【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】

【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_22420730.jpg
〜明治前期、長崎でイタズラ狐の夫婦を捕らえて味噌汁にしたあと、老人の言うとおり頭を台に並べて罪状を掲示し「晒し首」にしたという残酷絵新聞
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_01483891.jpg
〜伝統的な狐

【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_23484647.jpg
髪切りという事件が江戸から明治にかけておおいに流行った。往来で歩いているとき、寝ている間、いつのまにか髷や結い髪を切り落とされる。髪は文字通りの命と考えられていて、それらは今もたまに起こる事件のように単なる性癖の発揮やストレス解消のみならず、何らかの目的を持った「人間による」通り魔的犯行、恐らく奇妙な迷信、願掛けが背景にあったものだと思われるが、それだけで片付けられないような事件もあった、という。これもその一つと言えるかもしれない。

~著者幼年のころ髪截(切)というものが非常に流行った。知り合いがふと夕寝した間に髪を切られた。しかし枕に付いたところは切ることができなかった。その切り跡はとても臭く、よだれがべっとり付いていた。ある人、これを見て狐が噛み切ったのだと言う。今思うに、桐油と胡麻油で塗り固めた時は、どんな獣も近づけてはならない、ということだ。中国にも鼠の妖怪が寝ている間に髷を取る話や狐魅が人の髪を切る話があるからだ(中陵漫録)
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_22024168.jpg

戦前までは、お化けの話がよくありました。近くで、巡査が縄を引張って、人が一ぱいたかってる。きくと、夜中になると縁の下から波の音がきこえてくるんだそうです。それで、部屋をあけると、おかんがついて、さしみなんかのおかずが出てるというんです。いいお化けだというんで、おれんとこへ回してくれよなんていってても、半分はこわがってる。
【帝都下町キツネ行状】戦争で焼けてしまった怪談たちの断片について_b0116271_22592269.jpg
家内が、猫みたいのがのっかっちゃって苦しくてしょうがない、というんです。狐がかたこと回っていたんでしょうか。朝五時に起きると、障子がまっ赤になっている。焚火でもしてんのかと思ってあけると、何でもない。それで、でんでんでんでん、芝居でやるたいこのような音がして、すうっと色が消えていったんです。これも孤だというんです。だかれ油上げを一枚でも一枚でも買ってきて、あげて下さいというわけです。これは戦時中でしたから大変でした。その頃は、油上げ買うのに、一番に起きて並んで買ったんですから。戦前までは、ともかく、そういうことが事実あったんです。(三ノ輪の話、古老がつづる台東区の明治・大正・昭和Ⅱ)
【帝都下町キツネ行状】戦争で焼けてしまった怪談たちの断片について_b0116271_23045326.jpg
キツネかどうかわかりませんがこういうわけのわからないことは自分の幼いころにもよくあったことで、障子に大男の影や大猫の顔が浮いたり、暗い部屋にヒュードロドロのお囃子が突然ながれたり、他にあまり聞かなかったものですから個人の神経だと思いつつ、江戸時代の随筆を読むと(いい加減なものかもしれませんが)断片的な怪異現象はわりと記載されています。曰く座敷に炎が沸き起こり消えた、壺や茶碗がスーッと浮いて泳ぎ回った、障子に何かがうつって開くと何もない、原因はこじつけめいて、奉公人のせいなどにされますが、キツネのような「仮想的な存在」のせいにしたほうが平和です。稲荷は江戸には掃いて捨てるほどあり、侍や大家の敷地に屋敷神として祀られたものがそのまま残った場合も多く、土地を追われて寺社に併合された例も無数にあります。待乳山の狐には油揚げが今もそなえられていますが、豊川さんなどでも油揚げがそなえられ、カラスを警戒して網で覆われていたりします。実際キツネという動物が多かった、地面に穴を開けて住むキツネは、江戸時代は武家屋敷や神社の裏山にも穴を穿ち、敷地を跳ね回り、身近でした。庶民はひょっとすると侍屋敷など禁足地にも住み自由に出入りする狐に神性を感じることもあったかもしれないです。
///
東北の玄関口、芭蕉も立った千住大橋北むこうに橋戸稲荷があるが、ここの鏝絵は伊豆長八の手によるといわれる。保存がよく、長八作にしてはシンプルなところが逆に美しい。※レプリカらしい。9月の15日近く日曜の祭礼、ほか年に2日、土蔵造りの本殿扉内側の本物が公開されるそう。
現在の「隅田川」と「梅若」その他(芳年追加、関屋の里、妙亀塚補足切、泥絵追加、水神社、お化け地蔵図、そもそもの説明、俯瞰図、写真絵多数追加、追記、安治画を追加)_b0116271_20402124.jpg
現在の「隅田川」と「梅若」その他(芳年追加、関屋の里、妙亀塚補足切、泥絵追加、水神社、お化け地蔵図、そもそもの説明、俯瞰図、写真絵多数追加、追記、安治画を追加)_b0116271_20404648.jpg

「狐」

私は子供の首を絞めて居る。
理由は知れない。悪さをしたのか。心中か。
妻はぴくりとも動かず台所にへたり、ねめ上げるようにこちらを見ている。
ああ命じられたのだ。
殺さなければ妻は去る。このこは私の連れ子なのだ。殺さないといけない。腕に力が込もる。殺さないといけない。
子供はにこにこ笑っていて、其の首は鋼のように冷たく、固い。汗ばむ手。子の首は冷たい。
妻の心も冷たい。私の心も。
子供は笑い乍ら冷たくなっていく。
笑い乍ら。
そうだ初めから死んで居た事にすればよい、そうだろうと振り返ると妻は居ない。限りない草の穂が月明かりに青白く映える。手には石地蔵の首が握られて居る。
私は結婚していない。ましてや子供など居ない。

「管狐」

右鼻がむずがゆい。

人差し指を突っ込むと毛玉のようなものに触れた。左を押さえ思い切り吹くと、親指をかすり顎先まで垂れ出すものがあった。摘み上げると生ぬるく、指先からのがれるようにうねる。それは薄茶気た毛が密生した、紐のような「生き物」だった。先端にぱくぱく開く小さな口らしきものがあり、紅色の中に細かい白歯が並んでいる。見る見るうちに吐き気を覚え、思い切って引くと、簡単に抜けた。二十センチ位はあろうか。全く気が付かなかったし、鼻中の何処にいたのかもわからない。兎に角余り良いものではないような気がしたので、振り上げ床に叩き付けた。

ぎゃひいん

床に当たる瞬間、塀の向こうから悲鳴が聞こえた。それは砕け散り粉々になって、消えてしまった。

翌日、隣家の柴犬が死んでいた。

「石の怪」

小国沢目山本村の者、二重堀の城跡に行って見ると、板のような石が大小混ざってたくさんあったので、造作の用に使おうと思った。

あくる日、馬5,6匹を引いてこの場所に来たところ、昨日見た石が一片も見えない。不思議に思って馬を堀の傍らに放し、区画内をあまねく探したが似た石すら見当たらず、狐に魅かされたと思って馬どもを曳いて帰ろうとしたところ、

四足の蹄がいずれも悉く鮮血に塗れていた。

ぞっとして総毛立ち片時もいられず早々に逃げ帰った。これは嘉永の末年のこと。

「蜀山人」

ニセ祐天上人を蜀山人が見抜くの巻_b0116271_0374595.jpg


文政三年秋、大伝馬町二丁目きせる問屋升屋善兵衛なるものの娘、ゑい年18に突然、祐天上人がのりうつり六字名号をかきて名を則祐天としるす。昔「かさね」を解脱させた祐天僧正を一目見たい、ゑいに又降りくるのを待たんと愚人多数集まり門前に市をなす。果たして時折むすめに降りては名号をしるすがそれを酒宴に持ち来たものを見て蜀山人、弥陀のふた文字を変えたるはまさしく狐狸のわざならん、貴き名をかくをはばかりてわざと書き間違えたものなるべし。折角貴き祐天上人のお手跡を拝もうと口をすすいだ意味が無い、とまた盃を傾けて座興の狂歌を詠む。

祐天がのりうつりたる名号のひかりをみたの二字にこそしれ

(みた=見た、弥陀)

余りに訝しきことなりとて大伝馬町の名主馬込氏が自ら升屋に出向きさまざまに詮議し問い詰めたところ追い詰められて本性をあらわした、まさしく狐憑き。いよいよ厳しく問答したところ脱けていった。この娘にきつねを付けたのは升屋の後家なるもの、出入りの絹商人と通じていたその商人のたくらみであったとのこと。露顕したところで絹商人は失踪、あるじはまだ年若きとて後家は実家にかえし娘ゑいは親類に預けたあと、しばらくは支配人に店を運営させた。(文宝堂散木しるす、「兎園小説」第十一集 十月二十三日海棠庵集会の席上にて披露した話)

文政八年一年間に月一で開催された奇談会「兎園会」で披露された話をまとめた兎園小説は幕末近い文化文政期の貴重な風物記録として今も親しまれています。滝沢馬琴が中心となっていました(著作堂という字を使った)が一人でまとめたものではむろん無く、また本編以外に外集など編まれた大冊です。大田南畝の逸話となっていますが、晩年に未だ平気で狂歌をよんでいたのか、ちょっと疑問はあるものの、5年前の話(南畝は既に亡くなっていたが)だということで信憑性は案外あるのかもしれません。

狐つきは精神的な理由・・・ストレス・・・によるものとするとすんなり受け容れられそうな道具立てです。祐天上人は元禄期よりヒーロー視されていた妖怪バスターであり(累ケ淵の芝居が更に名をたかめたのは言うまでもない)学のない娘にもあるていどの知識はあった可能性がありますが、面白いのは「字を間違う」という点で、これ、狐狸や物の怪の属性としてかなり知られたものであります。弥陀の威光うんぬんは江戸人らしい合理的思考ですが、全国に少なくない狐の詫び証文系のものとして注目される「誤字」だと思いました。現物はのこってないけれど、正確に「存在しない漢字」をうつしてくれているのが貴重です。


「子狐」

親と喧嘩したのでほとぼりが冷めるまで下女にとりつかせてくれ、何でもするからと夢で子狐に頼まれた主人が了解したら、折しも歳末急にてきぱき働き頭脳明晰で占いも良くするようになり、ずっといて欲しくなった、という話は確か兎園小説、正月の話。


「峠の辻」

さくさくと音をたてて山道を歩いている。いつになく穏やかな日だ。木漏れ陽が赤茶けた道をまだらに照らして、私の影もまだらに色づいていた。

尾根筋より降りる道を分けるところに立て札が有る。「狐峠」その下に、灰色の塊があった。積もる枯れ葉を退けてみると、可愛らしい石地蔵が顔を出す。固い線で穿たれた顔を覗き込むと、自然に文字が目に入る。死んだ赤子の墓印らしい。何故こんな処に、と思った。

崖というにはゆるやかな斜面を見渡しながら、さてどちらへ行くべきか、迷う。

・・・「水子ですよ」

裸電球に当たった小虫が落ちて、味噌汁に浮いた。もがく虫をつまんで床へ投げる。

焼魚。お浸し。漬物。汁。そして飯。唯一人の客の為に仕方なく作ったふうの、質素な食事だ。

「昔話でね、」

老婆の後ろで音も無く時を刻む古時計。

「あの辻で旅の人が倒れてね。腹のおおきな女さ。たまたま行きずりの坊さんがカイホウしたけんど、そのまま死んじまったと。子どももろともにね、可愛想に」

このあたりでは産女も水子と呼ぶのだろうか。おかずが無くなる。残った飯に汁をかけて勢い掻き込む。

「その晩、宿で休む坊さんを訪ねるもんがいる。その女さね。

坊さんどうも有難う、私はさる大名の娘です。

町の絵師と恋仲になって遂に子供まで出来た。だけんどそのことがばれて家をおんだされちまって、恋人にも逃げられちまった。

果たしてどうしたら良いものか、女ひとりでどう生きてゆけばよいものか。

死に場所をさがして、こんな峠まできてしまったのだと」

ぬるい茶を啜る。

「でも子供に罪はない。修羅の道を共に歩かせるには忍びない。どうかこの子のために、経のひとつでもあげてはもらえぬか」

「ごちそうさま」

私はそのまま老婆の昔語りを聞き続ける。

「そのとき妊婦の股の間から、ずるっと垂れ下がったものがあった・・・真っ赤な赤子さね。ぽたりぽたりと血をたらし、さかさまに吊り下がったまま、坊さんの目をにらんだんだと。でもまだ若い坊さん豪気なもので、怖れもせずに座っていた。」

「・・・随分恐ろしい話しですね」

「逆子は臍の緒を引いたまま床に降りて、ゆっくり、ゆっくり坊さんのほうへ這いずりはじめたと。そこで坊さん、両手をのばして、抱き上げた」

「ああ、その子のとむらいのために、地蔵を置いたという訳ですね」

私は一人合点し首を振る。

「・・・違うんだね。最後まで聞くね。

坊さん赤子を取り上げたを見て、産女はぱっと消えた。子供はにこにこ笑っているけれども、どんどん冷たく、重くなってくる。坊さんあわてて降ろそうとするが、しがみついて離れない。さては怪かしの類かと、経を読み始めたけれども、坊さんまだ若いから、功徳が足りなかったんだろね。赤子はどんどん重くなるばかりで、一向に離れようとしない。

