




気が付かなかったが久米平内夫妻墓に行き着く。兵藤長守、無関一素居士が久米平内。奥さんが久米姓。松村氏墓域内にあり、奥さんの松室という戒名と関係があるのだろうか。墓自体は江戸前期より下る気がする。立派な青石は後期ぽい。 https://pic.twitter.com/5zH0TRb65z
つい数年前まで巨樹の形骸を残していた幹が崩れてしまっていた。かろうじて巨大なスダジイの根方がわかる。江戸っぽい大きくうねった木だったのに。焼夷弾の直撃を受けて生き残ったのに。拝所も哀しい。江戸の香りをのこす白山の寺町、初代松本幸四郎ほか大名を含む古墓が多い。栄松院(松ではない) https://pic.twitter.com/FomPVk7hXk
摩耶夫人の夢に出た象にちなんだ狛象で知られる瑞泰院。最初神田明神下にあり、流転してここに来た。東都六地蔵第一番が据えられたが震災戦災で失われ石造大仏になっています(銅造立像しか見つけられんかった)。 https://pic.twitter.com/Qz44IDot5E
東都六地蔵第一番の刻銘が脇の水盤に刻まれているので多分この銅造に見える立像が石像といわれているものだと思う。もう明らかな鉢状穴だらけ。在りし日は地蔵講で栄え目に効果あるとされたという。今は「ぼけ地蔵」ならいらっしゃる。 https://pic.twitter.com/xlCf9I9Rgw
海蔵寺はどうも明治前期までの相撲と関係があったようで。大獄門左衛門の名前は明治初期の番付の親方として出てきます。凄い権勢であったことでしょう。菱紋のある墓がほかにもあり、相撲関係かも。 https://pic.twitter.com/22fPvocWXr
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回向院。みんなネズミのお守りを買うが、ネコのほうが強いのだ。ネズミ小僧も忠義の猫も盗んできた金だけど。。 https://pic.twitter.com/Cvjm8nQJp8
<宮島名所>
宮島の大鳥居ー! https://pic.twitter.com/uXORKQM2nn
みせんー!弥山 https://pic.twitter.com/3KG6NFKuHF
外国人だらけですよね https://pic.twitter.com/DguqUC544o
多島美… https://pic.twitter.com/eJSzIQT1ha
鏡の池はこれだったっけ卒塔婆石も https://pic.twitter.com/dQZpQ18y6R
コインを挟む行為が問題視されました(右の赤い子) https://pic.twitter.com/1kyNm3Horw
あれ。弥山は夕方登れたっけ?ロープウェイ最終便で下ったけど。あるきかな
はいしゃもじ https://pic.twitter.com/aCu9I7forR
<伊藤博文さん好色伝説>
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終わろう。電車が来た。 https://pic.twitter.com/0gIzExIPxz
<大井町の砂風呂>
大井町の海岸に砂風呂があったんだが(沸かし)、昭和初期にはすでにどこらへんなのかわからない(字海邊という場所も八幡濵もない)。ただ、鈴ヶ森刑場の手前に載ってるので浜川のどこかかなー、と思ってホットペッパービューティーを検索したら一箇所だけ大森海岸の砂っぽい蒸風呂がでてきた。ここ? https://pic.twitter.com/JR5JKbUaoU
品川宿からのお台場、明治中後期 https://pic.twitter.com/mynHsDiOIY
京急品川駅(今の北品川) https://pic.twitter.com/qnl3kv443Z
学芸大学駅から祐天寺をのぞむ(明治後期)
目黒衾襖村からとあるのは碑衾村の誤り。右手の方に競馬場がある。祐天寺も間近になぜか六部が来てる。 https://pic.twitter.com/vUNunvNcvw
クレイジージャーニー見ながら読み終わったけど、これ、これじゃないな…むかし図書館で読んだハードカバー小型の流行神の本…宮田先生じゃなかった気がする
うーん、、、
