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日本最古の土地神といえよう、神体山三輪山は長く禁足地としてあり近年登山が許されるようになったものの一切の写真撮影、飲食、もちろん草木一本石ころ一個持ち出しは禁止。斧を入れることさえ禁止されているという・・・
・・・しかしわりとハイキング然とした急登の途中、伐採の跡と思われる丸太や切り株をよく見かけた。山は管理が必要であり伐採は悪いことではないけど、斧を入れること禁止、の類の神秘性を求めて行くとこのようにけっこう裏切られる。さほど神さびてはいないのだ。普通。三輪山(蛇神とされる)は商売をする人々の信仰篤く、登山の8割方は白装束でお供えの卵と酒を所持している。頂上ちかくには社殿があるが皆そこは看過して奥のイワクラに捧げるようにしている。上り始めあたりにある水垢離場は新しいものだが、そこで滝に打たれるのが目的の人もまま見られる。
狭井神社は最近テレビで紹介されご神水の社として人々の興味を誘っている。

狭井神社との間にある磐座神社のイワクラ。黒い。。

・國學院の常設考古と山種の奥村土牛。ぶらぶら美術・博物館、脈絡なかった。。好みで言えば天地の差の内容なので後半ねむいねむい。。でも常設はいつでも見られるしねー。日本一の縄文展示でしょう。三輪山の磐座的石組から依代など従来の無根拠な考え方を見直す話が出たのが頂点。




18世紀ころ武田家の人が創建した神社、裏の兜岩が頂上にして本来の磐座。道すがら七日市の大型丸石神ふたつ見て、この山をのぼれ。
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 6, 2016
三輪山ぽい吉備中山の磐座群より凄まじく大きいが、山自体は規模が小さい。アプローチのない急峻な小山だ。 pic.twitter.com/rF8LaXL5rd
山梨、大石神社の話です。小さな山中腹の周回路(荒廃)沿いに半端な岩が配置されております。配置?摩耗した岩による磐座というのはあんまりピンときません。割れ岩が多いのは何かありそう。伐採木を挟んだのはまさか性神じゃないよね。 pic.twitter.com/qSrb1dQ0Ma
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 6, 2016
デッドリースポーンがいました
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 6, 2016
これも割れてる、摩耗してる
兜岩は裏に手入れ用梯子が隠してあって、上に登れるのは自明だったが、こんな丸岩には載れないよね pic.twitter.com/03UJ0mDHY6
お供え物によってその神体の扱われ方がわかるよね
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 6, 2016
祭のためかもしれないがワンカップずらり。
割れ茶碗とかよくある。先の芍薬塚はゼンマイ玩具がそなえてあって、武田勝頼の幼子に現代のオモチャというのが現在進行形感。廃民家(転用?)の脇。 pic.twitter.com/YiZ7YqqJcF
創建の古さを主張する山梨岡神社の小丘のふもと(同名の神社あり)頂上には大石の上の平に小祠がのっている。人は乗れる。磐座ぽい。参道右脇の巨石群は圧巻だが大山阿夫利神社の石碑があるので、このへんでさかんな富士講とは違うようだ。 pic.twitter.com/CSKQDs0noI
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 6, 2016
櫻山神社の兜岩。八幡社の小岩(昔磐座か)だったのが盛岡城築城時に二の丸より低くせよとのお達しが出され、掘り起こそうとしたところいくら掘ってもどんどん大きく、とうとう周囲20mの大岩となり、諦め崇められるようになった。要石系の伝承か。 pic.twitter.com/L3G7hFkIgO
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 18, 2016
諏訪大社(上社本宮)の磐座、というと語弊があるかもしれない硯石。背後の守屋山と共に神体だそうだが、位置的に??磐座なのに移動させられたりしているのはおかしい、て点は移動自体はありうるので可。一の柱背後の御沓石は諏訪七石。最後の石何? pic.twitter.com/ajDQwso7PI
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 29, 2016
伊豆七不思議のひとつ、函南のこだま石。道から手を叩くとこだまが響き渡ったという。地元でも知られていないのは、大正時代の地震でズレたため音がしなくなったからという。蔦に覆われ人知れず立っている。函南は別荘地で、磐座のような岩が多く出た pic.twitter.com/qeJzbUvRZl
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 20, 2016
琴弾公園の磐座。問答石、上に座して瞑想していた日証上人が前の海を行く舟の老人と問答したところ宇佐八幡大神とわかり舟を揚げて社を設立したという。象ケ鼻岩。ここより銭形をのぞむ。周囲に似たような平岩が点在しご利益が謳われる。観音寺。 pic.twitter.com/i20AqyAXMY
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 27, 2016
比叡山の奇石など。狩籠の丘。サークル状に配置された石。真ん中に魔が封じられているという話も。千日回峰行の重要なポイントにもあたる。横川中堂の護法石。延暦寺を護る鹿島明神と赤山明神が影向したという磐座。仏足石。 pic.twitter.com/hs8kncXUHs
— ryookabayashi (@ryookabayashi) May 25, 2016
光陰のコントラストに弱いデジカメの特性でよく写らなかったが、スサノオ神社の小塚の元になった瑞光石(8世紀に叡山の高僧が双体の神のお告げを受けたという光り輝く石)、話には聞いていたけど、磐座というより、地方古墳の石棺の蓋に見える。 pic.twitter.com/leZMZZwvw9
— ryookabayashi (@ryookabayashi) August 21, 2016





