

谷崎潤一郎さんのお艶殺しは実話、という話を読んで、ん、と思ったらこれだった。名前だけ、大正になって借りた形で、中身は違う。





東京裁判所。現在の東京駅八重洲口。明治8年頃

黒門正面からの鹿鳴館がでてきた。正式にはどうなってるか知らないが、華族会館になったあと、島津の黒門はなくなったけれど敷地内にぼろぼろになりながらけっこう後々まで残っていたと聞いた。あの感じだと昭和三十年代までかな。ここにビルをたてた大和(やまと)生命も今はなく外資が入っている。手前の庭部を思わす広場(地下駐車場上)が少し今もある 。


