灰皿
2007年 07月 17日
「・・・妹でございます」
おれに妹など居ない。
「・・・いるのでございます」
目障りだ。出て行け。
「・・・兄上にご用があって参りました」
煩い。俺は灰皿を引き掴むと投げつけた。
黒檀の鈍い音がして、ぎゃっ、と声がして、あとには暗い闇が残った。
「・・・酷い」
まだ居るのか。出て行け。でていってしまえ。
「・・・あの晩も同じでしたわね」
おまえは誰だ。その声は誰だ。
「・・・あなたはいつもそうでした」
「・・・あなたにひとこと」
「・・・ひとことだけ申し上げておきたいことが有るのです」
お常か。・・・お常。
勢い振り向くと目を剥いた般若のような面があった。
かっと見開いた目から冷淡な、蒼い月の光のような視線が向けられていた。
「・・・あなたは死んでいるのです」
何を言っている。
「・・・其の証拠に、ほら」
指を差した先には灰皿が転がっている。灰皿には蜘蛛の糸が絡み付き、埃にまみれた吸い殻が幾つも転がっていて、良く見るとカーテンは千切れソファはぼろぼろに腐っている。部屋の中は荒れ放題で、壊れた硝子窓から差し込む光が俺の横顔を照らす。
振り向いた俺は「俺」を見た。
俺は白蝋のような顔を真っ直ぐに向け、乾燥した地膚がところどころに穴を覗かせている。開いた口の中に子蜘蛛がいる。巣を張っている。
「・・・兄上、参りましょう」
「・・・貴方、参りましょう」
般若の面が翻ると、足元にぽっかりと穴が開き、俺は奈落の底へ落ちていった。
2000/11/7(tue)