歴史小ネタまとめ(2018/2/1-15)柳島妙見、戦争の惨禍、高輪寺町めぐり、三田・芝の社寺、大井の大仏

宗派対立とか融和とかそのへんをバラエティにしたから面白かったけど初期で終わった。いい特集があっても3時間合体とかいって気づかなかったし> テレ朝『ぶっちゃけ寺』3月で打ち切りへ……「深夜→ゴールデン」昇格ばかりの編成は、もう限界!? a.msn.com/01/ja-jp/AAmw2
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柳島妙見さん(河側は料亭橋本屋)。摺りによって色味が全然違うのね。 pic.twitter.com/tqmJjJl0UK

柳島妙見さんでもらった現境内図。発掘された破片など。震災か戦災か酷くやられたお寺、周囲の料亭もなく、橋がかかっている。というホームページに貼る用のツイート。 pic.twitter.com/XX140Rc1ww

江戸は実は☓☓だった!みたいな雑誌を立ち読み。古き良き「江戸学」なる面妖な物をバッサバッサと切り捨てるさまは爽快でもあったけど、知識はしっかりある人々が書いているようで「〜だ!!」って断定調のわりに250年余りのうちの○○の頃は、という歯切れ悪さも。参考文献は二次資料、安い筈だ。


febeで小泉節さんの思い出の記を聞きながら、頭の中で画像変換されて困る。自動読み上げソフトがもっと高度になってアプリ化したら、完全に電子書籍シフトして読み上げを聞くようになるな。耳人間。


このへん戦争で焼け残った家があるのは梶原景時一族塚稲荷の守護という話もあるのか。大井は軍需工場があったので爆発したとこは爆発したんだけど、無駄な空襲というのはやられないものなので(散在する町工場を狙って下町大空襲とか原爆とかはもう無茶苦茶だけど)焼け残るのは割とあることでもある。 pic.twitter.com/NW2qzjrd1F


そのうちやろうそのうちやろうと思って全然やってないこのへんのフィルムスキャンだけど、富貴寺も裏手に爆弾落とされて瓦吹っ飛んだってね。。あの絢爛豪華な彩色も一歩間違えたら灰と消えてたんだなあ。 pic.twitter.com/0lY8fXhzFd

境港

嫁いらず地蔵とは物騒な!P1030042 #flickr flic.kr/p/NsKN6U

ニューギニア(このごく一部の部族だけの話だが)はアフリカよりどこかしら日本に近い、親近感、礼儀も雰囲気も(あくまで儀礼的なもてなしの盛大さも)これって明治維新の時日本が西洋の無知な旅行者に与えたイメージだよね

あるていど文明化してる部族、やっぱり水木先生の残したイメージとしてのニューギニアの優しさや特徴が出てる(今も危険な敵性部族もいるだろうけど(苛烈な部族間抗争は日本だって他国のこと言えない)それは別にいい)何かしら呪術的裏付けがあって要望を受け容れたのかも。想像の範囲を越えない。

戦争が嫌い過ぎて写真は殆どスマホに入れてない


大正時代の複葉機。わずかな年月で零戦まで行き着く技術の進歩は犠牲も多かったろうが今なんて比べ物にならない劇的進化の時代だったんだなー。それにしても浅香光代さんとか浅草の芸事衆にゾッとした 松方弘樹父を教育したて


後サンフランシスコ講和条約後の反動的な無茶苦茶な世情に、戦前を知ってる世代の方が「面白い時代だったネ、大衆演劇がストリップに鞍替えってねえ」と。この世界の片隅に、これを機にあのレベルは無理でも、戦争無残物ではない、戦後ゼロから明るくやり直した人々を描く映画も見たいな 水木伝か!

沖縄の人は極端にその経験が多い筈だが、私ですら幼少期に至るところに防空壕があった記憶がある(こどものくににもあった)その記憶の中に、人づたえできいた「かくれんぼで見つけた穴に入ったら、寿司詰めの人が一斉に睨みつけてきた」という話。母は定員オーバーで長女ゆえ、空襲の表に出された話は酷かった。

母の戦時PTSDは自分生まれた時から景色だったので、一番懐いてた人が血の繋がってない祖父の妾で没後乗っ取りにかかったこととか、父方が戦前戦後文官だったこともあり戦犯の危機到来、長らく戦中会計記録書類が衣紋掛け奥に隠されてたのも、全て私の心を歪ませた。

