今戸橋を走る郵便配達(明治前期)

◆高輪から牛つながりで明治時代の善光寺調べてて、ここにも深淵を見て疲れてでてきた。


グラディエーターの骨って一見して野太くて恰幅良いのね。形見なくても男だとわかるし東洋人やアフリカンの細さがないこともわかる。歯のエナメル質の筋から成長期の栄養失調がみられるとのこと。兵士より食わされたかも。しかもみな打撃骨折だらけで生還を繰り返し長くて四十まで生き延びたと。
◆江戸恋、横浜開国散歩。横浜一時期頻繁に行ってたけど弁天橋や皇大神宮行ったことないな。
◆待乳山から隅田川方面、新旧




◆浅草寺六地蔵石鐘


◆日本堤
理想の光景とおそらく現実の光景



◆現代の百物語と戦前までの百物語の基本的なやり方で違うのが、話したら遠くの暗い場所へ行き、何かして戻ってくる(この図は基本的な、暗い部屋の灯芯を一つ消してくる形)つまり話者自身が肝試しを「してくる」んであって、部屋に全員こもって話すのは寧ろマイナーだってこと。昔の本で読み違えた点。

江戸時代のお化けスポットはたぶん、かなり嘘松。限られた行動範囲にお化けを総出演させるため無理やり名所化するか、一瞬しか流行らなかった噂を膨らませて書く。名所絵と人物画をミックスして描く体裁を妖怪に適用してる。鎌倉朝比奈切通しに三つ目大入道とか読んだことない。薄気味悪いけど。


豆腐小僧の形をとっているが一つ目とある。このへんどう分化しどう統合されたのかわからないが、茶坊主系の妖怪(室内で一つ目小僧はこれに含まれるか)と大頭系あるいは禿の髪型の丁稚妖怪に、豆腐というアイテムが何故合成されたのかよくわからん。嘘ケ原だしね。口へんに鬼の漢字はない。嘘双六。


摺鉢山という名前の山はいくつかあるがこれは擂粉木からの連想だろう。滑稽舞踊「鳥羽絵」から升六が手を伸ばすと羽が生えて飛んでってしまう雷木棒。嘘と芝居と妖怪画と実在?のミックスされた双六。坂東太郎=利根川に河童の話はあるが胞衣の付いた赤子は知らん(河童の先祖の暗示かも)。


◆伊夜彦すなわち弥彦神社のことだろうけど、、こんなに水場近かったのか?

◆双六は目出度いものが多いような(正月に摺るものが多いんだろか)玩具絵ということもあり、ほっこりする内容。高輪か、お屋敷からアナゴの買い付けかな。二本榎の商店街は武家屋敷時代から金持ち時代まで注文でお届けに行く専門の店ばかりだったと聞いた。寺も栄えた昔の話。

◆品川の海苔。明治時代には鉄路が通ってしまうので、海苔は大森名産ということになったのか。浮世絵の絵より親しみが持てる。構えたところのない絵。

◆「剱岳の謎に挑む」明治四十年初登頂に挑んだ測量部隊により発見された頂上に刺さる錫杖。平安時代、知られざる初登頂者は道なき道を少ない装備でどうやって登っていったのか。クレイジージャーニーにロビンソンクルーソー痕跡発見で出た髙橋大輔さんの伝説旅。宗教は超人的な人物の偉業を超人だから当たり前拝もう的にしてしまうけれど、ここではロッククライミング技術なき時代のリアルルートを川谷に設定し見事登頂する。天気が良くてよかった、という感じ。今のように補給も無いから無理はできない、それでも登れたという証明。壮大ではないが楽しく見た。
◆日曜美術館ムンク。ダリとこの人は数年おきに大々的な展覧会をやり毎回テレビの煽りが酷い。日本で特に人気ということだろうが日本人って表現が突飛なだけで技術的に精緻な絵が好きだよね。解釈を聞かされる45分。ディーリアスと2歳しか違わず後年まで親交あったのがわかる、性格似てそう。


