源があり、そこでの所謂妖怪的なものは割合と妖精に近い少数の典型的な姿・名称のもとに多様な属性を備えた存在であった。ヒマな知識人の多かった江戸時代にさかんに分化され大系化され、リアリズムを求められるまま物質化・動物化していったがゆえに何か独特の「種」として扱われるようになったように見える。現代においては水木翁の更なる細分化及び物質的な視覚化の影響は否定できまい。

だいたいが卵鶏論に陥るような話で、何もどちらに組したいというわけではないが、何か論文的な文章で扱う対象としてはいささか断定的な物言いをしないとならない、そういう欲求で無理にこじつけたような感じがして、ちょっと反感をおぼえて書いてみた。オチなし深慮なし。

 

2005年07月05日

エセ心霊写真撮影成功?

沖縄旅行の写真を現像したら変なものがうつってました。ちなみに余ったフィルムを使い切るためきったない部屋を撮ったものですが。現像屋はプリントから外してました(ネガデータからの転載)。

:どこにも心霊要素ゼロですが。まず真ん中の十字、これはフィルム式の水中カメラで撮ったもので、水中用のファインダーが降りたまま撮ったものと思われます。

問題は黄色。これもたぶんなんかが写ったんだと思うけど、思い当たるものがない。単なる反射だとは思うんだけど、全体にぼけてるのがイヤだなあ・・・だってSOSのチラシはちゃんと明瞭に写ってるしねえ。

にしても狭い&汚い写真でスマソ。

三島由紀夫の霊って??

個人的経験や意見を書くと不評である。でも、ここは元々日記なので書かずにおれないし、別に普遍的な探求うんぬんなどという難しいことを述べるつもりも毛頭無いので念のため。奇談徒然集として読み流してください。

アメリカ南部を中心とする情報をいちはやく世界に伝えてくれる(ときどき落ちるけど)farshores.org、今日見ると何と三島由紀夫についてかかれている。日本ではもちろんあの驚異的な割腹自殺のあと陰ながらも霊的な話が言い伝えられてきたが、元々海外で人気を博している人である、この人自身の死後の世界などといったオカルティックなものに対する態度もよく知られているし、海外のオカルトサイトで伝えられることに別に不思議はないのだ。「わだすはまりりんもんろうだす」なんてイタコの口寄せに近い気もしなくもないが(この噺はビートたけしの持ち「ネタ」)。以下抄訳。登場人物の名前に聞き覚えのある人も多かろう。。

「三島由紀夫の霊に会って」

霊媒魔術師アーロン・C.ドナヒューはこの日曜日に一時間以上にわたってネットラジオの聴取者を魅了した。彼が語ったのは著名な日本の哲学者にして作家、三島由紀夫との邂逅のことである。ドナヒューは彼の先輩にして訓練者であるリモートビューアー(遠隔透視者)エド・デームスと一緒に東京で失踪者捜索能力を披露するためテレビショウに出演した。ターゲットは失踪した子供だった。彼は失踪者を追跡するように頼まれた。しかしドナヒューは彼がリモートビューイングをすることによって深刻な問題が発生すると語った。

彼はこの子供の母親が妊娠しており、最初の子供が行方不明になったとわかって流産に苦しんだことがわかったと語った。今彼女は再び妊娠している。テレビクルーが彼女の周りに集まって、みなアーロンが子供がどこにいたか、そして、何が彼に起こったかを明らかにするのを待っていた。・・・

ドナヒューは、実は彼自身が語ることによって今ふたたびの流産を引き起こすであろう、未だ産まれてきていない若い母親の子供を殺すということを知っていたのだと語った。

「私は私が知ったことを披露しなかった。不名誉なことになるからだ」と言った。

ドナヒューはラジオの聴衆に語りかけた。彼は金や名誉のために日本に行ったのではない。しかし、これは明らかにデームズが日本へ行った理由でもあったという。

「私にとって当たり前の決断だった。私はまだ産まれてこない子供を救うために日本の人々の前で私のイメージを犠牲にした。何が起こったのか、これが真実だ。私がもう日本へは戻らないつもりだ、ということの意味をみなさんはわかってくれるでしょう。」

ドナヒューは長い時間、日本訪問中の出来事について語った。個人的なスピリチュアルな探索として、彼は道を歩いてゆき、とある古いビル群を訪れた。彼は古いビルの壁に触れノックすることによってそこに何百年も住んできた人々の”エッセンス”に潜入することができるという。(訳注:築何百年のビルて、、、日本にビルができてきたのって戦後なんだけど)

ドナヒューは東京国際空港に行って長く明るいホールの道を歩いていき合衆国への飛行機に乗り込んだと語った。そのとき、彼は突然見慣れない制服を着た日本人の男に会ったという。

「長く白いホールだった。ドアもなかった。彼は突然どこからか現れたのです。我々は面と向かった。彼はどこか変だった。息をしていない。身体から熱が感じられない。彼は私の両目をじっと見詰め、静かな哀しみをたたえ、静寂を保った。そして彼は語りだした。「日本語をちゃんと話せますか?」ドナヒューは話を続ける。

「私は喋れない、と言った。そのためにはこの国の文化に造詣を深くしなければならない、でも、私はここへ戻ることはないだろうと。」

ドナヒューはこの男が彼の良い旅を願っていたと語った。そして彼は再び歩き始めた。

その刹那彼は著名な作家、三十年以上前に亡くなったはずの三島由紀夫と喋っていたことに気が付いたという。「私は振り向いた、しかし彼はいなかった。誰もそのようなオープンな廊下で瞬時に姿を消すことは不可能だ。私は幽霊と出会ったのだ。」

ドナヒューは、彼の前に立った魂がまるで物質的に見えたという。「極めて驚くべき幽霊でした」と語った。

彼はこの傑出した日本人作家・哲学者の著作や思想に生涯にわたって深く影響を与えられてきたと語った。彼はこの人物の仕事に魅了され多くの著作を読んだと語った。しかし彼は一つないし二つの写真しか見たことが無かった。だから空港で出会ったとき、一見して彼だと認識することができなかったのである。

ドナヒューは三島が1970年に西欧的な生活に毒された日本文化の行く先を憂い、公衆の面前で抗議の自殺に及んだと語った。彼はかつて日本を大きな国に育て上げた古来の道、伝統を持ちつづけるべきだ、と人々に警告したかったのだ。

自殺は悪い結果をもたらし、三島は苦しみの死に至った。結果、彼の魂は光の中に進むことが出来なかった。

「私は信じている。彼が私があの東京国際空港に来るのを待っていてくれたということを。」ドナヒューは語った。

彼は三島由紀夫を最後に行くべきところ、あの光へといざなう手伝いをした。彼が東京の街を彷徨うことはもうないだろう、と語った。


・・・数々の疑問というか半ば眉が水分を滴らせる気分で読んでいたが、ちょっと感動的な部分もないわけではない。恐らく三島ではなく何者か、単なる通りすがりの空港のポーターの霊かもしれないし、でも、まあ、そこまで三島を愛する人がアメリカにいるというのに、日本人の若者で三島を読んでいる人はどれだけいるのかな。誇大妄想の気はあるけど、悪い人ではなさそうだ。事前調査バッチリで恣意的に当ててみせる有名人エド・デームスよりはねw??

旅行帰りを待ち侘びてやがった

旅先ではほんとリラックスした。およそ考えられないくらい熟睡し昼から隙さえあれば眠りこけるくらい。今回の旅は奴からついてこれないくらい遠くに行ってしまおうとした、いわば霊逃避行という意味もあったのだ・・・で。

帰って来た途端、部屋の扉をあけたとたん、そこには何かが座っていた。

空気は嫌な圧迫感に包まれていた。

見えない。寝床につくまではなんてことなかった。だが横たわり電灯を暗くすると、しばらくして頭上からパシン!というかなりでかい音がした。家鳴りというのは木造住宅が気温湿度変化で軋むたんなる物理現象である。だが虚空からひびくというのは何だ?今まで聞こえたことのない場所から響いたのだ。それが始まりだった。

眠りに入って、自我の保てない領域に入ろうとすると、いきなり頭を強く押さえられる。あるいは何か大きな手のようなもので肩を掴まれる。結局、眠っては起こされ眠っては起こされで、繰り返し繰り返し朝まで30分おきに起こされたのだ。前によくやったのだが、自我を取り戻して無防備な半睡眠状態から脱するために、聴覚を刺激しようと舌を打って鋭い音をはっしてみたがダメ。精神的に恐怖に支配されまいと必死で「ヒワイな言葉?」を連呼するも舌もたいして動かないので呂律が回らず意味が伝わらない。意味さえ伝われば冷めると思ったのだが・・・嘲笑うかのように姿なき加害者は距離を狭めてくる。それは見えないが、若い痩せぎすの青白い顔の男だろうと妄想する。

とても無防備な仰向けでは眠れない。暑くても蒲団もかぶらないと怖い。だが来たのはここのところなかった「強いやつ」だった。いきなりこちらの体を硬直させてむりやり体を仰向けにさせようとする奴。とにかく空気に嫌な感じのするときは俯せて寝るのだが、物理的でなくとも「仰向けの気分」(この物理的な肉体と感覚的な精神の乖離を人によっては幽体離脱というのだろう)にさせて脳内に恐怖のイメージを送ってくるやつもいる。このへん精神の機能不全と境目が曖昧なのでわからない、でも、怖いことは確かだ。治療だの医薬品だの一切効かない相手だということは経験上あきらかだ。脳の働きをシャットアウトする睡眠薬以外に逃れる手はない。もしくは見えなくする魔法の薬、酒。

三時半にはうっかりうつ伏せの枕から顔を横に向けてしまった。

横の壁に見えたものにびっくりした。若者だとばかり思い込んでいた。

・・・婆さんだった。

丸っぽい顔だが異常に小さい。黒く皺だらけで、にこにこしてはいるがこちらが恐怖を感じるというのは余りよくないモノである証拠だ。

怖かった・・・

閑話休題。
「脳にはスイッチがある」。たとえば本なんかを読むとき、通常の人は脳内で言葉に出して逐語的に順に読んでいく。速読術の手法では、しかしそんなことをしていたら遅くてしょうがない、ページ一枚をまるごと記憶する、もしくは「読む」。「図像として記憶する」のだ。だから細部においては必ずしも正確にはならない場合も多いが、人間の脳というのは時系列に順に論理が並んでいないと普通は認識できないが、イメージで捉える所謂絵書きやクリエイターといった人種は論理を飛び越えて一切の視野に入る図像をまるごと記憶する。そこに「見たものの意味を解釈する」といった論理野にしかできないことは不可能だが、図像としての記憶は一つ一つ順番に覚えるのではなく全てをいっぺんに記憶するので、驚異的な情報量を溜め込み、それを再現することができる。絵書きはたいてい瞬間的に見たものをそっくり絵に書くことができるが、彼らに論理を組み立てて順に覚える時間は必要ない。それが普通である。絵がわかりやすいのでその例をあげたが音楽なども同じである。天才的な再現能力というのは実は脳の使い方の違いにすぎない。脳のスイッチを変えることで誰でもできる、速読が比較的容易に習得できるといわれるのは、その能力がけっこう普遍的な潜在能力として存在するからこそのことである。彼らがぱっと見で全ての文字を記憶するのは、即読用に脳のスイッチを切り替えてから読んでいるからだ。そういった場合、視覚的な感覚を論理に置き換え素早く理解するところに訓練の難しさがあるのだが、このへんになると多少は才能かもしれない。でも、瞬間的に見たもののいいかげんな素描を書くくらいのことは誰でもできる。これができないのは、脳のスイッチが切り替わっていない、純粋に気持ちの問題だ。

で、私は脳のスイッチを切り替えた。完全にイメージのほうに切り替わった脳を論理に分解する側に切り替える。ほんとに、がらっと変わる。見えていた婆さんの顔は、次第に染みのようなものに変わっていった。黒い輪郭と、目の部分には黒い丸がふたつ、口は黒い線。なーんだ、気が付かなかったけどここにシミがあっただけだ。妄想だよ、連想だよ。無理やりそう思い込んで、薬を大量に服用した。何かまた来る気配がしたが、脳が限りなく活動停止に近い状態に陥るのを引き戻す力はなかったようだ。朝、ガンガンにアタマが痛かったが、とりあえず長い夜は乗り切った。ひょっとすると疲れてたのかな(正直ぜんぜん疲れていなかったのだが)。嫌な日常に入りたくない気持ちがそういう妄想体験を生み出したのかな。

ふと横を見た。

染みのあった部分が見えた。

・・・いっさいの、何もなかった。変なシミのかけらすらなかった、まったくのまっさらな壁であった。

婆さんの顔が染みに変わっていき、壁に溶け込んでいった過程を脳内で反芻しながら、再びぞっとしたのだった。


2005年07月02日

でなかった

昨晩はゆっくり寝れましたわ。なんだったんでしょう。買い物に外出しても風鈴の音がつきまとってましたが。

腹壊しましたが。

予め薬大量にのんだからねえ。

とりあえず眠いです。??

2005年07月01日

後日談など

というわけで、水曜は何ともなかったのだが前日のこともあって4時まで眠れず。それで昨日はまた出た。3時まで格闘(?)結局気持ちが悪いまま薬と疲れでなんとか4時間寝ることには成功しました。けっこうぼろぼろです。今日は仕事を早めに切り上げて週末の沖縄の準備・・・と思って帰ってきた部屋の扉をあけた。

天井から風鈴の音が聞こえる・・・。小さいけどけたたましく。

今晩は寝かせてくれ。ちなみにCDは見つかりませんでした。??

2005年06月29日

おばけは何ルクスがお好き?

眠らせてくれなかった。

きのう、もう数十年前に死んだ友人の死因が病気ではなくて自殺だったと聞いた。中学生の頃の話しなので今さらショックも何もないのだが、親父さんも自殺未遂するとか異常な状況だったので、結局葬式にも焼香にも行けずじまいだった。

小学生の頃の親友だった。たぶん今まで生きてきた中で一番私を評価してくれた人だ。ありがちなことだがある日を境に所謂イジメ関係になってしまい、ぎくしゃくしてからは交友は殆どなかったが、今でも下の名前まで覚えていて、顔も思い出せる小学校の同級生というのは数えるほどしかいない。割り切って市井の戯れ事屋に堕している私も、彼と良好な関係を取り戻し互いに切磋琢磨してさえいれば、何かもっと上の者になれていたかもしれない。そんなことを最近思っていた矢先だった。さりげない風噂で(なぜ今ごろそんな話しが出たのかわからない)、両親が出かけている間に自殺したのだ、ということが知れたのである。

自分にショックがあること自体ショックだったというか、やはりほんとうの友人というものは、たとえ一時期おかしくなっても、トータルではやはりほんとうの友人なんだなあ。例え一方的にではあっても。そんなことを思いつつ、ここのところ3時間くらいしか寝ていないので、今日はよく眠れる、と思って寝床についた1時。CDを探していて結局見つからずふて寝、暑苦しいので、普段絶対に開け放して寝ない扉を開け放して寝た。・・・それがまずかった。

1時半、うつらうつらしているところに背中から引きずり上げられる感覚があった。急に目覚めた。脳内の活動物質が分泌されたように頭がいきなり明晰になった・・・これは「アレ」が来たのだ。まだ体が動くので電灯を明るくする。普段真っ暗にするとよく眠れるのだが、この日は不意に寝入ったので電灯を暗めにつけたままだった。外付け装置をつけてスタンドの光量を変化させられるようにしてあるので、しばらく明るくして、しばらくそのまま「時が去る」のを待った。どうも「晴れない」が、時間は2時になり、いよいよまた睡眠不足かと不安になって薬を飲んで明かりを落とした。でも真っ暗にするのが怖い・・・実は「真っ暗にしたほうが出てこないことが多い」のだが・・・ので、最初くらいの暗めに落としてみた。

即来た・・・目にはまったく見えないが皮膚に霧状のあやふやなものの圧迫感が足元のほうから感じられる。湿った暑い夜であるがゆえ尚更、その「霧状ののしかかるもの」の冷気が気味悪い。こりゃ気味悪い、体が動かなくなる前に!・・・と電灯を最大光に戻す。

更に薬を飲んで無理矢理感覚遮断・脳活動低減により見えなく、感じられなくしようとした。しばらくして、電灯をちょっと暗めにして寝ようとする。

・・・来ない。もう大丈夫か。去った感覚がない、足元の、天井のほうにわだかまりを感じるが、怖いだけで見えない。この独特の「怖い」感覚はわかる人にしかわからないかもしれない、「病的な怖さ」だ。

電灯を更に暗めにした。

あ!

霧は見えない、しかしそのあたり・・・右足の上天井のほうに、白い顔・・・いや、明らかに立体的な「首」・・・がぽわっ、と浮き上がったのである。視覚で捉えるというのは最近の私には滅多にないことだ。

あっけにとられた。

その顔はやや逆三角形、詳しくは見れなかったが(怖いよさすがに)眼窩は空洞に近く闇が覗く。皮膚は青白く血の気はない。ちょっと土のようなもので汚れている、死体の生理的な感覚がする冷えた肌。屍骸のそれ、しゃべれるわけもない。髪はないように見えたが明かりが暗いから見えなかっただけかもしれない。顔に見覚えはないというか、個を特定できるようなシロモノではなかった。ただそれが何故か私のほうを向くのではなくて左斜め下を見下ろし浮かんでいたのが今考えると不思議だ。

以上の観察をものの数秒で行い恐怖が確定する前に「見えない!」と思い込んで寝ようと明かりを完全に落とした。最初に書いたようにまったく暗いと脳内の夢の領域が視覚範囲に広がって「彼ら」の隙がなくなる・・・もっともこの重い空気が晴れないかぎり難しいのだが・・・そこで完全に落とすか完全に明るくするかしかないのだが、落とした。

しゅっ、

・・・何で例えればいいんだろう、WinPCでMSoffice系ソフトを使うとヘルプにイルカが出てくるものがある。そのイルカがうざいので抹消しようとすると、真ん中に収束するようにしゅっ、と消える。

その形で消えたのだ。真ん中に収束するように、まるで風船が急にしぼむように、しかし跡形も無く、同心円状に体積を減らし、ちぢんで消えたのだ。

え、と思って光を強くする。すると明るくぽっかりとした部屋の風景が現れる。首はいない。しばらく・・・30分くらいか・・・テレビで気を紛らわせ、空気は変わらないけれどももういいかも、と思ってゆっくり光を落としていった。

・・・白いぼやけた塊があらわれる・・・

もう顔かどうか認識する気はない。さっきと同じような暗さになったとき、「それ」は再び現れたのだ。インバーターのレバーを一気に下げた。真っ暗に戻り塊も消えた。

恐怖を感じる前にもう何でもいいから、とかなりやばいものを含む薬を飲んだ。うちには古い薬がいっぱいある。多分定量の倍くらい飲んだか、飲み合わせなど考えずにいろんなのを。そしてうつぶせで蒲団に顔をうずめる。小さい頃見えなくなるように、よくやっていたように、敷布団と壁の間に体を捻じ込み、汗だくになりながら彼らが去り脳の活動が落ちるのを待った。

真っ暗な中、すわーっと霧の背にのしかかる感覚があった。ああ、これが「衾」という妖怪の感覚なのかもしれない、体が覆われる。霧状に拡散した人間の残骸が、まるで剥いだ皮膚の中に空気を詰めたような触感で、蒲団の上にはみ出した背にかかる。

長い長い時間、そうしていた。そうしている状態でそれ以上の干渉はしてこなかった。でも、まるでにらみ合いのような「わけのわからない恐怖」との対峙する状態、それは地獄だった。

4時になっていた。

外が明るくなってきた。

すると、背に感じるものが何か強くなってきた。顔をあげると部屋の明るさは、ちょうど、「顔」が見えたときのスタンドの明かりと同じようになっていた。

薬を追加した。そして、今度こそ、まるで泥のように沈み込んで寝た。部屋の空気の重々しさが朝の外気の冷たさと混合して、もう区別がつかなくなったのもある。7時起床は辛かったが、なんとか寝れただけでもめっけもんだ。ただ、頭の中は「これはネタになるぞ!」という気分でいっぱいだった。そういうわけで、今日ここに書いているわけである。

逆三角形の顔をしていた自殺者と浮いている顔の形が似ていたことに気づいたのは会社に来る途中のことだったが、会社に来て昼休みにこうして打っていると、左の肩甲骨のウラが痛くなってきた。

最近はもう衰えてしまったと思ったのだが・・・私の「センサー」は首のウラと肩甲骨のウラにあるのだ。来ている、もしくは「ついてきている。」今晩どうしよう、と今から憂鬱だ。そんな次第である。

いろいろ書いてしまったので主題がわかりにくくなってしまった。今回の面白かった(疲れた)点は、

ああいうモノの好む

「光量」

があることがわかったということだ。
しかもそれは確かにかなり限定されている。

一般化できないとは思う。こっちの視覚的に捉えられる(脳が認識できる)範囲が狭いだけで、年がら年中昼真っからみえてるひともいると思うし、個人差だろうし、また逆に、「ああいうもの」自身の個体差というのもあるだろう。

でも、反射光で見えているモノではない、何か違うものだということがわかる。暗くすると見えるというのは、これが人間の目が捉えられる周波数帯域の問題ではないことを示唆している。では何?私は理系ではないのでよくわからない。ぶっちゃけ妄想の可能性だって大いにある。ただ、今思ったのは、

あの「顔」の向いていたあたりを探すと、見つからなかったCDが出てきたりして・・・??

2005年06月27日

ロズウェルUFOまつり

来る7月1日から4日まで、今年もニューメキシコ州ロズウェルでUFOまつりが開催されるとのこと。いったいどんな祭りなんだろう。「ロズウェルUFOみこし」とか「宇宙人解体ショー」とか盛りだくさんなのかな。みんなで輪になって「政府陰謀音頭」を踊ったり楽しいだろうな。イベント詳細はココ。ううう、日本だったら行きたいぞ(羽咋市UFOまつりみたいなもん?)。

初日夜の「エイリアン・オールディーズコンサート」とか二日目しょっぱなの「エイリアン・チェイス」(走ったり歩いたりする)とか町おこし色満載だ。二日目見ると6時半から銀河コスプレコンテスト・・・ああありがちありがち。子供にエイリアンのかっこうさせて、挙句はビデオに撮って投稿したら矢追さん食いつく、ってやつか。テレストリアル・テハーノ・コンサート・・・ロズウェル・ホンダのロゴってUFOなのか。。貼っておきます。怒られたら外そ。

もちろん大部分は講演とかパネルディスカッションとかなので、けして和風の飲んべえ祭りというわけではない(なんで和風って決め付けてるんだ俺)。UFOが運び込まれたという噂の格納庫HANGAR84ツアーとかいいよなあ。高いけど。「中では厳しい規則を守らなきゃならない。さもないと家に帰れないかもよ・・・”彼ら”みたいに」とか書いてるし。スピルバーグのTAKENって放映されたの?

数千人規模のでかいイベントだから町おこしとか言っちゃうとちょっと違うかな。しかし朝7時から夜何時までやってんだこの祭り・・・パレードもあるでよ。

最終日フォース・オブ・ジュライは独立記念日ですわ。インディペンデンス・デイ。イカしてる。??


2005年06月26日

びびった!

夜更かしすんなって知らせか!?朝4時、建て付けしっかりしてるのにおもいっきり扉が開いて閉まった。うわー、ノブ回る音聞こえた!扉と窓と鏡はけして目につかないようにしてあるので寝床から扉が見えない。空気は終始淀んで風もない。見えなくてよかった。まさに夜明け前の彼は誰どきだな!

2005年06月25日

ストーンヘンジだんだん解明&解明されてるのにロッド?

ストーンヘンジの石切り場がボーンマス大学のメンバーを中心とするチームにより発見されたとのこと。

240マイル離れたPembrokeshire's Preseli丘陵にある標高1008フィートのカーン・メニンCarn Menyn山がそれ。ピークのひとつに周囲1エーカーの正方形に囲まれた窪みがみつかった。そのどこかがストーンヘンジ用に削られたと言うのである。少なくとも場所にかんしては「青石」という特殊な岩質からほぼ間違いないようである。じつに4500年前の石切り場だ。最近のドリル跡のようなものもあるがそこにあるのは大部分は古くに地面から捻り出された岩塊であり、うまくそれらを利用して折り取られたようだ。サイズ的にストーンヘンジの構成岩とぴったりの場所もあるという。1年前にストーンヘンジの近くで見つかった「バンド・オブ・ブラザーズ」の骨の主たちがウィルトシャーの平原を長年かけてえっちらおっちら運んだウェールズ人と推定されており、巨岩の移送の過程については徐々に謎は解明されつつある。その骨の主は歯の分析により南西ウェールズからやってきたと考えられている。わざわざこの距離を運んだというのはやはり宗教的理由があり、山に神聖さを感じてそうしたと推定しているが、なにぶん文献のない状況証拠だけの世界なのでどうとでも言えるか。民俗学的にその山に何らかの伝承があればいいがそもそもイギリスは侵略国家なので北やアイルランドへ逃げたケルトやそれ以前の民族についての「記憶」は残っていない。「バンド・オブ・ブラザーズ」は家族と考えられている。三人の大人と一人の若者、三人の子供が4300年前の青銅器時代初期に荘重に埋められたと推定される。その他にも続々と発見が続いており、伝説や神秘のベールは外され真実の歴史が掘り出されようとしている。

・・・なんてまじめに書いている一方、メキシコでは「ロッド」が撮影。きのうの「クリッター」で触れたモノである。知事候補の演説の最中、彼女の前をロッドのような「うやむやなもの」が何度も動いたというのである。それは朝の視聴率が一番高いニュース番組で流されたというから面白い。こういう出方って日本でもある(たいていはあっさり否定されたりもするが)。広報担当も超常現象だかなんだかわからん、と語った。でも、これは選挙で我々を支持するという希望のしるしだ、と狡猾なまとめ方をしている。司会者は「虫だろ?」と笑い飛ばし、広報担当は「エネルギーだ、そう思える」と応酬。ここでカメラマンのホセ・ルイス・マルチネスとイスラエルのエンリケスが持ち出してきたのが合衆国のUFOキ印と研究家が存在を主張しつづけている「ロズウェルロッド」だ。神秘生命体が宇宙から飛来、とか、未確認生物出現とかいろいろ言われているが懐疑派はカメラが高速で虫をとらえた場合の残像にすぎないと言い放つ・・・え、それってフライング・フィッシュ???そう、「ロッド(棒)」である!ここで記事にはホセ・エスカミラの名が出てくる。このカメラマンは1994年に初めてその存在を示唆した。UFO多発地帯ニューメキシコのロズウェルで働いていたことからロズウェルロッドと呼ばれるようになったのだ。ロッドは人々を惹きつけたが証拠となる死体などの物的証拠は全く見つかっていない。彼女はいろいろ問題を抱えている候補だそうで、これがキャンペーンの一環でしかない可能性もあろう。まあ、いくらなんでも多すぎるだろということですっかり日本では冷めてしまったアンビリバボーの罪作りな産物のひとつだが(確か最初は矢追さんだったような気も)、公式サイトにはトルネードに向かって飛んでいくフライングフィッシュもといロッドの姿もあってなかなかかっこいいので、真偽なんかどうでもいいから見て楽しもう。幻想は楽しんだもの勝ちである。真偽がわかってどうする。

ロッドの公式サイト。日本のフィギュアサイトへのリンクもあってエンタ性たっぷり。商売気も???

2005年06月23日

まぼろしフライヤー

懐かしい話だ。目に見えない巨大な飛行生物が成層圏に生息しているという、いわゆる「宇宙クラゲ」クリッター(critters、生命体)の話し。フー・ファイター(球電と考えられている)など生物のような動きをする掴み所の無いUFOに関する新説として一時期(70年代オカルトブームのころ)話題になった。漫画でもあったかな?今ごろなんでこの話題?とも思うがガーディアン。

幻想の飛行者

マーク・ピルキントン
2005年6月23日木曜日

巨大な、これまで未確認の生物が海洋や荒野に生息しているかもしれないというのは多くの人にとってとっつきやすい概念だ。しかし巨大で、原始的な生態を持つ目に見えない生き物が、しかも空に生息していると考えることは可能だろうか?

トレバー・ジェームス・コンスタブルは船員で航空史家、そして科学の常識を覆そうという一人である。彼はそう考えているのだ。ヴィルヘルム・ライヒのオルゴン・エネルギー、ルース・ドロウンのラジオニクスとチャールズ・フォートの著作、アーサー・コナン・ドイルの小説「高空の恐怖」に触発されたコンスタブルは、UFOが異星人の宇宙船であるという1950年代によく聞いた話は間違っていて、実は「生きている物体」なのだと確信するに至ったのである。

高速赤外線フィルムと紫外線フィルタを装備したカメラによって、コンスタブルはこれらの空の生き物の実在を世界に知らせようとし始めた。確かに彼の写真は何かを示している。素人目にはそれは現像過程で色ムラが起こっただけのように見える。しかしじっくり長い間見つめて欲しい。そうすれば、彼らは浮遊するツェッペリン・クラスのアメーバのように見えてくるだろう。

1975年の彼の本「生命の宇宙波動」によると、コンスタブルはそれらを「クリッター(生物)」と呼ぶ。彼は「クリッターこそ地球上のほとんどの生き物よりも古い、地球が固形ではなくガス状でありプラズマ状であった頃の生き物、進化の系統樹の幹をなすものであるように思える」と書いている。「彼らは恐らくいつかわれわれが空と呼んでいる「空気洋」に生息する生き物として、巨大生物学あるいは巨大バクテリア学の大分類の中に位置付けられることになるだろう。」

クリッターは幸いなことにいつもは我々の目に見えない。それは電磁スペクトルの赤外線の領域に大部分が存在するからだ。彼らが我々の周波数帯まで彷徨い出るとき、航空機と誤認されるのである。

コンスタブルの科学、ユーフォロジー、神秘主義、および未知生物学の入り交じった理論は当時読者の共感を得た。一人の動物学者が彼らの発見者にちなんでAmoebaeconstableaという名前をつけた。

30年経った今、UFO研究家でさえコンスタブルを過激な人物とみなしている。しかし、彼の精神は「ロッドrods」・・・デジカムによってのみ捉えられるアレンジされた空中生物・・・やゴーストハンターに人気の、デジタル画像の中で主に捉えられる光球「オーブ」のような現象の中に細々と生きつづけている。これらの現代の変種たちがゆったりぶらぶら飛んで、デジタル解析の暴露屋たちに却下され続ける間、それらの上空のどこかで、コンスタブルの「空中クジラ」は自由に徘徊していることだろう。


~なるほど、未だに海外ではやたら話題にのぼるオーブ(雪の野外や埃まみれの部屋を露光時間長めに撮ると必ず写る)などと結び付けられているわけですね。デジタル画像ゆえの新しい形のゴースト、もしくは写真機の原始的な仕組に由来するゴーストがこういう幻想を生み出し続けているわけですが。ここでいうゴーストって幽霊じゃないですよ。??


2005年06月22日

鬼を追うひとびと。

:韓国の鬼やらい

ついな、ていうのは平安時代くらいにはやった「鬼は外」の原形。朝日新聞によれば「鬼は外」みたいなアジアに広く伝わる「鬼やらい」なる行事のシンポジウムが行われた。

<引用ココカラ>
悪鬼追い払う「鬼やらい」 中国で国際シンポジウム
2005年 6月22日 (水) 06:05

 東アジアを中心に受け継がれてきた悪鬼を追い払って疫病を除く伝統行事「追儺(ついな)(鬼やらい)」をめぐって、日本や中国、韓国など各国の研究者らが集まった「国際儺文化学術シンポジウム」がこのほど、中国江西省で開かれた。日本の鬼やらいも中国から伝わった可能性があるという。中国各地に伝わる鬼やらいは、経済発展のかげで後継者不足などから存続が危ぶまれるものも多く、無形文化財を守る訴えが相次いだ。

 シンポジウムは、中国でも鬼やらいが多く残る江西省内で12日から4日間、開かれた。同省や中国民間文芸家協会などが主催。約150人の参加者の中には、日本や韓国、米国、イランなど海外からの約20人の姿もあった。愛知県に伝わる「花祭り」や韓国の民俗芸能も披露された。出席者は伝統が受け継がれる同省内の石郵村に行き、村民の演じる本場の鬼やらいを見学した。

 日中の研究者によると、中国では少なくとも2000年以上前から儺の文化が引き継がれてきたという。はらい清めと福を招くために行われ、鬼などの仮面や仮装をした人物による神事的な舞踊だ。日韓のほかロシアなどにも広く伝わったとされる。

 文化大革命では「迷信」として弾圧され、研究も進まなかった。70年代末から改革開放が始まると見直されたが、農村から街へ出稼ぎに行く若者が増えたため後継者不足も深刻化している。一部の地方では条例を設けるなどの保護の動きも始まったばかりだ。

 石郵村で鬼やらいを演じるメンバーの葉根明さん(38)は「18歳から始め、一代一代伝統が引き継がれたことを感じる。後世にも残さなければならないという住民の信念が大切だ」と話していた。


<引用ココマデ>


中国のお祭りというとドラや爆竹に彩られた派手な祭りが想像される。人民網日本語版の記事を見ると儺戯というのはやっぱり派手なお祭りのようだ(写真は本来の祭りではないようだけど)。日本だけなのかな、地味に豆投げるの。というか、中国から来たとすれば、日本で地味になったのか。何も飾らずただ豆を投げてひたすら鬼にぶつけるというのは、逆に陰険な感じもする。石つぶてみたいな。儺に能のルーツを見る人もいるというが、これももしそうなら日本に来て抽象化され陰惨(「陰惨」と「陽惨」の前者側という意味)になったのか。「人民中国」の記事によると、

>中国の古代には三大祭りがあった。雨乞いの「ウ祭」、神を祭る「臘祭」、厄払いの「儺祭」である。旧暦11月の最終日に行われる「儺祭」では、面をつけた踊り手が、手に武器を持ち、悪鬼を追い払う様子を演じる。「儺」は、「宮廷儺」と「民間儺」に分けられる。二千年前には、孔子が朝服(朝廷に出仕する際に着る服)を着て階段のところに立ち、「郷人儺」(「民間儺」の一派)の役者を迎えた。のちには、寺の鬼やらいを専門にする「寺院儺」、士気を高め相手を脅すための「軍儺」も生まれた。さらには「儺」に娯楽性が加わり、徐々に演劇性が生まれ、「儺戯」へと発展したのである。

・・・となると単に厄払いの祭りということになり余り陰惨さはない。土俗性すら薄い単なるお祭り騒ぎのようにすら思えるが、

>儺面の種類は多種多様で、神聖や善良を象徴する正義の神面、凶暴や邪悪を象徴する不吉の神面のほかにも、また大衆を代表する世俗の面、滑稽やユーモアの道化面などがある。民間では、面をつけると、人間界、霊界、神界がつながると考えられている。そのため、面はとても神聖なものとされ、完成に際しては、必ず祈祷師による開眼式を行い、初めて「神」が宿る。舞台の前に箱から取り出す際と、終了後に箱にしまう際には、きまって面を祭る。しかも、面を跨ぐことは許されず、女性や子供に触れさせてはいけないなどのしきたりがある。このような規則があってはじめて、面に神通力が宿り、「一つの儺戯で百の悪鬼を追い払う」という諺が意味深くなるのだろう。



・・・ということで「非合理的な規則が存在する」という意味では土俗性がないわけではない。元はやっぱり呪術的な、オカルティな儀式だったのだろう。この面に対する感覚などが能に繋がると筆者のかたは考えている。多分古代中国において儀式から始まり祭りになり、日本に渡来して更に儀式に逆戻りしたような、そんな流れがあったのだろう。儺は中国北方では殆ど見られなくなったという。これは体制の影響が大きいと思うが、南部の民族や国をまたいで朝鮮半島にはまだ残っている。厄祓い自体は東洋の専売特許ではないから全部が一つのルーツに繋がるわけはないと思うが、こういう儀式儀礼的なものを追求するとき、日本という小島に特化して考えるのは偏狭だな、と漠然と思いました。ちょっと頭でっかちなことを書いてしまった。??


2005年06月21日

ミニモン・・・またはベビー・ネッシー

古いニュースを掘り出した。去年9月9日のホワイトヘブン・ニュースの記事。「へんな海の生き物がパートン海岸に」だそうだ。純粋に何?て聞いている。住人は困っているとか。それについていろいろな人がいろいろに答えている。

「ミニ・ネス湖の怪物」と人は呼ぶ(そうだ)。ジョーン・シングルトンが海辺に打ち上げられているのを発見したもので、釣り舟の船長も今までこんなもの見たこともないと証言。アザラシの身体、鯨の尾、ヒレが上と脇にあって、非常に鋭い鉤爪と歯がついている。ロバート・ベーティは数週前にやや小さいが似たものをブレイストーンズ海岸で見たと言っている。「それには、かなり大きいあばら骨と背骨がありました。魚じゃありません。私はそれがワニ、多分海の中に投げ捨てられたペットであると考えました。」イギリスはペット投棄の多い国だ。ニューキャスル大のドクター・マッカスカーはSt BeesとSeascaleの海岸で奇妙なビーストを見たという。「そうだね、エイリアン・フィルムのエイリアンに似ていたね」4,5フィートの大きさだったそうだ。皮の剥げたペンギンの屍骸にすぎないという人もいる。「ミニ・ネッシーと信じたいけど、アザラシの子供の腐乱死体だろうね」という人も。腐敗ガスで膨らんでいるために変な姿に見えるだけで、穴をあければ正体がわかったんじゃないかとは私も思った。とにかく水に浸かった屍骸は異様な姿に変形する・・・人間も。「むくんだ汽水イルカの幼体だろう」という見解もあった。この種類のイルカはイギリス海域に普通に生息しているが潜水しているため滅多に人の目につかない。イルカの子供説は目下一番有力のようだ。いずれにせよ、写真を載せておく。??

天井からぶらさがる足

小説家の山中峯太郎君が、広島市の幟町にいた比のことであった。それは山中君がまだ九つの時で、某夜近くの女学校が焼けだしたので、家人は裏の畑へ往ってそれを見ていた。其の時山中君は、ただ一人台所へ往って立っていたが、何かしら悪寒を感じて眼をあげた。と、すぐ頭の上の天井から不意に大きな足がぶらさがった。それはたしかに人間の足で、婢(じょちゅう)室の灯をうけて肉の色も毛の生えているのもはっきりと見えていたが、其の指が大人の腕ぐらいあった。山中君は怖いと云うよりもただ呆気にとられてそれを見つめていた。と、二三分も経ったかと思う比、其の足が烟(けむり)のようにだんだんと消えてしまった。(田中貢太郎「日本怪談実話」)

~おお、なんか新耳袋ぽい。あきらかに番町の「足洗い屋敷」の延長上にある話だが、ほんとわけわかんない。まだ「洗ってくれ」と云ってくれたほうがわかりやすいのに。火事とどういう関係があるのだろう。ひょっとすると「神経」かもしれないがほうっておこう、田中氏がそうしたように。

ドラキュラの息づく村、トーマの心臓

6/19のガーディアンに以下の題名の記事が載った。

「ドラキュラに未だに呪縛されている村
~恐ろしい墓地での儀式の背景にルーマニア伝統のヴァンパイアへの恐怖が」

ダニエル・マクラフリン

さっそくオカルト系ニュースサイトで紹介されまくっているが、単純に被害者が「トーマ」というのに惹かれて読んでみた。「トーマの心臓」は読んだことないけれど。全文翻訳はいいかげんめんどくさいので以下サマリーだけ。

南西ルーマニア、Marotinu de Susの遠く離れた村でのことである。ペトレ・トーマは普通の肉体労働者だった。彼は飲み過ぎや病気の挙句事故で2003年12月に死んだ。だが、彼の魂は安らかに眠らないだろう、と村人は噂した。彼の死体が6人の男によって損壊されたのはその後である。夜中にこっそり墓地に忍び込んだ村人たちのしたことはショッキングなものだった。「彼らはトーマの心臓を取り出して焼き、その灰をコップの水に混ぜて飲みました」トーマの隣人であったエリザベータ・マリネスクはそう語った。

それはストリゴイstrigoiに対処するためのルーマニアの古代儀式であった。実の妹は息子の妻が病気になったのを見て、彼がストリゴイになったのだ、どうにかしないと、と語った。眠らぬ魂が親族の血を吸うために戻ってくるという言い伝えがそこにはあったのである。そのため、深夜0時を前に、彼らは墓地に侵入してトーマの墓を取り囲んだのだ。

彼の屍骸を掘り起こした六人は熊手で胸を裂き、心臓を取り出し、残る身体に杭を沢山突き刺して、にんにくを撒き散らした。心臓は焼かれ、燃えかすは水に入れられて身の毛のよだつカクテルが作られた。それは病気の女性と六人に飲み干された。1年以上たった今でも不気味な儀式の影響が持続しているという。村の中央通り沿いに住むアニソアラ・コンスタンチンは「ええ、病気の人がまた元気になったから、正しいことをしたんでしょう」と語った。のんびりした道、牛やがちょうや馬が農夫とともにある。鳥のさえずりや家畜の鳴き声、糞まみれの庭。時間はゆったりと過ぎる。共産主義、その前の貴族社会やその後の自由市場によってさえも殆ど何ら恩恵を受けなかった農夫たちの生活を、儀式と迷信が形作っている。

彼らは呪いと邪眼を畏れる。そしてアンデッドを畏れることはないと言って、眠ることの無いストリゴイへ六人が施した処置を誰も非難しない。

地元警察は無理解である。トーマの娘の訴えを受けて、彼らは六人を逮捕して不法な死体発掘を告発した。懲役6ヵ月の判決が下されたが、そんなことは何の解決にもなっていない。「それをしたところで誰も苦しめられない。彼らの問題だ」80歳のチューダー・ストイカは擦り切れた帽子の下から語った。「この儀式はしばしば秘密裏に家族内だけで行われてきた。問題は警察が絡んだ時なのだ」

彼はストリゴイが何世紀にもわたってルーマニアの悪夢を生み出してきたと語った。例えるなら「悪魔のようなものであり、神に逆らい、悪をなすことを欲している。疫病をもたらし、不可解なノイズをたてるが、目には見えない」

しかしブラム・ストーカーが古いアンデッドの恐怖をトランシルバニアの15世紀の王ブラド・「ドラクール」・ツェペシュの伝説とかけあわせて「ドラキュラ」というキャラクターを作ったように、ストリゴイの伝説もしばしばヴァンパイアの匂いをにおわせる。現に発掘した一人はトーマの口許に鮮血を見たというのだ。

Marotinu de Susから数マイル離れたCelaru村のマリア・ドラゴミールは76歳になる。彼女は似たような出来事について何十回も聞いたことがあると回想する。赤ん坊が足から出てきたとき、もしくは胎盤のかけらがまだ着いていたとき、潜在的ストリゴイという人生の烙印を押される。そして、彼が死んだら編み棒を心臓とへそに突き刺し、起き上がって生活の糧を奪いに出かけるのを防がねばならないと言った。

ドラゴミールは死者の頭の下に置く小さいバッグを作る。そこには穀粒、小石、櫛、鏡、そしてリンゴが入っている。それらの組み合わせによりストリゴイが静かに眠るように仕向けることができると信じられている。

EUのリーダーたちが金曜にルーマニアの2007年加入を保証したとき、人々は次の最近のオカルト事件に興味を奪われ興奮していた・・・それは尼僧が3日間冷凍室の中で十字架に縛られたまま食べ物も与えられずに死んだというものだ。*彼女を殺したかどで起訴された僧侶と尼僧は、彼女から悪霊を祓っていたのだと主張したのである。


~結局後半殆ど訳してしまった。ここには迷信の恐怖がイギリスの保守派らしい論調でしかし冷静に描かれている。軽いオカルトが流行っている。しかし本来オカルトとはこういうものだ。死がその前提にある以上陰惨でなくはいられない。日本だって、探せばこういう話はいくらでも・・・??

*6/24にFOX Newsがつたえている↓詳しくは元記事

まぼろしの歩行者

東京メトロ銀座線表参道駅で線路上を渋谷駅方面に向けて人が歩いているとの乗客の通報あり。全車停車し全路を点検したが人こ一人見つからなかったため運行を再開したとのこと。

単なる勘違いならいいが。??

 20日午前11時55分ごろ、東京都港区北青山3の東京メトロ銀座線表参道駅で、乗客が駅員に「線路に人が立ち入り、渋谷に向かって歩いている」と通報した。

読売新聞)

2005年06月20日

未知動物コンファレンス:なまずとチュパカブラ

ヒューストンの新聞によれば4年に一度の南部未知動物コンファレンスが先週土曜に開催されたとかされないとか。250人の集会というのは微妙な数・・・しかもやっぱりアマチュアが多いようで。動物学の最先端と言いながら市井の研究家が大半を占めているというのは南部魂か。やっぱりうんざりするくらいビッグフットの話しばっかりしていたようで、その他の話題はというとニューギニアの「生きている恐竜」プテロダクティルス(懐かしい名だな)と大鯰。プテロダクティルスは翼竜(しかもちいさい)、ディノサウアではないのだが、この話題ひょっとして以前出たトカゲ竜の話しとリンクしてるんだろか。cryptokeeper.com管理人で動物学者のムーアさんは南部の貯水湖に住む大鯰研究家だそうだ。ナマズといえば地震国日本、各地の神社に地底のナマズを楔打つ要石が突き差してある。そこまででかくはないようで、報告の多くはせいぜいフォルクスワーゲン・ビートルくらいの大きさだそうだ。ムーアさんはそれでもでかすぎると言って夢をぶち壊している。動物というのは適正な大きさというものがあり、必然性が無い限り途方も無い大きさにはならないものだ。まあ正論です。彼は巨大鯰ツアーを企画していて、何週か後にはLake Conroeに潜水調査を敢行するとのこと。参加者のウェスリー・シンプソンさんは田んぼをきれいにしているときに1メートルの大鯰をとらえたことがあると言って、鯰がどのくらい大きくなるのか知りたいと思って参加したと新聞に語っている。ベンさんはモスマンとチュパカブラについて知りたがっていた。メキシコからやってきた山羊を喰らうもの、チュパカブラ。最近チュパカブラに飽きてきたメディアのせいですっかり日本では忘れられているが、今チュパカブラは合衆国に侵入し、空を飛べるようになっているらしい。ベンさんはそれはウソだと思うと言っている。ウロコに覆われているという情報は初めて知った。やっぱり爬虫類なのか。

なんか牧歌的でいいなあ。??

フェニックスの親子UFO

フェニックスでUFO(「未確認飛行物体」)映像が撮影されたそうだ。
ここで映像が見られる。なかなか面白い。きらびやかで綺麗だ。

小さな「子UFO」が「親UFO」の周回軌道に乗る場面が撮影されている。「撮影者が自ら後で入れた日時によれば」6月5日午後10時の撮影だそうだからもうだいぶ時間がたっている。その筋にはもう有名かもしれないが、たまたまさっきfarshores.orgが更新されたのを見たら出てきたもので報告まで。これが何かはわからん。「山の上に出たそうだからやっぱり軍関係かも(山には基地がありそう)。」撮影者はテキサスの映像作家でアマチュア映画製作者だそうだ。しかもUFOについてのDVDを作るためにアリゾナを訪れていたという。早速ufotheatre.comにアップした(売った)というから怪しまれても仕方ない。過去に鳥の群れをUFOと主張した経歴の持ち主というから尚更だ。しかも早速いろんなおせっかいが群れ集まって、明らかに手が入ってる、機械的におかしい、撮影日時がおかしい(古いビデオ?)といったちょっかいを出したら本人隠れてしまったようで。本人が検証を避けるがゆえこの映像は「未確認」のままとなり、「未確認」の飛行物体、即ちUFOになる。さて、判断はご自由にどうぞ。

野毛大塚異聞

「東京戸板がえし」10年ぶりに読み返すと面白い。なんで文庫化するさいに面白くなくしちゃったんだろう?前書いた野毛大塚の呪いについて、この本で書かれている内容が意外としっかりしているので、これが正解かなと思った。ソースが何なのかわからないが、ちょっと抄録しておく。

明治30年5月、下野毛の若者三人が杉と松に覆われたこの塚を好奇心から堀ったところ、箱型の石棺が出てきた。その中には副葬品にうずもれて甲冑を身に着け刀を携えた白骨が横たわっていた。驚き畏れて棺を埋めなおした三人は、帝室博物館に調査を依頼。副葬品は博物館に納められた。しかしその後三人のうち一人は病気になり、二人は発狂して自殺した。自殺した一人は「夢の中に鎧かぶとをつけた侍が馬に乗って出てくる」と言って5年のあいだ迷妄を彷徨い、挙句畑へ行く途中の芋穴の中に入り剃刀の刃で腹を十文字に切り裂いて悶絶死した。村人は大塚様の祟りだと石棺の上に社を建てたという。

塚が血を噴き出したとか発掘穴の中で自殺したとかいう話は書いてない。この古墳のある地域は今でこそ都心に近い高級住宅地だが明治時代にはド田舎の平凡な畑地であり、伝承はおろか、起こった出来事でさえいいかげんにしか伝わらなかったのだろう。

このあたりは多摩川の河岸段丘の上に位置する等々力という地域になるのだが、今も残る渓谷の滝の音が轟いた範囲を等々力と呼んだという。だから多摩川を挟んで両脇、神奈川と東京の両方に等々力という地名があるのである。川崎のほうはサッカー場で有名になった。但しいくらなんでも距離的にムリがあり、等々力という地名は一般名称と言ってもいいくらいよくある名前なので、両方に別の滝があったのかもしれないし、多摩川の川音が地形の関係でひときわ轟いていただけで、そもそも滝が由来ではなかったのかもしれない。そういえば多摩川を挟んで神奈川側から雪女が来ると言う伝承もあった。これは川筋にかなり広く分布している噺である。あまりにわかりやすい構図、この世とあの世の境界とされていたのだ。疫神などは遥かこの川を渡ってくると考えられていた。一つ目小僧、みかわりばあさんは多摩川から上陸しては田園調布や等々力あたりをうろついていた。目の足りない彼らに対して素朴な村人たちは籠を辻に立てて、籠目・・・無数の目を見せつけることで祓おうとした。これも等々力に限らず広く分布している伝承であるそうだ。そういう厄を撥ね退けるために、大塚様や亀子山といった強い武人の墳墓が設置され、段丘上からの監視役を果たしていたのかもしれない。そういう監視役を掘り出してしまっては祟られるのが道理である。まあ、道理というなら得体の知れない武人の白骨を見てノイローゼになり自殺しただけ、という説のほうが余程道理に叶っていると言えなくも無いが。そもそもほんとうの大塚様はこの石棺が埋められる前にここの主だった人である。前にも書いたようにここには複数の棺が埋められており、一部墓穴はだぶって掘られている(つまり追葬時に前の墓穴を潰した)。通常はこういうものは連綿と続く豪族の一族墓とみるのだろうが、権力を横取りした者が聖なる塚も乗っとったということもあったろう。江戸時代に至るまで日本人の葬送の伝統としてこういうことはよくある。先祖や古人が殆ど塵になった時点で壊滅して綺麗にし、新墓として再利用するなんてこと実によくある。意外とドライな日本人の感覚は、合理的でもある。先祖を敬うなんてことは、直近の先祖を敬うということであり、ぶっちゃけ直接知らない遠い先祖なんて心に何の引っかかりも感じないなら、それはもうどうでもいい。霊は自分の主観の中にしか存在しない。そこに何の敬意も畏れも感じなければ、壊滅させようが何も起こりはしない。けっこうそんな合理性が、既に昔の人の中にもあったのではないか、とも考えるのだ。

この三人は畏れたために祟られたのだ。

墓石の戒名

東京市小石川区第六天町江戸川縁から拓大の方へ往く途中の谷あいの街に、黒板塀の古い家があるが、其の家へ元松嶺の藩主であった酒井と云う子爵が引越した。引越したのは不幸続きで、地所も家作も持っていたが、それがどうにもならない結果であった。

ところで、其の家へ引越してみると、どうにもならなかった地所が高く売れたり、区割整理で家作が買収されたりして、めきめきと有福になったので、そこで本郷千駄木へ邸を新築して、いよいよ引越しと云う時になって、毎日踏んでいた庭の飛石の一つに文字のあるのを見つけた。それは古い墓石に彫った戒名であった。

酒井家では気が注かなかったとは云え、毎日墓石を踏んでいた事であるから、其の仏に対してすまないような気がして、近所の人に訊いてみると、其の家は旗下の家で、其処に非常に可愛がっていた一人娘があって、それが早世したので、邸の内へ葬ってあったが、その後其の家は人手に渡って、墓石は何時の間にか庭の飛石になった。しかし、其の家は縁起の佳い家で、其処へ入った者は皆繁昌して他へ移って往ったが、移って往く時不思議にその墓石の戒名がはっきり見えるのであった。松井桂陰君はそれに就いて、墓石と云うものは踏まれると罪障が消滅するそうだと云った。

(田中貢太郎「日本怪談実話」)

~墓石にまつわる祟り話を田中氏はいくつか書いているが往古墓石というものは無縁になったら魂を抜いて再利用されるたぐいのものにすぎなかった。移転を繰り返す寺など礎石や石塀に墓石を使っている例は幾らでもある。東京唯一の国宝建造物、東村山の地蔵堂のある正福寺には巨大な板碑が保存されているが、これはもともと小川の渡しに使われていたもので確か江戸名所図会にも出てくる。板碑とは鎌倉~室町期に流行した墓石の形態で梵字の彫られた薄石の簡素なものが多い。だいたい埼玉から北関東に多いが小規模なものは都下にも普通に見られる。この正福寺の「経文石」は変な字の彫られた石橋と単に認識されていたものを、墓石であると判断したものが外して保存しようとしたところ祟りをなしたという。折角人の足下から救い出し綺麗にまつろうというのに祟るものではないと思うが、この小石川の踏み石といい、人に踏まれる事で供養されるという考え方が意外と民間に広まっていたことを窺わせる。江戸初期には切支丹の踏み絵のようなことがなされていたものを、日本人の宗教意識というのはどうも御都合主義的でいーかげんである。人々が踏むことによる供養といって思い出すのは浅草寺の「踏み付け」縁起の久米平内像であるが、これは参道に自らの像を埋めて人々に踏みつけさせることにより悪行を懲らしめてもらうという、とてもまっとうな?考えかたによるもので踏み石の話とは根本的に違う。最後の松井氏の説はこの久米某の話に近い。子が親より先に死ぬのはそれだけで罪とされた時代である。

それにしても、住む者がいずれも踏み石によって幸福をもたらされている、というのが面白い。この少女はほとんど座敷わらしだ。相手かまわず幸せにするというのはいかにも異界的なわけのわからない怪異である。この本にも続いて二つほど幸福の訪れる家の話が書いてある(しかも一つは首くくりの霊の出る家が幸せをもたらす話、もう一つは「強力わかもと」の創業者の家の話である)。しかし思うのだが、少女はなぜ自分の肉親には幸福をもたらさなかったのだろう。少女の墓石を残して引っ越さざるをえなかった家族、考えてみれば墓石を捨て置いた家族はつまり結局少女を捨てていったのである。寂しい少女は家族が早く帰ってきてまた一緒に住めるように、引っ越してくるよそ者にわざと富をもたらして、さっさといいところへ引っ越させてしまおうと考えていたのかもしれない。今も「座敷わらし」と総称される神の話がそこここに聞かれる。先日テレビを見ていたら青い絣の着物を着た子供の写真が「座敷わらしの出る家で撮られた心霊写真」として出ていた。今やテレビにまで進出した無差別幸せ神、ディスプレイを通じて日本中に幸せを振り撒いてほしいものだが。

 

人面犬ビデオ

ツタヤに久しぶりに入ったら半額だったので、どーでもいいものを、と思ったら人面犬ビデオが目についた。かれこれもう16、7年前のビデオでしょーもない内容だったのを覚えている。時々ツタヤはどこかのつぶれたレンタル屋から大昔のビデオをもってきては並べる。借りてみた。

やっぱりしょーもなかった。懐かしいけどクソビだ。ようはパロディビデオなのである。変なガイジンなんて出てくる。オーケンが見たと言っているがよくきくと「うしろの百太郎」でみたということで電波ゆんゆんである。どうみてもあやしい。

きわめつけはライター石丸某が出てきてまことしやかな話をするのである。人面犬は自分が雑誌の記事を盛り上げるためにでっちあげた作り話、と言ってた石丸が、その雑誌片手にエピソードを語り実在を説いてる。おまえ何でもありだな!

