◆小林清親「天王寺下衣川」同じモチーフの井上安治小版もあり。明治13年。藍染川(ほか谷戸川など)沿い二箇所あったと江戸名所図会にある螢沢だろう。安政3年根岸谷中日暮里豊島邊圖の妙蓮寺=妙林寺、この池と相林寺辺をそう呼ぶとある。天王寺下なら後者




広重二代画「絵本江戸土産」にも螢沢の名が見える。清親の時代の地図に妙林寺は既に名がなく、ただ坂下とある。新幡随院は三崎法住寺のことで妙林寺と川斜向いにあったが維新後没落荒廃し円朝怪談の舞台となった。衣川の名は藍染からきているであろう、町名に藍染は残る。螢沢も坂の名に残る。


絵本江戸土産は他と下絵の重複するものがあるようですけど。これが藍染川対岸(?)から天王寺下を眺めたものなんですけど、左右逆じゃない?上野が右なのは角度の問題かな。三崎の谷下あたりが螢沢か。天王寺下衣川。

東京名所図会の結論では宗林寺辺(「日暮」という地名から)。妙林寺は田中愛敬弁財天を祀った(江戸三十三ヶ所弁財天霊場32番札所)。が、東京名所図会の頃には無くなっていた。ちな現在の藍染川(今も区境だが「境川」などとも呼ばれた)。明治前期より暗渠化が進められ今は途中流路を歩いて辿れる。


※藍染川の藍染については開発の進む幕末明治初期に既に意味がわからなくなっているようで、この川も別名が複数ある(螢沢(螢川)とてかつては川を含む辺り湿地全体を示したようだ)。つまり染織が行われていたからこの名なのかどうかはわからない。伊藤晴雨は染織としている。清親が衣川と書いた意味は詳しい人が知ってるだろう。
◆酉の市の日ばかりは新吉原大門一般開放、的な文章をよんだばかりでもうほんとの酉の市(三の酉)か。

◆絵本江戸土産より嶺の御嶽山。おんたけさん、と呼びます(嶺は元の町村名)木曽御嶽山の行者、一山行者が江戸後期に村社を再興し堂宇を打ち立て、利益は木曽御嶽山詣りと同等と盛んに信仰を集めた。絵にある狼狛犬は現存してますよ。三峯神社ではないです。


五百羅漢寺(本所→目黒)資料メモ
東京印象記m44
絵本江戸土産(広重二代画)



江戸名所百人美女(國久)江戸名所道戯尽 廿六 五百羅漢さゞゐ堂の景(広景、広重の模写に人物を加えている)江戸名所賀喜分発句寿娯六(文久3年、豊国老他)




ほか重政、広重、広重二代、北斎等











◆西洋洗濯はこの頃にはイコールクリーニングでよいのかな
後味悪いのでこのじぶんの行事、秋ふる舞(合コン)勝平得之さん優しいね。
◆北斎漫画からとって色を付けた広景の風景浮世絵
なんかもう下品すぎる
◆浅草田甫の奇怪
戦火で焼け出された上野の狸と浅草の狸の争いから辰五郎狸の仲裁、という話の方が有名になったが、伝法院床下に移り大変悪さをした狸がいてフランス人曲芸師の鉄砲からも逃れ、やがて住持の夢枕に今後はお守り申すと堂建立を願った末が鎮護堂。そして広景はこんな絵を更に前に描いた。

ギョッとする下ネタや乱暴な振る舞いを書くこの人、わりと冷静に受け止められてるように見えるのは去年初めの太田記念美術館の企画展の成果なのかな。B級戯画を風景画(割とパクる)に重ねるやり方で、風景画は他から持ってきて、あくまで前景で笑わせる感じ。
◆西郷どん赤坂喰違の変やったのか。大した話ではないけど血の気の多い土佐らしいつんのめった襲撃事件で、夜8時にこの薄暗く淵深い気味悪い土橋では急坂転げ落ちて朝まで浸かってるのもやむない。ここは縊鬼が出、紀伊国坂は重箱お化け、煽りを受けた先祖は長年冷飯喰らい。明治は厳しい。


◆情報過多でギブアップした隅田川(梅若伝説)だがデータ集めるだけ集める
物狂おしい人の病鉢巻と都鳥&隅田川(角田川)
鏡ヶ池は投身した池(妙亀塚が残る)

◆春風亭柳枝 (4代目)

お後がよろしいようで
◆浮世絵美術館で色々教わって恐れをなしてから遠ざけてきたジャンル、最近調べ物に使うようになって、北斎の群を抜くスタイルにびびってるこの頃。「当時のヨーロッパにはない斬新な画風」これがそっくり逆さまヨーロッパから日本へも既に流れ込んで多大な影響を与え、維新後には木版浮世絵そのものが廃れゆく。。
なぜ葛飾北斎は日本よりも海外で圧倒的に愛されるのか?/すみだ北斎美術館2周年、訪日外国人の人気衰えず https://web.smartnews.com/articles/fpUEGy9e7pb…
◆澤田美喜記念館蔵十五玄義図より(来年カレンダー)禁教前16世紀のものと炭素年代測定で確定している。もっと白くて小さい繊細なものだが余りに西欧とも従来日本とも異質の表現でびっくり。これはどこに源があるのか?現代的で受け止めやすい。十字架上のキリストだけ摩耗しているのは信仰か。

