







素盞雄神社富士塚(瑞光石)
富士塚公園(立川)


江戸名所図絵に記された富士見塚はもうすこし東の国分寺にあるが、この富士塚も立派な小山を成しており、小さな社殿を頂にもち、江戸初期に溯る武蔵野の昔流行を今に伝えている。
図絵によると国分寺の塚上からは天と地が触れるまで何も無い原野が見渡せたらしい。富士山もおおきく見えたろう。武蔵野の原風景がみえると図絵は詠う。多摩川と迫る山並み、そして富士山を一望にして、この塚も物見高い旅人の足を止めたに違いない。

社殿に場違いの人形がある。インド風の座像はおそらく素朴に過ぎる若者が最近据えたものだろう。一緒にある生糸もオシラサマのような意味があるのかもしれない。「民間信仰」の雑多な混交のありようが、現在進行形で見られるようで面白い。と横を見ると小さな七福神まである。
…仏教、ヒンズー、そして神道の奇妙な同居は、富士講という民間信仰のうえに慎ましく続く。
富士嶽神社の富士塚(明治初期)練馬

明治二十年代初頭に著名だった富士山総覧場(木造張りぼての人造富士山で富士塚よろしく登山できたが自然災害などで早くに消失)絵画では誇張して描かれがちな題材のため写真は貴重(宮武外骨「明治奇聞」1所収の記事より、ただ宮武は記憶に由りこれは明治三十年代にあった富士塚展望塔でその跡地に十二階が建ったとしている)。縦長のバベルの塔のように見える写真があり、そちらのほうが証拠が多く、別の物があった可能性が高い。数年でなくなり跡地に日本パノラマ館ができた。ほか仁王門(戦後経蔵を兼ねて再建)の仁王像(戦災で焼失)。風神雷神の方は無事で閻魔堂にあるという→今は雷門。昭和初期。 https://pic.twitter.com/JER0W1Qpda




江戸後期までは遡れるみたい。都内では古いぞ。







身禄行者の墓




















駒込富士。うまくスキャンできてない。 https://pic.twitter.com/HcwIFNFMoo










