【金閣寺あれこれ】なぞの二階入廊下、三階茶席は可能だったか、戦前既に建物疲弊してた

<鹿苑寺まぼろしの金閣寺渡り廊下>

1872年からあったと思われる復元「長虹」(焼失していた1860年代の写真には写っていない)。一階、二階への道を兼ねた渡り廊下をこう呼んだ。拱北楼はこの先の義満が執政したという建物であり渡り廊下のことではない。誤解しているページがあった。金閣寺。

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1887-1907の二十年の写真等を調べたところ長虹は見られない。1894年一般有料開放以降は一時的なものを除き無い模様。うーん。
金閣寺は無限に外国土産写真が撮られた被写体なので絵葉書だけでもゴマンとあり追うのはやめてるのですが、この写真はフランスから。下のものも同時期だろう。いつ頃のものか明治初頭焼失再建の2階入口回廊、拱北楼(と茶室)がある。多分20世紀初頭の改修で再び取り除かれたのだろうか。二階にいるのは被写体としての芸者さん他と言われている。

ファーイーストを読破しようとして疲れる、遊行寺で旧盆らしい寺宝(記憶で書いた)、戦争文集、絵金、金閣寺…2018/6/26-7/2_b0116271_17050579.jpg
殆ど焼けてない京都の古写真はあんま手が伸びない中で戦後焼失した金閣寺は一応雰囲気随分変わったし細かく変化してるので良いと思いきや、昭和始めはもう戦後とおんなじ、触れるが中にも入れん状態。2020年現在工事中。

2018/6/6-11(外国の写真集、懸樋(亜欧堂田善)と森山うなぎ店関連追記)泥絵にまみれてとくに何もなき日々の記録に水道橋写真(地図追加、広景の戯画と元ネタ北斎漫画)、御嶽社_b0116271_20521747.jpg

金閣寺はかなり弱ってて、下層階のぐるりに屋根支えの柱がやたら立てられるようになります(既に回廊や茶屋はありませんが人が入ってますね、昭和には人は入れませんでしたが建物に触れることが出来、それが最終的に火をつけられる隙となったもよう)。八坂の塔は周囲は変わりましたが地理的には変わらない。明治中期のイギリスの写真集、大正昭和初期頃の絵葉書

足利公はこの形の炭になった(記録は多い)

純粋日記、この世界の片隅にグアム玉砕戦の絵本で悲しくなる、寛永寺墓地長田幹彦さんや重文三点、浄名寺膨大な地蔵群と江戸六地蔵のかわり、西表島の思い出、役に立たない古絵葉書ほか2018/7/31-8/3_b0116271_18032425.jpg

純粋日記、この世界の片隅にグアム玉砕戦の絵本で悲しくなる、寛永寺墓地長田幹彦さんや重文三点、浄名寺膨大な地蔵群と江戸六地蔵のかわり、西表島の思い出、役に立たない古絵葉書ほか2018/7/31-8/3_b0116271_18032469.jpg

<金閣寺3層を茶席に???>
明治維新後檀家制度の崩壊等で窮地に陥り寺宝や建物放出を余儀なくされるところが多かった時期、観光収入で寺を維持する草分けとなった鹿苑寺(舎利殿「金閣寺」)みな心易く拝観料を払い外国人も勿論女性も本堂に上れた。茶室への渡り廊下が復刻されたことも。三層目も使った?

2020/1/1-8正月ゴーン初詣初湯幕末三舟コンプリート道灌山金閣寺最上階茶席の真偽東京養育院義葬の家ミイラ展ダイジェスト全国昭和初期めぐりブリタニア_b0116271_21055923.jpg
「南天の床柱」は夕佳亭のもので現存し、この絵(昭和3年)でいうものは別のものか、茶室利用のため移動したのか、あるいは筆者の勘違いかと思う。この角度で池を見るのは夕佳亭も高台上のためありうるし、二層目から三層目に登るのも大変だったはずで、現実的には記憶のミスか。

2020/1/1-8正月ゴーン初詣初湯幕末三舟コンプリート道灌山金閣寺最上階茶席の真偽東京養育院義葬の家ミイラ展ダイジェスト全国昭和初期めぐりブリタニア_b0116271_21055883.jpg2018/5/15〜22の日記:皇居行ったり絵を見たり(横浜写真追加)九段、靖国神社_b0116271_15204322.jpg
これはほんとに金閣寺なのか不明。。遠近感がないし流石にボケボケすぎる。形式的には金閣寺だが背後の木が大きすぎる。。左右反転してるかもしれん


by r_o_k | 2021-03-09 10:24 | 旅行 | Comments(0)