揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

2025/11/14-22写真に本で一言5、五反田古書市ひさしぶり、洲崎遊郭図、墳丘型神道墓について

2025/11/14-22写真に本で一言5、五反田古書市ひさしぶり、洲崎遊郭図、墳丘型神道墓について_b0116271_11471844.jpg

「えゝ。ぢや、気をつけて!」暗闇の中で挙げた顔が、ほの白く見えた。「ん‥ヨシちゃん、ホラ、そつちの方にあかりがあるだらう‥。」ヨシエは何気なく、云はれた方を見た。その時、兼一郎はひょいと彼女の向う肩に手をかけるなり、彼女の耳の下あたりに唇をつけた。「まあ!」(「沼尻村」小林多喜二) pic.x.com/P0qf4BBpeU

posted at 00:21:49

それは夜の時でもない。それは昼の時でもない。それは云ひ様もないやさしい一時。それは死行く一日の終り。それは生来る一と夜の初め。それは云ひ様もないかなしい一時。それは初めのない夢の始め。それは終りのない恋の了り。それは云ひ様もない夕の一時。(「夕ぐれ」堀口大學) pic.x.com/17eL5HZ7Sm

posted at 18:28:02

村で一緒にされて、三四日前に山形から周旋人にこの町へ連れてこられたのであった。つまり、周旋人は親の貧しさにたくみにとりいつて親を説き伏せて子供を呼び返すと、この箱根の向う側の小さな町へ、子供たちを新しく年期奉公に転売して住みこませたのであつた。(「人身売買」高崎節子=本庄しげ子) pic.x.com/y1kQibIaGj

posted at 22:21:22

オノラが「日本の墓地の簡素な庭園的な楽しみ」を自分に語った。事実、オノラはあらゆる日本的簡素と自然を愛した。日本の神社、農村の屋根、オノラは奥の細道的な日本のさびを知っていた。そして、彼の性格は自分の語り聞かせた俳人一茶を人間的だと言って親しんだ。(「巴里・女・戦争」薩摩治郎八) pic.x.com/DXFliAPoJT

posted at 23:55:40

11/15土

小曲想ひかすかに、とらへしは風に流ゝる蜻蛉なり。霧にたゞよふ落葉なり。影とけはひをわれ歌ふ。(「焦心」大木惇夫(大木篤夫)) pic.x.com/roZKp2FIEu

posted at 00:53:18

五反田紅葉 pic.x.com/ARkdSc0qIv

posted at 14:15:09

一年以上ぶりの古本市は勝手が違っていた。。しかし置き場所が違うだけだった。。石版画がじわじわ上がってる。古写真はもう出ないな。

posted at 14:16:58

何時間経つただらうか。私はいつの間にか眠つてゐた。青い手帳の中で、飛び交う雲のひとひらひとひらに、熱い心を休めてゐた。心持よい寒さだつた。きつと神の手もこんな冷たさだらうと思ひながら、身ぶるひし、そして目覚めた。(「終りし道の標べに」安部公房) pic.x.com/YQHEUTQDUY

posted at 15:13:03

お待ちいまに息の根をとめてあげるがりがりとたうきびでもかじりたい日だだまつて私の言ふとおりにおなりお前はけふミケランジエロの俘虜さたくましい肢体をしばりあげられ馬のやうにけいれんする心ふるふばかり美しい私の…。手綱をにぎりさあ行かう(「いさましい歌」茨木のり子) pic.x.com/DGCPkGzwJI

posted at 18:04:28


posted at 20:38:19

燒けまいと考えて、観音にかけつけたものが多かった。それが浅草区で死んだものが多かった一因だという。また今日の朝日の投書欄によると、ラッキョウを食えば爆彈に中らぬとか、心掛けの惡いもののみが災害をうけるというような、迷信的見解が戰災地に一般的になっているとのこと(「暗黒日記」清澤洌) pic.x.com/KiCY5eAerw

posted at 21:14:01

迷信はだらけたものではない。すがるものがそれしかない人の命がけのしるし。次から次へと生まれるのは地獄が尽きないからだ。

posted at 21:16:56

深川洲崎遊郭の絵がふえた。アングル同じ。石版画 明治後期河鍋暁斎 挿絵井上安治 明治前期写真絵葉書 明治後期?(「東京写真大集成」石黒敬章)※洲崎パラダイスは戦後 pic.x.com/xMocwJFLPu

