【京都出水通七不思議】「浮かれ猫」は二匹いた!【西陣猫寺】

かつて水がよく出たことから名がついた出水通七不思議というと、岩倉具視の岩倉家菩提寺光清寺、芸者が音曲技芸の願をかけた弁天堂の浮かれ猫の絵馬で有名。
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今は剥落激しく写真が掲示されています。
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江戸も後の方ですが、近隣の遊里から音曲が聞こえてくると、絵馬より猫が牡丹を置き去りに抜け出し、女の姿で浮かれ踊るというので騒ぎになった。住持の法力で絵馬に封じ込められたが、夢枕に正装の武士が立ち、もう悪さはせぬから解いてくれと願いました。翌日封印は解かれ怪異も起きなくなったといいます。

しかし「浮かれ猫」という怪談は西陣七不思議にもあるのです。

〜猫寺の浮かれ猫
上京区寺之内浄福寺一町目西入上ル西側に浄土宗称念寺があります。入口に美事な松がありますので松寺とも云います。始め常陸土浦城主松平信吉が常に伝誉行阿上人とう僧を余程信任しており京都に来る時も同行し、この僧の為めこの寺を建設しました。行阿上人は円光大師の門下称念上人を慕い、寺の名と創立第一世を称念上人とし自分は第二世となりました(こういう来歴は多いですね)。次の代の時松平家と絶縁せられそれ以来無壇家のため寺の維持が出来なく寺は荒廃して来ました。和尚は毎日托鉢に歩きました。或月のよい夜縁側で愛猫が月に浮かれ手拭を冠つて踊つているのを見て怒り「自分はその日のかてにも困つておってもお前には食べさしてやつた。それに踊つているとは何だ、ここを出て行け」と叱りますと猫はどつかへ去ってしまいました、或夜和尚の枕辺に猫が立ち「今晩武士が二人来るから大切に取扱う様に」と云いました。果して未明に武士が来て松平の家臣であるが、姫が亡くなられ遺言によりこの寺で葬式をとの事、早速寺の修緒にかかり立派な仏事が営まれ再び壇家となり九条家から御門を下され、猫の報恩の噂が拡がり人呼んで猫寺と云う様になつたと云います。京都坊目誌には猫寺の事は出ていません。別説にはこの寺の裏にあつた猫寺をこの称念寺に引取りそれ以来称念寺が猫寺になったとも云います。(京の怪談と七不思議、京を語る会 田中緑紅)

同人により戦中にかかれた同様の本に別の話もあります。姫に猫がとりついてこの結果を生んだということになり、姫の墓を猫塚と呼ぶようになったというもの(現存せず)、昔は猫の木像があった、裏の猫寺とは尼寺の意味、表の立派な松が本堂の庇のほうに傾いたときは再び猫が現れて寺を救う、勘違いして猫供養を願う人が出てきたという具合です。(伝説の寺々)

こちらには遺物はありませんが、この本でも絵馬の猫と混同した書き方をされています。西陣に音曲の飛び交うような雰囲気はなかったと思われ、光清寺「弁財天」について花柳界からの信仰のほうが先にあったのではないでしょうか。

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by r_o_k | 2021-02-09 11:08 | 不思議 | Comments(0)

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