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岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

2021/2/22【付け紐えんま怪談】内藤新宿の名物閻魔、子を食ったのは奪衣婆?

新宿太宗寺の付け紐えんまについて。
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盛り場の内藤新宿の名所として仕立てられた作り話と示唆されている。
まず駒込の蒟蒻閻魔似の話(水晶の目玉を賊が狙ったところ云々)が「みくまの目抜」として国輝に三国拳の形式で幾度も描かれている。
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〜こんにゃくえんま
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〜太宗寺奪衣婆と付紐閻魔、伊藤晴雨の閻魔堂挿絵

寺の境内で子供を遊ばせていたら神隠しにあい、閻魔像を見ると口から付紐が垂れていた、という人食い怪談は鎌倉円応寺にもあるそうで、江戸名所図会によれば深大寺の仁王破却の訳として子を食われた話がある。蔵前の閻魔堂の摺物は人気だったそうだが、泣き止まぬ子供に手を焼いた乳母が閻魔像に食べてもらいますよと差し上げたところ本当に飲まれてしまい、井戸に投身自殺した話はほぼ太宗寺の話に等しく、比較的新しい像にまつわる話である付紐閻魔に流用された可能性がある。
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:蔵前の付け紐閻魔(伊藤晴雨)

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更に近所の正受院奪衣婆(老婆王)流行神人気で、維新後に建造された太宗寺奪衣婆の口に付紐が付けられ閻魔から奪衣婆に子呑み話がうつっているようだ。これが「閻魔の口に」当時のボロボロの付け紐がぶら下がったまま、という古い本の記述に該当するのだろう(誤認というわけである)。閻魔は首以外は焼け再興したものだ。

蔵前閻魔堂は現存しない(焼失、現在移転してあるものはいずれも別物)。蒟蒻閻魔は堂内を遠くから拝観可能。円応寺は関東大震災後鎌倉国宝館に寄託(拝観可能)、他の十王像は円応寺で拝観可能。深大寺仁王門は現存せず(仁王を埋めたという仁王塚は不明)、正受院奪衣婆現存、太宗寺奪衣婆は明治初期建造されるも設置時期は諸説あるようで、関東大震災あとの昭和初期とする人もいる。
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〜鎌倉円応寺

参考、「伝説民話考」

by r_o_k | 2021-02-22 15:57 | 不思議 | Comments(0)

by ryookabayashi