揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

2022/4/28ー5/1GW突入も動けず、東京陽石めぐり、三柱鳥居、幡ヶ谷、石風呂・石棺と信仰、高輪築堤資料、田町の銭湯復活、写真集、先祖の備忘

2022/4/28ー5/1GW突入も動けず、東京陽石めぐり、三柱鳥居、幡ヶ谷、石風呂・石棺と信仰、高輪築堤資料、田町の銭湯復活、写真集、先祖の備忘_b0116271_12170035.jpg
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高輪築堤、見に行けなかった残念。
築造時の写真は複数撮られている模様。 pic.twitter.com/x6ECGFuygk

金杉海岸(軍用地の際)の写真が石積みの感じ。JRレール下の水路が当時の陸側海岸を想起させる。地図は高輪築堤の全貌。 pic.twitter.com/qpd2m1xMjz

汽車の絵図は開通前に売るためいい加減な書き方であったり実際の運用方法と異なる描写がなされてたりした。だいたい見栄えのする高輪築堤風景か八ツ山切通が多い。黒船からお台場を透かして海から汽車を見た絵。清親を訂正したような井上安治。尾崎トヨの明治中期描写。開通前と思われる玩具的な絵。 pic.twitter.com/JqKW1PvrIc

屋敷稲荷が独立して残るパターンはよくあるけどこれまた方位にこだわったが建具にはこだわらないという(むかし遠野の象徴として高千穂社の簡素な鳥居が切り抜きで写真にとられてたが、それを赤く塗ったような) pic.twitter.com/EVMbXJpVMn

利尻かなこれは pic.twitter.com/f6zhCQFoxO

posted at 01:25:08


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posted at 12:24:30


posted at 12:40:48

写真があやふやだが快晴

posted at 13:00:08

家人以外がたくさん来るとテンション上がって奇矯な言動増える。

posted at 14:46:09

万才湯PARADISE明日開店だった(田町) pic.twitter.com/Q1IPya1TEL

posted at 16:48:19

弾痕

伊江島(保存された戦跡)
東京 大手町(機銃掃射跡)
那覇 玉陵(弾痕)
東京 明治神宮表参道灯籠(焼夷弾跡) pic.twitter.com/Is9Bk4Y86V

弾痕
幕末から西南戦争

上野戦争 黒門
谷中 経王寺
西南戦争 鹿児島城壁
?京都池田屋事件(池田屋は鳥羽伏見の戦いで燃えた説が濃厚) pic.twitter.com/DA9Kz98kCO

大変疲れた。笑えるほうがまだ良い

posted at 21:48:43




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おじぞう pic.twitter.com/yvCSJcgGzS


ほとんど見たことない魔女の宅急便を十数年前かいたやつ pic.twitter.com/DSJthgh4po



石風呂もしくは大手水鉢

四天王寺(中世)石槽 門前で手水として使われた。飛鳥の上古物と相似する亀型石造物も水盤として現役
鶴林寺 石風呂(水抜き穴がある。九州から瀬戸内に分布するが、このあたりは石棺転用の深い石槽も分布)
岩船寺(中世)石風呂 門前に置かれている、原型は奈良時代 pic.twitter.com/Hy4YQQsotX

水盤手水鉢は形だろうが、寺社で使われること含めてわりと信仰物に転用されるのはなんだろう石槨石棺。形かな。r pic.twitter.com/tOsUBr3SFC

石棺石槨を信仰施設に転用したものは結構あると思ったけど手元にあんま写真がなかったのでこれでおわり。
立石様(東京)房州石の石棺が半埋蔵で信仰対象、戦時弾除けとして欠かれた
流し台(兵庫)刳抜石棺や中世石槽、井戸と並んでいた
城壁(姫路)
チブサン古墳石槨(熊本)お乳の出がよくなる信仰 pic.twitter.com/Jsuwmc2UC8

安土城をはじめ中近世城郭にわりとみられる信仰物の石材転用は、関係ない説が強いみたいだが、敢えて霊性をそなえた石仏や石棺を城壁に組み込んだという人もいる(石棺は中に何も残ってなければ棺とわからない場合が多かろうし石仏も路傍で忘れられ朽ちたものもあったろう)

posted at 21:16:03

朝から大変だぜ!

