揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

1994/9【伊豆七島最後のメランコリ】噴火前の三宅島に雨と温泉の恵みを感じた溶岩旅【壮絶火山島】

疲れていた。

硝子のむこうの雨を見ながら、あ、もう島行っちゃおう

そう思った。ろくに寝てない日々で、休みはたまっていたから、それに秋雨で混んでいないと思ったので行ったことのない三宅島行の船に身をよこたえた。

だけど島に着く前に、高校生の体育関係のイベントで宿が全部埋まっていると言われ、あっちこっち問い合わせやっとつながったとこは、島の人ではない人のいとなむという民宿だった。とてもよくしてくれた。

いつものようにまずは観光バスを頼む。いっぺんに観光ノルマをこなして自由になるためだ。たいていオフは他に客がいないからバスは貸し切りになる。毎日定期運行なら、最近はバス自体がないのでこんなことを書いてもしょうがないのだが、0人でも運航している。なので一人でも受け入れられた。車の運転はしないので自転車になるがこんな豪雨では無理なのでバスだ。

三宅島は火の島である。ほんとに、火山の縁に人が住んでいる。中にある湖はカルデラで、一つは蒸発して無くなった。このときは1962/1983年の大噴火の爪痕をまわるバスだった。
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火の山峠
1962年の溶岩流を見下ろす
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黒々としたうぶい溶岩は緑を引き裂く。赤い砂漠はなめらかに海に注ぐ。伊豆七島の荒々しさはそれぞれにあるが、活火山という点で大島と三宅島は激しいし、三宅島は小さいのだ。2000年の噴火でガスが発生しいよいよ環境は人の居住を拒み、鳥の島であったのが一時期は危機が叫ばれるようになったのだが、石原都知事がイベントで島の再開を推し進めたのは記憶に新しい。ここに書くのはその前の話だ。
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昭和15年一夜にしてできた噴火口「ひょうたん山」、三宅島瑞逸の景色だ

御笏神社
神着集落で神託で場所を変えるも明治7年に噴火でまた変えざるをえなかった。四社合祀しているようですが式内社です(佐伎多麻比咩命神社と推定)。多くの小社が集められていて牛頭天王社は祭りを行う。
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旧役場(都指定史跡)壬生氏旧居館、御笏神社の神主を兼ねる
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伊豆岬灯台
近くで地層が見られる
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伊豆七島の海岸は一様に黒い。伊豆と同じく砂浜は火山性の黒い砂なのだ。霧にむせぶ三宅島には異界性が漂った。山を筆で塗ったような黒い溶岩流は、木々を焦がし、人の営みも拒絶する。

旧阿古集落跡
1983年噴火で溶岩流の下となった。
阿古小中学校跡は2007年に遊歩道が整理されすぐそばまで近づけるようになった。地学的興味があれば行かれるのがおすすめです。廃墟趣味嫌い。
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メガネ岩
江戸時代の溶岩流が海に注いだところ
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宿泊はフェリー港そばの坪田。
天気悪化で当然のように翌日の船は出ず、延長する。
船が出入りしなければ他の宿泊者も増えない。
他に一人もいなかったが。
ご飯はおいしかった。
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雨の中、バスに乗って西へ向かう。
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途中歩きつつ。
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阿古のはずれにコンクリの公衆浴場があった。よく混んでいた。1995年に「ふるさとの湯」として整備したというものと同じだと思うが、あきらかに小さかったし、溶岩原のはずれにぽつんとある秘湯感のある地元温泉だった。

この温泉が自分史上最強で、湯の華というより泥の浮く黄土色の硫黄泉。体にまとわりつく泥感はピリピリと皮膚を刺激する。粘膜直撃はやばいです。ここから見上げた山肌の溶岩流が印象的だったが、写真がないのはカメラを持ってこなかったせいだ。

戻ってはまた出てを繰り返す。

翌日は山を登ろうと思った。800m程度の火山だが海からせりあがっている。目標は湖で、そこまでの山林ルートを歩くのである。

大量にCDを持ってきていた。

ブルックナーはアルプスに登っただろうか。よく登山ブームと19世紀後半の中欧音楽がつなげられて語られていた。「ロマンティック」を持っていく。クナッパーツブッシュだったか。
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大路池。現在三宅島唯一の湖となっている。大昔の噴火口に真水がたまったカルデラ湖でここにしかいない藻がいるらしい。見てもよくわからなかった。太宰治が来たという。帰って良かった。ここまでのハイキングコースを歩いたわけである。地図を見ればわかるが雨が降ってなければどうってこともない。野鳥施設「アカコッコ館」は現在再開されている。アカコッコは三宅島で有名な小鳥だが見えるわけもない。雨だから。

森閑とした池は島の池というイメージとは違って、山の池の雰囲気がある。ブルックナーはどうしたかというと、1楽章の提示部でやめた。登山とブルックナーはあわない。実践とイメージは違うのである。

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ここはまるで溶岩池のようだ。
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雲の向こうに御蔵島が見える
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黒い海岸で御蔵島を見ていた。傘をさして、ヴォーン・ウィリアムズのハーモニカのための幻想曲を聴いていた。御蔵島は当時直接行くのが便が少なく、近くの島から中継して行かなければならなかったか。八丈島から東京まで東海汽船の甲板で海を見ていたことがある。御蔵島は伊豆どころか小笠原の火山島のような南洋感があり、しかし周囲の絶壁から落ちる滝はまるでフィヨルドの滝のような壮絶な高さで圧倒してきた。この雲の向こうで同じような雨をあびて、滝はどのくらいふくらんでいるのだろう。乳色の空が気分に重くのしかかり、黒い岩の折り重なる海岸に弾けた水しぶきがかぶさってくる。だがハーモニカの不可思議な和音はこれを幻想的な風景として、記憶の深いところに落としていった。

もっとましな感じのことをこの直後に書いて、のち音楽ブログに載せてある。
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船が出るという。その前に植物園の温室に行った。今はないのだろうか。
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当時のひどい労働環境だからこそ、こういうメリハリがきいたと思う。いま旅をしてもあまり記憶に残らない。
年のせいではない。
決して。







by r_o_k | 2021-02-25 19:45 | 旅行 | Comments(0)

by ryookabayashi