(胡散臭い話ばかりで、実話系怪談を江戸話や古典の翻案で薄めてある、関西中心)〜四谷怪談上演のタタリ







高輪ゲートウェイ

◆山一証券の話をなぜいまさら、と思ったら官僚以外「関係者」全員の名前が出てたとか。今までは出てなかったんだそうな。出せるようになったということか。
◆(飛んだり跳ねたり続報)
「亀山のお化」が元の名前とか(大阪ではこの名前が使われることがある)。「川柳江戸名物」T15 西原柳雨より



「おしやぶり : 日本玩具集. 第2輯 古代篇」T15では飛人形とあります。
「玩具の話」T3
飛人形とあります。
傘を被っているのが勧進帳。傘や大きな顔を被っていたのが飛んで中の顔が現れるという飛び跳ね人形ですが、最初は何も被らない兎などだったそうです。糸を巻いた竹に載った人形がランダムに飛ぶさまを楽しみました。


伊藤晴雨の挿絵(昭和初期)

国芳(道外化もの百物がたり〜一部)飛んだり跳ねたりの坂田金時カシラを被せた箒で暫を形作り、化物どもを脅かす狐。金太郎人形は化物がおそれる。※草双紙にお化け仮装のため大頭をかぶるものがみられ、大頭という小僧妖怪も描かれている。どっちが先なのかはわからん。

国芳(化物忠臣蔵〜十段目)こちらも飛んだり跳ねたりの顔で蹴散らす構図は同じ。天河屋義平に扮した亀山の化物が武器の入った長持の上でがんとして動かない。がまの義平を試す捕り方みな化物にみえますが、仲間。天河屋の段にそってます。

暫の「飛んだり跳ねたり」


浅草寺仁王門前の江戸玩具店助六で購入。無茶苦茶種類があるそうで、季節ごとのものもあり、十二支もある。


◆1872年からあったと思われる復元「長虹」(焼失していた1860年代の写真には写っていない)。一階、二階への道を兼ねた渡り廊下をこう呼んだ。拱北楼はこの先の義満が執政したという建物であり渡り廊下のことではない。誤解しているページがあった。金閣寺。

1887-1907の二十年の写真等を調べたところ長虹は見られない。1894年一般有料開放以降は一時的なものを除き無い模様。うーん。
◆四天王寺の大釣鐘。これを奉じる建物があった。(人の大きさを見よ)
二枚目は鶏卵紙写真にしばしば見られるものですが、京都大仏がまだあったときの景色。


◆これがニス引き。。この台無し感。。画像で見るより遥かに台無し。。



ニス塗りは木版の否定だ。色の交響をモノトーンに沈め、繊細さはこれの太陽のように塗り潰し、セピアの朝日、煙塗れの火事、そういう特殊なものに異化する実験。浮世絵をテラテラの油彩風に仕立て、版木の痕を絵具の塗り跡のように強調。即席洋画。ボロボロにならないための補強手段。ただ、紙は薄い。

◆構図も筆致も空や建物の色も素晴らしいと思うんだけど3000円とは、何かの写しなんだろか(カッパ摺りでないものもある)。飾るには十分だ。鳩の飛び方とか。

あ。鳩豆屋がいるのね。無理に詰め込んだ構図で西洋画的には破綻してるからちょっとわかりにくかった。手前、絵師名の箱にかかる大丸傘は台が見えてるので名物の鳩豆屋、逆サイドにも台が2つ垣間見える。蛇目傘の時期もあったようだがほぼ白い傘か。
東京印象記はこの絵から二十年以上下った本だけど「夏の浅草」という一節の空気感がこの絵のスカイブルーの空、白い雲(春だけど)そして観音堂屋根から奥山閣の向こうの空へ飛び立つ簡略化された鳩のイメージそのもので。三千円の絵のために他ウン万円だったが、結局三千円が一番好い。破綻してても。




つづき双六
◆みなさん大好き牛御前。御前という言葉は敬称的で中世以降女性ぽくなったイメージ(個人的感想)貞観年間牛頭の須佐之男を奉り創建した今の牛嶋神社「牛御前」は、牛女ではない。貞観の仏影を刻した板碑があった(拓本のみ残る)そうだが図像板碑は浅草寺のものも中世。原本では石碑と記述か。