posted at 11:13:48

新宿カウボーイ pic.twitter.com/rkn6xgPGTv 花園神社

法人も個人も pic.twitter.com/xGXlvLmKPF

posted at 17:13:18


<東京のコンセイサマ>

雨ひどい pic.twitter.com/3KfAPb8RVk

posted at 15:15:26

雨なので珍スポットをまわる。
池袋駅そば(辻斬り供養塔の七面様そば)池袋水天宮の田の神様4体 これは昭和に入ってからのものかもしれない。後ろから見るとあからさまに珍。繁華街。
中野坂上駅そば(宝仙寺三重塔焼跡そば)俗称石棒 笠付円筒形庚申塔という珍しい石塔を戦後復原したら子育的な… pic.twitter.com/1GeyqTCjao

わずか尊像の浮彫が見て取れる

posted at 17:20:29

花園神社境内、威徳稲荷神社。広い境内を横切るように紅色の鳥居が並び石塚に拝殿と本殿の石祠。拝殿側扁額上によく見ると木造の珍。花街でここまであからさまに祀るのは珍しいと思う(道祖神や豊作、山の神海の神の願掛けは多い)。続く pic.twitter.com/4M3T9x6pDo

本殿石祠の裏の石棒(珠付)は有名ではあるが、由来不明らしい。もともとは固定されず玉も無かったかもしれない。今は木と石、一つずつしか確認できない。芸能浅間神社は花園稲荷の正面すぐ右手にあり新し目の芸能人の名前がある。 おわり pic.twitter.com/sxTehwH0pp


成子天神社、江戸前期と古いが近年境内外に高層マンション2軒聳え立ち、参道がエントランスになるという新宿らしさ。三井が再開発したので、井戸を下にしたややチープな三角鳥居が新造されている。立派な力石、富士塚はともに近世ものか。富士塚は裏門が開いてたが通常立入禁止のはず。 pic.twitter.com/ffitA1UE3r

なんとか平穏に。気が抜けて腹壊した

posted at 20:55:22

余った写真集
石棒まつり

新宿
中野坂上(俗称)
池袋(像裏面)
玉川 pic.twitter.com/NbU8kPXuFY

余った陽物写真

上野
新宿
上京区
鋸山 pic.twitter.com/QbWtunT0T1

蛇足 陽石(道祖神、塞の神)

山梨
遠野
飛鳥
飛鳥 pic.twitter.com/jhHi4KUDvb

花園神社 pic.twitter.com/H8GNR1L1GX

posted at 00:05:46

ゴジラきた pic.twitter.com/HswUwMBgzz



関東大震災帝都復興計画
#昭和の日

復興記念館蔵、街路模型(昭和四年復興博覧会用)九段坂靖国神社前
昭和通り(同)地下鉄が都営になるのは戦後
帝都復興計画立体地図
おまけ
国会 岸さん 祖父 pic.twitter.com/X5wN7foFmp

posted at 23:01:03

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三柱鳥居(三井鳥居)
成子天神社
北斎漫画
三囲神社
蚕ノ社 pic.twitter.com/i7QHNO96vF

posted at 00:19:55

過去の戦争で難しいのは当時の社会、構造、思潮、世相、習慣、職業意識など全部踏まえた上で特異点を正確に指摘することにある。よくあるのは当時世間一般に普通であったことがらにつき、戦争に関する資料だけ抽出してそれを見つめることで、戦争が理由でそのことがらが生じたという思い込みだ。これ難しい。

retweeted at 00:34:24

寒いけど晴れてる pic.twitter.com/okP7G6FnX8

posted at 10:41:21

朝食の片付けしたら意識失って、起きた 車いす引く時間か…

posted at 12:13:46


posted at 13:12:17

多摩川台公園 pic.twitter.com/wno2mXHQbr

posted at 16:26:52

笑う埴輪とか、文字通りの笑顔か、暴悪大笑面的な意味を包含する魔除けみたいな異質の表情なのか、どっちだったんだろうか

「笑顔の古代中世史」って誰か書いてないかな 図像的な笑顔と笑みそのものの位置づけや意味

retweeted at 18:11:02

一日としては上々だった。ゴールデンウィークは懐かしい。

posted at 20:17:40




備忘>岡林雲礁の子供、三人兄弟→長男:田舎で校長(曽祖父)、次男:検事だったが大正時代に脳溢血・次男辰雄さん(親戚)、三男:明治時代徴兵で准士官(金がないので)帰還・手元の日記の筆者・うちの墓に・長女が久能村家に嫁入り→桃代さんは戦後だいぶたって没・息子は苦労し同郷の仲間で支えうちに養子に入れようと家もあげたが代が変わり今もそのまま(洗足もしくは雪谷)

