



●伊勢屋彦左衛門亡妻得脱の事
江戸浅草駒形に伊勢屋彦左衛門という商人がいた。妻が男子2人を残し病死、後妻を迎えて1ヵ月もたたず先妻のたたりで死んだ。1年後再び後妻を迎えた夜から髪ふり乱した女が恨めしい顔で「私は此家の妻、彦左衛門は夫。去れ」妻は一心に念仏を唱え亡魂は消えた。2ヵ月、毎夜来たことも隠した。ある夜、夫婦の寝床でたまりかね「私は我が子のように2人を育てている。心安く帰りなさい」と言うと、亡魂は怒り「頼む気はない。早く家を出よ。引き裂いてやろうか」とたちまち鬼女の顔となり妻は失神した。彦左衛門は驚き介抱し尋ね妻は経緯を詳らかにした。これより病に伏せ、痩せ衰え命も危うくみえた。法華僧の祈祷も効かない。妻は「離縁して下さい。尼になって先妻の菩提を弔いましょう。先妻は法華の供養を受けたと聞きます。法華は余法を誹謗すると聞くゆえ私どもの追善は役に立たないのかもしれません」と言った。彦左衛門は「追善はやりたいようにやるがよい。離縁はならん」と言う。川向こうの祐天上人に頼むことになり、縁をつたってすべてを語った。上人は「先妻の解脱を願うならあなたの誠意こそ大事。三日三夜念仏を催しなさい。亡者を、わが子を思うごとく憐れみなさい。妻は先妻を姉のように敬って念仏しなさい。弥陀の悲願をもって亡者の重苦を救い、浄土に引接したまえと祈りなさい。家内安全のために怨霊退散を願うのは、亡者を憐れむ真実ではないのです」と説示した。そして六字名号を書いて与えた。夫婦は教えに従い真心をこめて先妻の成仏のため念仏を唱え続けた。のちに夫婦の夢に先妻が現れ、二人の真心を感謝して、成仏することができたと告げた。この時の六字名号の小幅「左に南無阿弥陀仏即滅無量罪の文、右に浄到院薫誉妙香信女と先妻の法名を御染筆」した物が、彦左衛門の子孫、伊勢屋吉次郎に家宝として伝わる。(「祐天大僧正利益記」抜粋訳)
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カサハラ
東京文化財ウィークで祐天寺に行き祐天上人墓を間近に見てから特別展を見るも、祐天上人坐像が出てなくて悲しくなりじっと累の板絵を見上げること https://pic.twitter.com/MuxheGGm0E
posted at 17:23:10
(忘れられた史跡)祐天寺の石机
祐天上人は江戸の火消し組織に尽力したためその信仰が厚く、境内に火山岩を礎にした名号塔が2つあるが、いずれも礎石の一部に穴が空いている。仁王門脇のものは石机といい祐天上人が子供を救う条件で疱瘡神の病を癒やし、戦後まで子供に潜らせる信仰があった。3度くぐるのが上人帰依の式という。墓地の印塔の前にも江戸時代の水鉢のようなものがあり穴が開いている。じつはこちらのほうが本当の「くぐり」なのではないかと思う。塔の後方に祐天上人墓がある。文化財ウィークでは間近で拝むことができるが、こちらは上人没後改葬されたものである。
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「写真東京風土記」信憑性C(昭和三十年代以前の一般向けの本はあまり調べないで耳で聞いたことを書きがち)
意外と江戸時代の建物が残っている祐天寺の今回宝物で見物は区指定有形の祐天上人像(裏面絹本着色當麻曼荼羅図)。江戸時代のミニアチュア技術の粋ですね、徳川の紋があるので下手な絵師ではなさげですが、細かい當麻曼荼羅がとても美しい。天の白が鮮烈。ほか来迎図や平安仏もありました。 https://pic.twitter.com/EJaBMgK3Xw
祐天上人の威光で念仏宗は高まり庶民に超常的な力で知られ現世利益と惹きつけられた、江戸に来た商人にも威光が届きそのうち伊勢商人について展示。加藤紀子で知られる白子との関係も深いが祐天大僧正利益記に幾つも不思議話があり、伊勢屋吉次郎の祖先の話、これは百万遍碑に名があるのだ。同碑に松坂の大商人小津・長谷川の苗字も。
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江戸時代は「超常怪奇物」的な見世物要素をはらむ「利益の証拠」が因縁物同様にいろんなとこで見られ、まだ残している寺もいくらかある。現世利益は「ごりやく」であり縁を結んだ証拠でありただ金が儲かるとかいったことではない、、、とは考えない人向けに、火災でも焼け残った名号や地獄の血染めの衣など存在するのだろう。
はいこれが超常怪奇物(書籍化)耶馬渓近くの鬼、ワニ男、刈萱堂の人魚かな? https://pic.twitter.com/guagYWIYve