歴史小ネタまとめ(2019/1/1-31)隅田川七福神散歩、おもしろ明治写真、南割下水、大正時代の落書き、京浜伏見稲荷、国芳忠臣蔵、広景、天狗絵、佐倉宗吾の絵金、芳年絶筆、北斎逸話、三柱鳥居
2021年 11月 10日
夫婦円満御利益の「女夫石」は三囲のこちらさんかと思っていたけど、あらためて見ると侍女房の絵とは全然違う烏帽子頭巾だ、、、 https://pic.twitter.com/RgaRSTMAds
三囲神社の名物というと、こちらまだ覚えてる方がいる。戦後百本杭も敵わぬ大水が出るまで隅田川の堤防が低くて、大学レガッタやってたころ対岸ないしボートからのぞむと堤防の上にこの鳥居の頭がにょきっと覗いていたんだと(水面では対岸より視点が低くなり震災後堤防と公園がはさまること、そもそも江戸時代既に桜が繁茂し、その向こうの鳥居が見えたのは三田村氏の説からも疑問)。江戸の大水で動いたときこういう景色になった。一応今も上からこう見える。
三囲神社はふしぎな社で、昔は何かしら行くと面白いかんじの写真が撮れたりしたもんだけど、空気が澄んでてなんもなかった。べつめい田の中稲荷。
「三囲のゆふだち」は其角だな(雨乞いの詩伝説。今の記念碑は明治復元)
三囲神社コンコンさんの垂れ目は何とものんびりした春の向島をおもわせるけど、垂れ目というと王子稲荷の脇参道に座るおキツネさんの垂れ目(後者)を彷彿とさせて、むこうものんびりしてるんだが、こう写真にするときびがわるい様にもみえる。カネ系の個人稲荷でなく自然系の稲荷群はコワイこともある。
高速が通ってようと通ってなかろと水の記憶を辿ってくるデカい鷺。さいきんどこにでも棲み着く翡翠はここにもいた(岩に憑いてた)
多聞寺のよこに大きな鳥居だけあって本殿が見当たらなかったなあ。習合していたのかどうなのか。鳥居が装飾されてるから続いてることはたしかで。
おしまい。
◆神仏の柏手について。近世には「土下座」がスタンダードだったらしいから拍手を打つか打たないかとか生煮えの決めごとなんで、田舎の婆ちゃんみたいにてきとうにやってたらいい。そこで何を願うかだ。
◆地獄太夫について呟こうとおもったのに作ってたらわすれた。 一休と地獄太夫の話は芝居で有名、地獄の羽織をはおった地獄大夫自体今も人気がある図柄。
荏原七福神(都合によりひとつだけおじいさんしか撮ってない)ここは新しい。江戸にとって田舎の寺社を組んでいる。
外国人が巡ってたのびっくり。東京では比較的古いコースだが距離も長く場所もわりとわかりづらく、萌キャラで新生をはかってからは初めて。
このお寺に大昔ひんそな地獄ジオラマがあった。釘をまばらに打った張りぼての山すきだった。
◆靖国神社
◆まだ目黒不動尊混んでる。参拝はやめて正月時間でもう開いてる鰻屋で買って帰る。
紅白餅の蛸薬師。普段と同じ、正月でも素っ気ない。いいんです。
秋葉社のだるま。
今まで気が付かなかった秋葉社裏の板碑。たぶん藝妓さんだよね。
ペディキュアしてた
江戸時代には足指に紅入れる習慣はあったのか…?
