
◆x51さんはキャッチ付けるのがうまいなあ。よく聞けば聞いたことのある場所でも異質のものに転化される。それこそ奇界遺産なんだろう。(クレイジージャーニー)
諸葛八卦村、さすがに依頼してドローン飛ばしてたが、十年前に撮影できてたらどうだったんだろう
x51さんは照明の当て方がアートなんだよな。。これがNHKだとフツーの紀行番組になる




江戸名所図会みないでこんなのみるのが変ちゃあ変ですが、星の井。雑司ケ谷鬼子母神本尊が出現し、星が見えると江戸にひょうばんの井戸でしたが、正しくは出土した鬼子母神像をこの井戸で清めたところから清土鬼子母神と呼ぶ。三角井戸はこの絵だと丸井戸を三角で囲った模様(しかし他の草双紙では現況に近いので不明)。雑司が谷は遠くないです。





〜河鍋暁斎
<護国寺>

〜伊藤晴雨、ここでは鎌倉時代の正真正銘の国宝建築と書いているが、下記の通りほとんどは元禄時代のもの
護国寺行った。初。ここまで江戸前期のものがしっかり残ってる堂は都内初めて見た。本堂内は元禄そのもの!まだ安土桃山の豪快な気風を残した欄間彫刻、天井の天女、入口の三猿、まさに馬の絵馬、全てが大きい。桂昌院の収めた仏像も多岐。駕籠も。裏庭に肥えたタヌキが座ってた。毛が抜けてたけど。。

護国寺の傾斜を利用した富士塚。
江戸後期までは遡れるみたい。都内では古いぞ。あるいは移転ものか?



近くマンションの階段にある有名な弦巻稲荷神社。もともと大きな社だったのが紆余曲折あったようです。調べないと元々何だったのかわかりませぬ。

墓場はまだあまり見てない。



:日本カメラ博物館「江戸」より、推定護国寺の大仏。台石は同じだが頭が大きく、蓮華座もなく違うもののようにも思われる。参考
京都っぽいと思う。京都に行くと懐かしいのは、京都は結構江戸の建物が多くて、失われた江戸が見られるから。大なり小なりの信仰が息づき、随所にドメスティックな風習が形となって残る。江戸は石像遺物しか残らなかったけど、稀にこうして焼け残っているのだ。(月光殿は移築) https://pic.twitter.com/Zm5xTTOiZG









今年の初めにこの絵があれば年賀状に使えたなあ


清水寺
















土偶って何カルチャーなのかな?あんがいサブカルチャーだったりして。妊婦フィギュアヲタ。三内丸山遺跡はヲタ縄文の聖地。コアだな~
大部分の土偶は葬送祭祀や呪術に使われてるぽいし、いいかんじはしない。造形の甘いのも多くて、完璧なものとの差が激しい。シンメトリを敢えて崩したりも。4000年間、部族がたくさんいて、信仰それぞれ。十字型土偶、断末魔の顔に首切断、て張り付けのイケニエ?
いくつか度肝抜く造形あり。頭を作らず台状のものを顎上に平面的にはりつけたり、顔のエリアがなく変な形の頭だけだったり、Designに溺れて力なくなったり、顔面だけのものも、初期の異様な写実から、鼻を横向きの<で表す漫画チックな後期まで。ミミズク型とハート型スゲイ
あ、あとグレイ型宇宙人いた。顔だけ。力はないけど顔インパクト。






重文・二王門に札貼り男女逃走 世界遺産・仁和寺 - 読んで見フォト - 産経フォト https://www.sankei.com/photo/story/news/181220/sty1812200010-n1.html…




◆代々木。現況。現在の代々木(参道左脇、御苑東門手前)は戦災で失われた植え継ぎ代々木の隔世植え継ぎのようですが、まだ若く、海側は思っきし原宿駅で展望ゼロ(4枚目)。先代は明治中期枯れ落ちたものか(2枚目)植え継ぎがあったのかわかりませんが最近写真が発見されたとか。












◆浅草寺本堂右、石段下にあったという大銀杏を調べる。読んだ戦後本がいい加減故調べていたが、浮世絵及び明治〜戦前写真にそれらしいものはない。近く銀杏は23あるが三社様側には生えてない。文章よく見ると「焼けた」とあるが何時とは無い!
柳屋"銀杏"お藤の銀杏。素人美人ニ傑

関東大震災後の修復完了した浅草寺本堂(昭和初期か)。向かって右に銀杏なし。(いくらかあった銀杏も震災時に焼けた模様)
◆今頃だけど歴史科学捜査班「古写真分析」みた。NHKの大江戸で話題になった幕末明治初期湿板写真の高精細復元・分析。東大がまだ分析中なのかな。写真のデジ化は高精細カメラで撮る、アナログ写真原版の画素数はやはり「無限大」であることを実感。テレビじゃ画質悪く、研究一段落ついたらデータ公開を

