











左ハ池上
右ハほりの内
池上は池上本門寺、ほりの内は堀之内妙法寺、後者は法華寺の祖師像を頂いた、共に江戸の二大日蓮宗寺院となっており、立源寺と関係があるのではないかとおもっています。天保年間のもの。ちな

これは鉢状穴ではないですよね。話を戻して、右の題目塔は土台こそ左と同じですが上は大正時代のもの。穴のようなものはありません。左はたぶん材質は同じなのですが、石碑の根本石の四隅に

こんなすり鉢状の穴がある。こちらにだけあるのが怪しい。江戸時代のものということです。

四隅のほかにもうっすらですが2つほど認められました。

うーむ。

どうなんでしょうね。四隅に何か立てるための穴かなとも思いましたが、石塔に笠をかけるとか聞いたことないし。




行善寺境内左手の観音堂は元は成田山信仰の新盛講、深沢不動教会系の祠であるらしい。右標柱に「成田山分教會高津村二子新盛講中」とあり左脇に近世の講中碑や童子像、石碑がまとめられている。左柱には多摩川新四国八十八箇所第38番とあるが今は近所の大空閣寺。手水鉢四隅に鉢状穴がある。

水盤は鉢状穴にやられやすいんだ。。











常円寺門前題目は江戸後期のものには僅かに鉢状穴的な凹部はあるが恐らく削り鞣している。明治以降のものには無い。同寺参道入口左はボコボコ。やはり日蓮宗題目塔はやられる。 https://pic.twitter.com/LGmW0ysdFv












ガーデンのところで目黒通りへ。右折してすぐのところに四差路があり、正面のマンションの下に堅牢な石祠があります。まさに辻神ですね。立派な説明板がありますが綺麗に文字が消えてます。向かって左が馬頭観音になります。まさにこの場所にあったのでしょう、絶好の場所です。右は邪鬼を踏んでますし青面金剛、庚申塔でしょう。残念ながら青面金剛は剥落が多く顔もわかりません。このへんは部分的に空襲を受けており、そのせいかもしれません。左のほうはきれいです。しかし、よくよく見ると、共に上が不自然に欠けている。これは。スマホで覗くと(とくに左)鉢状穴ですねー。しっかり擂鉢状の穴が、おおまかには三つずつあります。石仏の頭を掘り込むのは悪質な感じもします。あまりないような。堅牢な祠はそれを防ぐためなのか。こちらも丁寧に拝まれている形跡がありました。銘は剥落してほとんど読めませんが、馬頭観音の左脇に明治六年とありました。鉢状穴は明治時代にはまだまだ穿たれていました。









何と加西市の羅漢寺に時期不明の石棺があり鉢状穴がみられる!按ずるに水鉢として用いられた模様。蓋は竈の蓋に用いられている模様。 https://pic.twitter.com/a6WAQpevuL




鶴林寺の「石風呂」にも鉢状穴は認められる。底に水抜き穴がありかつ小さいが、ここでは「湯船」とされ、花や線香を立てる穴としている。生石の高齢者施設内に近所から集まった石造物が置かれており巨大な家型石棺の蓋が目を引くが、ここにも寺経由で移された鉢状穴を穿たれた石棺?がある。 https://pic.twitter.com/5mWm1e0cP1

東京
大田区
勝海舟晩年の別荘も農家風のもので戦後なくなったが、お向かいの日蓮聖人足洗の松のあるお寺、日蓮宗ということは、、、近寄れないけど題目塔台石に無数の鉢状穴。道標、辻の刑場跡、法華宗寺院前に多くあるから開けられただけで宗派は関係ない(水盤にもよくある)





了源寺。夢見ヶ崎ちかく。名号塔、鉢状穴あり。



















日蓮宗題目塔に多い鉢状穴。やはり多かったが、3段の基壇の場合真ん中の2段目に穿たれるようだ。門前の有名な、江戸末期の海外絵図にも出てくる大題目塔。一部補修されている。3段目の深い穴は明らかに鉢状穴と別物で、このあたりを丸焼きにした空襲による破損かもしれない。 https://pic.twitter.com/0rPEA0A8ZM




養源寺の門前塔。数は少ないが鉢状穴がみられる。石塔の様式はやや短く小ぶりで、鉢状穴が穿たれる江戸以前のものであることは確かだろう。本門寺には江戸前中期の古い石造物も数多く特筆できるが、恐らく災害などで明治以降新造したものも多く鉢状穴は基準になる。但古い水盤なのに鉢状穴の無い所も。 https://pic.twitter.com/kyVRbapwDj








新しい社の脇の稲荷に古い手水。やけに正確に、四隅の深い穴。鉢状穴にしては…と後ろを見たら年号が江戸後期。鉢状穴認定。よく見るとコンクリ補修もあり、戦災臭い。宝篋印塔の相輪片がまるで穴を穿つ道具のように置いてあるが新しそうだし別由来かな。西小山。




碑文谷鬼子母神堂(明治末年に法界塚境内移転)附石塔のうちこの石塔は正面・裏面に盃状穴が穿たれているが、脇に鬼子母神、東京目黒とあり、明治以降のものとわかる。明治のものに盃状穴が穿たれるのは割と珍しい。民間信仰で煎じて飲むか、悪戯か願掛けか、元位置含め想像ふくらむ。 https://pic.twitter.com/J6Qr7fM6V6
盃状穴が石碑の正面に多い場合、横倒しになっていた可能性は高いなあ。横向きで穴をあけるのは難しい。意図的にやったようなものは山梨の石仏にあったけど。 https://pic.twitter.com/ta2SFrzT9z




松光寺のタタリ仏。触ると祟るという。台座に貞亮院深心等の文字がある(院の墓もある)。新しく見えるがよほど硬い石のせいか。よく見ると割れ欠け多く、背に一瞬盃状穴と思う深い穴が穿たれている。恐らくいつか光背を付けたのだろう。綺麗に配置されているが元は奥にあったか。高輪台二本榎そば。 https://pic.twitter.com/ZqtC40jFXu

