【成田山と浄土宗】剣を呑む祐天上人のモチーフあれこれ

2021/1/2
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尾形月耕

若き頃の祐天上人は記憶力にすぐれず、成田山の堂に21日籠って向上を祈る。満願の日朦朧としうたた寝をする。そこへ不動明王が現れ剣を抜くと喉へ突き刺すという。覚悟を求め、長い剣と短い剣のどちらかを選べと。祐天は長い方を選ぶ。口から喉へずぶっと突き刺され、胸は血しぶきを浴びて絶命した。だが不動明王が消え、介抱されると息を吹き返し、以後不思議と記憶力に優れるようになりました。この説話にならい浄土宗の僧侶であっても成田山に参るようになります。これは増上寺九世法主貞把上人の説話がもとになっているそうで、少々オカルト的な伝説で名高い祐天上人のものとして芝居に仕立てられたのが、特に江戸後期四世鶴屋南北等により有名となりました。しかしあまり絵は見ない気がします。幕末近くの国芳が描いたものは当時はやっていた生人形による場面再現ジオラマの絵起こしです。
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芝居からのジオラマの写し、という二段階をへているため絵のたびに形が異なっています。生人形は見世物ですが、剣を呑む現場を描いたものは見世物の奇術を想起するところもあります。

芝居絵は新作を描き役者を描くものですし、もともとの説話からはかなり脚色された感があります。明治になると芝居が増えたのか絵も増えます。こちらは成田屋ですから成田山と縁がある。
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芳年はどこか嗜虐的な雰囲気が。
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一方で仏画として様式的に描かれるものもありました。小林永濯の版画「不動明王と小坊主」明治24年。こういう絵は芝居絵の一方でめんめんと描かれてきたのでしょうか?
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そう思うのは、伊藤晴雨が同じような静かな構図で描いているためです。居眠りする小坊主は寺のお土産品にかつてよくあったかわいらしいモチーフと同じですね。経典がばらばらと落ちているのは前掲の絵と似ています。
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数が多いはずなのになかなか資料が集まらないのでひとまず記事にしておきます。2021年初のブログ。

by r_o_k | 2021-03-14 12:18 | ご紹介 | Comments(0)