さすがに正月最後の休日、廻る人多し
(明治中期頃)
(関東大震災直後)
◆お歯黒よりは毒性なかろし薬の習慣はなかったとのことで、口に絵筆咥えた修道女> 1000年前の女性の骨から「Bluetooth」が発見される https://gigazine.net/news/20190111-bluetooth-medieval-women-lapis-lazuli/… #スマートニュース
◆無茶苦茶不正確な浅草寺観音堂・旧五重塔・凌雲閣の配置(枕橋から)十二階と五重塔が逆ならまだわかる。この角度は実見ではないためこうなることも。 (東京名所図会)参考:明治39年(1906)5月の臨時大祭のときの同所(この頃は既に今の拝殿ができています)、戦利品の小銃を積み上げて奉祝門が建てられていた。「明治三十九年五月靖国神社大祭写真帖」より。前年・後年と3年に渡り日露戦争凱旋の臨時大祭は開催されているが、他の年の写真は調べてません(資料はあるみたいです)
なかまがふえました(京都伏見大社のおにんぎょう)
城壁がずっと続くこととだだっ広い道から、馬場先門とおもわれる(田安門橋は現在土橋になっていてわかりにくいがこんな地形ではなさげ)
春の木馬場は榛馬場でしょう。
明治26年9月編纂とある。微妙。
葛飾北斎伝(飯島虚心)も明治26年9月。この符合は何だ。
飯島虚心の話を記名で引用しているものがある(「葛飾北斎国威を失せんを恐る」)ので前後関係は葛飾北斎伝→この本ということになるか。談話かもしれないが
編纂が明治27/11までかかっているので少し後、ひょっとすると新刊目ざとく拾っただけなのかもしれない。
最後までいくつかの話をチェックしたが恐らくほとんど葛飾北斎伝かそのネタ元由来と思われる話のつぎはぎ(文章まで一致する)。大達磨絵の話が2つあり江戸護国寺と名古屋の2箇所、また巡業のようにあちこちで描いていたとある。これも虚心かいてたよね
虚心が露木氏談として記した葛飾北斎伝の部分をざっとみた。蝨の前後は露木氏の絵でも触れられ文章に見覚えがあるので写しか再話だろう。馬琴との諍いは虚心が長く書いている中でもオーソドックスな民話で露木氏は本当にこの説をとったのか疑問。
編纂者自身の取材以外は出典か出典の筆者名を明記すと胸張って書いてあるのでこの文章は引用だとおもう。
サインの話あった。岩波文庫版葛飾北斎伝では92ページ。しかしこれも引用。元ネタは絵画叢誌20巻6ウ。虚心の誤記のある文章ではなく原文から引用している。このコラムもつぎはぎで、最後の画工説だけ露木為一氏の何かからの引用なのだろう。
◆この本は勇ましい話が多く、その中に気位高い福沢諭吉が浅草パノラマ館の大株主だとかゴシップが入っている。西郷隆盛のあまり立派じゃない話も多く、古刀を見に行って良いものがなくふと前の通りを美女が通ったから「あのような刀を身に着けたい」といって下男に怒られたり大久保邸写真見て奢侈と激怒したり
◆坂本龍馬は主におりょう関係だが通り一遍の話。明治中期ほぼ今のようなイメージがあったんだなあと。女に不調法のような書き方は時代だと思う。
〜同じ。国芳(読本(台本)?)にも携わり、佐倉宗吾の張り付けの浮遊など多少似たところがある。絵金派は明治まで続いた。絵金自体、はじめ狩野派の流れから江戸表でお抱えになり腕は確かだったが贋作騒動で入墨を刺され以後表舞台に出なかった。しかし土佐では江戸での歌舞伎の取材と一枚絵の中に時間経過を書き込み絵巻物を一面に書き込んだ方法で最新の江戸歌舞伎をつたえ、技術とジャーナリズム、ユーモアでもおおいにもてはやされ、山程芝居絵を残酷ベースで描いた。最近までアトリエの酒蔵が残っていた。江戸川乱歩的な感覚だったようだ。
◆天狗絵
てんぐてんぐぜがいぼてんぐ
※古い天狗の姿をしている(今でいう大天狗もトンビ顔)
◆土蜘蛛っす
はいはいはい土蜘蛛っす
はいはいはい土蜘蛛土蜘蛛 らしきもの
ロケ地:京都、東京
◆この大食漢めが。。
山本元休
玉ゲッチュー
(海女☓大蛸)
こういうのは受けないのか(テーマが手垢まみれだしねー)国芳
◆青蓮院門跡よしのりんの恐怖政治。鍋かぶり上人とか親しみやすいワードが。でも基本的に室町はよくわからないな。青不動の青蓮院。
◆北斎は裸人を描いて、その上に一枚一枚衣をまとわせた下絵を描いていって、着衣完装の人物画に至ったので手間が他人の何倍にもなったというの、北斎伝にあったっけ。。
