1986年の前半期、ハレー彗星が来ました。バブル到来の東京の空は明るすぎて、明け方近くの深夜にならないと見えず、しかも肉眼ではぼーっとした幽霊のような前評判と違ったもの。
※こちらは1835年(騒ぎになったのは1910年、周期は必ずしも一定しないとされています)
では船の上で見ましょう。
登山もかねて浜松町から伊豆七島便、大島経由の神津島へ行くことになりました。東海汽船の大きな安定したフェリーは何度も甲板の先頭で最初から最後まで海を見ていたくらい好きでした。でもあいにく、年度がわりだったのです。
2等船室の雑魚寝場は人のオイルサーディンです。廊下、禁じられていたけど甲板、人がひしめいて足の踏み場もない。メガネをなくした。そんなところに「ハレー彗星が見えます」のアナウンス。やはり明け方近くで、寝ている人が多く、甲板へはちゃんと出れました。船は停止し明かりを暗くしています。フェリーの周りが蛍光色の蒼で光っています。揺らぎ千切れまた丸く、夜光虫の大群を見て「これはお化けと間違えてもおかしくないな」と顔を上げたら、何かが水平線の上に見えます。「何か」が。
めがねをなくしていた。
でも、流れ星のように動かず、流れ星より太い光の束は宇宙の空想の産物のようでした。地球は夢を見させられているのかな。何かを見たことはたしかです。
ハレー彗星は前世紀には大きく世を騒がせましたが、このときは心象的なものをもたらし、杉浦日向子先生が好きだった自分はこれを作品に取り入れた本で、井上安治を知ったのですがそれは本題ではない。
大島につきます。今は高速船で日帰りできる島。
朝四時だったかな。
神津島へはそこからさらに時間がかかります。神の島ともいわれ、神秘的な白い山と伝承に彩られている。
天候が悪くなることがわかっていたので、港から直登りです。ほんとまっすぐな道です。山としては572メートルなので水面から計測してもさほど高くないですね。
白いものは砂です。山の上にみっつほど小さいですが白い砂浜のような砂漠があります。
山上池が二つあります。弁慶池はパワスポ的観光地になっていますが、こちらは神秘的なババア池。
すぐ降りれます。裏砂漠からの展望。
天気悪い。港の風景、晴れていたら絶景でしょう。汚れてしまった。ちょっと観光。灯台。神津島唯一のお寺、濤響寺。そのためパワースポットとされているそうです。今はもっと灯篭とか立ってたかな。江戸時代のお寺だと思った。うずまき岩。褶曲ですが部の先輩が岩つたいに行こうとして落下して亡くなっています。荒れてきました。二つのテント場がありますが港近くに張ります。ごう、ごう「大丈夫ですかー」「大丈夫ですー」破裂した入口のジッパーを戸板を拾ってきて補強するごうごうごうばかん!「大丈夫ですかー」「だめですう」警官の指示で農家の倉庫に移動しました。快適な屋内テントライフ。
爆弾低気圧は三日の停滞を強いてきました。そうです。この旅行はこれだけです。
おそまつ。