posted at 22:17:15

仲見世の絵葉書屋に吉原花魁の絵葉書を鬻ぐものゝある由、かねて三田平凡寺翁より報告あり。かゝる珍物今にして求め置かずば、後日手に入り難きは火を睹るより明らかなれば、かたゞた尋ね置かんとす。僕幼き頃、愛読したる文藝倶楽部などゝいふ雑誌には、巻頭より芸娼妓の写真を載せたり。美人とはかういうものとの観念をしかと植ゑつけられたれば、成人の後映画の美人などを見ても一向何とも思はず。(「木葉髪記」山路閑古) pic.x.com/BelV6UfKse

posted at 22:55:08

いざ特定個人の写真絵葉書を、と思うと全然ありません。今も。

posted at 22:56:21

この文章の先は田中絹代などの映画女優に会っても何とも思わない、と続く。

posted at 01:48:42

10/16日

あゝ惨として横はる空骸殺せしは誰れ?殺されしは誰れ?この恨み何時の日か消ゆる地殻一と度振動し猛火発して萬象を呑む人心…的を失して狂奔しあたら豹狼の爪牙となる落陽惨として☓☓を染め殉道の戦士、南葛の同志歴史必然の軌道に倒る(「☓☓☓し南葛の同志を憶ふ」しげたか) pic.x.com/911M2imkwq

posted at 00:07:01

竜馬の名が没後上がるにつれ自分が下手人と自白してくる者がけっこういたそうですね。だいたい旧幕側の名もなき士族はいろんな人を斬っている。

retweeted at 00:27:34

でもロマンだから良いよね。土方歳三の遺骸を東京まで連れてきたといい後生墓守を名乗った元御庭番、田中河内介を斬って呪われた自称末裔、田中光顕の回顧本も生々しくて好きだけどかなり盛ってるらしく、長い晩年の好色爺のイメージが勝ってしまってる。

retweeted at 00:27:36

このアングルの絵や写真がなかったのでうれしい。ちょっと広く視界を取りすぎてるが、お台場、高輪築堤を進む汽車を一面におさめた品川側の東海道からオーソドックスな浮世絵構図。明治終り近く石版印刷は乱れ始めるが色はまだ綺麗。泉岳寺は御愛嬌。川崎巨泉かもしれない(銘は疑問) pic.x.com/U2ETAjc0jV

posted at 00:51:34

バラバラにされた絵手本が葛飾派ぽいなーと思ったら葛飾戴斗だった。北斎を真似ているが生硬だからわかりやすい。今でも北斎とする店が多いようだ(明治に北斎として復刻された)。中途半端な枚数でぼろぼろだけど二束三文なので、江戸時代版本ぽいからまあいいか。

posted at 01:51:55

「あら金ちゃんじゃないの」と、思わず背延びをしたから、将軍はもとより列席の高位高官が目をパチクリ。しかも当の金ちゃんはすましたもので「こら、貴様まだ女郎をしているのか、いまに鼻が落ちるぞ」と大喝し、気分のホグレたのを見すまして一挙に審問を(「東京伝説めぐり」戸川幸夫) pic.x.com/pWSXz2GW9l

posted at 18:13:27

極小お白洲の写真があったと思い込んで必死で探していたが、夢だったらしい。目下、復元として長崎と高山と佐渡さらに江戸村系にあり、正しく屋内に再現されたのは僅かのようだ。能舞台との関係まで調べてしまった。

posted at 18:20:18

四谷あたりは人家の屋根が、十中八九は藁葺であッたので、昔時祭禮の時に、或る町家の屋根に大きな月の造り物をこしらへて、武蔵野の原に見立てたといふ話があるが、成る程藁家の屋根に大きな月の造り物を置いたなら、「草より出でゝ草に入る」といふ光景を連想することが出来た(「江戸史蹟」戸川残花) pic.x.com/7wHJqVNi2C

posted at 21:40:02

久しぶりの他人の手料理は美味いな

posted at 21:42:39

酒を飲むと本音が出るのに、翌日にはケロッとして建て前にもどっているんだよね。なんだこの人たちは、って思ったよ。でも、それはきっと、島という閉鎖された空間で生活するための智恵なんだろうね。(「パイヌカジ」羽根田治) pic.x.com/NQY9I1tiHH

posted at 23:59:11

11/17

その紅茶はほんのりとアーモンドの苦味がした。あまり好きになれない味だった。「記帳はしてくださいました?」「ええ、しました」「よかった。あとであなたの名前をまた忘れてしまっても、いつでもここに降りてきて宿帳を見られるんですから。(「女主人」ロアルド・ダール) pic.x.com/XSxv8X9CmK