坊さん遂に観念して、天を向く。すると月が見える。あれと周りを見渡すと、枯葉まみれの峠の辻、あの辻だよ。それでは手に抱えているのは、

何?」

「地蔵?」

当たりね

口中に泥臭い匂いが充満する。うっと吐き出すと、ぱっと消えた古食堂。闇夜に目が慣れて来ると、枯れ木の群れのシルエットの間で、正座をして、枯葉を口いっぱいに頬張っている。

老婆の方を向く。

あの地蔵がわらっていた。

私はまだ峠にいたのだ。

悪寒を感じて益々情無い。

峠の辻_b0116271_20261165.jpg

「つよいひと」

常陸の国土浦城主土屋家が家臣、小室甚五郎は剛勇の誉れ高く武芸に秀で鍛練を怠らず、特に鉄砲を好み山野を駆け巡り猟に出ることを唯一つの楽しみとしていた。

土浦に当時雌雄二匹の狐が棲んでいた。名を官妙院、お竹といい地元では稲荷社を建てて崇めていた。

妙日甚五郎、いつもの如く鉄砲を肩に近隣の山野を跋渉していたところ、偶然、お竹狐にでくわした。

甚五郎は自慢の腕前で、此れを撃ち殺してしまった。

家に帰り、早速料理して酒の肴としてしまったという。

するとまもなく近隣の他国領内の農家の妻が狐憑きにあった。出たは雄狐「官妙院」、言葉極めて甚五郎を罵る。

夫はじめ村中の者が集まり、官妙院に向かって言った。

「それ程小室甚五郎様が憎いのなら本人に取り憑くのが道理。民が稲荷の使いとして崇める貴方がなぜ縁もゆかりもない他国の者をこのように苦しめるのでしょう」

口々に非難を受けると、官妙院が言うには、

「甚五郎に取り憑くなど滅相も無い!我が妻を危めた挙げ句酒の肴に食ってしまう、凄まじき人間に取り憑くことなど到底出来るものではない。今では土浦領に入ることさえ恐ろしく、仕方無くこちらに来て縁無き妻に取り憑いたのだ。不憫に思って、ドウカ憎き小室甚五郎を殺して下さい」

ということであった。

甚五郎の耳にもこのことが伝わった。烈火の如く怒った甚五郎、役人に事情を説明しその農家へ赴くとコウ言い放った。

「狐畜生の分際で人に取り憑くなど不届き千万。増して当の我に憑かず他国の人を苦しめるなど誠に許し難し。直ちにその女から離れよ。もし離れ無くば我は主人に願い稲荷の祠を打ち壊し、更にどれだけ月日がかかろうとも毎日精進して草の根を分けてもお前を探し出し、見事撃ち殺して呉れようぞ」

仁王立ちで大声で罵ったあと領内の祠に向かい、同じように罵ったところが、それに驚いたのであろう、狐は直ちに落ちて、二度と姿を現さなくなった、という。

・・・「耳袋」より編 2000
つよいひと_b0116271_11402319.jpg


・・・今でも「憑き物」に対してこのような疑問が投げかけられることがある。なんで恨み千万の当人に取り憑かないで、周辺の他人に取り憑くのか。つよいひとは結句霊の世界でもつよいものなのだろう。


「宗旦稲荷」



大徳寺に匹敵する広大な寺域を占める開放的な相国寺。金閣銀閣の本山だ。ここも季節以外は寺宝非公開の静かな寺ではあるが、整然と整えられた寺域の東側にある鐘楼、その裏に化け狐をまつった宗旦稲荷がある。実在の茶人宗旦に化けた古狐が立派に振舞い親しまれていたという江戸時代の伝説が伝わっている。この寺域も昔は狐の住まうほど藪深かったのだろう。最後は殺されてしまったが、祠に祀られる様になったというのはどこか物悲しい。というか個人的には狐ではなく人だったんじゃないかという感覚を抱いているのだが。狐と見破られて窓を破って出たときの茶室が残っており、その窓が大きいのは飛び出したときに大きく壊れたからだというが一般には見ることはできない。(京都)

おまけ。

その日の夜

便所へ行く途中、廊下の天井につくほどの巨大な人影。坊主頭しかわからない。肩幅も廊下の幅ほど。頭部分を見つめても消えない。何か別のものの影かとおもって用を足し外へ出ると、まったく何の影もない。

結局朝まで起きていたのですが、もう一回便所にたって帰るとき、階段を上がる小さな腰の曲がった老婆のようなものの後ろ姿を一瞬見た。かなり速かったので認識できたのは、着物がまるで柔道着のような生白い厚手の感じで、小さな裾がすっと階段に消えるところ。

あーもう脳おかしいわ。

そして二晩続けて金縛り。金縛り自体は除け方を心得ているので翌朝余り覚えてないもののゆえ、今思い出した。

除け方は前も書いたけど結局電気つけっぱなしにするのがいちばん。かかってるとなかなかそこから抜けて電気つけらんないのだが、そんなときでも声はそこそこ出るので、場違いなくだらないふざけたことを言ったりすると弱まる。昨日はなんだったかなー、、、

これらも結局自分の内面の病的なところを笑いに逃がすというような理で解決できそうですけど、どうなんだろう、どっちの解釈も明確にはしたくないな。

<最終的には翌々日夜また同じ廊下で、戸棚の陰に投射したような光の姿で、異様ななんともいえない形の小さい「動物らしきもの」がぽっと現れたのを見た。それから、何も出なくなった。化生の小物がついてきたということなのか?狐だと思っていたが、その異様な姿を反芻すると、豆狸のような感じもする。>

8/22追記: へんな子狸みたいな光る影を見てから何もなかったと書いておいたが、さっき顔の横の壁にまた光る小さな影が。同じだと思う。

子狸だと思ってたけど






男の顔だ。



「ひと言葉、魔物ことば」

いったいに人語というもの、動物や精霊の及ばぬ技にて、古来言い伝えに物の気、ことばを語りしも決してその意味わからず也と。たぬき語ること当座は納得せしが思い返し何等記憶に残るものなし、とは建長寺三門の寄進を集めし老獪の例を挙げる迄もなし。さすれば近頃のはなし芸事みな狸めのなす業かと思いて、たわむれたるが。拙をさなきころ小鳥を飼いしとき、よく言葉を教えるもついぞ最期まで正しき文を語りきることなかりき。中途迄まことの人と聞きまごう程に言葉接ぎつぎし語り続くもだんだんと己が詞まぢえ出し、鳥の詞になってゆく、つられし拙の詞も畜生のそれに移り変わり、鳥死す前には只意味のない詞にて気分の交歓のみを行うようになりし。物の気の語まさにこのようなものと思う。

ひと言葉、魔物ことば_b0116271_16395158.jpg


~今週の初めから咽をやられ熱出して寝込んでいる。こんなに長い間しかも夏に風邪で臥せるなど大人になってからは無かったことで驚き苦しんでいる。つとめて怪し物とは一定の距離を保つようにしてきたが、たまにまともに正面から当たっていくと身体を壊すというのはよくあることで、しかし今回は長く、たちが悪い。腫れ上がった喉を先ず飯が通らない、腹はぐぅと減るのに食えない、飲む事さえ痛くて辛いのだ。体調を崩すと余裕がなくなり感覚が鈍るから、奇しがいるも何もわからない。不気味さに感じる気力がないから怖さは全く無い。だがこういう抗生物質も熱冷ましも全く効かず、痛くてうがいの一つもできなくて、おまけに部屋の電気が理由なく明滅を繰り返すという至極ゲンジツ的なヒガイを受けるというのは堪らない。病ますます悪化し氷を細かく砕いて喉に流し込み続けていると暗い座敷が目に入った。女がいた。天井を衝くほど異様な背丈の細女がゆらゆらうっすら、まっすぐこちらを見たまま消えたのだ。真っ白な絹地の、綿の入ったような厚い着物だった。

やっぱり。

私は部屋が臭いのは自分の熱汗のせいだと思っていた。違う。動物なのだ。そしてすっかり忘れていた或る儀式を思い出した。旧くから私のサイトをご覧のかたはご存知かもしれないがかつて全国の寺社を見て廻っていた私はいつも自分への土産は寺なら線香としていた。石彫撮影が趣味だったこともあって墓場を巡ること多く、肩が重くなると必ずその晩線香を焚いた。香のせいもあって気分がすっとしたものだ。そこで先程しら狐の立ち姿を見た途端思い出したのだ。どこの寺のものかもわからない香の箱を取り、埃を被った香台を拭いて挿しくべた。

・・・手品のようなものである。こういうものは。

喉の痛みがだいぶ引いた。電灯もおかしいくらいに安定した。全快ではないけれど、やっと眠れそうだ。

気分だとは思う。でもやはり日曜に稲荷下で化け物らしきものを見たあと、その石段を踏ん付けて降りたのだ、出たあたりを、円了先生の気分で。気散じているように見えたが、その晩すぐおかしくなったのだから疑わず迷信に従っておけばよかったのだ。勿論こんなものは幻想で気の惑いとは思うけど、原理とか科学とか理屈はどうでもいい、取り敢えず治ればいいのだ。

一応やしろには賽銭をやって「ホントにいたらごめんなさい」と語りかけたりした。が、やはり人語など通じる相手ではなかったのだろう。私は獣と人とどちらが偉いとは思っていない(能力の優劣などは別)。言葉が通じないのは、精神構造がまったく違うからだ。相手はいわば宇宙人なのだ。接点は思わぬところに顕れるが、一致はしない。


~故杉浦ヒナコ子の百物語を久し振りに手に取った。怪異が人語のくり返しをできない、人間にわかる言葉で自分から名乗り思いを語ることができない、そういった決まりごとがしっかり描かれている。これを文字だけで表現しきることは無理だ。絵の余白が、そこにひびく筆文字のみが表現でき得るものだ。てんぐの詫び証文のような意味があるようでいて全く意味の無い文字のマネゴト、そういう断ち切れた世界を人間界と接続的に浮き彫りにできるのは絵だけ、その余白だけである。

そんなことを思った。
<そして朝>

これを書いた途端みるみるうちに喉腫れ上がり気道塞がるほどで苦しさ痛さ尋常でなく、結局朝まで一睡もできなかった。暫く本件封印します(T-T)でも出勤せねばならぬゲンジツの厳しさよ。おまけにスーツの尻裂けた。2005/9


「狐の気魅悪いこと」

気になりだすと停まらない。ほったんは藤澤衛彦氏の変態伝説史をよんでいて新著聞集にでてくる、夢の中で冤罪を晴らす狐の話がどこの何狐だったか思い出せず、とくにその手下が女郎に化けてちょろちょろしたという小女郎坂の場所を推定したかったのもあるが江戸名所図会から大正期の帝都地図と現代地図をさんざ照らし合わせて、今のお茶の水女子大あたり一帯にあった安藤対馬守大塚領地の稲荷社・・・吹上稲荷?大正時点で既に残骸化していたとある・・・とはわかったが名が知れない。新著聞集では日本橋蠣殻町下屋敷に勧進した屋敷神がメインになっているがこちらはおそらく消えたか千代田稲荷あたりに合併されているのだろう。名がわからないのは気味が悪い。新著聞集が手元にないのが問題ではあるがこれだけ周辺資料があるのに社も狐も固有名詞がいっさい出ない。

小石川から茗荷谷、大塚はきびのわるい森谷の地があった。狐が多かったのも事実でキリシタン屋敷址も近く下れば澤蔵司がいて昔はマリヤ観音のほこらもあったと記憶している。しかしここまで周辺話は出るのに義理だてをして坂下門外の変の前日には下屋敷まわりで手下がさかんに鳴いたというその大老狐、たれか。

疲れて本を閉じ寝るしたくをする。


枕元にあった鏡花の雑文集が目に留まる。ひらかれたページは「百物語」。

・・・大塚で怪談狂歌会をひらく話だ。

しかも大塚の女郎話がまくらになっている。小女郎坂をさがすのが発端だったのだ。

狐の気魅悪いこと_b0116271_01082756.jpg

きつねは憑かれはじめたら怖い、京都で二回青梅で一回ひどくやられた私は早晩寝ようと時計をみたら丑三つ。


三はり除け
丑できつねをふうじ米





米は稲荷デスヨ。


吉見の般若

怪物図録<江戸褄の怪、最後のキジムナー、千束池の七面天女、吉見の般若、新宿太宗寺の付紐閻魔、不忍池の怪女、貝坂の化け銀杏、夜這い地蔵>_b0116271_16491984.jpg


埼玉県の吉見百穴は上古の横穴墓群で、中世には近く城が築かれ、戦時中は地下工場として転用されようとしたこともあり、心霊スポットとして若者が夜訪ね来、また不良が集まり若者が襲われることもあった。その位置する比企丘陵の一角に稲荷がある。県道からそこに至る細い登り道はカーブが多く走り屋のコースとなっていた。昭和55年頃よりこの一本道で迷う、「脇道」に入ってしまう、ぐるぐると同じ場所を回るといった話が聞かれるようになった。さらに稲荷の前の内側にマンホールのある一番の難所で不思議な老人の目撃が相次ぎ、轢かれて死んだ人じゃないか、稲荷の祟りじゃないかと話題になった。一人の男は般若のような顔をしていたと証言した。皆そこを迂回するようになってほどなく、マンホールのあたりが崩落してしまったという。(室生忠「都市妖怪物語」より)

「木娘」

いちょう娘は大阪浄福寺(引用注:下記資料上は浄光寺(西区)となっている)(江戸堀川)にあった銀杏の大木で、女性のようなシルエットだったことから江戸後期大評判となり狐の祟や情死者などと瓦版にもかき立てられたという(国会図書館レファレンス調査結果より)。

