揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

祟る大名、京都大仏とはりぼて大仏、朝香宮宅開放、デマ予言の歴史に落語あり、猫又橋写真、荒川区史、石峯寺五百羅漢~2020/7/20

祟る大名、京都大仏とはりぼて大仏、朝香宮宅開放、デマ予言の歴史に落語あり、猫又橋写真、荒川区史、石峯寺五百羅漢~2020/7/20_b0116271_21350341.jpg
7/17
あ、泉岳寺になぜ行ったか、って、きのうツイートした猫塚(化鼠を退治した飼い猫の供養)の現存有無を確かめるため。ありませんでした。ただ、檀家墓地は入れないのでそこにあったらわからない。石碑もなし。

posted at 00:07:20

有吉の壁録画見。ワタリのラプンツェル成功すれば面白かったのに!ブレイク芸人は混沌としてたけど流行語を生みだすという目的が単なるボケとは違うので興味深いな

posted at 00:51:52





旅行スタイルの変遷はおおざっぱにはあるだろうが細分化して乖離してるというのが個人的見方。自分も気象などに左右される滞在型をやめつつあるし。加えてコロナという大きな波は直前までの旅行スタイルを変化させる可能性はある。鬱屈したステイホームから開放された旅行者は静かに旅するだろうかrt

posted at 13:45:59



誰かがお墨付き与えれば徹底的に叩いていい暴いていい、という事件がまたも。しかし震源地が厳しいな、、、だから病的な人はネットから遠ざけることが必要だ、被害を出さないためにも、、、>小倉美咲ちゃんの母を誹謗し続けるブログ主を直撃 https://www.jprime.jp/articles/-/18379

posted at 16:50:03


AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争、届く。わ、新書判なのか!もったいない、というのと思ったより戦争関連が他を圧倒しており、戦争に興味のない身ではきつく感じる写真も多かった。中に手彩色で仕上げたタンポポの中の家族写真、というものは印象的なエピソードだった。米軍とくに海上の写真は実際カラーで撮影された映像もあったように思う。父が「こんな写真撮ってる余裕無かったよ!」と米軍の余裕を嘆いていた。(おわり)

posted at 21:35:15

姥イーツ https://pic.twitter.com/NZ5xICTWD4
言うまでもなく吉川観方の作品で水木先生にインスピレーション与えたとされてます(右下に観方のサイン、原本はカラー)もともとは浮世絵と特定されてますが原本は実見したことないです
posted at 22:00:44

長谷川雪旦「昇竜図」文政7年個人蔵、湯島天神辺から浅草観音(金龍山)方面、金竜が俄の暗雲に躍り上がり尾を3度見せた旨の賛は雷のこととされる

葛飾北斎「富士越龍図」嘉永2年北斎館蔵、この画題は人気のあったものだが、小品ながら最晩年作として異様な非現実感があり雪旦の幻想と似て非なるなー pic.twitter.com/cVRlpk9Wzu

posted at 22:46:36


雪旦は酒の席での作品だそうで速筆のアバウトさとともに終始生きた線がつながった絵に感じる。晩年の北斎はさすがに助手や娘の手を借りていたんではないだろうか、、浮世絵式というか北斎漫画一巻の山を集めた図のようにレイヤ分けされたシステマチックなデザインのように見えて、龍と富士だけを描き手前の景色は…とかいろいろ考える。顕微鏡で研究する方々が割り出す話だろう。

posted at 22:51:51


7/18


<大名のタタリ>

東海道新井宿本陣疋田八郎兵衛の家に、あるとき西国方面の四、五万石の大名たちが立ち寄り休んだ。そのすぐ後へ本陣の男ども五、六人手に手にはたきやほうきの類を持って奥へ入り、上段の掃除をすると言って或る男、ふざけて「おれは大名になった、みな、挨拶に来い」「今までここにいらっしゃったとみえてまだ畳が温かいな」と言って大名の座った跡へ座り、しばらくモノマネをしているように見えたが、おもむろに顔つきが変わり、そのまま身体がすくんでしまった。そばにいる者たちは最初はふざけて変な恰好をしていると思ったが、そうではなくたちどころに罰が当たり様子が変わったのを目の辺りにしたことに気がついた。大名を追いかけ、4キロ余り先でかくかくしかじかの始末を申し述べ、お詫び申し上げるとすぐに許すと伝えろとおっしゃられたので、即座に戻りそのとおり伝えると、狂変はすぐ治り普通に戻った。天保元年の話だが詳細ははっきりしない。嘘ではない(想山著聞奇集)(おわり)


