
芳年
新吉原三浦屋太夫、高尾の大名跡は名前だけなら十一代続いたといわれる。三浦屋は失せてしまうが同じ楼に元禄時代に薄雲という太夫がいて、これもまた大変に著名で芝居にもたびたび取り上げられた(万治高尾の打掛を継いだともいう)。三毛猫をかわいがり首に金の鈴をつけて揚屋に向かう道中かむろに抱かせた。その風景も人々に印象を与えたが、ひと時も離れなくなり、雪隠まで入ってこられてさすがに男衆を呼び、化け猫と首をはねたところ雪隠下で鎌首をもたげていた大蛇の首根っこに噛みつき共に息絶えた。猫の忠義に心打たれた薄雲太夫は帰依していた西方寺で楼主とともに自分と同格の盛大な供養を行い、施主となって塚をこしらえた。
これが猫塚で、身をひさぐ商売に左手を挙げる招き猫がつきものだったことから(江戸の商売招き猫は浅草に起源説がいくつかあるが両国回向院門前にあった非公認旅籠二軒の金銀招き猫を起源とする説がある、ただ時代的に遅すぎる、これは心中事件を起こし評判をとったので後付けされた説のようにも思われる)この寺を招き猫ゆかりとし、遊女ますます崇敬をあつめた。猫塚と高尾太夫の紅葉が名所になった。
関東大震災で破壊された塚の名残として巣鴨移転時に、住職が門柱上に招き猫石像を置いて、そのじつ人を呼ぼうとした、それが最近落下し壊れたのを万治高尾墓前に置いたのが今の状態となっている。薄雲太夫の猫好きは浮世絵にもなり、上記伝説はなく、仏教的に、しかも元禄時代にはまずありえなかった愛玩動物供養、「ペット墓」の元祖であった可能性の方が高いだろう。薄雲太夫にあやかりたいなどあったかもしれない。ローカルな名所だったのだろう。巣鴨の今は何も招き猫の雰囲気はない。
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