三善貞司「大阪伝承地誌集成」h20によれば江戸初期に江戸堀に移転してきた浄光寺境内にあった夫婦銀杏の雄株を西本願寺へ分け植え直したところ、この寺に植えられた雌株が島田髷のかっこうで拝む形に変化したといい、お化け銀杏として物見だらけ。人心を惑わすと奉行が胸から上の部分を切らせたところ植木屋は急死、奉行は高熱を出して辞めてしまう。この娘は和光寺にある3本の銀杏にも乗り移り、髷が崩れて髪振り乱した姿を樹上にあらわす。さらに大評判となって却って土産物屋が増える。しかし新しい奉行が詳しく調べたところ、このもとの話は寺の執事の作り話で住職以下お咎めがあった。騒動はそこでおさまった。
木娘(木むすめ、いちょう娘):京都大阪都市伝説 ※古写真, 情報追加_b0116271_14421592.jpg
「おおさか図像学」より当時の瓦版
〜同書から郷土研究「上方」通巻100巻「子供時代の思出」宗田桂堂「晩夏か初秋の葉が繁茂せる頃に月光を浴びた銀杏樹の形が恰も娘の立ち姿に見えるので銀杏娘と云ってゐます。之には色々の伝説があり、悲恋物㹕狐の祟りなどさまざまの巷説を遺しております。私も子供 の頃に道修町の家から、夏の夜を屋根の物干台に涼んでいると、西方に此の銀杏の樹を屢々見ました」

〜キムスメという呼称ではなかったようだ。そのひびきに処女という意味を含ませて(髪型から判別することも)好奇の目を誘ったのは時代が下るのではないか。※「木娘」「木息子」等を「木真面目」とならべて書いている江戸随筆があり、すでに「生」と同意だったことがわかる。

【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_21501511.jpg
開運稲荷 光福寺(高輪)


「胴長狐狸」

背長ノ狸の話_b0116271_053217.jpg
背長ノ狸の話_b0116271_055344.jpg
背長ノ狸の話_b0116271_061899.jpg


「京都建仁寺町五条上ル辺に住む木村おたい(17)が去年12月頃上七軒辺より由兵衛(21)とかいう婿を迎えたが、どういうわけか連絡がとれなくなってしまった。おたいはとても憂い、たとえ夫に何か理由があって離ればなれになったとしても、ひとたび夫と定めたお人に操を立てることこそ女の道と、あくまで復縁を願って由兵衛の実家へ行ったところが大阪か大津へ行方知れずだという。びっくりしたおたいは信心する清水観音に詣で、なにとぞ夫の行方が判明し再び連れ添えますよう願いますと朝な夕ないささかも怠り無く一心不乱に祈念していたところ、去る17日午後9時頃いつものように清水寺に参詣し堂宇の前に来たところ、そこに日ごろ慕っていた前夫由兵衛がたたずんでいた。おたいは驚き喜び、おなつかしゅうございます、これもひとえに観音様が憐れんで夫に会わせてくれたのでしょうと夢うつつの心地で嬉し喜んでいたところ、どういうわけか夫の胴体がだんだんと伸びて一丈余りになったので、これは何ごと、と叫んで倒れたところを僧侶が駆けつけて、いろいろ介抱して仔細を聞いたところ、狐狸のしわざということになり早々に帰したというが、「狐狸ャ胴だ」の見出しは無理がある」(湯本豪一編「地方発明治妖怪ニュース」収録より抜粋)

わりと幼妻の一途過ぎる執念が出ていて、清水の境内に実際に出没したと言われている狐狸を例に出すよりも、若い妄念が像を結びあやかしを呼んだ気もする。観音さまも明治喪女の妄念を取り去ることは難しかったようで。


仙台のお殿様(三代伊達綱宗)が入れあげるも靡かず誰かに操を立て、ついに隅田川中州あたりで吊るし斬られた二代高尾太夫(仙台高尾、万治年間没)。その漂着頭蓋骨をまつるという高尾稲荷神社の話を聞いて、それは芝居噺と思いつつ、万治の大昔の伝説的な花魁の影を地霊に問いました。
仙台高尾の足跡を追え!(遊女供養塔刻銘、出身地、昭和明治写真追加、高尾考挿絵追加、仙台の高尾門、通称高尾墓写真、昭和初期写真を追記)ついでに薄雲太夫の墓参り。→結論めいたことまで→明治中期お品資料追加_b0116271_22382750.jpg
(伊藤晴雨)
仙台高尾の足跡を追え!(遊女供養塔刻銘、出身地、昭和明治写真追加、高尾考挿絵追加、仙台の高尾門、通称高尾墓写真、昭和初期写真を追記)ついでに薄雲太夫の墓参り。→結論めいたことまで→明治中期お品資料追加_b0116271_17141823.jpg


「天王寺妖怪」
天王坂妖怪_b0116271_050426.jpg
享保初年頃、勝間郡蔵という一刀流師範の浪人がいた。腕は未熟だったが不思議と門弟が多く各所に稽古場があり、掛け持ちで指南して生計を立てていた。ある年暮の頃青山あたりの道場の稽古納めといって門弟二人と酒宴を行った。興がのり夜が更けるのにも気づかず、夜半の鐘に驚き帰途についた。明かりのない闇夜の道に、門弟が用心のため提灯をといい取りに戻ろうとしたが、勝間は提灯は足元だけ見えて前後がわからなくなる、このような時こそ心がけが大事だと制した。四ツ谷にさしかかり南伝馬町という所の横の小道をたどり、名高い天王社(江戸時代のうちに神田明神境内に移築され現存)の前に来たところ、道に広く老松古松が枝を交わし立て込んで、森々として恐ろしげだった。さすがに門弟たちが尻込みするさまを見て、勝間は世に恐ろしいものはない、怪しいものもしょせんは狐狸のたぐい、臆病な心を見極めて付け込み驚かす。人は万物の霊、まして武士たるもの臆した心はあってはならない、日頃何のために剣術稽古しているのだと呟きながら小坂を下る。

左に寺が見えてきた。表門の冠木に龍が彫ってある。前にさしかかると龍は冠木をはなれこうこうと眼光を放ち角をふり立て、紅の舌を火炎のように揺らしながら勝間の目先でくるくる廻った。門弟たちはあっと叫ぶと逃げた。勝間は刀に手をかけ、おのれ古狐ばかにするなと言って瞬きもせず睨みつけると、しばらくして冠木に戻り止まった。それみろと笑って先に去った門弟に声をかけながら道を急いだ。折しも霜が溶けぬかるんだ道、まばらな杉垣の際から足元のよい場所を選んで通る途中、垣根の間から氷のように冷たい手が延び勝間の耳をつまんで引いた。驚いて振り向く鼻先に、お歯黒をぎらぎらさせた細眉の色白の女が顔を突き出し、にたーっとえもいわれぬ気味悪い風情で笑った。不意を打たれた勝間は一声叫んで気絶し横に倒れだらしなく伏した。先に逃げた門弟たちは待っても勝間が来ないため知り合いから提灯を借り戻ったところ、失神した師匠をみつけ目を覚まさせた。

以後勝間の評判は急に落ち目となり、門弟もいなくなりどこかへ引っ越してしまった。大言壮語ぶりとあいまって笑いの種になっていたという。(思出草紙)

とくに目だったところのない平凡な話だが、既に「実録怪談」の様式が出来上がっているところが面白い。すなわち年月、(実際に存在したかはわからないが)主人公の実名と詳細な場所が明示されており、真実味を与えている。この江戸実録ものが後代の一つの怪談のフォーマットとなったのは確かである。

【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_21571338.jpg
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_21571934.jpg
北斎旧宅ハンノキ馬場辺の稲荷。清澄通りを総武線高架越えて大通り手前筋で両国駅側に入ったとこ。

2013/8/4鹿島心霊ツアーの形をした何か!(古写真追加)鹿島神宮、犬吠埼、屏風ヶ浦_b0116271_17202641.jpg
西宮神社・金刀比羅神社および稲荷神社の合祀社です。いずれも他に普通にある神社から分霊してきているわけですが、この日初めてあの雰囲気がしました。「あの」。ただ神様なので、自殺者がどうこう、というのでもなさそうな気がしました。裏から降りたら民家でした。病気の鉢巻はたまに見るなあ。意味が違うのか(鹿島)
2013/8/4鹿島心霊ツアーの形をした何か!(古写真追加)鹿島神宮、犬吠埼、屏風ヶ浦_b0116271_17205812.jpg


「ひきずる女」

都市伝説ものを取り上げてみました。懐かしい部類の話に入ってしまうなあ。
ひきずる女~路傍の情景_b0116271_0472395.jpg
ひきずる女~路傍の情景_b0116271_0473946.jpg
ひきずる女~路傍の情景_b0116271_0475599.jpg
ひきずる女~路傍の情景_b0116271_0481476.jpg
ひきずる女~路傍の情景_b0116271_0483190.jpg

山口敏太郎編「魔界接触編」学研(サイト妖怪王)を参照しました。東京都江戸川区小松川七号線の噂とされています。ほんとうは「高速婆」の類の話です。高速道路をなぜか体を引きずりながら歩いている女が見える。見ていると体がどんどん崩れていって、肉片が点々と続き、最後に右腕だけが前へ進もうとしているのが見える、というのですが・・・体を引きずりながらも高速移動しているというのなら、観察する時間はあると思うんですが、高速道路で徒歩の人間の姿なんて瞬き一瞬でしょ・・・。話としては面白いし、理由もいくらでもつけられそうですが、個人的にこれがありうるとして、怖く感じるのか?と言われると、高速移動する女が真横でどんどん崩れていくって時点で不思議感のほうが強くなってしまって、

「狐に化かされた」

と思うと思うんですよね。都市伝説だから、事故でバラバラになって死んだ女が家に帰ろうという執念だけで高速にとりついてる、みたいに理由付けられそうものですが、たぶん、幽霊的な解釈って近代のもので、むしろ昔は「そんなありえない話は狐か狸」で済んだことだと思うのです。その時点で「不思議話」ではあっても「怖い話」ではない。理由がわからないことはやっぱり、怖いというより不思議で処理したほうが、下手に精神的な闇を抱えたような解釈にならなくて、清清しい気がします。

蚕の社

かなり不思議な社配置で、三つの鳥居を三角に組んだ三柱鳥居が丸い池の中に立っている姿、その三角の下の石積みと立てられている御幣、丸池から南に流れ出す人工の川、その短い流路を塞ぐような稲荷社、それらの構造と関係無しに並立する神社本体、意図的なものを感じる。今回一番「怖い」感じがしたのはここである。怖いというか重いというか、稲荷が「強い」。水が枯れ川に僅かに残るだけだったところも、何か信仰の途絶のような感じに見えてしまった。全般にモノ自体は新しい。三井財閥の信仰があつく東京の三囲神社に三井家にあった三柱鳥居が移築されているのは有名な話。こちらは陸上ではあるが、三角の下には井戸がある。「三角」+「井戸」=三井の洒落である(しかも「三囲」自体、三+井戸を囲む四角形といった名前である)。しかし泉の上に三柱鳥居を組むという意匠が本来のもので、神道の源流の一つの土俗的な姿かもしれないと思わせるものである。天虫信仰が併合されたのも偶然ではなかろう。鳥居は人界と異界の境目を示す門であるのに、三角に組んだら「どこにも行けない」。諸星大二郎さんのマンガにそのあたりに焦点をあてたものがあったかと思う。三角という象徴的な形に、先の晴明の墓並びに秦河勝幼少時の邂逅の伝説と絡めて陰陽道との関連を考えてみたが、いずれ想像にすぎない。


「狐の玉」

篠田さンの「銀座百話」(昭和12年岡倉書房)から。

銀座は「玉の井」食堂、白狐の庇護を受け繁盛とはモウとうに昔の噺。ソウ何故玉の井と申しますかというとこのあたり妾どものとこに評判の高い井戸がありまして、伝説に、最初この井戸を堀った時に、水が出ず光りものがする。ナンだろうと段々掘り下げてみますと”白狐”のお尻にある毛の玉が出現たンだそうです。ソレを神棚へおそなえして縁義を祝いますと、井戸の水もコンコンと(洒落てンじゃありませんよ)、清泉が湧いて大層評判になり「玉の井」の屋号を受けたと申します、白木屋さんの白木観音(元日本橋東急屋上、現浅草寺域内に転居)の水のように水脈がこのあたりにもあるものと見えます。

江戸の末期、手堅くこの「玉の井」を守っておりますおばあさん、或る日魚河岸通いの芝の魚屋さんが「コー金に困ってるンだが、済まねエ、これを買ってくンねエ」ソレは芝明神の富クジの札なンです、「そンなものは」と堅気の婆さん断っても日ごろご贔屓の魚屋さん、よくよく困ればこそ、トミ籤を売のだとも考えお金を融通するつもりで買い取ったンだそうです。ソレがどうでしょう、当たり籤だツたンです。千両の。

1990/1999

「浅草寺の狐狸」

お狸さんにごあいさつ_b0116271_15354520.jpg

鎮護堂をさがしてやっとみつけた。工事し過ぎやっちうねん浅草。狸は堂宇として浅草寺から離れているので少しもともとわかりにくいのです。浅草寺には狐がいるからね。裏の池が綺麗。(ここの狸は力が強く、伝法院の縁の下に住みフランス人大道芸人まで巻き込んでの大騒動があったという。最後に見かけられた狸は團十郎の碑そばの叢で打たれたが何の祟りも無かった、明治中期)


