揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

2021/3/24【伝承からオカルトまで】幽霊地蔵、お化け地蔵、歩く地蔵・・・【こわいものから巨大なものまで】

夜泣き地蔵
2020/1/9-15am北斎とか神道式七福神とかヤフオク怖いとか昭和大嘗宮とか旅順港閉鎖とか_b0116271_10033351.jpg
正式名称旭地蔵、用水路で心中した男女数組を供養する地蔵。心中は芝居の影響でやたら増えて、一人心中というわけのわからないものもあったという。子供の夜泣きに効果があるといわれた。こういう供養物が民間信仰の対象となること多いですね(新宿)


とんべい地蔵(矢口渡)
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乱暴に言えば船頭頓兵衛の奸計で新田義興親子が船を沈められ討ち取られたという話。「神霊矢口渡」で知られる(創作か)。横の大地蔵を頓兵衛地蔵とする本も昔は多かったです。あちらは時代が下ると思われる。新田義興の怨霊がとろけさせた、という話から、村人が頓兵衛が祟りを恐れて作った地蔵を憎み石を投げつけたという話まである。御霊信仰のものでしょう。

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なぞの家の庭になぞの見返り地蔵。
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盛岡・羅漢公園の五智如来と十六羅漢(天明等の大飢饉供養で幕末につくられた、遠野の線刻五百羅漢など東北にはしばしば飢饉の供養石仏がある)


道了堂跡の首なし地蔵(八王子)

心霊スポットの噂による度重なる破損に加え、東日本大震災被災により胴体と頭が違うものが継がれるなど混乱があった。
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こちらの頭が挿げ替えられたことがあった。

幽霊地蔵(品川)
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※高輪築堤石積確認、お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_14173494.jpg
とろけ地蔵は数あれど、テラテラ濡れた姿は何やら金属のようで、現代美術にこんなものがあったような。。落語で知られる芝浜近くの寺(源光寺)が廃仏毀釈にあい、高輪の同じ宗派のお寺(現在は光福寺と呼称)に併合された時に持って来られたものと言われている。それなのに何故か江戸時代の民話として、高輪の寺町にあった飴屋に飴を買いに来る、いわゆる「飴買い幽霊」が出没した伝承が残るという。一説に海から引き揚げられたとろけ地蔵といい、芝浜(東京都港区芝)といえばそれほど広くない砂浜だけど、明治時代に線路が敷設され今は高層マンションが建っている見る影もないビル群の中。ですが、以下写真、合併されたお寺「源光寺」のあった場所と特定できました※。
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※高輪築堤石積確認、お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_14161423.jpg
芝浦・芝浜
廃仏毀釈をまぬがれ、再開発からも逃れたお寺が幾つも残り、それを囲むように住民も残った結果、エアーポケットのようなエリアができました。今は三田駅の至近、芝四丁目の一部ですが、最近になって旧町名「本芝町」を頭に冠した町会を復活させ、掲示板も建てられています。区割りも小道の曲折も江戸時代のまま残り、半分は無くなっていますが、半分は古地図のままとなっていたので易安と判明したのです。ちなみに、巨大なNECのビルからすぐそこです。その気になれば、江戸は至るところに残っているのを確認できます。残そうという方々によって。
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※高輪築堤石積確認、お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_20514973.jpg
※旧源光寺の境内は明治時代の地図「本芝下夕町」という箇所に該当します(図上の長徳寺北西にあたり道路が真ん中を突っ切っている)。一説に「下町」だったものを読み替えたとも言います。東京女子学園高校(東京高等女学校)の裏とも言われますが、その隣の三田NNホールと道路と向かいのこのマンションを含むエリアだと思われます。(この切絵図内にも寺名が確認できます。それほど大きくないことがわかります。寺域も一定していなかった(明治時代にはかなり狭められている)と思われるので、地図上の大きさそのままではなく、移転前にはNNホールまで届かずマンションと道路くらいの大きさだったと想像しています)
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※高輪築堤石積確認、お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_22345348.jpg
この昭和30年代の地図では運河の先の「江戸最後の浜」芝浜が溜水の横長の船溜まりとして、まだ健在です。このあたりは江戸時代は大衆魚の漁村、開化後は外国人にも人気の海水浴場、一部鉄路がひかれ埋め立てが始まるとその土地に料亭など立ち並びました。鉄路や堤防に釣り人が並ぶのんびりした写真等もあります。それから本格的に埋め立てとともに大きな船をつける埠頭や開閉式の大橋など雰囲気は変わっていきましたが、いずれ風光明媚な繁華な行楽地として戦後まで花街が残りました。芝浜あたりは現在も鉄路を潜る変な形になっていますが、高輪からこうなっていたのです。高輪築堤と呼び、第一号鉄道敷設のさい陸側の用地買収失敗で海中を走ることになりました。