残念だが勧められない。戦争のテレビが始まるとすぐチャンネルを変える。昔は爆弾の音が響くだけでスイッチを切っていた。でも、一人ひとり違う経験をしているわけで良し悪しは無い。空襲なら榧寺の方に聞いた一家全員風呂桶に足を突っ込んだまま黒焦げの話が強烈だった。

前にもツイートしたけど、先生を探して下町へ行ったら、路上に棒切れが並んでいて、よく見ると溶けたアスファルトに足を取られ吹き飛ばされた人々の膝から下だったという話。突っ込むともっと酷い話が出てくるのでそれ以上聞けないでいる。性格的にあっけらかんと言うから尚更怖い。今の人なら気が狂う。

一時期はそんな記憶は人類は忘れてしまったほうがいいと思って、何故か周囲に老人ばかり寄ってくる状況が多くても戦争のことは聞かなかった。波照間で泡波を注がれながら戦争へ参加するため勇んで内地へ行った話とか(太平洋戦争より前の戦争だよ)、どんな話なんだと。まだ存命と言ってたが息子だろう

あんな戦争の記憶なんて日本人は忘れるべきなんだ、平和ボケすべしという通奏低音が「この世界の片隅に」を観て乱れた。直後に慰霊堂に行った。大空襲の資料は子供の頃さんざん読み聞かされたが、改めて三冊買った。珍しい、是非読んでください、という窓口の人の言葉にほんとに風化しかけてると思った

宵闇の公園を足を引きずるようにして去ろうというとき、慰霊堂の前から一台のバスが動き出そうとしていた。
今でも全国に散った遺族の方々が、こうやって何ということもない平日に、鎮魂に来ている。おじさんがいるからいつか靖国に行きたい、ということを聞いたとき、靖国だけが行く場所ではないと・・・


猿楽塚に大量の武具?この小規模の円墳でそんなに残ってたって、奈良時代くらいまで下るのかな


マリアとヨセフと、キリストになれるよ! pic.twitter.com/4U6aWaA0pA

ちょっと頻度高すぎて中身が薄くなってるBS浮世絵旅録画されてた(機械が経年で壊れかけてるのでさきほどお笑い向上委員会の途中でダウンして困った、なんとか復旧)。NHKなのによく浮世風呂を写したもんだ。思いっきり全裸だらけの肌色絵。これ見るとやっぱみんな毎日湯浴みしてた様に見えるよね

時期なんだよなあきっと。あの雑誌の江戸不潔説は250年かつ現代の東京都範囲を俯瞰総括すれば正しいと思うが、杉浦日向子氏は江戸後期の特定の一時期を何か一次資料で読んで、確実に考証して書いていたとは思います。一日何度も入ったかは記録した人によると思うけど。

あの本でも、90年代の江戸ユートピア論者が書き方ひとつでイメージ操作してるのを矯正する意図は清々しく、隣町の共同井戸一つで大喧嘩になった三日月井戸の話(馬琴記録)なんて割りと好事家はしってるけど、今読むより実際はとても激しいものだったろう。割下水も厠水もそこここに流れ不潔は不潔。

杉浦日向子氏にがっかりしたのは(今でもファンですよ)最初は廓趣味にせよ江戸人や幕末維新の悲惨さと諦念を見事に描いたこと。でも江戸学に走り考証突き詰めたら創作できなくなったのか軽作で江戸物を仕舞にし「お江戸でござる」。体調などあったろうが百物語三巻への潰え方は自身への諦念に読めた。

北斎学も(二度の壊滅的災害と江戸文化軽視と海外流出で材料が少ないから歴史的研究と芸術的研究がごちゃまぜにならざるをえずのまま)進んで、杉浦日向子氏の百日紅、北斎もお栄も半分創作人物(英泉の設定は自ら創作と言ってたみたい)であることが葛飾北斎伝対照で明白、でもまだ創作意欲はあったね


予約しました。人の死、あの時代の想像を絶する人の死にまつわる話は、こういう形でこそ現代人に伝わると思います。リアルが酷過ぎるなら一旦オカルトに仮託したらいい。→琉球の恐い話 (仮) (竹書房文庫) 竹書房 www.amazon.co.jp/dp/4801910378/ @amazonJPから


昭和初期建築ってけっこう文化財に指定されてるものもあるし、少なくとも大切にされてる(長崎のキリスト教会とか)。一方で機能性を重視した当時は先進的だったこのての建物はわりとかんたんに壊される。駐車場って。>呉

