
おれは雷だな、ゴロゴロっときやがるとモウ堪まんねえ。
八よおめえさんはどうだい?
火事だなあ、あれあ見るもんだね。そういうてめえはどうなんだ?
かあちゃんに決まってンだろうが!
わははは
虫の声もひときわ高くなった夏も終わりの晩のことであります。村の鎮守さまで若衆の寄り合いがありまして、みな酒を飲みながらとりとめもない話をしておりました。
よぉ松よお、
おめえさんの怖ええもんは何だい?
おお松いたのか、俺も聞きてぇなー。
松と呼ばれた男、肩幅のがっしりとした大男でありまして、顔もしゅっとしてなかなかの男っぷりであります。そういう男というのは案外静かに隅っこのほうで飲んでいるもんでありまして。
・・・俺かい?
おめえさんの他に誰がいるっていうんだい。
松の一番近くに座っていたのは八と呼ばれた痩せぎすの男。
俺あ怖ぇもんなんかねえ。
何言ってやがる、蛇はどうだい?
ンなもん頭に巻いて鉢巻にしてやるわ。
くっと酒を飲み干した。
お化けだ、お化けが怖いんだ!
松は手酌を傾けながら涼しい顔。
さぞ冷たかろう。刻んで素麺がわりに啜ってやるさ。
今で言う”くーる”というやつですな。茹で蛸のような頭をぶらさげた男衆の前で松は目も上げず平然と酒を啜っている。誰が何を言っても屁のかっぱといった調子でのらりくらりと受け答えるから皆おさまらない。堪忍袋の緒が切れた八、
やい松、いくらお前でも何か怖えもんの一つもあるだろう。答えやがれ、答えねえと、こっちが怖え目にあわしてやるぞ!
今にも掴みかかろうという血気盛んな若衆でありまして、松は仕方ないといったふうに湯呑を置いた。
・・・子供。
え?
子供が怖い。
子供?おめえさんそんなもんが怖えのか。
八が口を継ぎます。
なんだってそんなもんが怖えんだ。やい松、いいかげんなことを言うなよ!
好い加減なことなど言うものか、俺あ子供が怖い。あのくりくりした目で見られると堪らねえンだ。下手にじゃれつかれようものなら体中に蕁麻疹がわくさ。俺あ子供だけは怖え。
松はそう言うとまた湯呑みを持った。
ふーん、それでおめえさんまだ独り身なのかい。
松は黙って酒を啜る。なんとなく場が白けてしまった。
そういったところでひそひそ話しが始まったんでございますな。中心にいるのは先の八。
・・・松のヤツ、ほんとうに子供が怖えのか?
そういやヤツが子供と一緒にいるところを見たことがねえ。
子供どころか誰かと一緒にいるところを見たことがねえ。いつも独りで畑にいるわ。
ウーン。
ソウダおめえんとこのガキ、明日松ン家に遊びにいかしてみな。
冗談じゃねえ、あんな薄気味悪いヤツんとこなんか。おメエんところのター坊を行かせりゃいいだろう。
八は言い返されてうっと言葉を呑んだ。
・・・わかったよ、ウチんガキはとんでもねえからな、松の家行って掻き混ぜてこい、って言ってやろう。
ほんとにお前エんとこのガキは始末におえねえ、こないだも井戸にたくさん蛙を投げ込んでみんな酷い目にあった。
そうこう言ううちに夜半も過ぎて、三々五々でみな家に帰ったんでございます。
さて翌朝のこと。八、息子のター坊を村はずれの松の家に連れてってコウ言った。
松のヤツ、まだ寝てるみたいだな。おめえちょっと入ってって起こしてやれ。ちょっと脅かしてみな。
わかった。
松の家はけっこうな大きさの藁葺屋根、ター坊は土間のほうから抜き足差し足入っていった。
しばらくしーんとしていたが、じきに大きな声がした。
わっ子供じゃねえか!怖い怖い!子供怖い!
こわいよう!
聞いたことのない松のおびえた声と、ター坊のけたたましい笑い声が聞こえた。八はしてやったりといったふうにうなづくと声をかけた。
いつも澄まして飲んでやがるからそんな目にあうんだよ!これからはもっと・・・
そこまで言ったところで、
ドン!
八は思わず言葉を飲み込んだ。
家の中が一瞬で静まり返った。
・・・ピチャ、ピチャ、ピチャ・・・
やがて何かを啜るような音がし始めた。何かがおかしいんであります。
タ、ター坊、ど、どうしたい?
・・・ぴちゃ、ぴちゃ・・・ごくっ。
それきり音がしなくなった。八は慌てて草鞋を履き捨てると家に入っていった。
暗い奥の四畳半に入ると、そこには今しがたまで人が寝ていたように布団が敷かれております。暗くて余りよく見えないんですが、そのあたりじゅうに、何とも言えない鉄の錆びたような匂いが漂っています。
た、ター坊・・・どしたい・・・
すると八のすぐ後ろから押し殺したような声がする。
・・・ここらでもひとつ、怖いもンがある・・・
びくっとしたが八、異様な雰囲気に体を動かすことが出来ない。
な、なんでえ・・・
・・・
・・・お前さんだよ!!
2006/8