揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

【ミステリースポット】八幡藪知らずは江戸時代から不思議スポット【明治の迷路ブーム】

唐突に八幡の藪知らずの話を聞く。懐かしい。本八幡駅が最寄になるか。江戸時代から知られた「禁足地」、入ってはならない小さな藪で、近在の葛飾八幡宮に関連した神域であるとか、古代武人の古墳ないし十三塚であるとか、いずれ侵せば出られなくなる、行方不明になるという。明治時代にかけていろいろ小説に使われ、どの伝承が正しくどれが間違っているのかもわからない。水戸黄門が試しに来て本当に迷ったという話もあるが小説らしい。葛飾八幡宮には異様な千本銀杏もあるが、こちらはあくまで竹藪など大して古い木もない。

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〜八幡のやぶ知らず

八幡の新不知とか八幡の不知森とも書く。国道14号線に面したわずか30メートル四方ほどの小さな森だが、ここにはいろいろな妖怪しがあって、昔から「絶対に入ってはならない場所」として恐れられてきた。そのいわれは諸説があってはっきりしないが、ひとつには、平安時代、平将門と戦った平自盛が八門遁甲なる必勝の陣を敷いたとき、ここがその死門にあたっていたため、後世に人の入ることを禁じたという説。あるいはその戦いで討たれた将門の死体がここに理められたため、その呪いがこもっているのだといった説がよく知られている。

そしてこの禁を犯して足を踏み入れた者は、二度と外へ出れなくなるか、出られたとしても恐ろしいたたりを受けることになるという。

おもしろいのは、この伝説を聞いた水戸黄門がためしに入ったところ、迷いに迷ってやっとの思いで抜け出てきたという話で、一説にはこれを利用して黄門が妖怪を封じこめたともいう。出られなくなる理由としては、昔は今よりもずっと広い森であったということのほかに、森の中に有毒ガスを噴き出す穴や底なしの小沼があったのだろうといったことがあげられている。

明治6年、あるもの好きが村人がとめるのも聞かず、この中に入っていった。すると奥に大きな穴があり、1個の茶碗が置かれていた。そこで家に持ち帰ったが、特別たたりのようなものは受けなかったという。

現在は表通りに玉垣がめぐらしてあって入口がなく、中へ入れないようになっているが、老木が何かのオカルトパワーでも受けたかのように、おどろおどろしく茂っているさまはやはり無気味だ。
〜山梨賢一「不思議の旅ガイド」1985

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鳥居の上に首、とか怪我人が戸板に載せて運ばれた、とか知らない人が掃除してた、とか近所では誰も木一本触ろうとしない、とか最近の噂話も百出の様相。今も池があるという噂は初耳。植生は棕櫚とかもあって不思議なんだよな。

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八幡知らずの森(藪知らず)(明治中期、東京名所図会)
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大正後期
2020/5/27cocl.-6/8早朝<日記部分>日常戻る感染増える、八幡藪知らず(写真追加)、力石、袂石、田中貢太郎碑文谷自宅跡、日本三大弁天、洗足池と道標、坂本龍馬集他_b0116271_17243151.jpg

この八幡藪知らず(明治時代には八幡知らずのほうがよく呼ばれた模様)がいかに人気で、地方にも作られ、ひいては迷路の代名詞となったかについて宮武外骨がすぱっとまとめている。以下「明治奇聞」(国会図書館デジタル一部収録、河出文庫絶版)、前半部は清水谷漫歩の抜粋引用翻案(「明治奇談」)より・・・


八幡不知の大流行

~ かくれ杉 八重襷 八陣

延享三年の「本朝俗諺志」二の巻に「八幡不知」と題して左のようにかいてあった。

「下総国葛飾郡八幡に方十間ばかりの森あり。かりそめに垣を結びたり。此森へ入りたる人は再び出る事不可能なり。八幡の八幡知らずと言う」

この奇径千万な伝説に拠って色々の小説にも八幡不知の事が提造されたので(注:水戸黄門にまつわる話もこのたぐい)、八幡の八幡知らずは事実であったかの如く顕著になっている。更に又この八幡の森に擬したものとして、迷路式の一郭内に薮を構造し、入場料を取ってその藪に入らせて、藪から無事に出て来た者には賞品を出すと言う興行師が江戸時代に流行したが、その興行が東京時代になって復活し、明治十年頃には各地で大流行した。