「太郎稲荷」

入谷は光月町の太郎稲荷。園地整理される前の浅草田甫、野中の一軒家的な「流行神」…武家の屋敷神…でも今もしっかり守られてる。もちろんオリジナルは小林清親、これは雲のような表現あるものも。後世の後刷りは灰色のグラデーションが美しい。月夜と街の灯は井上安治独自の演出。

2018/5/15〜22の日記:皇居行ったり絵を見たり(横浜写真追加)九段、靖国神社_b0116271_12341547.jpg
2018/5/15〜22の日記:皇居行ったり絵を見たり(横浜写真追加)九段、靖国神社_b0116271_12341571.jpg

江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_08225599.jpg

このど真ん中が太郎稲荷です。

2018/5/15〜22の日記:皇居行ったり絵を見たり(横浜写真追加)九段、靖国神社_b0116271_12440083.jpg
:有名な浅草田甫の太郎稲荷(現存、明治衰退期に大島神社にも分祀された)。勧請元の国許でも流行神のような稲荷であり、江戸時代も明治以降も極端な盛衰を繰り返した。

浅草海禅寺の後の方に、立花侯下屋敷に稲荷の宮あり、この屋敷拝領以来勧請されていた。宮の床下に狐穴あり、その外にも狐穴あって4,5匹も住んでいて、白昼でも屋敷中を走り回るため、享和三年亥、いかなる理由があってか、諸人参詣群集し近辺酒食の店おびただしく出来、にぎやかであったが、半年も過ぎてしまえば参詣人まれで元の田舎のよう。俄かに盛る者は久しからず、ということわり。(「塵塚談」小川顕道、文化11年、「燕石十種」)

ここのように武家屋敷の屋敷神(稲荷)が開放され流行神として人を集めた例も多かった。主家の国元の神社を勧請しているだけだったりするが、開放して庶民が爆発的に増えたとき、参拝証で収益を得ることもあった。ここは立花家の子が麻しん平癒したという噂から広まったという。浅草には狐狸の小社があまたあり流行神のような特殊なものも多い。
江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_14400950.jpg

新吉原の大火、明治三十年
短き春の夜の知らぬ間に明け初めて後朝を急く阿波座烏の太郎稲荷の森の辺りに騒ぎ初めたる本月二十五日午前四時半〜焼失せし妓楼の内火災保険を附しある分は三十戸程にて内「東京火災」十五戸「明治火災」十二戸にて其他は「日本火災」の被保なり〜 https://pic.twitter.com/NvpvPpGWtP

ネットを何とか面白く;歴史ネタ(三囲神社鳥居、安達ケ原黒塚、喜多院の禁忌、本所の夫婦石結論、日本堤と合力稲荷、日清戦争凱旋靖国神社仮設鳥居写真)2019/1/29-2/5twitterまとめ_b0116271_17432080.jpg
今のような小さな境内をもった立派な堂になったのはここを信仰する講のおかげだろう、覆い堂内に集合写真がたくさんかざられています)。
【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_19165806.jpg

【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_19165985.jpg

【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_19165976.jpg

【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_19165968.jpg

【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_19165947.jpg
【東京地霊散歩】竜泉に江戸の残り香と少しの寂しさと(2時間で浅草北寺社めぐり)大音寺、中村勘三郎、飛不動、吉原神社、吉原弁財天、震災慰霊碑、浅草田圃太郎稲荷※正憶院について追記_b0116271_19172425.jpg

「翁稲荷」

翁稲荷。
「宝暦年間日本橋青物町の道を直していたら古い銅翁の稲を負った像が出た。町民、鎮守にせんと番屋に置くと悪者を取り調べる場所は不浄というものいて元四日市町の火除地に小祠を設け翁稲荷とした。近所にも知る者少なく初午の日のみ開扉し普段は子供の遊び場となっていた。ある日境内の清掃を人に頼んだところ祠のそばに小便をしたので仲間が清め詫びよと注意するもがんとして聞かない。むしろ神を罵った。鳶のろ組の人足午右衛門といった。そのうち通二丁目に火事があり男も火消しに従ったが建物の牛梁が焼け男の上に落ちた。やっと助け出すも虫の息で、しばらくして大声で「おのれ午右衛門よくもわが場を汚すのみならず、却て我をののしることの憎さよ、世の見せしめにおのれを罰するなり、あらここちよや」と叫ぶとぐるぐる回って倒れる。それを繰り返すうちに死んでしまい、ろ組の仲間は御託として社地を清め大水盥★を納めた。神の祟りの凄まじさに見聞きする者霊験あらたかなことと参詣に押し寄せた。献灯供物絵馬数多く置く場所もない。そこで社地を拡げ石鳥居石玉垣を巡らせた立派な構えとなった。雨中参詣のため玉砂利も敷かれた。毎月午の日は立錐の余地もなかった。しかし年月がたって今は少しさびれている。」(「わすれのこり上」四壁庵茂蔦、続燕石十種)
★現在ボロボロの水盤があるがこれだろうか?ただ、水盥とあるので下(市谷八幡例)でいう白いタライの部分のことを言っている。
江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_13372364.jpg
江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_12433464.jpg

他力本願なのでリンクで逃げてしまう。茅場町の日枝神社境内に移されて合祀されているのが江戸三大流行神唯一の動物。しょうじきこの神様については余り詳しいことはわからない。もともと日本橋四日市町の稲荷だったということで四日市翁稲荷と呼ばれていた(震災後日枝神社内に合祀された北野神社(江戸二十五天の一つだったらしい)の隣の翁稲荷・桂馬稲荷が、こちら近所の祇園稲荷とあわせて震災戦災再開発で流転し、最終的に改めてこの境内に再建された明徳稲荷と合祀されたのが現在の形である、複雑。ちなみに全て焼けているので合祀はされていても当時の遺物は銅像含め一切ありません、とのこと)。
江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_01175508.jpg
江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_01181843.jpg
〜江戸後期の神仏双六より
江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_21055047.jpg
〜明治34年「東京名所図会」日本橋区より南茅場町永田馬場日枝神社御旅所。向かって右脇に文政年間の富士塚(浅間神社、現存せず)鳥居先の提灯の下がる右が天満宮(北野神社)、左が翁稲荷とある。本文には桂馬稲荷社との合祀とだけ記述(当時はすでに四日市という町名はなく日本橋魚河岸対岸の元四日市町のみある)。江戸名所図会にもほぼこのような配置図が見られる。

稲荷百番付」(幕末近く)では西前頭となっていて、小祠ながら二十年来参詣者、賽銭も絶えず霊験あらたかとされていた(番付は社の大小より霊験あらたかなことが広く知られぶっちゃけ儲けてるかどうかで決められていたフシがある、たとえば高岩寺の小僧稲荷も規模は小さいが祟るので非常に有名だったようで上位につけている)。

こちらにちょっと詳しい記事リンク
(引用)
宝暦(1751‐64)のころ,道路補修工事があり,地面を掘ると,銅製の稲荷の神像が出てきた。町内の者が番屋に安置しておいたところ,番屋は不浄だからというので火除地に小祠が設けられて,翁稲荷としてそこにまつられた。
(引用オワリ)
まあほぼ前記の内容ですね。

先の東京名所図会の描写はさておき、最終的に日枝神社の境内に安置されたのもそれほど昔ではないという話もあるが(もともと50年代に界隈の証券会社を中心に川岸に整備されたが、土地の関係でうつったあとは町会が守るようになっていると聞いた。ナビタイムなどこんな昔の情報を登録してるのでほんと注意、日枝神社で調べましょう)、祇園稲荷と合体して明徳稲荷神社として祀られており、往年の勢いは感じられない。翁稲荷というのは老人の姿をした稲荷の類型のひとつ。駿府には安倍晴明をまつった翁稲荷社がある。
暗くてすいません。。
江戸三大流行神を収集しよう (追記)安井金比羅宮、茗荷稲荷、将門塚、首塚、日本橋翁稲荷、お竹墓、赤紙仁王など_b0116271_1542697.jpg
撮り直し。

「九尾狐」

尾がたくさんある畸形が見つかる、という出来事は天下の変事のきざしや表れととらえられました、古代中国では。今現在日本でも、猫や蛸など尾が増えたり変形したりしていると、ちょっと不可思議な、霊的な印象を与えますが、それは日本が中国の古代思想の影響を受け、尾の異常に多い生物や通常より本数の多い動物は何か特別な力を持っている神的存在(良神悪神かぎらず)と解釈された名残なのでしょう(ヤマタノオロチなんてね)。江戸時代にはその発想が発展して、国学蘭学の興隆により古今東西の古代神話をごちゃまぜにしたような話がたくさん出来た中でも、有名な尾の多い霊獣にまつわる話が完成しました。それが玉藻前の奇談です。九尾狐と呼ばれる九本の尾を持つ狐は中国から渡来したという妖怪で、インドから殷の王をかどわかした文字通りの傾城、玉藻前という名を得て君子に近づきかどわかすも、見抜かれ追われたすえに東国の果てで岩と化します。しかし死してもなお岩からは毒ガスが噴出し、人獣を殺したといい、それを殺生石と呼びました。言わずと知れた那須にあるもので、毒ガスは火山性のものだろうといわれます。殺生石は各地に分けられ恐れられましたが、それは一種信仰の対象だったのでしょう。鎌倉から京都に持ち込まれ現在も東山にあるものは地蔵に彫刻され鎌倉地蔵と呼ばれています。また火山性の石で同様に人害をもたらすものはみな殺生石と呼ばれたようです。
怪奇百物語・九尾狐_b0116271_2145466.jpg

尾を失うと力を失うのは聖書にも載ってる世界中同時多発系の伝承ですね。反じて尾が増えると人並み以上に力を得る。暗示的です。そもそも女を狐と茶気る発想、江戸時代には芸者を、化かす狐とたとえたわけで(九尾はさしずめ9人の好いひとがいたということでしょう、江戸のおとこは哀しい)、この説話の成立は平安まで遡らない可能性が大きいです。


「三田台の狐穴」

御田八幡宮の社殿の裏手の崖にちょっと怖い場所があった、狐穴である。ライティングがされ一応こじんまりとまとまってはいるが、社中は壊れた狐だらけで小さな陶像が散乱していたりと恐ろしい。正直こんかいいちばんぞっとした場所だった。ほんとうはやってはいけないのだが倒れた像をいくつか直してやり、おそらく戦災でやられたであろう鼻をへし折られた恨めしげな狐たちと少し「会話」をして、去った。ここは崖面があらわになり古い雑木林風景を残している。あとで大回りして行くことになる亀塚が上にある。狐はともかく、この社の位置と亀塚(が神域にされた頃)の関係を歴史的背景から見直すと何か面白いことがわかるかもしれない(わからないかもしれない)。伏見から勧進されたようである。2005

【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00004615.jpg
釜鳴り神事でしられる由緒ただしい御田八幡宮の裏手にある伏見さん。6年ぶりにきたら立派な稲荷社ができてて、その奥にまるで窟をぶっこわされたように開放的に、ありました。戦争でこわれた狐たちも修復され整然と並んでいた。 2011


「麻布の狐狸」



4つの坂の頂点に、一本の松がある。焼けて戦後植えなおされたものだが、もともとここにあった一本松は麻布七不思議のひとつだ。家康の時代に関が原から持ち帰られた首級がつるされた、もしくは埋められた「首吊塚」の名で呼ばれた場所である。

伝承によれば、女が立ち、誘われるままにいくとほうぼうを引き回されて、狐坂の下の溝にぽーんと放り込まれるという。狐坂はやや離れた場所にある。二本松というものもあり、一本松から二本松のあたりを縄張りとした狐がいた、というのが定説だった。暗闇坂から右に行く坂が狸坂だ。非常に雰囲気のある急坂である。

ここは古狸の縄張りだった。有名な話がある。この狸は人々をたぶらかして石地蔵や石塔を運ばせるのが趣味だった。もともとさびしい捨て子の多い場所でもあったのだが、とにかくオギアオギアと声がする、また赤子捨てかと夜道をゆくと果たして路傍に泣いている。かわいそうだと抱き上げるといつのまにか狸坂に来ている。ずしり。アレと見ると赤子は地蔵様に化けている、ありゃこれが狸坂の狸かと投げ捨てる。

今狸坂沿いには綺麗な教会があり今日も結婚式が行われていた。狸坂の昔も婚礼帰りに泥だらけの石を抱えさせられて衣装台無し、ということがあったそうだ。面白い因縁だなあ。結局坂には投げ捨てられた石地蔵や石塔がゴロゴロすることになり有名になった。狸だったことを確認した者はいないが狸ということになっている。今も気だけはいそうな雰囲気である。

だいぶ急坂を下り平らかになっている。この先少し左に折れて行くと狐坂である。

さきほどの狐がつれまわした男を捨てたのがこの坂下の溝といわれる。話だけを聞いていると現代都市伝説のようにも聞こえてくる。それが狐だとは誰も確かめたことが無いのだし。女は明治の初めまで現れた。港区は坂に悉く丁寧な標柱をつけて説明するのだが、ここはさすがに余り雰囲気が無いせいか標柱がない。