馬がしゃべる話は昔から多い、と想山著聞奇集にありました。その土壌の上にデマが広まる。畜生といえど馬頭観音。

posted at 00:33:06


ヒートテックを出して着る。上下。
調子悪く真っ暗の部屋で綿布団に包まり寝る。外の声きこえなーい

posted at 11:12:40

300円のエコバッグ、100円よりがっしりしてるが溢れるのはいっしょだなあ。畳んだときの大きさはこれが限界。原則ポケットで手ぶらでしょう。 pic.twitter.com/Ry0TYc5dHt

posted at 14:34:16

この三叉槍では十字架には見えないな。
馬が予言で八百屋を儲からせてデマ元浪人は打首獄門、という江戸前期くらいの話を久しぶりに読んで楽しかった。今日は重い一日だった。 pic.twitter.com/9VAz54h276

posted at 00:54:16


<京都大仏とはりぼて大仏の話>

そうそう。ヒストリアでもやったそうですがBSの京都の番組で東福寺にも東大寺とほぼ同じ大きさの鎌倉大仏があったことを知り驚きました。片手だけ残って位牌に囲まれてたまに公開するそうで。通天橋は3回行ったのに知らんかった。古写真なさそうだ。>幻の東福寺大仏 homepage-nifty.com/heiankyo/rekis

posted at 01:16:09

小町寺はよそから遺品を持ってきて作ったとのこと。

posted at 01:17:14

轉法輪寺 7メートル半、奈良の大仏即ち東福寺大仏の半分ですが現在は京都一の坐像>京都随一の大きさを誇る御室大仏 kyototwo.jp/post/attractio

posted at 01:53:52

補陀落寺ではなかったと思いますがそのへんだと。

posted at 01:59:20


東福寺の大仏の絵がみつからない。方広寺ばかり(しかも江戸後期に顔以外ハリボテになってからのものすらほとんどない) pic.twitter.com/oQ1iPjqA7R

posted at 13:29:03

禅宗だから見世物にすることは避けたのか。花見を疎んで桜を全伐採したくらいだから。江戸時代には紅葉の名所だけど。

posted at 13:39:36


明治十年の関西摺りの錦絵だけど、、、この大仏、どこ?榊原鍵吉の倭杖の文字が背景にあり明治十年四月発売なのでそこは確定として(榊原鍵吉は江戸住みで浅草辺で売り出した)西国で大仏殿を失った露座のこのクラスの大仏は見当たらない。上る狼藉許されたとこは?仮仏殿の半身の方広寺も東福寺も違う pic.twitter.com/q6lOgUdkzy

posted at 15:37:56

ハリボテの見世物大仏だろうということにしておくけど、こんな登り方ができたのかな。

posted at 15:54:53


品川海晏寺は紅葉の名所だった。維新後は岩倉具視らの墓を抱え(非公開)雰囲気を変えている。ここに銀杏があり1798寛政十年二月末油紙で覆って合羽細工の大仏が作られ、洲崎から遠眼鏡で望めたと聞の任(きくのまにまに)にある。芝全工が略縁起を売り大いに受けた。対面の品川寺の大銀杏の雰囲気。 pic.twitter.com/aPegyuiWnY