◆恋飛脚大和往来(新口村)だじゃれ
セクハラ発見
豊洲市場vs太田市場
広景ハイライト
仮名手本忠臣蔵:
橋の上で槍をつく
高師直柴部屋に隠れる
高師直立ち回る
馬鹿手本忠臣蔵:
橋の欄干に立ってみる
柴部屋で隠れんぼしてみる
高師直笑って逃げる
忠臣蔵は旧暦でほんとは一月ずれてるので今月なんだけど、ここ一番人気がないときた。そーかー。古典が外される傾向なわけだ
◆こどものくに
◆グリフォンかいてたらそろそろ着く
古コラ写真
◆職場のそばに戦争の弾痕。おいなりさんは関東大震災にも戦争にも負けず(本殿は焼けたけど)火伏せのご利益が有りげてす。屋敷神だったのかな。
◆吉原関東大震災
昇斎一景(広景ぽい戯画を濫造したが短命)、井上安治(杉浦日向子さん「YASUJI東京」のテーマ、多くは小さくて安く人気再燃)、風俗画報東京名所図会本所区掲載写真、尾張徳川家所蔵・資料掲載写真
◆真崎古景
雪の描き方以外広重パクリ絵と写真。
明治末年の全国写真集みてたら箱根日光外国人観光地で「トラベリングチア」が。新発明トラベリングチェア。安楽椅子を駕籠に代用し乗り心地極めて良い旅行用具などと。調べる気はないのでただここに投入。ついでに国府津駅前海岸風景。このへんは変わってないが手前揚がる海獣が今の目には異様かなー。
季節感ゼロ 四条大橋の川床
日本海海戦で有名になった島
信太森葛葉稲荷神社など
千度石は大変だ。。
陸海軍御用シカゴみやげ象印はみがきの看板があるなあ。安藤井筒堂(水天宮前)。ここは飯倉交差点。 港区 東京都
https://maps.app.goo.gl/DRBenn
金杉海岸。芝浜の東側。ここで鉄道は内陸に入るんだったか(さすがにおぼえてない)
◆今や「呪いのからくり」が明らかにされる時代。ネットがなくても口コミでこういうこと十分ありえたろう。イメージダウンの風説もあったろうな>歌舞伎町に「呪いのビル」か 歌舞伎町で飛び降りが後を絶たず、1カ月で7件も|ニフティニュース https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-173667/…
◆録画でリュック・ベッソンのジャンヌ・ダルク見た。何と傑作。フォローミーとかいうから英雄譚に見えたが、腐った時代における信仰と、病理を映像で描いてる。魔女とは何なのか。ちょっと「人間ジャンヌ」を意識し過ぎてるが、カリスマというものを剥けばいつの世も英雄はこう哀れなのかもしれない。
神を利用している、それはオルレアンの少女も一緒だということ。しかし彼女は信仰のシステムを利用した自覚がなく、それに殉じたという見方なのだろう。乳白色の霧に覆われた時代の謎。
◆文政3年9月 建立 の 大師塔。
ここは寺は無かった、八幡社時代から村社だったが、たぶんどこかから持ってきたんだろう。存在を初めて知った。このキラキラネームぽい字なんてゆうんだったけ。
百本杭そのものの絵もたくさんあるものの手元には端にかかれたこれらしかない。井上安治。清親のものは前掲した。
明治と平成
随分整えたのね
明治と平成
でかくなってる?
つながった。安心。(この本は幅広いがそれほど新しい情報や深い情報はないです。記録に近い。)
◆江戸あばんぎゃるど2回シリーズ完結と知らなかった。あのクオリティ・濃さでこれ以上はネタがむりか。江戸と言ってもミニチュアのキッチュな江戸ではない、大屏風中心のファインアートの江戸。これを知らずして江戸絵画をわかったつもりは嘘だということで嫌と言う程曾我蕭白や応挙。自然光は良いね。
夥しい下ネタの落書きにも学校内外のものに秀逸なやつがあるが、他愛もなく悪い気分にならないのは下町職人町のトイレだったりする。意味不明もいいよね
興味があれば読まれたし(十五分で読める)
文字を書ける人がもうかなり多かったので、この本でも相当の駄文が省略されまた私も省略したんですけど、それでも手書き文章に賭ける思いが今(特にネット)より純粋で強いので、確信犯以外嘘が少なく濃いかんじがします。霊性がずっと強かった。技巧は高いがカラッポ、の大量消費時代との違いですねー理詰めで余白を割り出し、切り捨ててきたものが、日本的価値観から見直すと余白ではなく重要な役割を果たしていた、というふうに現代を解釈しています。オカルトはどうもあまり興味を惹かれなくなったのですが。