カラー妖怪画談の新書が売れまくって、手塚先生におけるBJみたいに水木先生もメディア出まくって、こんな方があんな文章を書いてるんだなるほどなるほど、と思っていたらその姿もポーズで、内面はとても大人だったことがずい随わかって。「ねぼけ人生」でも筆力衰えず、しかし「怪」末期で消え入った
死が怖い、という文章があったように記憶しているが、「怪」の追悼誌には収録されていなかったな。それもまた水木先生らしさと思っていたのに。展覧会、行かせていただきます。大水木展は3度行ったな。

見てないで書く。丁寧な断定調で学術的裏付けあるかのように説く。安定のネットクオリティ。「隠れキリシタン」。映画宣伝では潜伏キリシタンとしており、カクレについては議論がある。→映画「沈黙」の是非について|オピニオンの「ビューポイント」 vpoint.jp/column/81766.h


電子大正琴か。アンプつければ何でも使えるインディーズ音楽精神はアフリカのもんだと思ってた。


「サークル状のもの」って興味を引くがこれは証拠がなんにもないので自然地形説含め「待ち」です>マゾン熱帯雨林に謎の円形溝、古代の開拓跡か 研究 a.msn.com/01/ja-jp/AAmGm


80年以上前の木造大建築の維持ってそんな生半可なもんじゃない(うちも小さくも面白い建物だったが床や天井が抜けて解体した)。裕福じゃない自治体、文化なんかで腹が満たされない、機能的なものを求めたい住民にとって難しい。嫌ならすぐ行って談判すべし。ネットで蟠ってる場合じゃない。

アウト。アウシュビッツとアルカトラズを重ねて国内商売する奴らがいるんだろう。それにのっかって国際問題にしたがるアホが出てきてる。世界遺産へのいちゃもん>「妬み」という感情を国家ぐるみで持ってる。
ただ、炭鉱労働自体は内外民問わず褒められた構造上で行われていない。西表島の炭鉱とか。 twitter.com/Sankei_news/st

<高輪聖坂・赤穂浪士切腹地>

聖坂から二本榎まで尾根筋を。二本榎交差点手前から光福寺までなかなか大きな寺町。戦争で焼けなかったという二本榎周辺の商店街、明治時代には大名屋敷から偉い人のお屋敷街になった高輪、御用聞きで成り立ってたというけど、菓子屋が多い。幽霊地蔵が飴屋に通ったのは明治以降だろうが雰囲気わかる。 pic.twitter.com/GrhnDENDrm

知らなかったですが泉岳寺から高輪台へ上ったところが赤穂浪士の預けられた細川下屋敷跡で、自刃史跡として少しだけ残されてるのね。大石内蔵助自刃跡は幾つか伝承されてるみたいだがここが一応正式な史跡となってる。閂掛かってるけど大部分は中学校の敷地、二本榎通りからは巨大都営住宅の奥になる。 pic.twitter.com/s1lO6HoE8d

入試の季節なのね。ここは寺町の一部の跡地に造られ発掘された。承教寺はまだまだ大きな敷地をのこし、このあたりのお寺がみんな新築してる中で古刹の趣を出している。二本榎通りからはこんなですが。二本榎の碑もここの門前に移されています。二本榎は昔に枯れ、今は諸説ありますがいずれ後世のもの。 pic.twitter.com/xH7Ev4O95v

承教寺の前門脇には近年移動してきた二本榎の石碑とともに、目黒五百羅漢寺などの白沢像を思わせる風体の「狛犬らしきもの」が置かれている。ネット情報では中国から持ってきた人が悪いことが続いたため昭和にここにおさめたという。このような話も古寺ならでは。 pic.twitter.com/WQCqsD96lc

朱塗りの仁王門まで参道脇は狭い公園や宅地になっているが一部古木も残る。多分これも焼け残り。不釣り合いな小さい仁王さま。広々とした境内に梵鐘。元禄時代の銘。 pic.twitter.com/i9u18xc0KT

芝生で犬の遊ぶ簡潔な本堂前境内。江戸中期以降の石仏など少し。本堂前左右にいくつかある記念碑の一つが英一蝶の墓標。今のものは安政大地震により墓石が割れたため明治初期に作り替えられたものだが、近隣の丸石など使ったような異様な塊。「北窓」という晩年の筆名は、おもっきし北斎の戒名に似てる! pic.twitter.com/gJgrtPC6Tp