写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※高輪築堤石積確認、お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_12055490.jpg
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※高輪築堤石積確認、お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_10530376.jpg
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東海道近く海そばに立っていた地蔵のため、風雨にさらされてとろけたのではないかとも言われます。おそろしげな姿を幽霊の伝承は二本榎のお屋敷街・寺町が寂しかったことにあてはめて作られたものでしょうか。

二本榎

写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※高輪築堤石積確認、お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_23595103.jpg
斜め向かい松光寺のタタリ仏。触れると祟られるといいます。もともと大名の多い場所に残る名残です。

台座に貞亮院深心等の文字がある(院の墓もある)。新しく見えるがよほど硬い石のせいか。よく見ると割れ欠け多く、背に一瞬盃状穴と思う深い穴が穿たれている。恐らくいつか光背を付けたのだろう。綺麗に配置されているが元は奥にあったか。

体調不良が復活・愛宕山からお台場(元ネタ追記)ほか明治前期の風景画・二本榎のタタリ仏・将門の首塚のいま・渋谷;20181101-6twitterまとめ_b0116271_11090482.jpg

体調不良が復活・愛宕山からお台場(元ネタ追記)ほか明治前期の風景画・二本榎のタタリ仏・将門の首塚のいま・渋谷;20181101-6twitterまとめ_b0116271_11090443.jpg

体調不良が復活・愛宕山からお台場(元ネタ追記)ほか明治前期の風景画・二本榎のタタリ仏・将門の首塚のいま・渋谷;20181101-6twitterまとめ_b0116271_11090419.jpg

体調不良が復活・愛宕山からお台場(元ネタ追記)ほか明治前期の風景画・二本榎のタタリ仏・将門の首塚のいま・渋谷;20181101-6twitterまとめ_b0116271_11090427.jpg

入谷の化け地蔵

吉原帰りの男衆が力任せに向きを変えていくため、見るたびに向く方向が違う化け地蔵と呼ばれた。時代が下ると各地を転々とし今は入谷のそばに立派な堂でおさまっている。けっこう大きい。顔が欠け黒くなっているのは震災か戦災か。。
純粋日記、この世界の片隅にグアム玉砕戦の絵本で悲しくなる、寛永寺墓地長田幹彦さんや重文三点、浄名寺膨大な地蔵群と江戸六地蔵のかわり、西表島の思い出、役に立たない古絵葉書ほか2018/7/31-8/3_b0116271_18082668.jpg

