【追いはぎ】あなたも必ず奪われる!死装束を奪う奪衣婆!!【地獄】

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耶馬渓羅漢寺の奪衣婆像
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太山寺地獄絵
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雲仙地獄葬頭川の婆石(これは閻魔大王の座る台という)
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川崎大師(平間寺)しょうずかの婆さん 死人の衣をはぐ「奪衣婆」が三途の川(葬頭河)のほとりにいることからしょうづかの婆と呼ばれ、場所場所でしばしば違う扱いをされている。こちらは品川台場にあったというが、台場の久兵様、歯神様とすでに呼び名が違えば、この写真をとったころこれは麻布にあったとも聞いた。台場は幕末の軍事的施設でそこになぜ特異な鉄像が必要だったのかわからない。歯が目立つことから歯へのご利益、さらに今は端正な近代作の顔から美の願掛けをするようだ。
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目黒不動精霊堂(賽の河原)の奪衣婆石像
像様は江戸後期と思われるが、対面の閻魔像とともに何も説明がなく不明。比較的大きい。
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地獄の関に奪衣婆はいる。こちら関の爺婆像と呼ばれるもの。関転じて咳、向島の弘福寺に渡来したこの像は元の所有の大名より咳止めの願掛けを継承している。大きいほうが婆像で、対になる懸衣翁がマイナーな存在であることを象徴するような大小となっている。これはよそでも見られる。造作が多少違い時期が異なるのかもしれない。ちなみに翁の発生は同時とも後付けとも聞く。


新宿は正受院の奪衣婆。(太宗寺の有名な奪衣婆は昭和初期?のものでこれとは違います)
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地図
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wikiリンク
(引用)綿のおばば
正受院の奪衣婆像は、咳止めや子どもの虫封じに霊験ありとされ、お礼参りには綿を奉納する習慣があった。幕末には、奪衣婆像に関して「正受院に押し入った泥棒を霊力で捕らえた」「綿に燃え移った火を自ら消し止めた」といった噂が広まり、嘉永元年(1848年)の年末から翌年にかけては参詣客が正受院へ押し寄せる騒ぎとなった。歌川国芳などにより、綿をかぶった姿の奪衣婆を描いた錦絵が多数発行され、現存している。あまりに盛況であったため、寺社奉行により制限を受け、正月と7月16日以外の参詣が禁じられた。 (引用オワリ)
(引用)奪衣婆像 - 新宿区指定有形民俗文化財
小野篁製作との伝承を持つ奪衣婆像。「綿のおばば」と呼ばれ、頭から頭巾のように白い綿をかぶった姿で祭られている。現在では「子育て老婆尊」とも称される。(引用オワリ)
なかなか風情のある像だった気がします。
地獄と縁深い小野篁作といういわれはともかく、「新宿老婆王」という名で呼ばれ、悪い願いを祈った者の目玉を引っこ抜いたとかまことしやかな話が戯れ絵とともに流布していたといいます。
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藤岡屋日記の嘉永2年の条に、閏4月13日老婆王大流行に付、不正の義これあり、寺社奉行より御手入に成る、住職初め所化一同召し捕らえられ、参詣は差し止めとなる、とあります。
「新宿は手がはいれども両国の
かたいお竹は指もはいらず」
という落首もあるそうです。お竹如来には手が入らないのに正受院住職を捕縛したことへの皮肉です(両国とは御竹蔵をかけた)。もともと正受院の前は水辺にあり、正受院が土蔵を改造して閻魔王と並べたもので、正月と7月16日以外の参詣は禁じられていたところが、平日みだりに人々の参詣を許し、あまつさえ小野篁手をうたい三途川老婆王と不軽王号の幟を立て、なんでもかんでも叶うと噂で次々と奉納される豪華な服をつけ座布団を重ねて奪衣婆らしからぬ姿となり、そのじつご利益は噂でしかなかったと書く本もあります。綿を大量におさめ暑い時期にもうもうと線香の煙がたち火事と見まごうほど、夥しい豪華なお膳が並べられ酷い世俗的なものだったと。流行神熱狂の凄さが伺えます。
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国芳
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芳虎

こちらが大変くわしいです。リンク
http://kkubota.cool.ne.jp/datueba.htm
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綿のお婆は23区内は世田谷区や池袋で見ました。割と多いようですね。
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芳藤
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芳虎「流行御利生けん」
〜おまへ翁でおぢいさん はやしがお好でどこどんどん、狐をなでなでおがみます、其又おつれはおばアさん
丸くかぶつた綿ぼうし、御ひざう女のおたけさん当時はやりのお三人、なんでも願が叶ひ升、有がたいたい泰平の、御代も栄へるおめでたや、まわつて三げんおがみましよ、