北斎は「南窓院」だった(窓の漢字と意味は違うけど)。北窓翁と卍翁、時代も画風も違えど心意気は同じ。

対面の黄梅院は二つの大きな家が互いに不動尊と銭洗弁天を勧進していたものを、吉事ありとて合わせて祀ったという。平成になって二本榎の末裔を植えたというがネットでも出てこないほどわからない。というかここの境内の区内にそれらしい木が無い。左や奥には別のお寺があるがそちらなのかな。銭洗える pic.twitter.com/Q3vDut5gcP

二本榎の交差点。ここに植えられた榎のほうが二本榎っぽい。表現主義建築で知られる昭和初期の消防署はなんと全面覆って修復中。この交差点先が警察署で広々とした高野山(新しく見えるが江戸時代からここにあった)と駐車場を共にしてるような。怖い人たちがいたw先が光福寺。元寺は手前にあった様。 pic.twitter.com/x4j7maay8y

高野山脇が名坂で名高い桂坂。500mの緩坂だけど元は交差点手前の方にある屈曲した狭い坂で、僧が鬘を被って品川の遊里に通った途中転んで死んだからその名がついたともいう。今は左右を大家や古塀で囲まれた大きな坂。東海道は高輪の海沿いの道に出た。 pic.twitter.com/oePN4w9LZA

こちらの邸宅手前が脇道で洞坂、名前の由来のひとつに法螺貝が「出た」からという話は麻布の坂にもあった。爆発して龍に成って昇ったという話で、坂の多い大名屋敷地帯特有のものかなあ。東海道(第一京浜)に降りたところで一気に広々とする。海沿い道の名残の石垣一部が持ってこられてる。おしまい。 pic.twitter.com/884BrcDD86

光福寺のゆうれい地蔵の飴買い幽霊話は、菓子屋の多く出来た二本榎商店街との関係性で、たぶん明治になって生まれた民話じゃないだろうか。三田の源光寺から招来した後の話として。痩せ細ったゆうれい地蔵が品川沖で引き上げられた説は桂坂が広い海に面していたとこからきた顕現譚でしょう。品川も近い pic.twitter.com/aIP2dAtymO

これかー。呉の人は強い(笑)「この世界の片隅に」に出てたかな?→戦後、戦艦伊勢に住み込んだ家族がいる : ZAPZAP! zapzapjp.com/archives/29958


ソヴィエトによる中央アジアでの抑留自体あまり話題にならないし、地下でキュウリの漬物って凄く気になる。番組はテーマを追うべきで、こうさりげ無く傍に投げかけて置くのもカッコイイな。NHKなら一時間番組作るぞ。
戦前戦中とくに明治時代の炭鉱労働の実態は昔から注視してきたので、比較的著名な北の方の話より九州の三池の話が出てきたのが個人的に興味深かった。鉄球が収監ではなく主として強制労働時行動制限のために付けられたこと、看守は鉄球付きでの逃亡速度を計算して備えていたことなど、倫理外での知見。

古今芝増上寺三解脱門 pic.twitter.com/mLBNsXqCPZ

人さらいが描いてある。。この世界の片隅に、最初と最後を〆る人さらい。原作の人さらいは鬼イチャンの投影だと解釈してました。すずは嫌っていたけれど死んでしまった兄が、南洋で生き延びたことにして、それが時間を遡って広島に上陸し、二人を引き合わせてくれたというお伽噺をえがいていたと。


北窓翁vs南窓院(英一蝶vs葛飾北斎) pic.twitter.com/wXzBKycIiG

(時代は前者が先、意味も知って自称。後者は没後戒名)

西遊記にもあるんだ!井戸水に無数のヒルの子供がいて、姫が飲むと腹が膨れ妊娠を疑われ割くとヒルが・・・という。虫についてはむしろそれしかないんじゃないかと思ってた→鑁阿寺の開かずの井戸(鎌倉の蛇止井は違ったっけ?) RTRT pic.twitter.com/RHCB31bjzH

「この世界の片隅に」の直後「サザエさん」が始まるという。庶民マンガの連続性。サザエさん原典版は今まで出たことないのだろうか。記念館にもあるだろうけど、電書化したら面白い資料になると思う。

戦後間もなくの漫画という認識はあったが「よりぬき」は時代や設定が現代とずれてるものを除いた訳。配給の魚をドラネコが。→ サザエさんがお魚くわえたドラ猫を追っかけたのは福岡だった そして その理由もけっこう深かった y-ta.net/sazaesan/

