揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

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【江戸招き猫起源】薄雲太夫の墓参り 2021/2/22

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芳年

新吉原三浦屋太夫、高尾の大名跡は名前だけなら十一代続いたといわれる。三浦屋は失せてしまうが同じ楼に元禄時代に薄雲という太夫がいて、これもまた大変に著名で芝居にもたびたび取り上げられた(万治高尾の打掛を継いだともいう)。三毛猫をかわいがり首に金の鈴をつけて揚屋に向かう道中かむろに抱かせた。その風景も人々に印象を与えたが、ひと時も離れなくなり、雪隠まで入ってこられてさすがに男衆を呼び、化け猫と首をはねたところ雪隠下で鎌首をもたげていた大蛇の首根っこに噛みつき共に息絶えた。猫の忠義に心打たれた薄雲太夫は帰依していた西方寺で楼主とともに自分と同格の盛大な供養を行い、施主となって塚をこしらえた。

これが猫塚で、身をひさぐ商売に左手を挙げる招き猫がつきものだったことから(江戸の商売招き猫は浅草に起源説がいくつかあるが両国回向院門前にあった非公認旅籠二軒の金銀招き猫を起源とする説がある、ただ時代的に遅すぎる、これは心中事件を起こし評判をとったので後付けされた説のようにも思われる)この寺を招き猫ゆかりとし、遊女ますます崇敬をあつめた。猫塚と高尾太夫の紅葉が名所になった。

関東大震災で破壊された塚の名残として巣鴨移転時に、住職が門柱上に招き猫石像を置いて、そのじつ人を呼ぼうとした、それが最近落下し壊れたのを万治高尾墓前に置いたのが今の状態となっている。薄雲太夫の猫好きは浮世絵にもなり、上記伝説はなく、仏教的に、しかも元禄時代にはまずありえなかった愛玩動物供養、「ペット墓」の元祖であった可能性の方が高いだろう。薄雲太夫にあやかりたいなどあったかもしれない。ローカルな名所だったのだろう。巣鴨の今は何も招き猫の雰囲気はない。

別の本では薄雲はここでは万治高尾(仙台高尾)と混同されていたとある。西方寺に薄雲の墓はない。薄雲の姉分が万治高尾とする説は時代が合わない。薄雲が高尾の名跡を名乗ったという説もあまり一般的ではないか。
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仙台高尾の足跡を追え!(遊女供養塔刻銘、出身地、昭和明治写真追加、高尾考挿絵追加、仙台の高尾門、通称高尾墓写真、昭和初期写真を追記)ついでに薄雲太夫の墓参り。→結論めいたことまで→明治中期お品資料追加_b0116271_21340191.jpg
「東京名所図会」(明治中期)より移転前の土手の道哲

薄雲太夫は無事源六に身請けされた。三代までいたという話がある(のち他の楼でも使われるようになる)。伊達綱宗蟄居していた仙台屋敷跡も遠くない、新馬場駅近く、妙蓮寺に薄雲太夫の墓というものがある。非常に立派な傘塔婆(少し欠けている)で典型的な江戸後期の様式だが、没年銘刻は元禄時代から少し下った年月となり猫の薄雲(身請けされた公式記録のみ残るので)の供養墓であることは確かか。題目と没年・戒名以外銘刻は一切ない。左脇の上の欠けた尼僧墓と関連がありそう。ほか丸橋忠也首塚がある。
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かつての巣鴨西方寺。現在入口は大幅に現代化されている。
仙台高尾の足跡を追え!(遊女供養塔刻銘、出身地、昭和明治写真追加、高尾考挿絵追加、仙台の高尾門、通称高尾墓写真、昭和初期写真を追記)ついでに薄雲太夫の墓参り。→結論めいたことまで→明治中期お品資料追加_b0116271_17233172.jpg
仙台高尾の足跡を追え!(遊女供養塔刻銘、出身地、昭和明治写真追加、高尾考挿絵追加、仙台の高尾門、通称高尾墓写真、昭和初期写真を追記)ついでに薄雲太夫の墓参り。→結論めいたことまで→明治中期お品資料追加_b0116271_17234605.jpg

元記事



by r_o_k | 2021-02-22 12:33 | 旅行 | Comments(0)
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