
女郎花(おみなえし)の対花として知られる白い男郎花(おのこえし)は、戦国時代の悲話にその名のルーツがあると「狗波利子」にある。
越前朝倉氏は不落の一乗谷に山城や城下町を構え幾代も重ねた名家だが、信長や一向一揆に谷ごと焼滅させられ、最近「戦国のポンペイ」と言われる中世の町並みの遺蹟が掘り出され復元されるまでは巨大な石垣や立派な石仏の散在するのみで生活の実態が謎に包まれた国だった。
朝倉の小姓に小石弥三郎という利発な美男子がいた。足軽大将洲河藤蔵はこれに心奪われた。小石も情深く応え、遂に一夜をすごした。夜明けに別れの歌を詠み合せ、いつまたも定めず別れたが、翌日臼井峠の合戦で、藤蔵は討ち死にした。弥三郎は悲しみ、一騎駆けして後を追うように戦死した。
いくさの後、哀れに思った人々は二人を塚に一緒に葬った。数日して塚から不思議な草が二本生えた。それをいつともなく男郎花の名で呼ぶようになった。
怪物図録(本編)