芝浜周辺、ならびに聖坂から二本榎までの写真を載せたので、ついでに聖坂下の三叉路にある三田子育延命地蔵尊。この辺に子育延命地蔵多く、物は新しく由来は個人の信仰(若しくは酷い戦災で新造したか)?戦後地蔵通り商店会の由来名と。大通りを東京タワーへ向かうと重文建築を望む慶應正門と春日神社 pic.twitter.com/mxF2U6kb0C

赤煉瓦の慶應すぐ横の春日神社は江戸府内唯一の藤原氏の氏神ともいい、この辺りの精神的支柱?急斜面の台地に二社といくつかの石碑石柱が寄せられてます。 pic.twitter.com/As9n72pwmi

春日神社並びに龍生院参道。三田近辺はここ10年大再開発がなされ、ここも正面に現代建築(納骨堂?)が置かれる大改築。境内は完全に石畳で整然とされ、源頼光四天王の渡辺綱産湯伝承の井戸も新造の形ばかりで(東京生誕説に基づく(麻布十番に近い當光寺が渡辺氏の源として綱生山と号す))穴無し。 pic.twitter.com/hiLNQQ8Chf

先の通りで右に入ると左手に古い民家が僅か残るも、巨大ビル群に圧倒。島津邸跡も跡形もなし(資料は中に展示されているらしい)、やがて右手に以前ゆうれい地蔵の元位置として紹介した本芝エリア。源光寺跡地をふたたび俯瞰した写真を(左の赤いマンションがメイン、道路と向かいの施設に掛かる)。 pic.twitter.com/OGImihYIzG

本芝の向こうにも古い商店街(海産物屋がこころなしか多い様)が飛び飛びに存在し、小寺が密集した寺町を形成。取り残された赤煉瓦の墓地塀など。このへんの寺町の一番の見どころは田中山西応寺だろうか。最初のオランダ公使舘。半分の幼稚園が舘跡という。最近整備され門前の田中稲荷は取り込まれた。 pic.twitter.com/l2KAgVVtza

墓地部は途端に古ぼけてくる。古井戸、道真ん中を渡すドブ板、弁財天のような無縁塔、引越し大名の悪名で知られた元白河藩主松平基知の生母という「三保の方」大五輪塔(ソース不明で、脇の少し小さい明治時代の塔に似ており、関係者が伝承に従い再建した供養塔かもしれない)。で芝浜側に廻って終了。 pic.twitter.com/i9Aqizcu7T

あれ?土御門の子孫とかメディアに出てなかったっけ?暦で生計立てられなくなって消えたの?よもやお金をケチって隠れてるわけではあるまいな→安倍晴明の子孫の墓ピンチ 京都、連絡取れず寺が供養 (京都新聞) - LINEアカウントメディア news.line.me/issue/oa-kyoto


素朴な昔の魔法円のような感じ。所詮クスリでイカれた魔術師が書き殴ったのが魔術書で、クスリでイカれると今でもこんなの顔面に書きなぐって平家の怨霊から身を守ろうとする(違う) netallica.yahoo.co.jp/news/20170212-


代参自体は昔からある。マニアの売買だって無くも無かった。「理由は何であれ『お宮さんに足を運ぶ』ことが大切」→「御朱印」転売に神社から切実なお願い―― 貼り紙なぜ? 神社に聞いた(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170213-

そもそも「御朱印始めました」見かけるよね。わたしも御札やお守り、絵馬なんか買ったりして(一時期はお寺のお香を集めていた)、七福神なんてまさにスタンプラリーだし、それで傾いた社殿を直せるなら。

目赤不動、九品仏、大井の大仏(おおぼとけ)でした→ぶっちゃけ寺の選んだ東京3仏像

みんな江戸仏で少し残念。江戸だからね。
大井のおおぼとけってあんなに赤かったっけ?いま長期かけて修理中の九品仏(だから全体見せなかった)もあんな青い頭だったっけ?そして、ぶっちゃけ寺おもっきし打ち切りじゃないか。何の前触れもなく終わりやがった。
大井の大仏(おおぼとけ)は内P末期に掃除企画で使われた、最初見たときはびっくりしたけど知ってる人は知ってる五智如来。境内が荏原七福神(大井町〜旗の台)の一つだから地元で知らないてのも不自然な。九品仏が観光寺化したのは最近。中まで自由に見せてくれ、アフロ仏必見。血染め衣等寺宝も。
九品仏は各地で住持を務めた仏師でもある開祖珂碩上人が手がけた最後のもので、青頭金色塗りまで至らず没したともいうが、もともと深川資料館通りの有名な霊巌寺に造立したものを領地を賜って移動。上人には会津若松の殿様の所に生まれ変わった伝説がある。江戸のテーマパークとは荒俣宏さんのことば。
九品仏は阿弥陀如来で大井の大仏は五智如来、九品仏の源流は大きさこそ丈六の半分なものの、やはり京都の名刹、浄瑠璃寺にずらりと並ぶ九体(国宝)にあるのだろう。浄土式庭園ではないが浄真寺も今の世代で境内を庭園化しまるきり作り変え紅葉の名所となったのは最近。前は単に鷺草と銀杏の寺だった。

