【江戸の洋風画と秋田蘭画】ちょっと抜き出しまとめ【江戸湾、上野、その他】

集中線ハンパない
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切花を意味してるのかなあ、なんか意味あるのかな 刃物と生花。ナイフは銀の裏箔を貼ってるんだそうで。蘭癖大名、画材が無茶高価。花には最先端のプルシアンブルーを使っているそうです。佐竹曙山。カタログのまずは絵を見ふけってる。
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15310537.jpg

写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15310581.jpg
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_20293575.jpg
(眼鏡絵のため左右反転、下が反転させた正しい角度)
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_21111128.jpg

〜18世紀、遠浅の芝浦。海の夜。秋田蘭画の伝小田野直武、眼鏡絵(立体視用の洋風画)。江戸名所図「品川沖夜釣」このような漁を行ったのは白魚で知られる佃島ではないかとも(「小田野直武と秋田蘭画」展カタログより個人蔵)
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_20333592.jpg
(眼鏡絵のため左右反転、下が正しい角度)
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_21120934.jpg

:平賀源内門人、解体新書挿画等で名を成した秋田蘭画の勇、伝小田野直武(同前)江戸名所図反射式眼鏡絵「高輪海景」もしくは芝浦海景、富士山の位置から後者といわれるが海の広域として高輪から芝浦は大して離れていない。西洋銅版画の決まり事を忠実に守り空には意図的に鳥を配している。(「小田野直武と秋田蘭画」展カタログより個人蔵)18世紀です。※スキャンアプリの特性から色が強く出ています

平賀源内の時代に工房で働いた直武が、その源内の住居を貸していた春信の一番弟子、司馬江漢とすれ違うように江戸を描いていたのが面白いですね。直接関係はわかりませんが司馬江漢の流儀は鏡絵として始まった泥絵の興隆につながりました。泥絵は路端で売るような大衆肉筆画として、さほど遠くない芝神明の本屋街を舞台に局所的に劣化量産されていきました。(応挙系の京都は鏡絵の色が強いみたいです)

高輪泥絵(東海道)
写真追加:港区三田を行くシリーズ(2)「幽霊地蔵」※お台場追記、八ツ山橋、鉄路敷設写真、幽霊通った飴屋のあった二本榎・地蔵元位置の芝浜と東海道沿いに海に通された鉄路の浮世絵他を追記_b0116271_11083194.jpg
:幕末の高輪大木戸あたり東海道の泥絵、まだお台場もなく鉄路もありません。この少し前までは海沿いにずらっと簡易な店屋がならび(江戸名所図会)、後に出てくる銅版画同様の様相を呈してましたので、不穏な情勢か工事都合か一時的な閑散の風景であるかもしれません。陸側はしっかり店だらけは絵と同じ、丘際まで大名屋敷や大寺もありましたが、何かと土砂石材の産地として利用され、台場築造のときは大きく削られ、すでに八つも無かったそうですが、八ツ山と呼ばれたものを始めとする高輪台の景勝地はどんどん無くなってました。瀬に船群が見えますが初日の出見物か初乗か漁師か、あるいはごく初期の段階のお台場建築でしょうか※。小島を作り周囲に杭を打っていったそうで、それに見えなくもない。左右の船着場は黒船に似せてますが実際は和船が多く泊まっているところで黒船サイズのものは停められません。木戸下の舟は瀬に漕ぎ出すものでしょうかね。

※泥絵特有のいい加減さだと思っていたのですが、大木戸から海岸へ降りる人と大木戸を手前に避けて行く人が大きく別れます。これがお台場築造中の図とすると早朝勤務の人たちが海岸へ降りる、工事のため昼間通行禁止となる大木戸近辺の東海道は陸側に臨時道路ができていたそうなので、通常通行者は臨時道路を行くため大木戸を避けていると見ることもできます。まあ、茶店が残ってるのとかよくわかりませんが。あと陸側大木戸と完全に重なった二人の人物の頭を描いてない箇所があり、慌てて直したようにも見え(非常な速筆)単なる描き間違いと考えたほうがいいでしょうか。刀を持った人が一人もいず全員男なのは泥絵の手抜きかもしれません。初期とすると2,1番台場の基礎でしょうか。ただ、もっと現実的なのはお台場のあるところはもともと瀬で、船を留め易いから初日を拝みに小舟が集った、それをうつしただけというとらえ方でしょう。