バブルの時代だけあってうさんくささ爆発のこのビデオ、SFXの歴史に興味があったらどうぞ。制作費のほとんどが犬にかぶせる人面犬マスクとオーケンの出演料についやされてます。音楽もふざけてるわ。エロビ的安っぽさが何とも言えないな。


ちなみに人面犬は石丸某だけの創作ではない。古くからのネタなので念のため。

的場さんがやんちゃだったころに創作した話だと公言していたこともあるが、あのころのやんちゃさんたちはみんなそんなことを言っていた。



by r_o_k | 2017-08-14 17:21 | 鬼談怪談

奇談つれづれ(2001/1/9-2002/12/19)「インド人の骨」〜「タイムスリップ」

つづきです。
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2002/12/19
「タイムスリップ」
--ジョーン・フォアマン女史が集めた「タイムスリップ」例には、謎を解くもう一つの鍵が認められる。サレー州ウィズレー・クム・ピアフォードのタレル・クラークという女性が、夕べの祈りへ行くために、現代の道路を自転車でサイクリングしていた。突然、その道路が野原の小道になり、彼女はそこをとぼとぼ歩いているらしい。尼僧の服装になっている。十三世紀の農夫の服装の男が見える。彼はたたずんで彼女に道を譲る。それから一ヶ月後、村の教会のなかに坐っていて、彼女は教会が昔の状態に戻るのを見る。床は土のまま、祭壇は石造り、尖塔窓。現代の教会では聖歌隊しか歌わない単旋律聖歌を、茶色の僧服の僧侶たちが朗々と合唱する。この瞬間、タレル・クラーク夫人は、自分が教会の後ろのほうにいて、行事の進行を眺めているような気持ちになる。彼女に起きたことは、視点の移動ということらしい。彼女は、だれか別の人間の目で事物を眺めている。野原の小道をとぼとぼ歩く婦人の目だ。教会の後ろのほうに立って眺めている女の人の目だ。--
(コリン・ウィルソン「世界不思議百科」関口篤訳、青土社より)
*タイムスリップにはいろいろ事例があり、有名なものでは博物学者イワン・T・サンダーソン夫妻がハイチで見た「五百年昔のパリ」の風景がある。だが二入に同行したフレッドという男はまったくそのようなものを見なかった。
--やがて体が前後に揺れるような感じになってきた。少し眩暈もする。フレッドの名前を呼んだ。すると彼の白いシャツがたちまち遠ざかって消えた。
その時なにが起きたのかよく覚えていない。私たちは彼を追いかけようとした。しかし、目がくらんだ。粗い大きい縁石と思ったものに腰をおろした。フレッドは、どうしたのかと言いながら走って戻ってきた。しかし、最初はなにを言ったらいいのか分からない。彼が煙草を保管している。まだ数本残っているはずだ。彼はそこに坐って私たちに一本づつ渡した。彼のライターの火が私の目の前で消える。それと同時に十五世紀のパリも、ふっとかき消えた。私の目の前には元の限りなく続く薮の茂みとサボテンとむき出しの土しかなかった。妻もライターの焔を見た瞬間に「帰還」した。フレッドは何も見ていない。私たちの話に彼はキツネにつままれたような顔をした。しかし、疑う様子はない。三人でそこに坐ってトラックを待っていただけだと言った・・・。
--後に村の若者一人がサンダーソンに次のように言った。「旦那、あれ見た。ちがう?旦那、それ変だと思ってる。だけど、見たいと思ったら、いつでもそれ見ることできるよ」。--
この有名な話しとともに、ヴェルサイユ宮殿で1789年のヴェルサイユに迷い込んでしまった二人の英国婦人の話しも採録されている。これも有名な話しだ。タイムスリップについては夜話で私の体験談も載せている。未来の自分に心だけタイムスリップしたというものなのだが、この本で指摘される「昔の時代の、他人の目で見る」という共通点について、ちょっと感覚が似ているなと思った(私の場合は「未来の時間の、自分の目で見る」だったのだが)。本文引用の例はいわゆる「幻覚」のたぐいのようにも思えるが、そこに一種超能力のようなものの存在を感じさせる。霊媒というものと紙一重のところにいるように思う。一方サンダーソン博士の体験は幻覚ではすまされないものがある。夫人も一緒に見ていること、現地人は「知っていた」こと。煙草の火で消えたこと(煙草に火をつけたとたん我に返るというのは、怪奇談でしばしば聞かれる結末だ)。-それにしても「体ごと」タイムスリップすることは無いようだ。サンダースン博士の場合もフレッドという男に言わせれば、「その最中」ただ並んで坐っていただけだというのだから。

2002/12/18
「テレビにうつるもの」
--所用のため、友人のAさんと長野市内で会った。Aさんは、「ちょっとの間待ってね、すぐ終わる用があるから」といって私を巫女さんのところへ連れていった。この巫女さんは、死者の霊を招いてくれたり、悩み事や病気を治してくれる方なのだそうで、Aさんは私を待合室において奥へ入ってしまった。大分待ったけれどなかなか出てこないので、奥へ覗きに行ったところ中から声がかかった。
「そこにいる人、中へお入りなさい」
中へ入ると坐れという。坐ると、
「あなたの背に死者がのっている。その人は男の人で六十二歳位の人、頭は白髪まじりで角刈りにしている。脳の病いで死んだ人だ。非常に業の深い人だから、あなたはその霊が救われて、離れるまで供養しなければならない。そうでないと、あなたが不幸になる」
そういって、ろうそくと線香を包んでくれ、
「しっかりするんだよ」
と肩をたたいた。帰りに角刈りの人、角刈りの人と考えながら帰ったけれど思い当たらない。それで、このことは忘れることにした。
その夜中、なかなか眠れないので天井を見ていると、テレビの方がチラチラ明るい。起き直って見ると画面いっぱいに男の人が映っている。驚いたことに角刈りであった。間もなく消えたけれど身震いがしてついに眠れなかった。
それから一ヶ月ばかりたって久し振りに亡夫の実家へいった。この家のしきたりで訪れる人はまず仏壇に挨拶するのが例であったので私も拝礼し、ふと頭を上げて見ると、写真が目についた。それが角刈りのおじさんだった。そして先夜のテレビの人そっくりであった。私はこの家の当主である亡夫の甥を呼んで聞いてみた。
「この人は誰?」
「おやじだいね」
「お父さんはいくつで亡くなった?」
「六十二でいったわね、脳出血でね」
ここまで聞いて私はえたいの知れない身震いで、しばらくは立ちつくした。
(長野県・多田ちとせ/文)--
(松谷みよ子「現代民話考[第二期]Ⅲラジオ・テレビ局の笑いと怪談」より)
*話しの流れからすると、テレビの影は単に「暗示」にかかった結果なのかもしれない。角刈りの人角刈りの人と考えながら帰っているくらいだから、夜、入眠時にありがちな幻覚として、昼間に刷り込まれた「角刈りの人」がブラウン管の中に顕れたように感じたのかもしれない。ただ、最後の事実との一致は偶然と片づけるには少し不気味すぎる感がある。テレビの中にえたいのしれないものが顕れるという例は、結構多いようで、例えば「心霊写真」「心霊ビデオ」のひとつの典型として、「電源の入ってないブラウン管に不気味な顔が・・・」というのがある。また、これは5、6年前のことだったと思うが、終わったテレビのサンドストームの中に、「死後の世界の映像」が映りこむという「現象」が、テレビ番組で特集されたことがある。いささか胡散臭い話であるが、さしずめ映画「ポルターガイスト」の中の、「サンドストームに引きずり込まれる少女」のようなイメージだ。この映画でもサンドストームは死者の世界ということになっている。電気と水は死者を呼び易いというが、常時電気の通じているテレビというものは、死者の世界との接点に近い場所なのかもしれない。
2002/12/16
「金しばり」
--これは金しばりにあった人の話です。ある女の人が夜、寝ていると、ベッドの回りを誰かが歩く気配がしました。ふと目を覚ますと足元に、白い服を着た小さな女の子が立っていました。体は動きません。そこでその女の人は以前、金しばりにあった時は自分の信じる宗教のお題目やお経を唱えればいいと聞いていたので、一生懸命目を閉じて心の中でお経を唱えていました。するとさっきまでベッドの回りを歩いていた気配がなくなったので、安心して目を開けると、目の前にさっきの女の子の顔があり、「何、拝んでんの」と言われたそうです。
[出所]話者は、大阪の女子短期大学生。一九八八年六月に三原が聞く。--
(三原幸久ほか編著「魔女の伝言板」白水社より)
*「金しばり」は手ごろな怪談話としてしばしば登場するシチュエーションだ。私自身もそうだが、だいたい30代までには体験しなくなるたぐいのもので、若年期特有の感覚なのだろう。この話は「おさまった」と思った直後、絶望的な結末をむかえるという、怪談としてはいささかできすぎな感もしなくはないが、面白い噂話として採録した。金縛り最中に何か得体の知れない(人間のような)ものに出くわすというのはこの種の話では定番の筋書きだが、体がまったく動かない絶望的状況において何らかの異質な気配を感じるというのは非常に恐怖をかきたてられるものである。私自身、大阪の某ホテルで就寝中、開かない窓が突然開いて、黒ずくめの男が入ってきて、ベッドのまわりをぐるぐる回られるという経験をしたことがあるが、直後より朝まで一睡もできないほど、恐怖をかきたてられた。別項でも書いたが、白いドレスの女があらわれて、「俺じゃなくてあいつのところに行けよ」というようなことを心の中で呼びかけたら、ほんとうに友人の部屋に行って「悪さ」をしたというようなこともあった。学生時代はそれこそ毎晩のようにいれかわりたちかわり妙なものが顕れたが、別項に書いた、坊主の集団に取り囲まれたり、外から入ってきた大男に首をしめられたというようなことが特に怖かった経験として記憶に残っている。
2002/12/15
「ろくろ首二話」
--若狭国の百々茂右衛門という侍が、夜更けに士町の水谷作之丞という人の高塀の外を通ると、塀の上に女の首があってそれがあちこち移動している。茂右衛門は不審に思って月影に透かして見ると、それは作之丞の侍女で、その首は茂右衛門を見覚えているのでこちらを見てにっこり笑う。茂右衛門は無礼な奴と思ったので持っていた杖で首の頭をそっと突くと、首は邸内に落ちた気配がした。
丁度その頃作之丞の侍女は熟睡していたが、急に叫んで目をさましたので、傍に寝ていた下女が「どうなさいました」と聞いた。すると侍女は「今恐ろしい夢を見た。旦那様と話をしていると門前を通られた百々茂右衛門殿が、わたしを見てお持ちになっている杖でいきなり頭を叩かれた。あまりの痛さに逃げ出したところで目がさめた」という。翌日侍女は作之丞にこの話をしたが、「たあいのない夢だから気にするな」といわれた。その後茂右衛門も塀の上で見た侍女の首の話をした。作之丞は暫く考えていたが、これは侍女が轆轤首に違いないと知り、侍女を密かに呼んでその事をいうと、侍女は恥じて直ちに暇をとって寺に入り、一生を尼として過ごしたという。(原著:藤沢衛彦「妖怪画談全集」日本編上)
*この「首」は「魂」に近いものなのだろう。首がじっさいに抜けたところは描かれていないからだ。これを不可解な不思議話として置いておくと、次の話はある程度医学的に説明できそうな話である。
--俳諧師の遊蕩一音という男が新吉原で美貌の遊女と馴染んだが、仲間があの女は轆轤首だというので、居続けをして様子を窺うと、夜中にその遊女の首が枕から三十センチも伸びた。一音が驚いて大声を出したので不寝番の妓夫太郎や棲主たちが飛んできて一音をなだめて酒肴でもてなし、これが評判になると店に痕が付くからどうか内緒にしてくれと平身低頭した。考えるに飛頭蛮のように首が数メートルも伸びたり飛んだりするのは嘘であるが、異質のものは気がゆるむと首の皮が伸びてこうしたこともあるものである。(原著:伴某「閑田耕筆」巻之二)
(以上、笹間良彦「図説日本未確認生物事典」柏美術出版より)
2002/12/14
「餓鬼」
--伊勢から伊賀へ抜ける街道で、私の後から一人の男が急いできて、
「私は大阪の者ですが、今ここへ来る道筋で餓鬼に取り憑かれ、飢餓感でこれ以上一歩も進めず難渋しています。御無心ながら、何か食べ物を頂戴できないでしょうか」
と言った。
なんと不思議なことを言う人だと思いながら、
「旅行中で食べ物の蓄えはありませんが、切り昆布なら少し持っています」
と答えると、
「それで結構です」
と言うので、与えると直ちに食べてしまった。
私は、
「餓鬼が取り憑くというのは、どういうことなのですか」
と問うと、男は、
「目には見えませんが、街道筋のところどころで、餓死した人の霊や怨念が現れます。その怨念が餓鬼となって、道行く人に取り憑くのです。餓鬼に取り憑かれますと、突然飢えがきて、体力がなくなり、歩くこともできなくなります。私は、過去に何度もそのような経験をしたことがあります」
と答えた。この男は、薬種商人で、常に諸国を旅行して歩いている人だった。
その後、播州国分のある寺院の僧に、そのことを尋ねると、
「私も、若い頃、伊予で餓鬼に取り憑かれたことがあります。それ以来、諸国行脚の旅をするときは、食事の際に出た飯の一部を取りおいて、それを紙に包んで懐に入れ、餓鬼に憑かれたときのために貯えておきます」
と答えた。
なんとも不思議な話だ。--
(花房孝典編著「大江戸奇怪草子」三五館より)
--俗に言う「ひだる神」のことである。別項でも書いたように思うが、私も中学のころ、登山中にこれに近い状態に陥ったことがある。歩いていて、突如ふらっとし、体中の力が抜け、動けなくなった。崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまう。・・・これは「ひだる神」か?それなら、と震える手で荷物からビスケットを取り出した。それをたった一欠け口に含んだとたん、急に体に力が戻り、けろっと元どおりになった。爽やかな晴天の下、尾根筋を縦走中のことで、特段きつい日ではなく、脱水症状とも違うようで、なんとも不可思議だったことを覚えている。--
2002/12/12
「水蜘蛛の怪」
--我が家に按摩療治に来る七都という座頭から療治を受けながら直接聞いた話である。
七都は上総の国夷隅郡大野村の出身で、村には幅十間ほどの川が流れているそうだ。
七都は二四歳のときに失明して座頭になったが、彼がまだ二二、三歳のころ、ある日その川に魚釣りに出かけた。
その川には「樅の井戸」と呼ばれる大変深い淵があり、対岸は薮に覆われ、昼なお暗く寂しいところだが、そこはまた魚影の濃い特別の場所だったので、七都はいつも樅の井戸に釣り糸を垂れていた。
その日は、なかなか釣れず眠くなってうつらうつらしていると、水の中から蜘蛛が出てきて、七都の足の指へ糸をかけ、また水の中へ潜り、再び出てきてまた同じように指に糸をかけた。七都は夢かと思いながら、ふと足元を見ると、なんと足首のほぼ半分に糸がかけられていたので、驚いてはずし、糸を水際に立つ杭に巻き付けておき、何事が起こるのかと、息を凝らして見ていると、ややあって、何者かが水中から、
「いいか、いいか」
と声をかけた。するとその声に呼応するように藪の内から、
「いいぞ」
という声が聞こえた。
その瞬間、糸の巻かれた杭はポキリと折れて水中に引き込まれてしまった。
その後は、あとをも見ず、慌てて家まで逃げ帰ったということだ。
(根岸鎮衛「耳袋」より)
2002/12/11
「・・・」
--神奈川県三崎町油壷にある旅館の離れに、アベックの幽霊が出て、別れ話をする。「アンタ、自分の主張というものがないの!?」
と女性の幽霊が言うと、男のほうはただただ黙り込む。--
(原著:松永克広「妖魔がさ迷う怨霊列島」グリーンアロー出版社、広坂朋信「東京怪談ディテクション」希林館より)
2002/12/7
「雪の午後 帰ってきた男」
--彼女は、Rという、東京にある商事会社の開発事業部の新入社員である。
今年初めて東京に雪が降った日のこと、海外出張に出ていたN氏という35歳の男性社員が社に戻ってきた。
「ただいま帰りました」
「あれ?早かったのね」
「ええ」
N氏は、予定ではこの日の夜8時くらいに社に戻るはずであったが、今はまだ昼休みである。
出張の疲れのせいか、N氏の顔はどこか蒼ざめていて精気がなかった。
「ご苦労だったな。荷物を整理したら今日はもう帰っていいぞ。今夜は積もりそうだ」
課長が窓の外を眺めながら言った。
「むこうも積もっていたかね」
「真っ白でした。雪はいいですよね。なにもかも、きれいに埋めてしまう・・・」
「どうした、詩人みたいなこと言って」
課長がN氏のほうを振り返る。
「いや、なんていうか、雪の中で死ぬっていうのは、きれいでいいなあって・・・。ほら、昔あったじゃないですか。やくざが、雪の中で刺されて、真っ赤な血しぶきを上げて死んでゆく映画が・・・。かっこよかったよなあ。真っ白な地に真っ赤な血・・・」
N氏はスーツケースの中の荷物を整理しながらつぶやいた。
「昔はやったもんな、仁侠映画」
N氏と課長は大の映画好きだった。
「はい、お茶」
女性社員が茶碗を出す。
「ありがとう」とN氏。
「ああ、うまい。やっぱり普段何気なく飲んでて気づかないけれど、外国から帰ってきたあとの一杯は心にしみるな。生き返るよ、ほんと」
しばらくすると、窓の外の雪がだいぶ激しく降りだしてきた。
「テレビつけてみろ、天気予報やってんじゃないか」
課長の言葉で、テレビの近くにいた社員がスイッチをつけた。
お昼のニュースである。
「ただいま入ったニュースですが・・・」
深刻そうなニュースキャスターの顔。画面右下の”飛行機墜落”の文字。
「・・・ボーイング××機が、アンデス山脈北東部に墜落したもようです」
「あっ、これNさんが乗るはずだった飛行機でしょ」
女性社員が身を乗り出した。
「よかったなあ、おい、早く帰ってきて正解だったよ。あれに乗ってたら、今頃おまえはオダブツだ」
課長がN氏の肩を叩いて笑った。
「・・・乗客の中には日本人もいたもようです・・・大使館の確認によりますと、乗っていた日本人は・・・」
ニュースキャスターが墜落機の日本人乗客の名前を読み上げる。すると、お決まりのカタカナ表示で死亡者の名がテロップされる。
「・・・さん、・・・さん、・・・さん、・・・」
「あっ!」社員一同ほとんど同時に叫んだ。
「Nさん」
一斉に社員はN氏のほうを向いた。
N氏は顔を上げた。
その顔はまるで万年雪のように蒼白だった。
一瞬の沈黙。しんしんしんしん・・・雪の音。
「そうなんだ・・・俺、死んじゃったんだよな・・・」
N氏はポツリとつぶやくと、静かにみんなの顔を見渡して、寂しげに笑った。そしてドアを開けると廊下へ出ていった。
「Nさん!」何人かがあとを追う。
しかし、すでにN氏の姿は廊下にはなかった。
同僚がN氏の席を見ると、彼が持っていたスーツケースや荷物はなかったが、机の上に出張先でまとめた書類と、取り引き成立の証明書が乗せてあった。
しばらくの間、みんなその場で凍りついたかのように動くことができなかった。やがて、課長がわれに返ったようにつぶやいた。
「責任感のある奴だったからな」
課長の言葉に、数人の女子社員のすすり泣きがかぶさった。
この日、夜になっても雪はやまず、東京は久しぶりにかなりの量の積雪を記録したという。
(会社の怪談調査委員会「カイシャの怪談」ワニブックスより)
2002/12/4
「たたり神」
--私は先日、某地域の社寺取材に行ってきたのだ。そこから帰ってきた数日後、知人から「取材はどうでした?」と電話を貰った。
私と同じく神仏好きな人だったので、色々盛り上がってると、彼は突然「その近辺にある××神社に行きました?」と声を落として聞いてきたのだ。
「ああ、あのわけのわからない渡来神を祀った神社ねぇ」
変わった名称の神社だったので、私はちゃんとチェックしていた。今現在、祭神はオーソドックスなものになってるが、本来は海の向こうから来た神を祀った場所である。
その渡来神の素性は不明。好奇心をくすぐられる場所だ。
「行こうと思ってたんだけど、時間がなくなっちゃって。次回ということにしたんです」
言うと、彼氏、しばし黙ったのちに、こんな話をし始めたのだ。
「僕の親戚が以前、夕暮れにそこの神社に行ったら、杖をついた身の丈三十センチほどの白髪の老人に会ったんですよ」
「へ?」
それこそ、神サマか。
杖をついた小さな老人って、北海道にいるというコロボックルって感じじゃない?妙にラッキーなイメージだ。
「それは、いいものを見ましたねぇ」
ちっ。無理してでも行ってみればよかったな、と、思いながら答えた途端、
「はぁ。いえいえ。その親戚、老人を見た一週間後に亡くなってしまって」
彼は低い声で返した。
「亡くなったって・・・」
「気になったので調べてみたら、神社に小さな老人が出るっていう話は、その近辺では、よく知られたことだったんですよ。そうして見た人はみんな、そのあとですぐ死んでいるっていうんです。昔からある話らしくて・・・。だから土地の人は絶対に、夕暮れ以降はそこの神社に行くなって、子供に教えているそうで」
「・・・」
「危険なので、今は神社に門をつけて閂をかけてあるんです。でもね、時々、誰が開けたわけでもないのに、閂が外れているんだそうです。そうすると、事情を知らない誰かが入ってしまったりして」
やややや、やめてくれえぇぇっ!---
(加門七海「うわさの神仏」集英社より)
2002/12/3
「東尋坊の怨霊」
--真夜中、こんな所に来るのは、自殺者か、よほど神経の図太い人間だ。墓場の肝試しの百倍以上も怖い。
林の中ほどにさしかかったとき、何故か懐中電灯の球が切れてしまった。ここに来る途中、コンビニで買った七八〇円の安物だ。私は、ちきしょう、と呟きながら懐中電灯を捨てた。
しばらくは動かずに目をならしたが、まったく明かりのない深い森の中では、一メートル先も見えなかった。
足を踏み外したら最後、自分が霊安室に横たわる羽目になる。
手探りで観光客用の公園がある方角へ向かった。そこにはわずかだが街灯があったはず。
ゴツン。何かが頭に当たった。恐る恐る手で触れる。靴・・・?足だ!!
振り払おうとした手が空を切った。消えた!?
木にぶつかりながら、無我夢中で逃げる。この東尋坊は、飛び降り自殺の次に首吊り自殺が多い。怖いと思う気持ちが、木の枝を足と錯覚させたのか。いや、たしかにバスケットシューズの感触だった。しかも、木の枝なら消えるはずがない。
やっとのことで林を抜け、公園の中の街灯の下に出た。ハアハアと息をきらしながらベンチに座ると、オレンジ色の淡い光があたりを照らしていた。目の前には岸壁が迫っている。
と、突然、人の気配を感じてギョッとした。隣のベンチに誰かが座っている!!たしか、自分が座るまえは誰もいなかったはずだ。
私はゆっくりその方向に顔を向けた・・・。
いる!母親らしき人影と小学三年生くらいの男の子が、前を見つめたまま寂しそうにたたずんでいる。
思わず手を合わせお経を唱えた。すると親子は立ち上がり、岸壁のほうに歩き出した。
そして母親は子どもを抱え上げると、真っ暗な海をめがけてパッと飛び降りた!
私はアッと声を出す以外、なすすべがなかった。恐ろしさのあまり、心臓が喉から飛び出しそうだ。あれは幽霊だ。直感でわかる。私はふたたび、一人で来たことを後悔した。
ベンチ横の、自殺防止用の公衆電話(命の電話)にはいり、宿泊している旅館に電話をかける。二人が帰っていたら呼び出そうと思ったのだ。しかし、いくら十円玉を入れても落ちてしまう。壊れているのか?
プルーッ、プルーッ、どこかにつながった。でも、なぜつながるのか?
私はダイヤルしていない!
「・・・シク・・・シク・・・シク・・・」
受話器の向こうから、女のすすり泣きが聞こえてきた。霊界とつながったのか・・・。私の体は、氷の柱のように動けなくなった。
追い打ちをかけるように、誰かの手が右足をつかんだ。見ると、電話ボックスの下から青白い女の手が・・・。ボックスの外には誰もいない。あるのは手だけ。しかもそれは、半透明に透けている!
立て続けの怪事に、すっかり頭の中がパニックになってしまった私は、電話を切り、十円玉を入れ、また切っていた。何度もその行為を繰り返すうち、やっと我に帰った。
電話ボックスをはい出て、防風林を迂回し、車を止めてある舗装道路まで走る。車に乗り込むと、けっしてルームミラーを見ないようにし、全速力で旅館に戻った。
落ち着きを取り戻したのは、旅館の駐車場に着いたときだった。取り乱していては、部下にしめしがつかないと思い、深呼吸をして玄関にはいる。
部屋に戻る途中、エレベーターでいっしょになった仲居さんが、私を見るなり怪訝そうな顔をしてこう言った。
「あ、お兄さん、誰かつれてきたね。私の体の半分(手で体を縦に切るしぐさをして)が、ジーンと痛くなってきたよ」
「本当に?」蚊の鳴くような声で応えるのが精一杯だ。
「家まで、ずっとついて来られたら、いったいどうすればいいのだ?」
部屋に戻ると、真っ青な顔をした二人が私の帰りを待っていた。口々に今夜体験したことを報告しあうと、大の大人でもトイレに行けないほどの恐怖が襲ってきた。
結局、私たちは、外が明るくなっても寝つけなかった。---(ガルエージェンシー代表渡邊文男「怨霊調査報告書」ごま書房より)
*この本は非常に興味深い。「日本で一番有名な探偵」(しかも霊感がある)がその培ってきた調査能力を駆使して日本中の”問題物件”を実地調査のうえ、報告書の形で提示している。面白い。ちなみに東尋坊は昔東尋坊という坊主が悪行のすえ追いつめられて飛び降り死んだためその名がついたという岸壁で、自殺の名所である。飛び降り自殺となると海に叩き付けられて死ぬように思うが、ここは水が浅くて岩が透けて見えるようなところで、寧ろ岩に叩き付けられぐちゃぐちゃになって死ぬらしい。崖自体はそれほど高いわけではなく、海まで降りて遊覧船に乗ることができる。
2002/12/2
「帰ってくる死体」
男の人が二人、友達同士で雪山にのぼったんですよ。ところが吹雪にあって、遭難しちゃって、なんとか山小屋にたどりついたんですけど、一人の方が死んじゃったんですね。それでやっぱ、一緒っていうのはなんじゃないですか。だから小屋の外に雪掘ってうめたんですよ。それで一晩ねて、朝、気がついたら隣りにそのうめてきたのがねてるんですね。ぎょっとしちゃって、生き返ったのかと思ったけどやっぱり死んでるし、でもその日も吹雪がやまなくて、また山小屋に泊まったんだけど、その死んだ友達を、しょうがないし、もっと遠くへうめてきたんですよ。で、朝目がさめると、また隣にねてるんですよ。で、まだ吹雪はやまなくて、もうどうしようもなくて、そうだ、それでビデオもってたんです。それで、じゃどういうことになってるか、夜ビデオ、セットしとこう、ということでセットしといたんですね。で、朝、また隣にいるから、ビデオみたら、最初は自分が一人でねているのがうつっている。そのうち、むくっと自分がおき上がって外へ出ていったんですって。で、しばらくしたら自分が戻ってきたんですけど、それが死んでる友達をかついでたんですって。それで自分の隣にこうやってねかせて、無意識にさみしくて掘り出してきてたっていう。
[出所]一九八五年に当時二十代前半の女性から渡辺が聞く。
(渡辺節子ら編著「魔女の伝言板」白水社より)
*この話しはさまざまなバリエーションをもって広まったウワサ話である。その影響範囲は日本にとどまらないようだ。映画「ブレアウィッチ2」のオチなど、このネタに通低するものがある。
2002/12/1
「隣室の客人」
--ところで、いまは「天城」の話である。
ある日のこと、男の客がふたり連れで隣室に入ってきた。
といっても、そのことに気づいたのは深夜になってからである。おたがい異なった地方で頑張っていた友人同士が、この宿で落ち合って旧交を温めている、そんな感じのおだやかな話し声がずっと聞こえてきた。声の質から考えて、教員とか地方の公務員とか、そういう職業の人間だと判断した。
わたしも夜型の人間ではあるし、夜中に仕事をするので、たいして気にならないものの、時計が三時、四時をさすころにはうとうとしはじめる。
さてこちらも就寝しようとしたが、隣室の声がうるさくて眠れないのである。いったん気になりだすと話し声が耳について、ますます眠りから遠ざかってしまう。
いったいこんな夜更けまで、何について話しているのだろう。よく通る声のわりには言葉の意味はもうひとつ判然としない。はて、日本人なのだろうかなどと考えていると、ひとりの男が相手の非をなじりだし、なじられた男はくどくどと弁解しているようすだ。
結局、こっちはその話し声に邪魔されて、安眠できないまま朝を迎えたが、頭重で気分の悪いことおびただしい。気がつくと、男たちの声も聞こえなくなっていた。
ともあれ、隣室の迷惑も考えぬ客というのは不愉快な存在であるから、あくびを噛み殺しながら階段を降りると、帳場へ怒鳴りこんだのである。
「ホント、ひでえ迷惑なんだってば。昨夕、隣りの部屋に泊まってたの、どこの、なんていう奴?」
「あら、隣りの部屋って?」
ちょうど五十歳前後の帳場のおばさんは、首を傾げた。
「だから、隣りの、菊の間-」
彼女はわたしの顔をまじまじと見ると、ほんとうに嬉しそうにニターッとほほ笑んでいった。
「昨夕、お二階には、山田先生、あなたしか泊まっていませんよ」
「そんなばかな・・・現に、昨夕・・・ぼくは」
「宿帖、見ますか、ホラ」
「・・・」
(山田正弘「怪談 幻妙な話」二見書房より)
2002/11/30
「動く棺桶」
1812年8月9日、カリブ海に浮かぶバルバドス島で、トマス・チェイス卿の棺桶を石の階段の下の同家の地下納骨所におろすことになった。重い石蓋を横に動かしてランプの光で中を照らした。様子が少しおかしい。すでにそこに入っている三つの棺桶のうちの一つは側面が下になっている。赤ん坊の死骸が入っている棺桶は隅で頭の部分を下にして突っ立っている。明らかにだれかが、この墓地の神聖を汚した。しかし、不思議なことに、むりやりに押し入った形跡はどこにもない。棺桶を元の場所に並べ直して納骨所を封印した。土地の白人たちはニグロの労務者の仕業に違いないと噂した。トマス・チェイスは奴隷所有者で、残酷かつ無慈悲な男だった。チェイスよりほんの一ヶ月前に死亡して最後に地下納骨所に入った棺桶は、彼の娘のドーカス・チェイスだが、彼女は奴隷に対する父親の野蛮な仕打ちに抗議して絶食し、それで死んだとの噂だった。
それから四年が過ぎた。1816年9月25日、小さな棺桶をその地下納骨所にまた入れることになった。死骸は生まれてまだ十一ヶ月のサミュエル・ブルースター・エイムズ。今回も納骨所はひどく乱れていた。四つの棺桶すべてが、床にひっくりかえっている。トマス・チェイスの棺桶は重い鉛の内張りで、持ち上げるだけで八人の男手を必要とするものだ。これもひっくりかえっている。今度も棺桶を元の場所にきれいに並べ直して、納骨所を封印した。
次に納骨所を開いたのはその七週間後だった。今度はサミュエル・ブルースターの死骸を収容するためである。この男は同年の四月の奴隷の反乱騒ぎで殺され、ほかの場所に仮埋葬されていた。今度も地下納骨所は、むちゃくちゃな荒廃ぶりだった。棺桶が混乱状態でひっくりかえっている。ニグロの奴隷たちの仕業であることを疑わないものはなかった。彼等が仕返しでやったに違いない。しかし、どんな方法でやったか、これが謎だった。大きな大理石の蓋は、そのたびにセメントで封印している。その封印が破られた形跡も封印をし直した形跡もない。
この納骨所に最初に入ったのはトマシーナ・ゴダード夫人の棺桶だが、これは手荒く扱われたのが原因と考えられるが、板が壊れてがたがたになっている。これは、応急処置で針金で縛って壁にたてかけた。この納骨所は三・七メートルと二メートルの縦横しかない。少し混んできた。子供の小さい棺桶を成人の棺桶の上に置いた。それから再び納骨所を封印した。
バルバドス島はこの奇怪な噂でもちきりになった。嬉しくない好奇心の対象になったのはキリスト教会とそこのトマス・オーダーソン牧師である。噂をふりまく雀たちに対しては、彼はじっと我慢するしかなかった。しかし、社会的地位が高く丁寧な応対が必要な人士には次のように説明した。自分と治安判事は最後の事件以来、同地下納骨所の調査を継続している。問題はどんな方法でそこに侵入したかだ。秘密の扉はあり得ない。床も壁面も湾曲した天井も完全に堅固で、割れ目も裂け目もない。洪水も出水も原因でないことを牧師は確認した。納骨所は地表から約60センチ下だが、固い石灰岩をくりぬいた造りだ。出水があればそのマークが残るはずだ。それに、重い鉛の内張りの棺桶が水に浮くことなどおよそ考えられない。土地の黒人たちは次のように噂した。あの墓地には、なにか呪いがかかっている。超自然の力が棺桶を動かした。言うまでもないがオーダーソン牧師はこの考えを退けた。
次の埋葬はいつ行なわれるか。全バルバドスが関心を持ち興奮した。それは1819年7月7日だった(十七日とする説もある)。トマシーナ・クラーク夫人の死骸が、杉材造りの棺桶に収容されて納骨所に入ることになった。前回の封印でセメントをふんだんに使ったので、これを除くのにかなりの時間を必要とした。セメントをやっと除去した。次はドアだが、これが頑として開かない。さんざん苦労したあげく、トマス・チェイスの大きな鉛張りの棺桶が元の位置から約二メートル弱も移動して、ドアをふさいでいることが分かった。針金で巻いたゴダード夫人の棺桶を除いては、ほかの棺桶もいずれも乱れている。これで出水が原因でないことが、確実に証明された。木の板が動かない出水で、鉛張りの棺桶が動くことは絶対にあり得ない。
バルバドス総督のカンバーミア卿がまっさきに納骨所へ入った。彼は徹底的な調査を指示した。しかし、結果は前にオーダーソン牧師が言ったことと同じだった。悪漢がいたとしても、この地下納骨所にこじ入る方法はいっさいあり得ない。秘密の引窓もない。水の侵入口もない。納骨所の再封印に先立って、カンバーミアは床に砂をまくよう命じた。侵入した人間の足跡が残るはずだ。彼はさらに自分の個人用封印も使用した。こうすれば、開いて封印し直しても必ず痕跡が残る。
八ヶ月後の1820年4月18日、カンバーミア卿の総督官邸でパーティが催された。話題は例によってあの地下納骨所のことになった。ここで総督は提案した。前回の対策処置に効果があったかどうか、全員で行ってみよう。行ったのは総督と牧師と二人の石工を含む九人だった。セメントと封印には異常がない。まずこれを確認した。次に石工がドアを開いた。ふたたびそこは混乱状態だった。子供の棺桶は、下の主室に通ずる石段の上に移動している。トマス・チェイスの重い棺桶は、天地がさかさまだ。異状がないのは、針金で巻いたゴダード夫人の棺桶だけだった。床にまいた砂には、なんのマークもない。今度も石工がハンマーで壁を叩いて調べた。秘密の入口の類はやはりない。分かったのは、この謎が解けないということだけだった。カンバーミア卿は棺桶を別の場所に埋葬し直すよう命令した。その後、この地下納骨所は空っぽになる。--(「世界不思議百科」コリン・ウィルソン、青土社より)
2002/11/28
「電話ボックス」
新宿から甲州街道を西へ車でひたすら走ると、深夜なら一時間半もあれば高尾駅にたどりつく。駅前の交差点を右折して高尾街道に入り、最初に現れる交差点を左折してまっすぐ進むと、都営八王子霊園が左手にある。
--霊園の入口近くに行ってみると、ぽつんと寂しく電話ボックスが設置されている。それにまつわるこんな話もある。
ある夜中に、電話ボックスの近くを車で通りかかったF氏(三五歳)は、ヘッドライトの光の中に突然小さな女の子の姿が浮かび上がるのを見た。急ブレーキをかけて止まり、外に出ると、五、六歳の女の子が道路にしゃがみこんで白墨で路面に絵を書いている。
こんな夜中にひとりでどうしたと声をかけると、お母さんを待っているといって、幼女は電話ボックスを指さした。なるほど女の人が電話している。
それにしても夜中である。外に子供を放置しているのはよくない。しかも危うく事故になりかけた。F氏は幼女の手を引いて、電話ボックスまで連れていった。ドアをノックして「この子のお母さんですか?」と声をかけると、うしろから「はい」という声がした。ふりむくと背の高い女がいて、F氏を見下ろしていた。彼はその女の手を引いていたのである。(同朋舎「ワールド・ミステリー・ツアー13④東京篇」6.現代の都市伝説を追う(小池壮彦)より)
2002/11/22
「天井下がり」
--イラストレーターのKさんが、十数年前、大学時代に住んでいた都内のアパートで体験した話である。
真夜中、Kさんが寝ていると何かがバサッと顔にかかった。
寝ぼけてそれを何度か手で払っていたが、ハッとその奇妙なものの存在に気づいて目が覚めた。そして、あらためて顔にバサリとかかるそれを、両手でつかんでみた。
「えっ?髪の毛?」
不思議に思ってそれをつかんだままグイッと手元に引っ張ってみる。
するとそれは、天井のあたりに根を生やしているかのような手応えで返ってきた。
「これは一体何だ!」
びっくりして飛び起きて、部屋の電気をつけてみた。
髪の毛だった。
天井から、だらーりと長い長い真っ黒の髪の毛が出て、その先端がKさんのベッドのあたりまで垂れ下がっている。
しかも、もっと怪異なことに、その髪の毛のヌシが天井からヌッと姿を現しているではないか!
それは女だった。
女の顔が、ちょうどプールの水面からぷっかりと、鼻から上だけを出したような状態をそのまま水面を天井に置き換えて、逆さにしたような状態・・・、そして、その女の長い髪の毛がすらすらと垂れ下がっているのである。
一見色白の美人、その目はまばたきもせず、じっと正面を見つめている。
従って、下から見上げているKさんと目が合うようなことはなかったが、Kさん自身が目の前の光景をにわかに信じることが出来ず、ただ、その不思議なものを観察していたという。ずっとその間、その天井から出ているその怪異なものは微動だにせず、そこにあった。
「夢だ。これは夢にちがいない。そうでなければおかしい」
Kさんは自分でそう言い聞かせ、一端表に出て頭を冷やし、気を静めてまた部屋に戻った。
やっぱりそれがある!
その時はじめて恐怖感が全身を襲った。そのまま部屋へ入ることが出来ず、友人宅に泊めてもらったのである。
翌朝、アパートに帰ってみると、もうその怪しいものの姿は消えていた。
ただ、納得しないKさんは、天井裏に入り込んで調べてみたが怪しいものは何もなく、また、それっきり怪しいことも起こることはなかったという。--
(中山市朗「妖怪現わる」遊タイム出版より)
2002/11/19
「自由ヶ丘の女」
--こんな町だから出たのも若い女性である。男子大学生二人組がドライブの帰りに自由ヶ丘駅前の電話ボックスで髪の長い女が座り込んでいるのを見かけた。声を掛けると終電を逃して困っているという。家は鎌倉だというので送っていくことにした。鎌倉で彼女を降ろして、もと来た道を戻り、また自由ヶ丘駅前を通りがかったところ、先程の電話ボックスの前に、身なりも背格好もそっくりの女が、やはり同じ姿で座り込んでいた。--(「東京怪談ディテクション」広坂朋信、希林館より)
2002/11/10
「穴」
--ある夜、用務員のおじさんが学校をまわっていると、家庭科教室でミシンの音がする。おじさんが鍵をあけて中に入ってみると女の子がミシンを踏んでいる。何をしているのかとたずねると、宿題がどうしてもできないのでやっていると答える。不思議に思い、どこから入ったかというと、あそこからと指さす。みると、小さな穴があいていた。東北・北海道の集いで参加者の女性から聞いた話。宮城県・松谷みよ子/文--
(「現代民話考[第二期]Ⅱ学校」松谷みよ子、立風書房より)
--この話しで思い出すのは、「夜話」で書いた江戸時代の話。とある宿で、今日は外に出るなと言われた人が、外へ出たいとうろうろしていた。それが部屋から姿を消す。ただ表に通じる小さな穴の周りにおびただしい血痕がべたりとついている。外へ出たいという気持ちが魔物に魅入られて、穴から外へ引きずり出されたのだろうと。。。
2002/11/3
「南島のカッパ」
--沖縄県島尻郡久米島。私の父は十三年前六十七歳で死亡しましたが、父の健在中で、私が五、六歳のころのことです。そのころ私たちは久米島の仲泊に住んでいました。梅雨のころのある日のことです。私は兄と二人で部屋の中でニックルー(レスリングのような遊技)をしていましたが、疲れたので雨戸を五寸ほど明けて外を眺めていました。突然、背丈二尺五寸くらいの、幾分青味がかった小人のようなものが現われて、庭に置いてあった二個のファンドガーミ(水がめ)の前をゆっくりと歩いて行きました。今まで見たこともない奇妙な生き物ですので、私はびっくりして、何だろうかとじっと見ていたら、その小人のようなものが、まるで立って歩いている大きな蛙のような恰好をして、よちよちと、いうような感じで歩いて行きました。私たちはその横姿を見たわけです。別に私はその小人のようなものに対していたずらをしたわけでもありませんが、二、三日経ってから、私と私の兄が同時にヤーツー(やいとのこと)をされたような刺激を受けました。私はヘソに、兄はチンチンの先にやいとをされたようになり、それが水ぶくれしたので、父に「お前たちは、その変な者にいたずらをしただろう」と叱かられたのを覚えています。
(註/この談話で注目すべき点は、その怪物は「ブナガヤ」かなとも思われるが、色が青味がかっていたという点である。日本本土のカッパは青いが、沖縄のキジムナーは赤いというのが定説であるから、この証言は異例に属している。)話者・長田朝久。出典・山城善光著「ブナガヤ・実在証言集」(球陽堂書房)。
(「現代民話考1河童・天狗・神かくし」松谷みよ子、立風書房より)
2002/11/1
「くすぐるルサールカ」
トローイツァの日以後にやむにやまれぬ用で森へ行くときは、この草(ヨモギ)を携えて行かなければならない。ルサールカが必ず駆け寄ってきて、こう尋ねる。「手になにをもっているの?ポルィニ(ヨモギ)、それともペトルーシカ(セリ科の植物)?」「ポルィニ」と答えると、ルサールカは、「棚の下へ(ポトィン)隠れろ!」と大声で叫んで、さっと走りすぎる。このときすばやくルサールカの目をめがけてヨモギを投げつけねばならない。もし「ペトルーシカ」と答えたら、ルサールカは、「オー、わたしのかわいい人!」といって、その人が口から泡を吹いて倒れ、息絶えるまでくすぐり続けるんだ。(「ロシアの妖怪たち」斎藤君子、大修館書店より)
2002/10/25

「キキーモラ」
--家の中に出没する妖怪には女の妖怪もいる。紡ぎ女キキーモラ(シシーモラ、ドモジーリハ、オギボシナともいう)である。キキーモラという名称はキキーとモラのふたつの構成要素から成り立っていて、前半のキキーは鳥、とくに雄鳥の鳴き声を表わし、後半のモラは古代スラヴの神話に登場する死神の名である。このふたつが結合してできたキキーモラとは、雄鳥のように泣いて人の死を悼む死神である。彼女は背中の曲がったおばあさんで、ぼろをまとい、いつも髪を振り乱しているという。身体があまりに小さいので、風に吹き飛ばされることを恐れて外には出ないのだという人もいる。人に姿を見せることはまれで、足を踏み鳴らしたり食器を割ったりして、物音だけで自分の存在を知らせ、住人を脅して家から追い出す。ヴャトカ県サラープリスク郡でこんなことがあった。
新築の家にキキーモラが現れた。姿は見えないのに、人のうめき声がするんだ。テーブルにつくやいなや、「テーブルを離れろ!」という。いうことを聞かないと、暖炉の上から毛皮のコートを投げつけたり、ポラーチ(ペチカの上から対面の壁にかけて板を張った寝床)の上から枕を投げたりして家の人たちを追い出してしまう。
ところが、人間を追い出したキキーモラが今度は逆に人間に追い出された。
ある家で毎晩キキーモラが床を歩きまわり、ドンドンと大きな足音を立てた。それだけでは足りず、皿をガチャガチャいわせ、壷を割るようになった。そんなわけで住人が家を捨てたために、この家は空き家になった。そこへ熊使いが熊を連れてやってきて、この空き家に住みついた。ところがキキーモラは相手が熊とは知らず、熊にかかっていってもみくちゃにされ、ウンウンうめいてこの家から逃げ出した。それでこの家の持ち主一家が戻ってきた。それから一か月経ったころ、この家の近くにひとりの女がやってきて、子どもたちに、「猫はもういなくなったかい?」と聞いた。「猫は元気だよ。仔猫を生んだよ」と子どもたちが答えた。するとキキーモラはくるりと向きを変え、「もうだめだ!あの猫一匹でも獰猛だったのに、仔猫どもまでいっしょじゃあ、近づくこともできやしない」といって、引き返していった。
キキーモラは自殺者を埋葬した場所や、かつて道路だった場所など、不浄な場所に建てられた家に棲みつくともいう。彼女が姿を現わすのはその家に災いが起きる前触れとされ、恐れられてきた。ドモヴォイもキキーモラも家に棲みついている妖怪であるが、前者は祖先の霊と結びついていて、家の守り神的性格を持っているのに対し、後者は死神に近い存在である。--(斎藤君子「ロシアの妖怪たち」大修館書店刊より)
「かくれ岩」
かつて、青梅に実在した白い色をした奇岩である。街道沿いにあるため、その岩の前を人がよく通る。遠くから見ると、その通る人の姿が、岩にとけ込んでしまったように見えるのだ。まるで、姿が消えたように見えるため、「かくれ岩」という名前がついた。特に服が消えたように見え、顔と手足のみが歩いていくようにも見えたという。何やらユーモラスで楽しげな妖怪岩である。--(山口敏太郎「江戸武蔵野妖怪図鑑」けやき出版刊より)
「白い鳩(タウベ)」
マグデブルクの法学専攻の学生数人が19世紀の末、冗談気分で女占い師のところに行ったんだ。ひとりに女はこう予言した。「白い鳩(タウベ)がおまえを殺すだろう」警告されたやつはケタケタと笑った。「どうして白い鳩がおれを殺せるってんだい?」そいつは予言をすぐに忘れた。何十年かして、そのあいだに彼は名望ある弁護士になっていたんだが、盲腸を切ってもらわなくてはならなくなった。そこで何人もの教授が勤めている名高い病院へ行った。手術室で、白い手術着をつけた外科医が彼に挨拶した。「よろしく、教授のタウベです」こうして予言は実現した。外科医の手にかかって死んだというわけだ。--この話は女性採録者の父親が、1989年2月にゲッティンゲンを訪れた際に語った。彼は説明にこう付け加えた。「当時外科医は手術室では白い上着を着ていた。いまでは緑のを着ているが」この患者は彼の父親の友人だったという。彼をはじめ、いっしょに女占い師を訪ねた人びとは、遺された夫人のために遺産の整理を手伝ったとき、はじめて予言のことを思い出した。(ロルフ・ヴィルヘルム・ブレードニヒ編「悪魔のほくろ」池田香代子、真田健司訳、白水社刊より)
「炙り子」
鹿児島市下福本の清泉寺跡には建長二年銘の毘沙門天の立像摩崖仏がある。その右には高さ二メートルほどの阿弥陀摩崖坐像もある。その奥には中世の五輪塔や層塔のくずれたのがある。現在養魚池のある谷はアブリコの谷といわれ、そこにも摩崖仏がある。「アブリコが出るからゆくものでない」といわれた恐ろしい、音のしない、不気味なところである。アブリコとは焼いた子という意味で、以前火葬場があったらしく、恐らく古い風葬地であったと思われる。--
「狐火二態」
--神奈川県津久井町三井の高城賢治さんがその実見者ですが、現われた場所は津久井湖に臨む薬師様の山腹でした。
「峰の薬師様の山には、昔から横引きという道があってね。今ではその道の下に立派な県道ができましたが、昔は細い横引き道が、二つの村をつなぐ主要道路だったんです。狐火はその道へよく出たんですね。私が見たのは十六歳のときだから、昭和二年の七月十三日か十四日でした。日まで憶えているのは、お盆の花を買うので、中野町まで行ったからですね。その日は自転車で出掛けて、その帰り道でしたが、そのとき日暮れ間近で、雨も少し降ってきました。坂道を下りながら、ふと薬師様の下の横引き道を見ると、変な明りが一つ点いて、それが見る間に二つ三つと、次第に数が増えてゆくので、”あっ!狐火だ!”と、思ったね。自転車を止めてしばらく様子を見ていると、点々と点いた火がどんどん横に広がって、しまいには何十という火が一線に並んだわけですね。ところがね。それが一度にパッ!と消えてしまうんですよ。するとまた元のように点いて、そんなことを何度も繰り返しましたが、実に不思議に思ったですね」
--高遠町芝平地区の鈴木捨男さんの実に珍しい話がこれです。
「その奇妙な火を見たのは、今から三十五年位前ですから、昭和二十六年頃のことです。自分の家の前には田圃があって、その先は傾斜した土手になっているんですが、その田圃の畦道に狐火が出たんですね。その畦道と自分が立って見ていた所との間は、たった四十メートル位しかないんですよ。
それは火の玉のようではなく、赤い火炎がいくつもボーボーと燃えながら、次から次へと、左から右へ進んで行ったんですよね。それは十分間位続いたと思います。よく見ると、前へ前へと進むうち、後から順に消えてゆきましたね。季節は十一月頃でした。その頃農家の便所は大抵外にあったので、夜便所へ行こうと庭へ出たときだったですね。」(角田義治「自然の怪異 火の玉伝承の七不思議」創樹社刊より)
2002/10/24

「天女の接吻」
松平陸奥衛守忠宗の家来に番味孫右衛門という武士がいた。ある日、孫右衛門が自宅で昼寝をしていると、天女が降り来って、孫右衛門の口を強く吸った。孫右衛門は、はっと思って周りを見回したが、当然、誰もいない。「いやはや、とんだ夢を見たものだ。人に知れたらどうしよう」と深く恥じ入り、夢のことは心の奥に秘めていた。しかし、その日以来、孫右衛門が何かを言うと、口の中から得もいわれぬよい香りが漂うようになった。そのため、同僚たちが不審がり、また自身も不思議に思っていた。ある日、一人の同僚が、「さてさて貴殿は嗜み深い。いつも口中からさわやかな香りが漂ってきて、まるで匂い袋を口中に入れているようだ。いや、御奇特なこと」と言ったので、孫右衛門は、同僚に思い切って夢の話をして、それ以来、口中からよい香りが漂うようになったと打ち明けたが、その同僚もおおいに驚いたそうだ。この孫右衛門という男は、決して美男子ではなく、どこといって取り柄のない男振りなのに、どう間違って、天女は、このような男に情けをかけたのか、天女の気持ちがよくわからない。この不思議な香りは、孫右衛門が亡くなるまで消えなかったということだ。この話は、是田隠岐守の家来、佐藤助右衛門重友から聞いた話だ。(原典:大田南畝(蜀山人)「半日閑話」、花房孝典編著「大江戸奇怪草子」三五館刊より)
--天から降るモノは必ずしも良いモノとは限らない。--

「官人天より降る」
--母方の祖父が若い頃のこと。書斎に一人でいたとき、ふと外を見ると、庭の桜の枝から忽然として、衣冠の人が一人、降りてくる。よくよく見るに、盗賊には見えない。そうかといってこの辺りに公家はいないし、ましてや公家が天より降りてくる理由がない。さては心の迷いからこんなものが見えるのだろうと、眼を閉じた。しばらくして眼を開けば、まだその人がいる。また一度眼を閉じてから見ると、その人はだんだん桜の木から降りてくる。これはいけない、まだ化かされている、と、またも眼を閉じて、しばらくしてから開くと、また少しずつ近づいてくる。こんなことを三四回も繰り返しているうちに、とうとうその怪しい衣冠の人は、軒先までやってきてしまった。これは一大事と思って、眼を閉じたままで家人を呼んで「気分が悪いので布団を敷いてくれ」と言い付けて、そのまま横になって少しばかりまどろんだ。気持ちが静まってから起き上がってあたりを見回したが何事もなかった。こういう話は、曲淵甲斐守という人の身の上にも起こったという。その時は曲淵が心を静めて驚かなかったので、妖気は隣の家に移った。隣の家の主人は、すぐに狂気におちいり、腰元を切り殺してしまったと語り伝えられている。(原典:鈴木桃野「反古のうらがき」、広坂朋信「江戸怪奇異聞録」希林館刊より)
2002/10/14

「帰ってきた娘」
神田明神からお茶の水へ出る所に船宿があった。この船宿の主人夫婦に一人娘がいたが、二、三歳の頃から筆をとって書をしたためること、まるで大人のようで、両親は寵愛やむことなく、慈しんだ。両親は思うことがあって船宿をやめ、両国に引っ越したが、娘の手跡はますます上がり、近隣で評判となった。ところが文化三年(1806)に大流行した疱瘡にかかり、両親による手厚い看護の甲斐も無く、娘は六歳で身罷ってしまった。いまわの際に、母親が狂気のように泣き叫ぶのを見て、娘はか細い声で、
「ご心配には及びません。いずれ神田より来てお目にかかりますから」
と言う。母親はうつつ心に、
「その約束、必ず守るように」
と言ったが、そのときには既に娘の息は絶えていた。両親は娘を手厚く葬り、毎日嘆き悲しんでいた。
その頃、神田にその娘と同じ年頃の娘がいたが、どういうわけかしきりと、
「両国へ行きたい」
と言うので、両親が両国へ連れて行くと、船宿の主の家に入り、両親に向かって
「もう家には帰りません。こちらのお宅に置いてください」
と言うので、船宿夫婦も、娘の両親も驚き、
「これはどういう訳か」
と尋ねると、娘は傍らにあった筆をとって、見事な書をしたためた。その娘は、今まで字を書いたことなどなく、一同はその不思議さに驚いた。神田の両親は、娘を連れ帰ろうとしたが、
「私はこの家の娘です。他に帰る家はありません」
と言って承知しないため、仕方なく、神田の両親は娘を両国へ置いて帰ったという。(原典:東隋舎著「古今東西思出草子」より・「大江戸奇怪草子」花房孝典編著、三五館)
2002/10/13(11/1)