橋場のお化け地蔵

総泉寺の置き土産としては、一丁目の南西辻近くにあるお化け地蔵(東京名所図会によれば境内ではなく門前の通り沿いに立っていたようです、松吟寺というお寺のもので大正十二年補修したのが今)。有名だけどけっこう地図にはのってない。やはり吉原関連物件とされることもあり、向きが変わる、傘が動くというのは酔客の悪戯とも言われた。haunted jizouという英文の説明がなんか可笑しい。
現在の「隅田川」と「梅若」その他(芳年追加、関屋の里、妙亀塚補足切、泥絵追加、水神社、お化け地蔵図、そもそもの説明、俯瞰図、写真絵多数追加、追記、安治画を追加)_b0116271_20163989.jpg
かつては木の祠内におさめられていました(「写真東京風土記」)。
現在の「隅田川」と「梅若」その他(芳年追加、関屋の里、妙亀塚補足切、泥絵追加、水神社、お化け地蔵図、そもそもの説明、俯瞰図、写真絵多数追加、追記、安治画を追加)_b0116271_20321515.jpg
山本松谷筆の明治四十一年、総泉寺門前他が以下(「東京名所図会」復刻版より)画伯らしく牧歌的な風景となっていますが夜は通りづらい雰囲気だったとのこと。
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国芳の東都名所の橋場にもありますが、現在の姿との相違を見ると松谷さんは国芳に依っているかもしれません。
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河鍋暁斎の開化名所絵(一部)。巫山戯ている。
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月岡芳年の東京開化狂画名所シリーズより。夥しい数のある戯画です。
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橋場のお化け地蔵(酒買い地蔵)


(関東大震災で傾いた新宿の地蔵大仏)
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小塚原処刑場跡の首切り地蔵
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震災後初めて来たが、かなり昔来たときとくらべてなんだか周囲がぽっかり垢抜けてた人も寝てない(おっさんがいつまでもじっとこっちを見てたが)ま、地蔵から墓地を撮ろうとすると真っ黒になったり白黒設定になったり



おしろい地蔵(大正時代に再建、三田幽霊坂の大地蔵で地蔵の化粧をして肌祈願。)


玉鳳寺のおしろい地蔵があった八丁堀地蔵橋は、江戸東京と中心も中心の土地だけに道割が正確に残っているわけではないらしいが、goo古地図の明治時代とgoogleMapの現在、切絵図とネット情報からやはり今の新亀島橋から北上する道すぐ、横断歩道手前あたりに掛かっていたと推定。やきとり宮川辺ですね。
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右前の向こうに渡る横断歩道あたりだと思う。道はそのまま掘割の可能性は高いが、鉤状に曲がっていたのは明治時代までで、そもそも埋め立てはとっくに済んでいるので、本気で調べないとわからない。
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三田の玉鳳寺。おしろい地蔵は大正時代に作り直されたと聞いている。実際造作はなめらかで江戸のものではない。幽霊坂はどんどん拓けている感もある。森有礼屋敷があったから有礼坂転じて、という説もあり、写真の奥(坂上)の古い石垣は屋敷の遺物らしい。
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「地蔵もないのに地蔵橋」たしかに何も。井戸があった。

七兵衛地蔵(青梅)

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図書館裏、七兵衛通りから少し入ったところに七兵衛地蔵がある。

:幕末元文年間の伝説的義賊、七兵衛の元畑地に地蔵を置いてまつってある。七兵衛は青梅は裏宿部落の比較的裕福な農民だった。相次ぐ飢饉にあえぐ村人たちを救うため最初は自分の物を分けあたえていたが、そのうち昼間は農業にいそしみ、夜は遠く甲斐や相模まで足を伸ばして盗みを働いては、獲物を貧しい家の軒先にばら撒いてまわるようになった。一夜のうちに50里を走ったといわれる俊足で捕り方を引き離しては恵んで廻り、貧しい村人を喜ばせた。しかしこういうことは長くは続かない。遂に捕まり土壇場に引き出された七兵衛、自分は仕方ないが妻子にまで危害を加えるなら怨霊となって災いをもたらさん、と言い残して首を落とされる。しかしその後七兵衛の屋敷や畑地は人の手に渡ってしまう。するとどうしたわけか畑には作物が育たず住む者には不幸が訪れるようになった。この「呪い」は後々まで続き、畑や屋敷跡は所有者が転々とし遂には荒れ果てる始末。昭和七年、災いに困った村民有志によりこの地蔵尊が祭られることになった。だが義賊として尊敬されていることには変わりなく、この地蔵や後に出てくる首塚は足腰に効くと信仰を集めている。特に俊足にあやかりたいという青梅マラソンの参加者の信望が厚いそうだ。今も呪いは続いているともいわれ、元所有地はいずれもこの図書館のような公営施設や公園になっている。