posted at 00:17:16

東博の池とかひっくるめて寛永寺時代には堂宇配置はどうだったかなーと思ってたらさっき読んだ古書では東博の前の前は大名の下屋敷だった。こういうものは変遷するのだよ。森とかもね。東博の裏はインバウンド向けのすばらしい日本庭園なのでいじるな。物もいちいち意味がある。明治に除けた寺の物らしき墓石もあるでよ。茶室群の横。素人ならネットで調べたと思った先を足で調べなはれ。ネットで調べるだけでも良いと思う。ばかにするほうが無知。いろんなネットがある。AIは玩具。

posted at 00:32:43

はしかにかからない者は人間ではないと言われ、はしかは、神病気と考えられていた。それで、はしかが軽くすむように神に祈りをした。ある人が、川を渡る時、たいそう渡りにくそうにしていたので、シリン屋という屋号の人が助けて渡らせた。すると、この人は、「私ははしかの神(「大宜味のむかし話」) pic.x.com/Bpjgzivwkt

posted at 11:06:16

写真は笠森お仙の流浪の祠(瘡守の機能は同じ谷中の別の寺にあるしお仙はちゃんと今も嫁入先の代々墓にいます)

posted at 11:16:33

お前は異人の子だ」と罵って殴ることもあつた。足で蹴ることもあつた。異人の子だ、と、世間の人々が私を罵る度に、その人々へ恐ろしい権幕で喰って掛ることを習慣にしてゐる彼女から、異人の子だと罵らるゝ時、私は避難所に窮した。その彼女が、九歳になつた私に萎びた乳房を(「代官屋敷」大泉黒石) pic.x.com/dAN3CiVJ0b

posted at 13:38:51

徳川慶喜等が恩義ある天皇家に倣い墳丘型の神道墓に葬られることを望んだという話が直系の方から語られている(皇族は豊島岡など参考)。葺石の有無はあれど明治3年の神仏分離で神式に切り替えた元士族はままいる。伊藤博文。土佐、東京にある山内家墓は独自の形態だが古式の土饅頭型。儒教墓ぽくも… pic.x.com/lVQwCc3DXm

posted at 18:45:01

儒教墓は棺のまわりに石組みしてたいていは長方形で銘板を前に立てる(棺を埋めないで地上で朽ちさせるのが神道と同傾向)。江戸時代に儒教は尊ばれはしたが田舎では中にお宝が詰まっていると憶測され、積み石の重みで上が凹んだりすると盗掘されるなど。大陸から沖縄にもあります。

posted at 18:49:42

ソコで余が所謂特殊の門閥と申すは薩長門閥にあらずして富貴の新門閥を申すのである。古より富貴貧賤と並だ熟字だが我国に於ては貧富と貴賤とは従来その関係を殊にして富る者必らずしも貴からず貧しきもの必らずしも賎しからずと云ふ有様であつた。(「桜痴放言」福地桜痴) pic.x.com/5A0oQbrLd1

posted at 22:28:31

関東大震災に於いて、米国軍艦が示したる機敏なる行動は萬人の等しく驚異し居るところであるが、其當時に於いて、此軍艦の人道的救援の後ろにフリーメーソンリーが活躍し、又本國に於いては排日法案を握れるものが呼應し居つた事を誰も知らなかった。(「フリーメーソンリーに就いて」酒井勝軍) pic.x.com/D7PNIu9wFn

posted at 23:35:49

11/18

彫金家香川勝広の令嬢福子といふ美人は、婿選みのため三十八九歳になつてもマダ縁づかず、所謂「行かず後家」で居るが、古今に此例が多いので柳句にもあの男、此男とて古くなりうぬぼれ娘、ありァいや、こりァいや聟えらみする内、柳、臼に成りなどいふのがある。(「變態知識」宮武外骨) pic.x.com/8mY9XYBFyB

posted at 11:36:04

弁天さんも独身の寂しい身の上と言われたようで、神様で二人組でないものは近世ほとんどそう言われたようで。だから江の島は独身男が押し寄せたりなど。親が断るパターンはもはや現代と同じ。

posted at 12:02:47

「きっと!死んでからは俺にの。え、お照様、きっとだよ、え、きっと?」応答を迫られて、ようようお照は男の顔を見挙げて、何やらむ言出てんとする途端、たちまち大地のゆらゆらと動出せしに、あれ!と叫びて思わず仙太の体に縋りも着かせず、さながら百雷一時に落つる如き響(「片波男」小栗風葉) pic.x.com/az5m5KlqTB