「悪魔の足跡」
冬がそれほど厳しくはないイングランドの南西部でも、1855年の冬は格別の寒さだった。2月8日の朝、デヴォンシャー州トップシャム村の小学校のアルバート・ブレイルスフォード校長は、表の玄関から外に出て晩のうちに雪が積もったことを認めた。同時に変なことに気がついた。村の道に一列に足跡がついている。いや、ひづめの跡かも知れない。最初は蹄鉄を打った普通の馬のひづめの跡と思った。しかし、よく見るとおかしい。足跡は一列だ。一つの足跡の真直ぐ前に次の足跡がある。馬なら、一本足でぴょんぴょん跳ねたことになる。二本足の未知の動物なら、綱渡りのように足跡が一列になるように注意深く歩いたことになる。さらに変なのは足跡そのものだ。長さは約10センチ、間隔はたった20センチ程度しかない。しかも、どの足跡もきわめて明瞭だ。凍った雪の上に熱い鉄で丁寧に刻印したかのようだ。村人全員がこれに気づくのにそれほど時間はかからない。彼等はがやがやとこれを南の方角に追った。ところが顔を見合わせる事態が起きた。煉瓦の壁で足跡が止まっている。そんな馬鹿な。しかし、次の発見で彼等は仰天する。足跡は壁の向こうでまた続いている。しかも壁の上の雪はきれいに積もったままだ。次に足跡は干し草の山に突き当たる。今度も同じだ。足跡はその向こうで先に続いているのに、中間の干し草の山をなにか大きい動物が乱した形跡は皆無だ。いったいどういうことだ。足跡はグースベリーの茂みの下にもついている。屋根の上にまでついている。だれかが村を訳のわからない困惑に陥れるために悪ふざけをした。そんな状況だった。しかし、この説明はまるで見当違いであることがやがて判明する。足跡はデヴォン州の田園地帯をどこまでも続いている。しかもかなり移り気のようだ。途中の小さな町や村にも立ち寄っている。リンプストン、エクスマス、タインマス、ドーリッシュなどだ。さらにはトートネスにも見られる。プリマスの港までかれこれ半分の道程だ。だれかの悪ふざけとしたら、彼は深い雪のなかを60数キロもとぼとぼ歩いたことになる。一晩でこの距離をこなすには、大急ぎだったに違いない。飛ぶが如くだ。しかし、現実には飛ぶが如くではない。あちらこちらの玄関に立ち寄っている。それから思い直してまた先へ進む。そんな具合だ。また、足跡はエクス川の河口を向こう岸に渡っているが、リンプストンとパウダーハムの間がその地点らしい。しかし、ずっと南のエクスマスにも足跡がある。そこまで戻ったのだろうか。その進路にはこれという目的はまったく認められない。場所によってひづめの跡が割れているようにも見える。いわゆる双蹄だ。当時はヴィクトリア朝のど真ん中。悪魔の存在を疑う村人などほとんどいない(悪魔のひづめは割れているという伝説がある)。男たちは銃と干し草用のフォークを手にして足跡を追った。夜が来るとドアにかんぬきを掛け、銃に玉をこめ、息をころして変事を待ちかまえた。-(「世界不思議百科」コリン・ウィルソンら著、関口篤訳、青土社)
- ふと、以下の話と関係があるのではないか、と思った。-

「ヤマワロの足音」

-熊本県阿蘇郡小国町。私が吉さんからこの話を聞いたのは吉さんが四十七、八歳になっていた昭和八、九年頃のことだ。その吉さんの若い頃の話である。木挽きの吉さんは若い頃から夫婦で山へ行って、樽丸(杉の木で樽にする木材)を取る仕事をしていた。谷川のそばの粗末な小屋で夕飯もすませ、サァ寝ようかと話しておると、どこからとなく、「ホイ、ホイ、ホイ、ホイ」と奇妙な小さいかけ声のようなものが聞こえて来る。やがて小屋の上で聞こえだし小屋がゆっさゆっさと揺れ出し、ホイ、ホイ、ホイ、ホイと妙にあとにひく声の列が、小屋の屋根の上を通っていくらしい。ヤマワロの通り道に小屋ばかけっと、小屋ばたたきつぶされるぞと山の先輩から聞いておったが、これがヤマワロちゅうもんかと急に恐ろしくなり山の神様に燈明をあげ一心にお経をあげ足音の遠くなるのを待った。夜が明けると早々に小屋をたたんで別の場所に移りましたたいと。回答者・白石忍冬花(熊本県在住)(「現代民話考1河童・天狗・神かくし」松谷みよ子・立風書房より)

2002/10/10

「神女の手紙」
早池峰から出て東北のほう宮古の海に流れ入る川を閉伊川という。その流域がすなわち下閉伊郡である。遠野の町の中で、今は池の端と呼ばれる家の先代の主人が、宮古に行った帰り道でのこと、この川の「原台の淵」というあたりを通ったところ、若い女がいて、一封の手紙を差し出した。女が言うには、遠野の町の後ろにそびえる物見山の中腹にある沼へ行って、手を叩けば宛名の人が出て来るから、渡して欲しいとのこと。この人請け負ったはいいものの、道々どうも気にかかって歩いては止まり止まっては歩きを繰り返す。そこへ一人の六部(旅僧)が通りかかり、手紙を開き読んで曰く、これを持って行くならば汝の身に大きな災いが降りかかるだろう、書き換えて進ぜようと言って、別の手紙をくれた。それを持って女に言われた沼へ行き、教わったとおり手を叩くと、はたして若い女が現われ、手紙を受け取って読むと、礼だといってきわめて小さな石臼をくれた。それに米を一粒入れて回せば下から黄金が出た。この宝物のおかげで家はやや豊かになったが、主人の妻が欲を深くして、一度にたくさんの米を掴み入れたところ、石臼はしきりに自ら回って、ついには毎朝主人がこの石臼に供えていた水がたまった小さな窪みの中に滑り落ちて、見えなくなってしまった。その水溜まりは後に小さな池になって、今も家の傍らにある。家の名を池の端と呼ぶのもそのためだという。(「遠野物語」二十七話より)
2002/10/1

「位牌」

羽地の山奥の村に二人のまだ若い、働き者の夫婦が暮らしていた。この夫婦は子供が欲しかったのだが、どういうわけか結婚して何年も経つというのに子宝に恵まれず、妻は毎日のようにニライの神さまに「お願いです。どうか一日でも早く、立派な赤ちゃんを授かりますように!」と祈り続けていた。
ある日、夫がいつものように村の山道を歩いていると、気のせいか遠くのほうから赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。”こんなところに赤ん坊のいる家はないはずだが・・・” と彼が泣き声のほうへ歩き続けると、山道を大きく外れた草陰で見たことのない、みすぼらしい身なりの若い女が赤ん坊を抱いて立ち尽くしていた。女は乳が出そうにもないほどに痩せこけ、長い髪だけが不気味に垂れ下がっている。彼女はなんとか赤ん坊をあやそうとするが、赤ん坊が腹をすかしていることは明らかだった。驚いた彼が「いったい、どうしたんだい」と声をかけると、女は涙ながらに「もうずっとなにも食べてなくて、子にやる乳さえ出ないのです。私はもうこの子を育てていくことができません。どうかこの赤ん坊をもらって、育ててやってくださいませ」と訴えた。彼は一瞬戸惑うが、赤ん坊は無邪気なかわいい顔をしており、またちょうど子供が欲しくて仕方がないときだったので、その子を譲り受けることにした。彼は喜色満面で赤ん坊を抱いて家に帰ると、妻も「まあ!きっと毎日のお祈りが神さまに通じて、赤ちゃんを私たちのもとへ届けてくれたのよ。大切に育てましょう」と躍り上がって喜んだ。
ところが、その夜、日が落ちてから妻が家のなかに明かりをともすと、夫に抱かれた赤ちゃんの姿が忽然と消えて、炎のなかに位牌が浮かび上がった。夫はさも大事そうに大きな位牌を抱いているのである。驚いた彼女が慌てて火を消すと、やはり暗闇のなかで赤ちゃんの姿が見え、泣き声も聞こえる。”なんだ気のせいだったのかしら”と彼女がもう一度、火をともすと、やはり夫の腕には位牌が抱かれている。夫もすぐ気がついて、夫婦はまた明かりを消した。それから何度やっても、赤ちゃんは明かりをともすと位牌に姿を変える。いったいどうしたことかと夫婦は恐怖に打ち震えながら眠ることもできず、真っ暗闇のなかでぐずる赤ちゃんをあやし続けた。その明け方近く、なにものかが暗闇から泣き続ける赤ん坊をじっと見据えていることに夫は気がついた。よく目を凝らすと、はっきりと二つの大きな目が赤ん坊をとらえている。それは牛のようだった。「おい。牛が家のなかにいるぞ!」と彼は叫び、その声で闇のなかから巨大な牛が角を振りかざして赤ん坊に襲いかかってきた。彼はその二本の角を両手で押さえつけながら、猛然と格闘を続けた。いつの間にか赤ちゃんは消えてしまい、気が遠くなるほどの時間が経って、夜が明けると彼が牛だと思ったものはなんと”がん”(葬式で棺桶を入れて運ぶときのための御輿)で、必死で押さえつけていたものはその二本の角棒であった。
(沖縄の伝承、「アジアお化け諸島」林巧、同文書院刊より)

2002/9/30

「カシマレイコ」

小学校に古いトイレがあって、一番端のを使うと、幽霊が出てくるという話がありました。ある特定の曜日の夜中の一時になると、両足のない女の人が現われて、「私の足はどこにありますか」と聞くそうです。その答えが決まっていて、「名神高速道路にあります」と答えると、今度はその女の人が「誰に聞いたのですか」と尋ねます。その質問には、必ず「カシマレイコさんに聞きました」と答えなければなりません。そう答えるとフッとその女の人は消えてしまうのだそうです。答えないとどうなるかは知りません。この話は同じ年頃の遊び友達から聞いたので、どこまで信用できるかわかりません。
[出所]話者は、大阪の女子大学生。1987年6月に三原が聞く。
カシマレイコの名を答える時に、「カは仮のカ、シは死人のシ、マは悪魔のマのカシマさんです」と答える例もある。また名前を「仮死魔霊子」と恐ろしげな当て字で書く例もある。何か交通事故に由来したハナシのようにも思える。(「魔女の伝言板」三原幸久ほか編著、白水社より)

「死者のアルバム」

・・・侮り難きスターリング夫人は、ポートランド・プレイスにほど近い、ハラム街のさる家にまつわる不思議な話を語っている。夫人は1934年に、その家に間借りしていた著名な冶金学者シェラード・クーパー=コウルズのもとを訪ねたそうである。学者がそこに部屋を借りたのは、こちらの方がサンベリーの自宅よりも仕事に便利だったからである。彼はこの部屋の様子を妻に見せるために、三脚を立て、カメラを置いて、居間の定時露光写真を撮った。写真を現像してみると、自分のほかには誰もいなかったはずなのに、肱掛け椅子に男が坐っているのが写っていた。何とも不思議に思ったので、ドアにしっかり鍵をかけ、フィルムを露光している間は誰も入れないようにして、さらにこの部屋の写真を撮った。すると、昔風の衣装を着た人々の写真が大きなアルバムに一冊分出来上がった。これを見せてもらったスターリング夫人は、次のようにその肖像写真を描写している。
肱掛け椅子にはピンクと白のインド更紗が張ってあった。この椅子には、ぼんやり顕現れかかった幽霊が坐っていて、その頭と口のあたりには詰綿のようなエクトプラズムが出ている。また、透明な人影をすかして、椅子の縞模様のインド更紗がはっきり見えている。しかし大多数の写真は、生きている人々の写真とまったく同じように見える---写っているのが、歴史上さまざまな時代に属する人々であることを除けば。あるものは有翼の兜をかぶり古代の鎧に身を包んだ戦士の写真であり、またあるものはウェリントン公時代のものらしい軍服を着た兵士の写真であった。可愛らしい顔をした女達の写真もあった。どの写真の人物も、はっきりしていて個性が豊かだった---それらは実体のない亡霊ではなく、生きた人間の写真のように見えた。
何かおぞましい邪悪なものを撮ったことはありますか、と夫人が訊ねると、クーパー=コウルズ氏は、時折ありましたが、そういう写真は廃棄してしまいましたと答えた。夫人はさらに、写っている人物の中で誰か身元が特定できた人はいますかと問うた。
「一人だけわかっています」と氏は答えて、私に一葉の写真を手渡した。そこに写っている老婦人は、垂れひだのある縁無し帽をかぶっていて、時代といいスタイルといい、ホイッスラーの母親の肖像画を思い出させた。「兄はこれを見ると、言いました」とクーパー=コウルズ氏は言った、「「”ばあや”の写真か、よく撮れてるなあ!」。ばあやが亡くなった時私はまだ赤ん坊だったので、顔を覚えていなかったのですが、兄はすでに物心ついていたので思い出したようです。よく似ているのにすぐ気がついて、私がどうしてその写真を手に入れたのか、訝っていました」・・・(「倫敦幽霊紳士録」J.A.ブルックス著、南條竹則・松村伸一訳、リブロポート刊より)

「数原家の倉」
幕府の御用医師で五百石を拝領する数原宗徳という人がいた。本所に居を構えていたが、屋敷内の倉に、いにしえより奇妙なものが住んでいるという言い伝えがあった。家人が倉から何か物を出したいときには、「何々の品、明日入用となります」というように前もって倉の前で言うと、翌朝、その品が倉の戸の前に出してあるということであった。約束を違えて申し入れをしないと、何やら悪いことが起こるそうだという。この屋敷はある年に大火で類焼に及んだが、その倉だけは何故か焼け残った。そのとき家来の一人が「この倉には不思議があると聞き及んでおりますがそれは平時のこと、今は非常時ですから問題はないと思います。とにかく寝る場所も無いのですから」と言って倉を開け中を片づけ、そこに寝ていると、暫くしていかにも恐ろしい形相をした坊主頭の男が現れ、「かねてからの約束を破り、許しも得ずに倉の中に立ち入り、その上無礼千万にも床を延べて寝るなどとんでもないことである。本来ならばただちに命を奪ってしまうところだが、今は非常時ゆえ、今回だけは特別に許してやる。これ以降、誰であっても、二度と倉の中に立ち入ってはならぬ」と申し渡したので、家来は慌てて逃げ出したという。以後数原家では、毎年日を決めて、倉の前で祭礼を執り行なうようになった。(「耳袋」より)
2002/9/20

「さっちゃん」

怖い童謡。「さっちゃん」は実在した。全国の幸子、幸江などの「さっちゃん」と呼ばれる女の子の枕元に霊となって現れる。このとき、枕元に絵にかいたバナナを置いておくとよいが、置いてないと霊界に連れて行かれる。(「都市にはびこる奇妙な噂」桐生静+光栄カルト倶楽部編、KOEI)

2002/9/9

「泣きモノ三題」
泣く、というのは人間の初源的な感情だ・・・夢のなかで猛烈に泣いた。起きたあと、何を泣いていたのか、まったく覚えていない。でも心が軽くなったような、清々しい感じが残る。人間が人間でなくなる瞬間、即ち死を迎えるその時、どんな感情を抱くのだろう。それは人によってまちまちなんだろうけれども、ここに挙げるような感情を抱くのは嫌だと思う。死んだ後、死んだ瞬間に抱いた感情は、永遠に消えないとすれば。関東でも23区に近いエリアで、みっつの物件を挙げてみる。
ひとつ。カテドラル教会の「八兵衛の夜泣き石」・・・東京都”文京区”というだけでピンとくればかなりの歴史通。そう、江戸時代にキリシタン屋敷があったエリアで、キリシタンの拷問や処刑の行われたところだ。この奇妙な「石」・・・石仏の首を欠き、かわりに長円形の石をのせたもの・・・も、拷問に屈せず改宗を拒む八兵衛という男を生き埋めにしたとき、魂が天に昇れないように、上に乗せられたものなのだ。以来、夜になると石からすすり泣く声が聞こえ、「八兵衛苦しいか?」と石をこづくと、ごとごとと動き出すという。今は教会の中に置かれ、静かにその惨事を物語っている。

ふたつ。千葉は市川近くの国府台。江戸川をのぞむ台地、戦国時代の激戦地で敗将里見氏の城跡である里見公園にある、「夜泣き石」。もとは隣の寺域にあったものだが、現在は殲滅した里見軍の霊を鎮める「亡霊の碑」の横に移されている。北条軍に敗れ死んだ里見弘次を弔うためにやってきた娘が、余りの惨状に焼け跡の石にすがり泣き続け、遂にはそのまま死んでしまった。すると毎晩、石から悲しげな泣き声が聞こえるようになり、誰からともなく、「夜泣き石」と呼ばれるようになった。今は供養のかいがあってか泣かないというが、綺麗に整備された公園の中にあっても、この塚のあたりは気味の悪い雰囲気を感じる。

ここから程近い所にみっつ目の物件がある。古刹、弘法寺の長い石段を登っていくと、整然と並ぶ段石のなかで一つだけ、奇妙に古びて歪み湿っている石があることに気が付くだろう。江戸時代初期に有力な檀家であった鈴木氏が、徳川家康をまつる日光東照宮造営に使用する石を、船で江戸川をつたって運ぶ役目を仰せつかった。が、何故かこの市川の船着き場あたりで、船が動かなくなってしまった。鈴木氏は信仰心のあつさからこの船の石を降ろすと、弘法寺へと運び、立派な石段を造り上げてしまった。当然このことがお上の耳に入らないわけはなく、鈴木氏は責を問われ、完成した石段の中ほどで、切腹させられてしまった。以後その場所の石が無念の涙に濡れたようになっていることから、「涙石」の名がついた。これが三つ目の物件である。周りの石が皆整然と並んでいる中、ただひとつだけ、黒ずんで歪んださまは不思議に見える。ちなみにこの石を示す説明板など無いから念のため。でも60余段の立派な石段のなかで明らかに不整形な姿をしているから、すぐにわかる。泣くわけではないが涙という形で今もその感情を示しているのだ。・・・

2002/8/30

「消えるヒッチハイカー」
・・・えーと、そう、この話は僕の彼女の友達と、その親父に起こったことだ。二人は別荘から家へ帰る途中だった。田舎道を車で走っていると若い女の子がひとり、ヒッチハイクしてた。二人はその子を乗せてやったんだ。その子はうしろのシートに座った。言うには、ここから5マイルほど行ったあたりに住んでいるっていうんだ。あとは黙って窓の外を眺めてたってさ。しばらくして家が見えたんで、親父は車をそこに着けた。「着いたよ」って後ろを振り返ると、なんとその子は消えてしまっていなかったんだ!二人とも何がなんだかわかんなくなって、そこの家の人に話しをしたら、そこの家にはその子そっくりの娘がいたって言うんだ。でも、その子は数年前に行方不明になってしまってるんだ。この通りでヒッチハイクしているのを見かけた人がいたんだけど、それっきりだったってことさ。もし生きてれば、丁度その日が誕生日にあたってたってさ。(「消えるヒッチハイカー」新宿書房刊中の代表的な事例。しかし日本でも人力車の時代から似たような話しがあったらしいから、ここで採取されている1970年代の話とは別系統かもしれないし、逆に真実味を増すかもしれない。現代日本ではタクシーの幽霊話としてまことしやかに語られるものでもある。青山墓地の話は有名だ)
2002/8/22

「頬撫」

頬撫のこと。山梨から多摩あたりに出没した妖怪で、暗い谷沿いの小路を通ると、闇の中から白い手が現れて、頬を撫でたという(「図説日本の妖怪」河出書房新社より)。小学生頃のことだったろうか。兄が夕食を終えて二階の自室に上がっていったが、程なく、どたどたと降りてきて、こう言った。「部屋の入口で、ナニモノかに頭を撫でられた」半分ひきつって半分笑っていた。気のせいと思ったのだが、この日よりしばらく妙なことが続いた。夜中に兄が目をさますと、窓から人の形をした煙のようなものが入ってきて、寝床の周りをぐるぐると周り、また窓から出ていった、とか、顔に水のようなものが垂れてきて、光にかざすと、真っ赤な血だったとか(朝起きてみるとなんともなかったのだが)、そのころ隣の私の部屋では、走る子供の影を見ていた。余りに速いし「影」だけだったので、帽子をかぶった子供ということ以上はわからなかった。原因も、また突然収束したわけも、わからなかった。

2002/8/21

「異形」

異形のこと。高校の頃の話という。彼がこたつで寝ていると、
あ。
体が動かなくなった。金縛りのようだ。
目を開けた。
あ。
見ると、右手が宙に向けて伸ばされて、
その手先を「別の手」が掴んでいる。
あ。
男の腕が。すーっと中空から伸びて、つかんでいる。
手袋をはめているようでもあるが、はっきりとはわからない。
彼は、つかまれている右手を、思い切り引いてみた。
ずるっ。
何か、が引きずり出てきた。宙から、である。右手をつかむ腕の根元に、
緑色の、ごつごつとした頭の”モノ”がいた。人のかたちをしたモノが。
あ。
驚いた。驚いて、放してくれ、と思った。
放してくれ。
放せ。
誰にも言わないから。
パッ、と消えた。そのモノが何であったのか、今でも皆目見当もつかない、という。

2001/6/14

「石の子」

信州佐久郡北沢村名主の話し。北沢村には大明神と崇められる大きな岩があった。名主の妻は長年子供の生まれぬことを悩み、ひそかに大明神に願をかけた。37、21日のあいだ、毎夜に参詣しつづけたところ、不思議なことに懐妊したという。違いないという医師のお墨付きを得、家中で喜んでいた所、十月たっても出産に至らず、12ヶ月目にやっと出産、ところが生まれた子を見てびっくり、赤子は人にあらず、身の丈1尺5寸2分の小さな石像であった。顔は青黒く目鼻はっきりとわかり、手足腹背とも薄赤色、恐ろしい様相であった。・・・赤子が腹中で死んでのち固く岩のようになって生まれる病があると聞いた。大明神こと大岩が産ませた子だから石、という解釈とどちらが恐ろしいだろうか。馬琴編「兎園随筆」より。(参照:「大江戸奇怪草子」花房孝典編)

2001/5/19

「手の怪」

手というものは、人の器官の中でも妖しいものの宿る感覚に溢れている。首、髪の毛に並んで、化け物として独立して顕れる特性を持っているように思える。
東北地方で、細手の怪として伝えられる話がある。蔦の如き細長い白腕がずーと伸びるというもので、「細手長手」とも呼ばれる妖怪の話だ。何かのすきま・・・大抵は神仏をまつる部屋に接する襖の間や、長押の隙間から、ひょろっと垂れ又伸びてきて、招く。すると、何らかの凶事・・・多くは洪水・・・が起きる。座敷ワラシの類とされることもある。三つ四つの子供の手ほどの大きさで、細く、赤い。轆轤首の腕版の感もある。中国の古い話しに、不意に腕が伸びて、意志に反して動きまわり、しまいに抜けてしまうという話しがあったと思う。亡くなった娘の振り袖を買い取った人が、夜中袖から伸びる白い腕を見て驚いた。「振袖火事」は妖しの振り袖を焼き供養するさいに不意に舞い上がった衣が各所に火をつけて廻ったのが発端とも聞いたが江戸の話、真偽は定かではない。

2001/4/18PM11:30

「蛙石を訪ねて」
日曜に小田原へ行ったのだが何故か疲れが残ってしまい先週にひきつづき風邪気味である。小田原の桜はとっくに終わっていて真新しい天守閣の相模灘を望む景色にのみ感銘を受けた。海の色は湘南なんかに比べて澄んだ水色をしていて、砂浜に花崗岩の丸石が混ざるところに火山帯の近くであることが実感される。海の近くに北条稲荷がある。ここに奇石「蛙石」がある。岩盤のほんの一部が蛙の形で顔を出したものだろうという。ひとかかえくらいのしゃがんだ蛙型の石にはほんものの蛙の瀬戸物がのっていた。鹿島神宮の要石同様いくら掘っても底が見えない。ひところは随分評判のものだったそうだが、小田原に何か異変があるとぐーぐー鳴くといい、後北条氏の危機には一晩中泣き続けたという。地震を予知して鳴くという話しにいたっては、岩盤の一部であるという説に直結するものだ。異変を予知するといえば奈良は飛鳥の亀石を思い出す。巨大なカメ型の石がその向きを変えると飛鳥が水没するという話し。こちらは完全に地上に姿を見せた巨石だから向きを変えられるが、蛙石は地下から顔を出しているだけだからそういうわけにいかないな、などと雑然と思った。
2001/4/9pm3:10

「塚あれこれ」

十三塚は日本版マウントともいうべき不思議な古墳群だ。川崎市の各地に点在している。わりあいと小さな(直径5メートルもないとおもう)円形墳が、舌状台地の尾根伝いにずらりと並んでいるさまは壮観。私も数年前一個所だけ見てまわったことがある。大きさからも多分古墳時代の古墳ではなく中世以降の築造のように感じた。形も妙に綺麗なのだ。中央のひときわ目立つ塚を撮ろうとして、カメラのシャッターが切れなくなった。どうやら今でも何か力を発しているのだろう、それだけでもこれが村境を示す単なる標柱のようなものではなく、墓を含む何らかの祭祀遺構であったことがわかる。頭痛がして、それ以上そこにはいられなかったが、雰囲気は穏やかな感じがした。川崎市奥地の丘陵に点在する十三塚の残骸は1984年の段階で7個所(川崎市市民ミュージアム刊「川崎の民俗」より)、けっこう多いのだなと思った。十三という言葉が何を示唆しているのだろうか。よくいわれるのは戦場に散った十三の勇士を埋めた塚(七人の侍の最後のシーンの土饅頭を思い起こす)だとか、行き倒れの十三人を埋めたとか、今でも信仰の対象として残存していることからも何かのいわれがあるには違いなかろう。標識に、近世に流行った雨乞いなどの祭祀遺構という説も否定できまい。十三塚と言ったけれどもじっさいは十三本塚、十三坊、十三人塚、十三菩提、十三峠、十三森、十三騎塚などさまざまな呼び名がある。大きくても5mで人の背丈くらいしかないミニチュア墳丘群で思い出すのは横浜市鶴ヶ峰の畠山重忠が闇討ちに臥したエリア、悲惨な史跡が点在する中で、薬王寺の境内に並ぶ直径2、3メートル程度の六ツ塚を思い出す。境内にならぶ六ツの塚は重忠と一族郎党134名を葬ったものといわれるが、重忠の六人の忠臣の墓とも言われる。いずれもものすごく小さくて、かたつむりのように表面に環を描いた塚があったのには不思議な気がした。呪術に溶け込んだ歴史という言葉が浮かんだ。ついでに七天王塚のことにも触れておこうか。これは千葉大医学部構内に点在するやや大きな塚の群れなのだが、建物や道路をはさんで広範囲に分布するそれらの配置が、柄杓の形、そう北斗七星をかたどっているのだ。北斗信仰に基づくのか、すぐそばに城を構えた千葉氏の菩提を弔うものなのか定かじゃないが、昔は北極星の位置に祠があったというからやはり北斗信仰なのだろう。千葉氏は代々妙見様と呼ばれる北斗を信仰していたともいう。それだけなら不思議でもないが、この塚には別の伝説があって、平将門の七人の影武者を葬ったというのである。将門は千葉の親戚にあたる。不要となった影武者を”処分”しまつったものなのか・・・と少しグロい想像を膨らませる。ここも塚好きならチェックしておくべき場所だろう。粗末にすると祟るとかいうのはどこも共通の伝説だ。

2001/4/8am0:20

「晴明石を訪ねて」

さて今日鎌倉行ったのは桜目当てじゃない。ちょっと思い立って、 ”陰明師”安倍晴明ゆかりの物件をみにいったのだ。(以下の話はオンミョウシ(わかりやすくいえば妖怪ハンター)のアベノセイメイを知らないとまったく意味不明になりますのでご注意ください)北鎌倉降りて円覚寺側を大船方向へしばらくあるくと、小高い丘の上に鳥居が見えます。階段をあがるとなんのへんてつもない社殿と、もうひとつさらに小高いところに祠がある。祠に近付くと右手にひらべったい石がある。そして小さな石碑には「安倍晴明大神」の名が。そうこれが、ふれるとたたりがあると村びとから畏れられてきた「晴明石」なのです。一説に晴明がこの地にやってきたとき、禁術をかけたものといわれます。理由はまったく伝わっていません。
ぼくは・・・おそるおそる、右手をのばし・・・
・・・
・・・
左手ものばし、合せて拝んでオワリ。
晴明石はもうひとつ、横須賀線と神宮へむかう幹線がクロスするあたりにもあります。丸い形で奇妙なものでした。どちらもなんの標識もなく、誰にも気をかけられずひっそりと鎮座しておりました。知らずに蹴ったりした人いないのかなあ・・と思いつつ、いくつかお寺をサンサクしたら時間がきたので、待合せの横浜へむかったのでした。

2001/3/28

「付喪神」

江戸深川の三十三間堂そばに長いこと空き家になっていた屋敷があって、とある医者が借り受け引っ越してきた。程なく病に倒れ患いつき、この屋敷の湿気が原因だといって薬剤を調合するが一向に効かない。やがて乱心とまではいかないまでも何かに脅え鬱鬱として暮らすようになっていた。

そんな日々のうちにふと思い付くことがあった。物置のほうから冷たい風が流れてくるようで、それに当たると決まって悪感がして正気を失ってしまうということだ。早速弟子に物置に妖しい物がないか調べるように命じた。果たしてひとつも見つからず、古い仏壇があったので中を調べるも何も出ない。

下が扉になってるぞ

弟子のひとりが仏壇の下の袋戸棚に気付いた。開いてみるとはたして、いかにも古い「枕」がひとつみつかった。

医者に報告する。

「これは数百年を経た古物、まさしくこの枕こそ妖怪の正体」

といってただちに庭に焚き火を興し枕を投げ込んだ。

じゅっという音とともに、なんともいえず嫌な匂いがあたりを覆い尽くした。

「・・・こ、これは、先生・・・」

「人の屍の焼ける匂いじゃ」

医者の病はたちどころに回復したそうだ。

(大江戸奇怪草紙より)

2001/2/14

「中国のアブダクション」

1975年のこと、雲南省建水の宿営地に配属されていた人民解放軍の兵士二人が、夜警を命ぜられゲート前に立っていた。

目前に突然、オレンジ色に光る巨大なUFOがあらわれた。星の見える夜空に忽然と姿を現した光は、あたり一帯を強烈な明かりで照らし出し、兵舎と軍事施設を偵察するかのように、回転しながらあちらこちらと飛び回っていた。

二人はこれは敵の偵察機に違いないと思った。一人が上官に報告に行くことになり、持ち場を離れた。

応援部隊が駆けつけてみると、残るもう一人の姿が見えない。

司令官は即、全員に警戒待機命令を発した。奇襲にそなえ武器と弾薬が用意される。大規模な捜索活動が開始されたが、何ら手がかりがつかめない。数時間が過ぎ、かわりに夜警に立っていた四人の兵士が、かすかなうめき声を聞く。

その主をたどっていくと、兵舎のゲート前に、行方不明の兵士が倒れて、意識朦朧としている。呼びかけて答えはするもののそれ以外の何も答えることができない状態。

兵士に近づいた夜警たちはあっと驚いた。僅か数時間のうちに、髪と髭が、ぼうぼうに伸びていたのである。何週間も剃っていないように見えた。人民解放軍の兵士は丸坊主、髭は厳禁である。何事が起こったのか、兵士たちは顔を見合わせるばかりだった。

当人は結局行方不明だった数時間の間の記憶を一切失っており、ことの真相は闇の中であった。ただひとつ、彼の腕時計は、発見された時には止まっていた。時計と自動小銃は磁気を帯びていたとも言う。この話をのちに聞いた中国のUFO雑誌の編集者は早速当人に取材をしようとしたが、関係者は全て退役し行方知れずとなっていた。退行催眠でも施せば興味深い「宇宙人誘拐」談でも聞けたろうに、と残念がったということである。

~「中国 衝撃の古代遺跡を追う」ハウスドルフ、クラッサ著畔上司訳文芸春秋1996より

2001/2/13

「腹話術」

元禄のころ京にとある屏風屋があり齢十二になる息子が居たが、ある日わけもなく高熱を出し寝込んでしまった。

「坊、大丈夫か」

「うーん、うーん」

両親とも枕もとで首をひねるばかり、子供は唸っては、うわごとを繰り返す。

「・・・おなかが・・・おなかが」そのとき襖を開き使いの者が現われた。母親に小袋と白湯のはいった吸口を盆にのせ渡す。

「コレ、熱さましですよ」父親が背を起こさせて、薬包の中身を含ませてやる。

「うーん・・・・・・」

繰り返し水を含ませた手ぬぐいで頭を冷やしてやり、懸命に看病の結果、数日で熱は下がった。

だが、起き上がり歩けるようになった息子に奇妙なことが起こる。

腹に何かできもののようなものが現われたのだ。

それはやがて上下二本の横帯を発し、中央には深い傷口のような裂け目が走った。

「紅くて、まるでクチビルじゃあないか」まるで、もうひとつの口ができたかのようである。母親は恐れて見ようともしない。

覗き込む父親に、息子は弱弱しく口を開く。

「お父、これ・・・しゃべるんだ」

「何を馬鹿なことを」

「だって」

赤ら顔を下に向け、腹のできものにむかって、

「・・・おい、デキモノよう。デキモノよう。」

すると

”なんじゃ”

「お、おい、今の」父親が思わず後ずさりする前で、

”うるさいの、寝ておったところじゃのに”

ぱく、ぱくと”口”が動いて、そのクチビルのあいだから、しゃがれた低い男の声が、響きだしたのである。

これが本当の腹話術というものだ。

「腹がものを言うとは如何」

父親は腹立て、息子は恐れる。口は問い掛ければしゃべるどころか、ずうずうしくも自分から語りかけてくるようになった。さらに、

”おーい、飯を呉れ。飯を呉れ”

口は勝手に食べものをねだるまでになってしまう。

母親が恐る恐る差し伸べた茶碗を前に、掻き開いた袂の奥の口は、付いた腹を引きちぎらんがごとく大口をあけ飯に喰らい付くと、がつがつと音をたてて犬食いする。見る見るうちに息子の腹は膨らんでいくが、口のほうはいっこうに喰うしぐさを休めない。

”少ないのう、もっと呉れ、もっと”空の茶碗の縁を噛みあげると、母親の顔に投げつける。涙をぼろぼろ流す息子の”本体”はといえば、

「もう食べれないよ、いっぱいだよ」だが腹のほうは、

”まだ足りぬ!呉れなくば熱を起こすぞ”

「もうありません」憮然とした母親が空の櫃を傾けると、腹の口は罵詈雑言を投げつける。

”何を言うかこのアバズレめが!まだ米はあるじゃろうが!亭主そろってダメ夫婦か!すぐに炊いて来い、さもなくば”

「えーんえーん」

”うるさい、こん餓鬼が!もうよいわ、こいつ焼き殺してやる、覚悟せい”

言うことを聞かぬと高熱を起こすものだから、従うしかない。仕方なく土間へ向かう母親、おろおろするばかりの屏風屋主人、こんな毎日が続くようになり、家人も気味が悪いわ息子がかわいそうだわ、おまけに大量の飯を消費するからお金も底を突きで、「腹」の恐怖を何とか追い出せないものかとみなそろって頭を捻った。

だがどんな医者に見せても首を捻るばかりで解決の糸口も見えない。

「こんな奇病は見たことがござらぬ。わしには無理じゃ」

「出島で噂を聞いたことはあるが治法はきかなんだ」

「直す手立ては知っておる、だが少々値が張るから、あんたらでは無理だろう」

「直せるのですか、お金は何とかします、ですから是非」

「・・・いやいや、そのためには遠い奥州の山間にあるゴニョゴニョ草が必要ゆえ・・・ゴニョゴニョ・・・」

そんな調子で悉くあてが外れていたところ、菱玄隆という名医と評判の男に行き当たった。

「・・・なるほど」

息子の腹をさすり、噛り付かれないようにすぐ手を引くと、こう言った。

「これは応声虫である。明日また来るがよい、薬を調合しておこう」

そうして翌日息子を伴い現われた屏風屋。すぐに屋敷に上がり、上衣を脱ぐと腹を突き出す。

”ナンダこのへっぽこ医者。おまえなぞにやられるわしではないわ”

「気にすることは無い。これさえ飲ませれば」

ぐっと突き出された医者の手には丸薬が握られている。無理やりに腹に押し込もうとすると、

”ウッこれは”

堅く口を閉ざしてしまい、含ませることができない。

「仕方ない、息子さんに飲ませるが良い。直接飲ませなくとも、効き目は現われてくるはず」

そう言って一袋の丸薬を渡してくれた。

それから毎日丸薬を口に含ませた。上のほうの口にである。

すると、数日が経過して、なんだか腹の口の元気が無い。

”め・・・飯を呉れ・・・”

か細い声で、言われて飯を出さなくとも何も言い返してこない。家人大いに喜んだ。

”たのむ・・・さもなくば・・・”

熱も上がらない。

十日ほどたったころ、息子は不意に腹痛を感じ、厠に駆け込んだ。

すると尻の穴から、細長いものが出てきた。それは長さおよそ一尺の虫で、頭には角を持ち、手足があって蜥蜴によく似ていた。

「きゃーっ」

ずるりと出たあと、虫は必死で逃げ去ろうとする。だがじきに気が付いた家人が追いまわし、滅多打ちして殺してしまった。

以後目に見えて回復し、息子はすっかり健康を取り戻したという。

~原典:天野信景「塩尻」神谷養勇軒「新著聞集」、参考:別冊歴史読本「世界妖怪妖獣妖人図鑑」1996三谷筆項「応声虫」

2001/2/11

「断食男」

世人が突如出奔して山篭る。江戸の昔語りにはしばしば見られる奇人談だが、ここに挙げるは明治の話。「古今東西逸話文庫」より、明治時代の読売新聞の記事になったもの。

京都洛東岡崎に和田政吉という者がいた。所帯を持たずに人力車夫をして生計を立てていたが、二月頃不意に悟るところがあったのか、剃髪して僧侶に少々の経文を教わると、生きながら成仏せん、といって一切の火食を絶ってしまった。そうしてある日飄然と家出をし、鞍馬山に篭ること三十余日、そのあいだ生米を一すくいのほか何も口にしなかった。このほど帰宅したのちも、そのまま火食をせずに過ごしていて、しかし体のほうは少しも痩せ衰える容子も見えず、却って艶々しいとの評判。目下町内の地蔵堂に引きこもり、一心不乱に念仏を唱えるほかは余念無く、その経文も誰に教えられたわけでもないのに自然に「発達」した様子。この男は決して狂人などではなく、言語応対明らかにして何の異状も無い、奇人である。

「百鬼夜話」に昭和の仙人の話を書いた。今でも人里はなれ山篭りする奇人はいなくはないだろう。だが断食一月というのは少々常軌を逸している。山獣や沢蟹を取って喰っていたと勘ぐるのは野暮というものであるが。

2001/2/10

「ポルターガイスト2」

以前江戸のポルターガイストについて書いた(「ポルターガイスト」)。今ひとつ挙げるのは、池尻ならぬ池袋の女の話し。岡本綺堂「風俗江戸物語」に収録されているものだ。ここでも池袋の女を女中などに使うと変事が起きるという言い伝えが、事実として語られている。女が何もせねば何も無いが、屋敷の男とよからぬ仲になったとたんに祟りだす。祟るのは池袋の氏神である。「七面様」と呼ぶ。綺堂が父親のころにはまだあったという麻布「内藤紀伊守の下屋敷」でのこと。ある夜、無数の蛙が現われ、蚊帳の上にまで這って出る。麻布は蝦蟇と縁深い土地だが、女たちにはたまったものではない。逃げ惑う彼女らを嘲笑うように今度は家屋敷がぐらぐらと揺れだす。すわ狐狸の類か、上屋敷より武士が駆り出され、屋敷中をひっくり返して原因を探るも、何も出てこない。遂に十人余の武士が不寝番とあいなった。すると夜も更けた頃ぱたりぱたりとどこからともなく石が降ってくる。一人が鉄砲に手を掛けたとたん、切石が眉間に落ちて、臥し倒れる。畳からも陰火が噴き出し、もう手におえないと一同落胆。だが数ヶ月がたち、女中の一人が池袋の出身であったことが発覚する。しかも出入りの者と密通していることがわかって、これが原因だとばかりに追い出すと、事件はばたりと途絶えたという。綺堂は池袋の女を「代表的江戸の妖怪」と呼んでいる。「耳袋」にある池尻の女の話と非常に似ており、かといって話の出所がはっきりしているからどちらかがどちらかを真似たとも思えない。現代ではどうなのだろうか。

石の降る話しで思い出したが江戸屋敷の怪談として以下の話も伝えられている。菊川某という久留里藩の藩医がいた。根津のあたりに住んでおり、性格剛胆で腕も振るった。その力の源泉は酒で、毎晩大盆を傾けては気を高めていたという。ある夜いつものように一献していると、隣家に妖怪が現われたと伝える者があった。なんでも天から石塔が降ってきて、塵を払うと火が舞い上がるなどし大騒ぎになっているのだという。

面白い。是非我が家にも妖怪に現われてもらいたい

と放言するやいなや。

大音とともに石塔が、庭に降り立った。

だが菊川某、動ずることも無く、カラカラと笑っては尚酒をあおりつづけた。すると傍らにあった行灯が、すーっと宙に浮いたかと思うと、まるで現代の電灯のように、天井の中央に吊り下がってしまった。
ぼうっ
不意の音に目を向けると、隅に置かれた箒から火が舞い上がった。
どーん
またもや石塔が落ちてきた。
そうしてしばらくのうち毎晩変事が続くようになった。本人はいっこうに気にする様子も無かったが困ったのは家中の者。
主が武勇を誇ったために、多くの妖怪を屋敷へ呼び込んでしまったのだ
悲しむもの怨むもの、家族は大騒ぎである。さすがに気にした某、怪事は怖くは無いけれども奥さん怖いとばかりに屋敷を浅草田原町に移すことにした。
だが変事は浅草までついてきた。石塔が降り陰火が舞う。菊川屋敷の噂は世間に広まり、家族の悲しみはおさまらない。
菊川某は遂に藩主に願い上げ、本所石原の江戸下屋敷に住まうこととなった。
だが妖怪はここまでも追ってきた。屋根竹箒より妖しの火が燃え上がり、庭には次々と石塔が降り立つ。その地響きたるや凄まじく、下屋敷の女子供は余りの恐ろしさに戸外へ一歩も出れない始末。同藩江戸家老は留守居役はおろか目付の皆に命じて下屋敷の警備にあたらせ、武勇優れた数十名を菊川居宅に詰めさせて内外を厳重に警備させた。だが相手は妖怪であるから、そんなことでおさまるはずもない。
当時弓術の達人といわれた者がいた。菊川そこへ行ってこれこれこうこうと事情を話すと、同人大いに喜び、
彼の秘法により妖怪を仕留めん
と言い放つや居を正して屋敷へ参った。だが玄関で挨拶をするかしないかのうちに、腰のものが消えている。秘法を行うまでも無く大小を奪われた達人面目無く、屋敷中を捜したところ刀は縁の下より揃って発見された。
その他いろいろと祈祷や祓いを行うもまったく効果はあがらず、さすがの豪傑もほとほとに疲れきってしまった。
のちに湯島の霊雲寺に頼り祈祷してもらったところ真言の効有りでようようと怪事は収まった。庭の石塔を掻き集めてみると数十にもおよび、菊川某は出所の寺をひとつひとつ調べ上げ、全て返したという。
・・・別冊歴史読本「江戸諸藩怪奇ふしぎ事件帳」平川章夫筆、上総久留里藩”江戸屋敷の妖怪騒動”より。
2001/2/7

「なきごえ」

長浜のホテルに泊まったときのできごと。

チェックインは夕暮れ近く、渡されたカギを手に最上階へ昇る。廊下のいちばん奥の、角部屋だった。窓からの見晴らしもよく設備もきれいで整っている。快適快適と着替えてとりあえず外へ出て、町並みと夕食をたのしむ。7時近く、部屋へ戻るとやっと一息ついた。テレビをつけるとバラエティをやっている。セミダブルに横たわり、ひとしきりテレビに見入りつつ、腹をさすっていると、

うえっ、うえーっ、うっ

という声が耳に入る。えっ?はじめ犬の愚図り声かと思ったが違う。5階だから下の犬の声が届くわけも無い。よくよく耳をすますと隣の部屋なのだ。

ブツブツブツ・・・うっ、ううっ、・・・うえーっ、うっ

これは中年の女の声だ。嗚咽する声に違いない。はじめ押し殺すように、やがてはっきり何事かをつぶやきながら、途切れ途切れの泣き声が響く。

うおーっ、うえっ、うっ、・・・ブツブツブツ

不気味だ。外壁とは逆の、隣室の壁の向こうから、だった。

やだな隣のヤツ。

漠然と思った。

自殺でもするんじゃねえだろうな。

うすら寒い心地も、やがてはじまったコントに笑う我が声にかき消され、私はそのまま寝入ってしまった。

翌朝チェックアウトしに部屋を出る。

声のことはすっかり忘れてカギを閉めると、何気なく隣の扉に目が行った。

・・・番号が無い。

つくりは確かに客室の扉である。

布団部屋は別にあるし位置的にも半端だ。

よく見ると扉の真中にうっすらと、番号を剥がした痕がある。誰か泊まっていようはずもない。

・・・はじめて、

ゾッとした。

2001/2/6

「きえゆく女」

杉並区堀の内は妙法寺に女が出た。

昭和58年9月初め、午後7時過ぎのこと。近所のOLが、犬の散歩に通りかかったとき。

寺の裏には焼き場があって、もともとあまり気持ちの良い場所ではないが、そこに浴衣姿の女が、佇んでいるのが見えた。妙に陰のある感じが気になった矢先、

オン、オンオン

やにわに犬が吠えだす。女に向けて牙を剥き、唸り、吠え立てる。慌てて鎖を引くが、前足を上げばたばたとさせ、今にも飛び掛らんばかりだ。うす暗い境内にけたたましい声が響き渡る。

す、すいません・・・

犬に引きずられるように近づいてしまい、思わず謝った。

だが、女性は微動だにせず、じっと斜め下を向いて、佇んでいる。

ふと着物の柄に目が行った。

胸に子供の顔、足まわりに黒い葉影と紅い小花の一群れ。僅かに揺れている。震えている、と尚も謝ろうとするが、

よくよく見るうちに、それは「柄」ではない。

・・・”向こう”が透けて見えているのだ。

腰から足にかけての薄い布地に、背後の植え込みが透けており、夜風に震えている。その上、胸のあたりには、うしろの墓場の入り口の、地蔵の顔。



余りの恐ろしさにへたりこんだ。手放した鎖は地面に落ち、犬は今度は怖気づいたように身をすくめ、弱弱しく唸るばかりである。

浴衣の女は少しずつ、姿を薄らめていく。

花の色が濃くなり、地蔵の顔が白味を増し、街頭の明かりにすかして、姿は

だんだんと薄くなり、

やがてスーっと、消えた。

あとにはまばらに花をつけた植え込みと、古ぼけた石地蔵が残る。

この目ではっきり見た、幻覚なんかじゃない、と後に語った。この寺、同様の話は他にもきかれたという。

~室生忠著「都市妖怪物語」参照

2001/2/5

「肩の中に銭あり」

秀ノ山雷五郎は今の陸中盛岡の出身である。弘化嘉永の頃、横綱力士としてその社会に肩を並べる者がなかった。羽化生(筆者)が幼少の頃は、既に年寄株となって古希に近い老人であったが、この男、左の肩の中に「一文銭」があった。皮膚の上よりありありと見て取れる。いかにしてここに銭が入るはめになったのかと尋ねると、彼が答えるには、

「それがしが子供だった時、一日戯れに寛永通宝を口に含んださい、誤って飲み込んでしまった。泣き叫んで取り出そうと様様に骨を折ったが、かなわなかった。子供心に死んでしまうのだと思って悲しかったが、一日二日と何の事もなくて過ぎ行くうちに、いつしか肩に巡り来て、これこの通りここに現われたのだ」

と言った。

そのためかどうか知らないが、彼の首は左のほうに曲がっていた。

~「古今東西逸話文庫」より、羽化生記

2001/2/4

「光圀弁慶対峙する」

水戸副将軍光圀在世のころ、ひそかに梓巫女(イチコ)なるものが流行した。
光圀病床にあって心細くなっていたおり、イチコを呼び言った。
「武蔵坊弁慶を寄せよ」
巫女、早速梓弓を取って神おろしの法を行う。しばし眼を閉じていたが、やがて
両目をかっと見開き、大音に呼び
「黄門頭が高い」
と言いはなつ。
黄門暫くの間巫女の顔を熟視してのち、
「我いにしえを慕ふて弁慶を呼び寄せたりしに、頭が高いとは何事ぞ、
我とても従三位中納言なり、何ぞ己れ風情よりかかる言葉を
聞くべき耳なし。無礼ものめ罷り下がれ!」
言い返した。巫女は少しも恐れることなく、
「縁なき我を寄するのみか、かかるいぶせき病床において無礼なり、今一言云はば
その座は立たさぬぞ、黄門何と」
と大音を挙げる。その有り様にさすがの黄門も気味悪いと思ったのであろう、
「よしよし」
と云えば、巫女も法を解いて神を帰した。彼が全国に梓巫女を許したのは唯一度この時
だけだったと伝える。

~「古今東西逸話文庫」より

2001/2/1

「ドッペルゲンガー」

若いころの話ですが、スペインのどこかでヒッチハイクをしていて、そのころスペインだけはヒッチハイクはむりだと言われていて、案の定、半日、手を挙げても一台の車もとまってくれず、暑さと疲れでもうろうとし・・・

ふとブレーキの音がしたので顔をあげると、みすぼらしいなりをした貧相な長髪の日本人が、背中のリュックを揺らしながら懸命に走っていって、一台の車に乗り込むのが目に入りました。

それはどう見てもぼく自身で、それもたんに似ているという程度ではなく、着ている物からリュックまでそっくり同じで、こんな汚い格好をしているやつが二人もいるはずがない。思わず、アッ、と声をあげたときには、そいつは車に乗って行ってしまいました。

人は自分のドッペルゲンガーを見ると死んでしまうというじゃないですか。そのことを思いだして、ぼくはゾッとして、もうヒッチハイクどころではなく、急いで駅のほうに向かいました。おかげでまだ死んではいませんが、いまだにあいつはあれからどこに行ったんだろう、とそう考えることがあります。

~山田正紀氏談、ユリイカ1998年8月臨時増刊、総特集 怪談

(同誌なかなか興味深い思索の目白押し。”怪しげ”から”研究”まで、基本的に「創作」に中心点を据えてはいるが、中身が濃い。ホラー作家大アンケート(上記挿話はアンケートから引用)、内田百閒の怪談世界についての論考、杉浦日向子・中沢新一の対談が面白かった)

2001/1/31

「座敷魔」

・・・人の住む部屋には座敷魔という魔物がいることがあるという。特に病人や心理的なダメージを受けている人の寝間に入り込むらしい。

Iさんの見た座敷魔というのは、Iさんの妹であるK子さんが、何千人に一人という呼吸器の病気で入院していた時、その病室の中であったという。

これが難病だというのでIさんをはじめ、K子さんともども家族全員で、懸命にお祈りしている時、モゾモゾッとK子さんの布団が動く。

「K子!窓開け!」

Iさんが叫ぶと、妙なものが飛び出した。

頭がとがっていて蛇のような目、全身トカゲ色をした長さ五十センチ、幅二十センチくらいの薄っぺらい脚も手もない生き物である。

あわててK子さんが病室の窓を開けると、それはパッと外へ逃げた。

以来、K子さんの病状は見違えるほどよくなったという。

この薄っぺらい生き物は、実は悪霊のひとつで、この座敷魔にずっと棲みつかれたら、その家はすぐに滅ぶのだそうだ。

~中山市朗著「現代妖怪談義 妖怪現わる」遊タイム出版1994

(「新耳袋」で名をはせた著者のとびきり面白い現代妖怪百科より抜粋。式神か憑き物か、およそマンガのような生き物が「実在する」というのだから面白くないわけがない。この本はオススメ)

2001/1/30

「竜の子」

幼い頃、竜の子供に出遭った。

そのころこのあたりも郊外の気配を色濃く残しており、家々の間に畑の名残でもあろう草の更地が多くあった。そのひとつで金蛇を追っていた。当時仲間うちで金蛇を捕らえることが一種のブームになっており、どれくらい大きいものを捕まえられるか、グループ同士で競い合っていた。茶色くしなやかな体から長く立派な尾をなびかせて走り去る金蛇を、追う者と待つ者二手に別れて、尾を切らぬよう主尾良く捕らえる。今では影も見ないが、当時かなりの数棲息していたもので、毎日取ってもまだまだ沢山いた。おりしも他のグループが30センチの大物を捕まえたというので、近所中の原っぱを廻ってより大物を探していたときのことである。

原っぱの脇のブロック塀に、緑色に光る物体が見えた。大人の二の腕ほどもある太い幹が、じっと停まっている。よくよく見るうちに、

「・・・何だ」

「何?・・・あっ、すごい・・・」ぎらぎら輝く黒い目、突起の密集した四角い頭。背に居並ぶ長い刺、エメラルドグリーンをベースに虹色に輝く胴体から、鋭い爪のある手足が4つ、ブロックの表面をしっかり掴んでいる。それは2メートルはあろうかという、巨大なトカゲであった。

「つ、つかまえよう」

慌てたわれわれはブロック塀の両側から挟み撃ちにしようと近付いた。怪物は逃げるでもなくじっとしている。

私は尾のほうから手を伸ばして、勢い掴んだ。

「グエッ」

「キャッ」

頭のほうの子が悲鳴をあげる。その子に真紅の大口をあけて襲い掛かったのと、私が尾をつかむのはほぼ同時だった。思わず手を放した目の前から、ばっと飛び上がった大蜥蜴は、先の子の脇をすりぬけ、大きな音をたてて草叢に消えた。われわれは懸命に行方を捜したが、見失った。雨が降ってきた。すぐに豪雨となり、雷が鳴り出した。

・・・あれは怪物だったんだ、雷を呼ぶ妖怪・・・「竜」だったんだということになった。翌日ほかの誰に話しても信じてもらえなかったが、グループのみんなはとてつもない秘密を見てしまったという感動だけで充分な気持ちだった。その後何度もくだんの原に入ったが、やはり見つからなかった。当時遊んだ原っぱで、今でも草原として残っている所は殆ど無いが、怪物のいた原っぱは原っぱのまま現存している。地竜の威光が建物の立つのを拒んでいるのか。サイズを別とすれば、ペットのイグアナかなにかが逃げ出したものだったのかとも思えるが、だいたい当時そんなものを飼っている家があったかどうか、疑問である・・・

2001/1/29

「鬼火の話」

「ところで」ある日、パディ・オホーンと会っていたとき、私はおもむろに切り出しました。「あなたに少しおたずねしたいのです。アイルランドという国は、不思議なことに満ち溢れていますけど、それらはきちんと分類されていません。それらの現象をすべて知ることができれば、ちゃんとしたものを書くのにとても役だつと思うのですが」

「そうですね。私はそんなにたくさんの事を見てきたわけではありませんが、アイルランドで起きた奇妙な出来事についてはたいてい聞いています。それは昔の出来事ではなくて、今なお起きている事なのです。今この時にも、どこかで奇妙な事が起きているんですよ。でも、あなたの興味のある話を私ができればいいんですけれど」

「あなたはレプラカーンに出遭ったことがあると聞いてますが・・・」

「ええそうです。本当です」

「不思議なことですね。ところで、あなたは、沼地で何か奇妙なものを見たというような話はありませんか」

パディは少し考えてから言いました。

「鬼火(”ランプのジャック”)を見たことがあります。たった一度だけですけれど」

「どんなふうでした?」

「そうですね、野うさぎくらいの大きさで、茶色でした。もう少し大きかったかな。ランプを持って、沼地を飛び越えていきました」


「私がとくに聞きたいのは、おそらく誰もが知りたいことだと思うのですが、鬼火たちは、どんな日常の生態を送っているのですか?」

「日常の生態ですか。鬼火たちは、昼間はほとんど眠っているんですよ」

「しかし夜になると?」私はたずねました。

「そう。夜になると、そう、彼らのおしゃべりから判断すると、彼らが興味を持っているのは、夜おそく外にいる人間たちをどうやって沼地に誘い込むかっていうことですよ。それ以外のことはけっしておしゃべりしません」