流行神絵というのは戯れ絵なんですね。風刺としては「金儲けの算段をする流行神たち」といったモチーフのものがあげられます。他にも三体の神様等を配置した同一構図の浮世絵は多くみられます。奪衣婆と翁だけのものもあり、流行神人気にあやかった土産物でもあったのでしょう。

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内藤新宿有数の古刹、太宗寺。大閻魔像(江戸時代由来は頭のみで後補と思われる)と異様な奪衣婆像(現在のものは明治時代から昭和初期と思われるが水晶に血管まで施された眼球が恐ろしい)で有名ですが、普段は格子越しにしか見られず年数回の開帳のときに入れます。
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浄玻璃の鏡で爪を切る閻魔さん
犬男出現!海犬の正体?勝手に目黒七不思議、吉本騒動やじうま2、日本の素朴絵展と戯画・鳥羽絵の世界、渋谷東急東横店さらば:20190724twitterまとめ_b0116271_12430732.jpg

笠森観音
奪衣婆と、懸衣翁…?
生物にはしばしば雌が大きく雄が小さい種がみられるけど、、、力関係?
2018/9/14-18怪物図録クソコラリニューアル版(テスト)、twitterへの不満いろいろ(だからといってどこへ行けばいいのだろう);twitterまとめ _b0116271_15433151.jpg

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体調不良ですがテレビ見る;2018/9/26-27twitterまとめ_b0116271_17484060.jpg
(温泉と奪衣婆と漱石をかけている・・・)
九品仏浄真寺の新閻魔堂がほぼ完成していたが、奪衣婆さんが違う!旧は大正頃のものでピンクの生々しいユーモラスな…新はこわい、懸衣翁もいる。。地獄絵4枚飾られてる。お守りとか売ってた事務所は削られたもよう。 >塗っただけの模様
2020/5/15conc.-21(13:05):地方は緊急事態宣言解除、東京も解除気分で街は元の姿・・・大丈夫・・・?ウォーキング碑文谷_b0116271_14352729.jpg
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三途川の老婆(二本歯の欠けた古い奪衣婆像でそこから口中の病にきくと噂になった。戦前まで(一説に戦後まで)浅草寺奥山閻魔堂、橋本薬師堂(寅薬師堂と同一視する文も読んだが本堂左に小社としてあったもの。今は十王も納めていること(堂内は狭く暗く十二神将は確認できるも十王は見えなかった)になっている、近年移築)の2軒横、本堂北西にあった。震災で閻魔堂は焼失、歯抜けの奪衣婆は無事だったようだが閻魔像は頭だけ焼け残り、共に寅薬師堂に収められた。戦災で消息は無い(寅薬師堂が焼失)。現地は駐車場になっている) 口中の願
【現地確認(前文追加・浅草寺奪衣婆等追記)】江戸神仏願懸重宝記(文化11年)2019〜江戸の流行神を令和に訪ねる 写真追加_b0116271_21020568.jpg
伊藤晴雨、道祖神の項目にあるが(三途の川境というところから含まれたのだろう)「歯のまじない」ということは浅草観音のもので間違いないと思われる。浅草寺自体に残っているかは別として、この像が描かれた(写された)唯一の記録と思う。綿のおばばでもあったようだ。
【現地確認(前文追加・浅草寺奪衣婆等追記)】江戸神仏願懸重宝記(文化11年)2019〜江戸の流行神を令和に訪ねる 写真追加_b0116271_09200377.jpeg

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東京名所図会(堂内は描かれない)
【現地確認(前文追加・浅草寺奪衣婆等追記)】江戸神仏願懸重宝記(文化11年)2019〜江戸の流行神を令和に訪ねる 写真追加_b0116271_21341242.jpg
明治末年(右)※本により違う記載があるが東京名所図会の絵よりこちらで正しいと思われる

