








<追記>石碑など現存し、羽黒山奥之院荒澤寺境内とみられるむねお教えいただきました。堂の屋根は銅葺きになっているとのこと。













◆どこやねんこれ(鎌倉周辺ぽい)→あらゆる手段で調べたが近現代の記念石碑らしく一切手掛かりなし
昭和初期のセルロイド乾板写真 めさ小さい























ちょっと検索したら三枚目、間違いなく富士山頂浅間神社奥宮でした。左端はまさに御朱印を受け付けているところでしょう。

船は練習帆船あまきに見えますが、あまきは大正14年に失われております。また塗装が無いようにも見えます。これは昭和35年まで使用された地上レプリカだそうです。といっても同時に建造されたものです。
https://toba-archive.jp/content/detail.php?no=173
したがって海だから下部が見えないんではなく、無かったのでした。よく見ると石積みがぐるりしている。リンク先の画像と比べてみてくださいな。
元箱根石仏群、伝曽我兄弟と虎御前の墓(永仁年間の関西様式の入った大五輪塔で、各銘を総合すると箱根の地獄信仰の地蔵講により西大寺から鎌倉に下った忍性の息の掛った五輪塔と考えられる)