70年代に再建した(のでイメージがやはり変わったし写真も撮れない)元本所の名刹五百羅漢寺は時代は元禄と少し下るものの、著名な京仏師松雲師の傑作らかん。元の回廊式ではないが全国にこの規模のこの大きさこの作りの良さの五百羅漢木彫は無く文化財指定された。大仏的な本尊と十六羅漢は圧巻。
ちな何故か目赤不動(本郷の南谷寺、ここも移動してきたお寺で戦災で本尊の極小不動尊以外失った)が大仏2つに混ざって紹介されてるが、酉年の酉の日だけ開帳なので今年は28日を狙って行けば見れるそうだが、テレビで特別公開するとは少し拍子抜け。目は赤くなかった、というか小さすぎて全身赤。

荏原七福神といえば東司の神様(実際に古式トイレの模型を「おまたぎ」可能)の居ます東光寺があるのだが、なぜかこの鳥瑟沙摩明王を祀るところでは「珍しい、都内ではうちだけ」を謳ってたりして、実は結構ある。品川にもある。私は東光寺で初めて知った。荏原七福神はえらくリニューアルしたなあ。

軍艦島の炭鉱が強制労働ってのは侮辱だけど(少なくとも後期は実入りは良かった)軍艦島なんて上に行けば行くほど偉い人の住居になってて、元からあった岩塊の上は当初岩崎の関係者が駐留して真水の風呂に入ってた。労働者は瓦礫越しに見える底辺の海水風呂。海水きついよ。海底エレベーターも怖い。
ところでマラリアに恐怖し水に囲まれた炭鉱部落に事実上監禁状態、逃げようと川に潜って溺れ死んだり、今は朽ちた映画小屋や生活物資の店など揃って賑やかではあったものの、陰惨な心霊の噂が整備されるまで絶えなかった西表島明治〜昭和初期の強制労働は何故人口に膾炙しないか。東郷元帥も来た島だ。
ついこないだまで台風が来ると観光果樹園が瞬時にジャングルに戻り、伐採してもアダンが押し寄せて一年で戻る生命力が、マラリア撲滅のせいでもあるまいがなくなってきてる、その最たるものが石西礁湖の壊滅だと思った。海霊地霊が弱っている。

現代日本の「ネットで声が大きい層の」宗教観がわかるまとめ&コメント欄ですな。もっと色んな国の人や宗教と触れて理解ね>カトリック小児洗礼者と成人洗礼者が語る「宗教とは何か」 - Togetterまとめ togetter.com/li/1081005 @togetter_jpさんから
しょうじき小児洗礼者は宗教者じゃないと思ってる

仕事してても結果として風評被害に晒される羽目になるという。。歴史読本罪深いぞ。。歴史読本時々怪しいぞ。。

何十回目か知れないクレイジージャーニー千日回峰行回見てる。フォーマットは元祖と言われる比叡山と同じ。しかしむこうは(昔はともかく)死を賭してという修行では無くなっているように見える。大峰山塊は一般的にも修験の険しい山道。体を痛めつける修行として、最後の堂入にしても後者は四無行と。

比叡山機会あれば元三大師のお墓に参りたい。あのときはやにわに濃くなる霧に恐怖を感じて坂を下るのをやめたが、bsの番組だと思ったより草ぼうぼうではなかったが、墓掃除する位なら修行せよという比叡山、大師らしい厳しさ(草刈りすると祟られる)。肉体的苦痛感より精神的恐怖、幽霊感がある山。


オーストラリア大使館(旧蜂須賀邸東北角の日吉社猿レリーフが残る(京都御所の猿ヶ辻と同じですね)) 三田綱町界隈(渡辺綱史跡ほか) #flickr flic.kr/p/QNxffW



by r_o_k | 2021-12-03 15:24 | 歴史小ネタまとめ | Comments(0)

揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

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