明治29年閻魔堂再建、閻羅殿(額には閻王殿)とも。震災で焼失。閻魔の頭部と奪衣婆が残ったという記録がある(昭和初期の宝物記録には無く、閻魔堂は敷地ごと無い)。橋本薬師堂は十二神将(現存)と、今は雷門にある風雷神を収容していた。
尾張屋板切絵図「今戸箕輪浅草絵図」幕末
閻魔堂と橋本薬師堂はばらばらに見えるが近くにある。うろ覚えだが震災後、寅薬師堂に狭ぜましく焼け出された像がぎゅう詰めになっていて、さらに戦後雷門ができるまでは風神雷神も詰め込まれていた。戦災で閻魔の頭部がなくなったのは確実だと思うが、どの時点で奪衣婆がなくなったかはあまりはっきりしない。かなりの古像であったことから現存しまい。 →
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雲長作と伝えられた閻魔像(本により運慶と書いている)。この向かって左(右と書く本もある)に奪衣婆像があり前歯が二本欠け、歯磨き楊枝を納めると明治末年の縁起に書いてある。堂内には他にも近作の小像が溢れていたらしい。閻魔は子供と有縁のため人形も多数収められていた。(左側が撮影されなかったのは残念)
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昭和に入っての写真だが関東大震災前、もしくは参道脇などにあった別の閻魔像(近作)だと思われる。
観音堂裏の閻魔堂のあった辺り
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寅薬師堂(焼失)
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橋本薬師堂
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中津 円龍寺の閻魔・奪衣婆?
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青梅

真言宗梅岩寺がある。

えんま堂は安産子育て地蔵尊として信仰を集めている。文化年間の立派な石仏塔とともに山上の墓場への入り口を護っている。ちなみにえんま堂の斜め正面には立派な六地蔵がある。これらは寺の敷地の半分近くを占めており、この寺が本堂を主体とした寺院ではなく密教霊場的な構造の中に組み込まれた部品であることを勘ぐらせる。

:小屋の中は幾多の彫像や絵板に彩られなかなかの土俗的世界。中央が笑い顔の閻魔さんで閻魔講の集団が時々お参りにくるという。左脇の石仏がしょうずかの婆(脱衣婆)、背後には百体地蔵の木彫(千体地蔵信仰にならい信心者が持ち帰ったせいだろう、今は80数体になってしまったという)、右壁際には行者様の弘法大師木造、いずれも江戸後期以降のものだろう。壁面には様様な図様の地蔵・観音もしくは信仰者の似姿のような絵が描かれている。


恐山


三途の川はだいぶ手前にある。今は赤い太鼓橋がかかっており勢いよく湖に流れ込んでいる。昔ここに地獄の脱衣婆、しょうずかの婆さんがいたが、ある日いなくなると外の川に流れ着いた。再度ここへ連れてくるとまた、外へ流れつく(逆流?)。わけをきくと「わたしはもう年をとりすぎた、引退します」。村人は大喜び、これで「お山」に昇った死者が寒い思いをしなくてすむ。流れ着いた場所には姥が堂が建てられ現存しているそうだ。

2005/5GW 青森怪所めぐり~梵珠山、恐山、日本中央の碑(追記)、キリストの墓ほか(暫定報告書)フォント修正、アルバム追加、卒塔婆参考追記_b0116271_17541423.jpg
2005/5GW 青森怪所めぐり~梵珠山、恐山、日本中央の碑(追記)、キリストの墓ほか(暫定報告書)フォント修正、アルバム追加、卒塔婆参考追記_b0116271_17542900.jpg

○桂文枝関所を通る

初代桂文枝、江戸に下ろうとして箱根の関所を通るときに、通行手形なしといって許されず、落語家に相違ないことを色々弁じたところ、役人それならば証拠に即席題を出すから、語り聞かせよといって「死なば今」という題を与えた。文枝、題を得て語ったことには、大阪の鴻の池の旦那が死んだが、地獄の沙汰も金次第と千両を棺の中に入れた。それを隠亡の者ひそかに盗んで代りに贋金を入れておいた。旦那はそれと知らずして三途の河に至ったが、奪衣婆に白衣を剥がされようとしたので、此処だと思って袂の黄金を出して与えると、事なく済んで、地獄の関門すべて黄金の光によって通り、遂に極楽に至りました。しかし先に贋金を握んだババアを始め牛頭馬頭の鬼ども騙されたのを怒り、急の使いを出して極楽へ只今の亡者の取り戻しを掛け合ったのですが、極楽では一旦この門へ入った者を返すことはならんといって、これより段々と厳しく調べられたら、右の賄賂のことが発覚した。地蔵菩薩大いにお怒りになって、こうなっては地獄の必要無しといって、地獄を取り払い全員極楽の支配となっております、それゆえ「死ぬなら今」なのでございます、と。(齋藤芳之助)





by r_o_k | 2021-05-04 01:42 | 不思議 | Comments(0)