posted at 23:44:53

2時間迷路のような話 混乱対無知

posted at 23:45:23

5/1

備忘>シーボルトはっきりせん。長崎に長居した間、少額貸した岩崎弥太郎とも重なってたろうが、長崎に記録はあるものの、はっきりした接点は紀伊でシーボルトの義娘(身の回りの世話をしていた)に学んだというだけ。これ、ほんとによくわからない。時代が下りそうな話だ。

posted at 00:02:24




青梅の石造物

石橋供養塔(江戸後期)
庚申塔、豪華
猿田彦大神、道祖神
庚申塔・無縁塔ほか pic.twitter.com/74baDldy5q

青梅の記念物

石燈供養塔、庚申塔、地蔵
墓地の地蔵
裏宿七兵衛地蔵(たたりがあった)
裏宿七兵衛墓 pic.twitter.com/2oUhxFLhGo

posted at 01:47:45

暗い天気
動かない躰

posted at 11:25:16

いにしえ
澤蔵司稲荷と旧萬盛 pic.twitter.com/FQ0ZyRkkg1

posted at 12:55:18

15年前再開発で消えた町 pic.twitter.com/HWSLRORNVe


むかし小石川ぶらぶら

立花隆猫ビル
たしか澤蔵司稲荷の近く
貧乏神の社建て替え
再開発でなくなった焼きスパゲティの店 pic.twitter.com/d0FlNicYeo

posted at 15:31:41

笹塚幡ヶ谷甲州街道の雨のウォーク。

笹塚:名前のみ、両脇に小塚があったが一里塚の証拠はない
お昼ごはん:麺屋福丸、ラーメンでは最近のヒット。細麺がしっかりしてて少しこってりした醤油スープとあってる。こってり感は鴨肉かな。
道供養塔(説明)鎌倉街道のひとつ駒場道にあった塔 pic.twitter.com/xJHN49F6ID

道供養塔・牛窪地蔵尊
庚申塔は浮彫りに線刻を加えたもので持ち物が風変わり
このあたり緩やかな窪地で雨乞い伝承があるそう(牛と水源の話はよくある)
近代の牛裂き刑場跡という話が独り歩きしてるが、祟りの疫病から子供の守りとして江戸中期建てられた。独特の屋根。新しい交通事故慰霊碑も。 pic.twitter.com/zuSsoUd21A

牛窪地蔵尊
だいぶん修復はしている
戦前は露座か pic.twitter.com/LRhLT60Dw5

幡ヶ谷子育地蔵尊
牛窪から新宿側に緩やかな山を越えた先の緩やかな窪地「地蔵窪」にある この近辺は大街道があるためか大ぶりの地蔵が分布する

江戸前期、甲州街道拡張のため堂宇をたたみここに収められた ここはもともと大木だったという pic.twitter.com/s51MyyzWQG

幡ヶ谷の地名のもととも。高知新聞社宅にある旗洗池跡の東郷平八郎揮毫による石碑。埋め立てられたのは戦後だが湧水自体直径5-6m程の庭池で、源義家が白旗を洗い松に掛けて乾かし、のち渋谷金王八幡に収まった話があった。(おわり) pic.twitter.com/hchzchoZkc

これはなんだろ。

供養塔

〒189-0022 東京都東村山市野口町1丁目12

g.co/kgs/JtEGV5 pic.twitter.com/0aAXxyQ8rV

posted at 21:32:51

みんなで楽しく慰問袋 pic.twitter.com/cVNCB6vK9Z

posted at 22:22:41


腹痛 pic.twitter.com/wfcFzsEEoU

posted at 23:52:37


by r_o_k | 2022-05-02 12:17 | 純粋日記 | Comments(0)

by ryookabayashi