青梅マラソンの神にして怨霊伝説の主人公、七兵衛さんはほんとは幕府の隠密とかじゃなかったんかなあとおもった。ので怨霊だとか土地が祟るとか、七兵衛さんのことを喋っちゃだめとか、足が異常に早くて一尺ふんどしが地につかないとか、そういう話がくっついたんじゃないかなあ、幕末の義賊。居宅あとは七兵衛公園になって一キロ西のほうにあるけど、きほんてきにこの人にまつわる土地は忌み地として更地か公営地になっているそう。
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首級さらし場あと(駅の右手の警察の裏あたり)
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七兵衛さんの首が風雨で流されてきた宗建寺門前の小川。小豆ばばあが出たともいう(小豆洗いのように音を出すだけの妖怪。邪を祓う小豆をあてがったことから零落した家神や土地神の転化とも)。
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宗建寺の三代前の住職さんが憐れんで首塚とした墓。マラソンの神、すなわち韋駄天に転化され今も信仰をあつめる。毘沙門天がまつられているお寺。その中にこの説明が。
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八兵衛の夜泣き石

現在は地蔵部分がさらに損なわれている。大きく見えるが身長30センチくらい。キリシタン屋敷跡にあり、八兵衛という切支丹を拷問して穴埋めにした上に三角形の石を置いた。苦しいか、と問いかけて触れるとグラグラ揺れた。この地蔵はその石そのものではなく、切支丹屋敷近辺のものが集められたと思われる。

上の石に触れて「八兵衛苦しいか?」と言ってみたが、体にしっかり接着されて揺れないようになっていた。。


地蔵橋ののっぺらぼう(日本橋)

今は路地となっている龍閑川(維新後早くに埋め立て)。この川は今でこそ小さな路になっているが元々すぐ南の神田金物通りなどより広く、丁度神田と日本橋の町境になっていた。井上龍閑の掘った用水路である。ここには縦に何本もの橋がかかっていた(名が残る今川橋は西に二本目の辻)。そのひとつが地蔵橋*、今の地蔵橋公園(三つの小さい公園が密集している)あたりにあったものである。

:歩道橋のあるあたりが丁度橋が架かっていた場所。

いずれ地蔵も立つような寂しい場所だったようだ。公園は高速を挟み左右に分断されているが、その真中、この幅広い高速の下ということになろうか。架かる橋の前を夜半に通りかかった町人の男が、橋の袂の榎の下にしゃがみこんで泣いている女を見かける。こんな場所で。

もし、お女中。

男はさかんに声をかける。飛び込みでもやらかされたら大事だ。

どうしたんだい、何かあったのかい。話してご覧なせえ。

女は泣くばかり。しかし不意に顔をあげて振り向いたその顔は・・・「のっぺらぼう」!
町人は無我夢中で逃げ出して知人の家にたどり着き、そのまま臥せってしまったそうである。

・・・だだっぴろい紀伊ノ国坂だけがのっぺらぼうの本籍地ではない。同様の話は江戸中、いや日本中に分布している。ハーンが「むじな」でたまたま紀伊ノ国坂を選んだだけで、落語的な起伏のある話とは違いこちらは剥き出しの伝説、環境もあいまってなんだかリアルな感じがするのだが。

* 地蔵橋という名の橋は八丁堀にもある。古くは八丁堀七不思議に数えられたこともあるそうだが、その説は他愛も無い。八丁堀周りに与力の住宅地があり、たまたま元与力、多賀仁蔵が架けた私橋だから仁蔵橋、曰く「地蔵も無いのに地蔵橋」というオチである。洒落の名付けではなく地蔵は実在したという説もあるそうで(別項の三田のおしろい地蔵)、真相はよくわからない。