posted at 12:53:01

これでいいのよ pic.x.com/NZxdNy8GPH

posted at 13:34:33


posted at 13:34:54

火葬場の待合室で黙り込んでいた。するとそれを察してか、亡くなったオバアが側にやってきて、「したくなかったら、しなくていいんだよ。お母さんにも言っとくさ」と言ったのだという。それでもMさんは大好きだったオバアのためと、勇気を振り絞って骨を箸で受け渡した。(「琉球怪談」小原猛) pic.x.com/PQ8l74xDPF

posted at 14:26:24

定めて狐狸か魔物の変化ならんと思い、一刀の下に打ち倒さんと決心し、刀に手をかけつつ近づきたれば、先方より声をかけ、「恐れ入りまするが、ドウゾ道を教えて下され」というから、よく事情をただしてみれば、その怪物は新宿遊郭の娼妓(勝海舟先生の実験談「おばけの正体」井上円了) pic.x.com/otcXg9T5xm

posted at 17:58:33

11/19

千社札なんぞを書イてゐる隙ハ有やァ志ねへ」トいゝながらおのれと彌次郎同行の札を兼て貯へたるアラビヤゴムにて堂の柱へ張付てゐる處へ此堂の門戸を守る兵卒見廻りのため四五人打連こゝにきたりて北八が何やら札を張ゐたるを見つけばらゝと馳来り(トルコ「西洋道中膝栗毛:万国航海」仮名垣魯文) pic.x.com/s8jes3BfRc

posted at 00:02:28

大木 を たたくふがいなさに ふがいなさに大木をたたくのだ、なんにも わかりやしない ああこのわたしの いやに安物のぎやまんみたいな「真理よ 出てこいよ出てきてくれよ」わたしは 木を たたくのだわたしは さびしいなあ(「秋の瞳」八木重吉) pic.x.com/uqmouDRq0p

posted at 00:29:17

gooブログ廃止されました。


あの女の正体は…の仮装であった、それが、一種の…ではないか-と云ふ位の所までは、ともかく無事だったのですけれども、そのうち真正な目撃談らしいものが現はれて来たので、最早私も聴き捨てにはして置けず、一夜瑞世と浴室を共にする事になりました。(「石神夫意人」小栗虫太郎) pic.x.com/p3fEZc1RFU

posted at 11:45:19


posted at 13:57:07

ふと夫の顏を見ながら考へた。その時、まち子はもはや起き上がることが出來できなかつた。そして切斷して松葉杖をつく身になつたのである。まだ若い十八の年に、彼女は、淋しい昔戀しいやうな心持ちになつて、もしも自分が松葉杖をつかない壯健な女であつたならば、自分の運命は(「追憶」素木しづ) pic.x.com/KC7QIE0r54

posted at 14:45:09

どうすることもできなかったし、自分たちの行為がもたらした不幸な結果を傍観するしかなかった。ある男性は、妻の死に落胆し、銃で自殺を図って「死んだ」が、蘇生した。彼は、つぎのように語っている。妻がいるところへは行かなかったのです。わたしは恐ろしい(「かいまみた死後の世界」ムーディ) pic.x.com/qJDTC01Kpq

posted at 17:18:32

猫と生れ人間と生れ露に歩す凩や空に爆ぜゆく生御霊鉄兜脱げば背に負ふ天の川爆音の真下濛濛と雪ふれり焼夷弾爆ぜて枯木の形立つ負ひてさむき人の遺稿の三四篇火襖にさくらはこぼれやまぬかな雲の峯八方焦土とはなりぬ百代の過客しんがりに猫の子も(「火の記憶 他」加藤楸邨) pic.x.com/Y4fxkYhnSo

posted at 21:41:49

火襖は碑衾(現在の自由が丘含む)とかけているのかも。祖父は俳句をやったが父はやらないのでなぜ此の本があるかと思ったら、短い間だろうが教え子だったのだ。

posted at 21:43:43

多くの人は火の中をくぐって来てのどがかわいて苦しくてたまらないので、きたないどぶの水をもかまわずぐいぐい飲んだと言います。上野ではしのばず池のあの泥くさりの水で粉ミルクをといて乳のみ児にのませた婦人さえありました。(「大震火災記」鈴木三重吉) pic.x.com/ws9pQcOlVd