「誘い込んで、一体どこに連れていくのですか?」

「彼らの家ですよ、そう、鬼火たちの家にですよ」

「彼らの家はどこにあるのですか?」

「赤と緑の苔が生えているところです。奥深い所にあります。よく彼らの家が”光り苔”でできているといいますが、たしかにそれは鬼火たちにとっての藁葺き屋根のようなものですよ。赤や緑の苔が群生しているところにはどこにでも、その下に鬼火たちが暮らしているんです」

「それで、彼らは人間たちをそこに連れていくんですね」私は確かめるために聞きました。

「もちろんそうです」

「鬼火たちは、どんな話し方をするのですか」

「彼らの声は、大変心地の良い、幽かな聞きなれない感じです。ちょっとうまく言い表わせませんよ。一度聞けば世界中のどんな音とも聞き違えることはありませんよ。しいていえば鴫の羽ばたきの音ですかねえ」

「なぜ彼らは人間たちを沼地の奥深く誘い込むんですか?」私は鬼火たちの活動の一番肝心な点を理解したかったのです。どんな生きものの活動もその動機を知らなければちゃんと理解できませんから。

「そう、彼らは天使や恵み多きものに嫉妬しているんです。彼らは人間たちの魂を奪おうなんて考えてませんよ。ただ、自分たちの傍に置いときたいんです」

「それで、彼らにとって何の得があるんですか?」これでついに、パディ・オホーンから、鬼火たちの生活の本質を聞くことになると私は思いました。

「彼らは、永遠の長い夜の間、人間たちと話をします。”光り苔”の下で。世界に夜の帳が降りて、沼水鶏が鳴いている間、鬼火たちと彼らが誘い込んだ人間たちの魂は、深みの奥で、永久に語り続けるのです」

「しかし、何を話しているんですか?」

「政治についてです」パディ・オホーンは答えました。

~原典:ダンセイニ「フェニックスを食べた男」1949、ヘイニング編著芳賀倫夫訳、深夜画廊「妖精異郷~アイルランドの妖精ABC」国書刊行会1983より

2001/1/28

「人魂の池」

祖父が人魂を見たのは竹薮であった。拳ほどの小さな炎が無数に集まり漂っていたという。もう百年近くも昔の話しであるけれども、人魂が群れるというのは意外に良くあることらしい。池袋はサンシャインのあたりに、もう20年近く前になろうか、人魂が群れ飛ぶという噂があった。巣鴨プリズンの忌まわしき由来が産み出した恨炎という声があがり、鎮魂の式のうえ現れなくなったと聞いているが本当のところはわからない。羽田沖に旅客機が墜ちたのも昔の話しとなってしまったが、暫くして東京湾に人魂が群れ飛んで悲鳴をあげるという噂が出た。惨事のきたす怪事としてはいささか常套にすぎる有り様だが、黒い水面に遠い漁り火のような燐光を放つ魂の群れる姿を想うとき、悲しくも少し感傷的な気分に陥る。陰火の蒼い灯火は忘れかけた遠い記憶を呼び覚ますようなところがある。「蛍」は人魂と見間違えられることが多いというが、夏の宵の不思議な景を演出する蛍の群れは花火よりも大きな陰影をたくわえ、人の息遣いのように明滅するさまは会話を交わせると思わせるほどでもある。祖父の見たのはまさしく蛍であったのかもしれない。その祖父も今や人魂となってどこかを逍遥している。それとも蛍となってどこかの池のほとりで静かな光を放っているのだろうか。

鎌倉の山間に人造湖があり、女性の幽霊が出るという。山池にありがちな話であるが、この湖はホンモノであると評判だ。はっきりした忌まわしい過去があるでもなく、ただ祟るという噂が人を寄せ付けないのだが、そばに墓地があるらしいし、近くまで入ったとき、不吉な鎌倉でもとくに悪い気配の溜まる感があったから、土地そのものの持つ気が陰に入ってしまう場所なのかもしれない。水気は魂を寄せるというが、人魂が寄り集まることでも有名である。夏に限らないから蛍ではあるまい。ぼうっとした蒼い灯火が幾つも水面に漂う姿は凄まじい、と大分昔に聞いたが、本にも取り上げられずテレビでも見ないし、自分で見てもいないから確証は無い。

木曽御岳かどこかの霊場で、あの世に昇るたくさんの魂が、其の姿を人魂として見せる池があると聞いた。漆黒の闇の中、静かだが何かしら蟠っているような重く生ぬるい空気の底で、メタンが湧くように、ぼこり、と水面が盛り上がり、ぽ、とはぜたあとにぼわんと、人魂のあやふやな姿が顕れて、消灯したばかりの蛍光燈のように、ゆらりと昇る。目を凝らすとその蒼い灯りの中に、人の顔が見えることもある。だがすぐに消える。尾をひいてゆっくり漂うこともあるが、大抵はすぐに見えなくなる。油を塗った器で捕えることができると書いたのは西丸震哉氏であったか、ほんとうに捕らえたことのある人がこの人しかいないだけに信憑性はなんとも言い難い。もしほんとうに人魂であったら、捕獲は人権侵害にならないか?遺族に訴えられないか?自分が死んで、人魂として漂っていたら、捕虫網にかかってしまった。・・・嫌だろうな。ちなみに氏はテントに入ってきたそれを一旦は捕らえたものの逃してしまったそうだ。

2001/1/28

「百足」

病院は非日常の場所である。通常滅多に出逢うことのない病や怪我が充満し、日常より遥かに高い頻度で「死」が発生する。そんな場では心持ちが非日常であるせいか、妙なものを見てしまう病人も多い。死んだはずの人が顕れる、話し掛けてくる、夜中に首を絞める、向かいの病棟からこちらを見つめている、思いつくまま挙げつらってもこれだけ出てくる。病人の見る「もの」は、強い薬や病そのもののせいであることが多いといわれる。一方看護婦や医者の中にも妙なものを見たり体験したりする人間がいる。往々にして夜中、ナースコールや救急患者の状況に入り交じって発生する「現象」は、過労気味で生活リズムの崩れた時に起こる一種の幻覚とされても仕方ないのかもしれない。「霊感が強い看護婦」というのは怪談のひとつのアイテムといってもいいほどありふれたキャラクターだが、人一倍感受性が強いがゆえ他人の痛みを理解できるタイプの人間が看護婦になりやすいとすれば、感受性の延長上で霊感性を発揮する人間が多いのも理解できるから、彼女の体験を無闇に否定もできまいとも思う。

「あ、この患者さん・・・」

病室に入った瞬間、ふと「見える」ことがある。患者の死が。

けしてそんなことを口にしてはいけない。明かしてはいけない病の重さを知ってしまったならいざしらず、何の問題もなく退院を心待ちにしている患者に、そんなことを言ってはいけない。

退院間際に、何かの手違いであるかのように、ふと亡くなってしまう患者さん。そんな人に出くわすことが何度かあって、そのつど、彼女は何らかの”啓示”を受けていた。

たとえば・・・

「××さん、おかげんはいかがですか。××さん」

「ああ・・・だいぶいいよ。検温だね」

老人は血の気の失せた顔を揺らげて半身を起こした。背後の暗い窓にかかったカーテンが少し揺れている。

「あれ、窓、開けたの」

体温計を手渡しながらカーテンに手を遣る。すると、す、と避けるように揺れ、窓に吸い付いて停まった。更に調べようと手を伸ばすと、患者が背にふれたので目を振り向ける。

「窓なんか開けてないよ」

「そう・・・」

再び回した目に、厚いカーテンが、ずっと微動だにしていないことを主張するかのように、静かに固まっている。嫌な予感がした。

「・・・それじゃ、もうすぐ夕食ですから」

体温計を受け取り、後ろ見に軽く会釈をして出口へと向かう。

「あ、看護婦さん」

「何ですか」

振り向いた彼女は、思わず息を呑んだ。

にこやかにこちらを見る老人の、後ろのあのカーテンの下から、

ずらり、無数の「足」が垂がっている。

一様に細々とした真白い足首、にゅにゅっと突き出し、ぶらぶら、

ざわざわ、

揺れている。

カーテンの揺れた意味がわかった。

「!!」

「どうしたの、看護婦さん。電気、消してってよ」

もう見ないようにしてスイッチを切り、

バタン、扉を閉めた彼女は、今や強烈な予感を抱いていた。

「これって・・・」

でも、そのことを誰にも言えなかった。

食後、不意に老人が・・・身罷るまで。

・・・

まだいろいろあるそうだが、生理的な嫌なビジョンで顕れることが多いという。この「百足」、どちらかというと事象を象徴しているだけの影像で、「幽霊」が其の形をとっていたというわけでもなさそうだが、生々しく奇異なイメージではある。

・・・

2001/1/27

「所の掟」

石川某という人が大御番を勤め、上方へ行き来した頃の話しである。

どこの宿場か聞き忘れたが、宿に着いた頃には風雨激しく、まさに大嵐といった空模様になってきた。そのとき宿屋の主が、

「当宿には、このような大荒れの日には、決して人を外に出さないという決め事が有ります。このような日には、人足や馬の賃金さえも受け取りには参りません。なにとぞ、御家来衆にも決して外出しないようにお申し付けください」

と言うので、石川氏の他に三人同僚がいたのだが、それぞれの用人に申し付けて中間たちに外出を禁じたところ、同僚の抱える中間の一人が、

「先ほど休憩をとったところで草履のお金を貸しましたので、是非取りに行きたい」

と懇願した。

「御主人の命であるから、それは叶わぬ」

と固く禁じた。しかししばらくしてまた同じように懇願するので、きつく叱ると、中間は次の間の、葛などが積んである部屋へ行って、ふて寝した。用人は中間の様子が気にかかり、次の間へ行ってみると、果たして中間の姿が見えない。慌てて宿の中を探すがどこにも見つからなかったため、これは宿の外へ出ていったに違いないということになり、主に言うと、

「このような大荒れの日には、この宿では必ず怪事が起こります。ご覧ください。あらゆる戸口には錠を下ろして固く閉ざして有りますので、決して外へ出ることは叶いません」

と答える。さても不思議なことだ、と灯りを点して、さらに隅々を調べると、錠で閉ざした大戸に一寸ほどの節穴があり、節穴とその周りに、おびただしく血が流れているのが見つかった。

「外へ出たいという中間の執念に、何者かが魅入って、あの節穴から引きずり出したに違いない。恐ろしい妖怪がいるものだ」

と一同舌を震って恐れたということだ。

~原典:東隋舎「古今雑談思出草子」、花房孝典編著「大江戸奇怪草子」三五館1997より

2001/1/25

「赤い腕」

松崎某は福島、平の出身である。実家の近所に松ヶ岡公園というところがあり、子供のときは良く遊んだという。5、6才のころ、日の暮れるにも気付かず夢中で遊んでいると、突然大声がした。

お前たちは、帰らねばならん

驚いてあたりを見回すがどこにも声の主が見当たらない。野太い男の声であった。震え上がった子供たちはみな一目散に逃げ帰った。公園の下に大きな池があり、よく子供が落ちた。おおかた親切な人が声をかけてくれたのだろう、と両親は笑ってとりあわなかった。だが彼は、「ねばならん」という言葉が妙に脳裏に焼き付いて離れなかった。

大きくなった彼は郷里をはなれ上京した。ある日、不思議な夢を見る。

松ヶ岡公園だ

彼はぼんやりと遥か目の下に、なつかしい公園を見下ろしていた。

ちいさな女の子がいた。

・・・由起

5つになる従妹であった。大池のほとりで、柵に乗りあがるようにしてじっと、水面を覗き込んでいる。

危ない

由起の体がぐらりと揺れると、大きな水飛沫があがった。そのとき、どこからともなく大きな「腕」があらわれた。

赤銅色をした逞しい腕が、由起の背中を掴み、ざーっと音をたて、水面高く持ち上げる。

夢はそこまでで終わった。

気になった彼は、郷里の叔母に電話をかけた。

・・・あら珍しいね。

うん、ちょっと気になることがあって。

由起に何か、なかったか?

え・・・別にないんだけど。

そうか・・・

そういえば、昨日泣きながら帰ってきたよ。

なんで?

公園の池に落ちたんだって。びしょびしょでねえ・・・あっ

「おにいちゃん?由起出る、出る」

由起そこにいるの?かわってよ

おにいちゃん、げんき?

明るい声を聞いてはじめて、ほっとした。

おう、元気、元気。由起、池に落ちたんだって?大丈夫か?

だいじょうぶだよ、だって

たすけてくれたんだもん

誰が?

・・・あのね、おっきなおててがね。

叔母の笑う声が聞こえる。

松崎は震えが止まらなかった。

~室生忠編著「都市妖怪物語」三一新書1989を参照

2001/1/24

「おばあちゃんの遺体」

地元の人が、その人の知っているワシントン州の一家に起きた本当の話だとして教えてくれたことだ。休暇旅行中、その一家がメキシコの国境を越えたあたりでそこの子供のひとりが言った。「ママ、おばあちゃんが起きないよ」。おばあちゃんは死んでいたのだ。その一家はおばあちゃんの遺体を寝袋に入れ、車の屋根にしばりつけ、最初に着いた町で届け出ることにした。警察署に着き、中で手続きをしている間に、遺体ごと彼らの車は盗まれてしまったのだ。遺体も車もいまだ行方不明のままである。また別の人は、この話をイタリアで起きたこととして報告している。

~「消えるヒッチハイカー」ジャン・ハロルド・ブルンヴァン著大月隆寛+菅谷裕子+重信幸彦訳 新宿書房 1988 より

2001/1/23

「楽園?」

心霊、オカルトは何故人をひきつけるのだろう。
逃げることができるからなのかもしれない。
日常から隔絶された、夢まぼろしの世界へ。
詰まらないルーティンの日々から、一時でも解き放ってくれるもの。
虚構でも構わない。誤認でも構わないのだ。
テレビでオカルトが取り上げられるたびに、そのマユツバに辟易しながらも、なんとなく見てしまう。・・・楽しんでしまう。この感覚。
インターネットを中心に、近年ふたたび「心霊スポット」ものが流行っている。
「お化け屋敷」と呼ばれる場所に行っては、普段気にも止めないささいな現象に驚き、安いカメラのボケ味を、心霊と言って囃し立てる。カメラの長い露光時間と安いフラッシュの乱暴な灯、さらに湿度の綾が産み出す光る霧状の影を、”心霊”と呼んでいる場合が多い。一昔前は木の葉陰や壁の染みの偶然描き出した”顔”が”心霊写真”の大部分を占めていたものだが・・・。
わかっていて、それでも確信犯的に楽しんでいる人が多いのではないだろうか。嘘とわかっていながらお化け屋敷に入る心理に似ている。ことの真偽はともかく、見ているだけではなく自らを「異界」に投じなければ気がすまないところまで来ていることだけは確かだ。リフレッシュなんて言葉は似合わないが、今や一種のストレス解消剤になっているのだろう。
・・・
本当の死界というものは、取り返しのつかない恐怖と虚無の世界かもしれない。脳が停まれば、何も考えることも、何も思い出すこともできやしない。永遠の虚無が支配するのみだ。それが怖いから、人は死の先に遥かな希望を抱いてきた。生きる苦しみの果てにまったくの虚無が到来するなどという救いようの無い現実を、信じたくない、信じるべきではない。そういった古人の思いが宗教の形をとって今に残る。
だが結局、現実は厳しい。
死後の世界は、多分無い。
とすれば、「能力者」と呼ばれる人々には、いったい「何」が見えているのだろう。
死する人の脳は長く引き伸ばされた時間空間の中に移動するのかもしれない。はたから見ればそのまま朽ちていく屍脳に見えても、その数秒の時間のうちに、脳は果てしの無い未来までも見て、感じて、それは死ぬ当人からすれば、永遠の生を受けたも同然で、死ぬ瞬間の人の「未来の残像」を目にした人が、「幽霊」と感じるものなのではないか。
仮定である。
正月の4日、テレビの恐怖番組を見ていて急に、猛烈に「嫌な気配」をかんじた。その番組は呪われた古墳発掘という趣向で、私も古墳時代で卒論を書いたくらいだから興味深く見ていたのだが、墓場の写真を撮って回ったときの胸の悪さにも似た感じをおぼえた。「それ」は始めテレビの上あたり、そして寝転がる足元へと移動した。煙のような、ごく薄い気配であったが、踵に冷気が触れた瞬間、蛇に睨まれた蛙のように、私は身動きがとれなくなった。テレビから目を離すことも、身をよじることもできない。やっと番組が終わると、解き放たれたが、途端、猛烈な吐き気にみまわれ、次いで腹痛、悪寒。遂には朝まで凍る便所で一睡もできず、それから3、4日の間、寝床から立つこともできなかった。死ぬ苦しみとはこれがえんえんとつづくものに違いない。なんて絶望的なんだ、という思いが脳内をひたすらぐるぐると渦巻く。その前日に頭を打って救急車で運ばれていた。ひょっとすると脳傷か?という恐怖感もあった。脳は検査して無事とわかって、少し安心はしたものの、体調は今もって回復していない。こういう身体的な危機にさいして霊感は薄れるもので、最中は自分しか目に入らず朦朧とするばかりであったが、医者に見せても判然としないまま、ひたすら寝て治すしかなかったこの奇妙な病気・・・あとから考えると何かの悪霊に見込まれたように思えなくも無い。
古墳時代から奈良時代の墓である。もう1300年くらい昔の話しだ。もしこれがあの墓の主の障りであったとしたら、裏返せば、人は1300年間は少なくとも「残像として生きられる」のか。これは希望か?
「異界」という響きには楽園の匂いが感じられる。しかし、「死の苦しみ」がえんえんと続く状態が異界であるとしたら、楽園などという軽やかで美しいものであろうはずがない。
私は夢を見ていた。死は解脱なんかじゃない。もっとリアルで、もっと殺伐としている。
そう回想するとき、
ふと、あの古墳の主が、自分の味わい続ける苦しみを知って欲しい一心で、私の足に取り縋ったビジョンが浮かんだ。
1300年間の苦しみを、少しでも分け伝えたくて・・・。
私は死が恐ろしい。
・・・
2001/1/22

1994年の日記から二項。
・・・
「銀の蛇、泡、小頭のこと」

タタミの上、布団がめくれたところに、アルミホイルを丸め、マダラをつけた銀のヒモのようなものがいる。
すと動いて、つと消えた。
目のはしの方、宙に不意にふつふつと、泡がわいて、
ボコボコ消えた。
視界の遠辺に、スーパーボール位の頭が出た。顕れては消えをくりかえし、3m位先のいたるところから顕れてはきえる。小さな缶の中からのぞいたり、窓のカーテンのめくれたところから現れたり。でも、長い間見えていることはなく、明滅する灯台の灯火のように赤い。
精神の歪みのみせる幻か、ひかえめな妖怪のあいさつか。定かではない。
・・・
「”学校霊”のこと」

数年前から流行っているという話し。
女子トイレ。3番目の個室をノックして、「花子さん」と呼ぶと、誰も居ない筈なのに、返事がする。
その個室に入っていると、誰かの足音が近付いてくる。しかしそれきりで何の音もしない。出るさい、ふと隣室が気になって、床の隙間から覗いてみると、「半分だけ」地面から突き出た女の顔が、、、「見たな」
男子トイレ版もあるらしく、話自体は昔からあったものと大差ない。ハナコ(もしくはタロウ)という「名前」があることだけが違う。その名前の存在が、より生生しさを醸し出している。「ピアスの穴」の話しと共にパッと広がったようだ。
ピアスの穴を自分であけようとした少女。焼いた針先を耳たぶにあてがい、一寸痛いが何とか貫通させて、鏡を覗くと、小さな穴の中から、白い糸のようなものが飛び出ている。ほこりでもついたのかな。何気なく手をやり糸を引っ張る。
パッ、とあたりが暗くなる。
それきり少女は失明してしまった。糸は視神経だったのだ。
このまことしやかな噂話は、背筋のこそばゆく、何とも後味の悪い感をあたえる。思いもかけず身近な恐怖。一人旅の危険を伝える「芋虫女」の噂同様、無闇に自分の体を傷つけるな、という諌話に近い。ちなみに芋虫女とは、「東南アジア旅行中に手足を切られ薬漬けにされて地回りのサーカスに売られた女子大生がいた」、というもので、ピアスの白い糸の話と共に広まったが、かなり歴史の古い伝説である。東南アジアではなく大阪の或る土地だったという話も聞いたが(猟奇好きの客のために「作られた」という)、いずれ噂にすぎないだろう。西太后に手足を切られ壷漬けにされた女の話は映画にもなり有名、奇形を見世物にするサーカス団を取り上げた映画「フリークス」にも似たような描写があったように思うから、現代の噂はそのあたりにルーツがあるのは間違い無いだろう。切断という取り返しのつかない惨い仕打ち、見知らぬ土地で全ての救いから隔絶された絶望感・・・身の毛もよだつ。
「都市伝説」というコトバがある。「消えるヒッチハイカー」で取り上げられ有名になった言葉で、単刀直入に言って”ウワサ話”のことである。現代社会における民俗学の研究対象として、松谷みよ子さんらの収集した話が大冊にまとめられているが、学校に通うティーンエイジに広まったこれらはその典型的なものである。学校・・・人が必ずしも自分の意志ではないところで集められた時、そんな場にたちこめる”薄い”不安感が産み出した妄想。私がツクバに入学したてのときも、様々な話が流行った。しかし皆が土地に馴染むにつれ、話題にならなくなっていったものだが、漠然とした不安感が狂暴な噂と化していく過程は、どこかイジメの形成にも通じる気がする。
学校霊で、もっと面白いのがある。
「テケテケ」という。夜半の学校に現れる。ぱっと振り返ると、小さな男がニヤニヤ笑っている。小さいのではない。男には下半身が無いのだ。目が合うと、猛然と追ってくる。足も無いのに、「テケテケ」と足音をたてて・・・
ツクバの宿舎、平砂10号棟(又は11、12という説も。外から全く見えない奥にあり、今はどうだか知らないが、当時は年長の住人だらけで、他の号棟は窮窮としているのに、空き室が多かった11号棟のほうがあやしいといえば怪しかった)に出没した「アディダスの男」は、全国的に有名になってしまい、各地に色々なバリエーションを産んだ。私が入学した時には既に出なくなった後だったが、黄色いアディダスのトレーナーを着た男が、毎晩、部屋の右壁から左壁へと走り抜ける、という話しで、連夜の足音に悩まされた或る学生が、ゴールテープを壁に貼り付けておくと、満足したのか出なくなった、というもの。実はこのオチ付きの話しは後から作られたものらしく、リアルに聞いた話では、廊下を真夜中にダッシュするような足音がして、余りのうるささに文句を言おうと扉を開けると、そこには誰も居ない。そのかわり、並びの部屋の全てから住人が、同じように顔を出して、呆然としていた、という。
変化する噂という点ではこの話しも面白い。夜中男子棟の三階の部屋で勉強していると、窓外、地上三メートルの空中に、いつのまにか女の人が「立って」おり、両腕を水平に差し上げ組んでいて、目が合った途端、組んだ腕を左右にカクカク振りながら、バッと向かってくる。手の動かしかたがピンクレディーの”UFO”の振り付けに似ていることから、「UFO女」と呼ばれていた。これの元話は、勉強に没頭していてふと窓外に目をやると、窓べりに女がもたれかかり、こちらを見てニヤと笑う(三階、だ)・・・というものであったようだが、”UFO女”のほうはしまいにはテレビで女性アイドルが語るくらいにまでひろがっていった。身近に”UFO女”の話しを「作った」、という人がいたせいもあって、噂の広まる勢いに少々驚いたものだ。
他にもある。「星を見る少女」。毎晩”シラノ”よろしく女子棟3階の窓辺で、いつも星を見上げている少女に恋をする男。或る日いてもたってもいられなくなりその部屋へ向かうが扉を叩いても返事が無く、聞けば住人を最近見かけた者がいない。異常だということになり管理人が鍵を開けると・・・窓縁のカーテンレーンに紐を掛け首をくくった少女のミイラ化死体が・・・これは校内の「一の矢」の森だという説もあった。学生の相次ぐ自殺で図らずも有名になってしまった当時の学校を窺わせる噂だ。
まだいくつかあるが、学校のつまらなさを補うかの如きこれらの話の出現は寧ろ歓迎すべきものだったともいえよう。なぜなら抑圧された感情の一つの健全なはけ口になっていたとも考えられるからだ。
・・・
2001/1/21

「首吊り狸」

本郷は桜馬場近くに大店があり、丁稚よりつとめた若い手代がいた。また、田舎から働きに出てきた下働きの娘がいて、二人はいつしか恋仲になった。夜毎近くの桜馬場で逢瀬を繰り返し、
・・・「必ずや夫婦となって添い遂げよう」、
と人知れず深い契りを結ぶまでになったものの、或る日、娘の故郷から主のもとへ、
「婿取りの話がまとまったゆえ、何とぞお暇頂きたい」
との知らせが来た。二人は夜毎桜馬場にて相談し合っては悲嘆に暮れる。江戸の古き世のこと、親の決めた縁談を断ることは不可能、この世で添い遂げることができないのならいっそ、と思い詰めるまでになり、いよいよ婚礼の期日も定まり明日にも暇が出るとわかって、今晩こそ櫻樹に互いに首を縊って果てようと決めてしまう。
「何々時、桜の馬場で・・・」
手代はその日外出の用があって、出かけ間際に娘に囁く。
娘はこくりとうなづいて、唇を噛み締めながら男の両目を見上げた。
・・・用を片づけて暮れ近くになり、手代は桜馬場へと急いだ。着いてみると、娘は既にそこにいた。
「早かったね」
娘は何も言わず、やわらかな笑みだけを差し掛けた。
抱擁し、改めて互いの気持ちを確かめ合う。
心中の心積もりが固まると、手代は手の荷より取り出した長い紐を、ひときわ枝振りの良い櫻樹の枝に投げかけて、二人並んで首を縊る格好となるよう、しっかりと結び付けた。
「良いね」
何も言わず顔を見上げる娘の手をとり、二人して高いところに立つと、二括りの紐を互いの首に掛け合って、もう一度、
「良いね」
「・・・」
背を押し合うように肩を組み、身を寄せ合って、飛び降りた。
首元にがくんという重い衝撃が走る。息も止まり首骨がきしぎしと軋む。だが次の瞬間、男の足先が地に触れた。紐が長すぎたのである。死にきれずもがき苦しむ視界の隅に、そのまま息絶えた娘の、静かに垂がる姿が入った。男はもんどりうって倒れると泡を吹き転げまわって苦しんだ・・・。
「遅くなった」
息せき切って夜道を走る姿があった。娘であった。真っ暗な桜馬場の土手筋を走ると、待ち合わせの木のあたりから、うめくような声が聞こえてくる。不気味に思うも灯りを差し向けて、
「あれッ!」
大声をあげた。草叢に倒れ苦しんでいるのは愛する男、そのそばには何と自分そっくりの娘が、首をくくって死んでいるのだ。
娘の錯乱した声を聞きつけた近住の者が集まってきて、とりあえず男を助け上げ介抱すると、程なく息を吹き返した。心中の訳を聞かれて、男はもう隠すことはあるまいと、正直に事の顛末を淡々と語った。大体の状況はわかったが、わからないのが首を縊った「もうひとりの娘」である。一同は顔を見合わせるばかり、放心状態の手代の腰元にすがる娘は正真正銘本物の生きた娘である。「あれ」をそのままにしておくわけにもいくまい、と桜の枝から下ろし、草中に横たえる。しばらく眺めていると、骸の全身から、ぞろぞろと毛が生えてきて、いつしか狸の姿になっていた。
見た一同大いに驚き、そこへ二人のことを聞きつけた主人が現れる。
「二人とも我が家に良くつくしてくれた。我が家にとっても重宝な人間である。死ぬほどに好きあっているのなら、何も生木を裂くようなことはしたくはない」
と言うと、後日二人の親元へ知らせて、無事添い遂げさせた。
「・・・あの狸は何だったのでしょう」
「もしや俺は毎晩狸と遭っていたのか」
手代がぽつりと呟く横で娘は、
「いいえ、確かに私でした」
と切り返すと、狸塚に向かい腰をかがめて、手を合わせるのであった。
毎夜二人の相談を聞いているうちに同情し、手代を慰めるためにしたことが、誤って自死するはめになってしまったのか、と噂されたが本当のところはわからない。狸は狐と違って明らかな目的も無しに、人間に対し訳のわからぬ悪戯をしかけることがあるが、時折自ずの技にかかっては、愚鈍を示すこともあったようである。
~”耳袋”より。
2001/1/17

まぼろしの都について。「蜃気楼」は文字どおり海の蛤の合わせ目から噴き出した気の中に産み出される儚い楼閣、「竜宮城」などもその類、富山湾名物である。今では海面と大気の極端な温度差がレンズのような効果をおよぼし、遠い景色を至近の空中に映し出す科学現象と説明されている。だが人のロマンはそれだけに止まらない伝説を生む。
新約聖書は「ヨハネの黙示録」に描かれる天国の都「新しきエルサレム」、スウィフトが「ガリバー旅行記」に採録した天空の浮島ラピュータは有名。大空を舞い雲と戯れ、気まぐれにその姿をあらわす幻の空中都市は、海面や地面と切っても切り離せない蜃気楼などとは最早別種のものである。
浦島太郎のように、幻の城郭へじっさい足を踏み入れ、異界をかいま見たという噺も、いくつか伝わっている。これらも自然現象を「幻象」の世へとうつしかえた古の人々の強い想像力を感じさせる。現代のロマンにうつしかえればさしずめUFOに乗って宇宙人の住む星を探訪とかいう噺になろうか。
アラスカ上空に、毎年6月21日から7月10日のあいだにあらわれる、イギリスはブリストル市の映像とされるものは、大気現象だけでは説明のつかない遠方の情景であるところが何とも不思議だ。19世紀末には写真にとられ検証までなされるなど話題を呼んだもので、現在も実見されることがあるというが定かではない。
永遠の呪詛に囚われた幻の町の伝説は各所にあるが、イギリスのケルトにつたわる海上沖合にただよう「祝福された死の町」もそのひとつだ。さまよえるオランダ人などといった幽霊船の物語にも通じる。海上にたゆたう「死の市」の姿は恐怖であるとともに、何やら感傷的であるようにも思う。
・・・現実の不可思議がニンゲンの不可思議をくわえて不可思議な伝説となる、いずれ面白い。
2001/1/16

奇談ということでたまにはこういったものを。
”天さかるカルホルニヤに見し影の小春に霞む武蔵野の月”
~古今東西逸話文庫(明治27年)第13編より
これが安政のころ、米国公使ハリスの浦賀に来たりし時、幕府に献じた和歌だという。「一時もてはやしけるが、其真偽は知らず、ここに掲げて世の考証を待つ」と原筆者は書き記している。真贋を問うまでもあるまい。唯、麻布は善福寺のハリス顕彰碑をふと思い出した、室町の古に建てられた本堂を前に英文の刻まれる大きな石碑、開国に向かう世の薄明に訪れた若き国の大牛。有名な愛人の話しといい、ペリーの勇壮に比べ伝えられる横顔は生臭さを感じさせるが、こんな茶化た和歌の説もハリスの風体を象徴するかのようにユーモラスだ。
2001/1/15

”ポルター・ガイスト”、ドイツのお化けだ。騒霊と訳され、日本では「家鳴り」として親しまれる。夜中に不気味な物音を立てたり、家屋自体が揺れだすといった文字どおり「騒がしい妖怪」で、姿は見えない。それだけであれば、たとえば屋根裏の鼠や乾湿の変化により起こる柱木の軋み、何らかの空気振動に伴う共振といった科学現象に由来するものと一笑に付すことが可能だろうが、例の岐阜の幽霊団地のように、皿や包丁などの台所用品が飛んだり、ひどくなると人が投げ飛ばされたりといったこともある。未成年の特に少女がいる家に発生する確率が高いといい、情緒的に不安定な思春期のもたらす「超能力」が無意識のうちに発揮されたのではないかといわれる。若い処女が何らかの神懸かり的な力を持つという伝承は、魔女然りシャーマン然り洋の東西問わず有るが、それが何らかの理由で抑圧された結果「暴発」したのがポルターガイスト現象だという説は、少し説得力があるように思う。以下に挙げる話しもさしずめその一例と考えられよう。
江戸時代の噺である。幕府の評定所で書役(書記)を勤める大竹栄蔵という人が語った父代の話し。寛保か延享(18世紀半)の頃、ある晩、宅の天井に、大岩の落ちるような音がした。それが怪異の始まりだった。行灯が宙に浮かび、茶碗など食器の類が長押を越え次の間に飛び移ったりなど、次々と起こる。座敷と台所の庭は垣根で境を設けて有ったのだが、或る日雇った米搗きが、台所の庭で米を搗き、一息入れている間に、臼が垣根を飛び越えて、座敷の庭に飛び移ったこともあった。また、天井裏が騒々しいので人を上げて調べてみると、別段何もなかったのだが、降りてきた人の顔に、煤がべったりと付いていたという。やがて座敷で怪火が燃え上がるようなことが頻発するにいたって、火事など起こしたら大事、神主や山伏などを呼んで加持祈祷させるが、いっこうに効果はあらわれない。ほとほと困り果てているうちに知人の老人が、怪異の噺を聞きつけてやってきた。
もしや池尻(現、世田谷区池尻)、もしくは池袋の女を使われてはおりませぬか
と言うから調べてみると、確かに池尻村から来た下働きの女がいて、直ちに暇を出した。果たして怪異はぷっつり途絶えたという。家人不思議に思い後に老人に尋ねたところ、
池尻の産土神(土地神のこと)はたいそう氏子を惜しむ神なり。その土地の女が他所へ出て男と交わるなどすると、必ず妖怪が姿を現すと伝えられる
と。当時大竹氏は子供であったからわからなかったが、恐らく父親がその下女と通じていたのではないか、とも語ったという。
2001/1/11

京浜東北線(山手線)新橋駅と有楽町駅の間の線路に、今はどうだか知らないが、「蜘蛛女」があらわれるというウワサがあった。真夜中の車窓からなんとなく外を見ていると、路面に這いつくばってる女が見える。両手両足を虫のように地面に立てて、首だけを上げ、ぎろりと睨む。瞬時、かさかさかさ、と四つんばいで走り、線路脇の電柱によじ登る。下に降りても見ることはできない。京浜東北線の車窓からしか見えず、一瞬だから詳しく観察することもできない。動きはいつも一緒である。そうとうに昔、電車に飛び込んだ女のモノだというが余りにまことしやかな話ではある。
ああいうモノについて考えた。不遇に死んだものが、長いこと浮遊しているうちに、幾つかのモノと合体して、強力な屍力を発することがある。
それはニンゲン同士に限らない。蜘蛛や山羊、犬などの草木動物を併合して、おかしな様相を呈するようになる・・・「蜘蛛女」はそのたぐいだろう。いずれ、まともな神経を維持していることはあるまい。
「やもり女」の話をしよう。地方の古いマンションの、お化け騒ぎについて。小窓の並ぶ建物の北面は、薄汚れたコンクリートで覆われているが、地面から、まっすぐ、最上階のある一室の小窓めがけて、点々と、手のひらのような黒い「掌痕」が浮き上がるという。紐で吊るすような大掛かりなことをしないことには、絶対に打てないであろう垂直の壁のど真ん中にも、左、右、左、右と交叉して続いている。よくみると五本の指のようなものを備えているから手のあとに見えて仕方ない。業者を呼んで消させても、壁の中から浮かび上がるように現れ続ける。ある晩、一人のサラリーマンが奇妙なものを見た。後ろ姿の主婦が、ぼうっと北面を見上げていた。頭の妙に小さい女だと思って近づくと、モノは地面に立っているのではなく、両手のひらを、壁に真っ直ぐ、ぺたり、とつけて、頭ひとつ上のところに、「ぶら下がっている」。垂直腕立て伏せのような格好で、左手から、ぺたり、ぺたりと音をたてて昇っていく最中だったのだ。まっすぐ、まっすぐ上に。その後に、掌の跡が残っていく。べとりと固まりかけた血のような色が月光に鈍くかがやき、余りの景色の生臭さに立ち尽くすうち、主婦のようなソレは20メートルも上の窓に差し掛かった。ずるり。主婦はまるで蛇が配水管に潜り込むように、小窓の中に吸い込まれていった。
その部屋は空き室である。翌日周囲に聞き込んでみるとサラリーマンの予想通り、誤って、その窓から滑り落ちた主婦が、昔いたことが判明した。頭からまっすぐ落ちたから、肩に頭がめり込み、潰れて、半分くらいになっていて、両手は血だらけだった。そのマンションは何故かヤモリが多いという。自然と、「やもり女」という渾名がついた。

2001/1/9

別項でも書いたが、ここ2、3年でまったくといっていいほど「霊感」らしきものがなくなってしまった。それどころか、どうやって、どのように見えていたのか、その”感覚”すら思い出せない。物忘れが激しいから、ついこのあいだのことでも忘れることが多くなっていて、霊感なるものについての記憶も、他の雑多と共に流れ去ってしまったようだ。
だからかもしれないが、何か実話怪談風のものを書いても、ウソっぽくなってしまう。5、6年前まで、私は身の回りに「起こった」ことを様々な場所に書き留めていて、そんなものが先ほど、古ノートの間から2つほど出てきた。読むに我ながらなかなか真に迫っている。こういうものを今書けるかというと書けない。その内容はじつは既に「百鬼夜話」にうろ覚えで紹介しているのだが、正直なところリアルタイムの記述に比べて、恐怖感が表面的で、伝わりづらくなっている。おまけに細部が間違っていて、記憶なるものの曖昧さも実感する。それにしてもほんとに、怪談が書けなくなっている。熟考すれば良いものではない。「感覚」が、消えかかっている。
つくづく、時は流れるものだ。降り積もらない。
折角の怪談日記のついでだ、小さな話しを。現在の私が前述の様子ゆえ、薄い話になってしまうのはご勘弁を。
学生のころ、形質人類学で、人骨を組み立てる実習があった。ふるびた枯れ枝のような茶色い骨を、足甲の細かいところまできちんと組み合わせてゆく。全て時間という浄水できれいに洗われて、血管跡のひとつも残らない様だから怖がったり気にしたりする学生もいなかった。私は只、出来上がった人骨の予想外の「小ささ」に胸が縮まる感じがした。自分もこんな姿になってしまうのだろうか。授業はつつがなく終了した。
すっかり忘れてサークルの練習にいそしんだあと、飯を食いに行った。行き付けの蕎麦屋で鳥唐を載せた冷蕎麦を注文する。程なく届いた器を前にごくと喉が鳴り、仲間を待たず箸先に蕎麦をつまんで持ち上げた。ふと、うわっ、と、異様な匂い・・・クレゾールのような強い香り・・・。次いで、肩越しに、何者かの「顔」が覗き込む気がしたのである。
「気がした」ではない。「ビジョンが浮かんだ」のだ。
浅黒い顔。細面で眉毛が濃く、鼻が大きい。黒い髭。額に印?
インド人、という直感が働いた。「食いたがっている」。
だがこいつよりもっと腹が減っている自信があった。練習はそれなりにきつかった。当時霊感もそれなりに力をもっていたと思う。「影」を拭い去るように勢い良く掻き込むと、すっと消えた。
翌日。
友人と前日の実習について話していて、ふと、骨が誰なのか、という話題になった。
あ、あそこの骨はね
聞いた話しだが、と前打ったうえで一人が言うには、こうだった。
輸入らしいよ。戦前とか、昔のことらしいけど、
何でも、インドなんだって・・・
・・・
クレゾールの匂いが・・・ふと鼻をかすめた。

by r_o_k | 2017-08-13 21:34 | 鬼談怪談

奇談つれづれ(2002/12/20-2004/9/22)「苗場山の夜」〜「鈍感な私、、しゃがんでいる子供」

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2004/9/22「鈍感な私、、しゃがんでいる子供」

最近の話しをしよう。ふたつほど目だったことがあって、某コミュニティサイトに書いたのだが、誰も食い付かないのでこっちにも書きます(泣)

先週はほんとうに忙しいというか睡眠時間を削らざるをえなくて、そうとうきつかった。それまでだいたい1時に寝て7時に起きていたから、まあ個人的には8時間欲しいところだがでも一般的には良く寝ている方だった。睡眠状態もよかったのだが、それが、一月ほど前からちょっと狂ってきた。必ず夜中一回目を覚ますのである。まだ暗く、3時から4時くらいであった。しかし、目を覚ますだけなので、とりあえず便所行って、帰ってきたら既に記憶の無い寝方をしていて、なんで目を覚ましているのか、さっぱり理解していないというか、ほんと、なんの気にもとめていなかったのである。

それが先週、そう、だいたい4、5時までは起きざるを得なくなってしまった。パソコンが壊れてその修理等をするのに毎晩時間がかかっていたのである(それは今も続く・・)。こういう作業はいらつく。気がたってしまい、寝床についてもすぐには眠れないのが常である。作業自体は3時には終わるのだが、寝床に横になって、ビデオを見ながらなんとなく気をしずめていくのである。

そのときだった。そう、3時半くらいだったろうか、最初は。

ええ・・・うう・・・

犬?何か小犬のような声?そんな弱々しい奇妙なひびきの声が、壁の向こうから聞こえてきた。壁は外壁になっているが裏はすぐ裏の家の庭で、犬など飼っていない。

ああ・・・あえ、ああ、ええ・・

・・・いや人だ。弱々しい人の声だ。中年で痩せている。そんな声だ。それが、なぜか・・・あえぎ声をあげている!

うっ・・・うう・・・うえ・・・うっ

・・・変に高いトーンだ。若者の高い声という感じではなく、もともと甲高い中年男の声といった感じだ。これは?・・・一瞬やらしい声に聞こえたがそんなんではない、泣いているのか、うめいている・・・

でも、なぜ?

なぜこんな時間に裏庭に中年男が立って泣いている?

ばたっ!

はっ、ときた。

これは違う!

ばたっ!ばたっ!

外壁が叩かれる。

こんなことをするのは・・・

・・・うえ、うっうっ、うう・・・あえあ!

ばたっ!ばたっ!

ふと、毎晩この時間~3時から4時~に起きていたことを思い出した。たんに睡眠のリズムだったんじゃない、

こいつが毎晩、俺を起こしていたのだ!

しかも、北の外壁から!

・・・俺は鈍感にも、気付かずに寝ていただけだったのだ。今週はこの時間までしっかり起きていなければならなかったがために・・・初めて気が付いたのだ。

断続的だった。それに、弱々しい。だから、私はむしろ気が立っている状態なので、マンガなぞを見て気分を散らすほうに気が行ってしまい、

不幸な男は外壁に放置されたのだった。

それでもときどき耳に聞こえる。

嗚呼・・・あえあ・・

ぱた。

不意に室内で音が鳴った。

北壁だ。

見ると貼ってあるポスターの中央が、まるで人の拳で突き上げたかのように、ぐうっと持ち上がって・・・ばた!と戻る。そしてまた、ぐぐうっ・・・と持ち上がって・・・ばた!と戻る。やめろ、それはお気に入りのポスターだ!

破くなコイツ!

・・・そんなことが何度かつづくとますます目が冴える。結局私はその現象が断続的にも結局終わる5時過ぎ、外が明るくなるまで眠れなくなってしまったのだった。

最初はそんな感じ、でも、次の日も、その次の日も私の寝る時間は遅くならざるをえなかった。毎日2、3時間睡眠の体は辛かった。

そんな日々に拍車を掛ける、あの男の気になる所業。

むかついた。もう3、4日目のことだろうか、疲労困ぱいして、でもそんなときに限って目は益々冴え渡り・・・その目に、あのポスターの中央の盛り上がりが映るのである。

ううっ、うう、という煮え切らない中年男の呻き声とともに。

私は夜中であることをもはや忘れていた。

てめえこいつ!黙ってりゃ毎日毎日来やがって、何ぞ文句でもあるのかいな?おまえ、フユウレイだろ?俺のとこへ来んくらいなら、自分で寺でも神社でも行って、勝手に成仏しやがれこのタコ!

・・・すると、なんとその声がぴたり、と停まったのである。ポスターの中央がふわり、と元に戻り、外壁の気配も、もはや消えていた。

ああ、やった。

私はその日も2時間睡眠だったが、満足して眠ることができた。

・・・

2、3日たって週末がやってきた。私はやっとこの不眠サイクルが終わると思って早めに床についた。すうっと自然な眠りが降りてきて、ああ、気持ちがいい、と思ったものである。楽しく、安らかな気持ちだった。

がくっ

それは突然来た。うつぶせの私の上に、ちょうど人間大の砂袋のようなものが天井の方から、どさっと落ちてきた感覚で目が覚めた。何の理由もないただただ異様な恐怖感だけが全身に響いてきた。金縛りだ!やつらが金縛りをかけてくるのはこっちが気を抜いているまだ浅い睡眠時(深い睡眠だと手が出せないのは周知のとおり)、こちらが動けず強い恐怖感を抱くことをよく知っていて、かけてきやがる。顔はうつぶせだから見えない、でも、これはヤツだ。追い払ったとおもっていたヤツが、どうやったのか室内に入って、俺に復讐をしようとしているのだ。何故?さびしいから。さびしいのに、怒鳴りつけるようなことをしてきたから。たいていの浮遊霊は弱い。人が力を抜いているときしか攻撃してこれない。私は理由の無い絶大な(金縛り特有の)恐怖感に恐怖しながらも、こういうときの対処法を試した。先ずは舌打ちである。舌程度は動くものだ。そして、霊は、霊自身もそういう音を出して現れるくせに、人間が同じ舌打ちのような打音をはっするとひるむ。こっちもはっきりしたパチンという音に耳を打たれ完全覚醒状態に至る。そこで上半身だけでも起きたら、腹の底から歌をうたうのである。今回は「ジャイアンのテーマ」だった。なるべく力強く、ばからしい歌がいい。

おーれっはジャイアーン ガーキだーいっしょー!

砂袋が横にひねれた感覚。右腕が動く。さっと枕元のスタンドのスイッチに伸び、思いっきり捻る。

さーっと音がするように、気配は雲散霧消した。

フユウレイはあまり一個所に留まらないものだときいたが、こんなにしつこいとは思わなかった。

次の日。

もうヤツはあらわれなかった。

でもそれは私が再び1時に寝るようになったせいかもしれない。

もしかしたら、今晩も3時になると、外壁から・・・

気が付くと叔父の命日が数日後に迫っていた。

ついでに別の話し・こちらは夢の話しなので、真実かどうかはよくわからない。とにかく、夜中中えんえんと長い夢を見るのだ。それはふたつのパターンがあった。ひとつは私がなぜか古ぼけて暗く汚い工業都市にいて、方々から煙があがり、いつのまにか軍人に囲まれて、ドオン、ドオンという遠い爆発音を聴きながら、泣きそうになり、絶望に身を引き裂かれそうになっているところに、ごろん、とふたつ、冷たく重い鉄製のWO転がされ、もう、ここまできたら一緒だ、と無言の圧力を掛けられる。左右を見まわし、黒い顔に囲まれて仕方なくその手に持った感覚が実にイヤな・・・重く冷たく固く塗装が禿げ古びたパイナップル型のカタマリ。震える手でレバーのようなものに手をかけるが、びくっとして引っ込める。なぜふたつなんだろう。私はホンモノの人殺し道具が手のうちにある恐怖に凍り付きながらも、もう時間が無い、動くぞ、と命令される。もはや家族とは会えまい。・・・そういうところでいつも、記憶が途切れるのだ。なんでこんな夢を、しかも毎晩毎晩見るのだろう?・・・それがわかったのが、ある日のたぶん朝方のことであった。突然、灰色の部屋のようなところにいて、扉もないのにすっと、痩せた老人が顕れた。顔の大きな染みが恐かった。夢の中で老人は私の前にざっくばらんとあぐらをかき、やがてとうとうと話しを聞かせはじめた。

それは戦争の話しであった。

南方ではないらしい。おそらく大陸で、歩兵として戦ったこと、その中のわずかな心の動きから、あまりにあっけらかんとした人の死の群在について、思い出話を語るように、でもたんたんと、聴かせてくれた。私はえんえんと聞き役であった。老人はなぜか戦争の話ししかしない、でも、ちぎれ飛んだ友人の腕に握られたをはがし取り、渾身の力を込めて投げた話しを聞いたとき、私はふと自分の夢ののことを思い出した。そして初めて口をひらいた。

あの、をふたつ渡されるのって、なぜですか

老人はうなずきも何も反応せず、たんたんと言った。

自分もふたつ持たされたことがある。

よく生き残ったもんだ、上官に渡された二弾を抱えて敵陣に突撃し、一つは敵の中に投げ込み、そして二つ目は、なるべく敵の陣近くまで駆け込み、撃たれながら・・・自爆するためのものなのだと。大義名分はあくまで生きて捕らえられたときの誇り高き自殺用というものでありながら、あれは事実上人間爆弾なのだ、と語った。しかし老人は生き残ったのだなあ、と思ってふと老人の大きな染みが、染みではなく、大きく爛れた傷痕であることに気が付いた。私はふと朝の鳥の声を聞いた。ああ、朝だ、起きなければ。自覚夢をよく見る私はこの物騒な夢を終わらせようと断ちあがった。すると、老人がぐわっとこちらを見上げ、片手を伸ばし、私の手首を強く握った。

話しはおわっていないんじゃ。

・・・どうやってそれから逃れたのか、覚えてはいない。しかし結局朝はきて、あまりにはっきりしている夢の記憶と手首の感触を確かめながら、しばらく何もできずに座っていた。

あれが本当の元兵士の幽霊だったのか、よくはわからない。

ただ、妙にリアルな話しの内容と、其の前の夢・・・をふたつ渡されたときの恐怖感だけが、今も心に深く突き刺さっている。老人はそれきり出てこなかった。そしてを渡される夢も、もう見ることはなかった。

蛇足。

ついでに。某踏み切りに夜中通りかかると、まるで飢餓の国の子供のように骨ばった背中の、裸の子供がしゃがんでいることがある。これは邪悪な感じがするので、見ても見ぬふりをしているが。

さいきんはこんな感じである。

2004/9/12

「信用出来るの?心霊写真鑑定」

テレビのコワ話収集を始めてもう10何年にもなる。他サイトのように(著作権等無視で)ここにそれをそのままアップすることはパソコンのスペック的にも不可能なのだが、「心霊番組批評」というやりかたはアリかもしれないので、ネタ尽きがちなこのサイトのソースのひとつとしてそういうネタも扱わして貰います(て何も今日に始まった事じゃないけど)。

心霊写真の真贋は昔からいろいろ言われてきている事だ。

でも最近思うのだが、「そのとおりじゃん・・・」というのと「え?これ心霊?」というのの差が異様にハッキリしてきている気がする。写真自体はもちろんだが、とくにそれを鑑定する人の言ってる事・・・。敢えてここでは「この番組の鑑定どうよ?」という問いかけを込めて、以下の番組をあげてみる。

ほん怖。

言わずと知れたマンガからのドラマ化+α番組である。10月からはセカンド・シーズンが始まる。番組のスタンスが「ホントでもウソでも怖けりゃいーや」的なイイ感じなので私はとても好きなのだが、そこに出てくる心霊写真鑑定人なるひとびとに、疑問を感じることしきりなのだ。何人か代替わりして出ていたが、最近は女性の方がやっている。でも・・・・その「基準」がわからない。出てくる写真で、「うわヤバ」なものはやけにあっさり、そんで「あきらかに弱いじゃん」的なものがなぜかじっくりと鑑定される傾向があるのだ。「うわヤバ」は何もハッキリ写っているとかそういう意味じゃなくて、雰囲気というか、景色というか、とにかく感覚的にヤバいというやつで、別に顔が写ってるとか、手が何本もあるとか、わかりやすいものに限ったことじゃない。もうこの番組を見ていることを前提に書いてしまうけど、たとえば先週のスペシャルで流れた一枚の写真。

病弱という子供が写っている。その顔を半分覆うように、縦長の「赤い煙」がぶわっとかかっている。そしてその中に・・・子供の顔らしきものが写っているのだ、まさに煙がその形を成したように、自然な形で。別にハッキリしているわけではないが、私にはハッキリしているウンヌンはどうでもよくて、余りにリアルに感じられた。

私はびくっとした。もう今回の最高のヤバ写真だと思った。なぜって、このような濃い赤い色(しかも煙的な色ムラがあり、一定の赤い色で綺麗に出るよくある現像ミスでないことは一目瞭然)をしたものにはロクなものがないからだ。病弱というからこれは恐らくかなり小さい頃からとりついていた子供、たぶん赤ん坊のツキモノで、しかもあまりいい表情はしていないから、ロクな死に方してない、推測だがこの子に嫉妬して、のっとろうとしている、もしくは(こーいう憑依ってよくあるのだが)この子の心に侵入・同化しようとしている、きっと。笑っているけど、とてもイヤな表情だしかし。縊死者の心霊写真によくある、首の関節が外れ不自然に伸び、血でムクレた死に顔の写り方(このての写真を見たことあるだろうか、忘れられない強烈な姿だ)に凄くよく似ている。今まで見た中で一番強烈だったのはとんねるずの生ダラで(確かスーパーマリオ映画版の宣伝をした回だったかなあ)出てきた、母親が橋の上で息子を撮ったやつ、ブクれたおばさんが顔じゅうから液体をしたたらせながら上向き加減で写っているやつだった。これは織田無道が払ったと記憶しているが(この人、俗物だけど私は好きだ。ウソついて能力が強いように言っているけど、たぶん一般人並。でも、払う力はさすが坊主で、あの気合は霊を鎮めるのに凄い効力があると見た)、ほとんどそっくりな写り方の写真がまた別の番組(キンキンが昼にやってたやつだったかな)にも出ていて、こちらのほうはもう一刻の猶予もならないから焼いて塩撒いてどうとか言っていた。連続で別の番組別の写真に同じようなもんが写っていたのが非常に強烈な印象を残していた。今回、そこまでのものではないものの、凶凶しい血の色をした煙に顔をうつしたこの写真、ニヤニヤしてるし、当然「ヤバイヨヤバイヨ」と出川が言うと思っていた。

おばさんの一言。「ご先祖ですね。この子が病気や怪我するかもしれないと警告しています。お墓参りに行って下さい」。

えー!!!

ほん怖の心霊写真、全般にレベル低いけど、鑑定人も眉が唾だらけになる感じです。最後にタイトルバックに使われてる写真の方が怖かったりする。あ、「ほん怖」て言ってるだけで、アノ番組を特定してるわけじゃござんません。名誉毀損勘弁。こんなとこ読んでないか。

先祖の可能性は確かにそうかもと思ったけど。王蟲みたいに霊も赤を警告色としてるって説もあるしなあ。でも見りゃわかるでしょ、こりゃ心配した先祖霊なんてカワイイもんじゃないってこと。

故池田貴族氏がとりまくった心霊スポットに写る凶凶しい煙の数々や、火葬場の少女の顔写真(これはテレ東で95、6年くらいの盆にやった、ここ10年で最強の心霊番組「日本全国おばけマップ」で撮られた史上最強の心霊写真)なんかを見ても、赤だけが必ずしもコワイ色じゃないてことは言うまでもない。

・・・

今後も16年くらいにわたって溜まった心霊番組エアチェックビデオから、ネタないときは抜粋してこうと思います。面白いかどうかわからないけど、ま、更新ないよりはマシでしょ。

「おぎやはぎが死に神見た」

てんでテレビからの剽窃。オカルトネタをコンスタントに取り上げるので要チェックのダウンタウンDX。おぎやはぎのおぎが語る死に神の実見記録。

おぎさん、友人と山梨あたりの高速を走っていた。するとまばゆい光が後ろから近付いてくる。バイクかな、と振り向くと、

黄金バットのようなスキンヘッドが、黒いマントをなびかせながら、大きな人切り鎌を振りかざして走ってきたのだ!路肩を!

おわっ!

お前、見たか?