:このあたり。

:歩道橋から見下ろすと、高速で削られているにも関わらず川筋が残っているのが左右の緑でわかる。その緑の下にはホームレスさんがいっぱい。本町派出所もあるので安心です。

:今、地蔵橋を渡りました!後部座席にはのっぺらぼうが・・・

少し南へ、問屋街に入る。元々大伝馬町と呼ばれていたが今は本町三丁目。異様に高いオフィスビルと異様に古い建物の合間に歯抜けのように潰れた空き地がたくさんあり、先ほどの地蔵橋でのホームレスとの邂逅を思い出す。


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登校姿地蔵(東京都豊島区駒込妙義坂子育地蔵域内)昭和八年某日登校途中の村木美代子、深見喜久子両名が交通事故で死亡、まだ十一歳の若き身空に哀れに思った有志が菩提を弔うため建立した素人手のセーラー服童女二人像浮彫。こちらですね。



戦闘状態

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斎場行の子別れ地蔵(桐ケ谷)
五反田お地蔵さん紀行、風俗画報(日本人初グラビア月刊誌)図版、カセ鳥、ブッダ1巻の元ネタ;twitterまとめ2019/2/5-13_b0116271_14204813.jpg

氷川神社(目黒)参道入口のおそらく塩地蔵。嘉永年間の銘文石碑があるがそれが正しいなら下の「キリシタン香炉」は何だろう。都下では現代にキリスト教などと混交した信仰様式?がたまに見られる。立川でインドの陶像の飾られた社、小石川で小さなマリア観音陶像の収められた祠を見た(現存せず)。

年末年始(イベント以外)浅草拳、駿馬塚、柳屋お藤の銀杏、さすらい地蔵力石、都立大学駅近辺の歴史不思議物件、有楽町高架今昔、河鍋暁斎、女夫石の正体、三囲神社 2018/12/25-2019/1/8_b0116271_20331178.jpg
慶応元年ともなると武運長久家内安全を祈るだけの誰の供養塔でもないお地蔵さんが立つのさ
江戸神仏願懸重宝記訪問ラストスパート(芝・白金・市ヶ谷・錦糸町・橋場浅草)、江戸の落書き、シーボルトの名所図会、アート趣味、江戸明治東京風景散歩特集:2019/6/17-25twitterまとめ_b0116271_20303775.jpg
首サイズ(廃仏運動激しかった土地に多い首なし地蔵の復元形態)
江戸神仏願懸重宝記訪問ラストスパート(芝・白金・市ヶ谷・錦糸町・橋場浅草)、江戸の落書き、シーボルトの名所図会、アート趣味、江戸明治東京風景散歩特集:2019/6/17-25twitterまとめ_b0116271_20304564.jpg
【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_18515784.jpg

【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_18515797.jpg
谷中幽霊画展、墓地の戦災、流行神カンカン地蔵、怪物図録追加、アンゲルブレシュト書簡翻訳、殺伐豆腐小僧、北斎骸骨元ネタ、髑髏を抱える女、モダン漫画、戦争:20190827_b0116271_14503604.jpg
千住の安養院顔無し地蔵は知らなかった!塩地蔵かと思った。カンカン地蔵なのね。流行神です。浅草寺の銭塚のカンカン地蔵は人の形をしてません。
谷中幽霊画展、墓地の戦災、流行神カンカン地蔵、怪物図録追加、アンゲルブレシュト書簡翻訳、殺伐豆腐小僧、北斎骸骨元ネタ、髑髏を抱える女、モダン漫画、戦争:20190827_b0116271_15110910.jpg
表現の不自由展騒動に反アートの気持ち強くなる、伊藤晴雨さいご、御船蔵跡・安宅丸稲荷訪問:20190805twitterまとめ_b0116271_12210844.jpg
東京・常圓寺広島被爆子育て地蔵尊(8/6供養会)広島原爆直下で被災した西蓮寺より譲り受け祀られている。現在の西蓮寺には別の被爆地蔵等が路面に安置されている。原爆ドームのすぐ側。
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浦島信仰の存在をうかがわせる。幕末に本来の浦島寺だった観福寿寺焼失より浦島父子供養塔群を移したんだとか。慶運寺は今の浦島寺でいろいろうつす中、牛が寝てしまったところに浦島地蔵を設置した。(横浜反町)
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上野(但し八万四千体地蔵)
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三河島(このような半跏のとろけ地蔵(たいてい水没か塩害、熱など)は珍しい)
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三輪地蔵(三輪という大奥の老女供養で歯痛にきく)五反田
立膝座りを石仏から見る、澤蔵司稲荷、道切りやりたい、過去写真を見て自由を思う2020/3/17-18_b0116271_15434059.jpg
禁酒地蔵
20200121-27心霊マップの場所に興味(東京)小日向神社の顔の木(引用文追加)、吉祥寺の榎本武揚墓など、切支丹屋敷跡再訪、エジプト最初期の動物園、蛇窪_b0116271_12114181.jpg