あと「ハヤリ神」「カクレキリシタン」とかカナって学問ぽいね(後者は一般には普及しなかった)意味が分かりづらい https://pic.twitter.com/QPSy8gLfPa
塞の神沼にハマりそうでハマらないのだが(学術的には無意味ぽいし)丸石が性神とかほんと抽象化したリンガだな。生命力のシンボル。亡くなった子に丸石。防御の道祖神として丸石。借りてく仏頭=丸石。丸石が無くなると祀り捨て。卵でもいいような。。ついでに鉢状穴。幸神社沼は繋がってそうだなあ。 https://pic.twitter.com/hEZVVnvXhO
残念さんは非業の死を遂げた志士(ほぼ長州方下級武士が幕府方にやられて残念と叫ぶ)墓に願をかける幕末限定の流行神だが、関西限定は面白い。判官贔屓以上の感じ。力の強い、というより怨みの強い死者それにあやかる、こりゃ犬神呪術ぽいよなあ。江戸真砂(「江戸のはやり神」は誤植)等で入定者を逃さず埋め殺す話もね。
あー、吉村虎太郎の残念さんは、村人の密告で殺されたけど、密告した婆さんは呪い殺されたとして、残念さんとして大坂堺から吉野まで人が押し寄せた。幕府は墓を禁じてたがあれこれして墓は立ち、2つの村が墓の本家争いをするまでになった(維新風雲回顧録)。しかもそれは胴体しかない。頭は京都に。
迷信嫌いの佐川の田中光顕さんの本なので書き方はこうではないけど、すべて伝聞とみえ、何やら平将門チックな動き方だ。今は整備されてる東山の山林内で瓦の下から壺を掘り出し頭を取り出すのは本人だが、情勢はあったとはいえ胴体が珍重され、今や忘れられたのは流行神
江戸随筆は資料にならなくてもネタになるので皆掘ったわけだが、真偽を詮議自体が難し庶民史案件なら真実である可能性もある。資料としても捨てちゃだめだとは思う。いつかほかされた石碑に現る金石文に三文随筆の嘘っぽい話の証拠が出たら楽しいわ。
燕石十種は復刻一冊しか持ってないので、いつか空から降ってきたらエエジャナイカ現象なんだけど、その一冊に風紀の乱れを憂う日記が入ってて、祭りが流行るのはけしからん。妻子を売り飛ばして祭りに注ぎ込む者がある、なんてある。早く弾圧されないかなあという空気。この妻子売り飛ばしも伝聞なのね
鳥山石燕が最初に役者の似顔絵を描いた、多色摺り絵の元祖、大首絵?を絵馬奉納(浅草観音だったけ)したのが始まりというのもこの日記だったかな。それまで役者に似せた似顔絵を描く習慣は無かった、色も少なかったと。これなんかは真偽を詮議可能案件かもだが、奢侈ケシカランの語調だと面白い。
しかし若き宮田先生は固い文章ながら扱ってるものが至極柔らかいものを含むなあ。再版当時をしのばせるアメリカの都市伝説研究への焦りのような感覚と、人面犬の話題とか、今読むと少し笑ってしまう余りに信仰から遠い話と(人面魚は太郎稲荷の様にまだ現れる)。宗教学や心理学も盛んだったよなあ。。
御霊信仰はまだ理解してないので触れない。上御霊神社しか知らない。
テレビなんかで突然「生き神様」扱いされるタレント(実業家素人含む)、あれも流行神なんだろうか。楽しませる間は使い倒され、使い終わったら突然送り出される。祀り捨てされないで残る人も案外いる。叶姉妹みたいに一部で「講」として残るのまるで稲荷信仰。富の象徴か。。
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淋しい神様
松平定信はほんと毀誉褒貶激しいな、、、流行神の本で松平定信が自分の像を彫らせた話は人神の例外であるとあったけど何がソースだろ(どうでもいい) https://pic.twitter.com/cASSJJxgSN
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鹿も狼ももういないよ。。 https://pic.twitter.com/Qwb5FoqQbr
この竹筒なんだろ?思ってたらイワシ頭だった。干物なので臭くないけど https://pic.twitter.com/N3pCpEjozp
門口にカラスの団扇は初めて見た。カラス多いけど。 https://pic.twitter.com/ixVsafC7CO
職人さんが自信作に手型を残すことがあります https://pic.twitter.com/qzzo87iXcN
無縁塔趣味は長いが動物供養塔趣味まで入ってきたしんどい https://pic.twitter.com/gFwrcOkfSw