「屁理屈に弱い狐」


渡辺華山の墓は三州田原城寶寺にある。里人が華山の墓に詣でれば、狐狸に憑かれていても落ちるといって、今はとくに参詣する人が夥しい。華山が生前雇っていた従僕に一人の娘があった。かつて狐に魅入られたことがあり、その時は一朝にして漢学に精通し、四書五経を暗唱できないところはなかったという。華山は早速娘に会い、おまえは深く漢籍を暗知していると聞く、然らば問おう、論語に「子曰く」は何個所あるか。憑かれた娘は言葉に詰まり、忽ち正気に戻った。そのため華山を狐払いとして崇拝する者が多くなったという。

~石川鴻斎筆「古今東西逸話文庫」M26



「狐火が憑りつく」


--寺尾を出て、国道の水名橋で三面川を渡って村上の方へ歩いていた。まだ朝日村の内である。道は下り坂。松並木の左手に墓地が続いている。時折自動車が走って来る。
雨がジョボジョボ降っていた。
七時頃だった。
フッと自分の着ているジャンパーのポケットをまさぐった。自然に目線が上着のあたりにゆく。
「アレ、なにか光っている。変だ」手で拭きとるようにさすってみる。目もこすってみる。光はとれる様子はない。相変わらず光っている。蛍光塗料を付けてきた覚えはない。そんな派手なジャンパーでもない。よく確かめると、どこ、と一点を指すのではなく、どこといわず光る。
そのうち、いくらかあわててきて、ポケットに手を入れた用事の方はすっかり忘れて
しまった。蛍が体中に止まって光っているふうである。
左手が墓地のせいだ、という思いが強くなる。もう夢中で急ぐ。どうも墓地の方は真っ暗で
光るものは何もない。
道がぐっと右へ曲がった。当人も道なりに曲がった。
ところが、気が気ではない光がパタッとなくなった。墓地は終わってなだらかな雑草地に
変わっている。
「狐に化かされるってことはあるものか、と信じていたが、やはりこの世にあるのか」
「いやいや、墓のせいか」
「人魂が燃えるというのは、これかな」
怖いもの見たさに、今歩いて来た方を振り返った。人が歩いてくる。キラキラ光っている。
自分では一向に気付いていない模様である。夜目にも黒っぽい上着の人物だった。
「それで分かった」
「あの墓地の横を二、三人で通ったとしたら、ホラ、遠くから見れば、狐の嫁入り、と言うんではないのかネ」
「これはもしかすると瀬波温泉あたりの明かりが、10キロ離れたあの松並木に当たって、キラキラの光になって砕けるのかな」
「雨が降らなければどうか」
「標高のせいだとか」
「墓は」
「狐の毛皮はオラたちの背中にホカホカと乗っかってっから」
「狐化かして捕まえるのは、オレたちの方だべ」
「ハッハッハッハッ」--

*江戸時代の「牛鬼」という怪異にもこういうものがある。科学的に説明がつくのかもしれないが、奇異なことであることは確かだ。 アオサギの火、などといった鳥の怪異にも共通するし、狐火というのはまさにこのような陰火なのだろう。(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:大塚安子”上信越・山の怪奇ばなし”より)



「やかん坂」


:古い住宅地。ここは小日向公園。高台で背後は寺の墓地になっている。

この高台から右脇の「やかん坂」を廻って降りると墓地の持ち主、日輪寺があるが、そこの本堂脇に甘酒婆地蔵がある。参道にいた甘酒売りの婆さんをまつったとてもほんわかした由来のものらしいです。しあわせ系。

日輪という名前からすると日蓮宗なんだな。江戸時代、日蓮宗の坊さんは不受不施のイメージが根強く、またとにかく法力が強いと思われていたみたいで、他宗徒から人に狐をつける呪力があるといってやたら生臭い噂を立てられていた。目黒現円融寺の蓮華往生(犯罪)も力の強かった日蓮宗を貶める幕府の意図的な風説だったといわれているが、伊豆の7人の祟る坊さん伝説も日蓮宗か。蓮着寺の威勢もあっただろう。宗派闘争はかなり激しかったみたいですねえ。そうそう、怪し坂としての属性をもった「やかん坂」とか前記「かむろ坂」という名前の坂が江戸にはけっこう存在した。「やかん」という響きが「夜半に坂の上から”やかん”のバケモノが転がる」という民話に繋がったことは想像に難くない。じっさいは「クスリの缶」ということで坂のそばに薬師医師が住んでいたとかいう謂れが殆どのようだ。野干の字をあてて狐が棲むような薄暗い坂という意味にもとられている。



「虎に狩られた毒狐が青い血を流しながら命乞いをするのだけれども虫の息の虎にその声は聴こえずますます牙を食い込ませていくだけの夜に灰色の月が昇って黄梟の金切り声の轟く不安」


「石田三成の白狐石」
【奥澤神社藁蛇・鉢状穴・練馬富士・白狐石・多摩川園大山下り滑り台跡】アクセスが激減したので意味なくエントリあげます。2018/1-2歳時記_b0116271_13541626.jpg

富士嶽神社の富士塚(明治初期)練馬
【奥澤神社藁蛇・鉢状穴・練馬富士・白狐石・多摩川園大山下り滑り台跡】アクセスが激減したので意味なくエントリあげます。2018/1-2歳時記_b0116271_13541853.jpg

その裏にある(焼けて小祠になってしまった)寺にある祠の白狐石。石田三成が豊臣秀吉より伝わるものとして秀頼から関ヶ原にて託された名石だが越後に落ち延びるとき何故か練馬の旅籠に置きっぱなしにして、それを末裔が守り続けていたと言い伝えられる。三成はこの石を置き去りにしなければ捕まらなかった、といって宿場の守り神になっていたが、いつしか寺に預けられ稲荷社として祀られた、とのこと。
【奥澤神社藁蛇・鉢状穴・練馬富士・白狐石・多摩川園大山下り滑り台跡】アクセスが激減したので意味なくエントリあげます。2018/1-2歳時記_b0116271_13542018.jpg

でもお寺、平成のはじめに焼けてしまいました。石も見やすく置かれていたのが祠内に薄暗く、ガラス戸越しにしか見られません。麻布(現在は鈴ヶ森近く磐井神社蔵、外から覗けマス)烏石とともに有名な動物紋様の石で市場に出たら今でもすごいかも。


「装束稲荷と王子稲荷」
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_12054963.jpg
王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_10372935.jpg
:田中貢太郎によれば王子稲荷まで、と言って押し黙った客が門前に着くと消えていた、というタクシー怪談があったという。戦前に既に多いパターンだった。(「天狗の面」)

装束榎跡こと装束稲荷(NAVITIMEは寺社を強化したほうがいいグーグルなら出る)、年末狐が衣装を整えるので有名な、広重の狐火画で著名な社。移転してるの初めて知った、しかも戦前。大きなものでも2回空襲に遭ってる地域、しかし装束稲荷手前で業火が止まったとか。旧地は近く王子二丁目バス停辺。 https://pic.twitter.com/cpnsG3BXRN

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14163539.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14163518.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14163586.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14163610.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14163639.jpg
王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14261609.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14261606.jpg

装束榎の写真は存在しない。郊外の土俗、そも一帯の伝承を二本の榎に象徴させたらしく残る一本を戦前に道路拡張で切り倒したが既に枯れていた。伝説の装束正して王子稲荷へ、という狐火は一帯の話で、天保初年に出てのちなくなったといい何を見ても3枚の江戸画のみ、恐らく出なくなってからのものだ。 https://pic.twitter.com/XBcVl0HCqk

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14170809.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14170830.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14170861.jpg


(河鍋暁斎が張交絵に王子稲荷の狐があるが、聞く話だけで描いた翻案ではないか?背景の立木の類似に注目。郵便配達夫が化かされる姿が開化式で楽しい。)

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_23455820.jpg

王子稲荷は神気強く江戸より変わらぬ石段下が幼稚園で騒がしくても裏、崖上の霊窟より狐らしい恐象が流れ出す雰囲気は鎌倉を思い起こさせた。強く江戸を感じさせる。京風に言えばおもかる石大小あり非常に重い。崖上の辺り嘗て四箇所亀井塚なるあり供養塚と無名併せ七曜塚と呼んだ、これ十三塚だろう。 https://pic.twitter.com/eyW0BrZHX6

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14180615.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14180637.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14180746.jpg

王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14180720.jpg
王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_22414175.jpg

(明治十五年の同地の図)

【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_10400973.jpg

(同時期の芳年戯画、丑の刻参りをする異人に狐も神主も仰天の図。王子は西洋人の景勝地で、洋装も幕末からよく見られたようである)


国芳(道外化もの百物がたり〜一部)飛んだり跳ねたりの坂田金時カシラを被せた箒で暫を形作り、化物どもを脅かす狐。金太郎人形は化物がおそれる。

明治浮世絵と2019年賀状案、飛んだり跳ねたり続報、金閣寺の長虹、四天王寺の巨大釣鐘ほか;2018/12/4~7twitterまとめ_b0116271_23020067.jpg


「木更津の寝釈迦」
王子稲荷と装束稲荷、妖怪は想像力が9割、ヘタウマの技術、恐怖インフルエンサー、寝釈迦、田中貢太郎と内田百閒の検印:2018/7/17-23つぶやき_b0116271_14223033.jpg

戦前、木更津に寝釈迦と呼ばれる祈祷師がいた。体の自由が効かないかわりに物を治したりなどしたという。狐憑きがまだ普通にあった頃の話だ。



「白狐社・熊谷稲荷」
困惑と酩酊の一週間〜東京名所(初期靖国神社、神田明神獅子山、亀戸天神、第一銀行、切支丹坂、北斎忌、熊谷稲荷、墨堤、小泉八雲、轢死の発明、土肥庄次郎、エスカレーターほか)2018/4/17-23まとめ_b0116271_20253257.jpg
困惑と酩酊の一週間〜東京名所(初期靖国神社、神田明神獅子山、亀戸天神、第一銀行、切支丹坂、北斎忌、熊谷稲荷、墨堤、小泉八雲、轢死の発明、土肥庄次郎、エスカレーターほか)2018/4/17-23まとめ_b0116271_20260317.jpg
谷中河鍋暁斎墓等探訪・江戸流行神招き猫・浅草寺寝釈迦・錦糸堀(置いてけ堀)写真と地図、江漢の大阪、人魚墓、白澤、日本写真事始:20190702twitterまとめ 絵追加_b0116271_12285223.jpg
困惑と酩酊の一週間〜東京名所(初期靖国神社、神田明神獅子山、亀戸天神、第一銀行、切支丹坂、北斎忌、熊谷稲荷、墨堤、小泉八雲、轢死の発明、土肥庄次郎、エスカレーターほか)2018/4/17-23まとめ_b0116271_20281591.jpg
困惑と酩酊の一週間〜東京名所(初期靖国神社、神田明神獅子山、亀戸天神、第一銀行、切支丹坂、北斎忌、熊谷稲荷、墨堤、小泉八雲、轢死の発明、土肥庄次郎、エスカレーターほか)2018/4/17-23まとめ_b0116271_20285091.jpg

流行神といえば熊谷稲荷。福狐と認められる白狐社として全国に二社しかないという。戦争絡みのはなし塚のある本法寺って落語家さんにはお馴染みでしょうか、壁に錚々たる面子の名前が。



「七人みさき」

一般的には海難者が七人集まると成仏できるという「あの世の決まり」から、六人の霊が「あと一人」を海に引きずり込もうとする、一種の船幽霊のことをさす。柄杓を貸してくれ、という海霊の話として語られることもあります。似たような話は海でつながっていて、東北から沖縄にまで分布していますが、しばしば違う意味と解釈されることもあるようで、海難者ではなく何らかの邪道な法力を持った坊さんの集団であったり、異説もあります。この名称はそうでなくてもけっこう不思議で、「みさき」というと主神の眷属としての獣霊すなわち狐や鼬など「御先」などという意味のほうが一般的。恐らく使い魔もしくは祟り神としての意味が拡大されて、単に「祟る霊」のことをミサキと呼んだのかもしれない。
怪奇百物語・七人みさき_b0116271_19571857.jpg

海難者というのは他の受難者よりも強く祟るとされ、沖縄から太平洋沿いの海町ではとくに忌まれているようです。夏の祭りはそういった祟り神が盆に陸地へ帰ってこようとするのを追い返す、といったいささか死んだ者にとっては哀しい儀式として行われます。


「秋葉原の狐狸同居」

:秋葉原の密かな守護神、右手が柳森神社。江戸初期には清水山という山があり、忌み場とされていた。左右に住む武家もこの場所だけには手を出さずほうっておいたとかで、柳を植えても枯れるなどの状態だった(当時は今みたいに電車の高架なんかなかったので念のため)。杉ノ森神社と呼ばれていたこともある。大奥の三人の女が痴話の挙げ句に身を投げ死んだ、それが出るという話がいつのまにか大奥で将軍の側室を狙う女たちに信仰された「他を抜きんじる」お狸社の移転先ということになって、世にも珍しい狐と狸の共存社として今に至っている。・・・というわけで淡路町駅からちょっと歩いて万世橋(筋違御門)や秋葉原電気街を左手に神田川南べりに出ます。高架の向こう側に、さきほど書いた柳森神社がなかなか賑々しく、でも密やかに眠っています。由来因縁は前記のとおり。


チョット怪談めいた江戸噺を付け加えておきましょうか。

清水山に三人の若い娘の幽霊が出るという噂が江戸中に広まったころ。若い衆三人「こりや丁度いい、こっちも三人だ」などと言って夏の夜、一杯やってから草深い清水山に出向く。樹が茂り藪深い荒れたさまは夏でも寒々として心地悪いが酒の勢い、草を掻き分け掻き分けここが頂上かとたどり着いた。一息ついて神田川を見下ろすとそこに白い影がぼうっと浮かぶ。三人の目の前に怪し火がさっとよぎる、うわっと再び川際に目をやるとそこにはまさしく三人の若い女が草むらに蹲り肩抱きあって泣いている、オバケだ!
酔いもいっぺんに醒め転がるように逃げ出した三人、ほうほうの体。しかしその後三人が三人とも熱にうなされ、あっけなく成仏してしまったとさ。

屍骸もあがらぬ魔所清水山下の湧水穴、大奥女中頭のお浦の方という「とう」の立った老女に弄ばれ、捨てられた女中ども、毎夜穴から上がってきては三人で泣いていたのでした。同性愛のもつれというまことしやかな噂であります。もっともこの神社に今も祭られているお狸様に化かされたのだという説もあり(狸が祭られるずっと前の出来事だから時代があわないのだが)、また山を根城にしていた得体の知れない妖怪のせいだという人もいた。神田川筋はうっそうとススキやなにやらが生えていて、各武家に馬の飼葉用として区切り割り当てられていたのだが、このあたりを割り当てられた市橋某と富田某も飼葉は喉から手が出るほど欲しいものの気味悪がって手を出さず、結句くさぐさが生い茂り荒れ放題になっていた次第。枯れては植えを繰り返された柳は吉宗の命で植えられたと言われている。柳下には怪しげな商売人が小屋を連ね、明治に入って切り崩され民家や神社の社殿になってのちも胡散臭い古着の店で賑わっていたそうである。


:頭の中でビルを消して社殿を山に置き換えてください。それが清水山。

:格式ある、でも黒ずんだ標柱。このあたりも酷い戦災にあっている。

:本殿。稲荷社。

:赤い江戸文字にガイジンさんも釘付け?