八百屋お七の地蔵

吉三建立の濡仏(長野善光寺)
お七地蔵(石造お七地蔵は三回忌時鈴ヶ森刑場近く密厳院に建立された振袖地蔵もある)振袖地蔵を大森以外でも知ってるのだが、あれは様式化された石彫地蔵なんだろうか。そっちはたぶん幽霊成仏伝承からか子供を袖につかまらせて救うなどの意匠で明治以降に作ったものだと思う(浄真寺墓地)

お七地蔵(目黒大円寺(明王院)吉三満願建立)




土佐の怪異的地蔵その他

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土佐は他の土地からの人の流入が多かったせいもあって全国の伝承が変化して転用される例が非常に多い。天女の羽衣や耳無しほういちの話でさえ土佐の伝承として語り伝えられており、独特の怪としては七人みさきくらいではないか。

見渡し地蔵は高知龍馬空港そばに戦後移転したものだが、引っ越しのさい「ばちがあたるならあててみよ」と言った者の足が即座に動かなくなったという。しばてん地蔵は土佐に多い河童系妖怪をまつる地蔵のひとつで、五台山下に今も残る八州の狸弁財天のあたり、しばてんが化かした酔っ払いがよく地蔵と相撲をとっていたという。

ちよ地蔵は土佐にたくさん残る陰惨な、特定の人物の供養のためのもののひとつ。幕末頃朝倉で川を鎮めるため水神に人柱をたてることになったが、選ばれたちよという娘は母親の面倒をみてもらう約束でそれをのんだ、しかし約束は守られず、水害はおさまらず、村人は罰とみなしちよと母親の供養地蔵をたてた。水難よけ地蔵として今も信仰される。勝手でひどい話だ。新之丞地蔵も怪ではないがひどく勝手な理屈で、400年前に行き倒れていた遍路が村人に介抱を受け、礼にと苦労してたいへん美しい七色紙のすき方を開発し教えた。国入り直後の山内一豊の耳に入ったところ大喜び、土佐の特産にせよとの御達示、しかし役目が終わったとして遍路は国に帰るという。よそに七色紙を伝えるのを防ぐため、藩命で遍路は斬られた。災難よけの御利益とは皮肉。

空とぶ地蔵は鎌倉時代に日下の農民が家庭内のいざこざで母妻を殺した供養に京で作ったしっかりした木彫で、しかしじき堂ごと忘れ去られ荒れ果て猟師の獲物さばきと食事の場所になってしまう。あるとき一人が不浄のものを境内で食うと祟りがあるかもと言い出す。嫌なら出ていけ、と他の男が言うと、光を放ちながら飛び去るものがあった。後を追うと、この本尊だった。

ゆうげん地蔵は佐川の児嶋又玄という名医が殿様に呼ばれ、猫の脈を障子越しにとらされてからかわれた。薬はと問われかつをぶしになされと言い残すと、怒りのあまり自宅に火を放って焼身自殺した。以後たたりが相次いで、地蔵で鎮めたらしい。龕に安置されている。

