















今は中国雑技団で有名な足技ですが、江戸時代には仰臥の姿勢になった力持ちが樽を足先で回したり大きな物や重い物を支えたりする男の見世物芸でした。








このタイプの長い巨大な力石がいつどうやって持ち上げられたかについて、雪ヶ谷八幡の説明から板橋区有形民俗文化財の明治大正期と思われる板絵(絵馬)に行き着きネットで提供されている画像を抜粋。横に穴があるものは腰に縄を回した模様。まんま丸いものは肩に手で持ち上げるか足で持ち上げる等と。






「さす」は差すで掲げ持つ意味。上まで持ち上げる。力石をさし石(差石)と呼ぶのはちょっと古い言い方だそうだが「さし石」と刻まれる石もある。→石浜神社にある「さし石」と刻まれた石。大正十年の刻銘の石もあるので時代は下る。力石ではなくさし石と呼んでいる神社も普通にありました。
深川八幡
力持碑と力石(さし石)ここにある力石はみなさし石と刻まれ、左のものは頂部の古い物を除き雑司が谷鬼子母神から移されたとある(未だ池袋の鬼子母神に放置されている力石は多い)。ほとんどが大正以降のもので、江戸伝来ではない。詳しく知らないがこうまとめられたのは何か祭りか興行的なものだろうか。







葛飾八幡宮の力石。肩に持ち上げて社殿を一周して競ったという。昔、というのは多分戦前くらいじゃないかと思うけど、やり方が明示されてるのはめずらしい。
品川海運寺の力石(刻銘は後年)力石を持ち上げた様子が立札に書かれている。海浜の力比べの情緒。音に注目されている。


同じく品川の磐井神社。境内縮小・整理されているので位置は元とは違う。左は60貫とあるが200kg?