:境内全景。現在の道からは下る形だが元は山。

:富士講のあと(模造富士)。しいて言えばこれが「清水山」?

:ここはさまざまなものが習合されている。これは力石群だが、呪術的要素もあったと言われ、遠目には甲府の丸石道祖神のような異様さをかもし出す。

:社殿前のおきつねさま。おごそかというか、怖いというか。

:本殿右手に並ぶ小さな勧進社のうち、一番先頭(稲荷社側)にあるのが前記のお狸さま。


:ハイ狐と狸、仲良く。



「春日部の三囲さん」

埼玉県春日部市にも浜川戸という地名がある。古利根川という、かつての「暴れん坊」利根川の流路とされる比較的大きな川の、小さな、しかし深い支流は古隅田川といい、暗渠化されているところもあるが、残っているところもある。その分岐する西側が浜川戸になっている。もちろん運輸交通の要である川では珍しくない地名ではある。しかし、この「ふるすみだがわ」の先に、もはや移転して(現在中学校の校庭の場所)小さな祠になってしまっているが、三囲神社という社がある。言わずと知れた浅草の対岸、向島の三囲神社と同じ名前。ここにも同じような神狐の奇異な話が伝わっている。
ほんとうの「隅田川」とほんとうの「梅若塚」_b0116271_23384855.jpg
向島の三囲神社(白狐伝説)
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_13511524.jpg
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_13512892.jpg

「加藤狐」
怪物図録<安宅丸の霊(御船蔵現地情報写真追加)、高岩寺小僧、與兵衛狸、加藤狐、もと猫、恐山死霊の湯>_b0116271_12182210.jpg
震災前まで上野の南、旧下谷御徒町小(現在中学校)と公園は加藤子爵の屋敷(上屋敷)だった。御徒町公園東側が庭園で、隅に立派な稲荷(実際は大洲八幡を勧請した八幡社と思われる(このあたり下谷神社の氏子なので稲荷信仰の地だったから混同されたのだろう))があった。今は北側に築山や庭石等遺物とともに移築(関東大震災被災し手放された)されているが、縁の下には狐が棲み大きな抜穴を掘り、土地では酷く恐れられた。明治前期出入りの鳶の長造、仕事中に植込で狐が無心に何かを転がしていることに気づく。わっと入ると狐は逃げ、毬を拾う。毛の塊だったが何なのかよくわからない。夜、戸をほとほと叩く音がする。母親が出ると女が大きなものを片手にボウと立っていて、あれは子育てに必要なものだから返してくれという。返すと大きな鯛を置いて帰った。狐は魚屋からよく魚を盗んだ。まだ空地や畑のあった明治25年頃までは加藤狐は人を化かしたり悪戯をして困らせた。目に余ると町内会で加藤家に掛け合いに行くこともあったとは本屋の主人談。(佐藤隆三「江戸の口碑と伝説」)

御徒町。町名が変わりましたが御徒町二丁目で通ります。二丁目はまるごと加藤屋敷でした。無残に減った大名屋敷の立花など残る(あたりはもう地主でもないところにも当時の池庭が散在しています)明治初期の陸軍地図だと、上記の話どおりこうなっています。

怪物図録<安宅丸の霊(御船蔵現地情報写真追加)、高岩寺小僧、與兵衛狸、加藤狐、もと猫、恐山死霊の湯>_b0116271_13092836.jpg


怪物図録<安宅丸の霊(御船蔵現地情報写真追加)、高岩寺小僧、與兵衛狸、加藤狐、もと猫、恐山死霊の湯>_b0116271_13094655.jpg
池の右端が築山に見えます。赤が社でしょうか。庭園として立派です。ちなみに上が東、上野になりますね。

元の地図が二枚に渡るため縮尺違いすいません。



二筋南に行くと旧御徒町二丁目町会の脇にやはり緑の神輿倉があり、大きく鳥居が描かれびっくり。上に梯子でしか上がれないお稲荷さんがあります。距離もあり町も違うので加藤狐ではないでしょう、このあたりは下谷神社の関係だと思います。八幡神社のも旧御徒町二丁目の神輿だと思われますがこちらはどうだろう。僅かに古い雰囲気が。


※矢場稲荷神社と言う名だそうです。

「塩間の稲荷」
怪物図録・塩間の稲荷_b0116271_22252269.jpg

二見ケ浦近くの塩間(しわい)浦の乾物商人が京都に商売に出たさい、とある稲荷の前で一休みしていたところ、老いた狐が一匹出てきて、大鳥居をあちらこちらに飛び越えた。

商人がおもしろく見ほれていると、その狐、汝も越えよ、と言う。私にはお前のようになれない、と返すとやり方を教える、羽織を脱げという。狐は羽織に長縄をつけ鳥居の上にひっ掛けて、あちらこちらと引っぱってみせた。商人は自分が飛び越えているような気持ちがしてきて、ぼうっとしてきた。

国へ帰り我が家の戸を叩くと、妻子、恐ろしい古狐が来た、中に入れるなという。亭主だ親だと言っても入るなとわめき騒ぐばかり。

自分が狐にされてしまったことにはっと気付いた商人はさめざめと泣き立ち去り以後海辺に住み藻草や魚の鱗などを食べて生活した。のちにこの元人間の狐は人に、我が子をたくさんもうけたが定まった棲み家がないので迷惑をかける、どこかに設けてくれまいかと託した。地元民たちは哀れみ小さなほこらを作って、塩間の稲荷としてまつったという。説話集としての室町期の著聞集をベースとした一連の江戸随筆のひとつで、宗教的説話や教訓を基調としているが怪しげな怪異ニュースをも雑多に盛り込んだ「新著聞集」より。著者は推定されてはいるが不詳とされてきた。


「澤蔵司」

小石川のミステリ史跡群。流行神が非常に多かった土地で、幼稚園の敷地内に併合された(前はお寺側にいちおう寄っていたが)とうがらし地蔵など現地に残されているけれど、明治以後だいたいは大きな澤蔵司稲荷や牛天神のようなところにまとめられている。澤蔵司の宿る神木が道路の真ん中にあり、切ると祟ると言われて非常に有名になったけれど、今は片側が歩道として整理され、木自体も枝ぶりはすごいが、弱っている。

たくぞうす(江戸三寺に数えられる徳川家ゆかりの伝通院の学僧たくぞうすが実は近隣の狐だったということになり祀られたいわば庶民向け流行神の大将みたいな稲荷)の通った蕎麦屋さんの神棚とかお寺とか他にも何度も行ってるので、いつかまとめておく。今はないけど澤蔵司の境内にあったマリア観音祠なんて切支丹屋敷と絡めて考えればかなりミステリアス。とりあえず。


「蠅池」

蠅池の神蛇_b0116271_0205613.jpg


越中蓑谷山の頂上にある蠅池は広さ三百七十間四方で鏡のように満々と水を湛えていた。この池には神蛇が住む。毎年7月15日の夜、容顔美麗な女体が現れ、池の上で一夜遊び楽しむため、人を制し登山を禁ずる。また、この池には椀貸しの伝説がある。この里の農民が豊作の祝に村長古老を饗応しようとしたものの、貧しく宴のための器すらなかった。ある日この池のほとりに行き嘆息して歎くと俄かに池面が波打ち、朱椀など十人前が浮いた。主の同情を得たと喜び厚く礼拝して明後日まで貸してくれるよう頼み、饗応をすますと約束通り返した。村中にうわさが拡がり皆これを真似るようになったが、ことごとく翌朝必要なぶん椀など浮いたという。やがて家具なども借りるようになったが、そのうち一人の老婆、家具を三人ぶん借りてそのまま十日ばかりも返さなかった。しまいには椀を二つばかり失ってそのまま返した。すると池の波はにわかに沸き立ち雷鳴大雨洪水が起きて、老婆は屋敷ごと潰されてしまい、以後祈っても頼んでも二度と家具が出ることはなかった。今は刺刺と薮が繁茂し荒れ果てて、深さは千尋にも及び、常に太陽の光もあたらず、木々の枝が池面すら隠し狐狼の住み処という寂しく何も無いところになってしまった(北国巡杖記)


「Q:じゃあ、狐つきは?」

A:女にとりつきます。医薬も祈祷もききません。これを落とすには、丸裸にして木に縛りつけましょう。大量のネギトロを買ってきて、足先から首元までまんべんなくべっとり塗りつけます。そして飼い犬を連れてきましょう。喜んで全身ペロペロ舐めまわします。女は恐れ震え叫びやがてぐったりします。これで狐は落ちました。早川純夫「珍怪奇 江戸の実話」コンパニオン出版

・・・というか、狐の天敵は犬とも言われますね。博徒の親分が考え出したというのが、いかにも。


「さかさま」

狐火の話で思い出した。まだ山口さんが青梅ツアーをやっていた頃、神社で怪談会をやるというので散策。神社の裏手に稲荷社があった。階段を下り、会は始り夕闇。一つの蝋燭が何故か何度も消える。騒然となった。そのとき、見た。階段の上から、頭から、まっ逆さまに白装束の女がズルズル下りてくる姿を

蝋燭の寸前、話者の背後でそれは消えた。蝋燭はもう消えなくなった。大変だったのはそれから。私含め何人か、首が腫れ上がり、食い物が喉を通らなくなった。風邪ともつかぬ熱にうかされ便所に向かう途中、暗い座敷が目に入った。唖然とした。そこには天井から、花嫁衣裳の女がぶら下がっていた~狐だ!

のち、狐は稲作の神の眷属で食べ物を司るものであることを知った。手も合わせず不躾に写真だけ撮って回ったから、食べ物を食べられないバチが当たったのだ。そう思った。以来、信仰もないのに狐社だけはどこでも丁寧に手を合わせることにしている。

よし、人の死なない怪談だ。


「お岩様ゆかり田宮神社」

お岩稲荷さんは親切に研究本から謂れの部分を刷って自由に配っています。この原典も持ってる。前と違っていたのは、様々な教訓の書いてある札を自由に選んで持ち帰って、自分の精神の変遷を記録しなさいという、趣向。前より自由で中にも上がれましたし。狐さんなので狐ダメな人には悪いかな。

「番町皿屋敷ゆかり皿明神」

皿明神はかつてはもっと綺麗だった。幟があってちゃんと正式名称である桐生稲荷神社の名前が書いてあったと思う(ネットのどこかにアップしてある)。陶器の狐は無かったような気がする。そして、向かって左の狐がガチャガチャに割れていたのがすごく気になった。

「旧増上寺境内幸稲荷」
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00135718.jpg
復興の奇瑞のあった影向石の裏にお狐さまがいるよ。


「雑司ヶ谷鬼子母神の狐塚」
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00173177.jpg
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00173104.jpg
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00173109.jpg
雑司ヶ谷の旧威光寺(現 法明寺・鬼子母神堂・威光稲荷)ってミステリアス、、、稲荷だらけなのもそうだがとくに威光稲荷の曲がりくねった参道と裏下の円墳(知る限りこのへん古墳群は無いので中世塚?ただの近代の狐塚?古地図にも出ているが由来不明)


「梶原景時の狐」
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00215996.jpg
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00215935.jpg
梶原稲荷神社。住宅街の中の小さい社なのに塚があり、梶原景時一族の墓という。半分社に覆われているが周回道とお百度石があることから狐塚信仰でぐるぐる回ったものと思われます。(大井町)


「深川の狐塚は紀伊国屋文左衛門近所」

清澄庭園も深川資料館も寄らずに、霊厳寺や出世不動の桜をめで、空襲あと痛々しい石碑群がなんか少しひっそりとしていたり、春の日差しに初々しい狐塚の苔を眺めていく。紀伊国屋文左衛門墓が立入禁止になっていた。なんでだろう。紀州と木場のたくさんの名前。傍らに三好全滅の3月10日空襲慰霊碑。
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_11490402.jpg
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_00574449.jpg