おぎさん運転席の友人に話し掛けるが、見てないという。

鎌を持った男は脇を摺り抜け、あっというまに抜かしていった。

・・・おぎさんなぜかすぐ忘れてしまいました。

しばらくして、前の方が渋滞している。

なんだろう、と助手席から顔を出すと、そこにはクラッシュしたバイクと、ぴくりともしない男性が倒れている。

その男の頭に、足がかかっていた。さっきの男だ!動けないように踏みつける黒マントの男は、大きく鎌を振りかざし、

ざくっと、振り下ろした!

そして、倒れている男の頭に片手を伸ばし、持ち上げようとしている・・・

ところで脇を通り抜けていったので、後のことはわからない。

こういった話しだった。

「バロン」の死神を思い出した。あるいぱベックリンの「ペスト」。ネタ的にはなかなかイイ話しですね。

・・・ま。

芸人さんの言うことですから。

2004/9/7「こわい地名」

血洗島、という地名が深谷にある。地名の起源は不明だが、利根川の氾濫でいくつもの島ができた、そのうちのひとつに作られた村落であることは確からしい。血洗い、というとまっさきに人を斬った刀を洗った場所、という想像が浮かぶ。ここは渋沢栄一の故郷として有名である。別項に書いたが死人の通るさまを「死人坊」と呼ぶ地域がある。それに対して、同じ「死人坊」という地名が福島にある、との情報をいただいた。調べてみたが地名の起源はやはり不明である。ただ、死人の名をいただいた地名は意外と多い。詳述は避けるが「死人坂」という地名がある。住民紛争が起きていて、それで知ったのだが、ここは寺の裏手の坂にあたり、いわゆる死人を寺に運ぶための裏門側の坂ということでつけられたらしい。こういう即物的な忌名を持つ地名も少なくない。私の実家のある丘は、古地図によると仏山、という名になっている。荒れ野のマークがついており、他の場所が畑となっているのに比べていかにも不思議なさまである。更に溯るとじつはここは墓地であった。そのせいか家を掘ると土器が出たりするわけだが、土器だけでなくコワイものもよく出るのである。仏山というのも一般名詞であったようだ。他地でも意外とそういう呼ばれ方をした場所が多く、たいていは墓地である。アブリコという地名についても別項に書いた。これは炙り子と書くらしい。地方によっては焼き網のことを炙り子と呼び、とくに忌むべき名ではないようだが、この九州の地名に関しては古代の火葬場で、文字どおりの「炙り」「子供」らしい。表意文字によってあらわされる日本の地名は奥深い。恐ろしげな名の奥に秘められた血なまぐさい伝説も、想像力を刺激して面白いし、コワイ。

2004/8/30「岸辺の三人」

ユウレイ話というのはえてして断片的なものである。物語性を求めるとそれはもう脚色された文学作品になってしまう。断片素材だけの話しというものがどれほど希求力が有るのか私もあまり自信がないが、こういう漠然としたものが典型だ、ということでつい一昨日聞いた話しを記述しておく。

カヤックで川を下りながら途中川原でテントを張りキャンプをする、というツアーだったそうである。川原でキャンプというのは増水時を考えると結構危険な行為だが、そのツアーはベテランのガイドによるもので危険はなかった、という。ほんとかどうか私はわからない。とにかくそこでテントを張って一晩過ごしても何も起こらず、次の日再びカヤックで下り、今度は民宿に泊まった。その晩のことである。

彼は異様な雰囲気に目を覚ました。真夜中、窓から月明かりが入り部屋の中を冷え冷えと照らしている。・・・誰かに見られている。視線を感じた、というのだ。だが室内には鼾と寝息が満ちている。彼以外に起きている者はいない。どこからだ?彼は泥棒だと思った。心臓の音が大きくなりひときわ耳を打つ。彼は寝たまま、目だけを部屋のあちこちに向けた。そして、視線の元をたぐる。しかし室内には何も無い。ふと月明かりが揺れる。窓外には川原が広がるばかりで木や草のような遮るものは一切無いのに、影が揺れている。ゆっくりと、目を窓外に向けた。

シルエットがあった。

そこには三つの影があった。

のっぽ、低い、そして普通の背丈の、人影。

徐々に目の焦点が合ってくる。

・・・そこには「人」が三人いた。ガラス窓に顔をべったりとつけた三人のずぶぬれの男。いずれも、何か獲物を探るかのような不気味な悪意を込めて、その6つの見開かれた眼を室内に向けていたのである。

生きている人間じゃない!

気を失った。

翌朝、彼は恐ろしい体験を仲間に話した。するとガイドをしてくれた年かさの人が、何気なく口を開いた。

あ、そうだよ。この川でカヤックをやっていて溺れ死んだ人間が、三人。よく出るんだよね。

・・・その日のカヤックツアーは皆寡黙に、慎重に進められたという。

後日、三人はじつは小屋の前ではなく、前日のテント場のところで溺れ死んだことがわかったそうである。つまり三人は、小屋まで川を、彼等の後を付いてきていたのだ。カヤックを漕ぎながら・・・

話しはこれだけである。

2004/8/26「子供の顔」

夜寝るとき、薄暗い天井の隅を見つめてごらん。

何か見えてこないか?

そこに、子供が見えないか?・・・膝を抱えた小さな子供が、見えてこないか?

彼が私のところへ来たのは、もう10年ほど前のことである。連日遅い日が続き、コンビニ弁当を食べながら寝るという生活をしていたころ。そのときも弁当を食べながらいつのまにか寝てしまっていた。

うー。

?何か声が聞こえる。呻き声が聞こえる。・・・俺か?

眠りに入ったか入らなかったかのとき、よく自分の声が違う方向から聞こえてくるように感じることがある。単なる錯覚なのだが、人によっては「隣で違う人の息遣いが聞こえる!」とか言って怪談にしてしまう。たんに寝ぼけて耳だけが鋭敏になってしまっただけなのだが。私はふと目が覚めてしまっただけだと思った。ちょっと息を潜めてみる。でも、

うー。

さかりのついた猫のような声がする。方向は・・・隅だ。部屋の隅だ。それも、上のほう・・・

目が自然と覚めて、その目にぼんやりとうつる天井の隅。そこに、何か黒っぽい、闇がもっと闇を深めたような影が、蠢いている。

眼鏡を取り、かける。

うわっ

・・・うー。

天井の隅には、黒い子供がいた。膝を抱えて、変な角度で浮かんでいる。思わずあげた声を飲んで、私はそれを観察した。黒くて服とかはわからない、でも表情だけはわかる。何か、全体的に皮膚がグズグズで、右下に流れたような・・・汚れた顔。(実は私はそのとき手元のメモ紙にその顔を書きとめたのだが、どこかへいってしまった。出てきたらここへ載せようと思う)

うー・・・

声の調子が変わる。私が彼を認識したということがわかったのか、地の底から湧き起こるような低い声が、いくぶん高く、尻上がりのようになってくる。だんだんと、姿ははっきりしてきて、それとともに、声は子供らしい高い声で、ちょっと変な言い方だが、甘えるような、情にうったえるような声になってきたのだ。わけもわからず呆然と見ていた私は、恐怖心から次第に同情心に変わっていく心のうつろいを感じていた。ああ、・・・土砂崩れか、洪水か、そういうのでやられた子だ・・・蒼白く汚い顔に浮かぶ想いが伝わってきたような気がした。

う。

と、呻き声が停まった。天井の隅に浮かんでいた少年は、静かにこちらへ向かって大きくなってきた。つまりは、近付いてきた。口がちょっと開いたように見える。顔の皮は、かなり人間らしさを取り戻した表情になっていた。同時に、少年から「現実味」が失せてくる。死者は、夢との境目において初めて人間としての姿を取り戻せる。言い換えれば、死んだときの非人間的な凄惨な姿から、いくぶんこちらの脳の想像力を利用して、人間らしい姿を取り戻す事ができるのだ。少年の顔は、やがて私の視界いっぱいにひろがった。私は半分寝ぼけたようになっていて、ただぼうっとそれを見ているだけだった。恐怖感はもはやなかった。

ないしょだよ。

・・・そのコトバが聞こえるか聞こえないかのうちに、ぱ、っと部屋の雰囲気が変わった。空疎で、冷ややかな空気が肌を刺す。少年は、消えていた。私は眼鏡を外して、しばらく首を振り、夢だったのだ、と信じ込もうとした。でも、手元のメモ帳には、気味の悪い絵が書き残されている。私はメモを裏返すと、ばたん、とそのまま深い眠りに落ちた。

何か私が知っていたと思ったのだろうか。子供のオバケに憑かれることは案外多いのだが、はっきりモノをしゃべるほど大きくなった子供の場合は珍しい。翌日、私はぼーっとした頭で、ないしょだよ、というコトバを反芻しながら、会社へと向かった。

会社で鞄をひらいた。そして、あ、と思った。

そこには石が入っていた。

私が拾ってきたものだ。文鎮に使おうとして多摩川で拾ってきた拳大の石だ。

石の表面。

拾ってきたときには気が付かなかったのだ。

青黒い石の表面に、白い石がざらめのように入っていて、それが、人の顔のように見えた。いや、男の子の歪んだ顔、そのものだった。口元が釣り上がり、何か苦しそうに訴える子供の顔!

・・・ないしょだよ。

帰り道、近所の公園に投げ捨てた。

その石のその後は知らない。

2004/8/25「オオノコウヘイて結局誰だったの?」

しらねごちょうめのみんなごめんね、でお馴染み、オオノコウヘイが流行ったのはもう半年前くらいだったろうか。いかにもヒッキー中坊的で知的障害を装った奇怪な文章の羅列されたホムペが、あらゆる無料プロバイダを使って一斉にだーっと作られた。みんなおんなじ文章、あれって愉快犯が確信犯的にばらまいたのだと思うけど(それにしては特定の地名が指定されているので悪意の存在も感じられるが)、犯人がわからずのまま話題から消えて、そんで今もう無いかというとまだ放置されているのです。興味の有るかたはググれ。検証サイトでもちっとも検証しきれいていない、後味のわりいイカニモネット的なネタだった。ネット・フォークロワの一番有名なものは鮫島伝説だろうか。ていうか2ちゃんだけのフォークロワ、誰も知らないタブーの話題鮫島。あれはやばい、と言われる謎の存在としてはくねくねが記憶に新しい。興味の有るかたはググれ。怪物図録にも載せてますが。牛の首の話しは確かネット前から存在してたと思うからネット・フォークロワの対象外かもしれない。これはあまり書きたくないので書きません。興味のあるかたはググれ。まあ、これからもネットにはふつふつと都市伝説が沸き上ってくるだろう。新しいメディアとしてのネットを使って、新たな妖怪が世に出ようと手ぐすね引いて待っているのが見えるようだ。面白がれるうちが花。まあ、怪談ではありませんが奇談の紹介ということでこんなことを書いてみました。

2004/8/24「細い女、鎧武者、オトロシ」

書こうとしたとたんにパソコンがバグった。。私の小学生のころの話。結局ハッキリした理由はよくわからなかったのだが、女の影に追いかけられた。それも、一ヶ月くらいにわたって。生きている人間ではなかった。なぜわかるかって、そいつは異様な気配を撒き散らしながら背後から近付いて、はっと振り返ると、ささっと側の電柱の影に隠れる。僅か20センチくらいの太さの電柱の後ろに、全身が隠れてしまうのだ。電柱より細い女!蒼白い顔の異常に長い、30くらいの背の高い女。ただ細くて長いだけではない、奇妙に捩じれたような、歪んだ顔をしていたのを覚えている。丁度CGで人の顔を歪ませたような、ちょっと考えられないねじけ方だった。気味が悪いと思えば思うほど気になって、しばらく電柱のほうを見ていると、影からちょっとだけ顔をずらして、じーっと、私を見返してくる。友達と遊んでいるときも、塾へ行くときも、夜道でも、日の高いうちでも、視線を感じて振り向くと5メートルほど離れた所に必ずあの背の高い女がいて、瞬時にそばの電柱の影に隠れるのだ。思い当たる事はあった。ある晩、塾からの帰り道、道端の家から出てきた老人が話し掛けてきて、何か孫がいるとかどうとかいう話しをしてしきりに家へ招き入れようとする。10分も熱心に口説かれて、どうしようかな、という気になったのだが、ふとその家の中を覗いたら、大きな写真が飾ってあって、線香が焚かれていた。・・・怖くなった私は走って逃げたのだが、あきらかにその写真には若い女性がうつっていた(顔までは見えなかった)。あれが、細い女の正体だったのではないか。何かの事情で、私を自分の子供とだぶらせて見ているのではないか。老人が何だったのか、私は怖くてあの夜以来その道を通る事はなかったのでよくわからない。でも多分そういうことだ、と感じた。結構マセガキだった私はそんな女を哀れに感じた。・・・その日も、女はついてきていた。秋陽の長く影をおとす日だった。私は近所の寺に向かっていた。時々振り返ると、さっと電柱に隠れる細い女。たぶんその姿は他の人には見えていないのだろう、夕方の喧騒の中で誰もその女の奇行に目を留めるものはいなかった。境内に入るとすっと空気が変わる。がらんとした広場の清澄な空気が私と女の亡霊を包み込んだ。今でこそ五月蝿い観光寺になってしまったが、そのころは不気味さと崇高さの同居する異界的な雰囲気を持つ寺だった。私はなんとなくそこへくれば何とかなる、と思ったのだ。本堂に向かって手を合わせると同時に、心の中で、横へ来て、と語り掛けた。すると気配がつと横に立った。姿は見えなくなっていたが、あの細い女に違いない。丁度本堂の扉は開かれ、金色に輝く大仏がこちらに向かって鎮座しているのが見える。すると、横の気配が、静かに、まるで砂が崩れるように消えていくのである。同時に私は肩が軽くなっていくのを感じた。その時初めて「肩が重かった」ことに気が付いた。やがて気配が消える。境内には誰も居ない。烏の声だけが響いていた。ちょっと寂しい気もしたが、その女には二度と会うことはなかった。

ちょっと長文にしすぎた。あとの二つは手早く。

小学生の頃、私には霊感らしきものが確かにあって、変なものの訪問をよく受けていた。その変なものの中には、律義にもノックをしたり、呼び鈴を鳴らしたりするものがいた。

ちりりりん。

あ、誰か来た。

かぎっ子だった私以外に家には誰も居ない。

はーい。

玄関に行く。摺り硝子の引き戸のむこうに、黒っぽい大きな影が透けて見える。

かちゃ、がらら。

・・・うわーっ!!

黒々とした鎧を全身に身につけ、頬当てで顔を隠した大きな鎧武者が立っていた。

かっと消えた。

うちの古い玄関は当時北東、鬼門の方角にあった。そのせいか玄関から上がろうとするモノが多かった。別項に書いた化け猫もその玄関に顕れたものである。

これとそっくりな話しをだいぶあとにテレビでタレントが話していて驚いた。それは作り話だったようだが、私は思わずパクリだ!と叫んでいた。

最後。これも古い家での話しだが、小さい頃私は悪い事をすると押し入れに閉じ込められた。まっくらな押し入れは幼い私には恐怖以外の何物でもなかった。それに輪をかけるように兄が私を脅した。

押し入れの中には、”おとろし”が棲んでるぞ

私は”おとろし”が怖くて怖くて仕方なかった。おとろしが何なのか、よくわからなかったが、よくわからないからこそ怖かった。滅多に押し入れに閉じ込められることはなかったが、閉じ込められてもおとろしはついぞ見なかった。

そんなことをもう忘れ掛けていた、小学生高学年のころの話し。

私はその押し入れのある寝室が何故か怖かった。実際にいくつか「見た」せいもあるのだが、何より雰囲気が悪かった。

誰も居ない日にかぎって、その音は聞こえてきた。

あの押し入れのほうから、何かを引っ掻く音。かりかり、かりかり、かりかり。

えんえんと続く音におっかなびっくり近づくと、ぴたり、と止む。

しかし寝室を離れるとまた、

かりかり、かりかり、かりかり

・・・がりがり、がりがり、がりがり

・・・バリバリ、バリバリ、バリバリ!!

ばっと駆け寄ると、またぴたりと止む。しばらく押し入れを開く勇気が無かったが、意を決して開けてみると、そこにはびっちり仕舞われた布団があるだけで、何かイキモノが入り込む隙などなかった。

”おとろし”じゃないか・・・

ふと思い出した。

すっかり忘れられた”おとろし”が、押し入れへの呪縛を解き放ち、外へ出ようともがいているんじゃないか・・・

そんな想像をするにつれ、私は押し入れを開ける事すら怖くなっていった。音はひと月ほども続いた。

音が聞こえなくなってしばらく後のこと、部屋にノミが飛び跳ねるようになった。動物を飼っているわけでもなく、なんでだろう、とプチプチ潰していたのだが、そのうち、嫌な匂いが漂ってくる。数日後堪らず調べることになった。

あの押し入れの天井には、天井裏に上がる穴が開いていた。

そこから入った業者さんが、あ、と声をあげた。

猫ですよ。

腐った子猫の死骸が、そこにはあった。

どうしたものか、屋根裏に入り込んでしまい、押し入れの上から下に脱出しようともがいていた、その形のまま腐っていた。

その音があの「かりかり」だったのか・・・。

”おとろし”はいない。その日以降、私は押し入れが怖くなくなった。

・・・オバケ話じゃなくてすいません。

2004/8/19「ぐるぐる心霊写真の謎」

5、6年前一世を風靡した心霊写真のパターンがある。それは画面がぎゅいーんと回転したように歪んだ写真だ。インパクトの強い画像で、見てそれとはっきりわかる不気味な写真だ。初めて見たのは故池田貴族氏の番組ではなかったか?それ以後、何故かこの回転する写真が次々とマスコミに取り上げられていった。霊道の証拠とか、凶凶しい四次元霊の出現とか、テレビでは霊能者と称するひとびとがまことしやかに解説していたものだ。ワタシはその絵に異様さは感じたが、霊かというとどうも疑問を抱かざるを得なかった。ちょっとキレイすぎるのだ。人間的でない、無機的過ぎるのだ。おりしもパソコンが家庭にすっかり普及した時期、ワタシには余りにもコンピュータ的な「いじり方」に見えた。今週は夏休みで部屋の掃除をしているのだが、ついでに古いビデオを整理しようと色々見ている。その中に、昔のアンビリバボーの心霊写真特集があった。この番組、はっきりした理由は分からないがある時期から霊モノを一切やらなくなったものの、昔は毎回のように心霊写真を紹介していた。立原某さんがよく解説をしていたのを覚えている。この回は観た覚えがなかったので手を止めて見ていると、東北三大霊場で知られる金華山で写した写真が出てきた。中心の人物像が靄で霞み、いくつかのナゾの人影が写っていた。その端っこに、例の回転パターンが出ていたのである。それで思い出したのだ。この写真は確かに不気味さは感じるが、霊と思しき影が余りにハッキリ幻想的に写し出されすぎている。うーむ、最近回転系の心霊写真は全く見なくなった。イコールマスコミさんの中では回転系はやっぱりパソコンでいじった偽写真と判明し排斥されたのではないか。それを思うと、これもやっぱりニセモノだったっぽいな。オカルトは検証することに意味はない。面白がるためにはウソも必要である。でもまあ、思わず検証したくなるのが科学的時代に生きる我々の業、このての写真、ちゃんとマスコミでニセモノと断じた番組をやって欲しいな。ついでにネットにはびこるCG合成の不気味な偽写真についても!(←ほんと気持ち悪い写真が多くて、逆に気持ち悪すぎてバレバレだったりする。)

2004/8/18

「ハンガリー版鬼女伝説の不思議」

古いビデオを見ていた。ふとある再現ドラマが目にとまった。それはハンガリーで大正時代くらいに起こった世にも恐ろしい13人連続殺人事件「クロンベルグ旅館の惨劇」についてのもの。ある貧乏宿屋の夫婦が泊まりに来た客を次々と殺しては山中に遺棄し、金品を奪って生活をしていたというものだ。このての宿屋殺人事件はアメリカにもあったし(但し金品でなく殺人そのものが目的化していたが)決して珍しいタイプではないのだが、話しの流れがちょっと面白いというか、とある伝説の典型的形態をとっているので採録しておくことにした。その日、たまたま近くを通り掛かった猟師が白骨死体を発見した。近くの宿屋に飛び込んだところ、帳場に人はいず、置いてあった日記を読んだところが全ての殺人の詳細が記述されていたのである。日記はまさにその日で終わっていた。身寄りの無い、しかしとても優しい青年が来たということ、彼を殺す事に躊躇する妻の気持ちが書かれていた。猟師は間に合うかもしれないと思い、急いで宿屋の中を探しまわった挙げ句、あるひと部屋に飛び込んだ。彼の目には、青年の毒殺体と、側に崩れ落ちた犯人夫婦の死体が写った。全ては終わってしまっていた。一葉の手紙があった。それは夫婦の遺書だった。身寄りの無い青年の所持品を物色していると、一枚の写真が出てきたということ、写真には20年前に養子に出した一人息子が夫婦に挟まれて立っていた、つまりは夫婦は生き別れた自分たちの実の息子を殺してしまった、ということだったのだ。絶望と後悔の中で夫妻は毒を呷り、息子と共に死ぬことを選んだのだった。

・・・このパターン、聞いてふと思い浮かんだのが、日本各地に残る古い伝説だった。鬼女伝説、浅草の一ツ家、福島二本松の安達が原、などなどの平安時代以前に確立したと思われるもの。女が何らかの理由で人を殺して金品を奪う、もしくは死体そのものを食べて生きるようになる。その家は辺ぴな原野の中にあり、旅人が一夜の宿を借りに来ると快く迎え、夜寝静まった頃を見計らって石枕等で殴り殺す。だがある日、一人の青年が宿を借りに来る。いつも通り石枕で殴り殺した後、所持品を探っていると愕然とする。都で生き別れた一人息子に持たせたお守りが入っていたのだった。女は自ら命を絶つ、もしくは改心して供養のため仏門に入る、などの結末を迎える。女に娘が居て殺人を手伝わせるが、そんな母親を諌めるため娘は旅人に化け自らの命を奪わせる、それを知り狂った母親は自害する、というようなバリエーションもある。おおまかには「人殺し→我が子を殺す」の流れとなっている。このパターンに、ハンガリーの事件がじつによく似ているのだ。事件自体は20世紀になってからのもので恐らく信憑性は高い(ちなみに現在も宿屋は残っているそうである)。ふとユングの共時性を思い出したが、人間そのものの持つ愚かしさを象徴する行動は洋の東西を問わず昔から繰り返されてきたのだな、となんとなく感想するワタシであった。単にそれだけですが。

「今年のお盆。」

アテネオリンピックの話題に隠れてイマイチぱっとしなかった今年のお盆心霊番組。個人的には今年のお盆は変なことが相次いだので印象深かった。いちばん驚いたのは本当に久し振りに金縛りにあったことで、とくに一回は体が「ズレる」という離脱経験を伴うものだったので驚きである。あきらかに第三者が私の体に侵入しようとして押し出してきた感触だった。文章で説明するのは難しいが、うつぶせで寝る私の体を、頭と肩を押さえて、霊体?だけをズルっと足の方向にずらしてしまったのである。金縛りには結構慣れていたのにこんな恐怖感を伴うものも本当に久し振りで、パニックになってしまった。渾身の力を霊体に込めて、頭のほうへぐいっと押し返した。その「何か」はまったく視覚的に捉えられなかったのだが(いつもこのての状況だと目をつぶっていても相手が見えてしまうものだが、恐らく相手が不定形な形しかとっていなかったのだろう)、あっさり押し出されたようだった。頭が「スポッ」というふうに収まり、肩もきちっと体と重なり、体躯も収まり、最後に足のかかとがぴっちり収まる感触が非常に生々しくて、すかさず伸ばした右手でライトを点けた後、しばらくは呆然としてしまった。この現象はお盆1週間前くらいに起こったのだが、前後に金縛りや室内に奇妙な空気が蟠っていたりとおかしなことが集中的に起きて、なんでだろう、と思うのだがこれといった理由がわかない。しいていえば新宿に行ったとき変なものをしょってきた感じがしたので、そのせいかとも思うが、いよいよお盆になると目の前の電球が突然破裂し飛び散ったり(電灯メーカーによると全く原因不明だという)少々危なげなことも起こってきて、これは多分先祖系で、墓参りに来い、ということなのだろうと思ったが、現時点でまだ行っていない。明日明後日には行こうと思う。

そうそう、ビデオを整理していたら心霊写真番組の録画がやたらと出てきた。思わず見ていてとても気になったのが、ネットでよく見るCG系の偽写真ではなく、「紙のような。」で書いたような、妙に平面的で、偽にしては「素朴すぎる」写真の多さである。その素朴さゆえ逆に、それが偽写真でない証拠のように感じられなくもない。そしてああいう平面的なモノは、立体的なモノより多く見られる。瞬間的なイメージで捉えられる多くのユウレイは、まるでスクリーンに映し出されたスライドのような質感のない「画像」として捉えられる。少なくとも私の場合はそうだ(視覚的には)。うーん、ほんとのところはどうなんだろう。よくわかんないや。おしまい。

2004/3/8「紙のような。」

ああいうモノはどういう構造になっているのだろう。

昔から気になっていた。お化けのことである。暖かい空気のカタマリ?特殊な成分の霧?それとも何か別次元のもの(3次元の現世と違うベクトル上のもの)?19世紀の英国では心霊学が大流行りだった。近代科学が世に浸透する狭間に起こった「科学的非科学(似非科学)」である。そのころに物証として撮られた心霊写真なるものを見ると面白いことがわかる。たいてい顔が写っている、それがどれも平面的なのだ。まるで顔の描かれた半紙をくしゃくしゃにして戻し被写体に貼り付けたように見える。何十年もひた隠しにされていた有名な「妖精写真」の原理と同じである(妖精の切り抜き絵を花や手の上にのっけて撮っただけ)。だがここで私は敢えて言いたい。オバケは実際にも平面的な姿で現れることもある。それも影とか映像とかとは違う、「紙」の質感が当てはまる。ここにも昔書いたが、灰色の半透明な、ビリビリいうような紙・・・まるでトレーシングペーパーのようなうすっぺらい人の形のものを、ごくたまにだが見ることがある(その性質上見るのはほとんど昼間)。変な言い方だが、紙に子供のラクガキのような下手な、プリミティブな顔形が、半分書きかけというか、崩れたようになっている。それは恐ろしいというよりユーモラスで、ばかばかしいほど奇妙な姿だ。

これは私だけの感触なんだろうか、他の人にもそういった経験があるのだろうか。たまたまツタヤで心霊ビデオを借りた。たいていがハズレかヤラセなこの手のビデオシリーズの中でも、比較的良心的で、語弊があるかもしれないがテレビ番組並に娯楽性を併せ持ったビデオで、思わず見入ってしまった。その最後に、恐らく伊豆だと思うのだが、旧道の古いトンネルに顕れるという自殺女性・・・かなり昔の時代の・・・霊を求めてわざわざ夜中に探検に行く、という企画があった。きっかけは視聴者からの心霊写真の投稿だったが、その写真はたしかに嫌な気配は満々なものの、目に見えるはっきりとしたヒトガタは無く、強いて言えば振り向きざまの恰幅のいい女、とロールシャッハテストなら見えなくもないような断片が写っているにすぎない。夜中の現場でおびえながらも果敢にトンネルを突き進む女性リポーター。しかしカメラさん以外のスタッフはみな中に入らず入口で指示をするだけ。可哀想だなあ、と思って見ていると、お約束で、トンネルの壁のシミが人の顔に見える、というシーン。こういう自然ソウだかなんだかいうもののコジツケは激しく萎えるのだが(それでもたまにホンモノはある・・・たまたま顔の形になってしまった物に霊が宿ってしまう、ということだと思うけれども)、それ以外は特に何も起こらず何も見えず、怯えきったリポーターがある程度行ったところで手持ちのカメラでトンネルの奥を撮影し逃げ戻る、といういささか拍子抜けな結末に終わった・・・ように見えた。

だが「それ」は起こった。

インスタントカメラの写真にはどこにもなんにも変なものは写っていない。しかし、リポーターがカメラを構え、フラッシュを焚いた、その瞬間を脇で撮っていたビデオカメラに、異様なモノが一瞬だけ写ったのだ。そう、フラッシュが焚かれた瞬間にそのまばゆい光に照らされて、佇む女の姿がハッキリと写っているのである。カメラでは漆黒の闇が続いていたはずのところに、しかも5メートルくらいしか離れてなさそうな場所に、胸をはだけてややだらしない着こなしの着物の女が。だがここで面白いと思ったのは、女はまったくの白黒で構成されており、色彩感が全く無いこと。死人だから、というわけでもなかろう(「赤い」オバケもいる。えてして危険。赤黒いのなんかサイアク)。そしてここが肝要なのだが、どうもその姿、平面的なのである。不器用な人の切り抜いた不格好なヒトガタに、ウロオボエで絵心のない人が顔や着物を墨で描き入れたような感じなのだ。

その姿を見てまっさきに思い出したのは故池田貴族氏が鈴ケ森刑場あとで撮った心霊写真である。これ、確かトゥナイトかなにかの心霊スポット特集だったと思うのだが(10年以上前ですよ)、竹垣のようなものをバックに火刑台を撮った、その竹垣の向こうに、いくつか撮った写真の中の一枚だけに、上半身だけちぎれたような白いヒトガタが写っている。色はまさにモノトーンで、しかもこれが非常に平面的だったのだ。ちょんまげで着物姿なのはわかるが、なんだか熱帯魚にやるフレークのように薄べったく、半透明で、表情をはじめ何か筆で書き足したような奇妙な感じなのだ。その「感じ」がトンネルのオバケとそっくりで、それで思い出したわけである。

閑話休題、池田貴族氏は半分向こうの人のような感じで、ありえないほど夥しい心霊写真を撮っていたが(12chで昔夏にやっていた心霊スペシャルで、火葬場横の写真に少女の明瞭な顔が奇妙な角度で写っていたのが忘れられない!)、ギボさんともども、この分野で凄い人は短命が宿命なのだろう。

まあそういうわけで、平面オバケはいるのだ。最後にもうひとつ。ヒットシリーズほんとにあった呪いのビデオシリーズ、病院編の中の一編。以前老婆が亡くなったという病室で語らうおっさんと見舞いの人、その背後にある鏡に、一瞬だけ、ありえない奇妙なものが写る。静止画像で見るとそれは、私が冒頭で言ったような灰色の、紙のような質感の、恐らく「顔」。目と鼻が子供の絵のように黒い線で描き込まれている(というか普通の人はこれが人の顔とは認識できないのでは?)。角度的にも出現時間の短さからしても作為的に撮るのは不可能な状況であり、ほんとに紙に顔を描いてわざと出したんじゃ、という仮定はほぼ否定される。ここにもまた「平面オバケ」の典型が存在していたのだ。

桜金造創作の怪談で、冷蔵庫と壁の間に平面的な女が隠れている、というのがあった。あとでホラ話と知って落胆したが、この話しも妙にリアルに感じられてならなかった。人は死ぬと3次元のZ軸を失いXとYだけの2次元的存在に落ちるのか?それともじつはオバケとはまったく別の現象・・・過剰な想像力の生んだ虚像が普遍性を得たに過ぎないのか?ナゾはナゾとして残しておこう。久し振りの再開ということで、総花的な話しを書いてみました。

2003/2/11「夜明けの青年」

久し振りに金縛りにあった。午前4:30のことである。深い眠りから不意に引きずり出されたような感覚のところに、透明な青年の上半身がのたりとのしかかってきて、こんなことはここ何年かなかったことで、しかもさっぱり心当たりが無い。だから怖いというより奇妙な気分で、諦めた相手が消えるのを待って電灯をつけた。何か理由があるだろうか、と寝床に座りこみ首をかしげた。強いて言えば、ここのところ眠りは大変深かったのだが、この晩にかぎってなぜか睡眠薬を飲んでいた。でも、睡眠薬を飲んでいればむしろ半睡眠状態の金縛りにはなりにくいのではないか。それから朝まで妙な心持ちで眠れなかった。寝床についたのが11時ごろだったから、それでも十分に睡眠はとれていた。朝10時の電車で静岡に向かった。そこから友人の運転でドライブにでかけた。岸壁の端をうねるように走る車中で、友人が言った。さっきとおった崖下に、黄色い車が落ちてたでしょう。なんとなく見たような気がしたので、うん、と答えた。あの車、事故ってだれか死んだのかな。何度も撤去しようとするんだけど、車の中に手を差し込んだ人に、いろいろと悪い事が起きて、結局今もまだ撤去できずにいるんだって。ふうん。

・・・あ。

”彼”だったのかな?

今日も”彼”は顕れるだろうか。奇妙な心持ちもそのままに、これから床につく。--

2003/1/20 
「よくある車の怪談2話」 
--私の父は青森県のあるハイヤー会社の運転手をしている。その父から聞いた話。
昭和三十三年のこと、若い女が車を運転して、崖から落ちて死んだそうだ。その車が修理されて、中古車で売り出されたそうだ。大変安かったので、一人の男の人がその車を買おうとして、運転席へすわってみたら、後の方から若い女の声で「そこはわたしの席ですから、すわらないでください、ハンドルに手をつけないでください」といわれ、ぎょっとして後をふりむいてみても、車の中には誰もいなかったので、これはこの車の死んだ持ち主のユウレイにちがいないと、おそろしさに背中に汗をびっしょりかいて、いそいで外へ出たそうだ。その車はとうとう誰も買う人がいなかったと。-- 
青森県・北彰介/文 

--姉の友達が三人か四人で車に乗って鎌倉に行く時にトンネルを走っていたら、後から来た車がプープー鳴らす。半ドアだと思って調べたけど閉まっている。その車は行っちゃってまた後になった車がプープーと鳴らす。色々見たけど何ともない。三台位の車がまた鳴らしたので、トンネルから出て道の端に止って、その車も止めて
「さっきから皆がプープー鳴らすんだけど、どうかなってるんですか」って聞いたら、
「お宅の車に、男の人がべったり乗っかってたんで危いからやめさせようと思って鳴らした
けど途中で消えちゃったんだ」と青ざめて言ったんですって。-- 
神奈川県・飯田浩子/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*車の怪談は案外少数の典型に分けられる。ここに挙げた話しのうち、とくに後者は
よく語られる怪談といえよう(TVでタレントがこれと全く同じ話しを「自分の体験」として
話しているのを見た事がある)。これに「消えるヒッチハイカー」型の怪談を加えれば
車の怪談の最大公約数をクリアしたことになる。

2003/1/13 
「ジャン」 
--このごろの浦戸湾というたらよごれた水が流れこんで、とれる魚も臭うなったり、
毒をもっちょって、うっかり食えんようになったのう。 
大正時代の浦戸湾の魚の味は格別で、とれだちのボラをすっと料理して姿すしにした味はなんともいえざった。 
その浦戸湾に奇妙な話がある。 
ジャンじゃ。これは物音でジャンと鳴るきにジャンというのじゃ。この頃はジャンの話はとんと聞かんが、昔はようジャンの話を聞いたのう。 
あしのおやじさんが、網船に友だち二、三人と乗って巣山の近くで投網をしよったそうじゃ。その晩は、たいちゃ漁があって、いつでも網がずっしりするほどとれたそうな。 
一人が網から魚をのけよる間に、一人が網を打つという具合にやらんといかざった
というきに、よっぽど入ったことじゃろ。 
それが暗い湾内がパッと明るうなると同時にジャンと一発、雷でも落ちたような音がしたそうじゃ。昔は湾内のあっちこっちに当り、こだまを呼んでジャン、ワンワンというような音じゃったそうな。話には聞いちょったが、本物を聞いたのは初めてでびっくりたそうじゃ。 
その後は、漁がないとは聞いちょったが、本当かためしたが、一尾も魚は入らざったそうじゃ。 
それでさっさと帰ったそうなけんど、ジャンがなんの音か光かわからんそうじゃ。 
浦戸湾のジャンも、土佐の怪奇の一つといわれちょるぜよ。-- 
高知県・岩原文男/談・原著:市原麟一郎編「土佐の怪談」(一声社) 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*突然大きな破裂音がするが、何も爆発していない。「怪物図録」に「ブロンティーデス・フェノメノン」という怪異を書いたが、この「ジャン」もそのたぐいの不思議現象である。「ブロンティーデス・・・」の場合、街中で破裂音がひびくというもので、じっさいは戦時中の不発弾が地下で破裂した音だったこともあるようである。近年も東京二十三区内の住宅地で突然怪音がひびき、すわガス爆発かと騒ぎになったが、結局何の音だったのかわからずじまい、という報道があったのを覚えている。この
「ジャン」は、話を聴くかぎりはたとえば雷のような自然現象のたぐいにも思えるが、茫洋とした海上でシンバルを打ち鳴らしたような大音を聞くというのはいっそう奇妙な感じがしただろう。急に魚がとれなくなった、というのも何やら不可思議である。浦戸湾でだけ起こるというのも不可思議だ。さらに、最近は聞かれなくなった、ということはどういうことなのだろう。たんに皆海に出なくなったから聞かれなくなったのか、人間の自然破壊のせいなのか。興味は尽きない。 
<追記>ジャンについては寺田寅彦が研究していたという。数十年に一度起こる土佐沖大地震の発生との関連性を探求したというのだ。地殻のひずみが怪音や妖火をもたらすもととなっているというのがその結論であった。魚がとれなくなる、というのもその前兆現象のひとつの
あらわれ、ということらしい。

2003/1/9 
「森の声」 
月の無い暗い晩だった。黒々とした森の奥から梟の声が響きわたる。テントはいくつかの寝息に包まれていて、私はその中でただ漠然と闇を見つめていた。 
みしっ。 
不意に、頭上で音がした。思わず半身を起こす。みしっ、みしっという音が、テントの脇を通り過ぎる。ああ、誰かトイレだろうか。ほっとして再び身を横たえる。
待てよ、この闇夜にライトも無しに歩く?今の足音はただ闇の中から響いていた。普通このシチュエーションであれば、足元を照らすライトの薄明かりが確認できるはずだ。
鼻をつままれてもわからないような中、どうやって歩けるというのだ。 
・・・動物だったのだろう、と私は頭を振った。だが忘れて眠りに入ろうとすればするほど、もやもやと想像が膨らんで、全身の神経がぴりぴりと鋭敏になっていく。

梟の声が止んだ。

・・・「うあー・・・」・・・ 

がばりと身を起こす。全身が粟立った。何だ?・・・だれだ??遠くで叫び声のような声が聞こえた。確かにきこえた。 
「・・・う、ううああーっ・・・うわっ・・・ううう・・・」 
森に木霊する声。断続的に続く声。あきらかに人の声だ、聞き間違いではない。
闇夜の山中に鳴咽する声。尋常ではない。 
来るな!私は小さく呟いた。こっちに来な!すると、いきなり、 
ぶつぶつ・・・ 
すぐそばで声が聞こえた!私は飛び上がらんばかりに驚いた。・・・傍らで寝込んでいる友人
の声だった。寝言か・・・。ほっとする暇も無く、再び、 
「・・・うううあーっ・・・う、うえっ・・・」 
近づきも遠ざかりもせず、森の声は続く。私は身じろぎせず、固唾を飲んで座っていた。 
・・・ぶつぶつ・・・ 
友人は妙に低い声で、何事かを繰り返し繰り返し呟いている。 
表では遠く苦しげな声が続いている。 
「・・・う、ううう、うっ・・・」 
・・・ぶつぶつ・・・ 
「・・・うあ、うあっ・・・あ・・・」 
・・・なむ・・・ 
「ああ、うあーっ・・・うっ・・・」 
・・・なむあみだ・・・ 
「・・・うえーっ、えっ・・・ううっ・・・」 
・・・なむあみだぶつ・・・なむあみだぶつ・・・ 
息を呑んだ。こいつ、なんでお経なんて唱えてるんだ! 
みしっ。 
おもむろに大きな音がした。私は蛇に睨まれた蛙のように固まった。 
さっきの足音だ。 
テントの傍らを、足音が通り抜ける。闇の中を、足音が戻っていく。 
森の声は消えていた。梟の声がきこえる。
まるで何事もなかったかのように、静かな山の夜が戻っていた。 
あれが何だったのか、今となっては確かめようが無い。視覚の利かない闇夜の中の、音だけの世界のもたらした恐怖であった。・・・

2003/1/7 
「乗せて下さい」 
--昭和十七年頃のこと。西条の東はずれ新居浜市との境に仏崎という峠がありました。その所は、岩場で、海深が十五メートルほどあります。岬を廻って通る船に、必ず美しい娘が声をかけるのです。「乗せて下さい」「寄って行きませんか」真夜中にそう言うのだ。そこを通った船頭たちは、その声を聞いた日から高熱を出すのです。
「仏崎」はその名の通り自殺の名所でもありました。年間三人は、投身自殺をしていました。私の同級生も自殺しました。昭和三十五年頃に、今度そこが埋めたてられると、美女が真夜中に走る自動車に向って手をあげて、乗せてほしいと頼むのです。-- 
愛媛県・大西田傳一郎/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*面白いのは海の亡霊が埋め立てによって陸の亡霊に姿を変えている所だ。伝統的な「船幽霊」が現代的な「消えるヒッチハイカー」に変化している。それにしても「寄って行きませんか」とは一体どこに寄っていけと言っているのだろう。

2003/1/6 
「ヌシの行き場所」 
--明治の初め頃の話です。ある夕方、車夫が川越街道を空の人力車を引いて歩いていたら、「もしもし、車屋さん」と鈴をふるような声で呼び止める人がいて、
「石神井まで乗せていっておくれ」ってたのんだってね。あまり見かけないようなみなりの立派な御新造さんだったとよ。車夫は喜んで車に乗せ走ったところ三宝寺池のところで「ここで結構です」と言うんで降ろしたら「お釣りはいいですよ」って小判をくれたそうだ。そして三宝寺池の方へ歩いて行った。夕方で、人家もない方へ行くなんて変だなあと、車夫が思ってしばらく考えていたら、バシャーンと大きな水音がしたんだと。車夫はびっくりしてその音のした池の方に駆けていってみると、御新造と思っていたのは大きなうわばみで、池の中をゆうゆう泳いで消えていった。車屋は動けなくなってヘタヘタとすわりこんでしまったけど、やっとのことで人力車の所に戻りいそいで家へ逃げ帰った。そして腹がけの中にしまってある、さっきもらった小判を出してみると、それはうわばみのうろこにかわっていたと。あとからのうわさでは、これは熊野神社の主が三宝寺池の主に逢いに来たのだろう、ということだ。-- 
東京都練馬区石神井、話者・加藤喜平。回答者・納所とい子 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*この話は江戸の本で読んだものによく似ている。三宝寺池は古い伝説をもった池だ。室町時代、石神井城主・豊島泰経という武将が、江戸城を起点に勢力をのばしてきた太田道灌と戦ったが敗れ、落城の憂き目にあう。泰経は愛馬に家宝の黄金の鞍を置き、それにまたがったまま三宝寺池深くに入水、自殺をとげた。以来、よく晴れた日に岸の松に登れば、水底に黄金の鞍が見えると噂になり、その松を照日の松といった。松は枯れ果ててしまったようだが、鞍が沈んでいるのは池の西部の弁天島のあたりとされ、それを手に入れようと画策する輩が昭和になっても後をたたなかったという。死んだ泰経が主に化けたのか、三宝寺池には池の主に関する伝説が数多くあり、鰻に耳がはえたような蛇形の怪物を見たとか、頭に鳥居の形をつけた魚が住んでいて、それを獲るとたちまち足腰が立たなくなり、眼病に苦しむといわれている。この話しで熊野神社のヌシたる蛇は、三宝寺池の不気味なヌシに会いに来た、とされたが、このような古い伝説をふまえての推測だったといえよう。

2003/1/5 
「猫霊の訪れ」 
--エリオット・オドンネルの動物の幽霊に関する興味深い本によれば、家のなかで最も普通に見られる霊的現象は、幽霊猫であるという。彼は幽霊の出る家で個人的な実験を試みたが、その結果、猫が「信頼できる霊的な指標」として振る舞うということを、彼自身満足するまで証明できたと主張する。これは喜ばしい台詞である。というのは、猫の飼い主の多くは、彼らのペットが霊的な面の乱れに非常に敏感であることを確認するだろうし、また、猫が幽霊や霊的存在の出現にどう反応するかとか、死んだ猫がどんな「霊になって」好きな場所に戻るかという実話も、非常に多くあるからである。このタイプに属する話の好例は、今世紀初頭に起こったある猫の死に関する研究の例で、イタリアの心霊研究家エルネスト・ボッツァーノが語ったものである。 そこでとりあげられた婦人は、猫にたいする強い恐怖心(専門用語では恐猫症)をもっていたが、家に鼠が入り込んできたので、仕方なく猫を手に入れ、世話は使用人に任せていた。猫は役目を十分果たしていたようだったが、ある日、引きつけを起こし始めたので、召使が溺死させる許可を取った。婦人自身が続けて語ったところでは-- 
猫が殺された日の晩、私は独り食堂にいて読書に耽っていたが、突然目を上げるように促された気がして、ドアの横を見た。ドアがゆっくりと開き、今朝犠牲になったばかりの猫を通すのが見えた、あるいは見えたような気がした。それは間違いなしに同じ猫だったが、痩せて、びしょ濡れで、水が滴っているようだった。ただ見つめた表情だけが違っていて、人間のような目でとても悲しそうに私を見たので、私の心は痛んだ。 
--猫が結局死んでいなかったのではないかと疑った婦人は、女中を呼んで、連れていくように言った。しかし、婦人にとって「テーブルや椅子と同じくらい明確に」見えていた猫が、女中には見えなかった。そこで、女中は、下男が死んだ猫を埋めるために庭に持っていったのを見たと言った。女中が出ていった後から猫はゆっくりと消えて、二度と見られなかった。 
--(仔猫の”心霊写真”の話のあと)猫に関するもう一つの同じように魅力的な心霊写真も、一九七四年七月にエセックスのリー=オン=スィーでアルフレッド・ホリッジによって、やはり偶然に撮影されたものである。フラッシュを焚いて撮影された写真は、ホリッジ家の猫モネが暖炉の前のお気に入りの場所にいるところを見せようとしたものだったが、カラーフィルムがまだ数コマ残っていたので、現像するのがいくらか遅れた。そのあいだにホリッジ氏は病気になり、ついにその年の九月に死んでしまった。 
やがて焼き付けられた写真の束を開いたホリッジ夫人は、モネの前を不思議な「エキストラ」が走っているのを見て愕然とした。それは、幽霊のような子猫で、奇妙な線がその体から出て炉端の敷物を横切っていた(ここで原著では実際の写真が提示されているが、はっきりと猫の輪郭をもった黒い影が、黒い筋を引きながら右から左へ走り去る姿と、それを目で追うモネの姿がとらえられている)。ホリッジ家の猫は一匹だけで、写真が撮られたときには、家のなかに他の猫などいなかったことは確かである。モネが鋭く訝しげに侵入者を見つめる様子は、写真を撮影していたときにホリッジ氏がエキストラに気が付かなかったにしても、彼の猫は気が付いていたに違いないことを示している。 モネの写真は、ポール・ハンプソーが一九四-五年の「愛猫家ジャーナル」に掲載した、交通事故で死んだ飼い猫のディーナに関する実話を思い出させる。代わりに、一家はアクェリアス(宝瓶宮)とスコーピオ(天蠍宮)-非常に霊的な名前であることに注意-という二匹のビルマ猫を買った。親類が食事に来ていたある夜の10時頃、突然、二匹の猫は、背中の毛を数インチ逆立てながら、以前ディーナが使っていた籠を真剣に見つめた。彼らは、背中を持ち上げて激しく唸り、四、五分間そうしていた。客が帰ったのち、ハンプソー氏は、騒ぎのあいだ、ディーナが籠のなかに坐り、安らかな眼で周囲を見つめ、やがて消えてなくなるのを見たと言った。-- 
(フレッド・ゲティングズ「猫の不思議な物語」松田幸雄・鶴田文訳・青土社刊より) 

*霊になるのは人間だけではない。「怪物図録」に沖縄のマジムンについていくつかあげたが、家畜の霊というものは案外身近にひしめいているようである。私自身も学生時代に友人と共に、黒い猫の「影」のようなモノが開いた入口からささっと入り込み、室内を走り回るという出来事に出くわした事がある。山岸凉子氏の実録漫画で、死んだ猫がベッドに入り込んで来たというものがあったが、たしかに猫は霊になりやすい動物なのかもしれない。本文中に書かれているがこの本にもあきらかに猫の姿をした(しかし半透明であったりする)モノの写真が二葉あげられており、珍しいので御興味があれば原著にあたって見ていただきたい。動物霊が写真に撮られるということはよく言われることだが、はっきり形をあらわしている写真というのは案外少ない。私の記憶しているところ一番ハッキリしていたのは、もう10年以上前、深夜のテレビ番組で心霊スポット特集が組まれていたとき、伊豆のほうの山間にある旅館の廃虚で撮られた写真だ。
それは館の前の木の葉づえの中にあきらかに猫・・・しかも半分人間化しているような不気味な様相で、怒りの篭った般若の面を思わせるもの・・・の大きな顔がうつっているというものだ。
館の中には猫の死体があった。おそらくそれなのだろう。
この物件は猫に限らずかなりヤバいところだったようで、故池田貴族氏が霊眼をもって迫真の実況を行っていた。このとき旅館の窓を撮った写真に車のテールライトがはっきり写っているものもあって(車の通る道など無い場所でだ!)、車の型式まで特定できるというものだった。この番組を録画してあるのだが、何年もたつうちに、その写真がだんだんとぼやけてきているのに気が付いた。例の猫の写真も、気のせいかもしれないが柔和になったような気がする。同番組の別の日に、心霊関係に明るい芸能人が出演していて、動物の霊に対しては線香を半分に折ってあげるのが作法、と言っていた。もし浮かばれない家畜霊などにつきまとわれたら、試しにそうしてあげてみていただきたい。--


2003/1/3 
「人畜生まれ変わりの話」 
--明治初期か以前でしょう。ある寺で住職が黒い犬を飼っていた。とてもかしこい犬で住職のことばもよく聞きわけるのでわが子のようにかわいがっていた。この犬が病気になって手厚い看病の甲斐なく死んでしまった。死ぬ間際に住職はお経の文句を書いた紙を小さくたたんで犬の手の中に握らせ「必ず必ず人間の子供に生まれてこいよ」と言い聞かせた。その後、遠い村で男の子が生まれたが、片手の握りこぶしの中にお経の書かれた紙を握っていたと言う。その噂を聞いた住職は、さてはあの黒犬の生まれかわりと喜んでその子供を見に行った。成長してから寺に引き取ったが、その子供はあまりかしこくなかったとのこと。人間に生まれるには七度生まれかわってからと言われる。この黒犬はお経の功徳で人間に生まれたものの、時機が早かったから人間としてはかしこくなかったわけである。--
回答者・明石きよ子(滋賀県在住)。 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*杉浦日向子氏の漫画に「白犬」というのがあり、寺で飼われていた白犬が生まれ変わって小坊主になる、というものであったが、この話しによく似ている(原典はいずれ古い説話だろう)。人が人に生まれ変わるならいざしらず、人以外が人に生まれ変わる例は奇異であるからここに採録した。それでは人が人以外のものに生まれ変わった例はあるのだろうか。そこで以下に同書から別の話しを採録しておこう。 

--東京都大田区。古い住民達の一部では、僧侶は死後牛に生れ替るものと信じられている。例えば、明治末年に死んだ今泉町安光寺の住職は、死期迫るに及んで毎日の様に「私はもう直ぐ牛にならねばならぬ」と悲しげに呟いていたといわれる。又、同じ頃、大森の浄法院の住職が死んだ時、予て親しく世話していた同寺の檀家総代の若くて才はじけた男某が、日頃聞いている僧が牛に生れ替る話の真偽を確めようと思って、秘かに屍の背中に「浄法院」と墨書して葬った。彼は其の事を全く忘れていたが、それから数年経った或る日、偶々、今、美原通りと呼ばれている旧東海道の辺を歩いていると通り掛った牛方がしきりに「そら浄法院」「浄法院しっかりしろ」等と叫んでいるので、不思議に思って訳を尋ねると、「此の牛は生れながらに背中に確かに”浄法院”と読める白毛が差しているので、自分の家では”浄法院”と呼び慣わしている」との答があった。其処で総代の男は更めて自分のした事を牛方に話して、二人で奇遇に驚き合ったという。以上の話は今から十年程前(昭和十二年頃)北糀谷町の古老大塚まき氏から聞いたものである。前記の二寺は共に現存しているので仮名を用いた。
文・佐久間昇「入字余聞」。出典・「民間伝承」十四巻七号(民間伝承の会)。-- 
(同書) 

*牛に生まれ変わるという恐ろしげな状況は「件」(くだん)の話を思い起こす。生まれてすぐ数々の予言をすると言い伝えられる人頭牛体の怪物である。明治のころにはその剥製が見世物として各地をまわったというが、真に件が存在したかどうかは不明だ。牛にかぎらず生まれ変わり話の常套として、死んだ者の手や足に何かを書き付けたら、書き付けた文字が新生の子の同部位に浮き上がっていた、というものがある。墓場の土を用いて文字を消すことができる、というのは日本だけの言い伝えのようだ。物質的な繋がりとは別の位相にある生まれ変わり話としていわゆる「前世記憶」モノがある。ここにも以前江戸時代の話をひとつ採録したが、教えられていないのに遠い地のことをしゃべり、遠い人々のことを語る。普通死んだ人の記憶を新生の人が語るというのが「生まれ変わり」なのだが、以前採録した話しによれば既に生まれていた子供に死んだ子供の記憶が乗り移るということもあるようで、単純な生まれ変わりでは説明がつかない模様だ。外国には何代にもわたって自分の前世を語る者もいるというが、どこまで信憑性のある話なのか定かではない。


2002/12/31 
「菊玉出現」 
あれは何だったんだろう。小学生高学年のとき、臨海学校の夜。就寝時間のできごと。騒ぐ子供を諌めるため、先生が一室ずつ巡回していた。その時だけはと電気を消して、息をひそめて待つ子供たち。がらっ、と部屋の扉が開かれ、先生の懐中電灯が室内を照らす。ふと窓のほうに目がいった。海に面したガラス窓。先生の懐中電灯がまばゆく反射して、しかしすぐに消える。扉が閉められる音。安堵する仲間の声を聞きながら、そのまま窓を見ていると、黒々とした闇の向こうに、妙なものがゆっくりと浮かび上がった。それは火の魂のように黄色く光り輝いていた。ざあ、ざあという波音に乗るように、ゆら、ゆらと左から右へ移動している。形はといえば、”菊の花”を上から見たような形。円盤の中心から放射状に切れ込みが入った形。蝸牛のような渦状の筋もうっすらとあった。その不確かな動きに人間的なものを感じた刹那、背に寒いものが走った。ぱっと、部屋の電気がついた。「菊玉」は忽然と消えた。
回りの連中に聞いてみても、誰もこの奇妙な光に気付いたものはいなかった。後日この「菊玉」について、学校で先生への連絡帳に書いた。しかしまともにとりあって貰えなかった。海でなくなった人のさまよえる魂だったのだろうか、などと勝手な解釈をして自分を納得させたことを覚えている。・・・あれは何だったんだろう。