posted at 23:40:39

11/20

欠伸が止まった。苦しかった。何だったのか。

posted at 01:00:22

「が、その身顫ひの中には、恐怖と、それからまたあの快樂―禁斷の事物について語るあの祕やかな快樂に似た或る物がまざつてゐたのでした。」君たちは決してそんな青い眼の通るのを見たことなんぞはなからうね、現代の少女諸君!(「青い眼」アポリネール、堀辰雄訳 ) pic.x.com/Qa5sCbJGnQ

posted at 01:57:51

発掘収容して、供養は十三日に行ったんですが、それもたまたま、故意か偶然か、村でこの日に供養するという計画が前から樹ててあったんです。遺体とは関係なしに、綜合した供養を十三日にしようという計画が進められていたんですね。ですからこの二体の遺体は、このことを(「緑よみがえった鎌原」) pic.x.com/pYpKP8QFzF

posted at 10:49:25


posted at 12:08:04

一瞬のためらいや獲物をまえにしての妙な舌舐めずりはあとで後悔することになる、と!さあ、教則本どおり、さっさと引鉄を引いたらどうだ?」「まだだ」「言っておくが、こんなチャンスは二度と来ないと思え」「心配するな、おれはもうむかしのおれじゃない(「猛き方舟」船戸与一) pic.x.com/x1AAR4M9zb

posted at 13:51:53

「何ぞい」おたみはうろうろしながらあたりを見廻すと、まだ學校前の小さい子供が三四人息せき切つてゐるのであつた。「どうした、え、どうしたん」たゞごとでないものを感じ、おたみはせき込んで尋ねた。「わんわん石のとこで、三郎がぐるぐる舞ふて出て来んので」(「わんわん石」壺井栄) pic.x.com/ryDyhMr8iL

posted at 16:03:19

私に、はつと思ひ出すことがあつた。丸善の店で、ネクタイを選つてゐる客が、囁くやうにふと言ひ出した。「こゝには、玉の井の女がゐるね。」「はア?」と、意味がよく分からぬまゝ顔を上げると、対手は薄笑ひして、「いや、よく似た女かもしれん。」こんな話をしてゐる(「坂」佐多稲子) pic.x.com/zeIOu3AKaf

posted at 18:22:02

一分でも一厘でもお身長のお高い方なら、どんな方でも厭でございます。又一分、一厘お低くくつても厭なのでございます。」と申しました。ふたりの会話はこれッきりで終りました。多分永久にこれ限りでございませう。何故と申しまして、其後間もなく若い士官はあの大戦争に(「墓地を通る」野上彌生子) pic.x.com/hdNz9oZCzY

posted at 21:00:16

一人の婦人の希望者が現れました。これは病院の施療患者の婦人で、自分の死後には必ず解剖して下さいと遺言しましたが、その後一週間ばかりで死亡したから、これを解剖に付しました。その婦人の腕には、梅の折枝に短冊と、その短冊に情人の名のある刺青がありました。(「懐旧九十年」石黒忠悳) pic.x.com/SfmGI0Sf9q

posted at 23:17:46

貧乏な上、解剖にも事欠く次第で幕末期には回向院分院とかけあって刑死者をまとめた千人塚の下を掘り人骨標本を得た(江戸時代でも髑髏を得るのは難しく全国の蘭医がたった1個の髑髏を取り合ってたとか。頭蓋骨をばらけさせるため中に大豆を詰めてふやかし、勿体ないので食った)。開化期は雲井龍雄も

posted at 23:24:30

11/21

遠藤さん、龍之介君のガール・フレンドを家で見ていて、どんな気がしますか。うちの息子(龍之介君、慶応大学一年)は、モテないのかこの前も友達五人と軽井沢にきて、「ガール・フレンドにめしを炊いてもらうんだ」と威張っていたけれど一人も来なかった(「狐狸庵VSマンボウⅡ」遠藤周作・北杜夫) pic.x.com/PFFqEMiiFe

posted at 00:14:35

背後に廻した彼の女のもろ手が、愛撫の言葉を、ひそかに-しかも痛いほどに-彼に物語る。より強くなる抱擁と、窒息を衝いて漏れるたがひの喘ぎが、もたらす生死の恍惚の境に、彼らは果しもなく彷徨する。かくて、いよいよ、テンポを早める時の分秒が、彼らの鼓動を乱打する(「六種の競技」深尾須磨子) pic.x.com/03n7xRVR9K