今日のメインはこちらだったのに、遠い昔のようだ。キリストの復活からの表現が連続写真のような描かれ方をしていて、映画的ですらありました。
◆遊行寺の後醍醐天皇像が出展されてて本画か模筆か見てなかったが三社託宣形式、壇前に狛犬を配し仏器手にした坐像ということで異様な印象があった。全ての権威を後醍醐天皇に。。宣旨巻物も遊行寺ならではだなあ。他、例の祟り話の六浦やぐら遺物常設もあり。五輪塔の梵字に金箔痕。横浜市歴博の展示。
◆19世紀人類学が形質的特徴をその性格、血筋と結びつける考え方から合理的に差別を根拠付けようとした(それが徳川時代の日本にも伝わったのを最近よんだ)のを、植民地主義に基づく見世物として万博に配置し、日本の博覧会もアイヌや琉球等の「展示」を行ったけどこれらそれと違う気もする浅い話。
現況(社殿向かって右に金王桜)、江戸名所記(江戸前期)、絵本江戸土産(後期)江戸名所図会(同)




広重の絵にある石碑は今でもあった気がしたけど見つからないのでないかもしれん。。
中世史は頭に入ってこないのできほん単なる図像として見てますわ。むつかしい。隠岐も鎌倉も行ったが吉野行ったことないわ。醍醐寺も最近行ってない。
◆病人、ネットで情報発信しがち…とおもいながら醍醐寺の情報を懐かしく見ていたら准胝堂が落雷焼失とある。今見ないと二度と見られないものは確かにあるな。醍醐水の販売とかやってたのか。。
◆小版の似非広重を入手。
雨の書き方が広重の影響下(原画を知らないだけで広重にあるのかもしれない)。幕末位?浅草寺の本堂・仁王門間から隅田川方向。左から本堂、三社権現(浅草神社)鳥居、随神門、手水舎(布下がり)、経蔵の宝珠、絵馬堂、五重塔、弁天池側の壁、仁王門

作者不詳、そこまで下手ではないが極小版ゆえ歪んだりしてる、色も単調だが江戸時代のものぽい

※渓斎英泉の欧風画。角度は似るが視点、配置等は違っている。昔の欧風画を写したものか?
深川八幡。これも人の描きこみが妙に細かく広重の写しかもしれないが原画を知らない。極小版なのに構図を凝りすぎて鳥居や建物の角度があっちゃこっちゃしてしまっているが、実際見るとさほど違和感はない。鐘楼の脚が必要以上に開いているのも面白味と思えなくない。海を望むこの角度に拘りがあったのか、6枚しかないが本堂を描かない拘りはあったよう。配置は分かりやすい。
これは常套的な霞ヶ関の構図で「広重の鳥」が飛んでいる。広重「東都名所」霞ヶ関の模写。広重は向こう側の坂下まで描きパクられまくったが、広重以外もよく描いた構図。極小版ゆえ、色もこんな感じになったのか、退色はあるので青が飛んだのか。裃だらけ。蕎麦屋もいる。

この構図は広重以前からあったか?目黒不動は本堂でなく滝行場と階段を俯瞰で描くのがほとんど。極小版ゆえ大きさが伸びたり縮んだりしているが、スケール感は広重も現実を歪めたのでその方法の内。配置は正確で、現状がこの頃から変わってないのがわかる。オリジナルとは思えないが原画を知らない。

待乳山から山谷堀、竹屋の渡し。よくある構図だが特にコンパクトに纏めている。スケールの正確さより配置を重視しているのは極小版だから。船着上に高札場。広重「東都名所」真土山の模写。これの模写は他の人もやっている。

真崎雪晴れの図(広重、東都名所)の模写。川岸の手前の人物は元絵にはない。コンパクトにまとめている。

◆木、茂り過ぎだよね(上野)


◆略字しんど。江戸の雲雀の名所を探して荒藺山(荒井山、荒藺ケ崎ではない)に行き着いたが、江戸名所四季遊参双六で根岸の鶯と共にここがあった。御殿山ではない。広重の絵にも無い。鶯谷から遠くないだろうが風景がおかしい。山並は無い。雲雀山に掛けた風流としても、、でも道灌山しかないよね。。



◆道灌山(西日暮里駅前で切通しに大きく削られている)。この上は日暮里まで寺町となり庭園が作られ庶民にも親しまれた。佐竹氏の屋敷以外は自由に筑波山までの眺めを楽しめたとか。崖面からの景色が日暮の語源とも。井上安治の感傷的な小版もありました(しかも上下2枚)。

清親は同じ構図でもださい。




◆またトレースみつけた。江戸なのでパクリとは呼ばない。当時の文献にパクリ糾弾みたいなのないのかな。
◆オボーの実物はじめて見た。チベット仏教ぽい色彩。十三塚とオボーが似たものと評されたのも、一列に並んでるからわかりやすい。上に仏像並んでたらそのもの。クレイジージャーニー モンゴル紀行
◆墨田川両岸名所双六から
女夫石(めおといし)こんな姿だったんですね
粂平内(戦前まで願掛けのメッカだったそうです、恋だけじゃなく)
浅草寺仁王(疱瘡護りが子供で暗示されてる)



茶の木稲荷。

おそうじ狂女(業平?)

押上で白蛇というと柳島妙見法性寺。木に棲んでいたとか

天明年間に発案され江戸後期に浅草寺門前名物となったおもちゃ「とんだりはねたり」は仲見世の「助六」で今も売っている。最初の絵は助六の人形(跳ね上がり笠を飛ばして顔を見せる趣向)




何とも言えん。時代の空気。
昭和16年_靖国神社・春の臨時大祭 http://nico.ms/sm26939454