2002/12/29 
「鳩が告げること」 
--昭和十六年頃のこと。旧暦正月で外は屋根まで雪が積っていた。私は祖父と父と母と四人で真中の座敷に寝ていた。そこに突然、まっ白い大きな鳩が飛んで来た。父が「ほれ、つかまえろ」といって、私と母が箒を持って追っかけた。白い鳩はバタバタ座敷のあちこち飛んでいたが「逃げないように戸を閉めろ」と騒いでいるうちに、煙出しから逃げていってしまった。私達三人は大騒ぎをして本気で追いかけたが、不思議なことに、その白い鳩は一緒に寝ていた祖父には見えなかったという。祖父は白い鳩のことを聞くと、「兄っつあん、死んだんでなかんべか」というんで、行ってみたら、やはり祖父の兄が死んでいた。父が家督息子だから祖父の兄の魂が鳩になって父のところに来たんだべっていうことになった。真冬の雪がいっぱい
積もっている時に外から鳩など、飛んで来るはずないものなあ。-- 
宮城県加美郡小野田町・話者:小松仁三郎。山田裕子/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*この本には人の死にさいして遠隔地で起きた不思議な「知らせ」につき、相当数の話しが収録されている。死を告げるいきものについては、鳩をはじめ蝶、蛾、烏、鼠などさまざまだ。この話しの鳩は実在があやふやな「魂」のようなものとして顕れるが、たとえば烏については群れ集まって騒ぐなど、実在のものとして現われている。
鳩を逃がしてはならない、という言葉はおそらく「魂」を逃がしてはならない、ということなのだろうが、同様の話は江戸時代の昔話にも見られ(鳩ではなく「人魂」であったと思う)、不思議噺のひとつの典型を示している。「魂」的なものとして鳩より有名なものには「白い蝶」がある。「夜話」に書いたが私も幼い頃火の玉が白い蝶の形になり、さまざまに変容したあと「人」の形となったのを見たことがある。水木しげる氏も白い蝶の不思議について書かれていた。鳩や蝶(蛾)はおそらく見る人の脳内で理解可能な形を「見た」と思わせているだけなのではないか、と思う。この話で祖父は鳩が見えなかった(死者といちばん近い立場であったにも関わらず)。そこには多分不定形な白い「もやもや」がいただけなのではなかろうか。などと漠然と思う。そういえば鳩といえば、鳩の鳴き声がいつしか男の声に変わる稲川淳二氏の怪談の一節を思い出す。
-- 

2002/12/28 
「寒いよう」 
--東京都世田谷区代沢小学校で、昭和三十六、七年頃起った話。大雪の夜のこと、電車が不通になったので給食のおばさんがひとり、給食室の休憩所のせまいたたみの部屋で泊った。警備員さんはだいぶはなれた部屋で泊っている。こわいので小母さんは豆電球をつけたまま寝た。夜中、女の子の声で目をさました。窓の外からかわいいおかっぱの女の子が、びっしょりぬれてのぞいている。「寒いよう、お部屋に入れて」という。怖しいのでふとんをかぶっていると、もっと近くで「寒いよう、おふとんのなかに入れて」と声がした。みると女の子は小母さんのそばにいる。赤い朝顔の模様の浴衣を着て、からだからぽたぽたしずくをたらしている。やがてその子はふとんの中へ入ってきた。そして胸のそこからしぼり出すような声で
「おまんじゅうがたべたいよう」といった。 
小母さんはおそろしくなってふとんから這いだした。廊下へとび出すと雪に埋った運動場が見えた。するとその子がうずくまっている。雪でおまんじゅうをつくって遊んでいる。部屋に戻ってみるとその子はもういず、寝ていたあたりのシーツがびっしょりぬれていた。 
このことを話しても誰も信じてくれなかったが、この学校に三十年も勤務してきた女の先生がそれなら思い当たるといった。第二次世界大戦の初期、日本が勝ち進んでいたころ、八幡神社のお祭に戦勝祈願の提灯行列をした。その子は朝顔の浴衣にしぼりの三尺をしめ、日の丸と片手にお母さんのつくってくれたふかしまんじゅうを持って、学校の裏門のところにいた。行列がくるとバンザーイ、バンザーイとさけんではねたとたん、ふたがずれていたマンホールに落ちてしまった。そして何もしらない人がそのマンホールのふたをしめ、その子は行方不明
という事になった。 二年後、マンホールの掃除をしたとき女の子は発見された。水にひたっていたせいか死体はそっくりしていたという。 
給食の小母さんは、きのう出てきた子はその子にちがいないと思った。みんなで神主さんをよんでおはらいをした。小母さんの描いた女の子の絵と、ほかほかのまんじゅうを供えて。-- 
東京都・掘久子/文--

(原著:偕成社「現代の民話おばけシリーズ5・ま夜中に鳴るピアノ」より要約、
松谷みよ子「現代民話考[第二期]学校」笑いと怪談、立風書房より) 
*マンホールの中の少女。「リング」を思い浮かべてしまった。可哀相だが、やはり不気味だ、
「おまんじゅうがたべたいよう」・・・。あわれな女の子は何十年たってもひとりずぶぬれで学校の中をさまよっているのだろう。--

2002/12/26 
「池の怪」 
--祖母と父からいつも聞かされた話です。海とか池とか川とかで誰かが水に溺れて死んだ所は、必ずそこで又溺れて死ぬ、そうしなければその先に死んだ霊は浮かばれない、極楽に行かれないという。ある男の友人が池に溺れて死んだそうです。そうしたら幾月もしてから死んだ友人が現われてその友に知らせたそうです。「私は明日の何時頃あの池を出るよ、極楽に行くよ」と嬉しそうに話したそうです。男は不思議に思って、翌日、その池の近い所に隠れて見ていると、雨が降っていたので雨傘をさした青年が池の畔を歩いて来ます。急に風がぱっと吹いて青年のさしてる傘が池の真中まで飛んで浮かんだので、青年は着物を脱ぎ、泳いでその傘を取りに行く準備を始めました。隠れて見ていた男は急いで出てゆき、その青年に傘を取りに行くなと教えました。すると青年は「では、あの傘は貴方が取る考えか」と。友人は、実はかくかくしかじかで、命が宝か傘が宝かと言うと、青年は「ありがとう」と立ち去ったそうです。すると、死んだ友人が現れ、「私は貴方を親友だと思って嬉しさを伝えたのに。貴方のために僕はいつまでもこの池にいなければならない」と言ったそうです。男は「貴方は死んでいるからしかたがない、私は生きた人を助ける」と。-- 
沖縄県中頭郡読谷村・具志堅タケ/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*水まわりに霊は集まり易い、という。ましてや水で亡くなった人はその水に呪縛され、いつまでも離れられない。「次に誰かが死ぬまで極楽へは行けぬ。」さしずめ負のスパイラルだ。この話しでは、友人の霊が翌日に起こるはずの「事故」を察知して、男に告げに来る。その男は翌日池を見張り、最終的に死ぬはずの青年を救う。
いわば「運命」を変えてしまう。ここで霊は無力である。ただ恨み言を言うことしかできない。半ば民話化しているようなお話だが、救われずに永遠に池に封じ込まれ、次に誰かが死ぬのを絶望的に待っている、その姿は想像するだに凄まじい。こんな池が身近に無いことを願うのみだ。--

2002/12/25 
「真冬の訪問者」 
--白馬岳の山の中に一軒だけ旅館があった。ある吹雪の夜中にドンドン、ドンドンと戸を叩く人がいるので、奥さんが出てみると「道に迷ったから泊めて下さい」と一人の男の人が立っている。「いいですよ」と言おうとしたら、子供が急に出て来て男の人の顔を見て、はげしく泣き出した。泣き声を聞いたおばあさんも奥から出て来た。男の人を見て変な予感がしたのであろう、「泊めるのはやめなさい」と言ったので、奥さんは余り子供も泣くしおばあさんも真剣な顔だし、ちょっと怖くなって「今日はだめなんです」って帰した。次の日の朝、刑事が来て写真を見せて「この男知りませんか」という。「あ、昨夜来た人だ」と答えると、麓の方で女の人を殺した男だという。後で子供に「どうしてあのおじさん恐かったの」って聞いたら、「おじさんの肩に血だらけの女の人がおぶさって笑っているから怖くなった」そういった。-- 
長野県・平岡祟子/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*このオチの怪談は枚挙に暇がない。よくある話し、でもやはりぞっとする。殺された女の人はなぜ笑っているのだろう。その笑いの意味を考えれば考えるほど、ぞっとする。--

2002/12/24 
「MIB、モスマン」 
--一方、UFOに関連してかなり不気味な話も伝えられ始めた。目撃者によると「政府の役人」が家に来て口を閉ざすよう警告したという。たいていは黒い背広だが、軍服のこともあるらしい。政府の各省庁は、ぜんぜん心当たりがないと言明した。1953年、コネティカット州ブリッジポートのアルバート・K・ベンダーは、自分が主宰している国際空飛ぶ円盤協会を突然閉鎖した。目の大きい皮膚の浅黒い三人の男がやってきて、調査を打ち切るよう圧力をかけたとその根拠を述べた。ほとんどのUFOマニアが政府を非難した。しかし、その十年後にベンダーが出した本によると、かなり不気味な事情がからんでいたらしい。三人の男は彼のマンション内で自由に出現と退去ができるようだった。南極のUFOの基地に連行されたこともある。UFO現象に関心を抱くジャック・ヴァレという科学者は、妖精と「精霊」にかかわる中世の伝承とこの話には類似点があると述べている。 キール(註:UFOジャーナリスト)も妙な雰囲気を感じるようになった。ウェスト・ヴァージニア州で、高速で飛ばす自動車と同じ速度で飛ぶことができる翼がある巨大な鳥男を目撃したという話があった。この調査を開始した頃、曖昧ではあるが自分に敵対感情を持っているらしい相手が彼の周囲にちらつき始めた。写真家が彼の写真を人気のない路上で撮ったが、なぜか直ちに逃亡した。もう一人のUFO専門家グレイ・バーカー女史と会う約束をした直後、共通の友人から変なことを耳にした。バーカー女史は二日前にそのことをすでに知っていたという。その時点ではキールの頭には彼女に会う考えなどまったく浮かんでもいなかった。「連絡先」からよく電話がかかってきた。その説明によると、彼と話したい人がその横にいるという。それから、その電話で変な声の男としばしば会話を交わした(彼は電話の相手が催眠状態ではないかという疑問を感じることが多かった)。住所を指定されて手紙を出すよう求められることもあった。あとで調べるとその住所は架空だった。しかし、活字体で書いた返事は確実に届いた。こんなこともあった。適当にモテルを選んで宿泊することに決めた。ところがレジのカウンターには自分宛のメッセージが待っていた。彼は「モスマンの予言」という著書で次のように書いている。「誰かがどこかで私の動きすべてを承知していると私に思い知らせようとしていた。おそらく私の電話すべてに耳を傾けていた。私の通信手段さえ制御しようとした。彼等はそれに完全に成功した」。その相手は多くの予言を彼に対して行なった。マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺、ロバート・ケネディに対する襲撃、ローマ法王に対する刺殺未遂などである。しかし、多くの場合、現実の事件とは日付けにずれがあった。キールは結論として次のように述べている。「われわれの小さな惑星は、なにか別の四次元時空連続体の力または実在と相互貫入を現在経験しているらしい」。-- 
(コリン・ウィルソン「世界不思議百科」関口篤訳、青土社より) 

*黒服の男MIBはUFO「政府陰謀説」のひとつの証左として扱われ、映画でも有名になった。
矢追純一氏をはじめ、日本人でもMIBの訪問もしくは通信を受けたと主張する人はままいる。
私にはMIBは政府職員などというつまらない存在ではなく、もっと不気味な「実存」に思える。
その不気味をうまく表現しているのが、2002年秋にひっそりと公開された映画「プロフェシー」である。この映画では結論めいたことは何一つ示されない。蛾人間「モスマン」〜蛾という俗称は当時人気の「モスラ」から影響されたものらしくその前は「オウルマン(フクロウ男、ポピュラーな幻想生物)」の一種とみなされていた話も読んだ〜の出現とその不気味な予言について、サブリミナル的な表現手法を駆使して作られた佳作である。この映画の原題は「モスマンの予言」・・・即ちここでキールの著作として紹介されているそのものである。(後註、日本語訳された)いずれにせよUFOは単純な地球外生命体の乗り物というわけではないようだ。この本では妖精や精霊・心霊との近しさを暗示して章を終えている。

2002/12/23 
「フィルムの怪異」 
--昭和五十一年の話。日本アルプスのフィルムを編集していたら、その中の「1コマ」だけ岩場に悄然と腰かけている登山者(男性)の姿が映っていたという。
(TVフィルムは一秒に約40コマ廻ります)そこは登山者の遭難現場だったそうです。-- 
東京都・舟崎克彦(NHKのTVのプロデューサー)/文 
(松谷みよ子「現代民話考[第二期]Ⅲラジオ・テレビ局の笑いと怪談」立風書房より) 

*心霊写真は、人間の目ではとらえられないほんの一瞬だけ姿をあらわした「霊」が、たまたま写真機のシャッター速度にシンクロして映り込んだものだという説を聞いたことがある。また、いわゆる「心霊ビデオ」で、ほんの一瞬(1コマ)だけ「霊」がうつりこんだモノをじっさいに見たことがある。「霊」は「実体化」するために相当の「パワー」を必要とするため、恒常的に姿を見せ続けることはできない。だからほとんどの「霊」は一瞬だけしか「この世」に姿をうつすことができないのだ。そういう説を聞くにつけ、なるほどな、と一人合点する。視界の隅に一瞬だけ姿をあらわすモノに出くわすにつけ、そうなのだろうなあ、と思う。このあいだ、大手町のビルのはざまで、昼日中に、”汚れたトレーシングペーパー”のような「人影」を見た。それはビルの影から一瞬飛び出し、すぐに引っ込んだ。すぐに覗き込んでも、もういなかった。-- 

「家鳴り」 
--秩父両神村、清滝小屋の外は、ひめ蛍がさかんに飛びかっていた。小屋のあかりはランプだった。 
小屋は村営なので、月給とりの番人夫婦がぶっきらぼうに登山者の世話をしている。仏法僧が
しきりにないていた。 
布団は自分達で敷く。どこへ敷こうと勝手。ふかぶかと張りを失った三十敷きはあろうかとおもわれる畳の大部屋である。うろうろしていると、 
「奥に向かって左側は止めたほうがいいよ」 
ええっ、と振り返る。 
「突然、家鳴り、震動が起こるんでね」 
まったくそっけない。そこで布団は右側の入口近くに敷いて、左の隅ばかりが気になってなかなかに寝つけない。今か今かと待っていたが、いつか眠ってしまった。 
翌朝、夕べは家鳴りが起こったのかどうか聞くと、 
「慣れっこになってるからね、天狗のしわざ、といわれていたのが、地質学上面白いことだ、と学者先生にはわかったらしいヨ」と、とぼけている。 
「どこかが、どうかなって、家鳴りになるって言ってたけどネ。それ聞いてから、気が随分と楽になってネ・・・」 
「すどまり百五十円、賄い付き三百円、米は必ず一合だよ、持ってこないと追いかえすよ」 「両神山も大変、手前の天理岳はダメだヨ。谷川岳以上に」 
両神山の上りにはサルオガセが谷からたちのぼる冷風に揺れ、キラキラと青白く広がる。まるで山姥が、破れ衣の袖をひろげて、おいで、おいで、をしているようだ。 
神秘な領域へ足をいれる興奮に、胸がふるえた。三十三年の夏。-- 
(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:大塚安子”上信越・山の怪奇ばなし”より)

*ところで今うちでも「家鳴り」が起きている。キッチンの食器棚が、何もしないのに不意に「かたかたかたかた」と、大きな音をたてるのだ。原因をつきつめれば「枯尾花」なのかもしれないが、それが起こるたびに、奇妙な感覚にとらわれる。

2002/12/21 
「八ヶ岳の犬隠し」 
--ローバ沢の上部に「マモノ沢」と註記された所があります。このあたり権現横手から上部は原生林で、マモノ沢の奥は昼なお暗い鬱蒼たる所で、樹下は火山弾の大石が重なり合い、踏めばふわりと足が沈みこむような何千年とも知れない苔に覆われています。猟仲間の言い伝えで、大昔から鹿を追った犬がここに入れば帰れない「犬隠し」という所だそうです。禁猟区となってからも、行動半径の大きい洋犬は下の猟区からここに鹿を追い込むことはしばしばですが、たいてい戻ってこれません。 
猟友平出藤春氏の猟犬ふじも、何回かここに入りこんだまま帰れませんでした。翌日現場まで
主人が迎えに行って連れ戻す以外にないのです。あるとき、私は平出氏とともに、ふじを連れ戻しに行ったところ、そこに迷いこんでいた黒毛の雑種犬に出会いました。この犬は何度追い払っても私についてきて離れませんので、「黒」と名づけてやがて病死するまで家で飼いました。 
マモノ沢の奥はただ原生林のうす暗い中で別に帰れないほどの危険性もなく、食べ物など全くない所です。犬の飼主も一度は、不思議だなア、と考えても度重なると、あそこはそうゆう所なのだ、と思うようになるらしいのです。実に不思議な場所です。信仰の山のなせるわざ、と言ったら笑われましょうか。--
(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:小林増巳”八ヶ岳マモノ沢の犬隠し”より) 
*この話しに続いて「魔留滝沢の犬隠れ」という話しが書かれている。”魔物沢”といい”魔留滝沢”といい、何か得体の知れない魔物のいる場所に聞こえる。魔留滝沢のほうは犬隠しではなく「犬隠れ」といい、犬が自ら入りこんで戻ってこない場所という。「私は父から、ここで犬が姿を消したら絶対に呼んではいけない、と言われており、またそのときは大火を焚いて、煙をたくさんあげることだとも言われていました。」氏は「四ツ」と呼んだ猟犬を見失ったとき、その通りにしてじっと待ったという。冬至の近い日のこと。日も暮れかかったころ遠吠えを聞く。呼子を吹くと、40~50メートル上方の大木の根元に「四ツ」は姿を見せたが、呼んではいけないという言いつけを守っているうちに、さらに上へと駆け上っていってしまった。それから一週間たって、魔留滝沢の現場に行くと、衰弱しきった「四ツ」がいた。背負って帰ったが、回復してからも以前の様子とは違い、物怖じし、猟犬として使い物にならなくなってしまったのだそうである。

「神隠し」 
--小赤沢の八十歳になるババも話に乗って来た。いつのことだったか、もう三年位はたったかもしれない、と前置きして話しはじめた。 
三つになる親戚の女の子が、どうしたのかいなくなった。なんぼ探してもいない。もうそれは大騒ぎで信越国境にまたがった秋山郷中手分けして探し歩いた。見付からない。 
一昼夜がたった。探し歩いていた誰かが叫んだ。 
「おーい、川の底で動いているのは、あれは猿か子供か」 
「おーい、川の底だぞ」 
秋山郷を右に左にえぐって中津川が流れる。小赤沢から遠からぬ100メートルもありそうな絶壁の底の中津川に、おかっぱ頭らしい子供姿。
川中の大石の上に雛人形のように坐っている模様。大人達は度肝をぬかした。 
到底聞こえるわけはない、と思っても、 
「そこ、動くなよー」と声のかぎり叫んだ。 
大人達は川底まで降りて行くのに、命がけで半日かけた。三つの子を背負って無我夢中で登ってきた親はもちろん、やっと歩くような子がどうしてあの底まで降りて行けたか。泣いていた様子もなく、一昼夜水でも飲んでいたのか、恐ろしくなかったのか。子供は忘れたように大人が持たせた菓子をもくもくと食べている。 
「羽が生えている天狗というものの仕業かねぇ」-- 
(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:大塚安子”上信越・山の怪奇ばなし”より)

2002/12/20 
「光りモノ」 
--寺尾を出て、国道の水名橋で三面川を渡って村上の方へ歩いていた。まだ朝日村の内である。道は下り坂。松並木の左手に墓地が続いている。時折自動車が走って来る。 
雨がジョボジョボ降っていた。 
七時頃だった。 
フッと自分の着ているジャンパーのポケットをまさぐった。自然に目線が上着のあたりにゆく。 
「アレ、なにか光っている。変だ」手で拭きとるようにさすってみる。目もこすってみる。光はとれる様子はない。相変わらず光っている。蛍光塗料を付けてきた覚えはない。そんな派手なジャンパーでもない。よく確かめると、どこ、と一点を指すのではなく、どこといわず光る。 
そのうち、いくらかあわててきて、ポケットに手を入れた用事の方はすっかり忘れて
しまった。蛍が体中に止まって光っているふうである。 
左手が墓地のせいだ、という思いが強くなる。もう夢中で急ぐ。どうも墓地の方は真っ暗で
光るものは何もない。 
道がぐっと右へ曲がった。当人も道なりに曲がった。 
ところが、気が気ではない光がパタッとなくなった。墓地は終わってなだらかな雑草地に
変わっている。 
「狐に化かされるってことはあるものか、と信じていたが、やはりこの世にあるのか」 
「いやいや、墓のせいか」 
「人魂が燃えるというのは、これかな」 
怖いもの見たさに、今歩いて来た方を振り返った。人が歩いてくる。キラキラ光っている。
自分では一向に気付いていない模様である。夜目にも黒っぽい上着の人物だった。 
「それで分かった」 
「あの墓地の横を二、三人で通ったとしたら、ホラ、遠くから見れば、狐の嫁入り、と言うんではないのかネ」 
「これはもしかすると瀬波温泉あたりの明かりが、10キロ離れたあの松並木に当たって、キラキラの光になって砕けるのかな」 
「雨が降らなければどうか」 
「標高のせいだとか」 
「墓は」 
「狐の毛皮はオラたちの背中にホカホカと乗っかってっから」 
「狐化かして捕まえるのは、オレたちの方だべ」 
「ハッハッハッハッ」-- 

*夜話のほうに「牛鬼」という怪異を書いたが、それに似ているように思う。科学的に説明がつくのかも
しれないが、奇異なことであることは確かだ。 

「苗場山の夜」 
--「ワシのジジが山には夜は行くなっ、とこんな話を語って聞かされたことがあった」 
信越国境秋山郷小赤沢のカカは、七十、八十の老人達を前に話しはじめた。 
ジジは魚をとることが好きで、暇をみつけては山の沢へ入って岩魚をよくとってきた。 
ある日、苗場山の沢の一つへ入って行って糸を垂れていた。どうしたのかちっとも魚がかからない。
周囲は深ぶかとした原始林。 
ジジはもう少し、もう少し、と欲をかいて腰を落ち着けていた。 
日が暮れてきた。沢の瀬の音が大きく感じられる。駄目だ。こんな日は今まであったことがない。
なんのせいか、妙な日だ。日の暮れが早過ぎる。やめだ、やめだ、と重い腰をあげた。たす(しなの木皮で編んだリュックサック)をしょって、ここまで来た道の方へ足を向けた。ところが、どうしたのか、かきわけて来た方角に千尺はあると思われる大滝がかかって、ドオーッ、ドオーッと波しぶきがあがっている。どうもこんな滝はこのあたりでは見たこともない。 
おかしい。ばかに瀬の音がすると聞いていたのは、これが正体だったのか。 
と、今坐っていた方を振り返る。と、どうだ、見上げるような大岩が立ちはだかり、見た覚えのない大松が一本、その岩の上にニョッコリ立っている。何度目をこすって見直しても間違いなく前の大滝と後ろの大岩は、自分に向かってのしかかって来る。 
「ワアーッ」と、ジジは叫んだ。 
「化かされたーッ」 
身のけがよだち、夏だというのにブルブル震えがくる。身がすっかりすくんで、動くにも動けない。
死んだようになって夜明けを待った。 
長い夜が明けて来る。鳥の声。 
なんという不思議。塞がれていたはずの道が、なんと、見えて来たのである。もつれる足を励まして、もう転がるように、その道に駆けいった。 
やっと小赤沢の尾根が見えてきた。みんな心配で屋外へ出て行方を話し合っていた。 
そこへ真青な顔で、よろけよろけ山道を降りてジジが帰ってきた。みんなの顔を見た途端、ジジはぺたりと坐りこんでしまった。 
ひと息ついてジジは、今遭遇してきたことを、くぎりくぎり話して聞かせた。 
「日が暮れてきたらいけない。山に化かされるぞい」としみじみと言った。

現実にそんなことがおこったことに腰の抜けるほど驚いた一同は、ジジの言葉に、皆おとなしくうなずいたそうである。三十二年の夏だった。--
*この本によると苗場山は怪異が多いようだ。(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:大塚安子”上信越・山の怪奇ばなし”より)


by r_o_k | 2017-08-12 23:19 | 鬼談怪談

奇談つれづれ(2004/9/23-2005/4/29)「歪む女」〜「矛盾怪談」

「百鬼夜話」の続きとして書いていたものですが、こちらも並行してホームページから転記していきます。ネタ的に懐かしいもの、今の感覚で言うとちょっと筋通せ的な引用記事もあるやもしれませんが、まあ、百鬼夜話よりは読みやすいかと。お盆記念。なお、記事は書いた時点のものですので、ネタはまだ続いている可能性があります。画像は一部削除している可能性があります。
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2005年04月29日

矛盾怪談


ドライヴをしていた。
同級生3人を乗せて。
4人はいつもいっしょに行動する仲良しだった。

夜道は崖に沿って何処までも続くかのように闇に浮かび上がり続ける。そんな陰うつな風景とは逆に、車内は今日の湖での楽しい思い出話に花が咲いていた。この湖は二度めだ。一人がビデオカメラの映像を見せてきた。ちらと見ると、自分一人だけが湖畔に佇んでいる。なんで一人だけで撮ったんだろう。するとまた一しきりもりあがり、またビデオの話になる。その映像を見せてもらうと、また一人だ。不審に思った。一人で撮った覚えなんてない。これはみんなで並んで撮ったはずだ。

おれ・・・一人だったっけ?

何気なく口にした言葉に、俄かに車内は静まり返った。こういう状態を昔「神が通る」と言ったっけ?笑いながら話を再び盛り返そうとする。

そういえばここ、前にも一度来たよな!

しかし3人は黙りこくったままノってこない。

前・・・あれ?同じように暗くなって、帰り道・・・

・・・帰り道・・・

記憶が途切れている。帰り着いた記憶がない。同じようにこのいつまでも続く崖の道を走っていて、それで・・・

事故ったのよね、

助手席の彼女が口を開いた。

そう、あなたのせいで。

後部座席の友人の彼女が言葉を継ぐ。うそだ!

みんな死んだんだ。

友人が肩越しに語り掛けてくる。覚えてない・・・

・・・あなたを残してね。

ずるい。

あなただけ生き残って。

あたしたちだって生きたかったの。

ふと周りを見回すと、友人たちはみな血まみれのぼろぼろになっていた。

生きたかったんだよ。

あなたも来なさいよ。

一緒に行こうよ。

さあ。

必死でハンドルを操作する。あと1キロ、あと1キロ過ぎればこの崖沿いの道を抜けて街中に入れる。悪夢よ醒めてくれ・・・

「逝くのよ!!」

うわあーっ!!!

・・・

こうして仲良し四人組は、1年と間を空けずにみな死んでしまったという。

・・・

とまあ、よくある矛盾した怪談です。どこが?自ずと知れてるでしょ。死んだ男がどうやってこの話を他の人に伝える?細かい部分を含めるとこうした矛盾を孕んだ怪談というのは多い。死んだり気がふれたりした人の記憶をどうやって知り得たんだ、と問い詰めたくなる。

これだから都市伝説ってやつは。

私は今の都市伝説は99%創作だと思ってます。



2005年04月28日
中国のUFOが熱い


ユリ・ゲラーがUFOから出てきた宇宙人にジョン・レノンの居所を聞かれたという馬鹿噺をゲラゲラ笑いながら読んでる今日このごろ、中国のUFOが熱いということで、ひとつ挿話をば。supernatural worldから抄訳。

「UFOが中国で”爆発”」
14 Dec 2004
未確認飛行物体、すなわちUFOが、広大な中国北西部の蘭州を通過し、郊外においてはっきり爆発した、と国営メディアが月曜日に伝えた。数人の目撃者によって報告された道を照らす2つの明るい光の信じがたい目撃事件は土曜になろうという午前0時少し前に伝えられた、と中国時報東京支局は報告した。それがいん石であったという見解に従って警察は本件を調査しに向かったが、月曜日早々の時点で彼らは連夜発生していた現象の証拠となるものを全く見つけられなかった、と当局の役員は電話で語った。 タクシー運転手は車の中にいてまわりじゅうが突然「日中と同じくらい明るく」なったと新聞記者に語った。 彼が近づいたとき、空の向こうにおよそ3mの尾を引いた状態の火の玉が見えた、と彼は語った。彼の会社で遅番についていた1人の目撃者が、物体が頭上を通過したとき彼のオフィスの外の中庭が突然不気味な赤ランプに照らされたと報告した、と新聞にはかかれている。 ...

ど、どこが爆発???
火球ぽいんですけど。
中国、特に上海は都会特有の「超常現象症候群」に侵されているみたいで、ついこないだもプレイボーイ(日本)誌に、実業家が翼の生えた宇宙人に高層マンションのベランダから誘拐され、物凄く遠い数千キロの彼方で憔悴して見つかった、とのいかにもアメリカンな現象が掲載されていた。それ単に強盗に誘拐されて連れ去られたのを恥ずかしいからそう言ってるだけじゃないの?と思うのだが、夢は夢としてとっておこう・・・それが悪夢だったとしても。



2005年04月27日
ガメラの棲む風景

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私の会社は飯田橋にある。ここは幹線道路が交差し高速の高架がぐいんと横切る酷く空気の悪い土地だ。二本の川が流れており一本は神田川、もう一本はよくわからないが神田川に斜めに合流するようになっているようだ。高架下を流れる陰欝な川だけれども春はどこからともなく流れてくる桜の花びらで真っ白になり、またたまに川鳥が見られることもある。カイツブリが浮いていてびっくりしたり、武蔵野は人間がいくら汚してもしぶとく生き残るものだなあと思う。

この川に巨大なカメがいると聞いたのはもう1年半ほども前のことであろうか。会社の人が言うには、マンホールほどもある巨大な「スッポン」が、ぷかーと浮かび上がるのを見たということである。その人だけならいざ知らず他にも大ガメを見たと証言する人もいて、何やら不気味な噂の様相をていしてきた。

ある晴れた日、私は何気なくこの川沿いを歩いていた。すると前の橋の上から何人かの通行人が川面を見下ろしている。なんだろう、と思って私も欄干から顔を出してみた。

カメがいた。

それは丸いミドリガメの、育ち過ぎて大きくなったやつだった。僅かな岸辺に上がろうとあがいているところだった。

どう見てもマンホールの大きさはない。

片手でも持てるくらいだろう。でもこの生気のない深緑に澱んだ川の中でよくもまあ生きて育ったもんだ。

いや、こいつがここまで育てるというのなら、元々巨大化しやすいスッポンならあるいは・・・

というわけで今日も私は水面をチェックしながら帰途につくのである。


カエル爆発と緑の火の玉

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基本的に他人のフンドシですが。
ちょっと個人的メモの意味も篭めて最近のあやしげニュースをば。

21日宵に西日本、特に福岡を中心に広くエメラルドグリーンの物体が天空を横切るところを目撃されました。これは火球(隕石の一種ぽいもの)とみられますが、色が珍しかったせいか数多くの目撃談が当該機関のもとに寄せられています。今のところ撮影された映像は出てきていませんが、一方奈良では航空機とUFOのニアミス映像が撮られテレビ放映されたという情報もあり、あやしげワールドも世間並みに騒然として参りましたね。参考→日本火球ネットワーク

外国のニュースにあまり関心を払ってなかったので久しぶりにX51や東京福袋を開いてみると、共通して次のニュースが大々的?に報じられてました。三次利用勘弁。以下X51より引用。

<ココカラ引用>
カエル数千匹が謎の大爆発 ドイツ

【abc.go】ドイツにて、カエルの身体がとつぜん膨張し、謎の爆死を遂げるという事件が相次いでいるとのこと。調べにあたった動物保護局員らの報告によれば、ここ数日およそ数千匹のカエルが膨張して大爆発し、内蔵が数メートルに渡って飛び散るという原因不明の事件が続いているという(写真は爆発寸前のカエル)。

「まるでSF映画の世界です。カエルが道路を歩いているかと思うと、突然身体が膨張して大爆発するんです。」事件が続くハンブルグの動物保護局員、ワーナー・スモルニク氏は語った。氏によれば、爆発したカエルはいずれも通常の3.5倍近くまで身体が膨張していたという。

また地元獣医のオット・ハースト氏はこのようなカエルの大爆発は全く見たことがない、と首をかしげている。

現地では相次ぐカエルの爆死から、今では「死の池」とも呼ばれる(カエルが生息する)池周辺を一時的に封鎖し、爆発がピークに達するとされる午前2:00から3:00頃に獣医らが訪れ、調査を行っている。

これまでのところ何らかのウィルスやカビが湖を汚染したのではないかという推測もなされているが、原因は依然として全く不明であるとのこと。
<ココマデ>

どう考えてもよく生き物の死体にありがちな腐敗ガスが溜まって爆発した類の事件としか思えないけど、こんなに大量に、しかも生きているカエルがなんで?車の風圧説が出ているそうだけどそんなわけないでしょう。

悪ガキが爆竹しかけたかな?



2005年04月26日
憑依と人格形成


仮定の話しである。

人間の人格形成にあたって、霊と称される一定の思考バターンに憑依され、影響(寧ろ「侵入」という言葉がふさわしいか)されることというのは、実はかなり頻繁に起こっていて、憑き物そのものが次々連綿と主人格に「吸収」されていくことで、その人の人格や能力が決定されるのではないかと思うことがある。それが成長ではないか。

むしろね。
実際とりつかれている状態を自覚するのは困難であり、一方何で好きなのかもわからないものを無条件で溺愛してしまったり、理由もなしに急に好みががらっと替わったり、とにかく不可解な心の急変にはさくっととりつかれている可能性もあり、外的な要因即ち霊という言葉で表現される何者かがかかわっていて、ただ乗っ取られるほど強い霊など稀なので、最後には逆に一つの属性として取り込まれてしまう。これは実体を失った霊にとっては曲がりなりにも生を取り戻したことになるのだから本望かもしれない・・・自我を失ったとしても。勿論追い出されたら、「あれ?なんだったんだろう」と軽く思われておしまいだろう。かつて流行った「マイブーム」なんてのはこのたぐいだったりして。

だからといって全てを霊のせいというなかれ。何でも原因を外に求めるのは危険だ。内的要因がまず疑われるべきではある。また、主人格の存在あっての憑。からっぽの人間には「ご自由にお使いください」という立て札が立っているようなものだ。もっとも地主として流れのままにいろんなモノが流れ住み着き、拮抗融合しながら勝手に人格を形成していくのを楽しむというテもアリだとは思うが。
・・・とまあこんな想像をしたりもしてます。なんでこんなことを考えるかって、人間の行動の大部分は結局は直感に支配されており、それには論理的理由などないもので、不可思議そのもの、井上円了的な意味で。だとすればこういう解釈も可能では、と。

「生まれ変わり」というのがある。これなんて赤ん坊がマッサラの白紙のうちにとりついた人格が支配権を握っただけじゃないのかな。

未熟脳がどこまで「それ」を受け入れることが可能なのかわからないけど。



2005年04月24日
気温


幽霊もしくはそれに類するもやもやが蟠る場所というのは気温が数度低いものである。体感的なものもあるかもしれないが実際寒いということはある。気化熱のようなものかとも思う。

今私の部屋は凄く寒い。春のうららに毛布二枚と羽布団にくるまって靴下穿いてまだ寒い。寝ればえんえんと悪夢である。部屋を出れば咳一つしないから風邪というわけでもあるまい。

霊感というものがあるとすれば今私の霊感は低調である。ひょっとして好調であれば何か見えるのか?

どこで何を拾ってきたんだか。

安易に結び付けるのはよくないが、きっかけではないか、ということは思い当たる。

夜、暗い部屋でうつらうつらしていると部屋じゅうに

ガチャ、チーン!

という、古いレジ機が決済するときの音が響きわたったのである。跳び上がって驚いたのは言うまでもない。

何だかよくわからないがそれ以降部屋の気温が上がらないのだ。



2005年04月19日
牛と水の話

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牛と水の話です。

荒俣某氏「日本妖怪巡礼団」に伊豆の赤牛伝説にかんして面白おかしく説明されているとおり、牛と水は密接な関係があるようです。伝説の中では怪物である牛がしばしばその水底を住処にし、周囲の住民を襲ってきたと言われていました。西日本を中心にやはり海や川などに棲む牛鬼と呼ばれる怪物に対する信仰が盛んであり(時代が下るにつれやたらとバリエーションを増やしていったようですが)、江戸時代において牛と水というのは怪物というキーワードによって結びつけられていた側面があったようです。

ここで牛が家畜となったばかりの紀元前数千年の大昔に遡ってみるならば、ユーラシア大陸の牧畜文明の拡がりの中で牛の形をした崇拝対象が現れたと言われ(旧約聖書の十戒の逸話(黄金の牛の像の崇拝)にも象徴的に現れています)、それは各部族が地母神的に頂いていた土俗神そのものと考えられます。エジプトの多神の中にも牛頭人身のものがあり、牛の崇拝が広範囲にわたって拡がっていたことがわかります。牛を神聖視するヒンズー教は直接この時代の信仰を受け継いでいるのだという説もあります。こういった信仰が・・・たいていは小さな部族の中で信仰されたものが・・・或る強力な信仰に取り込まれていく過程で、つまりは強力な民族のもとに併合されていく過程で主神の傍系親族または足下に位置する神的存在として扱われるようになったといわれます。多神教は沢山の宗教の征服の歴史でもあるのです。多神教でなくても、多神教的側面を表す宗教は多く、仏教はその最たるものでしょう。牛頭天王もあきらかな流入神もしくは被征服神です。

この過程はクレタ島の迷宮に住む王族の子にして牛頭人身のミノタウロス神が殺されるギリシャ神話に余りに露骨に表れています。やや飛躍する感もありますが表向き征服神話をつたえながら被征服民族である出雲族の象徴とも考えられているスサノオノミコト(前記の牛頭天王と習合され、牛に騎座した姿で表現される)への信仰にも現れているところであります。

しかしここで冒頭に立ち返って、じゃあ牛と水はどう結び付けられていったのか、考える必要があるでしょう。牧用牛種は水中に棲まないし湿ったところを好むわけでもない。これは簡単につながりを示す例を挙げることができます。ギリシャ神話の大物、いろんな要素がごちゃっと混ざったポセイドン神は(馬の場合もありますが)多く牛に騎乗する姿で表現されます。その属性の最も重要なものは言わずもがなの海であり、水です。そしてスサノオに目を転じるとこちらも水と縁深く、神話の上では水の属性を持つ蛇(川とする説が有力)、即ちヤマタノオロチを倒した等、その他関連性を示唆する逸話も多く水神と結び付けられる所があるようです。

これは近世に成立した可能性もあるので簡単には結び付けられませんが、男鹿半島の統人行事中の「牛乗り」では、舟の上で行われる蜘蛛舞と呼ばれるヤマタノオロチ退治の舞に対して、スサノオに扮した男が黒牛に乗って湖畔に現れるという形になっています。水と牛とスサノオのニアミス状態とでも言いましょうか。ちなみに前後しますけれども、スサノオの乱暴ぶりを紹介するものとして馬の生皮を剥いで投げつけた話が有名ですが、牛を引き裂いて投げつけたこともあるのです。このあたりを生贄の風習と結びつける向きもあるようですが(ヤマタノオロチの話にもクシナダの人身御供が出てきます)、本題から離れるのでこのあたりで止めておきます。

水と牛は、少なくとも伝説上では結びつきます。理由は何なのか。ポセイドンとスサノオの例を見るに、牧畜を行う種族であるものが頂いた牛が、水を渡って戦を行う強大な海洋国家に吸収され、その主神の属性とした結果であると考えることができます。更に零落した神という概念を持ち込むことができます。国家宗教に対して土俗の神は神の形をとらず単なる怖れの対象などになる。ちょっとアレンジして、水と牛の付加属性が本体である主神の御許から再び削ぎ落とされ、民間信仰の中に沈みもはや神という形すらとらなくなった。スサノオのように征服されたものが、今ふたたび地域の祟り神的な存在として降り立ったということもあったかもしれません。いったん吸収された二つの要素が放出される過程で結びついた、放出後のそれはまさに「怪物信仰」「妖怪信仰」とでも言うべきものであった、とすればいちおうの結論には達することができます。即ち水の牛の怪物の伝説です。

信仰の自由の無かった江戸時代初期において弾圧とまではいかないまでも国家仏教神道側から見て異端なものはあまりおおっぴらに活動するわけにはいかなかったわけで、かくれキリシタンのように歪んだ形で生き続けた不確かな牛と水の信仰が、あるいは無頼集団の心の拠所となった。しかし彼らはまもなく成敗され、日本ではおなじみの祟り除けの神格化をなされて「水の牛伝説」が完成された。

しかし物証を求めるわけにもいかずここまでくると推論もいいところです。自然に考えるならそんな所に源を求める必要は無いかもしれません。単純に牧畜をするうえで必要な要素は牛と飼料と水です。人間が生活していくのに必要な要素は牛と水です・・・共に重要なもの。逆に言うと水が枯れたり牛が伝染病で死ぬことは死を意味します。その負の部分が具現化されて伝えられた。それだけのことかもしれません。

ギリシャ神話が日本に伝わったということはあるのでしょうか。

これは非常に古い伝説であり、日本のそれも近世に頻出したとされる水の中の牛の怪物とは、地理的にもかなりの隔絶があります。例え類する伝説が奈良平安や桃山時代あたりに伝わっていたとしても、庶民のところまで届き民間伝承としての信仰になりえたとは(仏教文化の興隆から見ても)考えがたく、まず関係がないと考えていいのではないかと思います。キリスト教の弾圧状況からしても江戸初期の段階ではギリシャ神話の世界は一般化するほど自由に流通する環境にはなかったでしょう。江戸後期あたりになると間接的であるにせよかなりの数の西欧の書籍が伝わってきているようですが、私自身はギリシャ神話のようなものが伝わったと聞いたことはありません。図像が伝わった可能性は大いにありますが、造形的に印象を与えるものはあっても信仰の対象となる理由が無い以上それは宗教化し得ないでしょう。

日本での牛の利用に関して少し触れておきましょう。まずは考古資料にその源流を求めることが出来ます。即ち牛は縄文晩期から飼われていた、もしくは食べられていたと思われます。農耕が行われ始めたと推測されている時期でもあり、農業と共に渡来した文化かどうかは興味深いところです。仏教伝来までは食用として(薬などとして乳が使われた記録もありますが渡来系の文化です)、675年天武天皇の肉食禁止令以後は主として農作業の貴重な労働力として身近に使われてきました。「和牛」についても、食肉の行われなかった時代の労働力としての牛と明治以後の食肉や酪農に用いられた牛は種類を異にしています。後者は全て外来種との交配により作り上げられた混血です。江戸時代においては牛を食べるという行為は最終手段でした。牛は年貢を納める農作業に欠くべからざる貴重な労働力であり、「農宝」と呼ばれ神仏に入り込み崇められさえしていたわけです。

ところで「水牛」というものがいます。そのまんまです。しかしこれはそもそも生息地域がユーラシア中央の牧畜地域とは遠く離れた南方に分布する種類で、牧畜牛とは種類(属)が異なります。大きく長い角を持ち、食用にもあまり向かないように思われます。本来的に水中を住処とする種類ですので水に潜む牛のイメージは確かにあるのですが、琉球ならいざしらず(琉球の怪談に水牛が現れることはありますが)本土のしかも本州四国あたりにおいては一般的とは到底言いがたいでしょう。

最後に、同じ島国であるイギリスに目を転じると、以下のような伝説も見受けられます。元々は水上に住んでいた「妖精の牛」が、湖に入るという昔話です。

アバーダヴィー(ウェールズの町)の後方に位置する高地の人里離れた場所に、Llyn BarfogまたはBearded Lakeと呼ばれる小さい湖(注)があります。

(注)ここもアーサー王伝説に絡んでいます。周辺の畑を荒らす恐ろしい怪物(avanc)がこの湖の中に住んでいたと言われています。アーサーはこれを知り、湖に行って、野太いチェーンをavancの周りに投げました。 次に、彼は強力な愛馬(しばしばLlamraiと呼ばれる)の助けで、湖から生物を引っ張りあげ、殺しました。Llyn Barfogからほど近いところに、この物語の証拠としてCarn March Arthur(アーサーの馬石)として知られている馬の蹄跡のついた岩を見ることができます。

水は黒くて暗く、魚が水面に浮かびあがるところもまったく見られません。ただ空の鳥はそんな湖の上に高く飛翔するのです。 昔々、湖の周辺は女エルフィンの一族に憑かれていました。彼女らはしばしば、猟犬と美しい乳白色の雌牛を引き連れて全てを緑の霧に包まれながら夏の夕べのたそがれの中に目撃されることがありました。

ある年取った農夫が、運良く、彼の群れの牛と恋に落ちたGwartheg y Llynのうちの一匹、即ち「湖の雌牛」を捕らえることができました。 たちまち彼には幸運がもたらされました。こんな牛や子牛は世に二つといない、こんな牛乳やバター、チーズは味わったことがない、といってFuwch Gyfeiliorn即ち「迷い牛」の名声は広まりました…

農夫(貧しかった)は豊かになりました… しかし結局エルフィンの牛が年を取って使い物にならないうちにと怖がって、彼は、食肉市場に出すために太らせようと考えたのです…

....肉屋は、牛の命を絶つために彼の赤い右腕を上げました。 ちょうどこん棒が振り下ろされる瞬間、絹を裂くような声が、丘に反射して響き渡り目覚ましいほどに、天まで震わすような大音を立てました。 肉屋の腕は麻痺させられました。そして、こん棒は彼の手から落ちました。 湖の中の岩の上で、緑の霧に包まれた女性が泣き叫んでいました。

汝来たれ、アイニオンの黄色いものよ
迷える角牛、稀に見る湖の牛、角のないDodyn、起きよ、我が元へ戻れ

それらの言葉が発されてまもなくすぐに、エルフィンの牛と全ての彼女の子供たちが湖に向かって走っていき、暗い水面の下に消えていきました。そこには黄色い睡蓮の花だけが、彼女らが消えた証拠としてぽつんと残されました。

原典(元ネタは1907年刊行の本に採録):http://www.themodernantiquarian.com/site/6984



2005年04月14日
脱線>こういうのが来る


オカルトに片足突っ込んだようなネット活動をしているとこういうスパムも来るようになる。最近メアドは明かしていないのだが昔の名簿が残りつづけているようだ。

----- Original Message -----
From: "drh"
To: <>
Sent: Thursday, April 14, 2005 1: AM
Subject: ◆河童目撃情報◆◇◆◇

> ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
>
>
> ────────────────────────
> 亀から生まれる 雄と雌・・・何を想像する?
>
> http://www.angelfire.com/dragon3/mugichangu99
>
>
>                   
> ────────────────────────
> あなたの地元にも銀座はある?!
>
> http://www.angelfire.com/dragon3/mugichangu99
>
> ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
>
> http://www.angelfire.com/dragon3/mugichangu99
> ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
>
> メール拒否はこちらまで。
> paulresis@yahoo.com
> ********************************************************************
>

前はよく都市伝説を騙ったワンクリ詐欺的エロメールで来ていたのだが、今回はカッパときた。内容はまったくエロ+ウンチク。ちなみに都市伝説とか言って来た内容は芸能人の目撃情報・・・バカか?しかしよく同じドメイン(エンジェルファイアなんて怪しげな名前でなんでオカルト?)で同じ送信者名で送るもんだ。PCで送ってるとはいえ・・・。送信アドレスは本物ぽい。

すいません、ネタがないのでこんなのも載せてみた。ちなみに私は氾濫する都市伝説系の話は苦手です。



2005年04月13日
あやしげGW


なかなかしっかりしたネタが無いので更新できないのが実情、もし読んで頂いている奇特なかたがいらっしゃったら申し訳ありません。先週末のマクモニーグルの透視に熱狂してたら実は結構間違いだらけの捏造ありという検証結果を見て一息ついた状況でありますが、懲りずに二年ぶりに旅に出ます。

行き先はこの季節に青森。以前岩手一周怪しげ物件巡りをしたことがありますが今回はそれより北です、しかも下北しか行きません!・・・角館など桜の名所は全て行きません。我ながら悲しくなりますが、初日は夜行バス、二日目は往復徒歩12キロの釈迦の墓来訪についでにサンダイマルヤマ遺跡、三日目は下北のまさかりの先へ行ってうだうだ、四日目恐山で温泉プラスナゾの日本中央の碑、五日目がキリストの墓(南部だけど)で八戸から新幹線という趣向。さらっと書きましたがキリストの墓は隠れキリシタン遺跡なんじゃないかという気がしてるので一日かけます。ほんとは町おこし前に行きたかったけど仕方無い。実況をここにちゃんとアップできるかどうかわかりませんが、最終的には本体ページにでもあげておこうと思います。釈迦の墓はなんというか、お堂あとに例年?現れる火の玉で有名になったポイントですけど、恐山のこともあるし地方仏教のひとつの変種みたいなもんだと思ってます。大分の六郷満山じゃないですけど。

青森はあやしげ探訪をする人間には至極メジャーなポイントが多いです。上記ポイントもあやしげフリークは既に行った事のある場所が多いでしょう(ネットでもたくさん来訪記が出てきます)。寧ろ岩手盛岡の鬼の手形とかおかん石とか(母親の石ではない)飢饉供養の石仏群とかマルコポーロの五百羅漢とかのほうがマイナーなのかな。

とりあえずそんな旅行に行きます。



2005年04月05日
電灯点滅・・・


電灯がゆっくりふわんふわん点滅してまた元に戻った。。

なんじゃこりゃ。何かの信号か?


2005年04月04日
電波が見える


春先になると決まって電気系技術者のもとにかかってくるクレーム電話がある。
それは「電波が見えて困る」というものだ。
彼らは電波が自分を監視していると言ってクレームしてくる。自分には虹色の電波が見え、それがレーザー光線のように襲ってくるのだという。人によっては「聞こえる」という人もいる(こちらはある程度科学的な説明がつくかもしれない)。

春ですな、といった感じなのだが、

通常の知覚がズレるタイプの、知覚異常を持っている人間というのは案外いるものだそうである。特に芸術家タイプで目立つ。CNNなどで報じられた研究なので今さら詳細の説明は控えるが、たとえば音楽家の中には音を「色」として感知する人がいる。そういう人の指示は難しい。「そこもうちょっと青い音で!」とか言われてもどうやって弾いたらいいのかわからないのだから!古くはリストもこのタイプだったといわれ、近代ではスクリャービンがよく知られている。象徴主義的な画家の中にも色彩に別の知覚の意味を持たせた人間はいるそうで、音を絵に写しかえた人も、たとえばルドンなど枚挙に暇がない。音に味覚を感じる人さえいると聞いた。生活には不自由するかもしれないけれども、こういった病的な感覚をある種の特殊能力として捉えれば、道を選ぶだけで素晴らしい成果をもたらすことも可能だという典型のような話だ。

というわけで知覚の不思議について考える。

私はオバケの正体は何らかのもやもやっとしたモノ・・・電気的なものや微量の薬物などの残存物・・・にすぎず、それを明瞭かつ特異な形で捉えるのは受け手である人間の脳の問題だと思っている。外的要因と内的要因の境界線をどこに引くのかは難しい問題だが(ケースバイケースだろう)、かなりの部分は受け手の脳の記憶野に依っていると思う。「直感像」という言葉が流行ったことがあるが、これは乱暴に言うと白昼夢であり、何かの小さなきっかけ(たとえば一瞬小さな影が見えたとかいったあやふやな記憶の核)によって頭を過ぎったイメージが膨らみ、形として見えてしまう、または言葉として聞こえてしまうタイプの人間が経験するものである。

私も思いっきりこのタイプだが、幸い長い不眠症生活によって夢と現実の区別がかなりはっきりつくので、変な誤解をしないで済んでいる(敢えて夢側の話を書くこともあるけど(笑))。オバケ話を聞いていると、明らかにこの「イメ-ジタイプ」の話に遭遇することがある。ちょうど最近映画で流行りの瞬間的に現れるじつに奇怪な幽霊、そういう即興的なタイプのものはたいていこの直感像ではないか。本来そんなに明確で奇怪なものがやたら多発するものではない、弱弱しい要因によってもやもやっとしたものがたまに感知される程度のものが正解だと思う私は、そういうふうに半ば思い込んでいる。否定しているのではない。これはこれで面白いものではあるし、収集に値するものではある。想像力の実に独創的な発露、一種のアートとも考えられる。ムンクが偽造心霊写真に凝っていた話は有名だが、彼は心霊現象をある程度アートとして捉え、内面的なものが投影された魅力的な幻想だと思っていたようだ。

ただ、そういった中に、たまたまの偶然か、無意識に知った事実か(超能力的なものも含め)によって、共通的無意識の存在すら予感させる「一致点」が見出せる複数のケースが存在することにより、オバケというものが客観的に「物理的に」存在するものと短絡的な結論を招いているケースも少なからずある。これが事態を難しくしている。心霊スポットの存在はまさにその偶然の集積もしくは無意識の集積だろう。そこに第三の存在が絡んでくる。確信犯的に(無意識かもしれないが)オバケの存在を創り上げる人たちの存在である。面白がりたい、人の知らない心霊スポットを探し出して、おかしなものを撮影したい。誰でも情報発信ができるネット時代に多くなったパターンだ。これはちょっと困り者で、そういう有象無象が現れてくると、心霊スポットと呼ばれる場所でも全く感知しない人が多かったりするのに、あるいは地元ではなんでもないと言われていても、また伝説の根拠が全く無い場所であっても、全国レベルで有名になってしまった怪しげなスポットが殆どであるのに、そういった部分は黙殺されるのである。「見た」と称する人の話が全てになってしまう。少数が多数に挿げ替えられ、たまたまの偶然が偶然では済まされないというイメージを与えるようになってしまう。結果「観光客」から迷惑を蒙る地元の人間がテレビへの露出を拒んだりして、今すっかり心霊スポットものの番組は減ったわけであり、ネットに沈むことによって一気にアングラ化して信憑性が減ったのは、結果的にはよかったのかもしれない。

オバケは寧ろ物理的に存在するものと考えたほうが自然なのではないか?必ず心霊主義者が言う言説である。死んでしまったはずの生物が「別の生命体」として存在しつづける、ひいては霊が不滅の思考体であるという宗教的な思考は、SF的に処理して、たとえば人間は本来別次元の大きな存在で、3次元の地球上に現れているのはその影にすぎず、影が消えても本体はどこかの次元の広がりの中に存在しつづけて、再生を待つ、みたいな解釈も可能だろう(少なくとも時間というパラメータは超越してそうではある)。だがそこまでいくと、グレイと呼ばれる爬虫類的な弱弱しい”生き物”が、外宇宙から超科学によって作られた宇宙船に乗ってやってきた宇宙人である、というのと同様、飛躍がありすぎる。本当はそうなのかもしれないけど、次元という概念は数理的には存在しても実際物理的にどう存在するものなのかまったく定かではない。グレイの乗り物が太陽系の外から侵入してくるところを誰か観測したことがあるのか、そもそも地球外から侵入してくる物体に明確にグレイが乗っていたという証拠を持っている者はいるのか、というと、妄想的経験談は別として、殆ど無い。つまりはあれが単なる地球上の未知生物であったとしても不思議は無いのだ。これを宇宙に飛躍させる部分で多大な無理が生じている。寧ろナチスの陰謀説のほうが信憑性があるくらいだ。

夢も希望も無い言い方をすれば脳を損傷した人間が思考や行動に顕著な影響を及ぼされてしまう現実を見るに、損傷どころか脳への血流が全て停止し、脳血管破裂以上の破滅的な状態に人間が陥る・・・つまりは死ぬ・・・にいたって、その記憶や思考回路はどこにバックアップされると言うのか。もしそういう機能が備わっていたとしたら今の脳神経科学に大きな躍進をもたらすことになろう。でもそうなってはいない。脳だけ生かしておいても意味が無いという話さえある。脊髄を含む神経組織全てが正常に動いて初めて人間としての正常な認識、正常な思考、正常な記憶が行えるのだと。そこに心臓を入れる人もいる。たとえば霊と会話をかわすという人がいるが、会話をかわせるということはその霊には確実に脳を含むそれら全組織の代替となるものが備わっていて、しかも情報は完全にバックアップされていることになる。そんなもの、先に述べたSF的な解決を考えないとはっきり言って説明は無理である。結局は虚像と会話している「気になっている」だけで、そこに先に述べた「偶然」や「無意識に知った事実」が入り込んでいるだけなのではないか?そのほうが自然だと思うのだが。

霊を人間そのものと扱うそれらの人々には、完全に想像力の世界が入り込んでしまっているのか、好意的に考えれば、超感覚的なものを冒頭に述べた知覚のシフトによって直感像として見て聞いてしまっているのだろう。私はそう思う。

私は少なくとも自分自身が見たり聞いたりしたように感じているのは、ほんの微弱な「何か」で、超感覚的なものが(でも多くは通常の感覚的なものが)それを補い、更に想像力で膨らまされているのだと思うようになってきている。

それもひっくるめて面白がろうと、このブログやホームページを続けている次第である。

正直見える見える言ってる人って信用できないんだよなあ・・・


子供が来た


昨日朝の謎の子供、夜寝る前に戯れに

来るなら来い!