中土佐のしゅむか地蔵は悪ガキが小便をかけながら「しゅむかや、これでもしゅまんかや」と囃し立てていたところ農民に罰があたると諌められた。すると農民は原因不明の病におかされた。太夫によれば地蔵が出てきて、子供にしゅむか地蔵と呼ばれて楽しく遊びよったにいらんことしゆがと大変怒ったという。御利益は子供の病。遠野に似た話がある。この地蔵には他に怨霊がらみの伝説もあるという。

西向き地蔵は大方にあり、はりまや橋の話に似た学僧と村娘の悲恋に絡んだもの。こちらは娘が命をたってしまい、その供養のため作られたもののいつのまにか坊さんの去った西向きになったという。似た話が非常に多く、沖縄は石垣島にさえある。後付けだろう。

物言う地蔵はやや不気味。中村近く峠にあり、江戸時代追いはぎにあった男が殺され、毎年妻子が供養に訪れていたところ、十年目、役人とともに峠で出会った男が、この地蔵は喋るのだ、十年前追いはぎしたとき、誰にも言うなと話かけたら、お前が言うなよ、と返しよった、と言う。役人立ち会いではからずも自ら白状したのだ。

瀬登りの太刀は高知市内の寺にある名刀で箱根権現から来たといい、曽我兄弟仇討ちのさい自ら鞘から抜け川を遡り敵を突き刺した、頼朝の家来から宿の主人が盗もうとしたが蛇となって川を逃げたなどいう。今でも不思議なことがあり、日下から山内家に召し上げられそうになったものの高知城内でいろいろな怪異を引き起こし、刀が場所を選んでいるとして今の龍乗院の本院におさめられた。

鍛冶が婆は野根山街道の有名な化け狼だが石燕本でお馴染みゆえ深くは触れない。同じ街道筋の木下由里は「身二つ」にせず埋葬した妊婦の、いわゆるうぶめ伝説の延長上にある実在の人物。小さな墓石には文政四年とある。番所の娘で山むこうに嫁いだもののろうがいになり里に帰され死んだ。が、赤子に乳を飲ませるため山をこえて通ってくるようになったという。墓石をどうにかしようとすると大雨が降る。赤頭は土佐化物絵本、山父のたぐいか。宇賀鬼女は不気味な噂のたえない深浦あたりに出没したらしい。未確認だが一領具足供養地蔵の敷地に供養墓があるという。

2006/5/1-4GW:高知松山怪の爪あと〜赤岡絵金蔵、五台山、仁井田(田中貢太郎)、桂浜、室戸岬人面岩、野根山街道笑い栂、道後石手寺、松山太山寺地獄絵、大山祇神社、尾道_b0116271_12172280.jpg
2006/5/1-4GW:高知松山怪の爪あと〜赤岡絵金蔵、五台山、仁井田(田中貢太郎)、桂浜、室戸岬人面岩、野根山街道笑い栂、道後石手寺、松山太山寺地獄絵、大山祇神社、尾道_b0116271_12173536.jpg
長曽我部方として最後まで闘い酷い処置を受けた一領具足を弔う地蔵です。陰惨な最後のためか今も怖れられている。なぜか山姥の板碑が集められているそう。桂浜より穏やかな海。裏には長宗我部元親の供養墓もあります。

面相が藤原時代を思わせる古様で珍しい。鎌倉時代、日下の善次郎という者が嫁にそそのかされ誤って母を射殺し怒って妻も殺したことから京の仏師に頼んで彫ったという。荒れ果てた堂で漁師数人鹿を捌こうとし「穢れたものを食べると祟りがある」というものに「イヤなら出てけ」と喋ると地蔵が光を放って飛び去った(土佐)


ひきさき地蔵(太山寺)
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二人の男に愛された女が、ある日両腕を二人に引かれてそのまま引き裂かれ死んだという伝説から作られた供養地蔵だが(類例はよくある説である)、何故かうれしそうだ。