同年四月拾日発行の「読売新聞」に一奇談が出ている。

「大阪難波新地へ出来た八幡不知の藪の中で、今月八日に二十四、五の大の男が大声をあげて助けてくれ助けてくれと泣きながらわめくゆえ、何事かと居合せた客も木戸番もかけて来てどう言うことかときくと、その男は涙をはらい不佞(ふねい、くちべたにかたる)ことは島根県下出雲国第十八区大原郡養賀村住野々村三益と申す医者でこざるが薬品買入のため今般初めて登坂(大阪にくる)仕り、江戸堀上通り出雲屋永助方に止宿罷在り。今日は閑隙(ひま)ゆえ運動かたがた当藪中へはいり、彼是二時間十二分ほどに相なれど何分出る道もなく、右へゆき当り左へゆき当り、当惑の余り最早ふたたび帰国もならぬと、思わず声を発した事で面目仕第も御座いませんと言ったので、集った人も余りの事に可笑さを堪えきれず皆一同に吹出したから、マゴマゴ先生も大きに恥て帰ったといいますが、戴の中で迷う位では大かた藪に縁のある先生でありましょうが、東京でも「かくれ杉」また「八重襷」などと言ういろいろな藪が出来て、まよう人が沢山あります」

またその翌々日の同新聞に掲出した「大阪の景況」の中に「流行するのは八幡不知、かくれ杉、八陣と種々の名をつけたまごつき道にて之は六十五、六ヶ所もあります」とあるので当時大流行であった事が知れる。また東京でもこの八幡不知の興業が盛んであったことは前の抜き記中にも見えているが、当時市内各方面の空地で行なわれたらしい。そしてその報条(チラシ引札広告)には互に競って意匠をこらしたり、名高い文士・戯作者等に筆をとってもらいなどしたのである。その二葉をここに紹介しておこう。

運道奇回 一名八重たすき

〜こは杉苗の植こみに運道奇回の曲直は、たすきにあやどる生垣を、御遺入あって中央へ、出る道さえ八重ひとえ、はなの色香にあらねども、迷えばまよう八大地獄。悟れば定慧(仏教五力)の八正道(仏教で実践修行の要件である八種の正道)、八門遁甲八陣の、そなえも八幡のやぶしらず。御なぐさみと運動を、かねて御はこび下さるよう、主人とともに願うになん。

梅素

十月十五日びらき 向島三囲堤下 柏家 園中

この梅素と言うかたは文雅(文筆にすぐれている)の士として当時有名であった宮城玄魚の号である。次の竹柴金作は狂言作者として是亦嘗時世間に名を知られて居た人である。

端歌やへたすき
竹柴金作述

三下リ「八重襷、かけし誓に三囲へ、柏手ならで柏家が艦唄やへだずきおもひ月夜のかくれ杉、直な心を横道へ、曲るもすねた松のうち」
本調子「真似て見たさの雛がたが、勝利と成りし佐久間町あき葉のはらへおぎ楽のはらへ八陣は、是ぞ孔明名も高く、若松めぐり浅草へ、ふえてますます運動の、流行も智恵のちかみちを、おしへの端じやないかいな」
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背又此八幡不知の興行が盛んであった際、其流行につれて迷宮(此図の如き舶楽のマゴツキ道)の版摺物までが流行したのである、明治九年の初冬頃、「八重襷」とか「八陣」とか題せし袋入りの一枚摺が幾種類も出来た、又其迷宮の一流行が一転して野馬台詩の如き戯作物も流行した。斯かる流行が流行を生じて終には

俳譜八重襷

といふ事も流行した、それは八重襷の形式に字を列ねて、縦に読み横に読み斜に読みても句音の通ずるやうにしたもので、四隅の四字は各三句の頭尾に通じ、中央の一字は四句の中間字として四度譲まれる児戯的の苦作である。 」

ちなみに運動会の競技(余興)として以下のようなものが記録にある。実際に行われたかはともかく現在の神秘的な雰囲気とえらく違った扱いだったものだ。
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<写真集>

20年ちょっと前のフィルム写真なのに色褪せてしまった。
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葛飾八幡宮千本公孫樹 (樹齢1200年、祭礼の時、無数の蛇が現れるという伝承があった。葛飾八幡宮には源義家関連の遺物もある)
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by r_o_k | 2021-04-17 23:28 | 不思議 | Comments(0)
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