這子…なのか? https://pic.twitter.com/n6Bol7lFyf
江戸氏(喜多見氏)
初代2代塔は新造だけど旧塔も古くなかったのかな(江戸氏と刻まれた花立は昭和になってからのもの)中世以来の由緒ある大名としては家内刃傷沙汰で元禄期に断絶したはずでそのあたりはwikiかなんかにあるだろう(いいかげん)非常に美しい寺だった。古墳も2つくらい見れる。層塔も https://pic.twitter.com/vINN6I6e9g
都内(都下スレスレだが)古いほうのお堂で、18世紀には遡る。屋根の形がなつかしい。 https://pic.twitter.com/heKl9JAcIY
稲荷塚古墳(犬繋古墳)徳川綱吉に寵愛され犬の養生小屋をたてていた喜多見氏の子供が犬を連れ出しここにつないで「遊んだ」という。
比較的広く散らばった古墳群で後世の改変もさほど受けずに残ってる感じがする。羽子板型の石室があるそうだが切石積じゃないのか。「石墳」とあるのは丸みを帯びた川原石が墳頂から散らばっており、多摩川・野川も遠くないことから容易に葺石を調達したのか、犬公方時代の「犬遊び」と関係あるのか。 https://pic.twitter.com/ByYNZxf5qt
表刻銘は削られている。ネットの噂ではよろしくない言葉だったようだがそれならなぜ表に向きっぱなしなのか不思議だ。
夫婦かと思ったら2枚目には「童子」の戒名だけが見える。形態は同じだが兄妹のようなかんじの墓だったんだろうか。戒名なので意味が拡大されることもなくもないだろうし、ほんとのとこはもう無縁になってしまった以上わからない。よもやムサカリ絵馬的なものでもあるまい。 https://pic.twitter.com/auO22PTV3s
マムシが出たというのはあながち遠い話でもないだろう。マムシ除けが近代まで発行されていたのもわかる。しかし二十年経ったら景色はかなり灰色になって、車と自転車で狭い元・畦道は歩き辛い。建築が盛んで屋敷は小型化している。願懸重宝記遠く。野川ではハグロトンボと小鷺と小鴨が三竦みしてた。 https://pic.twitter.com/CxiOx1WzEf
80の東京の人も、ずっと東京暮らしなら80年間の変化に触れながらきてるわけで、「やばい」という言葉が(もし本当に東京弁(江戸弁でなく)で昔から使われてなかったとしたら…地域限定で一般語だったと聞いたが…)昭和末期既に一般化していたということとなると、現在違和感を感じるのも違うかな

墓じまいは人間の記録として墓を見る者にや複雑な気分。先立つ物がなければ渡世を送ることもままならぬ、墓まで背負えないのはわかるし、マンション墓でも良質なところに託すのは山中朽ち果てるに任すよりましだろう。うちは百年近く放置されてても大丈夫だったのであと百r自分史も記録と考えれば…
荒れた様子の大久保利通大墓とその前で反っぽを向いた斎藤茂吉一族の平然とした墓を見て、墓にもなんか性格がでるというか歴史があるよな、と思ったな青山。西郷さんの奥さん以下のお墓もこじんまりとしていた。
今は墓にも個人主義があらわれ合理主義があらわれ、墓として残さないことにより閉鎖的になっていく時代なのだなあ。
巌谷小波の作った桃太郎という童話は日清大戦前後多大な影響を与えた。鬼を海外の略奪者としたのもこの物語だ。確信犯的な実話化は口承を無視しその後も軍国主義に沿い吉備津彦という明確なモデルを設定される。桃太郎主義は有名。とにかく明治人の作った日本幻想って良くも悪くも凄い力のものだなー。 https://pic.twitter.com/sgV0wBkt7t
東京名所図会(明治四十年代の写真版)より気まぐれに。巣鴨。江戸六地蔵、とげぬき地蔵高岩寺(上野より移転)、日露戦争後作られた廃兵院(渋谷より移転)、巣鴨監獄 https://pic.twitter.com/osU4demKGH
渋谷、明治四十年代。金王神社の鬱蒼とした感じ、弘法湯(神泉)の近郊温泉的な感じがいい。繁華街の坂の変化はどこも同じようなものです。ともかく焼けた街は変化も仕方ない。 https://pic.twitter.com/myIACWf3DQ
