黙然と歩いて居る。白光の荒野は夜風にさらされ一層の氷感をもたらす。木葉一枚無い岩盤の上を、黙然と歩いて居る。
氷粒の如き星々の間。青くなり始めやがてどこからか明け鴉の鳴声がひびく。かなたに暖色を帯びた色渦が広がり紫が赤に、橙にそして黄色に、混ざりあい溶け合ってゆく。ざっと広がる曙の縁から、紅い球がのっくり顕れる。朝霧がさっと動く。たなびく雲が燃える体に、じっと耐えて居る。大理石の荒野から十字の光が立ち昇り男を包み込んでゆく。絶後の光景を暫し立ち止まり焼き付けようとする。ぜいぜいと喉を鳴らし乍ら、風景を音に置き換え様としている。カンバスに描かれる微細な音符達が重く軽やかに弾け沈潜し、荒野の詩人は真青な空が戻る中をすくと立ち尽くす。徒に音符を並べ直しては首を擦る。渦巻く音がやがて茫洋と形を成し始める。男はゆっくり肯くと、無造作に横たわった。岩肌の冷たさがコートを通して背筋を打つ。
顔の横を這い回る虫が居た。とても素早く目玉で追うも追い付け無い。波打つ様な岩肌が僅かに震えている。えんえんと同じ調子で、細かく揺れている。男は横になり乍らも音符を刻み続ける。弱々しい光が全身を包む。生暖かい風が気まぐれに頭を撫でる。
ゆっくりと揺れるブランコが想い浮かぶ。小さなブランコが誰も乗せずに、揺れている。周りには正装をした紳士淑女が居並んでいる。揺れる我が身を畏敬の眼差しで見下ろしている。弓で薙ぎ払ってやりたい。弦で弾き飛ばしてやりたい。全てが音符となってゆく。
遠くで牧童の吹く角笛が聞こえる。呼んでいる。老いさらばえ病みついた己が身を想う。我は羊になったのだ。目を開く。見下ろす子供の顔がある。焦りの気分がざわめく。子供は手にした角笛を取り、男の顔めがけて吹きおろす。
・・・だが聞こえてきたのは、風の音だった。凍て付く光景が再び男を包み始める。
蒼い夜、再び旅は始まる。
(1999/11記)