揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

【音楽の時間】おばけになった音楽家たち、おばけに依頼されたアマチュア作曲家【モーツァルトではない】

音楽家は幽霊になります。
これは疑いようのない事実と言えるでしょう。
【音楽の時間】おばけになった音楽家たち、おばけに依頼されたアマチュア作曲家【モーツァルトではない】_b0116271_15140671.jpg
***

ローズマリー・ブラウンは70年代オカルトを経験した子どもなら覚えている名前でしょう。彼女には突然、リストやベートーヴェンなど夥しい数の楽聖が憑依し作曲をするようになりました。


https://youtu.be/_sLqPFw1rU4

「風」と言うしかない曲だったのです。でも当時の空気は「そっくり」という印象を与えました。膨大な数を書きなぐったことも話題になります。クラシックの作曲家として名を残すベネットはそれを受け容れたうえでいくつかの作品の質を高く評価していました。もっとも、リスト「風」の上掲の曲が代表作というならば、これは20世紀前半の周縁国産ピアノ曲である以外には晩年の暗いトーンくらいしか本人作品らしいものはない・・・彼女はスピリチュアリズムの本場英国の人でした。

***

英国往年の名指揮者サー・ジョン・バルビローリの名を、こんな本で見かけるとは思いませんでした。J.A.ブルックス著「ロンドンのゴースト達」です。セント・マーティン・レーンのコロシアム座にはかつて、第一次大戦で戦死した士官が出たというが、今は見かけない。そのかわりに、サー・ジョンが…よりにもよって「出る」というのです。例えばデビッド・ヒューズはプッチーニ「蝶々夫人」の舞台で唄っている最中、間近で、サー・ジョンのしわがれ声に“激励”されたのだそうです。

バルビローリは確かにこの歌劇に情熱を注いでいたし、その清新な録音は数ある中の名盤とされています。


急死した人間は死んだ事がわからずにさ迷うといいます。穏やかに死んだ人間は雲散霧消してしまうのだろうか。とすれば、急死した方が得だとも考えられるし、残された者にとっても救いがある。バルビローリは70年大阪万博来日を目前に急死しました。

***

以下は引用です。マスネの話。



マスネの亡霊

唐の廉承武の亡霊は、己が作曲の伝え漏れを悲んで、我朝の仁明天皇に秘曲を教へ奉つたと云ふが、近くは佛蘭西の歌劇作曲家マスネ氏は、其処作パヌールジーの下稽古に、亡霊姿で舞台に現はれた。氏は去る一千九百十二年(大正元年)即ち十年前に物故した人であるが、その翌年の或る日に、しかも巴里の真中にこの不可思議の出来事を伝へた。

当時、ゲーテ・リリツク座(歌劇々場)の、バリトンの受持であったマルター氏の直話だと云ふのを搔摘むと、同氏の目撃したのは、パヌールジーの稽古が始まつてから、丁度二日日の二幕目の終りに、舞台の右側の隅から出たと云ふのであつた。その時マルクー氏は、それは自身の幻覚作用であると思ったので、衆人に話したら、きっと物笑いに終ることだらうと、自ら口を噤んで其日は家に還つて、神経鎮静剤などを服用して、無理にその夜を過したが、幻愛としてはその眼に映じ方が、あまりに明瞭であつたので、寄異の思ひをしていた。マルクー氏の見たのは、マスネ氏が何時も生前に着ていた鼠色のフロツクコート姿で、管弦楽の拍子に会はして、手拍手を採りながら、歌劇の仕草の可いとか悪いとか云ふ時には一々うなずいたり、または首を横に振つたりなどして、熱心に稽古を指揮していたと示ふことだ、すると其翌日になつて、同座の重な役を勤めていたルシー・アルベル嬢が、三幕目の二部合唱の時になつて、自分自身の腕を捕へながら「アレイ」と気魂しい仰天の声を放つて皆の人を驚かした。それは、アルベル嬢もマルター氏と同様マスネ氏の亡霊を見たからで、昨日マルクー氏が見た通りに、しかも同じ場所で、管岐楽の指揮をしているのぞ見たと云ふのだつた。その時は、マルクー氏も、アルペル嬢も、謡う歌の声が振へすにはいられなかつたとふことだつた。ところが幕間の時になつて、道具方の連中が、大勢でマスネ氏の亡霊を見たと云ふことをば、同座の舞台監督に訴へた。それからと云ふものはこの劇に関係のある人々の眼には、毎日の様に、同じ場所に、同じ姿で、定つて見えた。其処で舞台監督は、或日写真機を適常な位置に据えて、四人の者の眼に一斉に映じた時を合図に、ドッとその姿をカメラの中に収めて仕舞つた。さうしてその種板を現像して見ると、何物も映つてはいなかつたと云ふことであつた。

マルクー氏の更に続けて云ふことには、最初は自分の眼を疑つていたが、仕舞には大勢の眼に均しく映ずるやうになつたので、それは疑ひもないマスネ氏の、自身生前の作曲に憧れて熱心のあまりに姿を現はしたのだと云ふことに決着したが、最初は亡霊にのみ皆が気を奪われていたので、これでは仕舞まで稽古を続けることが出来るだろうかとさへ危まれたけれども、慣れて仕舞へば稽古も進捗したと云ふことだつた。

又この芝居の舞台監督は、由来このゲーテ・リリツク座の歴史のうちには色々不思議なことが多くて、その中には亡霊に関したことも沢山あると云つた。それからこの芝居の或る古顔の雇人の一人は、この座の亡霊はマスネ氏一人に限らない、まだまだ多くの例を実験したと云つたさうだ。して見ると亡霊と同座とは何かの因様があるのであらうが、マスネ氏のは、芸術に対する執着を示しているので、作家としては尤な次第である。と同情に堪へない訳だ。

~鈴木鼓村「鼓村雑記」S19

この曲はマスネ没後一年にLa Gaîté lyriqueで初演。下稽古で熱心に指導をつける作曲家の姿を見る者が大勢現れました。


Jules Massenet PANURGE (intégrale) https://youtu.be/1DJKVLpC8Bs

***

作品を作るということは執念です。演奏を作り上げるということもまた執念でしょう。舞台芸術であれば規模が大きいからなおさら執着するものなのかもしれません。マスネは、明治32年生まれのバルビローリより昔の人です。

オカルティズムに足を踏み入れたスクリャービンなどの作曲家、伝説のまとわりつくタルティーニなどのテクニカルなヴァイオリニストには悪魔めいたものとの交流が取りざたされることもありますが、それは「悪魔のコード」のような至極作曲技法的な話に帰結するものだったり、冗談めかした話、うわのそらで語ったたわごとのようなものでしょう。プレスリーを襲った音、逆回転すると悪魔の声のするレコード、ロバート・ジョンソンが四つ角で出会った悪魔との契約(クロスロード)、音楽はとても数学的な作り物であるにもかかわらず、脳に直接作用する危険なものです。それを作っていたのだから、意図せず幽霊になってしまった音楽家もいたかもしれませんね。

by r_o_k | 2021-04-06 17:34 | 不思議 | Comments(0)
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31