2021/4/19【怪奇スポット】今度こそパワースポットまとめ【心霊スポット】
2021年 04月 19日


ヒント:建立は実は事故より前らしい(鹿児島)












運天港の髑髏塚(通称だろう)。現在は不明。歴博はドイツ語文献に引用されたこの図版を使用している。洗骨施設が洗練されてこうなったのだろうか。大規模風葬ガマって割とまだあるが、これはあからさま。守り神的なものなのだろうか?







ここは京都東山にならって三年坂と名づけられている(違うという説もききました)。元は無名というが、下の谷の名をとって「我善坊坂」と呼ばれた坂で、某宗教施設がウラにあるおかげで奇妙に綺麗に石段で整備されてはいるが夜はさすがに暗くてさびしい。



郵便局裏の我善坊谷は昭和の香りがする。ここに萬屋という質屋があった。美しい娘お玉は番頭長次郎と通じていたが、この谷に棲んでいた今度は「古猫」がお玉を見そめてしまい、挙句長次郎に化けて寝間に毎夜忍ぶようになってしまった。お玉はもちろん気がつかないが、日に日に痩せ衰えて行くお玉を見て両親いたく心配。医者に見せてもわからずじまいでどうしよう、そんなある夜お玉の大きな叫び声に両親寝間に駆けつけると、どこから来たものか1メートルはあろう大鼠が、猫又の首根っこに喰い付いて大格闘中であった。そのうち鼠はどこへともなく逃げ去って、大猫は血まみれで死んでいた。
お玉に事情を聞いたところこれこれしかじかと白状し事の真相があきらかになる。見る見るうちにお玉の様態も良くなっていってほっとしたのも束の間、評判が広がるとお玉に婿に来るという男がいなくなってしまった。仕方なく番頭長次郎を無理に婿にしたものの、あとで生まれた子供は猫のような顔をして泣き声もまるで猫だった。このへんはひょっとすると病にからめた因果応報談かもしれないが、いずれにせよ大鼠はきっと質屋の蔵下に長年住んだ鼠で、恩がえしであったのだろう、といって麻布七不思議に入れられた。もっとも、現在の七不思議には入っているのかどうか、よくわからない。七十不思議くらい必要なんじゃないか、麻布って、というところで雨が降ってまいりました。
エアスポットのように古い家屋の残った我善坊谷は、場所がらじき無くなるだろうと思っていた。だが風の便りに聞いていたナントカヒルズはここには作られなかった。十年以上がたった。2019年以降の麻布台再開発をもって大きく姿を変えることになるという。仕方のないことである。この麻布らしい窪地は秀忠室を荼毘にふし龕を据えて堂を構えさせたところから龕前坊谷と呼ばれ、文字を変えて我善坊谷となったものという。伝承はよそのものを芝居で転化したのだろう。
(東京)

お台場の砲台あと。現在地続きに立入自由なお台場はかなり深く抉れた内側に大きな暖炉やら倉庫穴やらが残ってます。関東大震災後の東京市史蹟写真集を持ってるんですが、こんなに深くはないよなあ。大戦のとき抉って深くしたのかな。心霊スポット認定されたことがあります。(東京)

この元箱根(旧峠)あたりは山岳信仰もあいまって霊スポットとしても知られる。他にも江戸時代の霊スポットのお玉ヶ池があるが、芦ノ湖自体が神霊スポットなので・・・箱根神社は色々経緯はあるにせよ源氏ゆかりの遺物が見られる。そばにそびえる二子山は千人の幽霊が下ってきたという「反古のうらがき」収録の噂話が記憶に残る。(神奈川)















中野の一本橋、のあったあたり。むかし薄気味悪い道で、女の幽霊が出たという。既に丸木橋から舗装道路に整備されていたけど、中野のあたりって夜になると異様な雰囲気を感じる場所がいくつかあった。泡盛飲むと闇の中に人の顔が明滅してたりブヨの群れが人の形になって街灯の下に立っていたりした。酒って怖い。このそばの道は海に下りる。昔の白骨が見つかったという。中野の浜では海坊主の話をきいた。爆弾漁で死んだ漁師さんじゃないかなあ。舟浮でも戦時中の不発弾などを解体し爆弾漁に使っていたが、暴発で指をとばされた人など普通にいたという。戦前は炭鉱の関係で白浜や離島(現在無人ないし個人所有、例の全裸生活男のもめごとは記憶に新しい)が中心地になっていた。



そんな廃坑の数々が眠る浦内川の最初のカーブは鰐の伝説のある「犬の子三匹」。サメなんだろうけど。(西表島)



修学院近くにある山中のここは京洛の不思議スポットとして挙げられることも多い。言うまでもない京都の表鬼門封じの寺。寺といってもちょっと変わったいきさつがあって、比叡山延暦寺の塔頭でありながら(閻魔大王である)泰山府君(赤山大明神)をまつる、神仏習合の社となっている。御所の東北の角に猿ケ辻という猿像が置かれた場所があることは有名だが、東北方向にあるこの寺、拝殿の屋根上に呼応するように南を向いた猿像がおかれている。猿は「災いが去る」の掛詞。サンスクリット文字だけで構成される特異な絵馬や、手作りの福禄寿おみくじなど土産物にも事欠かない。福禄寿をまつるが見ることは出来ない。(京都)



