【ピカレスク】白井権八小紫、例によって江戸前期、霞と消えた物語【幡随院長兵衛】

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~白井権八、郷里で縄となり罪人駕籠で江戸へ送られる途中、割って逃げたという演出が加わることもあった。(広重初代、豊国三代)
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~黄表紙のバリエーション

四代鶴屋南北「浮世柄比翼稲妻」の”御存鈴ヶ森”にておおいに知られる美丈夫、白井権八こと平井権八は実在の鳥取藩士であった。国元で父同僚を斬り逃亡、江戸においては新吉原三浦屋小紫と懇意となる。しかし身銭がないことにはどうにもいかず辻斬り強盗で130人もの犠牲者を出す。目黒不動そば東昌寺に潜伏するが鳥取の両親が気になり虚無僧として江戸を出る。そこで両親ともこの世にいないことに世をはかなみ自首して鈴ヶ森の露と消えた。25歳の若いみそら、小紫はそれを知ると東昌寺にひそかに設けられた墓の前で自害し、「比翼塚」が建てられてこれは目黒不動門前に近世再建されている。

もっとも有名なのはいずれ自分も死ぬことになる鈴ヶ森で駕籠かき強盗をバッサバッサと斬り倒していたところ、侠客幡随院長兵衛に見初められ、「お若えのお待ちなせえやし」というくだりであろう。BL解釈もされるこの二人だが、幡随院長兵衛は権八二歳のとき死んでいるので南北得意の合成である。南北はこの筋書きの特に後半に他の物語を合成しており、これはたとえば四谷怪談と同じ方法で、物語的に盛っており、最後も違っている。白井権八ものは読本でもバリエーションがみとめられ、幡随院長兵衛のところに居候することになったところが、そこを基点に事件に巻き込まれたり小紫と一緒に事件を起こしたりといった創作黄表紙もある。しかし歌舞伎の見せ場は筋書きこそ違えど同じ形で換骨奪胎のまま描かれている。辻斬りイメージから陰惨な血まみれ絵のものもある。最たるものは絵金の絵屏風だろう。

「浮世柄比翼稲妻鈴ヶ森」赤岡絵金まつり
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絵解きしながら芝居を語る、一枚絵の部分部分を追うことですべての場面を把握できるようにできているのが絵金屏風。白井権八、幡髄院長兵衛の背後には江戸の端(晒し場)、品川の海、急峻な海食崖が見える。
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黄表紙より
法春比丘尼の涙は本物だったか?江戸二大刑場にのこる谷口巨大題目塔の謎(大阪堺月蔵寺最古塔追加、新馬場塔追加、絵金鈴ヶ森屏風、小塚原古写真追加)_b0116271_10365387.jpg
法春比丘尼の涙は本物だったか?江戸二大刑場にのこる谷口巨大題目塔の謎(大阪堺月蔵寺最古塔追加、新馬場塔追加、絵金鈴ヶ森屏風、小塚原古写真追加)_b0116271_21310875.jpg
〜大正期の鈴ヶ森(竹内重雄「東海道鈴ヶ森 権八茶屋」大森八幡が左側に見えるので、左側が海で、松並木がまだ残っていたことがわかる。手前方向に刑場跡があったのだろう)品川歴史博物館

八百屋お七同様、罪人の史跡というものは限りなく信ぴょう性が低い。ましてほとんど江戸前期の話なので芝居の盛り立てで作られたずっと後世の創作史跡だろう。
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目黒不動周辺の権八小紫関連

芝居によっては白井権八は行人坂上にあった浄覚寺に潜伏していたところを捕えられ鈴ヶ森で磔となったとされる。鳥取の池田藩士の子であったため特別に密かに浄覚寺隣中根六右衛門が遺体を引き取り寺の裏に葬った。それが連理塚である。吉原を抜け出した小紫はその墓前で喉をついて果てた。昭和初期に浄覚寺廃寺のとき(この置き土産が今のビル建設で出た墓地跡の白骨だったのだろうか、一寺ではなかったらしいが)安楽寺へ改葬された。そのとき白い骨壷と確かに骨があったという。

五反田お地蔵さん紀行、風俗画報(日本人初グラビア月刊誌)図版、カセ鳥、ブッダ1巻の元ネタ;twitterまとめ2019/2/5-13_b0116271_14220559.jpg
安楽寺の連理塚、目黒不動の比翼塚:芝居ベースの碑で現在の墓石はいずれも近世修復され古くないもよう。
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比翼塚
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目黒不動の門前にも白井権八の墓があった。前記の通り東昌寺の跡で、比翼塚が建っている。今はこちらのほうが有名で、小紫が自害したのはこちらの話とされることが多い。どちらの墓も江戸時代から疑問符付きで語られるもので、処刑された罪人の骸を盗むことはおろか墓は武士であろうと時代が下らなければ建てられなかったと思われる。話としては近くの禿坂は戻らぬ小紫を追った禿が見つからず泣きながら帰るところ強盗に襲われ、近くの池で死んだ。禿塚、禿池がもともとあったから坂の名前にもついた。
五反田お地蔵さん紀行、風俗画報(日本人初グラビア月刊誌)図版、カセ鳥、ブッダ1巻の元ネタ;twitterまとめ2019/2/5-13_b0116271_14220584.jpg

新吉原とは切っても切り離せない存在の浄閑寺。白井権八に返り討ちにあった本庄兄弟首洗い井戸(弟が兄の首を洗っていた所殺られた)と中。
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幡随院長兵衛夫妻供養墓(向かって左が本人)源空寺

小紫という名跡は毎度おなじみ三浦屋とされているが古典文学特に源氏物語あたりはこういう名前のソースになってるので、実際はどうなんでしょね(源氏物語に若紫はあっても小紫はない)。ネットではびっくりすることにワンピースとなっています。

by r_o_k | 2021-03-27 20:38 | ご紹介 | Comments(0)

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