知ったかぶりがバレないうちに読むつもり…
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15231261.jpg
直武さんのお得意、リアル獅子図。洋画の模写からきているとはいえなんとなく愛嬌があります。
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15234248.jpg
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不忍池
洋画と日本画の融合を探った結果、いくつもの方向を向いて収斂する風物を一面にまとめて配する、多面的な画面構成になったというこれはサントリー美術館のカタログ取り寄せたので来たらよく見ます。その奇妙な歪みは遠近法の知識のない素人にはよくわかる…しかし18世紀には驚異的。
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なお直武はサイズが大きいです。上掲の絵はサイズ通りの比率になっていません。直武の場合細密な銅版画を目して毛筆でやったため、大きくなっていった面もあるのでしょうか。はからずも不思議な味わいが出ています。

広重の風景画に多い空に群れる雁は、秋田蘭画で洋画の様式として模写された鳥のエコーだったりして。そして茨城から家康に転封された源氏直系佐竹のお殿様が無茶うまい。何故か同年代の能画武士を何人も抱え源内に旗手たる直武を送り技を得てそれを学ぶ(そして皆短命…)。洋画論はもうほぼ蘭本が如し。蝦蟇仙人は蝦蟇に舐められ、洋画模写色の強い菅原より垢抜け、又日本画の風も残している。うーむ。
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15241984.jpg
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15242012.jpg
洋画か洋風画か洋画技法を吸収した日本画かでちがってきて、有名な応挙は最後のパターンなのだろう。洋画を目指した者と比較してはいけない。春信48のとき店子の源内51。春信一番弟子の江漢27、田善26、源内弟子の直武25、秋田藩主佐竹曙山26…安永二年、後の葛飾北斎13のとき。素人でも源内すげー。
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15545140.jpg
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15255376.jpg
康煕年間にイタリアから清へ帰化した宣教師郎世寧が油彩をよくし、唐様洋画を描き日本にも流れ、中国洋画というややこしいものが秋田蘭画に反映されてる話。浮絵の遠近法は中国経由ではないかとの説は置いといて沈南蘋の影響はそれこそ広範で若冲も研究した位だし秋田に限らずベーシックだったのだろ。清親の版画へのニス塗り(きったないし偽造可能なのに希少価値で跳ね上がるのがようわからん)は油彩に似せる技法としてよく知られているが、私は日本画よく知んないけど、秋田蘭画も「アラビヤゴム塗り」なんてものがあるのね。ただ清親と違い一部光沢を出す画材とし、緑等は洋風絵の具を使ったと!これだけじゃ材料が少なすぎて難儀しそうな話だなあ。皆早死にして藩主の画法本だけが残ったという。。少ないものを見ると静物画と風景画を合成したもの多いな。静物部分は陰影や描線は洋風だが主題は唐様と混ざった幕末予言的な日本画。遠景は西洋画。後者は偶然水彩の趣を醸し半々良い。江漢とも違う
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15273770.jpg
大変な時代を乗り切るスーパーマン藩主が各地に現れた時代だけど、生まれからすれば江戸っ子藩主が、切支丹画来の蘭画風、応挙(別格…)ら洋風画とは違い、藩として学問的に洋画を極めようというのは、島津重豪が受した直武画を賛ず曙山宛書状…3代下が斉彬、本格的に西洋文化に取り組んだ尖鋭となる
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15275823.jpg
秋田蘭画の中にあった「龍」
トビトカゲ?
写真たくさん;浅草公園ぶら古写真(富士山総覧場、鳩豆屋)井上安治、与那国島、江ノ島、秋田蘭画、2018/7/3-9_b0116271_15223649.jpg

by r_o_k | 2021-04-01 14:39 | ご紹介 | Comments(0)

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