代々木の植え直し(江戸時代にも植え直している模様)、明治神宮御苑東門というのにどこなのかよくわからない。Google Mapでは苑内が表示対象から外されており写真もわからない。うーん。



◆協会に反旗を翻したおすもうさん
◆明治時代 #浅草 #asakusa

浅草駅の「あさくさ」は左からかいてある。モダーンだ。(「うえの」もそうでした)
◆偉人たちの健康診断「滝沢馬琴」改めて現代的な人で、職業作家の先駆けだったんだなと。本格創作長編伝奇作家として日本初と言ってもいいのでは。忙しい筈なのに色々やってた面白い人。番組の主旨は興味深いものの肌に色覚があるなどNHKらしい怪しげな説も混ざる。こちら大正初期本宅井戸に佇む孫女。

「江戸では小説家の地位は低かった。八犬伝はこの井戸の水を汲んでは硯に注ぎ書き上げられた。今、ここに残るは小説家の家と井戸、曾孫も玄孫もいる。地位の高い者はみないなくなった。」という主旨のことも。
◆浅草の横丁で天狗に肝を売り渡したから、ブルースの女王なんだよっ
〜女飛脚は時代小説で有名になりすぎて、ググれば教科書的な回答のYahoo知恵袋しか出てこない(遠距離飛脚は出女不可なので男のみ的な)。飛脚は明治になったら電車郵便自動車に負けた的なイメージも、この話は年齢的に明治に入ってからと思われ、違ってくる。一寸の用では19世紀まだ需要があったのではないかな。興味薄いので真実は別にいいです。2冊本読んで目眩がきつくなった。興奮して読む本は体に悪い。
◆"東京市に何か大きな式典などのある時には、きまって、飛行機は二臺も三臺も揃って、所澤からやって來た。時には、低空飛行をやって、銀座や日本橋の人家の上五六十米の ところをわざと低徊して飛んで行ったりした。"「東京の三十年」T6
まさにこの写真の風景かな
時代の継ぎ目に田山花袋の感傷と期待。。 モーリス・ファルマン式ひこうき

『機の上から見た東京市は決して家屋や烟突ばかりではありませんよ。樹や綠が多う御座んすよ。さびしいもんですよ』
明治の感覚
夢の中へ


◆有楽町のガードの写真がなくてイマイチこの写真をあげづらいが、忘れてしまうので載せておく。

◆田山花袋の回顧録を十年ぶりに読み返してて、親父殿が招魂社にいる話があったが(田原坂で戦死)、まったくアメリカの南北戦争の話を読んでいるような、霞のかかった時代と霞の晴れた時代の境目の奇妙に生々しい感触。熊本城(近)田原坂、山鹿、都城、鹿児島(城山)位は廻った。久光よかったな。
桐野星と西郷星。
来週までですか。大久保もまた坂で死す。
◆日本橋魚市場

魚の臓物を拾う職業の人がいたころだ。(築地のときはいたのかな?)
◆将門塚復元失敗
◆装束畠の衣裳榎(江戸名所図会)、廣重の装束榎で有名な王子の古い名所ですが、昭和初期に枯れたのを切り倒し稲荷を移転したという(そのものはすぐ伐られたという記録があり恐らく子孫の木のこと)解説板の説明から写真を探したものの、そもそもこの2枚の江戸浮世絵しか無い。戸川残花の本で長屋裏に「榎の若木二株」とある。とっくに失われてたのではないかな。





説明つけないとまったくビューがない。ヒッソリだからいいけど。明治時代の両国橋です。
◆「マエストロ」ガーシュインの回、録画見。昔の深夜番組じゃないよ。三十分で丁寧に追うアメリカ史上最大の作曲家。40前に死んだ。誰にも信じてもらえず脳腫瘍で死んだ。この小切手は古い額に入っている。震災で落下、硝子が浮くと真中が裂けかかっていたのがわかった。その売り元ももう死んだ。

◆#昭和初期 #tokyo