ここでは桃山時代に作られた夜叉神堂を見ておきたい。雄雌二体の夜叉神像はもともと南大門左右に安置されていたが、通る人が拝まないと祟りをなしたという。教訓的な意味合いもあったのかもしれないが、その後中門の左右に移され、中門がなくなったあとに現在の小堂にひっそりおさめられるようになった。弘法大師の作とされるが、じっさいとても古く、なにやら瘴気が感じられる。都七福神中で見られる最も不思議なスポットだと思う。(京都)


<<<恐らく日本でいちばん本物の天岩戸ぽいと思われるのがここ。昔は見ることすら禁じられたと聞く。今でも神社の人も近寄ることを禁じられている。

・・・神社に申し込めば誰でも解説つきで谷向こうの天岩戸を遥拝所よりのぞむことができる。撮影録画録音禁止。草草の向こうに白茶けた崖面が垣間見える。崩落している模様。七本杉はこれかな?という感じであんまりはっきりしない。
<<<確かにでかい岩窟だったようだ。でも今は原生林の中でひっそりと、神話の時代を伝えている。。


古代銀杏

天安河原・仰墓ケ窟
ここはやりすぎコージーでももったいぶってやってました。えはらさんもやってた。もっとも、天安河原なんて朝早く人のいない時間に行けという話しもあり、雰囲気を味わうにはゴールデンウィークの夕方はちょっと難しかった。。




・・・天安河原(アマテラスの篭った天岩戸をどうやって開こうか神々が議論した場所という)は観光地ってかんじ。入口には店が並んでる。外国人が多い。。積み石がたくさんあるけど、子供供養ではなく願い事成就のためという。
(注)東本宮は谷向かいにあり、西本宮とは本来別の神社。どうやっても時間内には見に行くことは不可能。

もともと川底にあったという。高千穂に何かあると夜鳴動したという。だが一般的にはお産や子供の夜泣き止めの信仰で知られる。おお、ミステリ。



なお、心光院さんとは東京タワーの真反対にありますが、そもそも心光院さんの上空に竜が舞っている夢を見たということから心光院さんにも蛇のお廟があります。
現在は卵のお供えは禁止。(東京)









何か感じられた方もおられました。私は海洋性気候によって生育した暖地性の樹木の奔放な枝ぶりが縄をかけそうに見えるんだろうな、と思いましたが、奥へ行こうとしてちょっと気になってやめました。




屏風ヶ浦。何キロにもわたって鮮やかな地層がつづく海食崖。「おせんころがし」というと陰惨好きな人にはピンとくるかもしれない。ここではないですが屏風ヶ浦で起きた殺人事件です。(千葉)



教会時代に掘られ江戸時代には外道井戸とも呼ばれた長崎の著名な不思議スポット。山の上でも水がわいているとして不思議スポットとされた。

パワースポットと勝手にされていたライオン型の岩、大雨で落下してしまったとか。


旧八万地獄から原生沼(八万地獄より更に昔に活動停止したため沼池になった窪地)に下る途中にある。近年再発見されたそうで、パワースポットという人もいる。女鬼といい、男鬼の岩は別の場所に。







![[八王子]首だけ地蔵は首無し地蔵の首じゃなかった[道了堂跡]追記あり_b0116271_13234869.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201307/25/71/b0116271_13234869.jpg)





:いわゆる「間引き」伝承をつたえる「稚児橋」。
:この交差点あたりにあった橋です。
街道沿いに立川方面に向かうと美術館裏に「おりん淵」がある。多摩川に流れ込む細流のひとつだ。今は水量が少ないが、かつて深い水を湛えた淵で、おりんという女性が身を投げ幽霊となって出たという伝説がある。ちょっと雰囲気を感じたので写真多めに。





:淵から多摩川が望める。
そのまま少し進んでから多摩川まで降ります。
:橋の架かるこのあたりが平家の落人伝説を持つ「琴が浦」。上流にダムができる前は深くて水量があった。源氏の追跡に遂に身を沈めた落人たちの持っていた琴の音が、夜な夜な水底から響いたという。今は水浴びの格好の名所だ。河童もいたとか。
更に立川方向に多摩川に並行して歩いていく。
元、調布部落への入り口の調布橋たもと、ここに雪おんなの碑がある。


この少し下流の方へいったところに昔渡し船があり、両岸に船小屋があった。今みたいな水量ではなかったので、舟を逃がすと南岸から戻ってこれない。そこで一晩泊まることになった人の中に女の妖異の目撃例が多数あった。そんなところからハーン伝えるところの「雪女」伝説が形成されていったのだという。
:このあたり(青い柱が見えるところ)に雪女の出る船屋があった。
(東京)