早稲田構内から甘泉園に移築された高田富士(江戸市中最古)の旧姿。水稲荷とともに移築され、その境内に古墳も移築されており、東京の古墳・史跡保存の独特さがわかります。開発による塚の移転は日本中にありますが、東京では調査後壊滅が基本で、ここは諸人尽力で残ったといえるでしょう。 https://pic.twitter.com/932wEnCuDR
落合富士、今はトップとアンダーの差が2メートル。浅間神社の中にある小御嶽神社内という、品川富士なんかだと御嶽神社は浅間さんに対して子院のような小祠として脇にあるので、不思議な感じもする。中野宝仙寺三重塔。民間建立の仏塔として特異で、風俗画報でも項を設けて考察している。戦災消失復興 https://pic.twitter.com/gaq6oPWOZQ
鬼王神社、抜弁天、新井薬師。新宿の有名寺社ですが鬼王神社について風俗画報(東京名所図会)では単に勧請した世俗的なものとして平将門との関係は一切記載していません。 https://pic.twitter.com/Yax4oaYw2z
新宿太宗寺が載ってて気が付かなかった。江戸六地蔵は夏目漱石が子供の頃上って遊んでいたといい数々の災害にもめげず今も座ってる。鉄笠は復元のようですね。お堂はほぼ再築だが不動堂は今もある。 https://pic.twitter.com/FnUAVTfHhy
神泉という名もあった。料理屋。
渋谷駅はすでに大きな駅
太子堂は円泉寺内にある。まだ建てて十年しかたってない
玉川電車は路面の東急玉電。開通直後頃。新玉川線は玉電に対する「新」です。廃止時、切符に押す駅名のハンコを誰かが沢山貰ってきたので遊んだなあ
三軒茶屋は道はこんなかんじですね。 https://pic.twitter.com/NTFtkj7cCS
いだてん誰も見てないかんじでTwitterだけトレンドが盛り上がってるというズレ感。9月1日でもないのにクドカンが書いたら関東大震災の知ってる知識持ってる写真の自慢大会。すげえよ、自警団の話とか横網町公園行けば少しあるよ。昨日から御竹蔵(被服廠)の話とか呟いても誰も反応しないので(とかね https://pic.twitter.com/P0CeF19tA8
椎木屋敷通りとある絵、ここがちょうど松浦上屋敷を含む河畔の武家屋敷通りになる。写真は一番上がまさにその河畔、今の安田庭園裏。千本杭は向こうに両国橋が見える定番のアングルだが、同じ場所でカメラの角度を変えたかんじ。 https://pic.twitter.com/qTGGiJX3Le
東京名所図会には不可解な絵が出てくる。両国回向院。現在本尊の濡仏さんが無く、かわりに左右2体の坐像が描いてある。こういう時期があったのか、どうなんだろう。縁日なのか仁王が左からこんにちはしている。左奥は相撲場の建築中。ここが旧国技館ですね。 https://pic.twitter.com/vPCkEcBm08

大正3年の写真を見たら確かに右には小さな坐像が写ってた。
南割下水は何度もアップしてるので参考の参考。こういうところ。(「明治の日本」等参照) https://pic.twitter.com/hL4VaGO9nf
法恩寺界隈の雰囲気は左上。もちろん現在は整然としています。 https://pic.twitter.com/XiRRvgKluK
中世の世田谷区に設定された数少ない民話(文章化は江戸時代)、鷺草伝説の常磐ゆかり常盤橋は江戸名所図会にこう描かれますが、暗渠になり常盤弁天前に移された残欠には常盤橋と彫られた小さな石欄干があります。これ、割とあるようなんですが後から作られた偽物説があるのです。小橋に欄干は要らない https://pic.twitter.com/09rf34JRsM


この「夜窓鬼談」、怪談集だと思って見たら衝撃のオール漢文。興味あるなら国会図書館デジタルへ。挿絵が特徴的。 https://pic.twitter.com/ac6ckMHhfv
業平橋と南蔵院縛られ地蔵。お寺は水元に移転し(境内の業平神社は廃止)現在は小屋の三面を開放して自由に縛ることができるせいか、繭モナカのようになってしまってるが、明治後期の写真は恐らく立像、赤子を抱えている子安観音。ゆえ犬張子(赤子の初午)が奉納されてるのね。江戸双六にも犬張子が。 https://pic.twitter.com/o8zRQBoQ0t





































