posted at 11:23:53

いゝ心地にあたゝまりながらプーと仰向けに息を吹いて居た。すると不思議にも今日は世間話をしてゐる人が一人もない。而も申し合せた様に柘榴口の所に後ろ向になって浸ってゐる男の方を見つめて居るのである。私も何だらうと思つてそつちへ眼をやると、「エー一席申上げます(「復興余録」水原秋桜子) pic.x.com/g0y69AscNO

posted at 13:22:00

1.開扉の取手 女子師範で丑三つ刻、美女が頑丈な扉の取手をもぎ取る2.遠足の費用3.及第の秘法 尋常四年定期試験で化物が及第の呪文を授ける4.八銭の護身札5.六畳に七人 麻布の女学校で男女同権論者が女子寮に男子を6. 一ヶ月に三日間7.五銭の日給(「学校の七不思議」いろは屋主人)抜粋 pic.x.com/xTJbG6ZFab

posted at 18:26:21

教育報知167明治22年5月省略した項は隠喩も何も無い剥き出しの皮肉の項目

posted at 18:32:12

アポリネールは親友ピカソの最初の劇場作品である《パラード》の初演を後押しした。彼は軍服をまとい、さらには前線近くで砲弾の破片が頭部にあたって負傷したため包帯を巻いていたが、そのおかげで彼はバレエの制作者たちを、この作品に激怒した群衆の攻撃から守(「エリック・サティ展」ヴォルタ) pic.x.com/Jroy13o0CC

posted at 22:03:48

子供は夏になると、疫痢で簡単に死んだ、朝の紅顔夕べの白骨の通り、昨日まで金太郎腹巻き一つで真っ黒になって泥遊びしていた幼児が、ふと気がつくといなくて、「はやてにとられはってんわ、気の毒になあ」近所の小母さんが説明する。(「オバケはなんでもてるねん」野坂昭如)週刊読売1968/7/26 pic.x.com/rGdnoiB7Lb

posted at 22:46:59

11/22土

米兵がジャングルから引上げた後、海岸へ海水くみに出る 海岸で死んだ兵隊のシャレコウベが松の枝に突きさしてあった。海水をくむところをじっとみていた。ゾーとした 夕陽がきれいであった。何をオレに話かけているだろうか。小沢、又は尾沢、名前美貞又は貞美(「南の島に眠る戦友へ」小林喜一) pic.x.com/7d97NoCDk0

posted at 01:49:50

大和で沈んで帰ってから、初めは、やっぱり自分は一戦さしてきたんだという、誇るような、傲るような気分が確かにあったんですけども、呉の町を夜歩いていると、向こうから女子挺身隊員がね、夜勤の交代でしょう、こっちへ歩いてくる。そうすると、「歩調取れ」(「特攻体験と戦後」島尾敏雄、吉田満) pic.x.com/6KRC7rsYmC

posted at 02:39:12

われわれはただ米軍のなすがままに任せてきた。だから、ここの米兵には心の余裕があり、平静があるにちがいなかった。おれがこうして静かにただ坐っていたら、現れた米兵は、だから射たないかもしれない。すると、おれはそのとき手榴弾で自殺するのか?(「玉砕しなかった兵士の手記」横田正平) pic.x.com/uskeAdCM8v

posted at 11:56:09

半分以上は死に、しかも玉砕命令が出ていたという話だったが、小隊長は生きていた。小隊長は常々、奥田兵長の指揮のまずさを笑っていたが、自分も同じようなことになると、全く私と同じようなことをする結果になったのだ。即ち生き残ってしまったのだ。(「カランコロン漂泊記」水木しげる) pic.x.com/tO4FlSAQkB

posted at 12:47:37

東京、江戸からのこる狭苦しい低徊的な習俗が亡びただけでもさばさばする。平和が来て、先ず外国映画が来れば、又、日本人は劇場を幾重にも取囲むだろうとふと考えた。何か、明治以来の宿命のようなものが日本人の胸に巣くっている。(「昭和二十年八月十五日」梅崎春生他) pic.x.com/SQcsMfff16

posted at 18:52:24

国家神道は宗教ではない。それは古代のシャーマニズムに由来するものであって、国家神道と結びついた天皇制は、民主主義とまったく相容れないものである。(釈放政治犯徳田球一陳述、1945/10/7GHQ「占領戦後史」竹前栄治) pic.x.com/Ru8NXWmnCh

posted at 22:50:10


by r_o_k | 2025-11-23 12:17 | 純粋日記 | Comments(0)
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