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岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

【浅草寺】伝説上の人物久米平内と恋愛成就【踏みつけ】

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初代豊国(浅草寺)

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人斬りではなかったとする説もある

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引用(昭和初期浅草寺)

青山主膳元家臣の剣士久米平内像の謎について。人切りの戒めのため自ら浅草寺参道に埋め「踏みつけ」=「文付け」=恋愛成就の祈願とした(一時期は傍らの代書屋が文を書いて奉納したり、ほか何でも祈願した)。厳しい顔の(江戸名所図会の通りの)最初の写真は踏みつけ伝承が正しいなら大きすぎる(これ自体実はあやふやな話で、久米平内が死の前に自分の姿を写せと言っただけとの話もあるし、背後にあった墓塔の前立と推定する本もある)。二枚目の写真は「浅草寺今むかし」に載っており現在の堂の大きさにもあう。だが戦前の古絵葉書や書籍に三枚目のようなものがあり、裃姿、素朴な彫刻はもっと時代を感じさせる。これを本物とする本あり。四枚目の古い堂、前者のもの、図会などの描写する大きさと合致する。但し明治時代に焼けて再建されたもの。※


※古い本によると戦災で久米平内踏付像は失われ、現在あるものは某さんが代わりに何体かあった石像から選んで置いたとのこと。本来は石屋が自分の姿を写したものを久米平内と呼んだので(浅草寺に久米平内家の墓石があったらしい)、裃の両袖の無い特異な姿であったとあり、三枚目が本物の踏付像といえそうだが、戦前の研究本に江戸後期の年月と奉納者の名前の刻まれたこれの裏面写真も掲載されており、違う写し(店で奉納用に販売された石像)と思われる。


江戸後期~戦前に久米平内像とされたもの

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現在の久米平内像

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戦前に本地として本や絵葉書に掲載されているもの(石屋説)
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裏面を見ると奉納像にすぎない。
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今戸焼の浅草人形、明治時代まで恋愛成就の奉納品として売られていた。堂前の店で奉納品として商われていたという瓦製人形はこれのことだろう。これもおかしな裃姿であり、奉納品の仕様なのだろう。(久米の平内研究 より)

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浅草寺濡仏裏に現存する唯一の久米平内関係遺物(かつて一家墓所があった)裏に松村又左衛門光晴建立とあり、又左衛門は母が久米家の出で、この供養地蔵は頭部裏に名前があったはずで残欠から為久米氏とあったのではという。久米平内は夫婦で仁王門前に石像とともに埋葬されるのを望んでいたというのが真相らしい。


旧堂
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江戸名所図会ではこのように描かれる。明治再建堂もほぼこのままの構成だったと思われる。仁王坐の石像は写真もいくつかあり戦前まで文付けの願掛けがほそぼそと続いた模様。
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:伊藤晴雨
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:宮尾しげを(昭和初期)
現在の久米平内堂。内部非公開。
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海蔵寺の久米平内夫妻墓
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駒込の久米平内夫妻墓。兵藤長守、無関一素居士が久米平内。奥さんが久米姓。松村氏墓域内にあり、奥さんの松室という戒名と関係があるのだろうか。松村一族墓は戦前まで浅草寺境内にもあった。現在二尊像の裏に並んでいる3石仏のうち立像の裏面を見ると松村氏の名が刻まれているが、これが唯一の名残であるようだ。墓自体は江戸前期より下る気がする。立派な青石は後期ぽい。

〜刻銘は夫妻の本姓(平内は兵藤氏)と戒名のみで後年の供養塔とみていいだろう。こちらも関係の家だが、浅草寺境内にかつては一族墓があった。文京区白山。

浅草は江戸の中心だった。千人斬りだったか剛勇著名な久米平内像がニ体ある話は時折口端にのぼる。現在小社に祀られるものが公式に、久米平内が自戒として刻ませて参道に埋め、参拝者に「踏付け」させたとされる。戦前はしかししっかりした社殿に江戸名所図会のままの大きな怒れる像が設置され特に踏んでもらって罪滅ぼしの伝承もなく、「文付け」のみならずその筋肉により?諸願に効くとされた。明治時代の本には踏みつけとしながら路傍にあったと書いてあるが、そもそも埋められなかったという説もある。石屋の彫ったへたくそな像はいかにも流行神になりそうな奇怪さ。色恋祈願に文茶屋の代筆が名物(自筆で晒すのが恥ずかしい人のため)は今は昔。

【現地確認(前文追加・浅草寺奪衣婆等追記)】江戸神仏願懸重宝記(文化11年)2019〜江戸の流行神を令和に訪ねる 写真追加_b0116271_21381584.jpg
:明治末年の縁起掲載のもの。
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:絵馬(国芳版画にもこの図柄が見える)
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:平内堂と五重塔(共に戦災焼失)
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:これでも小さくなったと書かれている(昭和初期)
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:久米平内のお守り(紅白)

仁王座禅の法を収め片膝を突いた坐像で知られるが、異様な物語の脚色がなされ、歌川派に盛んに「奇術比べ」なる変な絵が描かれる。何故に丑の刻参りなのか??仁王座禅の絵馬が浅草寺平内堂に奉納されたが、小絵馬の説明に「生前モテなかったから恋愛の神様」とある。死後も無理では。
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山東京伝「奇妙図彙

凸はなぜか久米平内(門)。金竜山(浅草寺)に戦中まで大きな片膝の像があり、文付け祈願をした(元は文字の書けない庶民が恋文代筆を頼み時にはマッチングした)。奉納用の平内瓦像もあった。久米仙人は脛に迷い神通力を失った久米之助は淑やかな姿に迷い身を失った、平内は何故恋の神に?と




by r_o_k | 2021-04-19 22:08 | 不思議 | Comments(0)
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