(宮古島)※お亡くなりになったそうです。庭は公開継続の模様。
ハート岩、宮古島周辺にはやたら愛と誠スポットがある。




恐山へ昇るヒトダマが壁にぶちあたって血痕を遺したといわれる円通寺(むつ市街、下北駅からはかなり離れてますが一番の繁華街の中の大寺)に行ってみましたが遅かったので閉まってました。詳しくは別所に書いたのでいつかまとめて。まあ、昼間に問い合わせてみたところ迷惑そうだったのでそれ以上突っ込みませんでした。我々よそ者は恐山に心霊スポットを想像するかもしれませんが、地元の人にとっては聖地です。浄土が浜からあの世へ旅立つ場所、ここで(あきらかに最近名づけられた)「地獄」というのはあくまで中有の世であって、成仏までの仮の居場所。不浄であったり親不孝であったりして成仏できない女子供にも地蔵菩薩の功徳をもって昇ってもらおうと祈りを捧げたところ。田名部三十三観音札所第1番が円通寺、第三十三番が恐山菩提寺。両者の間には今でもかなり交流があり、二寺を結んで行列を作って登る祭りがあるそう。宗教の神聖さを汚すような風説はやめておくべきということです。幽霊がいてもそれは我々の考えるものではない、あの世へ向かうまっとうな幽霊です。「年寄りの冷や水」で有名な?浄水の流れる「冷や水」も一時期激しい心霊の噂・・・焼死した母子が水を求めて来る・・・でもちきりでしたが、とんでもない。これは末期の水に等しい成仏の一途の重要な場所であるとともに「お山」へ登る苦しい巡礼者の貴重な給水用の淡水だったわけで、恐山のウソリ山湖(アイヌ語)の水は強酸性ゆえここしかなかったのである。だからこの水を飲めば寿命が延びるとされたのです。


:人魂跡のあった本堂
あれ、長くなってしまった。円通寺の人魂の跡は綺麗に消えているそうです(伝聞)。このお寺には幕末会津藩士が逗留していたらしいが余りおおっぴらにしていないようです。
キリストの墓




俎岩(日蓮法難の岩)

石喰いモチノキ(昔は石を食らう妖怪のように言われていたが今は普通にかつて岩壁に沿って生えていたからその名残とされている)


90年代初頭、テレ朝深夜のバブル番組プレステージで今は亡き霊能歌手先導で心霊スポットとしてここを訪れた企画があり、趣味の悪さは置いておいてこのお堂と周囲の石仏に霊気を強く感じるというオチになっていた。実際訪れると嵐だった。寺の外れだけど霊跡俎岩に近く遺物もさほど古くなかった。




伊豆高原そば堂の穴。異様さは蓮着寺周縁を上回る見た目御嶽のような溶岩岩盤下の洞窟信仰地で仏像も稲荷も社もありまとまりがない。本殿は別にあるのね。漂着神。




加蘇山神社。日光に属する栃木のパワースポットといわれることがあるが、ハイキングの基点というのと、単に行場ということがある。樹齢800年の子宝の杉、1000+700年の千本かつら、行者返しの岩を超えれば石裂山の名の由来となった横に引き裂いたような洞窟と奥の院がある。頂上まで行っても楽です。





















これは自分の友人のK氏から聞いた話である。
或る時、K氏は知り合いの女の人と二人で小石川の某所を散歩して帰りに、或る八幡宮の下に来ると、女の人が頻りと、上にあがって休もうと言う。K氏は疲れていたが、あまりたってすすめられるのでとうとう上にあがって、境内に当る大きい銀杏樹の根元に腰を掛けて休んだ。
すると、どう何か恐ろしいような気がしてならないので、K氏はその女をうながして、宮の前の石段を降りた。
K氏は女と並んで降りて来ると、ふと女は
「ア・・・・・・!!」
と言うと、両手で顔を覆うてしゃがんでしまった。この不意の有様に驚いて、K氏はふと上を見ると、石段に覆いかぶさっている銀杏樹の技の先きに、ぼっと白く光って女の額が見えた。
非常に驚いて、恐ろしさでしゃがんだまま、動かぬ女の手を取って、引きずるようにして走けて帰って来た。
後で聞くとその女も女の顔を見たので、その顔は女の友人で、肺病で死んだ人の顔であったそうだ。
(佐々木鏡石(喜善)談、水野葉舟「怪談」〜東雅夫編「夢魔は蠢く 明治編」2011/7ちくま文庫)



江戸時代のお化けスポットはたぶん、かなり嘘松。限られた行動範囲にお化けを総出演させるため無理やり名所化するか、一瞬しか流行らなかった噂を膨らませて書く。名所絵と人物画をミックスして描く体裁を妖怪に適用してる。鎌倉朝比奈切通しに三つ目大入道とか読んだことない。薄気味悪いけど。


30年近く前のミステリー番組を見ながらふと。個人的な三大関東ミステリースポット。中野の哲学堂。大船の瑜伽洞。あと一つ何だったか。。東高野長命寺か。栃木の岩舟山奥之院かな。どれも心霊スポットとされたことがあります。