笠森観音堂(国重文)もと笠森寺
昔から知られざる建築。。今はコンクリで固め桁は補強された形で安全だが、昔のお堂はコンクリなんかなさげである意味命がけ。四方掛崖の大岩に乗っかった構造はひょっとして巨大な磐座を覆ってるってこと? https://pic.twitter.com/Yfd0CKqDfG
・・・
サナト・クマラ(鞍馬寺の魔王) 京都

大石神:


:遠景。山の尾根端といった感じ。


:山頂付近に石が三角状に積みあがっているように見える。実際は石がうず高く折り重なっているにすぎない感じだ。ちなみに右下は指なので怖がらないように。

:頂上。方位石と太陽石が座っている。

:太陽石。とても光っていたとは思えない。鏡石とどっこいどっこい。


:方位石。「通常」はピラミッドの方位石というのは南北を指すはずだそうだが、ここは東西を指している。東西ということはストーンヘンジ同様あきらかに日の出日の入りを示す、太陽信仰を示すものだと言われる。


:星座石。星座の跡は確認できず。


:頂上のいわくら背後(南)に設けられた新しい祠

:鏡石側から頂上をのぞむ。よーく見ると確かに土ではなく石でできているようにも見える。しかしじっさいは土が多い。


:鏡石の裏側一部
大石神ピラミッド入口のバス停留所から少し戻って脇の車道を3キロ弱登ると牛がいる、じゃなくて分け入る山道にピラミッド入口の文字。つか里山以外の何物でもねーんですけど、ピラミッド断言かいっ。南斜面の冬枯れしている崖上にほどほどな巨石が円錐状に配置され、たもとに行くと明治の面白おじさんのキテレツ大百科が鳥居の横に書いてある。素直に巨石信仰の遺物て言えばいいのに。罪作り。江戸期に倒れた鏡石の裏を覗いたが、あるとされている文字は見当たらなかった。方位石は運ちゃんの言うとおり東西に石が合わさっているが木々が邪魔で方位がわかりにくい。太陽信仰にはスケールがなさすぎか。むしろ更に600メートル入った右脇の山の頂にある上大石神のほうが山寺を彷彿とさせる険しくも見晴らしのいいポイントとなっている。山慣れしてる人は拍子抜けするだろう巨石と言うにはむにゃむにゃな岩塊群だが今日みたいな穏やかな晴天ではサイコーに超キモチイイ。これはピラミッドじゃない、自然石を利用した文字通り石神様、イワクラといったところでしょう。
上石神:

:遠景。道路脇の藪山といった感じ。

:ここは傾斜がきついが、それは尾根の脇から登るためで、位置は山頂というわけではなく尾根筋上のピークと言ったほうがいいだろう。だからピラミッド自体がでかいわけではない。全景。大石神よりは岩山的な風貌を呈している。

:特徴的な立石。



:大石神でもそうだったが、確かに岩を人工的に平らにならしたような感じはする。ただ、この岩を運び上げたというより、元々あった岩に加工を加えたとするほうが自然だろう。
・・・
斎場御嶽(沖縄本島)

いきなりジャングル感が出てきます。意外と人の手が入っていて小奇麗ですが、かといって生命力の感じられる森です。まず左手、巨大な岩の、正面ウフグーイ、背面ユインチ、この二箇所が圧倒的な雰囲気を醸し出しています。共に何か施設がおかれていたかのような平らな広場から岩面を拝む形です。内地のイワクラを想起させます(神がどこに降りるかわからない岩塊群、という意味では琉球とはまったく違うものですが)。とくに背面のユインチに雰囲気があります。昔は浅い洞窟の様になっていたのかもしれない、岩木の形が奇怪。空気が粛然とさせる。人気が少ないせいかもしれませんが。

ミステリっぽい部分だけ。

一瞬、吉備の山を彷彿とさせるものがあったが、砂礫の混ざったコンクリのような巨大岩の嵐、超古代史ミステリー捏造も十分可能なように思われる。ざらざらの鏡岩が光ったとは思えない・・・けど。

オーブ(笑)だらけでなかなか撮影できない(ほんとは水中兼用カメラに逆光が当たりハレーションが激しかっただけ)

何かの願掛け?岩が転がり落ちないように?底に小さな木の枝が無数に立て嵌められて、しなってますが・・・屁のつっぱりにもならんですよ・・・向こうは小天狗岩。大天狗岩はどこにも見当たらなかった。飛んでったんだろう。このほか、立て札だけを残して本体のない岩がいくつかあった。山は生きている。

弁慶の力試石(吉野石)

礫が落ちた二つの穴を、弁慶が殴った痕としたもの。弁慶の穴はほうぼうにあり、関東だと奥多摩の旧青梅街道のは前に書いた。