「くだきつね」


竹筒(クダ)に入れて飼い、使役する。人に憑くのは「狐憑」と同じ。しかし姿は「甲子夜話(たしか東洋文庫)」図によれば本物の狐と変わらず、大きさが異常に小さいだけのようだが。あとは、イタチに似て毛は少々黒又は赤みがかり、尾は太くて大きいともいう。ネズミくらいの大きさで群れをなすともいう。キツネより小さいこと以外は、話しによってまちまちで、諸々の小動物の総称でもあったようである。ただし、クダキツネの本領はその取り憑く力だ。背景には根深い民間信仰があるらしい。巫女などが飼うがその巫女が死ぬと消える。凡人にはこれを退けることはできない。人糞を食させて殺せるともいう。これを飼う家筋にはしきたりがあり、また財力の増減はこれの現消に依るとも考えられた。



「狐火二態」

--神奈川県津久井町三井の高城賢治さんがその実見者ですが、現われた場所は津久井湖に臨む薬師様の山腹でした。
「峰の薬師様の山には、昔から横引きという道があってね。今ではその道の下に立派な県道ができましたが、昔は細い横引き道が、二つの村をつなぐ主要道路だったんです。狐火はその道へよく出たんですね。私が見たのは十六歳のときだから、昭和二年の七月十三日か十四日でした。日まで憶えているのは、お盆の花を買うので、中野町まで行ったからですね。その日は自転車で出掛けて、その帰り道でしたが、そのとき日暮れ間近で、雨も少し降ってきました。坂道を下りながら、ふと薬師様の下の横引き道を見ると、変な明りが一つ点いて、それが見る間に二つ三つと、次第に数が増えてゆくので、”あっ!狐火だ!”と、思ったね。自転車を止めてしばらく様子を見ていると、点々と点いた火がどんどん横に広がって、しまいには何十という火が一線に並んだわけですね。ところがね。それが一度にパッ!と消えてしまうんですよ。するとまた元のように点いて、そんなことを何度も繰り返しましたが、実に不思議に思ったですね」
--高遠町芝平地区の鈴木捨男さんの実に珍しい話がこれです。
「その奇妙な火を見たのは、今から三十五年位前ですから、昭和二十六年頃のことです。自分の家の前には田圃があって、その先は傾斜した土手になっているんですが、その田圃の畦道に狐火が出たんですね。その畦道と自分が立って見ていた所との間は、たった四十メートル位しかないんですよ。
それは火の玉のようではなく、赤い火炎がいくつもボーボーと燃えながら、次から次へと、左から右へ進んで行ったんですよね。それは十分間位続いたと思います。よく見ると、前へ前へと進むうち、後から順に消えてゆきましたね。季節は十一月頃でした。その頃農家の便所は大抵外にあったので、夜便所へ行こうと庭へ出たときだったですね。」(角田義治「自然の怪異 火の玉伝承の七不思議」創樹社刊より)


「貝坂の化け銀杏」
怪物図録<江戸褄の怪、最後のキジムナー、千束池の七面天女、吉見の般若、新宿太宗寺の付紐閻魔、不忍池の怪女、貝坂の化け銀杏、夜這い地蔵>_b0116271_16522669.jpg
江戸麹町に貝坂という坂があり、二本の大銀杏が聳え立っていた。八幡太郎義家が白幡を掲げたともいい、品川沖から入ってくる船の目印に旗を揚げることもあったという。いつ頃からかその下に夜ごと妖怪が現れるという噂がたった。怪坂とさえ呼ばれるほど話が広まり、五代将軍綱吉の耳に入ると城下にそのような妖怪が出るなどもっての他と怒り、腕に覚えのある旗本の若衆が次々と貝坂を訪れるも、妖女にたぶらかされ溝に落ちる、天狗に出逢い気絶するなど散々、その話は浪人の間にも広まり、名の知れた剣士が退治に訪れ天狗に首根っこを掴まれて逃げ帰るなどした。地元麹町で剣術道場を開いていた鈴木傳内兵衛はこれを聞いて貝坂の大銀杏へ来て、二晩は様々な妖怪変化の出没にじっと耐え、三晩めにここぞとそれを仕留めた。正体は何百年も経たであろう、班狐だったという(他書にも見える斑狐という妖怪、もしくは独特のものか)。綱吉聞き及び天晴と取り立て直参となるも、息子の鈴木主水に祟ったというもっぱらの評判。(佐藤隆三「江戸傳説」)

江戸怪談 弘前の夜ばなし_b0116271_19335121.jpg

「殿様ときつね」

丹波亀山の城主松平伊賀守殿、ある時、御仏殿をごらんになったところ、スッポンが食い散らかしてあった。

詮議の上で、狐のやったことに違いない、たとえ畜生だったとしても、御代々の位牌の前に、このようなこと、堪忍ならない。明日は、早々に狐狩りをせよと怒りなさった。

その夜、殿の居間の前に、物音がしたのを怪しいとして、戸をあけて見たところ、狐を蔓で縛った友狐二匹がいて、その蔓の端を咥えていた。

よく連れて来た。「それ」を取らせるぞ。

とおっしゃったところ、即その場で、喰らい殺してしまったという。



藤堂大学頭殿が飼っておられた孔雀を、安藤対馬守殿が借りなさって、蠣殻町の屋敷で籠に入れおいていたところ、ある時、狐が取って、頭と尾だけを残して行った。

対馬守殿は大層立腹なさって、そのまま屋敷にあった稲荷の社を破壊なさってしまった。

その夜、対馬守殿の夢に狐が来て、

今度のことは、全く私の知らないところだ。おそらく、よその狐のやったことであろう。三日のうちに証拠を見せよう。

と言ったところで目を覚まされた。

三日目の夢にくだんの狐が来た。

このほど下手人を突き止め、刑罰した。

と言ったところで驚いて起き縁側にお出になったところ、大きな老狐が殺されていた。

殿は深く感心して、すぐに社を造営なさった。



尾州竹腰山城守殿の飼われていた鷺を狐が取って食ったので、茶坊主に申しつけて、狐の穴のところへ行き

急いで鷺を返せ、さもなくば、狐狩りをするぞ

と言わせたところ翌朝庭の籠に生きた鷺が入れてあった。

不思議なことだ。

そうしているうちに、これはどこから取って来たのだろうと詮議するところとなり、その頃、遠山彦左衛門の飼っておられた鷺がいなくなっていたことがわかった。怪しいと言って、それを見せたところ、その鳥に間違いないということになった。



尾張大納言殿、津島で鷹狩りをなさっていたときに、烏犀円(薬)を調合するために狐の生き胆を取らせよと、加島道円におっしゃられたため、餌刺(鷹の生き餌の小鳥を取る職業)の市兵衛が承って、狐を捕えたものの、私用のことがあって帰宅したいと思ったが、生き胆を抜かなければならない人は他にはいなかったので、しばし仕方なく立っていた。すると御台所の中間が声をかけ、そのことだが私がやっておきますから、肉と皮を下さいと言ったので、それは目的の外のことだから簡単なことだ、全部あなたに頼むと言って帰った。

中間はすぐに肝を取った。すると同じ頃、清州にいた彼の妻が、にわかに物狂って、

その役人でもないのに、それがしを殺すいわれはないではないか。これによりこの者を取り殺し、くだんの恨みを晴らそう

と罵った。人々は驚き、

それはお前の間違いだ。そうならば、何故殺した者には憑きもせず、仔細も知らない妻を、このように悩ませるのだ

と言ったところ、

いや、彼のような、それがしを殺すばかりか、肉まで喰らうような強敵の者ならば、我が憑くことも難しい。夫婦の仲なのであるから、この者を殺そう

と、さまざまに狂った。この事が上の耳に入り、太守がお聞きになって、

狐は霊のあるものなので、道理を詰めて言って聞かせれば、必ず聞き入れることだろう

と言って、真島権左衛門を呼び、お前が行ってこう言えとおっしゃった。

なにゆえその者を悩ませるのか。当方より言い付けて殺させたのだ。また私は遊びで狐狩りをして殺したのではなく、このたびの事は、特に薬を調合したいという事だったのだ、同じ死すべき命を、人のために捧げたことは、悦ばしいことではないのか。早々に退くべきだ。

仰せのままに申し聞かせたところ、憑き物は涙を流し、

何たること、我らごときの畜類が、大君の厳命をこのように承る事、有難く存じます

と言うや否や、たちまちに物の怪は去って行った。

(神谷養勇軒「新著聞集」)
古今著聞集にならい説話集として、仏教や封建体制に立った書き方をしているが、内容はけしてその窮屈な範疇にとどまらないものとなっている。武家は屋敷内に稲荷を置き町民の参詣を許すことも多かったが、しばしばそのような稲荷には特殊な力を持つ狐が宿るとされ、幕末には流行神として武家にとっても収入となった。しかし、けしてウソを喧伝されていたわけではなく、広大な屋敷には狐が住んだり、慣れたりもしたようである。大洲加藤家上屋敷には加藤稲荷という怖い狐が人を馬鹿した。この写真は旧屋敷そばにある町会のものだが、加藤家自体はじつは大洲八幡を勧請した八幡社を建てていたのであり(復元されている)下谷稲荷の関係と混同されていた可能性がある。

「見世物 狐の玉」
ウサギのしっぽを切ってねつ造したものらしい。

やかん(野干)」

狐の変名だが、そもそも日本ではキツネ自体様々な伝説を付けられ無数の呼ばれ方をされており、これも調べると微妙に違うらしい。江戸初期くらいには野干をキツネをひとまわり小さくして尾を大きくして木によく登るという書かれ方をしている。仏教に出てくる「ジャッカル」を翻訳したことばを真相としている人もいる。クマグスはジャッカル→シャッカル(仏・露語)→射干→野干と書いている。人肉を食らうとか。



「オサキ狐」

ちょっと意外だったのです、こんかい調べてみて。オサキってコトバから勝手に何かの「先」触れの化け物というか、眷族というかそんなものだと思っていたのですが、尾裂き狐だったとは。九尾のキツネのミニチュア版だったのか。クダと同じ呪術的なイメージを持っていたのに、なんだか夢が無くなりました。



「隠岐島にて」


境港・水木しげるロード、御大の父方は島前の武良の血筋みたいです。同じ名字の人が六甲山でオカルト三昧してUFO呼ぶ確率で有名になって山口さんの事務所に所属したのはやはり血筋?今日も若い人が、狐つきが出て、調べたらイタチだったとか平然としゃべってた。明日なんとかフェリー前までに行く濡れ女系の岩、御大が来てよじ登って岩にじっと触れてたそうな。

【2006/11/12-17】隠岐・境港・三朝温泉・投入堂・倉吉・鳥取・姫路(mixiサルベージ)_b0116271_15460730.jpg


「こわい(狐者異)」


「ヨク(短狐)」


「日蓮宗徒の狐使い」


「黒狐」


蛇窪社の独特狐

年末年始(イベント以外)浅草拳、駿馬塚、柳屋お藤の銀杏、さすらい地蔵力石、都立大学駅近辺の歴史不思議物件、有楽町高架今昔、河鍋暁斎、女夫石の正体、三囲神社 2018/12/25-2019/1/8_b0116271_20465186.jpg

#荏原七福神めぐり #久しぶり #大井の大佛 #明治中期に西大井に来た #烏蒭沙摩明王 #トイレの神様 #ほんとの便所に祀られてる #蛇窪弁天 #個人の信仰から祀られており素朴な白蛇や白狐像が独特



「姫路城の刑部姫は狐」


ミステリアスジャパン 、姫路城 の 妖怪2体。 簡潔な説明 。 お菊井戸 は 中世の物語 で 古い信仰を江戸時代に 芝居にした模様 。 お菊神社にも触れている。 長壁姫 は 天守 最上段 に現れる 妖怪 として知られるが 元々 秀吉 の 初期 姫路城 により移転させられた長壁明神 ヘの信仰の名残。 もう一社移転させられている。 それが物語化して 二人の城主にたたったような話になったそう。 古くは 無視をした 城主。 江戸に入ってからは 宮本武蔵の 偽長壁 明神 退治。 長壁を名乗ったのは 狐でした 。元々 はおそらく当時の若者の 武勇談 だったのでしょう とのこと。 これらを総合すると もともとこの辺りにあった信仰の 景色は作り変えられたとしても 建物に染み入り残る 様を思い描き 伝わっていったのでしょう。



「京濱伏見稲荷神社」は狐のワンダーランドだった


富士塚では、ないね。 https://pic.twitter.com/q2m857JMLb

京浜伏見稲荷のふしぎな狐たち、江戸城馬場先門古写真、葛飾為一氏による葛飾北斎の話:2019/1/16-22ツイッターまとめ_b0116271_16331731.jpg



おしり狐 https://pic.twitter.com/CgKLXLCHKN

京浜伏見稲荷のふしぎな狐たち、江戸城馬場先門古写真、葛飾為一氏による葛飾北斎の話:2019/1/16-22ツイッターまとめ_b0116271_16332503.jpg



ドリル狐 https://pic.twitter.com/TINugCMxX8

京浜伏見稲荷のふしぎな狐たち、江戸城馬場先門古写真、葛飾為一氏による葛飾北斎の話:2019/1/16-22ツイッターまとめ_b0116271_16333561.jpg