と胸叩いて寝たら、

来たぽい。。しかもスグ来て、起きて一服して電気つけっぱなしで寝ようとしたらまた来て、朝までかなりしつこく何度も起こしてくれた。凄く眠かったので姿を確認する気力がなかったゆえ、ぼんやーりした感じしかわからなかったのだが、無茶苦茶久し振りの金縛り的状態に、とても気持ち悪いので逃げようとすると、これがまた目の前の腕や体が動いていないのに、なんか動いてる感覚がある。見えないけど腕が伸びてる感覚がある。見える腕は曲がったまま微動だにしていない。

もちろん幽体離脱なんて洒落たもんじゃなくて、半覚醒状態のときよくある幻覚。腕を失った人がある条件下で指に痛みを感じたりするのと同じ感覚が見せる夢だ。でも、じっさいそういう目にあうと、やっぱり気味が悪い。

そんな状態だからオバケか幻覚かの区別は難しいのだけど、ふざけた気分で寝たというのにすぐに怖い夢を見るというのは不自然で、何か別の意志が働いていると思えてしまう。

何も伝えてこようとしないのが不思議だったけど徹底的に耳を貸さなかったこちらのせいかもしれない。実際ほんとに眠い人間を起こして意志を伝えるのはオバケにも難しいことなのかもしれない。


2005年04月02日
殴られた


昨日の録画、江原なんとかのスピリチュアルカウンセリングを見ていて、ゆるいなあ、と思っていた。解釈者が入ることによって怪異は合理化されつまんなくなる。だから科学者はもちろん坊さんとかれいのうしゃとかが出てきて検証だの解説だのしだすとたいてい話はゆるーくなり、個人的には早く次の話行ってくれという気分になる。

江原番組があまり好きじゃないのも解釈に時間をとりすぎるからで、今日も案の定眠くなり、うつらうつらしだしたんだけど、

とつぜん右手の甲を小さいゲンコツが殴った!

びくとして目覚めてテレビを見ると、子供の霊の話をしていた。

・・・子供がいんのか?
朝からやーな気分なのでした。



2005年03月28日
なんか囁かれて目覚める
(2005年03月01日他所記)

内容忘れたけど、すごーく気味悪いことを耳元で囁かれてうわーてなって目覚めた4時。気持ち良く夢見てたのに唐突に何!?

つか誰!?あの女!

俺大丈夫か?

後引かなかったので明かりつけてすぐ寝れたけど、眠り浅くて頭ガンガン寝覚めのわる~いワタシでした。とりあえず合掌しとくか。アメマ~

しっかしいきなり起こされたので偶々夢から現実への「脳の切り替え」を「感覚する」ことができた。昔よく入眠時に、言語や論理で思考していた事物が、いきなり「イメージ」に切り替わり映像や音声になるという過程を体験したものだが、その逆の過程を自覚的に体験できたのが新鮮な驚きだった。怖いとかいうことよりもそっちが珍しくて良く覚えている。

夢を見るような状態というのは、「公式(=イメージ)」がいきなりズバンズバンと現れる状態・・・まとまった思考の塊が「同時に(=時間軸が無いから論理的思考の流れも無い)」現れる、ある一つのフクザツな脳内パターンが過程を省略して全部いっぺんに現れる状態・・・であることが明白にわかった。それが瞬時に「要素(=単語等)」に分解されて時間軸上に並ぶ、つまり論理的思考という流れが形成され他者に伝達可能なわかりやすい形に整理される。それが覚醒状態だということが実感としてわかった。面白い体験でしたよ。右脳と左脳の単純な切替ということであれば性差も出てきそうなことで、もちろん個体差も考慮しなければならないだろうから研究はしません!面白かったということだけで。説明がめんどくさくなってきたのがわかりました?終わります。

(中略)

それにしてもへんな、というか貴重な体験でした。

あの耳元の声は夢かなあ・・・でも夢を中断する夢ってなんだろう?夢の中の夢ならあるけど、夢が夢を押しのけて夢を見る・・・うーーーーーーーーーーーーん混乱!!!!


闇の声


裏の家のほうからたまに、変な鳴き声が聞こえてくる。
だいたい12時近くから始まる。ちょうど犬が室内から締め出されて、入れて欲しいと懇願するような媚びた声。クーンクーンというのではなくて、吼えにならない、ピュッピュッヒンヒンという鼻息のような声だ。

家の裏の三方にかつて爺さんが住んでいた。最初は右手のほうの爺さんがおかしくなった。夜中の3時くらいに窓を思い切り開いたり閉じたりして何事かわめいたりしていた。それはいつのまにかおさまった。次は裏の家である。いつも窓をあけると庭をとおしてその家の仏壇が見え、老婆の写真が見えていた。ここも夜中12時過ぎに演歌のカラオケで騒いだりとちょっと変な感じだったのだが、いつのまにかおさまった。

そして三軒目である。左手の奥の家。いつも窓から覗くと、その家のガラス戸の向こう、障子がビリビリに破けていて、夜の8時くらいになると、キャンキャンという犬の悲鳴と、コラッというような老人の怒号が頻発するようになった。ちょっと見てみると柴犬のようで、室内で飼うような犬ではないのだが、家が狭かったせいか、老人はビリビリの障子の向こうで二人暮しをしているようだった。

その犬が叱られた後、必ずピュッピュッヒンヒンという鼻息のような声を立てて老人に媚びを売っている声が表にまでよく響いていた。ああ、まだやっているのだな。暫く聞こえなかったけれど、また虐待が始まったのか。

先週のことである。また12時になると(よく考えると昔はそんな遅い時間ではなかったのだが)ヒンヒンと声が聞こえてきた。それは異様に大きく、裏の家の庭に
響き渡っていた。いつものことだと聞き流していた。

ふと不思議に思った。

声が移動している。

最初左手のほうだったのが、裏の家の庭に移動して、しかも声が家壁に反射してひときわ大きく響き渡っている。そしてさらに右手のほうに移動していく。私はちょうどその右手の側に頭を向けて寝ているので、不意に気味が悪くなった。

がらっ!

雨戸を開けた。そこには漆黒の闇。声は止んでいた。左手のほうに街頭がある。そちらのほうを何気なく見た。そして驚いた。

あのビリビリの障子はなくなっていた。その家の部屋はカーテンすらなく、街頭に照らし出された内部は何も無いがらんどうだった。ああ、老人は既にいなくなっていたのだ、犬ごと。

・・・雨戸を閉めた。普段全然気にしていなかったあの音がとても怖いもののように思えてきた。すると・・・またクンクンという音が聞こえてきた。いつになく大きく響き渡っている。

おかしい。

これは犬の声・・・じゃない?

爬虫類の声、というとすぐ頭に浮かぶ人は少ないだろう。私はそう思った。暖かい血の通った声じゃない気がしたのだ。ヤモリか?いや、ヤモリはこんなクンクンという声は出さないはずだ。カエル・・・?ガマでもウシガエルでもアマガエルでもない、まるで南国のカエル。

ますます想像が膨らんでいく。このままだとまた不眠症だ。気味悪い思いはここで留めておこう。

私はその声は「飼われていた南国のカエルが逃げ出した」と解釈することにした。

また聞こえたら、今度こそ正体を確かめたいと思う。頻度からしてまた近いうち、現れるはずだから。

・・・

昔の人は変な声を聞くと妖怪と名づけて姿をあたえた。私のこんなささやかな体験も、時代が時代なら「声だけ妖怪」として姿を与えられていたかもしれない。東京、都会と呼ばれる地域にも怪異は依然として存在する。それは幽霊などという陳腐な存在ではなく、「怪異」そのものとして屹立している。

そんな怪異が現れたことが、ちょっと嬉しかったのも事実です。


2005年03月14日
座敷牢


ひらり、とグレーの布が舞った。
スーツの上着の裾。はっとする。

暗い倉庫の扉がなぜか半開きになっていて、横を通るとき、確かに見えた。

スチール棚に「頭を突っ込む」若い男が。

戻って覗いても誰もいない。当然だろう、こんなところで蟠ってるほど皆ヒマではない。

会社の倉庫、会社の倉庫・・・

あ。

この倉庫だ。

昔、わざとこの倉庫に机を持ってこさせられた人がいた。仕事もなしに。
・・・辞めさせるために。
素行が悪くみんなに迷惑をかけまくっていたそうなので、ある程度仕方の無い措置とはいえやり方が余りに嫌らしいといえば嫌らしい。依願退職という形に仕向けたのだ、最終的には。

死んだのか?いや、死んではいないはず。
生霊、というものがいるのなら、こういうものなのか。

でも、辞めたというのに、未だにここにいるのか。
頭を突っ込んでいたのはなぜだ?

わからない。もともとコンピュータ関連の仕事をしていた人で、その棚の向こう、隣の部屋がコンピュータルームだった、ということくらいしか、わからない。

そんなこともあったりする。


あかんぼう


階段で前を降りる若い夫婦。

疲れたような風情の母親が、赤ん坊を抱えている。
赤ん坊は妙に大きく見える。
力の抜けた感じでだらりと、母親の左側から足、右側から頭が垂れていて、
その顔が逆さまにこちらを向いている。
二人は寄り添うように降りていく。
重いんだろうなあ、と見ていて思う。
赤ん坊の顔がこちらを向いている。

俺を見ている。

妙に白い顔だ。
ぶくぶくしている。嫌気でもさしているのか、きついまなざしであたりを見回す。そしてまた、俺の方を見る。

階段の下についた。夫婦を追い抜かしざま横目で見た。

赤ん坊などいない。

夫婦は二人、足を引きずるように別のホームへと向かう途中だった。

・・・おろしたのか。



2005年03月01日 偶然


おまえ、何で知ってるんだ・・

3回も言われるとさすがに気味がわりい。最近異様に勘がきく。

先週見舞いに行った。ガンだったわけだが、早期で皆余り心配していなかった。しかし私はここにも書いたとおりかなり動揺していた。某漫画家がS字結腸ガンで瀕死と聞いたからだ。

同じ部位じゃないかよ・・

見舞当日。笑いながら手術の話をしていると、部位の話になった。「知らなかったんだけどね、ここにS字結腸というのがあるそうで、そこが・・」

ン?

知らなかった?

帰宅後改めて見た連絡メールには、部位のことなどどこにも書かれていなかった。

見舞いの帰りに友人たちと談笑していたのだが、不意に一人の顔色が変わった。

私が何か言ったらしい。

生来のいーかげんな性格そのままに記憶力もない私は自分のしゃべった端から忘れていくタイプ。やべ。なんかいっちゃったかな。ちなみにこの日既に一回激怒させている。めんどくせー。謝りゃいいや。

ごめん

そうじゃねえよ!

お前、なんでうちの婆ちゃんの死因、知ってるんだよ!!

・・・・そいつの祖母は昨年11月に麻酔注射過量により亡くなっていた。医療ミスだった。

困ったことに自分が何を言ったのか、今だに全く思い出せないのである。

2005/2/7記


アカデミズムは霊を肯定するか?


堅い題名だが話はカンタン。うちの大学の日本民俗学の教授にその世界では(今でも)チョー有名なM教授という人がいた。妖怪やオバケの研究で知られていたが、いたって真面目な学究的な人で、扱っているものの「いかがわしさ」にそぐわないとても厳しい先生だった(単位がとれないという噂を聞いてワタシはその授業をとる機会をみすみす逃してしまった)。あくまでガクモンとしてオバケ話を扱っているのだなあ。テストで学生に自分の聞いた・体験したオバケ話を書かせたなどという話も聞いたが、当時都市伝説のたぐいが流行りだした時期で、とくにうちの大学はそのてのものが多い学校だったから、そういうこともやってみたんだろうな、と思った。いずれにせよ、ガクモンとしてやっているわけだから、当然オバケなど信じちゃいないだろうなあ。当時学生寮でリアルオバケに悩まされていたワタシはなんとなくそんな気がして敬遠していた。

日民の研究室に友人がいた。うちの研究室の隣だったので(ワタシは不良学生だったから研究室など殆ど行った事もなかったが)なんとなく話をしていた。そこでM先生の話題が出たとき、その友人は言った。

あの人、ホンモノだよ。

?・・・ホンモノって?

・・・このまえ、研究棟の廊下を歩いていたらさ。階段の上で、下の方を向いて、先生が立ち尽くしていたんだよ。そばに行ったら、下の踊り場を見つめてるんだ。そこには何も見えない。

どうしたんですか?て聞いたら、言ったさ。

「そこに、いる」

・・・気味悪かったさ、ここ、あんまり気味のいい場所じゃないから。踊り場に、何か、いたんだってさ。そんなこと、結構よくあるんだよ。あの人、そういうの見えるらしいんだ。

もう結構な年の先生の横顔が浮かんだ。気難しそうな学究肌。・・・でもそのモチベーションの根本には・・・自分の「霊感」があったのか?

柳田民俗学の流れうんぬん。それとは別に、この人はそういう理解しがたい「体験」を解消するために、敢えて科学的というか、ガクモンとして割り切りたくて勉強を重ねてきたのかもしれない。今でもどこかの学校で教壇に立っていると思う。そして、その学校でも、たぶん・・・見ているだろう。

ちなみにそのころのうちの日民教室はけっこうすごくて、有名な人が出たりしていた。私の友人のその後のゆくえは知れないけれども。
2004/10/17記


こわい地名


血洗島、という地名が深谷にある。地名の起源は不明だが、利根川の氾濫でいくつもの島ができた、そのうちのひとつに作られた村落であることは確からしい。血洗い、というとまっさきに人を斬った刀を洗った場所、という想像が浮かぶ。ここは渋沢栄一の故郷として有名である。別項に書いたが死人の通るさまを「死人坊」と呼ぶ地域がある。それに対して、同じ「死人坊」という地名が福島にある、との情報をいただいた。調べてみたが地名の起源はやはり不明である。ただ、死人の名をいただいた地名は意外と多い。詳述は避けるが「死人坂」という地名がある。住民紛争が起きていて、それで知ったのだが、ここは寺の裏手の坂にあたり、いわゆる死人を寺に運ぶための裏門側の坂ということでつけられたらしい。こういう即物的な忌名を持つ地名も少なくない。私の実家のある丘は、古地図によると仏山、という名になっている。荒れ野のマークがついており、他の場所が畑となっているのに比べていかにも不思議なさまである。更に溯るとじつはここは墓地であった。そのせいか家を掘ると土器が出たりするわけだが、土器だけでなくコワイものもよく出るのである。仏山というのも一般名詞であったようだ。他地でも意外とそういう呼ばれ方をした場所が多く、たいていは墓地である。アブリコという地名についても別項に書いた。これは炙り子と書くらしい。地方によっては焼き網のことを炙り子と呼び、とくに忌むべき名ではないようだが、この九州の地名に関しては古代の火葬場で、文字どおりの「炙り」「子供」らしい。表意文字によってあらわされる日本の地名は奥深い。恐ろしげな名の奥に秘められた血なまぐさい伝説も、想像力を刺激して面白いし、コワイ。
2004/9/7記

(後記)
世田谷の血流れ坂というのも聞いた。上で人斬りをして血が流れた坂だという。

鈍感な私、、しゃがんでいる子供


最近の話しをしよう。ふたつほど目だったことがあって、某コミュニティサイトに書いたのだが、誰も食い付かないのでこっちにも書きます(泣)

先週はほんとうに忙しいというか睡眠時間を削らざるをえなくて、そうとうきつかった。それまでだいたい1時に寝て7時に起きていたから、まあ個人的には8時間欲しいところだがでも一般的には良く寝ている方だった。睡眠状態もよかったのだが、それが、一月ほど前からちょっと狂ってきた。必ず夜中一回目を覚ますのである。まだ暗く、3時から4時くらいであった。しかし、目を覚ますだけなので、とりあえず便所行って、帰ってきたら既に記憶の無い寝方をしていて、なんで目を覚ましているのか、さっぱり理解していないというか、ほんと、なんの気にもとめていなかったのである。

それが先週、そう、だいたい4、5時までは起きざるを得なくなってしまった。パソコンが壊れてその修理等をするのに毎晩時間がかかっていたのである(それは今も続く・・)。こういう作業はいらつく。気がたってしまい、寝床についてもすぐには眠れないのが常である。作業自体は3時には終わるのだが、寝床に横になって、ビデオを見ながらなんとなく気をしずめていくのである。

そのときだった。そう、3時半くらいだったろうか、最初は。

ええ・・・うう・・・

犬?何か小犬のような声?そんな弱々しい奇妙なひびきの声が、壁の向こうから聞こえてきた。壁は外壁になっているが裏はすぐ裏の家の庭で、犬など飼っていない。

ああ・・・あえ、ああ、ええ・・

・・・いや人だ。弱々しい人の声だ。中年で痩せている。そんな声だ。それが、なぜか・・・あえぎ声をあげている!

うっ・・・うう・・・うえ・・・うっ

・・・変に高いトーンだ。若者の高い声という感じではなく、もともと甲高い中年男の声といった感じだ。これは?・・・一瞬やらしい声に聞こえたがそんなんではない、泣いているのか、うめいている・・・

でも、なぜ?

なぜこんな時間に裏庭に中年男が立って泣いている?

ばたっ!

はっ、ときた。

これは違う!

ばたっ!ばたっ!

外壁が叩かれる。

こんなことをするのは・・・

・・・うえ、うっうっ、うう・・・あえあ!

ばたっ!ばたっ!

ふと、毎晩この時間~3時から4時~に起きていたことを思い出した。たんに睡眠のリズムだったんじゃない、

こいつが毎晩、俺を起こしていたのだ!

しかも、北の外壁から!

・・・俺は鈍感にも、気付かずに寝ていただけだったのだ。今週はこの時間までしっかり起きていなければならなかったがために・・・初めて気が付いたのだ。

断続的だった。それに、弱々しい。だから、私はむしろ気が立っている状態なので、マンガなぞを見て気分を散らすほうに気が行ってしまい、

不幸な男は外壁に放置されたのだった。

それでもときどき耳に聞こえる。

嗚呼・・・あえあ・・

ぱた。

不意に室内で音が鳴った。

北壁だ。

見ると貼ってあるポスターの中央が、まるで人の拳で突き上げたかのように、ぐうっと持ち上がって・・・ばた!と戻る。そしてまた、ぐぐうっ・・・と持ち上がって・・・ばた!と戻る。やめろ、それはお気に入りのポスターだ!

破くなコイツ!

・・・そんなことが何度かつづくとますます目が冴える。結局私はその現象が断続的にも結局終わる5時過ぎ、外が明るくなるまで眠れなくなってしまったのだった。

最初はそんな感じ、でも、次の日も、その次の日も私の寝る時間は遅くならざるをえなかった。毎日2、3時間睡眠の体は辛かった。

そんな日々に拍車を掛ける、あの男の気になる所業。

むかついた。もう3、4日目のことだろうか、疲労困ぱいして、でもそんなときに限って目は益々冴え渡り・・・その目に、あのポスターの中央の盛り上がりが映るのである。

ううっ、うう、という煮え切らない中年男の呻き声とともに。

私は夜中であることをもはや忘れていた。

てめえこいつ!黙ってりゃ毎日毎日来やがって、何ぞ文句でもあるのかいな?おまえ、フユウレイだろ?俺のとこへ来んくらいなら、自分で寺でも神社でも行って、勝手に成仏しやがれこのタコ!

・・・すると、なんとその声がぴたり、と停まったのである。ポスターの中央がふわり、と元に戻り、外壁の気配も、もはや消えていた。

ああ、やった。

私はその日も2時間睡眠だったが、満足して眠ることができた。

・・・

2、3日たって週末がやってきた。私はやっとこの不眠サイクルが終わると思って早めに床についた。すうっと自然な眠りが降りてきて、ああ、気持ちがいい、と思ったものである。楽しく、安らかな気持ちだった。

がくっ

それは突然来た。うつぶせの私の上に、ちょうど人間大の砂袋のようなものが天井の方から、どさっと落ちてきた感覚で目が覚めた。何の理由もないただただ異様な恐怖感だけが全身に響いてきた。金縛りだ!やつらが金縛りをかけてくるのはこっちが気を抜いているまだ浅い睡眠時(深い睡眠だと手が出せないのは周知のとおり)、こちらが動けず強い恐怖感を抱くことをよく知っていて、かけてきやがる。顔はうつぶせだから見えない、でも、これはヤツだ。追い払ったとおもっていたヤツが、どうやったのか室内に入って、俺に復讐をしようとしているのだ。何故?さびしいから。さびしいのに、怒鳴りつけるようなことをしてきたから。たいていの浮遊霊は弱い。人が力を抜いているときしか攻撃してこれない。私は理由の無い絶大な(金縛り特有の)恐怖感に恐怖しながらも、こういうときの対処法を試した。先ずは舌打ちである。舌程度は動くものだ。そして、霊は、霊自身もそういう音を出して現れるくせに、人間が同じ舌打ちのような打音をはっするとひるむ。こっちもはっきりしたパチンという音に耳を打たれ完全覚醒状態に至る。そこで上半身だけでも起きたら、腹の底から歌をうたうのである。今回は「ジャイアンのテーマ」だった。なるべく力強く、ばからしい歌がいい。

おーれっはジャイアーン ガーキだーいっしょー!

砂袋が横にひねれた感覚。右腕が動く。さっと枕元のスタンドのスイッチに伸び、思いっきり捻る。

さーっと音がするように、気配は雲散霧消した。

フユウレイはあまり一個所に留まらないものだときいたが、こんなにしつこいとは思わなかった。

次の日。

もうヤツはあらわれなかった。

でもそれは私が再び1時に寝るようになったせいかもしれない。

もしかしたら、今晩も3時になると、外壁から・・・

気が付くと叔父の命日が数日後に迫っていた。

ついでに別の話し・こちらは夢の話しなので、真実かどうかはよくわからない。とにかく、夜中中えんえんと長い夢を見るのだ。それはふたつのパターンがあった。ひとつは私がなぜか古ぼけて暗く汚い工業都市にいて、方々から煙があがり、いつのまにか軍人に囲まれて、ドオン、ドオンという遠い爆発音を聴きながら、泣きそうになり、絶望に身を引き裂かれそうになっているところに、ごろん、とふたつ、冷たく重い鉄製のWO転がされ、もう、ここまできたら一緒だ、と無言の圧力を掛けられる。左右を見まわし、黒い顔に囲まれて仕方なくその手に持った感覚が実にイヤな・・・重く冷たく固く塗装が禿げ古びたパイナップル型のカタマリ。震える手でレバーのようなものに手をかけるが、びくっとして引っ込める。なぜふたつなんだろう。私はホンモノの人殺し道具が手のうちにある恐怖に凍り付きながらも、もう時間が無い、動くぞ、と命令される。もはや家族とは会えまい。・・・そういうところでいつも、記憶が途切れるのだ。なんでこんな夢を、しかも毎晩毎晩見るのだろう?・・・それがわかったのが、ある日のたぶん朝方のことであった。突然、灰色の部屋のようなところにいて、扉もないのにすっと、痩せた老人が顕れた。顔の大きな染みが恐かった。夢の中で老人は私の前にざっくばらんとあぐらをかき、やがてとうとうと話しを聞かせはじめた。

それは戦争の話しであった。

南方ではないらしい。おそらく大陸で、歩兵として戦ったこと、その中のわずかな心の動きから、あまりにあっけらかんとした人の死の群在について、思い出話を語るように、でもたんたんと、聴かせてくれた。私はえんえんと聞き役であった。老人はなぜか戦争の話ししかしない、でも、ちぎれ飛んだ友人の腕に握られたをはがし取り、渾身の力を込めて投げた話しを聞いたとき、私はふと自分の夢ののことを思い出した。そして初めて口をひらいた。

あの、をふたつ渡されるのって、なぜですか

老人はうなずきも何も反応せず、たんたんと言った。

自分もふたつ持たされたことがある。

よく生き残ったもんだ、上官に渡された二弾を抱えて敵陣に突撃し、一つは敵の中に投げ込み、そして二つ目は、なるべく敵の陣近くまで駆け込み、撃たれながら・・・自爆するためのものなのだと。大義名分はあくまで生きて捕らえられたときの誇り高き自殺用というものでありながら、あれは事実上人間爆弾なのだ、と語った。しかし老人は生き残ったのだなあ、と思ってふと老人の大きな染みが、染みではなく、大きく爛れた傷痕であることに気が付いた。私はふと朝の鳥の声を聞いた。ああ、朝だ、起きなければ。自覚夢をよく見る私はこの物騒な夢を終わらせようと断ちあがった。すると、老人がぐわっとこちらを見上げ、片手を伸ばし、私の手首を強く握った。

話しはおわっていないんじゃ。

・・・どうやってそれから逃れたのか、覚えてはいない。しかし結局朝はきて、あまりにはっきりしている夢の記憶と手首の感触を確かめながら、しばらく何もできずに座っていた。

あれが本当の元兵士の幽霊だったのか、よくはわからない。

ただ、妙にリアルな話しの内容と、其の前の夢・・・をふたつ渡されたときの恐怖感だけが、今も心に深く突き刺さっている。老人はそれきり出てこなかった。そしてを渡される夢も、もう見ることはなかった。

蛇足。

ついでに。某踏み切りに夜中通りかかると、まるで飢餓の国の子供のように骨ばった背中の、裸の子供がしゃがんでいることがある。これは邪悪な感じがするので、見ても見ぬふりをしているが。

さいきんはこんな感じである。

2004/9/22記


岸辺の三人


ユウレイ話というのはえてして断片的なものである。物語性を求めるとそれはもう脚色された文学作品になってしまう。断片素材だけの話しというものがどれほど希求力が有るのか私もあまり自信がないが、こういう漠然としたものが典型だ、ということでつい一昨日聞いた話しを記述しておく。

カヤックで川を下りながら途中川原でテントを張りキャンプをする、というツアーだったそうである。川原でキャンプというのは増水時を考えると結構危険な行為だが、そのツアーはベテランのガイドによるもので危険はなかった、という。ほんとかどうか私はわからない。とにかくそこでテントを張って一晩過ごしても何も起こらず、次の日再びカヤックで下り、今度は民宿に泊まった。その晩のことである。

彼は異様な雰囲気に目を覚ました。真夜中、窓から月明かりが入り部屋の中を冷え冷えと照らしている。・・・誰かに見られている。視線を感じた、というのだ。だが室内には鼾と寝息が満ちている。彼以外に起きている者はいない。どこからだ?彼は泥棒だと思った。心臓の音が大きくなりひときわ耳を打つ。彼は寝たまま、目だけを部屋のあちこちに向けた。そして、視線の元をたぐる。しかし室内には何も無い。ふと月明かりが揺れる。窓外には川原が広がるばかりで木や草のような遮るものは一切無いのに、影が揺れている。ゆっくりと、目を窓外に向けた。

シルエットがあった。

そこには三つの影があった。

のっぽ、低い、そして普通の背丈の、人影。

徐々に目の焦点が合ってくる。

・・・そこには「人」が三人いた。ガラス窓に顔をべったりとつけた三人のずぶぬれの男。いずれも、何か獲物を探るかのような不気味な悪意を込めて、その6つの見開かれた眼を室内に向けていたのである。

生きている人間じゃない!

気を失った。

翌朝、彼は恐ろしい体験を仲間に話した。するとガイドをしてくれた年かさの人が、何気なく口を開いた。

あ、そうだよ。この川でカヤックをやっていて溺れ死んだ人間が、三人。よく出るんだよね。

・・・その日のカヤックツアーは皆寡黙に、慎重に進められたという。

後日、三人はじつは小屋の前ではなく、前日のテント場のところで溺れ死んだことがわかったそうである。つまり三人は、小屋まで川を、彼等の後を付いてきていたのだ。カヤックを漕ぎながら・・・

話しはこれだけである。

2004/8/30記

(後記)
不正確な点があった。泊まったのは民宿ではない。
車だ。
車に一人で寝ていたら、朝方に周りを取り囲んだ男女がこちらを見下ろしていたそうだ。


子供の顔


夜寝るとき、薄暗い天井の隅を見つめてごらん。

何か見えてこないか?

そこに、子供が見えないか?・・・膝を抱えた小さな子供が、見えてこないか?

彼が私のところへ来たのは、もう10年ほど前のことである。連日遅い日が続き、コンビニ弁当を食べながら寝るという生活をしていたころ。そのときも弁当を食べながらいつのまにか寝てしまっていた。

うー。

?何か声が聞こえる。呻き声が聞こえる。・・・俺か?

眠りに入ったか入らなかったかのとき、よく自分の声が違う方向から聞こえてくるように感じることがある。単なる錯覚なのだが、人によっては「隣で違う人の息遣いが聞こえる!」とか言って怪談にしてしまう。たんに寝ぼけて耳だけが鋭敏になってしまっただけなのだが。私はふと目が覚めてしまっただけだと思った。ちょっと息を潜めてみる。でも、

うー。

さかりのついた猫のような声がする。方向は・・・隅だ。部屋の隅だ。それも、上のほう・・・

目が自然と覚めて、その目にぼんやりとうつる天井の隅。そこに、何か黒っぽい、闇がもっと闇を深めたような影が、蠢いている。

眼鏡を取り、かける。

うわっ

・・・うー。

天井の隅には、黒い子供がいた。膝を抱えて、変な角度で浮かんでいる。思わずあげた声を飲んで、私はそれを観察した。黒くて服とかはわからない、でも表情だけはわかる。何か、全体的に皮膚がグズグズで、右下に流れたような・・・汚れた顔。(実は私はそのとき手元のメモ紙にその顔を書きとめたのだが、どこかへいってしまった。出てきたらここへ載せようと思う)

うー・・・

声の調子が変わる。私が彼を認識したということがわかったのか、地の底から湧き起こるような低い声が、いくぶん高く、尻上がりのようになってくる。だんだんと、姿ははっきりしてきて、それとともに、声は子供らしい高い声で、ちょっと変な言い方だが、甘えるような、情にうったえるような声になってきたのだ。わけもわからず呆然と見ていた私は、恐怖心から次第に同情心に変わっていく心のうつろいを感じていた。ああ、・・・土砂崩れか、洪水か、そういうのでやられた子だ・・・蒼白く汚い顔に浮かぶ想いが伝わってきたような気がした。

う。

と、呻き声が停まった。天井の隅に浮かんでいた少年は、静かにこちらへ向かって大きくなってきた。つまりは、近付いてきた。口がちょっと開いたように見える。顔の皮は、かなり人間らしさを取り戻した表情になっていた。同時に、少年から「現実味」が失せてくる。死者は、夢との境目において初めて人間としての姿を取り戻せる。言い換えれば、死んだときの非人間的な凄惨な姿から、いくぶんこちらの脳の想像力を利用して、人間らしい姿を取り戻す事ができるのだ。少年の顔は、やがて私の視界いっぱいにひろがった。私は半分寝ぼけたようになっていて、ただぼうっとそれを見ているだけだった。恐怖感はもはやなかった。

ないしょだよ。

・・・そのコトバが聞こえるか聞こえないかのうちに、ぱ、っと部屋の雰囲気が変わった。空疎で、冷ややかな空気が肌を刺す。少年は、消えていた。私は眼鏡を外して、しばらく首を振り、夢だったのだ、と信じ込もうとした。でも、手元のメモ帳には、気味の悪い絵が書き残されている。私はメモを裏返すと、ばたん、とそのまま深い眠りに落ちた。

何か私が知っていたと思ったのだろうか。子供のオバケに憑かれることは案外多いのだが、はっきりモノをしゃべるほど大きくなった子供の場合は珍しい。翌日、私はぼーっとした頭で、ないしょだよ、というコトバを反芻しながら、会社へと向かった。

会社で鞄をひらいた。そして、あ、と思った。

そこには石が入っていた。

私が拾ってきたものだ。文鎮に使おうとして多摩川で拾ってきた拳大の石だ。

石の表面。

拾ってきたときには気が付かなかったのだ。

青黒い石の表面に、白い石がざらめのように入っていて、それが、人の顔のように見えた。いや、男の子の歪んだ顔、そのものだった。口元が釣り上がり、何か苦しそうに訴える子供の顔!

・・・ないしょだよ。

帰り道、近所の公園に投げ捨てた。

その石のその後は知らない。

細い女、鎧武者、オトロシ


書こうとしたとたんにパソコンがバグった。。私の小学生のころの話。結局ハッキリした理由はよくわからなかったのだが、女の影に追いかけられた。それも、一ヶ月くらいにわたって。生きている人間ではなかった。なぜわかるかって、そいつは異様な気配を撒き散らしながら背後から近付いて、はっと振り返ると、ささっと側の電柱の影に隠れる。僅か20センチくらいの太さの電柱の後ろに、全身が隠れてしまうのだ。電柱より細い女!蒼白い顔の異常に長い、30くらいの背の高い女。ただ細くて長いだけではない、奇妙に捩じれたような、歪んだ顔をしていたのを覚えている。丁度CGで人の顔を歪ませたような、ちょっと考えられないねじけ方だった。気味が悪いと思えば思うほど気になって、しばらく電柱のほうを見ていると、影からちょっとだけ顔をずらして、じーっと、私を見返してくる。友達と遊んでいるときも、塾へ行くときも、夜道でも、日の高いうちでも、視線を感じて振り向くと5メートルほど離れた所に必ずあの背の高い女がいて、瞬時にそばの電柱の影に隠れるのだ。思い当たる事はあった。ある晩、塾からの帰り道、道端の家から出てきた老人が話し掛けてきて、何か孫がいるとかどうとかいう話しをしてしきりに家へ招き入れようとする。10分も熱心に口説かれて、どうしようかな、という気になったのだが、ふとその家の中を覗いたら、大きな写真が飾ってあって、線香が焚かれていた。・・・怖くなった私は走って逃げたのだが、あきらかにその写真には若い女性がうつっていた(顔までは見えなかった)。あれが、細い女の正体だったのではないか。何かの事情で、私を自分の子供とだぶらせて見ているのではないか。老人が何だったのか、私は怖くてあの夜以来その道を通る事はなかったのでよくわからない。でも多分そういうことだ、と感じた。結構マセガキだった私はそんな女を哀れに感じた。・・・その日も、女はついてきていた。秋陽の長く影をおとす日だった。私は近所の寺に向かっていた。時々振り返ると、さっと電柱に隠れる細い女。たぶんその姿は他の人には見えていないのだろう、夕方の喧騒の中で誰もその女の奇行に目を留めるものはいなかった。境内に入るとすっと空気が変わる。がらんとした広場の清澄な空気が私と女の亡霊を包み込んだ。今でこそ五月蝿い観光寺になってしまったが、そのころは不気味さと崇高さの同居する異界的な雰囲気を持つ寺だった。私はなんとなくそこへくれば何とかなる、と思ったのだ。本堂に向かって手を合わせると同時に、心の中で、横へ来て、と語り掛けた。すると気配がつと横に立った。姿は見えなくなっていたが、あの細い女に違いない。丁度本堂の扉は開かれ、金色に輝く大仏がこちらに向かって鎮座しているのが見える。すると、横の気配が、静かに、まるで砂が崩れるように消えていくのである。同時に私は肩が軽くなっていくのを感じた。その時初めて「肩が重かった」ことに気が付いた。やがて気配が消える。境内には誰も居ない。烏の声だけが響いていた。ちょっと寂しい気もしたが、その女には二度と会うことはなかった。

ちょっと長文にしすぎた。あとの二つは手早く。

小学生の頃、私には霊感らしきものが確かにあって、変なものの訪問をよく受けていた。その変なものの中には、律義にもノックをしたり、呼び鈴を鳴らしたりするものがいた。

ちりりりん。

あ、誰か来た。

かぎっ子だった私以外に家には誰も居ない。

はーい。

玄関に行く。摺り硝子の引き戸のむこうに、黒っぽい大きな影が透けて見える。

かちゃ、がらら。

・・・うわーっ!!

黒々とした鎧を全身に身につけ、頬当てで顔を隠した大きな鎧武者が立っていた。

かっと消えた。

うちの古い玄関は当時北東、鬼門の方角にあった。そのせいか玄関から上がろうとするモノが多かった。別項に書いた化け猫もその玄関に顕れたものである。

これとそっくりな話しをだいぶあとにテレビでタレントが話していて驚いた。それは作り話だったようだが、私は思わずパクリだ!と叫んでいた。

最後。これも古い家での話しだが、小さい頃私は悪い事をすると押し入れに閉じ込められた。まっくらな押し入れは幼い私には恐怖以外の何物でもなかった。それに輪をかけるように兄が私を脅した。

押し入れの中には、”おとろし”が棲んでるぞ

私は”おとろし”が怖くて怖くて仕方なかった。おとろしが何なのか、よくわからなかったが、よくわからないからこそ怖かった。滅多に押し入れに閉じ込められることはなかったが、閉じ込められてもおとろしはついぞ見なかった。

そんなことをもう忘れ掛けていた、小学生高学年のころの話し。

私はその押し入れのある寝室が何故か怖かった。実際にいくつか「見た」せいもあるのだが、何より雰囲気が悪かった。

誰も居ない日にかぎって、その音は聞こえてきた。

あの押し入れのほうから、何かを引っ掻く音。かりかり、かりかり、かりかり。

えんえんと続く音におっかなびっくり近づくと、ぴたり、と止む。

しかし寝室を離れるとまた、

かりかり、かりかり、かりかり

・・・がりがり、がりがり、がりがり

・・・バリバリ、バリバリ、バリバリ!!

ばっと駆け寄ると、またぴたりと止む。しばらく押し入れを開く勇気が無かったが、意を決して開けてみると、そこにはびっちり仕舞われた布団があるだけで、何かイキモノが入り込む隙などなかった。

”おとろし”じゃないか・・・

ふと思い出した。

すっかり忘れられた”おとろし”が、押し入れへの呪縛を解き放ち、外へ出ようともがいているんじゃないか・・・

そんな想像をするにつれ、私は押し入れを開ける事すら怖くなっていった。音はひと月ほども続いた。

音が聞こえなくなってしばらく後のこと、部屋にノミが飛び跳ねるようになった。動物を飼っているわけでもなく、なんでだろう、とプチプチ潰していたのだが、そのうち、嫌な匂いが漂ってくる。数日後堪らず調べることになった。

あの押し入れの天井には、天井裏に上がる穴が開いていた。

そこから入った業者さんが、あ、と声をあげた。

猫ですよ。

腐った子猫の死骸が、そこにはあった。

どうしたものか、屋根裏に入り込んでしまい、押し入れの上から下に脱出しようともがいていた、その形のまま腐っていた。

その音があの「かりかり」だったのか・・・。

”おとろし”はいない。その日以降、私は押し入れが怖くなくなった。

・・・オバケ話じゃなくてすいません。


2004/12/4「最近どこかで書いたこと」

(某コミュニティに書いた内容の抜粋+αです)

2004/11/30

先週酷い目にあいました。夜中の3時にムリヤリ叩き起こされ、見えないんですけど、明らかに嫌な煙のような気配が体に纏わり付いて離れない。物凄く訳のわからない恐怖感で体がガタガタ、で、電灯つけて明るくしたんですけど、おかまいなしに攻撃してきて、とても眠いのに体中くすぐられたり、足首掴まれたりと寝かしてくれない。最後は限界量の睡眠薬で無理矢理寝たんですが。。。翌日某大学の講堂に行って、映写のためライトが落ちた途端、見えるわ見える。走り回る子供の一団、前の人の頭上に縋る上半身だけの人等等怖。顔までハッキリ見える。こんなことは滅多に無い。前の晩のできごとがきっかけで何か波長があってしまったのでしょう。以後ダル。*しばらくして回復、見えなくなりました。

2004/12/01

私は長年不眠に悩まされています。そのため眠りをある程度客観的に意識することができたりします。夢はやはり大半が既存の記憶の整理ぽいです。言葉で思考していたものが、すっと映像にシフトする。その映像は僅かなきっかけで想像力の暴走により極端で過激な内容になったりする。これはあくまで私の場合ですけど、そんな夢が深層意識にトラウマとして残ることはありえます。私は理由も無く尖端恐怖症等に陥ったことが何度もある。 勿論前世の可能性も、誰かの記憶が侵入した可能性もあるかと思いますが。。 「きっかけ」が何かによりますね。逆に前世や霊というものはきっかけ程度の僅かな力しか持ち得ないから夢に出現するのかもしれない。

2004/12/02

なんか本棚からぼんぼん本やCDが飛び出してるんですけど。。平らに置いてあったものまでなんで水平に飛び出すの?片付けるのも怖いわ。。

2004/12/04

べつにコワイ話じゃないんですが、交換したつもりのないビデオテープが何故かデッキに入っていて、アンビリバボーの正統派陰明師除霊スペシャルが愛エプと銭金で完全上書きされてしまっていたのに気が付いた。霊番組コレクションが損なわれたことよりも、その銭金の録画途中に異様な画面ブレが発生していたのにちょっと恐ろしさを感じた。古いテープのせいかもしれないけど、埃とかのノイズじゃなくて、声が捩じれたり画面がひねれたり不気味すぎるのですぐに別なもので上書きした(ていうか今しているところ)。朝からちょっと実生活上のトラブルが続いたのも気になる。本を飛ばしたヤツのせいか??ちなみにあの頃のアンビリはやや宗教がかっていて余り好きではなかったので(この当時の陰明師流行りに便乗した企画も、山奥でホンモノの陰明師の一派が生き続けていたという場面は(まあ演出にすぎないわけだけど)とっておきたかったが、半分以上に及ぶ除霊シーンはよくあるいつものパターンだった)、すっぱり諦める事にした。一応ツタヤでビデオ探してみるけど。霊番組コレクションといえば自称陰明師を担ぎ出したことで有名?な金スマで小学生塾に出没する女子霊の話をやっていたというのを録りのがした。痛い。見ると合格するというジンクスはなんだか座敷わらし風だけど、それより連想させられたのは「ほんとにあった呪いのビデオ」シリーズに出てきた、合格祝いをやってる背後のホワイトボードにくっきり浮かんだ男子霊。詰め襟まではっきり見える鮮明さ、不意に顕れるいかにも霊らしい瞬間芸(芸じゃないか)、あのシリーズは大半が怪しいが、怪しいとしてもインパクトがあり私は強烈に覚えている。但しダビングしたものがどこにいっちゃったのかもうわからない(泣)

陰明師といえば(音楽サイトの日記に書いたが)先週藤原定家の明月記のホンモノを見に行ったのだが、その中で病気平癒だか死者追悼だかのときにいろいろやんなきゃならないけど陰明師も三人呼んどいた、みたいな記述があって、鎌倉時代に入っても平安を引き摺った生活を続けた公家社会に、陰明師がまだ生き残っていたんだなあ、と思った。それにしても三人呼んだ、って記述はあきらかに軽んじてるよなあ。清明の時代からずいぶん変わったもんだ、あるいは逆に所詮その程度のものだったのかもしれない。物部村へはいつぐらいに伝わったんだろう?やっぱり平安末期か?てことはその後も京に陰明道は堂々と続いていたことになり矛盾が生じる。歴史は一筋縄じゃない。この明月記は定家の完全なワタクシ日記ではあるが、記録的意味もあったとみられているそうで、天気のこと星のことと儀式のこと、歌会の席順のことなどが克明に書かれている。星の記述には怪星出現の記述も少なからずあり、火球やほうき星の記述が目を引いたが、一番面白かったのが三日月の暗いところに明るい星が顕れた、というもの。UFOか?それとも隕石衝突か?まあ隕石も解明されないうちはUFOなわけだけど。個人的にはマグリットの絵、闇の中に屹立する杉の木のシルエットに何故か月が浮かんでいる、というものを思い出した。神秘的だ。


 

2004/11/1「シンガポールのタクシー怪談は怖い!」

これはシンガポールのタクシー運転手の間で広げられた実際の物語です。中国の新年の前夜の7.30 pmごろのことでした。タクシーの運転手、60歳のアー・タンはBedok Reservoir通りに住んでおり、家族の夕食で新年を祝うために家路を急いでいました。

彼は、偶然Punggolの近くあたりの遠い小道を通り過ぎました。そこはかつて農村でしたが、ここ数年で廃村になっていました。そのあたりにはすべて路傍に沿った4つのバス停留所がありました。小道に沿って運転していると、バス停留所で若い女性が手を振っているのが見えました。すぐさま、彼は女性を乗せたいと思いましたが、それだと夕食に遅れてしまう。時間厳守には特別の人です、彼は、この客を連れて行かないことを決定しました。その後、彼は運転を続けました。すると驚くことに、2番目の停留所にまた女性がいて、彼に向かって手を振っているのです。この時、彼は彼女に見覚えがあると思いました。 彼女は赤いTシャツと暗いスカートを着用していたのです。光の加減で、彼は彼女の顔を見ることができませんでした。

第3のバス停留所を通り過ぎた時、彼はぞっとしました。また女性が彼に向かって手を振っているのです。女性は、同じ赤いTシャツと暗いスカートを着ています!どのようにしたのでしょうか、女性は、車より速く移動できるのでしょうか?2つの停留所の間の距離は遥か0.8KMも離れています!この時、彼は本当に恐ろしく感じてアクセルを強く踏み込みました。第4の停留所を通り過ぎるとき、女性が車に向かって飛び込んできた!

彼は、少なくとも100KM/Hの速度で運転していました!女性は車の上に跳ね上がると、バス停留所の隣の排水管の中に落ちました。アー・タンはあまりの恐怖に大声で叫びました!犠牲者は赤いTシャツと暗いスカートを着ていました。アー・タンは非常に暗い気分になり、新年を祝おうという気持ちなどなくなってしまいました。

最後に、彼は、警察に出頭することを決めました。ほどなく赤いTシャツと暗いスカートの死体が見つかりました、それは20から25才くらいの若い中国人女性でした。ここでアー・タンの恐怖が証明されました。女性の死因は自動車事故によるものではなく、鋭い刃物によって突き刺されたためだったのです!彼女は約三日の間、既に死んでいました。身体は既に腐食し始めていました。

警察の事情聴取の後に、アー・タンは出来事を全て考え直してみました。もちろん、警察は彼の供述にくすくす笑い、別の「本当の」情報を欲しがりました。

1週間後に、アー・タンの悪寒はやっと収まってきました。何という偶然、彼は、自分のタクシー・ナンバープレートの番号で4-Dの1等賞を当てました。彼は大金を勝ち取りました。とても喜びましたが、彼は不運にも、風呂場で突然倒れ、右腕を砕きました。そしてChangi病院へ入院しました。

病院では、毎晩悪夢を見るようになりました。赤いTシャツと暗いスカートの若い女性が、「Ah Peh, li di si lo lai?」(おじさん、いつ来るの?)と彼に話し掛け続けるのです。彼は本当に耐えられませんでした。

さらに、炎症が傷を膿ませ始めました。幸いに彼の友人の一人が道教の僧侶で、儲けた金を「安全」のために放棄することを提案しました。彼はアー・タンに、女性のゴーストが深刻な不満によって苦しみ、ひどい悪霊になってしまっていると告げました。

「彼女はいくつかの理由により殺害者に復讐することができなかったので、アー・タンが彼女の再生のための「身代わり」に選ばれた。4Dで儲けた金は命と引き換えに使われるべきです!」

精神の戦いの後に、それとは別に女性はまだ彼を悩ませました。彼は断腸の思いで彼の100,000ドルを放棄しチャリティー共同募金に寄付しました。まことに奇妙なことに、彼は病気から急速に回復しました。

すべては終わったかのように見えました、しかし彼がお金を失って束の間ののち、彼の妻が4-Dを再び獲得しました。それは$100,000でした!なぜでしょうか。ある日、妻は市場に行って、いくつかの野菜を買いました。彼女は包み紙が例の若い女性の殺人事件について書かれた古新聞であることに気づきました。おかしなことに、そこには4つの数字が書かれていました。そこで彼の妻はその番号を賭け続け、当てたのです。夫婦の猛烈な議論の後に、アー・タンは金銭を寄贈するように彼の妻を説得することに失敗しました。深い心配がアー・タンを悩ませ始めました。彼の妻がおかしな考えを抱きはじめ、赤いTシャツと暗いスカートを着ることが好きになっていったのです。彼女は、狂っていったように見えました。また、どんどん癇癪が酷くなっていったのです。ある朝、彼女は、急に生活が無意味であるとアー・タンに伝えました。この時は、アー・タンにとって決定的でした、彼は金銭をすべて直ちに放棄しました。またあの寺院へ彼の妻を連れて来て、煉獄から若い女性の魂を解放してくれるように僧に依頼しました。

この出来事の後、彼は4-Dを買うことをやめました。いや、あらゆる種類の賭博をやめました。つい先ごろ、彼はタクシーライセンスを放棄しました。

Po Seren筆

~http://www.ghost-cafe.com/より

ほんとはブログに訳出しようと思いましたが、原文の単語が変に難しくて苦労したのでもったいなくなりこっちに載せることにしました。よくあるタクシー怪談が、なにやらいかにも東南アジア的な土俗と精霊の世界に収斂していくのが面白い。4Dは4つの数字をあてずっぽうに書いて当てる高額クジですね。クジにまつわる話は江戸時代にあったような気がするが忘れた。


2004/11/1「大蛇に呑まれた話」

鎌原石見守重宗は代々上州吾妻郡三原の庄鎌原郷を領地とし、よって地名を氏とし、初め武田氏につかえ、武田氏滅びてのちは真田氏に仕えた。かつて一人の少年を従え、近傍の地(山澤と呼ばれる場所)へ釣りに赴き、自らは熱心に釣り糸を垂れて、少年は川の上下を駆け巡って遊んでいた。すると間もなく川の下流から少年の叫び声が聞こえる。重宗急いで下流に赴くと、時既に遅く少年の姿が見えない。目を巡らすと水中に一匹の大蛇がいるのに気が付いた。これが少年を呑んだに違いない、と直ちに衣を脱ぎ捨てて。褌に刀を差して水中に潜り入って見れば、その大蛇は既に少年を呑み終わって、その腹を臼のように太くし、身動きもならない姿になっている。すわ重宗は刀を抜き蛇の首を一刀両断、これを岸に引き揚げて、その腹を裂いてみると果たして少年の姿があった。少年を引きずり出すもこの時既に息が無く、しかしまだ絶息して間も無いということから或いは蘇生するかもしれないと種々の介抱を加えたところ、忽ち息を吹き返し、再びこの世の人となった。重宗は少年に向かい、今までの様子はどうだったかを問うが、少年は呑まれるときは何の感じもなかったが、ただただ暗くて何物も見えず、暫くして腹中に入った頃に、熱湯を頭部に注がれる心地がして、それより感覚を失ったと言った。この少年は大きくなって沼田公に仕えるが、蛇の腹に入って後は、頭部に一本の毛も生えなかったという。

~青木貫之進筆「古今東西逸話文庫」M26

妙にリアルなので載せた。ほんとに日本にはニシキヘビ並の大蛇がいたのではないかと思わせる。呑まれた様子もなんかリアルで、特に胃に入ったとき頭から恐らく胃液を降り注がれるところなど、医学的知識のなかった時代にしては妙にリアルである(もっとも蛇は消化に一週間以上をかけることがザラで、呑み込んだ途端胃液をドボドボかけることなんて一般的にはありえないのだが)。生還ののち頭に一本の毛も生えなかったというのは、胃液で毛根が全て溶かされてしまったのだろうか。鯨に呑まれた人の話を思い出してぞっとした。


2004/11/1「小理屈に弱いインテリキツネ」

渡辺華山の墓は三州田原城寶寺にある。里人が華山の墓に詣でれば、狐狸に憑かれていても落ちるといって、今はとくに参詣する人が夥しい。華山が生前雇っていた従僕に一人の娘があった。かつて狐に魅入られたことがあり、その時は一朝にして漢学に精通し、四書五経を暗唱できないところはなかったという。華山は早速娘に会い、おまえは深く漢籍を暗知していると聞く、然らば問おう、論語に「子曰く」は何個所あるか。憑かれた娘は言葉に詰まり、忽ち正気に戻った。そのため華山を狐払いとして崇拝する者が多くなったという。

~石川鴻斎筆「古今東西逸話文庫」M26

有名なパターン話であるがインテリ狐というシチュエイションがちょっと面白かったのと有名人の名が出たので載せてみました。この本、新聞のコラム記事を集めたものだが、こんな話ばっか。


 

2004/10/17「アカデミズムは霊を肯定するか?」

堅い題名だが話はカンタン。うちの大学の日本民俗学の教授にその世界では(今でも)チョー有名なM教授という人がいた。妖怪やオバケの研究で知られていたが、いたって真面目な学究的な人で、扱っているものの「いかがわしさ」にそぐわないとても厳しい先生だった(単位がとれないという噂を聞いてワタシはその授業をとる機会をみすみす逃してしまった)。あくまでガクモンとしてオバケ話を扱っているのだなあ。テストで学生に自分の聞いた・体験したオバケ話を書かせたなどという話も聞いたが、当時都市伝説のたぐいが流行りだした時期で、とくにうちの大学はそのてのものが多い学校だったから、そういうこともやってみたんだろうな、と思った。いずれにせよ、ガクモンとしてやっているわけだから、当然オバケなど信じちゃいないだろうなあ。当時学生寮でリアルオバケに悩まされていたワタシはなんとなくそんな気がして敬遠していた。

日民の研究室に友人がいた。うちの研究室の隣だったので(ワタシは不良学生だったから研究室など殆ど行った事もなかったが)なんとなく話をしていた。そこでM先生の話題が出たとき、その友人は言った。

あの人、ホンモノだよ。

?・・・ホンモノって?

・・・このまえ、研究棟の廊下を歩いていたらさ。階段の上で、下の方を向いて、先生が立ち尽くしていたんだよ。そばに行ったら、下の踊り場を見つめてるんだ。そこには何も見えない。

どうしたんですか?て聞いたら、言ったさ。

「そこに、いる」

・・・気味悪かったさ、ここ、あんまり気味のいい場所じゃないから。踊り場に、何か、いたんだってさ。そんなこと、結構よくあるんだよ。あの人、そういうの見えるらしいんだ。

もう結構な年の先生の横顔が浮かんだ。気難しそうな学究肌。・・・でもそのモチベーションの根本には・・・自分の「霊感」があったのか?

柳田民俗学の流れうんぬん。それとは別に、この人はそういう理解しがたい「体験」を解消するために、敢えて科学的というか、ガクモンとして割り切りたくて勉強を重ねてきたのかもしれない。今でもどこかの学校で教壇に立っていると思う。そして、その学校でも、たぶん・・・見ているだろう。

ちなみにそのころのうちの日民教室はけっこうすごくて、有名な人が出たりしていた。私の友人のその後のゆくえは知れないけれども。


2004/10/12「女がいる」

ダウンタウンDXで渡辺徹が語った奇談のひとつ。付き人が家に帰りたくないという。なぜかと聞くと、部屋に女がいるらしい、というのだ。自分は一人暮らしで、女なんていないはずなのに、友達が彼の家に電話をすると、女が「もしもし」と出るのだという。「おまえ同棲してんのかよー」とからかわれて、驚いて自分でかけてみると、留守電に切り替わった刹那、かちゃっと受話器を取る音がして、「・・・もしもし」と確かに女が出た、というのだ。渡辺さんはそんなバカなことがあるわけない、と自分の携帯で付き人の家に電話をかけた。すると何度か呼び鈴が鳴ったあと・・・

「・・・はい」

確かに女が出た。二人は急いで付き人の家に向かった。鍵をあけて薄暗い中に入ると、そこに女はいない。でも、何かむずむずするような、イヤーな感じがする。・・・押し入れからだ。

渡辺さんは押し入れをがら、っと思いっきり開けた。

女の首があった。

うわっ!!

