




◆背景ヒマラヤだった(わりと有名な雙六なのね)


◆羅睺羅尊者
羅睺羅尊者というと胸内から仏性を発する(?)即物的な姿でゆうめいだけど、今は京博寄託となった萬福寺(正面は憚られたので斜めね…)十八羅漢の圧倒的な姿が日本で広まる元になってるという。。江戸より前は普通の僧形。嘉永年間には女形。。いや二番目のはね。。(一般撮影可能なもののみ) https://pic.twitter.com/JldyoRqMpe




◆かくれキリシタン幻想に一石、という九州仏教クラスタがいてほっとする。大浦天主堂は余り知らないが見様見真似という程素朴でなかったと思う、日本の風土、素材に合わせ仏人の指示とおりのゴシック建築を再現したのでは。大友宗麟の仏教迫害に光を発して退けた龍の石像。耶馬溪羅漢寺。ついでに幕末の大浦近辺(天主堂の尖塔は失われている)。現代の天主堂。




◆仁徳天皇陵発掘開始の大ニュースの裏でひっそりと。

仁徳天皇陵
(古文書や地誌にそうある)

◆からくりいたち
からくり文化すごい。船弁慶って能だったのか。傀儡師が手箱の人形で船弁慶を演じ、最後に人形を飛び出させてびっくりさせる。のうと打って脳梗塞が出るスマホ>江戸時代の庶民文化 「船弁慶」のからくり - 鴉啼いてわたしも一人 - (リンク切れ)
山猫イタチは人造妖怪。見世物小屋の六尺の大イタチと似たような胡散臭いものです。半田のカラクリでは観客めがけびっくり妖怪山猫を発射する瞬間の写真がカメラ男たちの的になってるというかんじですか。山猫自体が定番の見世物妖怪。。文献の「竹田からくり」を再現とのこと。
船弁慶がバケモノ話になるのは江戸中期と、わりと早かったのか。
塵塚話(燕石十種所収)の傀儡師の思い出話は1750年頃の話で、怪しい門付というとこからスパイ説が出てるが、なら一月に七八回やってきたのは頻繁過ぎるし「今は絶てなし」ということは江戸ではかなり瞬間的だったことも伺えます。関西から中部のものだったからカラクリが残ったのかな。
人形まわしを山猫と江戸では呼んだ、てのは何やらオチを名前にされてカラクリもなにも、、
◆元興寺創建千三百年記念
屋根裏探検
極楽堂の裏の書院の屋根裏だそうで。鶴の絵は職人のイタズラの域を超えてるような出来ですね、、
◆へえ。そういえば見たことあるような、河童が不浄のものを好むことから厄のついた胡瓜を食べてその身となったとか遠い昔に俗説聞いた気もする。関東であんまりないな胡瓜封じ
◆建物の見えないとこに落書きするのは古今よくあるけど、仏像の内刳に落書きするのは知らなかった、、、呪術的落書きなんて想像することもあるけど、仏像とあらば逆に意味のない落書きぽいな(ぶらぶら美術・博物館)

宗教美術は前提知識がないと単なる面白がりになってしまうから難しいな。
◆ミステリアスジャパン録画見。太子町の梅鉢御陵群、伝聖徳太子の墓。二上山の向こうにあたる。登山から鹿谷寺跡石塔等見て奈良往復したが、こちらは行かなかったなあ。奈良からみて日の沈む黄泉と聞いた。御陵なら確かに黄泉だ。この番組は関西物件をやるので楽しい。関東は掘っても将門しか出ない。
◆ミステリアスジャパン、設楽原録画見。信長の側に3人の六芒星の者。震災頃に日ユ同祖論や忌部氏説で取り沙汰されたが、そのじつ守護に陰陽師を連れたのではと。本多氏屏風のリアリティについては→長篠合戦の実像 尾張徳川家伝来の屏風絵に?<武田が来た!6> : 読売新聞
◆30年近く前のミステリー番組を見ながらふと。個人的な三大関東ミステリースポット。中野の哲学堂。大船の瑜伽洞。あと一つ何だったか。。東高野長命寺か。栃木の岩舟山奥之院かな。 https://pic.twitter.com/jZEvs4TA7l








ネガしか載ってなかったので白黒反転(五月幟)島津斉彬公撮影 https://pic.twitter.com/elQCXZPYUL

◆この絵は3号陸蒸気をベースにしてるんだろか。若干の誇張と内部構造の誤解を除けば一番妥当にも思える。写真は書籍及びwikipediaより。青梅鉄道公園は左下の機関車(110形)最初のは明治初期とされていた。




◆狩野英孝

古写真見てると目眩が悪化するのは罪悪感だろうか
西郷どん









民間信仰ないし古いシャーマニズムが混交すると非常に時期特定がむつかしいけど、猿石など飛鳥の石造物と済州島の石爺さん(ドルハルバン)比べると、手とか像容は似てるような。後者の目は木彫的だし石質はモアイだけど。そしてどちらが古いかわからぬ。


似るのは石彫は技術が未熟だとなんとなく皆彫れる形が似てくるってことはある。
◆部屋の模様替えに「東京名勝一覧」(明治十五年十月七日発行)に交換したら、あら、上野大仏さんが。この銅版画集は市販地図からのまとめっぽいけど、写真をもとに書いたぽいのがいくつかあって、これもそれっぽいなー。大仏に柵ができてます。

1880年代にしては浅草寺参道が古臭いかんじもする。左奥に鳩豆屋があるねー。台の上に豆を置いて売ってる。葦簀が見える(本に出てくる)。板屋根の小屋に「西洋品」と。超小型銅板なので限界はあるが、西洋遠近法が歪んで面白い。人がものすごく小さい。

鳩豆屋、大きな白い丸傘がトレードマークでした。
吉原大門はアーチだったり(幕末から断続的)、その真ん中の上に外連味たっぷり女神像を置いたり。明治十四年とされる写真とこの明治十五年の銅版画は門柱の模様以外らそっくりです https://pic.twitter.com/TeO2zQiycC