すっぱいぶどう稲荷 https://pic.twitter.com/MbJdsTaywc

京浜伏見稲荷のふしぎな狐たち、江戸城馬場先門古写真、葛飾為一氏による葛飾北斎の話:2019/1/16-22ツイッターまとめ_b0116271_16334772.jpg



家政婦は見た稲荷 https://pic.twitter.com/NSjOVR9VZ7

京浜伏見稲荷のふしぎな狐たち、江戸城馬場先門古写真、葛飾為一氏による葛飾北斎の話:2019/1/16-22ツイッターまとめ_b0116271_16335717.jpg



病気平癒の御守りをもらってきました。 https://pic.twitter.com/0A1elSbGse

京浜伏見稲荷のふしぎな狐たち、江戸城馬場先門古写真、葛飾為一氏による葛飾北斎の話:2019/1/16-22ツイッターまとめ_b0116271_16341725.jpg


こりゃそうじしないとだめだ。。
なかまがふえました(京都伏見大社のおにんぎょう) https://pic.twitter.com/OshCTsSoyB

京浜伏見稲荷のふしぎな狐たち、江戸城馬場先門古写真、葛飾為一氏による葛飾北斎の話:2019/1/16-22ツイッターまとめ_b0116271_16342874.jpg

京濱伏見稲荷神社でした。駅そば。これは歩いてけるな。戦後に生まれた地元密着伏見稲荷系の大社みたいですが、切り株に大岩が載っていて謂れがきになる(イワクラ的な存在)



「管狐はオコジョの変名」


管狐と言われるオコジョの獰猛さが解る。急所を極めてれば大きさよりスタミナなんだなあ、計算されたウサギ狩り。"Stoat kills rabbit ten times its size - Life | BBC" を YouTube で見る https://youtu.be/HNbqvqf3-14
※クダないしクダキツネは狐同様の使役神として管状の竹筒に「収納」するものと長らく思っていたが、それが単なる形状からのオコジョの別名であると知って振り上げた手が下せないかんじです。



「爪の間から入り込む狐」


脇の下から入り込む、というはなしもある


・霊柩車を見たら親指隠さないと親が××という言い回しの起源と写真


松屋筆記巻二(十八公舎筆記巻之二)
松屋 高田興清文儒稿

二十五 魂門魄戸
同書十五の巻に「魂門魄戸」事問何答或云、
左大指ノ爪ノ本ト爪ト肉トノ間ヲ「魂門」ト云ヒ、
右ノ大指彼處「魄戸」ト云フ、
彼處ヨリ魂魄出入故「怖畏ノ事」有時ニハ余指ヲ以テ大指ヲ握リ彼處ニ隠也


「同書」は冒頭に眞俗雑記問答抄(文応元年十二月上旬、薩州頼順)とある。
松屋筆記を「霊柩車を見たら親指を隠す」の最古の例とするものが多いが、少なくともこの記述は書写である。松屋筆記は日記のように綴られた随筆で、文化十二年以降のものとされる。明治時代の活字本では晩年弘化二年まで続いたことが示唆されている。この文は冒頭近くのため文化年間で間違いないだろう。


親指の爪と肉の間が幽門(魂・魄は死者を構成する二要素)となり、新仏や狐狸の入り込む隙となる話は近世のもので、コレラの流行時に親指を隠す旨記録がある。だが幕末明治初期、写真を撮られると手がでかくなるから隠す風習(実際に手を隠した写真がある)と同根であることを期待して調べたが、そもそも写真が魂を奪うものだとしても、大きくなる意味がわからなかった。


「明治前期、コックリさん大流行」


天皇汽車にて帰還で万歳万歳後28日、無期懲役判決。6/5に品川で狐狗狸さん。好きだねー https://pic.twitter.com/6KVDxyZRyO
はざま【明治日記】訂正あり・大町桂月・田岡嶺雲・大久保躑躅園・お岩さん・こっくりさん・大津事件、PAPERANG P2、大分の鬼のミイラは浅草生まれ?:2019/5/20-24twitterまとめ_b0116271_13212096.jpg

「まとめられた石浜神社の白狐社」
昭和63年に復原された石浜神社富士塚。開発による移転などで失われていたが頂部の富士型石を始めいくつかの遺物から江戸最古の高田富士より古い可能性がある(あった)という。頂部の石は新しく、手前の富士山遙拝所の石柱が古いとも。白狐、宇賀神(稲荷)と三穴が並ぶ。
江戸神仏願懸重宝記訪問ラストスパート(芝・白金・市ヶ谷・錦糸町・橋場浅草)、江戸の落書き、シーボルトの名所図会、アート趣味、江戸明治東京風景散歩特集:2019/6/17-25twitterまとめ_b0116271_20474532.jpg

江戸神仏願懸重宝記訪問ラストスパート(芝・白金・市ヶ谷・錦糸町・橋場浅草)、江戸の落書き、シーボルトの名所図会、アート趣味、江戸明治東京風景散歩特集:2019/6/17-25twitterまとめ_b0116271_20474651.jpg
江戸神仏願懸重宝記訪問ラストスパート(芝・白金・市ヶ谷・錦糸町・橋場浅草)、江戸の落書き、シーボルトの名所図会、アート趣味、江戸明治東京風景散歩特集:2019/6/17-25twitterまとめ_b0116271_20485023.jpg

「海狐」
犬男出現!海犬の正体?勝手に目黒七不思議、吉本騒動やじうま2、日本の素朴絵展と戯画・鳥羽絵の世界、渋谷東急東横店さらば:20190724twitterまとめ_b0116271_12491288.jpg
ほんと昔の動物の区別ってあいまいで、この大きな陶製の狛犬も解説指摘の通り狐の太い尾を持ち顔つきもこころなしか狐っぽい。別の陶製狛犬は完全に異形で眉にフジツボ頭頂から背中に貝が貼り付いている。足も変な形で近代のシーサーを思わせる。ほんとは何なのか?海犬??
【FOX】キツネの江戸と東京、不思議と信心と消滅とさわり【FOX】_b0116271_11494092.jpg
「小稲荷」
人間も稲荷化するのは承前。狐になるわけじゃないけど狐使いになるようなもので。そして大きな稲荷社には大量の、守る人のいなくなった祠が集合する。稲荷社がなければ寺。(お岩稲荷の奉納玉垣、渋谷の三業組合って書いてあるの今気づいた。花街と女性怨霊の結びつきはお菊神社を想起・・)
表現の不自由展騒動に反アートの気持ち強くなる、伊藤晴雨さいご、御船蔵跡・安宅丸稲荷訪問:20190805twitterまとめ_b0116271_12183416.jpg
表現の不自由展騒動に反アートの気持ち強くなる、伊藤晴雨さいご、御船蔵跡・安宅丸稲荷訪問:20190805twitterまとめ_b0116271_12183541.jpg

表現の不自由展騒動に反アートの気持ち強くなる、伊藤晴雨さいご、御船蔵跡・安宅丸稲荷訪問:20190805twitterまとめ_b0116271_12183559.jpg

表現の不自由展騒動に反アートの気持ち強くなる、伊藤晴雨さいご、御船蔵跡・安宅丸稲荷訪問:20190805twitterまとめ_b0116271_12183568.jpg
東京・澤蔵司稲荷
境港・正福寺
東京・荏原近辺
東京・四谷於岩稲荷田宮神社


「祈願」

ふたご(大量生産??)
お狐さま
王子稲荷
新田神社境内社 https://pic.twitter.com/Nlb8FgQWxG
明治~昭和初期漫画、多摩川花火、新田義興:新田神社界隈、戦争雑感;2019/10/5-7twitterまとめ_b0116271_14172961.jpg

猫6匹、狐4匹、牛鬼1匹になった。匹って言っちゃだめか。

「穴守稲荷のリフォーム」
2019/12/10-17Twitterまとめ:横浜万葉倶楽部、羽田、温泉銭湯めぐりの終焉_b0116271_14102788.jpg
(まさか大改装中で祠や鳥居がまとめられてるとか、多数の古祠や破損狐はどうなるのだろう) https://pic.twitter.com/OCzFhupzi0
2019/12/10-17Twitterまとめ:横浜万葉倶楽部、羽田、温泉銭湯めぐりの終焉_b0116271_14140803.jpg
穴守稲荷改装中につき神砂は箱の中からいただくのですが(※これとは別に神砂お守りもいただいてます)あきらかに自分も自分以外も病気平癒願掛けしかありえないのでとりま自分の枕の下におきます。

戦後移転で神砂も場所移動r https://pic.twitter.com/A3eGXfp5GU
2019/12/10-17Twitterまとめ:横浜万葉倶楽部、羽田、温泉銭湯めぐりの終焉_b0116271_14142690.jpg

2019/12/10-17Twitterまとめ:横浜万葉倶楽部、羽田、温泉銭湯めぐりの終焉_b0116271_14142600.jpg

仕分けされたであろう古祠を見る 神様にも寿命があるんだ https://pic.twitter.com/Mfcqnk3Et6
2019/12/10-17Twitterまとめ:横浜万葉倶楽部、羽田、温泉銭湯めぐりの終焉_b0116271_14110766.jpg

不埒な願い事をしたことで袖摺稲荷出禁になったかもしれない。狐は主祭神より往々にして厳しい。神様許しても狐は許さない。油揚げじゃ騙されない。あれは昔のご馳走だ。いまどきはマグロ、大間産指定で求めてくることさえある。無知な小狐ならうまい棒で騙されるが、大人の狐はウェブマネー。こわい狐


「濡髪狐」

◆電話ボックス式祠で有名な黒髪大明神(大阪福島)は→からと聞いた。京都の有名な御髪神社は髪結の起源で時代が下る。知恩院の濡髪祠は濡髪童子姿の狐を祀り祇園の信仰を集めたとか。>【黒髪山稲荷神社】狹穂姫をめぐる伝説が残される地にはどこか妖しげな雰囲気が漂う
https://narakanko-enjoy.com/?p=2411 https://pic.twitter.com/FMO8TpSvCE
2020/7/6conc.-7/13am09:20:19夏らしく怪談や妖怪:河鍋暁斎、髪の毛の神様、猫あやかり寺社、久しぶり映画「デッドドントダイ」、伊藤晴雨の猫股橋?、歌川国芳娘、紀伊国坂むじな駆除_b0116271_15135831.jpg
2020/7/6conc.-7/13am09:20:19夏らしく怪談や妖怪:河鍋暁斎、髪の毛の神様、猫あやかり寺社、久しぶり映画「デッドドントダイ」、伊藤晴雨の猫股橋?、歌川国芳娘、紀伊国坂むじな駆除_b0116271_15135876.jpg
髪の霊力を信じて特に強いと思われた女性が奉納した髪を綱に編み仏殿を牽くなど、また民間信仰的に髪を切って奉納し願をかける(それが壁からたくさん下がる)、髪が生えないことは髪を結う時代には一大事だったので生えるよう願をかけることも京都以外にもあり、高尾稲荷もそうだった

伏見稲荷千本鳥居【夥しすぎて記事分けますね】アナログ写真photomyneスキャン;京都奈良湖東オタモイ遊園地懸造り建築物七天王塚ほか_b0116271_10533680.jpg

【夥しすぎて記事分けますね】アナログ写真photomyneスキャン;京都奈良湖東オタモイ遊園地懸造り建築物七天王塚ほか_b0116271_10533567.jpg
【夥しすぎて記事分けますね】アナログ写真photomyneスキャン;京都奈良湖東オタモイ遊園地懸造り建築物七天王塚ほか_b0116271_10533508.jpg
【夥しすぎて記事分けますね】アナログ写真photomyneスキャン;京都奈良湖東オタモイ遊園地懸造り建築物七天王塚ほか_b0116271_10533537.jpg





はい。羽田の大神社。穴守稲荷です。
実際はもっと海の方にあり鳥居の列と商店街が有名で、栄えていました。狐塚もあった。



羽田が米軍に接収されたとき移転、残された鳥居の一つが「壊そうとすると災いがあったので駐車場に残された大鳥居」だったわけです。大鳥居というほどに巨大なのではなく、基礎が頑丈すぎて壊すよりほかない、むしろ羽田の米軍飛行場の象徴として留め置かれたともいわれています。20年近く前に今の場所(この穴守稲荷とは別の運河沿い)まで動かされて何も起きなかった、というオチがつきます。そのころ文献検証などしても、もちろんアメリカの話なので限界はありますが、それらしい「災い」があったという記録はなかったと聞きました。




びっくりしました。
大改修工事に付き、祠は整理され鳥居群は束ねられ、願をかけて地面から取って持ち帰る「神砂」は箱におさめられそこから取ることになっていました。





























主要な祠はこちらにまとめられている。









幸稲荷がいらっしゃいます。














かつて米軍統治下空港内に残され、動かすと祟りがあると言われた大鳥居は天空橋に移設。
平和大鳥居と名付けられています。


















「発光狐作戦」

ほんと?アメリカ、ラジウム(蛍光塗料)塗布したお狐様を日本に落とし社会不安を煽る作戦。海に落とす作戦は洗い流されるので失敗。そもそも狐をしつけられない。米国での実験はUMA化してそう>The Unsuccessful WWII Plot to Fight the Japanese With Radioactive Foxes www.smithsonianmag.com/history/unsucc

posted at 13:16:57

これが戦中戦後の狐火目撃談の正体だったりして





by r_o_k | 2021-03-16 12:59 | 不思議 | Comments(0)