疲れていた。
硝子のむこうの雨を見ながら、あ、もう島行っちゃおう
そう思った。ろくに寝てない日々で、休みはたまっていたから、それに秋雨で混んでいないと思ったので行ったことのない三宅島行の船に身をよこたえた。
だけど島に着く前に、高校生の体育関係のイベントで宿が全部埋まっていると言われ、あっちこっち問い合わせやっとつながったとこは、島の人ではない人のいとなむという民宿だった。とてもよくしてくれた。
いつものようにまずは観光バスを頼む。いっぺんに観光ノルマをこなして自由になるためだ。たいていオフは他に客がいないからバスは貸し切りになる。毎日定期運行なら、最近はバス自体がないのでこんなことを書いてもしょうがないのだが、0人でも運航している。なので一人でも受け入れられた。車の運転はしないので自転車になるがこんな豪雨では無理なのでバスだ。
三宅島は火の島である。ほんとに、火山の縁に人が住んでいる。中にある湖はカルデラで、一つは蒸発して無くなった。このときは1962/1983年の大噴火の爪痕をまわるバスだった。
火の山峠1962年の溶岩流を見下ろす 黒々としたうぶい溶岩は緑を引き裂く。赤い砂漠はなめらかに海に注ぐ。伊豆七島の荒々しさはそれぞれにあるが、活火山という点で大島と三宅島は激しいし、三宅島は小さいのだ。2000年の噴火でガスが発生しいよいよ環境は人の居住を拒み、鳥の島であったのが一時期は危機が叫ばれるようになったのだが、石原都知事がイベントで島の再開を推し進めたのは記憶に新しい。ここに書くのはその前の話だ。
昭和15年一夜にしてできた噴火口「ひょうたん山」、三宅島瑞逸の景色だ
御笏神社神着集落で神託で場所を変えるも明治7年に噴火でまた変えざるをえなかった。四社合祀しているようですが式内社です(佐伎多麻比咩命神社と推定)。多くの小社が集められていて牛頭天王社は祭りを行う。