◆遠野のイメージは金精様と飢饉だなあ。あとから作られた気配のする河童や整えられた各名所は割と印象に薄い。河童狛犬は珍しくないというのものちにかんじた(宝珠や角が抜けたあとが皿になる)地蔵がほっつき歩くのも多く、焼ける前の江戸にもあった
遠野の地蔵は今は固められたが前は芋虫状態で横たわってた。若者が力試しで投げるというのは力石で、その落下音で占いや魔除け祭祀とすることも一部ではあった。全くの力比べであるほうが多いとはいえ丸石に神秘を感じるから皆祠に祀るし道祖神にもする。繭玉(養蚕)や卵のイメージも。論文あるのかな
投げた力士に触ったりし病除けにあやかる、つのは微妙なラインだなあ。単なる祭りの登場人物なら石も使い捨てかもしれない。三ノ宮卯之助のような実在したのかどうなのかわからない途方も無い軽業師が神社に大石を残してるのも、芸事=神事ぽいけど。
思いつきの羅列に加えて「爆竹場」に塞の神が祀られてるのは、「大音」がキーとすると大石を持ち上げて落とす音で力を示し魔を退けるのと何となく近いような、たんなる村の中心のもついくつかの機能のそれぞれのような。
◆徳川家光愛玩動物並群木菟図

◆都立大学駅近辺の歴史不思議物件
珍しい鬼の石仏。目黒(都立大学駅)曹洞宗東光寺の「鬼の寒念仏」と推定されている像。見たところ判別可能な文字なし、像容は江戸後期。大津絵のそれ(左角折大福帳提)のような風刺の意味は無いだろう。念仏宗の修行に鬼をあてたもの。子供の夜泣き止めの願掛けになるとか。



同東光寺。源頼朝の腰掛石。中世隅田宿にあったといい、慶長年間墨堤築造で鶴岡家内に移され以後ここに寄贈されるまであった。あまりに古いゆえ伝承は謎(隅田宿自体千住大橋近く(?)という以外よくわかってないらしい)。あのあたりなら源義家出立・凱旋伝承が多く、頼朝というのはいかにもなぞです。

氷川神社(目黒)参道入口のおそらく塩地蔵。嘉永年間の銘文石碑があるがそれが正しいなら下の「キリシタン香炉」は何だろう。都下では現代にキリスト教などと混交した信仰様式?がたまに見られる。立川でインドの陶像の飾られた社、小石川で小さなマリア観音陶像の収められた祠を見た(現存せず)。

柿の木坂そば八雲に衾村開拓の中心となった社寺が並ぶ。常円寺、東光寺の大銀杏は三百歳とのこと。今は建物を挟んで離れた2寺だが隣り合って雌雄ともいう。東光寺からは2銀杏を望める。



常円寺、東光寺ともに長い参道の跡があり元々の入口位置両脇に中規模程度の題目塔及びそれに準ずる石塔が残されている。常円寺門前題目は江戸後期のものには僅かに鉢状穴的な凹部はあるが恐らく削り鞣している。明治以降のものには無い。同寺参道入口左はボコボコ。やはり日蓮宗題目塔はやられる。




氷川神社(八雲)絵馬堂の絵馬は素朴な田舎様のもので明治10年代以降。少し本堂から下がり、渡り廊下を登って左脇の舞殿へ至る。世田谷や目黒(不動より西)のあたりは昭和初期まで田舎なので、郊外のような気配が残る。




となり応仁年間大和製のお不動のある金蔵院は別当寺だった。参道の地蔵は名残でしょうし、本社は江戸後期のものですが絵馬堂(神社だとどう呼ぶのか)などは分離して後に境界に建てられたんでしょうかね。
◆家光ミミズクをファンシーな夜に使う
◆有楽町で逢いましょう


◆ミステリアスジャパン高尾山薬王院の天狗伝説。しっかりした信仰にもとづく天狗の存在はいわゆる妖怪のイメージとは違う。ストレートな内容で目新しさはないけど、蛸杉の根元がフェンスで覆われてるの衝撃。仕方ないけど。
◆石仏は近年まで価値が認められにくく、文化財としても信仰の対象としても記録に残らないので、百年と遡らなくても直接取材や文献調査すら難しいのだ。。
とくに戦国以降、石材不足(他にも宗教等の理由もある)を墓石や石仏を含む石造物で補うことが多くて、江戸時代には転用を当たり前のようにやってたゆえ古い物が案外残りづらい。
◆キャメラどこ?ここ!
(和田アキ子仁王尊とヘビースモーカー吽)
◆暁斎のおともだち歯抜き居合の石井大之進さん(国周談)

◆がきデカに見える