酒呑童子の墓(新潟彌彦)

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謎の墓で、弥彦の隣村の小さな地蔵堂の中に2体の地蔵と並んで鎮座しています(向かって右端)。供養墓には間違いなく、時代は室町以降に下ると思われます。

遠野 さすらい地蔵
2021/3/24【伝承からオカルトまで】幽霊地蔵、お化け地蔵、歩く地蔵・・・【こわいものから巨大なものまで】_b0116271_21103184.jpg

神社の境内に置かれている。女という。かつては各家に回され奉られていたのだろうか、伝説では自ら歩き回っていたという。一説に若衆に力石として投げられたり(丸石信仰の要素)玩ばれていたのを諌めた方が祟られたつー類型話。

夜這い地蔵
怪物図録<江戸褄の怪、最後のキジムナー、千束池の七面天女、吉見の般若、新宿太宗寺の付紐閻魔、不忍池の怪女、貝坂の化け銀杏、夜這い地蔵>_b0116271_16531382.jpg

農村で隣村の若者同士が夜な夜な行き来して睦まじくすることがあった。延岡ではある娘が子を身ごもり、父は境の地蔵だと言う。無用な諍いを避ける意味もあり夜這地蔵として縄で縛った。のちに縄は解かれたが、ここまでダイレクトではないにせよ同様の伝説をもつ夜這地蔵ないし縛られ地蔵は静岡の袋井、埼玉の所沢、山形など全国に分布し、場所によっては女に化けることもある。悪さの度合いで太い格子で閉じ込めたり、楔を打った所もある。子授けの効果をうたうにいたったものもある。

【2017/9/4-9】宮古島・大神島・伊良部島・八重干瀬サンゴしんぱい洞窟こわいツアー【ただのリゾート】写真追加_b0116271_12283213.jpg
【2017/9/4-9】宮古島・大神島・伊良部島・八重干瀬サンゴしんぱい洞窟こわいツアー【ただのリゾート】写真追加_b0116271_12295333.jpg
伊良部島・三体地蔵風鍾乳石

よなき地蔵(京都・出水七不思議)

東寺をこえて羅城門跡へも行きました。空海の身代わりで矢を受けたという矢負い地蔵(矢取地蔵)がここにもある。



この日は予定を詰め込めなかったので、再訪にはなるが西ノ京から太秦近辺をたどる形になった。つまり秦氏やその他、都とは異質の存在のいた西南周縁をなぞったわけである。

京都駅から亀岡行きバスに乗り、老の坂峠から酒呑童子の首塚へ向かう。ちょっと道がわかりにくいが、とりあえずバス停そばの地蔵堂へ。中は見られないが、この地蔵が京の町に入ってくる魔を退けていたという話がある。


安土城石段に石材として使われたという石仏(極端に画質が悪くなったのでまとめた、まだあるが似たようなものなので省略)摩耗した地蔵、二尊石仏(双体地蔵)凡庸な小さいもので近在の庶民の打ち捨てたものを再利用したか、石段固めの呪いで埋めたんであって、信長の仏教嫌悪ではないと思う。。 https://pic.twitter.com/V1Ripctx0Q

【夥しすぎて記事分けますね】アナログ写真photomyneスキャン;京都奈良湖東オタモイ遊園地懸造り建築物七天王塚ほか_b0116271_11210759.jpg
隠岐国分寺 悲しみの石仏
隠岐鳥取姫路、心象風景に妖怪がいる!旅〜境港正福寺地獄絵、妖怪ロード、隠岐島後かっぱ大明神、島前いか神社、焼火神社、後鳥羽院火葬塚、七尋女房ヶ岩、鳥取三徳山投入堂、因幡の白兎、姫路城お菊井戸、刑部姫_b0116271_17145213.jpg
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by r_o_k | 2021-03-24 21:32 | 不思議 | Comments(0)

by ryookabayashi