のけぞる二人。でも、よくよく見るとそれは、マネキンの首であった。付き人は酒癖が悪く、よくこういう拾い物をしてくるという。マネキンの首を捨てると、現象はそれきりおさまったそうである。稲川話に箪笥の後ろの戸棚に隠された子供の人形が抜け出す話があるが、それにとてもよく似た話ではある。

「痰吐きおばけ」

この付き人、よく魅入られるようで、「痰吐きオバケ」にもあったという。夜中胸をボン、と叩かれて目を覚ますと、胸の上にオッサンが座っていて、ぐーっと、顔を覗き込んでいる。しばらくするとオッサンは立ち上がった。そして、流しに行って、カーッ、ペッ!と痰を吐いて消えた。

翌朝流しを見ると、大きな痰が流れずに残っていた。これは渡辺さんも見たらしい。

「イチゴ侍」

同じ時にもうひとつ奇妙な話をしていた。イチゴ狩りの夜、扉がすーっと開いて、とことことことこと、小さなサムライが、まっすぐイチゴを積んであるテーブルに向かう。そしてぴょん、と山に飛び乗ると、イチゴを両手でかかえ、おもいっきりガブッと食い付いたそうだ。翌朝、歯形の付いたイチゴがあったとかなかったとか。

いやはや、面白い人だ。


2004/10/12「顔でかい」

ダウンタウンDXで東幹久が言っていた話。子供の頃、家に一人でいたら、玄関の扉がかちゃ、と音をたてた。姉が帰ってきたと思って、おどかしてやろうと物陰に隠れたが、それっきり誰も入ってくる気配が無い。あれ、と思って不意に振り向いたら、肩口に、おっさんの巨大な顔が乗っていた!うわっと床に転げると、オッサンの顔だけが、見たことも無いような奇怪な表情をして、ぐいぐいと迫ってくる。とっさに伸ばした手の先に殺虫剤があった。それを取ってとっさにその顔に向けて殺虫剤をスプレーすると、オッサンの顔はふわっと上に上がると、天井に消えた。なんだかわからないものだったという。

ほん怖で、オフィスに一人残っていたOLが、机の下に異様な雰囲気を感じて覗き込んだら、巨大なオッサンの頭があって、にや、っと笑ったという話があった。


2004/10/12「日本兵がいっぱい」

グアムで中尾彬が10数年前経験した話。この人もよく見るらしい。夜ホテルで寝ていると、「パタッ、パタッ」と何か音がする。何かと思うと隣で寝ていた同行の人が、「中尾さん、来たね」と言う。はっとして入口のほうを見ると、日本兵が一人立って、敬礼している!ぎくっとしてベッドから床を見下ろしたら、兵隊が4人、床を這って匍匐前進していた!・・・グアムやサイパンではよくある話であるらしいが、森久美子も同様の経験をしたとダウンタウンDXで言っていた。ラバウルなんかにはこういう話はないのだろうか。松谷みよ子さんの著作に、南方に遺骨拾いに行った人が、足元の砂を集めると、小さな兵隊が沢山出てきて、わーい、日本へ帰れるぞ、と喜んでいた、という話があった。ちなみに自衛隊の先輩によると戦時中日本軍と米軍が激しく闘い、日本軍の全滅で幕を閉じたことで知られる小笠原南端の某島(自衛隊以外立入禁止)にはもう兵隊のオバケがうようよしていて、ノイローゼになる隊員も多いという。


 

2004/10/12「エレベーターはぎっしり」

ダウンタウンDXで森久美子が言っていた話。以前住んでいたマンションで、深夜にエレベーターに乗ろうとした。するとがーっと開いた中から、大人6人と子供が10人くらい降りてきた。驚いて叫び声をあげたら無反応でそのまま去っていった。空のエレベーターの中に入ると一人で一杯・・・確かめるとエレベーターは4人乗りだったという。この人はヨーロッパでもオバケをよく見たというからさしずめ昔で言う「見鬼」である。


 

2004/10/10「ハラキリ死刑あれこれ」

江戸時代のハリツケや火あぶりって、予め罪人を絞め殺してからみせしめ的にやったんだって。ハラキリも扇腹(刀を使わず扇を当てて腹を切ったことにする)で結局介錯人が首を落とす場合が多かったらしい。戦国の頃は立ったままハラキリして内臓を掴みだし投げ付けるのが戦場では普通、千利休は秀吉に自刃を命じられ、茶室に花を活け茶をたててのちハラキリ、内臓を掴みだし壁に引っ掛けておいたらしい。また、農民には帯刀が許されていなかったので、鎌腹といって農作業の鎌で腹をかっさばくようなことも行われたとか。いたそー。唐突だがチベットでは死刑用の籠があって、中に押し込めて崖から落としたらしい。また、川に沈めるというやり方もあったらしいけど、まるで鼠みたい。その籠がどこぞの民族学博物館にあるとかないとか。もっとも模造品らしいけど、よく怪談のネタにされてるそうです。 (某ブログより転記)


2004/9/25「カテドラル教会泣き石消滅」

「泣きモノ三題」でこの物件について書いた。私が行ったのは86年くらいのことなのでかれこれもう20年近くになる。簡単に語るなら現代的な大聖堂で知られる東京は文京区関口のカテドラル教会敷地内、ルルドの泉の右側の鬱蒼とした森の中に分け入ると、怪しい仏像と石碑があった。仏像は首がなく、かわりに長円形の石が載せられている。この首がわりの石を「八兵衛の夜泣き石」といった。文京区はかつてキリシタン弾圧の伝説を数多く持つ地であった。この近所にもかつてキリシタン屋敷があり、その近くに置かれていたものという。拷問にも屈せず改宗を拒んだキリシタンの八兵衛という男がいて、最後は生き埋めにされた。そのとき残酷にも天国へ昇ることすら叶わぬよう、長円形のこの大石を載せたというのである。それ以後、夜な夜な石からすすり泣く声が聞こえるようになった。また、人が「八兵衛苦しいか?」と石をこづくと、グラグラと揺れるという伝説が伝えられてきた。仏像は石と並置されていたものだというがはっきりしない。伝承をつたえる石版も立っていたように記憶される。

今日、ふと思い立って行ってみた。

ルルドの泉に向かった。そして驚いた。泉の右側には新しい司祭の家が立っていて、森は石積みと雑草の山になっていたのである。小さな石碑がふたつあったがそれはあきらかに違う。とにかく狭く、唯一森に分け入る小道脇の織部灯篭(江戸時代に愛でられた茶道様式の灯篭だが、胴部に両手を合わせた人物像が彫られ、全体の形が十字架様をしていることから「キリシタン灯篭」と呼ばれることがある)のみがかつての雰囲気を遺していた。聖堂の案内所で聞くと、よく聴かれるんですよ、と言いながら、もう20年も前のことで、誰も覚えてないんです、とのことだった。大司教館なら分かる人がいるかもしれない、とのことだったので、早速そちらを訪ねた。しかし出てきたおじさんも困った様子で、わからないねえ、と言う。ただ、この教会から他へ何かを委譲したことはないし、捨てることも絶対に無い、おそらく倉庫にしまってあるんじゃないか、とのことだった。

ああ、だめか。

と、おじさんがふと一言。「でもここ、元々移転してきたんだよ。小石川教会だったから、それもそちらから持ってきたもののはずなんだよね」

小石川!そうか、忘れていた。小石川はキリシタン弾圧の本場だ(どういう意味だ)。そうか、あっちにあったのか。

ならもう、2度も3度も動かされ・・・土の下の八兵衛はもう、どこに埋まってるんだかわかりゃしない。ましてやぐらぐら揺れて泣くこともあるまい。天に昇って今は安楽に暮らしていることだろう。

そんな物件にはもう「かつてこういうことがあった」という話ししか残らない。実物を見たところで仕方ないだろう。

私は最後に再び森に入った。ふと足元に一抱えくらいの石が目に入った。形が違うのでたぶんこれじゃないだろうが、まあ、これと信じて写真でもとっておくか、とシャッターを押した。遠く聖堂からオルガンの音が聞こえてきた。手持ちぶさたになった私は胸突坂を永青文庫へ降り、国宝の人斬り包丁をいくつか見て(ほんとに包丁のように寸胴なものもあった!)、椿山荘をぐるりとして帰途についた。伝説物件は儚い。行かないと一生見られないものもあるかもしれません、ソレ好きのかたはまだ行ってないところがあったらそっこ行きましょう。

(後記)夜泣き石は現在小石川のキリシタン屋敷跡に戻されているとのことである。最近の雑誌で知った。

PS

銀座で飲んだら酷く悪酔いした。ビール2本でゲロゲロになり、翌日頭が痛くて一日寝た。体調のせいかもしれない。でも、私は確かにアレを見た。銀座の交差点を歩く、泥だらけの兵隊の列・・・。ぞろぞろと5、6人の兵隊が、平然と列を作って歩いているのだ。え、と思って振り向いたら・・・その一人の背中が透けて、むこうの女性の黒い服が見えていた。あ、ヤバイ!その列の先頭を目で追った。するとそこには紺の服を着たぱりっとした老人がいた。白いソフト帽を被っていた。しかしそうとうな年であることはその杖の突き方でわかる。ああ・・・たぶん戦友か・・・それとも戦後遺骨拾いで拾ってきたのか・・・それとも上官一人生き残って、部下が死んで・・・・と一瞬のうちに想像を巡らした刹那、最後を歩いていた軍服の男が、がっと振り向いた!目がまっ黒かった!・・・・そんなことがあったわけで、いわゆる死者の毒気にあてられたんだろう、と思った。今日カテドラルへ行ったのは、そいつを払う目的もあったのでした。


 

2004/9/23「記憶」

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ついてくる

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人手蟲

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腕呑む犬

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佇む影(西表の爆死者)

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 〜あとで聞くと、この前の海で戦後、残った弾薬を使って爆弾漁をしていた男が誤って自爆し、バラバラになって死んだという。


ハンドルを握る手

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揺れるハンケチ

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肩甲骨から入るもの

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電柱の上

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蒼い影

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カーテンの下の手

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歪む女

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by r_o_k | 2017-08-12 12:18 | 鬼談怪談

奇談つれづれ(2005/5/12-6/17)「穴」〜「カテドラル教会逍遥~八兵衛さんどこ?」

「百鬼夜話」の続きとして書いていたものですが、こちらも並行してホームページから転記していきます。ネタ的に懐かしいもの、今の感覚で言うとちょっと筋通せ的な引用記事もあるやもしれませんが、まあ、百鬼夜話よりは読みやすいかと。お盆記念。なお、記事は書いた時点のものですので、ネタはまだ続いている可能性があります。画像は一部削除している可能性があります。

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2005年06月17日
カテドラル教会逍遥~八兵衛さんどこ?

再度昼間時間をみて二駅先の東京カテドラル関口教会に行き、茂みの中の石塊群の中に八兵衛石がないか探した。いくつか文献をあたってみて、ネットでも見た結果、三尺余り即ち1メートルくらいの高さのひょろ長い石碑のようなものが正解らしいということがわかったのだが、そういう石は小日向の切支丹屋敷跡にはなかった。破壊されていたとすればカケラ的なものはあったのだが、それもそうであれば理由が伝えられているはずで、一時安置されていたこの教会にも現場にも一切逸話が残っていないのは不自然だ。たとえば破壊して八兵衛を無事昇天させた、とか。



関口教会にうつったのが恐らく昭和30年代(今日の話しでは小日向にあったカトリック教会を吸収したときに一緒に持ってきた、という経緯はなさそうで、遺構というか石だけ運ばれたっぽい。ちなみにシドッチさんの埋められた大木あともあるということがすぐそばの目白台図書館の本に書いてあった)。そのときは確かにあり(写真も残っている)、しかしリッパなモダンなカテドラル大聖堂が作られ、石のある茂みから向かって左脇にルルドの泉が作られたあと、何故かいわれをしるした御影石?の石碑(小日向に現存)の脇にあるのは三尺の大石ではなく一尺にも満たない石仏の頭に小石を載せたもの。昭和60年のガイドブックには既にこちらのほうが掲載されているからその間に何かあったのだろう。昼に新宿の古本市で「東京戸板がえし」(1990くらい)を再度手に入れたが、その写真では頭石が落ちた石仏が載っている。



売店のかたにお話をそれとなく伺ってみたのだがストレートに怪異物探索とは言えず切支丹弾圧を調べているキリスト教者(ウソではない)ということで無い知恵を振り絞ったら、なんだか親切にしてくれて、いつのまにか切支丹山屋敷における弾圧の実情と明治以後のカトリック復権、そして現在カトリック教会が無いのは何故か、なんてほうに興味がシフトしてしまった。個人名は避けるが偉いかた三人くらいが詳しいので聞いてみたらと言われたが、会社を抜けてきてる(休みはとったが)以上カテドラルにおいては今日はそこまで踏み込めなかった。切支丹弾圧本を一冊取り寄せお願いしておいたが、最近じつは同じ調べ物をしている人が多いようだ。途中でピンときたらしく、ああ、切支丹灯篭のこと?と聞かれてしまったと思った(このへんの経緯は昔のブログか本サイトの日記を見て)。まあマジメなカトリシアンは別にして怪異マニアだったとしたらご苦労なこった。私は怪異も宗教も文学も歴史もごっちゃになった個人的興味をもって、今後50年くらいかけて突き止めようと思っているので、とりあえずこのへんにした。個人的興味といってもあくまでまじめだよ。

元石の写真の載っている本、コピーはあるのだが掲載するにはコピーじゃ辛いので現物が手に入ったら本サイトのほうに載せておこう。ついでに切支丹屋敷の配置図対照や異説なども、のちのち整理して本サイトのほうにのせていきたい。切支丹坂のほんとうの場所といって書いてあったのは屋敷跡石柱の前の道だった。やっぱり土地が平らにならされて本当の場所がずれてしまったらしい。



上の写真は今の茂みの状況。前に書いたとおり茂みのかなりの部分が司教の家建築のさいに失われており、今はその建物とルルドの泉の間に、雑多な石がごろごろして、二つほどの石碑(ひとつは大正時代、もうひとつは新しい。前者は時代的に違うが後者は土台になっている石が若干怪しい)と、山ほどの石くれが積んである。

なんか怪しい根の深そうな石。頭部分?

教会ではこの切支丹灯篭だけが残り香として認識されているようだが、織部灯篭ともいうこの形は必ずしもキリスト教とは関係なく、ただ文字と祈る像と十字架的な形だけが大名屋敷の灯篭様式にファッションとして取り入れられたにすぎない説濃厚。但し、文京区にはかなりの数分布しているということを考えると、ひそかに信仰していた大名もいたという想像を掻き立てられなくもない。


2005年06月16日


轢き逃げ地獄
 

ああねえ、クルマ、調子こいて乗ってんじゃねーよ、と思うことが多い。ワカモノの無茶な暴走よりオヤジの傲慢なマナーが目に余る。仕事だから許されるなんてことはない。人轢いたら因果、当然だ。昨日の関西の、交通整理のおじさんを轢き殺して逃げた盗難車、事故って死んでるのが発見された。ニュースの短文では、なんか脱輪しただけで死んでいたように読みとれて・・・もちろんそうではないのだろうが・・・人殺して逃げたら自分に反ってきた、そんな事件に感じられたのでここに書き留めておく。轢いたのも轢かれたのも壮年のおっさん。二人もいのちが消えた。ただクルマのために。

生々しい人死に事件は風化するまで書かないポリシーだったのですが、今日はなんとなく書いてみた。


2005年06月15日


怪談会の怪異
 

・・・震災の前であった。白画堂の三階で怪談会をやったことがあった。出席者は泉鏡花、喜多村緑郎、鈴木鼓村、市川猿之介、松崎天民などで、蓮の葉に白い強飯を乗せて出し、灯明は電灯を消して盆灯籠を点け、一方に高座を設けて、譚をする者は皆其の高座にあがった。

数人の怪異譚がすむと、背広服を着た肥った男があがった。それは万朝報の記者であった。

「此の話は、私の家の秘密で、公開を禁ぜられておりますが、もう時代もすぎましたから、話してもいいと思いますから話しますが、これは田中河内守を殺した話でありますが、それを殺した者は、私の祖父・・・」

と云いかけて詞がもつれだした。一座の者はおやと思って記者の顔へ眼をやる間もなく、其の記者は前のめりになって高座の下へ落ちたので、怪談会はしらけてしまって、未明までやるはずのものが、一人帰り二人帰りして、十二時頃には何人もいなくなった。そして、其の記者は脳溢血のような病気で、三日ばかりして歿くなった。これは市川猿之介の実話を其のまま。

(田中貢太郎「日本怪談実話」)

・・・久し振りに引用モノを。「全集」と違い、短い怪談が脚色無しにひたすら羅列されているさまは壮観であり郷愁でもある。新しい読者は新耳袋を想起するかもしれないが、我々の世代だと中岡俊哉さん、多彩にいろいろ書いていたけれども、虚実入り乱れの短い怪談を集めた心霊本は元祖ミステリースポットガイドブックであるとともに仲間内の怪談会データベースでもあった。講談師の家柄というからさもありなん、言葉の巧みさは子供を震え上がらせるのに十分なものがあったが(見てきたような嘘を言うという点でもね)、元はといえば怪談王田中貢太郎綴るこのような怪談収集本の形態がベースになっている。イマオさん(イワオさんじゃない)あたりの心霊本とも通じるところがあり非常に面白い。もちろんワンパターンが多いし、脚色が無いせいでネタ的に今一つ食い足りないものも多いから飽きもこようが、今とそんなに変わらない都市伝説が語られていたのだなあ、という感慨も受けるし、大正昭和初期の風俗がまた郷愁であり、その中に自分がいて、生のゴシップ情報を聞かされているような錯覚が味わえる。江戸怪談の残り香も感じ取れる。病院で天井に張り付く老婆を追い払ったら隣の部屋の病人が天井を指差しつつ死んだ、なんて昔引用した「官人天から降りる」の話の焼き直しのようだ。死に神のありふれたパターンではあるけれども。

しかしこの話、まさに「ノロイ」なんだけど、結局何だったのかわからないところが面白い。こういったパターンは意外とあり、山岸涼子さんの実録怪談マンガにも、奇怪な台詞を言って消える人影の話が出てくるが、これも隠喩的な状況以外意味は一切わからないとされている。怪談会での脳溢血、偶然と片づけるのはたやすいがそこを怪異をみなすところに人間の心の妙がある。江戸時代に横行した呪いは開化後久しくしてこんな断片的な形で生き残っていた。ひょっとしたら今も、あすこの横丁は人がよく死ぬ、とか、うちの家系は家長が必ず40で死ぬ、という話がたまに聞かれるのは、そういう偶然の不幸の形をとって、大昔の「呪い」が続いているためなのかもしれない。理由が失われたまま、唯呪いだけが。


2005年06月14日

オクラホマでもミステリー・サークル・キノコ
 

異常気象なんですかね、「菌輪(菌環とは言わないそうです)」がオクラホマでも見つかりました。ロマン派っぽく「妖精がオクラホマでも饗宴を」とか書いたほうがいいのかな。

Area resident awakens to circles on his front lawn
6/8/2005


文章は省略。ちょっとまじめに調べるとなんか結構普通の現象みたいで、たとえばココでも芝生に害をあたえるものとして紹介されています。ちなみにちゃんとフェアリー・リング(妖精の輪)と呼ばれているそうで。シバフタケ Fairy Ring Champignon (Marasmius oreades)なんてまさにそのとおりの名前のものまである。水で茶色く変色するんだって。うーん、無知でしたあ。あくまでキノコが同心円状に拡がって生えるという状態を中心に説明してますが、キノコは菌類が胞子を振り撒くために形成するものですからね、基本的には一緒です。身近な例で言うとマツタケは赤松の周りに円環状に育っていきます。だから一本見つけたら同心円状を探すと他にも見つかりますね。赤松の本根から土中放射状に伸びる菌糸の上に等間隔で顔を出すためリング状に見えるわけです。濃緑色の菌類というまさに前の報告で出てきたものも(ちょっとわかりにくいですが)写真が載ってますので興味のあるかたは見てみてください。芝を枯らす病気というところが前の報告の「寧ろよく育つ」という点と矛盾するため引っかかりますが、条件によって違うのでしょう。こちらにも病気の一種として書いてあります。そういえば世界最大のキノコがシベリアで発見、という話もあったな。あれも菌が土中で根を張ったのが物凄い広大な範囲という話しだった。普通に半径300メートル重さ100トンに及ぶものがあるそう。菌根菌と呼ぶのですね。モンゴルの壮大な菌輪についてはココこりゃ遠目には宇宙人のしわざに見えてもしょうがないわ。モウコシメジという種類だそうです。↓



なんだかガッカリニュースが続いてしまった。

またもや誤認チュパカブラか?

チュパカブラなんてそうそういないですわ。というか、殆どがイメージ先行で一部ビジネスになっちゃってる。だいたい中南米ならともかくアメリカで本当に現れたら大事でしょうに。

チュパカブラ、南テキサスに舞い戻る
CHUPACABRA BACK IN SOUTH TEXAS
Posted June 13.05
(Original headline: Possible Chupacabra Sighting )

またミステリー・ビーストが南テキサスで見つかった。ある者はそれがチュパカブラではないかと言う。

最初の目撃は昨年エルメンドルフElmendorfでであった。今、サン・アントニオの東にあるルーリングLulingの男性が、ミステリアスな獣をビデオテープに捉えたとNews 4 WOAIに語る。

クリス・コーブルは友達とドライブしているときにそのクリーチャーが藪の中から飛び出したのを見たという。

道路を走っているとき彼がそれを見つけた。恐らく道路から30ヤードくらい離れていたという。コーブルは友達に呼びかけた。彼らはルーリング近郊の森林地帯にいた。

それは体高3フィート、毛はなく、胴長で猫背だったという。

彼はビデオテープをNews4WOAIに持って来た。 ビデオテープを見ると、その動物は犬かコヨーテのようにも見える。しかしコーブルはそれがチュパカブラかもしれないと言う。

エルメンドルフのある牧場主は昨年ミステリー・ビーストを彼の牧場で目撃したと主張した。そのビーストはDNA鑑定で却下された。

News 4 WOAIはルーリングの動物に関する最新の報告について野生動物専門家に話を伺った。

これは全然チュパカブラではないと思う、とNatural Bridge Caverns Wildlife Ranchのティファニー・ソーチングはコーブルの生物について語った。毛の問題を抱えた犬ということに落ち着きそうである。

ソーチングは以前これに似た動物を見たことがあると言った。コーブルは「ビースト」が狼との混血に似ていると語っている。

 

2005年06月13日

首なしの隣人
 

なんとなく昔のX51の記事を読んでいて気になった事件があった。これは一般のニュースでも報じられたものである。

<以下引用>


助手席に座る首無しの友人に気づかずドライブ 米


【Reuters】米ジョージア州の男性が運転中事故にあい、助手席に座っていた友人の首が千切れるも気づかず、自宅までドライブ、そのまま就寝していたとのこと。翌朝になり、隣人が車の窓から身を乗り出した状態で血まみれた首なしの遺体を発見、通報を受けた警察がかけつけ、泥酔したままベッドで熟睡していたジョン・ハッチャーソンを逮捕したという。

警察の調べではハッチャーソンはその日、(死亡した)友人と共にアトランタ郊外のバーで飲み明かし、明け方になって泥酔したまま車を運転。

そして自宅に向かう途中、路肩の電柱に激突したことを供述したという。その後、警察は供述通り、事故現場付近から死亡した友人の首を発見したと発表している。

警察は泥酔での運転が今回の事故要因である、と話しているとのこと。


<引用オワリ>

これ、昔よく聞いた「サンルーフから首を出す子供」の話しだよな。都市伝説と言うには余りにリアル・・・というか本当の事件らしいけど・・・で凄惨。今、探偵ファイルやってるガルの本で仔細に調査されていた(あれの信憑性云々はわからんが)。低い陸橋の底に声も出さずに首を飛ばされてしまった不注意な子供の話、これの源流は「あくまで伝説と考えれば」バスの窓から手を振っていた子供が路傍の何かで手首を飛ばしてしまった、だから窓からは絶対に顔や手を出さないように、という半ば教訓めいた話だと思うが、そもそも気が付いたら「首がない」という話は江戸時代まで遡ることができる。これは都市伝説に焼きなおされ怪談として語られる場合も多いのだが、疲れた農婦が泣く子をおぶって山道を歩いていた。片手には草刈り鎌を持っている。ある場所で農婦は藪だか枝葉だかに行く手をふさがれる。そこで鎌を振り上げ、それらを薙いでいったのだが・・・気が付くと子供の声がぴたりと止んでいる。



振り向いた農婦の目には、首のない子供が肩にのしかかっている姿がうつった。

鎌を振るったときに子供の首をも薙いでしまったことを知った農婦は狂ったようになり、やがて発作的に路傍の木に首をくくって死んでしまった。以後この不幸な農婦親子のために地蔵が建てられ菩提が弔われるようになった。。。

・・・ま、本人首括ってるのになんで子供の首を狩った事実が知れたの?とかいう矛盾点は置いておこう。私の話もうろおぼえだし、バリエーションは無数にあるから何か合理的な説明のつく正解が別にあるかもしれない。

首がない、というのは古今東西物凄く奇怪で凄惨な状態とされてきた。あたりまえだけど、首なし死体というのは手首なし死体よりニュースになる。身元がわからなくなる、という証拠隠滅的オトナの理由により首を消すという現代の合理的理由はさておき、特に子供にとっては首=顔というのは「人間の全て」であり、それがなくなることは人間自体がいなくなるか、もしくは「人間でなくなるか」ということを示している。それは異常であり、異次元の事件のような不可思議な印象をあたえるものだ。プリミティブで子供めいたのが伝承(現代都市伝説も含む)の特徴、「気が付くと首がない」という単純な話が古くから取りあげられ続けてきたのもそのせいだろう。事実かどうかはそこではあまり重要視されない。事実っぽい、というだけでOKだ。また教訓なんかなくてもいい。「首がない」ことが全てなのだ。

「首なし武者」「首なし騎士」「首なし馬」・・・古今東西怪奇伝説の主要な登場人(馬)物だ。それらが単純に首を狩られたから首がないとするのは早計だろう。首や顔がないというのは「この世のものでないものになる」ということの象徴である。顔を見せたがらない死者というイメージは今も心霊を語るときにしばしば聞かれるものだが、首なしライダーの出没する街道も死亡事故はあったものの実際に首がとんだ事件は果たしてあったのだろうか。それは「この世のものではないライダー」を象徴する見え方として、既に話者の脳内に構築されたイメージにあてはまる「何か」があらわれたにすぎないと私は考える。

・・・あれ?なんかクドクドしてしまった。

 

空からなんか落ちてくる

氷塊ドカーン!屋根に大穴…航空機から落下か

 13日午前8時5分ごろ、栃木県佐野市犬伏下町、無職青木チエ子さん(64)方から「空から氷が落ちてきて、屋根を突き破った」と110番通報があった。

 佐野署で調べたところ、屋根に直径約50センチの穴が開き、4畳半の居間に拳大の氷塊が落ちていた。近くのファンヒーターや茶だんすなどが壊れていた。

 近所の人が12日午後1時ごろ、「ドカーン」という大きな音を聞いたといい、同署は、航空機から氷塊が落下した可能性があるとみて調べている。青木さん方は同日夜まで不在で、けが人はなかった。
(読売新聞)

よくある話ではあるが、

「ドカーン」

という擬音に惹かれたので引用してみた。飛行機に貼り付いた水分が氷塊となって剥がれ落ちる、もしくは汚い話だがトイレの故障で異物が落下、凍ってドカーンというのはよくある話。中には飛行機も何も飛んでないのに大きな氷が落ちてきたという事件もある。多分隕氷だろうという結論になったか。イギリスの老婆やオーストラリアの子供が立ち上がったところに隕石落下、難を逃れたという事件も記憶に新しい。車が飛び上がって民家の二階を直撃した事件もあった(写真)。これらはX51に載ってるので興味があれば。



湖や海の水が竜巻で吸い上げられて、「魚」が降るという事件も聖書の昔から繰り返し報告され続けてきた。しかしこちらは気温等環境上の問題からとても生きてはおれないはずなのに、生きたままの魚が降るという例も少なからずあり(日本でも江戸時代に報告がある)単純な「吸い上げ落とす」というパターンでは説明しきれないらしい。蛙も石も時には破壊された生物・・・血や肉・・・も降る。これらはX51の過去記事に載ってるので興味があれば。

空から降るものとしては他に聖書の昔からマナなどと呼ばれる甘いネトネトが「神の食物」として言い伝えられてきたが、これは何らかの生物学的現象、少なくとも自然現象で説明がつくらしい。翻って日本では、何故か「墨汁」が降るという現象が報告されている。いずれ別項でまとめようと思うが(といっても二例しかないけど)、仏教的もしくは心霊学的説明がつけられているそれらの現象、何か火山活動や隕石落下などの自然現象で雨に黒い物質が混じったのか・・・まさか原爆ではないだろうが・・・興味あるところだ。


2005年06月10日

超古代遺跡を衛星で解析しよう!

このサイトでアメリカのアンジェラ・ミコルさんが提示している画像は、衛星写真を「精巧なソフトにより精度をより高め、珍しいパターンを抜き出して掲示」したものだそうである。ようは昔はやった月の表面にピラミッドが!とか、火星の表面に人面岩が!といった「やりかた」を地球に適用しているのである。それらよりはよほどマジメに行われていて、フロリダに見つけた「大津波に襲われた古代住居跡」とか「ミノス島のアトランティスの遺構」や「ギザのピラミッド近くに見つけた人面パターン」など、なかなか面白い。これが正しいのか「アート」なのかということにかんしては見た者が判断すればいいだろう。ここにはアンジェラさんのサイトへの導入口だけを設けておく。

三角プロジェクト↓

火星の人面岩↓

福岡ムーミンの木?

昔、人面ブームというのがあった。人面犬、人面魚に端をはっし、そのうちカメムシの背に人面が!呪い!とか、蜘蛛の背に人面が!恐怖!とか、蟹の背に人面が!平家!とかなんでもかんでも自然のフシギをオカルト流に騒ぎ立て、私もうっかり人面本を何冊か買ってしまったおぼえもあるのだが、そのうち派生した「目の生える木」(街路樹の枝の落ちた跡が「目」に見えるだけだが、夜中にしゃべる声が聞こえるとかわけのわからぬ噂がたった)などといったもう小学生の読む図鑑に出てくるような幼稚な科学まで無視したものが出てくる始末でどっちらけて終わった。人面魚も元祖はとっくにお陀仏で今別の人面魚が各所に細々生き残っていると言う。

日本人に限らないが古来人間は自然の姿に人間を見てその名をつけたりしてきた。いや、人間には限らないが、たとえば東海のほうに鮒の形をした鮒石というのがあるが、横にして見ると翁の笑う顔に見える。これは瑞祥とされ古くにまつられたものだ。

だが、そんなものに見立てるかー!!というような奇怪な見立てをする人もいたりして、これだから面白いのだが、朝日。

「ムーミンの木」、境内のクスの木 地域おこしに活用も

:クスの根本から約2.5メートル付近にできている「ムーミン」こぶ=福岡県古賀市青柳の五所八幡宮で

 福岡県古賀市青柳の五所八幡宮に、「ムーミン」が現れた。実は境内にそびえるクスの木の幹にできたこぶ。背中を丸めてしがみついているように見える。地元では3日、世界的な人気者に地域おこしの手助けをしてもらおうと、全国のファンを呼んで交流会を開く。

 木は推定樹齢千年で、高さ約40メートル、幹回り約10メートル。こぶは根元から約2.5メートルの場所にある。下ぶくれの顔に短い腕、丸いお尻のムーミンに似た形だ。

 昨年12月、地区の活性化をめざす団体が視察で同神社を散策した際、市外のメンバーの一人が気づいた。「あれ、ムーミンばい!」。宮司の渋田直知さん(63)は「子どものころからこぶを見ていたけど、ムーミンとは気づかなかった」。

 さっそく地元の人たちが、ムーミンの木にあやかって何かできないかと動き出した。5月に「青柳む~みんの樹交流会実行委員会」をつくり、ムーミンにちなんで6月3日、木を囲んだ交流会を開くことを決めた。


 青柳地区は江戸時代に唐津街道の宿場町としてにぎわった。実行委の山鹿肇雄さん(64)は「ムーミン談議に花を咲かせながらいろいろな人と交流し、地域おこしのきっかけにしたい」。

 交流会は午後5時半から。ムーミンが好きな人なら誰でも参加できる。参加費は男性1000円、女性500円、子ども無料。問い合わせは五所八幡宮(092・942・2344)へ。

・・・ムーミンの呪い。確かに奴は妖怪だ。けど、フーミンの呪いならありそうだが、ムーミンがしかもよりにもよって福岡を呪うなんて。はるばるフィンランドから何を思ってこの木に宿りに来たのか不明だが、問題は作者トーヴェ・ヤンソンさんが一連のムーミン作品を手がけ始めたのは1945年であったということである。

この木、どう見ても1945年以前に生えている。

ムーミンは古い伝説に基づいている。であればムーミンという名前はともかく、フィン族が語り伝えてきた古い妖精トロールの一人が、遠い昔に来日して(恐らくスカンジナヴィア半島からロシア・シベリアを横断し朝鮮半島から福岡へ渡ったのだ)、この木の胸に抱かれて眠ってしまったら、うっかり樹皮に覆われて動けなくなったのだろう。

・・・・・・・なわけあるかいな!

 

おめでたい海苔仙人魚

亀の年長ずれば背に毛が生える。浦島子の助けた亀は毛の生えた大亀。古亀の背に毛即ち緑藻が生えて髭の如く後ろに垂れるさまは長寿のしるしとして稀に見る瑞祥とされてきた。しかし頻繁に動く魚に藻が生えるのはそれにも増して珍しい。ウロコに異物の生えるのは病気の一種ではあるのだが・・・毎日の雑記帳より。

緑色の付着物に覆われた「仙人魚」 鹿児島で話題



◇鹿児島県長島町の小浜川河口で、緑色の藻のようなものに覆われた魚が見つかり、地元の人たちに「仙人魚」と呼ばれ、話題を集めている。
◇外見や、河口を泳ぐことからボラとみられる。体長は約40センチ。4、5匹の群れの全身や一部が緑色の付着物に覆われている。頭付近のものはひげや毛髪に見え、仙人のよう。
◇葛西臨海水族園(東京)などによると、繁殖期のアオノリの胞子が付着したのではないかという。悠々と泳ぐ姿と縁起よい名にあやかり、手を合わせて祈りたくなる?【松谷譲二】(毎日新聞)

・・・亀の場合は「緑毛亀」「緑藻亀」「蓑亀」などと呼ばれる。ここに詳しいのでよろしければ。仏教の教えと絡められることもあり、吉兆亀、霊亀とも呼ばれるも実は自然にあるもので、平安神宮などにもいるそうだが、元はといえば中国伝来の呼び名、そのとき酒好きという属性もついてきた。種類としては石亀が多く、藻は酸素呼吸の助けになり、また外敵から身を守るのにも役立つものと考えられている。勿論生き物だから飼い方によっては藻が取れてしまったりもする。そこでわざわざ亀に藻を植えて育てるのが中国でも江戸でも流行ったそうである。人工的に瑞祥を作り出す感覚は近代のものだ。今回の仙人魚は自然のものであり、瑞祥と考えればきっと瑞祥になるだろう。人の想いは案外届く。



だが問題はこれが藻ではなく海苔ということである。

食うとうまそうなのだ。ボラは食える。自然海苔巻と考えればこのまま炙って食べたらさぞかし香ばしいことだろう。


2005年06月09日

土俗と幻想の狭間で
 

怪談は苦手だ。

というか、土俗が苦手だ。土俗の匂いを嗅ぐと気持ちが悪くなる。因習、迷信といったものはこの現代社会においても頻繁に顔を出し当然のように振舞う。いくら非科学的であっても誰も抗わず従っている。それが怖い。

怪談と言ったが小説的な怪談は面白い。読み物だから美文や形容をもって真綿にくるまれている。江戸時代の奇想天外なホラ話を読むのも面白い。

剥き身の怪談が苦手なのだ。何のフィルターもかかっていない、頭に突き刺さってくるような痛覚を伴う怪談。それは残酷であり、率直であり、人間の深い闇を覗き込んでしまったようなたびたびの後味の悪さがある。

ここのところお上品に読書なぞするのだが、土曜からずっと体調を崩していることもあり長いものは読めない。従って資料的なものとか、どこから読んでもいいようなものを読むことになる。怪奇幻想好きを自認する以上あるていどは怪談本も読んでおかないと、と思って田中貢太郎氏の所謂「実録物」の掌編集を読んでいたものの、イイ噺にかぎって小説として読めてしまうものだから、勿論面白いのだけれども、肌身に迫る真実味と言う点では今ひとつの食い足りなさが残る。墨黒金眼の化生蛙が子供を呪い憑り殺す、余りに物語的な道具立てだ。

そこでふと柳田国男氏他の収集した伝承資料集なぞを手にしたわけである。そこには全国の剥き身の噺が整然とあいうえお順で並べてある。場所や由来などには拘らない。全てはバラバラにされ、解体され、ジャンル分けされてはいるけれども、ひたすらに「あいうえお順」なのだ。

怖い。

これはまるで解剖室で腑分けされた死体だ。臓物を整然と並べ一つ一つ指差して「これは~、これは・・・、」というふうに説明されているような怖さだ。漂白された死体の細部を観察させられる怖さだ。

こんなことをしてはいけない。

その僅かな文字のカタマリのひとつひとつから土俗が匂ってくる。剥き出しの土俗だ。千人殺したから千人塚だ。斬ったばかりの女の首が棒刺しで立っていたから首ケ谷だ(うろおぼえなので追求しないように)。そんなノリで短文がただひたすら、「あいうえお順」で並んでいる。

熱が出た。蒲団からふと目を上げると足元にカーキ色の子供服を着た痩せた青年が立っている。おまえ関係ないやん!

 

バラバラの人

exciteびっくりニュースから。

空からバラバラの死体が降ってきた!
[ 2005年06月09日 05時29分 ]

[ニューヨーク 8日 ロイター] 7日、ニューヨークのJFK国際空港に向かう旅客機の車輪格納部からバラバラになった人間の身体が降ってきた。

ニューヨークおよびニュージャージー港湾局の広報によると、米税関検査官が、ヨハネスブルク発の南アフリカ航空(SAA)203便がニューヨークに着陸後、午前7時30分ごろ男性の身体の残りの部分を発見した。

SAAの女性広報担当は、遺体は密航者の物である可能性が高いという。同便はニューヨークに到着する前にダカール、セネガルに着陸している。

ニューヨーク州ナッソー郡のケビン・スミス刑事巡査によると、機長は離陸時に振動を感じたが、検査の結果、何も不具合は発見されなかった。

フライトの間、機長はさらに「振動を感じ、何かが打ちつけられる音が聞こえたが、機体には何の異常も認められなかった」という。

警察によると、右足、背骨の一部、腰などのバラバラになった身体はニューヨーク州サウスフローラルパークにある民家の屋根を直撃、その後、裏庭に落ちたという。

[日本語訳:ラプター]

・・・可哀相だけど、これを読んで思い浮かぶのは、インド魔術最大の見世物、ロープ魔術のこと。

広場でロープを宙に投げると空へ向かって直立。魔術師の助手の男の子がするする登っていく。見えなくなるまで登っていくと、急にバラバラ降って来るのは男の子のバラバラ死体。おおっと観衆が引くと魔術師はそれを集めて布で覆う。ちちんぷいぷいアブラカダブラとは言ったか言わないか、布を外すと少年は見事繋がって立ち上がる。拍手喝采。

「魔術」である。アーサー・C・クラークはロープ部分だけであるが映像を見てトリックの証拠を見つけられなかったと言っていたそうだ。数学でこれを解いたという本*も話題になった。まあ、奇想天外サーカス魔術バリバリだから、全部タネはあるんだろうけど、最近は見ない。できる魔術師がいなくなり、継承もされなかったのか。

*「数学はインドのロープ魔術を解く―楽しさ本位の数学世界ガイド」
デイヴィッド アチソン[著]伊藤文英[訳]
出版社:早川書房
価格:588円(税込)
(強振動によりロープを立たせるって、理科男さんの本みたいなノリだな・・・)

男の子がバラバラで落ちてくるってのはどこからきた発想なんだろう。中国の古い噺に出てきそうな感じだ。実際目の前にリアルでそれが起こったらそりゃいくら前近代の世の中であっても残酷感は凄いでしょうね。現代にそれが起こった。彼の体は機内にも一部残されていたというが、全部集めて布をかけたところで、そこには無残な肉の集積体しか残らない。

幽霊飛行機にならないことを祈ります。

2005年06月08日

テキサスのミステリーサークル?
 

昨日のソルズベリー(Salisburyと綴ってあるのでサリスビュリーと呼ぶべきなのか?)のキメラの元記事、削除されてたのは単にそういう仕様なのかな?復旧するかもしれないのでリンクはそのままにしときますが、ちなみにこの記事を見つけたのはココです。情報が早いっす。削除された記事もこちらには残ってますのでどうぞ。

ところで私のサイトが会社で規制されているところがあるとか。あれ?最近はぜんぜん宣伝してないし、敢えて方々に露出しないようにしてアングラ的な色を出そうとしてるのに、キーワードでひっかかったのかな?ちなみに分類は「カルト」・・・うーむ(泣)せめてオカルトならわかる。

今日もこのサイトで拾った記事を書きましょう。

「ミステリアス・サークル~男性、自分の家で奇妙なリングを見つける」
by ピート・ケンドール Hood County News 2005/6/1

テレビのSFチャンネルではUFOとは未確認飛行物体unidentified flying objectのことを示す。テンプル・ホール・ハイウェイではUFOとは未確認のキノコの奇妙な物体unidentified, fungal and oddということだ。ブルース・ルステンハウアーの土地は黒くて茶色くて灰色の丸いモノを生み出した。その輪はほぼ完全に対称的であり、直径16フィート。目で見た感じでは草が燃えたように見える。これは外宇宙から来たもののようだ。もしくは州外から来たものの。

「たぶん地下で小さなアリンコ人間たちが地下核実験をやってるんだな」ルステンハウアーはにやりと笑って言う。彼は真相を解明する気はないので掘らないと語った。

「シャベルを使うのがあまり好きじゃないんだ」

彼がこれを最初に見つけたのは日曜の朝だった。「黒い半円だったよ、丸の三分の一くらいかな」彼は語る。

火曜日の朝までには別のサークルが中央に形成され始めていた。メディアが観測にやってくるともう完全な円だった。「月曜には黒かったんだよ」ルステンハウアーは語った。「(火曜の)朝、灰色と暗い茶色に変わったんだ。今はもう三分の一は茶色かな」

それは菌類かもしれない。苔かもしれない。

「草の中に粉みたいな物質があるんだよ、こんなもんは今まで見たことがない。苔のカタマリは見たことあるけど、こんなサークルにはなってなかった。草を枯らしているようには見えないし、この粉を通ったことでむしろ元気に成長してるみたいだ。草にはどんな被害も与えてない。違う種類のものだろう。」

隣人たちはこの奇妙なものをじろじろ見るために立ち寄っていく。彼らは何と言っているか?

「それはそれは馬鹿げてますよ」ルステンハウアーは言った。農業相談員マーティ・ヴァーレンカンプは、彼のオフィスに雨後の苔と菌類に関する報告が来ていると語った。事実最近適度な降水があったのである。彼は、苔や菌類が輪になって成長することはありうると語った。「あるものは輪になる。あるものはならない。」

ルステンハウアーは最近別の”環境問題”に取り組んでいる。

「貯水槽の中で魚が死んでたんだよ、先週ポンプを入れようとして見つけたんだ。思うにこれは水面に張る苔のために”酸素欠乏”を起こしたんだな」

恐らく”惑星間菌類”のせいではない、とルステンハウアーは語った。

「おれはUFO本なんて買わないからわからん」

Pete Kendall can be reached at (817) 573-7066, ext. 248, or e-mail pkendall@hcnews.com

・・・この話を受けてHood County News読者のボブ・トーマスがfarshores.orgに送ったメールでは、アトランタのラジオ番組でもこのことが放送されていたという。彼は菌類に間違いないとサイトのURLを送ってきた。forteantimes.comによればこれは「菌環」と呼ばれるものだそうだ、草の上に暗い緑色をして円形をなすものだと書いてあるけどこれって結構有名です。クマグスの国だからな日本は。ここにでも興味深い見解として、イギリスで言われる「妖精の輪」というものはこの菌環と思われるということが書かれている。妖精が真夜中のダンスパーティを行った輪っか、ラフカディオ・ハーンも子供の頃ウェールズの草原で探したという。Fairyloreはダンスパーティに参加して翌日家に帰ってみると20年が経過していた、もしくは友人達が救助に来るまでお祭りの輪から抜けられなくなったサークルへの侵入者の話に彩られている。この民俗学的に興味深い事象については敢えて深く追求しないべきだ、と結んでいる(このサイト昔見たけど今時間無いのでマタ引きですいません)。

ところで写真を見てくださいな。



これって「スマイルマーク」じゃないすか?

・・・担がれてるんじゃないすか?


2005年06月07日

猫猿カンガルーinソルズベリー

ソルズベリーといえば「ソルズベリーの丘」、ストーンサークルのある場所だ。ウィルトシャーはミステリー・サークルのメッカとしても知られる(その真偽はともかく)。イギリスはやたらと微妙なビーストが出現するが(狩りをする大猫なんて)たいていは法制度の変化によって飼えなくなった野獣を飼い主が勝手に放したりしたもの、などという至極つまらない検証がなされている。しかし、この話はエイリアン・ビッグ・キャットなどとは違う変なもの。なにせ、相手はキメラ・・・合成生物である。6日発信のホットなニュースでございます。原文はこちら

「ビーストがソルズベリーを逃走中」

ソルズベリーの警察は困惑している。ミステリアスな生き物が町の通りを歩き回っているとの目撃報告が次々と舞い込んできているからだ。

その獣はカンガルーと猫と猿を合成したようだ、とされている。

ソルズベリーでの最初の報告はある女性が珍しい生き物を見たというものだった。23歳のニッキ・ローマスによるとあきらかに普通じゃない生き物が道を横切ったという。それは彼女の描写によれば「猫に似た」動物で、犬より大きく、黄色と黒に白いブチの入った長い尾を持っていた。

ウィルトシャーの警察はこの報告を見過ごすわけにはいかなかった。なぜなら、彼らの同僚である二人の警官もまた前夜に1マイル離れた場所で奇妙な生き物を目撃していたからである。

二人はパトロールのためソルズベリーのキャッスル・ロードを走行していた。まだ早い時間である。そのとき道路をある生き物が素早く横切った。彼らはそれを痩せぎすで、2フィートくらいの身長、長い縞々の尾があり、「猿の足を持っていた」と表現した。

引退した航空機パイロットのレイモンド・クラーク(79歳)の報告によって謎は更に深まった。ぶちのある大きな暗い灰色の「アライグマのような」動物はカンガルーのように傾いた背をして長い縞々の尾を持っていたという。

クラークさんは、動物はcoatimundiだったかもしれないと思っている。メキシコの密林から持ち込まれた、昆虫や果物、小さい哺乳動物、および卵を食べるアライグマの一種というのだ。

ウィルトシャー警察のスポークスマンは言った。「地図上に三つの報告例を載せると、それらは約1マイルを隔てておおよそ一直線に並びます。」

そして警官たちはこの動物について、一般的ではないペットが逃げ出した場合と同じように、このエリアで犬や他の凶暴な動物がかみついたといういかなる報告も受けていないのだから、危険だとは考えていないと付け加えた。

「我々にはこれについて見つけ出す手がかりを何一つ持っていません。何か似た事例を探しています。」彼は言った。

「町に住む他の目撃者が、言っても誰も信じてくれない、といって報告していないということもあるかもしれません。」

警察は現在、誰かこの動物が現れたところを写真に撮っていないかと呼びかけている・・・しかし今のところ彼らが手札の中に”身元証明書”を持っているとは思えない。
6.08PM, Mon Jun 6 2005

・・・あれ?具体的な姿が描かれていないぞ?たんに複数の目撃談をぐちゃっとまとめたらキメラになったというだけじゃないか?うーん。結局ファントム・ピューマ騒動のひとつとして落ち着くか、さもなくば、直立レッサーパンダというホラ話に落ち着くかだな。なにせ直立レッサーパンダを海外メディアでまっさきに取りあげたのはイギリスなんだから。

2005年06月03日

女と馬琴
 

X51のネタです。ごめんなさい。いつもいつも。でも案外勝手に引用してるサイト多いので、メジャー税としてゆるして。

<引用ココカラ>
少女の身体から次々と針が吹き出る パキスタン
【Khaleejtimes】パキスタンはラホールにて、少女の身体の様々な箇所から次々と針が発見され、医師が原因を掴めずに困惑しているとのこと。事の発端は今から五ヶ月前、サイマ・ハネエフさんの足の爪先に突然腫瘍が出来たことに始まる。当初、彼女は原因が分からなかったため、病院にて診察を受けると、医師は彼女の爪先の中から針を発見。それを手術で取り除いた結果、ひとまずサイマさんの症状は回復したという。しかしそれからというもの、彼女は身体の各所に頻繁に痛みを感じるようになり、病院に行く度、痛みを感じる箇所から針が発見されるようになったのである。この謎の現象に対し、医師は全く原因が掴めないまま、これまで少なくとも100本以上の針をサイマさんの前頭部、顎部、背中や腕などから手術で取り除いているという。

また彼女は医学的な原因以外も考慮し、"黒魔術師"にも相談してみたものの、やはり原因は分からず、彼女の身体に起きる謎の現象を止めることが出来なかったとしている。
<引用ココマデ>

・・・これは物凄くメジャーな魔術的現象であり、アフリカや東南アジアでは話題にもならない。昔膝が痛いといって手術したら針が出てきて、飲んだ等の記憶もなく、いつか誰かに呪われたんだろう、わっはっはで終わった話もあった。怪しげな心霊治療でよく針を出す人がいるが、これは針を埋め込む呪術がある、という心理的土壌の上に成り立つ商売だろう。じっさい出てこられると困ってしまうものだ。UFOに誘拐されてインプラントされたとかいうレベルじゃない、挿入された場所によっては命にかかわるのだから。

針の話、なんと馬琴の兎園小説(とえんしょうせつ)にも収録されているというからびっくりだ。そもそもこのてのものは日本では藁人形に針を刺す行為で知られる呪いであるが、ここではオサキのせいとされている。イタチかオサキ狐かで意見が別れているのも面白い。そんなの一緒ジャン、と言う感じではない、江戸のこのころにはかなりはっきり区別されていたことがうかがえる。イタチの呪力について疑問符が投げかけられているのも興味深い。近代実証主義の流入を感じさせる(文政年間の話ですから)。

なんと現代語訳をやってくれているサイトがあるというのにも驚いた。非常にしっかり訳して、注釈も深い。敬意を表してリンクしておく。

「今を去ること約200年前、文化8年、曲亭(滝沢)馬琴の呼びかけにより、当時の文人が集まって、身辺で見聞きした珍談・奇談を毎月一回披露し合う「兎園会」が開かれました。この兎園会で披露された文を集めたのが兎園小説(12巻・7冊)です。」

江戸怪談を手がけている人たちの主要なネタ本になっているもののひとつなので必読。長いけど。古文だけど。ここでは「日本随筆大成 第二期 第一巻」(新装版、昭和48年・吉川弘文館刊行)を訳している。これは本編であり、3,4,5巻と外集等が続く。総揃えだと安くても10万する大成(継続中)なので図書館をあたるのが正しいでしょうね。いいかげん文庫か何かで訳本出せばいいのに。私も耳袋とか妖怪談義とか読んでは廃棄買っては廃棄を繰り返しているので、そもそもそのての古い本は地球資源のために図書館で借りて読むべきなのかもしれんな。。近所の図書館、昔はカルト宗教本や井上円了全集なぞが置いてあるイイ感じの図書館だったんだけど、今は日寄ってしまってます。

(参考)
『兎園小説』
馬琴、山崎美成らの発足した、メンバー持ち寄りの奇事異聞の文稿を披露・回覧する好事家サークル「兎園会」(「耽奇会」とほぼ同メンバー)の記事を集成したもの。会は月一回、文政八年乙酉春正月~十二月まで開催された。その後にも馬琴他八名執筆による『外集』、馬琴単独編集による『別集』『余録』『拾遺』が書かれている。馬琴はこの作品には強い思い入れがあったようだが、晩年、持筒同心として出仕している孫・太郎に鉄砲を買ってやるため、友人・小津桂窓に五両で売り、結局買い戻せぬまま亡くなったという。

(本篇)『日本随筆大成〈第二期〉1』(吉川弘文館、1973年)
(外集)『日本随筆大成〈第二期〉3』(吉川弘文館、1974年)
(別集)『日本随筆大成〈第二期〉4』(吉川弘文館、1974年)
(余録・拾遺)『日本随筆大成〈第二期〉5』(吉川弘文館、1974年)

自然人魚


生まれたときから話題のペルーの「人魚ちゃん」が無事手術で人間になった。
現代の人魚は魔法ではなく手術で人間に戻る。というか元から人間であると認めるべきなのだが、そういう報道をされてしまうことに若干の怒りと、自分がそう書いてしまうことへの悔恨の情が湧いてくる。でも書く。なぜならここは誰も見ていない個人的な吐露の場なのだから。

元ネタは例によってX51である。こちらもどうぞ。


<引用ココカラ>
人魚体奇形の少女、両足の分離手術に成功 ペルー
【DailyRecord】昨年ペルーにて誕生した人魚体奇形の少女、ミラグロス・ケロンちゃん - 通称"リトル・マーメイド" - が昨日、無事に手術を終え、ひとまず足の分離に成功したとのこと(写真)。施術を担当したルイス・ルビオ医師によれば、手術は外科医や心臓の専門医など11人の医師からなるチームによって行われ、4時間半に及ぶ手術の末、当初の予定であった膝までの分離のみならず、内股までほぼ完全に足を分離することに成功したという。「膝関節を独立して動かすことが出来るようになりました。手術はここまでのところ、完全に成功しています。」ルビオ医師はそう語っている。
<引用ココマデ>

水泳用のヒレに両足が一本になるように左右が結合したものがある。私の持っているヒレは左右分かれてはいるがマーメイドタイプといって両足を揃えてバタフライの要領で動かすと両足バラバラに動かすより強力な推進力が得られる(コツをつかめないと体が左右に揺れまくるが)。だからといってこの子は泳いだりなんかしたら大変だろう。生まれたときから一本に結合しているので、一本で泳ぐことに違和感はないだろうけれども。この子の手術はただの分離手術ではなく(脳畸形の分離同様)性器、尿道、肛門などが同じ一つの孔に集まっている、肝臓や消化器官の配置にも異常が見られるなど内部にも直さねばならない部位が多々あり、大変だ。この記事を読んで、それではステレオタイプの人魚の体内構造はいったいどうなっているんだろう、と漠然と思ったが、すぐに不謹慎と思ってやめた。

畸形話のついでだが、遺伝病の一つに指が多い多指症というものがある。たいていは5本のところ6本の指があり、左右対称にあらわれ、手足すべてが6本の場合もある。これは病気と言うより気質と言ったほうがよく他に弊害を生じる類のものではない。外部者向け医学辞典にもよく出ているもので中学校の図書室でも目にできるものである。先ごろテレビで白人のおじさんが6本指を披露していた。旅行好きで、アフリカに行ったところ部族の人に悪魔と呼ばれて怖がられたという。案外こういうところに宗教や伝承怪談の源流はある。別の場所では悪魔ではなく神の使いと思われたこともあるという。
:じつに9本の指を持つ足形土製品(三内丸山遺跡)
:土器の取っ手、6本指の足形(三内遺跡)