「ヒトラーの贋札」

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ナチが米英に仕掛けた「経済テロ」・・・精巧なポンド・ドル偽造紙幣を大量に流通させ経済混乱を喚起するために集められた「優遇囚人」たるユダヤ系技術者たちの顛末を描いた作品。作戦の後期を担ったナチ将校ベルンハルト・クリューガーの名をとってベルンハルト作戦と呼ばれるこの事件を、現在ただ一人の生き残りとなった元印刷工ブルガー氏が「後世に伝えるため」総括した(和名が)同名の書籍を底本としているが、ご本人がおっっしゃっているとおり、これはあくまで物語として成立させるべくフィクションを付加もしくは省略したりして、ドラマ化されたものである。底本の資料集的な意味合いとは異なものになっている。映画にブルガー氏自身が深くかかわっており、シナリオを何度も書き換えさせ、なるべくリアリティを追求させたという。それでもまだこれは「甘い」らしく、現実はもっと悲惨であったことを示唆してもいるし、また、ナチと、作戦に関与した「優遇的措置に置かれた」収監者らが判で押したような関係性にあったわけでもないらしく、このあたりの個例は底本を参照したほうがより理解できるだろう。

制作陣の意図は恐らくここで底本に殆ど触れられていない主人公「サロモン(サリー)」こと亡命ロシア人サラモン・スモリアノフの数奇な運命と善悪の彼岸を超えた存在意義にある。一部義に従った行動をとらせはするものの、基本的にナチの作戦に加担する作業を「チームで唯一の”プロの紙幣贋造職人”として」中心的に推進し、できるところでは仲間を助けようとはしたけれども、「大義」の存在には余り関心が無い。作戦の成功が自らの収監期間や命の危険を長引かせるということに対しては抵抗をおぼえるが、紙幣偽造という作業を前にしては専ら職人でいようとするのである。この煮え切らなさがでも逆にリアルだ。人を物理的に縛る以上に精神的に縛るということ、ナチはそういうことにも長けていて、優遇措置によってナチを憎む気持ちを抑え逆に親しみまで感じさせるという「士気向上策」が奏功している状況で、主人公のサロモンは一人義を叫び家族を救えなかったことに苦悩する若きブルガー氏(ちょっと英雄的すぎる気もするが)に結果的に同調はするものの、いよいよ追い詰められたギリギリでの交渉以外においてはそれほど協力的でもない。

サロモンは詰まるところ悪人なのである。この作品は大悪と小悪の際どい関係を描こうとしたものと言うべきだろう。序盤かなり速い展開でわかりにくいかと思うが、ソヴィエトから身一つで移住してきたサロモンは生活のために芸術を売った元画家である。ユダヤ系だから収監されたのではなく稀代の紙幣贋造家として、いわば「まっとうな犯罪者として」収監された。ブルガー氏は共産主義に身をおいたこともあるが、それとは別にユダヤ系の人々を国外に逃がすためにキリスト教洗礼証明書の偽造(確か38年までの洗礼証明書があればアーリア人として認められた筈である)を行ったため収監され、家族を皆殺しにされた。そのために苦悩している。職業犯罪者であるサロモンにリーダーとして統率されることは、ブルガー氏でなくても銀行家でなくても厭なわけだ。それをサロモンもわかっている。

ただ、誰が正しく誰が悪いとか、そういう時代ではない。ここにはもう割り切れない不条理な状況と不合理な結末のみがあり、皆最後には腑に落ちないまま終わる。映画はひたすら収容所の特別棟での状況を追うのみで、壁をへだてた向こうから聴こえる死の叫び声や銃撃音がリアルな収容所の現実を伝えるものの、視点はけして棟から外に出ないから(サロモンがクリューガーの家に招かれる場面は別にして)漠然とした恐怖が支配するだけである。壁の外のように現実に不条理に殺される者は殆どいず、そのあたり非常に微妙なのである。ドル偽造を遅らせることによりナチ有利な要素を減らしたという義は描かれるものの、特別棟の壁が崩れたとき、そこには仲間であったはずのユダヤ系収監者たちがボロボロに痩せ衰えた姿で銃をつきつけている(実際は転地ののち米軍により開放された)。ナチ加担者はユダヤ系であっても戦後罪に問われた。作戦従事者は加担者とはみなされなかったが、壁一つ挟んで地獄が広がっている収容所の現実に際し、彼らは結局自分らで壁を壊すことなく、殻に閉じこもっていた。いや、そうするしかなかったのだが。

そしてサロモンはいつのまにかモンテ・カルロにいる。ホテルのカジノで、クリューガーが持ち去ろうとした偽造紙幣を乱暴に使い切ると、せいせいしたような、腑に落ちないような顔で海岸に座る。事をよく知らない女とタンゴを踊りながら一言、「金はいつでも造れる」。それで映画はおしまいである。

実際のサロモンの顛末については詳しく知れない。だが映画のこの最後は、サロモンが割り切れない思いのまま、戦争が終わっても結局偽造犯罪者として生きていくしかないという形におさまっている。カッコイイが(サロモンは終始伊達男として描かれる)寂しい男。

ブルガー氏は言う。偽造は芸術なんかじゃない、コツがあれば誰でもできると。サロモンは結局天才でも何でもなかったのか?そう思うとなおさら、寂しさが増すのである。

☆二つ半。映画としては荒削りで、手持ちカメラ的ぶれが前半見難い。でもあとあとまで後引く作品だった。「アース」はすぐ忘れたが、これはよほど長く残っている。だから同じ評点では収まりが悪いと思った。

それにしても日本語題名が変だ。原題どおり「贋造者」としておくべきだったのではないかなあ。
by r_o_k | 2008-01-22 21:03 | 映画 | Comments(0)

岡林リョウの日記☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi