
幕末には創作的妖怪絵草子がたくさん作られました。といっても妖怪(もしくは幽霊と妖怪の定義)が現在の意味で使われるようになったのは井上円了先生、アカデミックには柳田國男先生以降ですけど。江戸風俗史や考証学からは三田村鳶魚氏や江馬務氏などが検証してましたが、そういった狭義の妖怪を否定して総括的なものに戻そうとする動きは当然「雲霞をつかむように定義しがたいもやっとした幻」を論じる以上当然で、水木先生が既に絵画活動を通して実践しており、怪人や怪獣(現在はUMAと呼ぶ)などといったものとの区別すら否定して、もっと広義に総括しようという動きは20年以上前にあって、私も当時「怪物」という言葉で総括してみました。「あやかし」が先にあって、それを説明する具体的な姿が「怪物」、という即物的な表現でした。だから宇宙人も入れました(だって「アブダクション」という怪異が先にあって、それを説明するための「宇宙人」と受け取れたもので)物の怪や化け物という言い方をする人もいた。今更そういうことをやろうとしても新味ありませんよ、新しい定義語で専売特許取ろう、という生臭い動機は妖怪に似つかわしいので許されるかもだけど<誰に言ってる