揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

「旧友」

もう十年も会っていない友に逢った。銀座の時計台の下、彼は片手を挙げ、
やあ
と言った。何か気の利いた言葉を返そうとして戸惑う。その隙に友は、
久しぶり、元気か
と言った。私は風邪をひいている。どう答えたら良いものか迷う。その隙に友は、
俺は遠くに行っちまおうと思うのだ、
と言った。その前にここのアンパンを食っておきたかったのだ、と笑った。
ぽっちゃり膨れた頬、眼鏡も厚くなったものだ。私は少し言葉を発したけれど、
灰色の背に撥ね返り、アスファルトにはぢけた。
アンパンを頬張る友の喉元がぷくり、と膨れる様を見て、
変わらないな、と思う。
何も信じられず何も好かなかった青春の日々に、共に鍋を囲んだ友だった。
幾晩も酒を傾け、朝まで取り留めの無い議論を繰り返した。
でも今何を語ったら良いのだろう。
食って満足したものか、友だった男は再び背を向ける。
じゃ、元気で
手も挙げず声も出さないでいた。男はもう振り返らない。雑踏は闇と光に包ま
れ、無表情に戻って行く。
私はラーメンでも食っていこうかと考えている。懐かしさはその後で込み上げ
てくるのだろう。
もう二度と会う事も無いだろう。

(1999・11)

「旧友」_b0116271_1335401.jpg


・・・湖上の騎士と言われて誰が気づくんだか、三日くらい昼休みをかけて書いたものだ。10年以上昔に書いたマウスらくがきが大量に出てきた。あのころ才能があると思ったと今頃言われても、色も柄もスッカリ気配が枯渇しているのだなあ今の私は。ブログはあくまで文章主体のものなので徐々に出していきます。ジョジョ・・・
Commented by けん at 2007-08-04 18:32 x
喜多郎

俺は本当に好きだ。
シルクロードに限定となるけど。
他のも嫌いではない。
思索する時のBGMはバッハではない。
喜多郎だ。
バッハを聞くと無になってしまうからだ。
俺は神社やお寺でもそうなのだ。
お参りが出来ない。
あそこで手を合わせると何も浮かばず無になる。
バッハもそう。
喜多郎は違う。
いろいろと考えられる。
人生の友と言えるかもな。
かつて自分の将来をどうしようかと非常に悩んだときがあった。
浜松市の南にある中田島砂丘にテントを張って一夜を過ごしたとき、聴いていたのが喜多郎のシルクロード。
俺はその時会社に束縛される人生とは訣別しようと決断したのだ。
砂漠を行き交う流浪の民を思い浮かべたのかもしれない。
訣別しても自分が生きていた証は残そうと考えた。
そしてそれは実際にある。
生涯給与所得から考えると俺は貧民層ではあるが、やりがいだけは誰にも負けないぜ。
Commented by r_o_k at 2007-08-04 23:07
どんな状態のときでも私はバッハだけは聞けます。
これは幼少期の刷り込みとかいろいろあるんでしょうが。。
バッハは色がない。非常に感傷的で感情的な音楽にもかかわらず、無色だからこそいつでも聴ける、という側面もあるのかもしれませんね。
喜多郎は私のかつての親友が非常に好んだ人でした(この項の「友人」はいちおう創作という形にしてありますが)。やはりみなシルクロードという一枚に帰結するようですが、分析的に好むかた、直感的に好むかた、文学的に好むかた、いろいろなかたに響くというのは、海外で寧ろ好まれているということも含め、それこそジャンルを越えた何か人間全般に響く要素が篭められているのかもしれませんね。私は学生時代に非常にハマりましたが、今はどちらかというとがちゃがちゃした音楽のほうが(ジャンル限らず)好きなので、これ以上書けることはないのですが。

(続きます・・・ここ、コメント文字数制限あるんですね)
Commented by r_o_k at 2007-08-04 23:17
すぐ共感レス書こうと思ったのですがやめておきました。きっと同じような経験を経ていて(しかしおそらくはまったく違う境遇に今はいるのでしょうけど)そういった場面において頭の中にひびいていたひびきというのは、今も心の支えになっています。私にはベドウィンの生活は無理のようですが、生死について真剣に悩んだ幾度かの経験、そして転機の、新たな一つがおとずれました。でもその結果の余りの変わりなさに、どうも今鬱ですねーw

すべての支えを失えば、踏ん切りがついていくのだろうなあ。しかし財産はもう殆ど無いのでありますが・・・所得はどん尻ですしw賭け事や借金をしないだけいいのかもしれない。どちらも「縛るもの」です。

あ、趣味も「縛るもの」ですね。音楽なんてまさに独占欲の強い麻薬的なものです。

だからここで「ごちゃまぜサイト」の形式に戻したかったのですが、クラシックだけはなにぶん物量がありますのであそこに残さざるを得ない・・・これこそ「生きていた証」のひとつでもありますし。私の場合、仕事はなから生活の糧を得るための保険で、どう変わっても「あればいい」というもので、証にはならないように思っています。
by r_o_k | 2007-08-04 13:36 | Comments(3)

by ryookabayashi