posted at 17:10:40


<京の大仏と日本寺大仏>

寛政戌午七月朔日(1日)の夜四時頃、京都に雷が響き1つ2つ強く聞こえてすぐ止んだ。その深夜、方広寺大仏殿の屋根より火が燃え出し、人々は集まって竜吐水で水をかけたが一旦は消し止めたと思ったもののまた燃え上がり火勢がとても強く、高い所なので人力では届かず、ついに残らず焼失した。納入物の大黒だけやっと持ち出した。人が集まって何品も助けようとしたとて広大なため無理で、やる方なく口々に南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱えるばかりだった。釈迦入滅の時もかくやと思いやられた。何より惜しむべきはこの大仏の姿は創建当時のものとして仏師たちの鑑としてあったものでいかなる現代人にも再現は無理である。


最近千葉でも自然の巌山が仏の体に似ているところからそのまま彫刻して大仏としようと、万人講が起こされた。その願主は京都人であった。寄付の勧請状に左右の手に墨を塗って押した。すると手相が立像のえびす大黒のようにくっきりと見える。それもありがたいことと寄付する者が多く、思ったより金銀が集まったので、もはや大仏大半出来上がったという頃に、京の大仏が焼失した。仏法東遷の証、この後数百年も経てば蝦夷地の末までも仏法が盛んになろうと盛り上がった。だがこの千葉の巌山の大仏、これほどの大事業をお上へ届け出ていなかった。どういうつもりだったのか、その後取り調べがあり、不届き千万とお咎めがあった。大仏は切り崩せと急に申し渡され、さしもの功労、水の泡(阿波国だけに)と消えて跡形もなくなったのも仕方がないことだ(梅翁随筆)方広寺大仏の焼失と日本寺大仏築造・破棄をしるしている。日本寺大仏は戦後に復刻されたのが今見られるものです。50年近く前まであった方広寺大仏も江戸時代のうちに胸から上を木造したもので落雷による焼失でした。(おわり)

posted at 00:01:07

(方広寺大仏と日本寺大仏の画像を添付できませんでした) pic.twitter.com/HQm1Oy3aT4

posted at 00:01:36


ネットは確実に年をとっている。書く者はその自覚がない。自称若者はおじさんの可能性が高い。自称おじさんは初老なのである。


posted at 17:22:46


内外に攻撃的になるため部屋にこもり布団かぶって寝てると柔らかくなってくる。そこで小さなことに集中したりして気を紛らわせば、その場はケロッと凌げる。あくまで凌ぐだけ。久々だ。


posted at 17:27:07


メディアはGOTOトラベル都民制限となったとたん観光業者の嘆きをひたすら垂れ流して、それならその前に特集して世論に疑問を投げかければよかったんじゃないの。何だろこの骨抜き報道。


posted at 17:38:07


伊豆大島(ブラタモリ)ハマカーというのが出てきて、浜井戸の意味だというけど沖縄のカーと同じ語源なのだろうか。


posted at 20:13:02


会社に入ったからプロフェッショナルなんじゃなく、プロフェッショナルでなきゃ会社にいられない。地獄のような社会でもあるが、命を預かったり物作りにかかわるたぐいの職業はそうでなきゃいけないだろう。


posted at 20:39:55




半世紀前のことだから民話として楽しむにとどめたほうが良いとも思う。オカルトネタが枯渇してヒバゴンも近年夕方のワイドショー含めさんざん検証された感。>「ヒバゴン」目撃から50年 謎の類人猿、今どうしてる (朝日新聞デジタル) https://news.line.me/issue/oa-asahishimbun/5x76wtcy4s88?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none… #linenews


posted at 21:44:18


ダブルで重い気分のとこに芸能ニュース的にもひどいからダークサイドミステリー吸血鬼伝説の真相再放送録画見る。日本にも吸血鬼的なものの記録はあるが、前近代にせよ近代にせよその時の宗教や習俗と根深く繋がっており、文字面だけで同じと思うのは早計で、啓蒙主義→ロマン主義の流れは江戸には無い


posted at 22:52:58





7/19
聞かれたら 聞き返す

オウム返しだ!

posted at 00:27:09

心が落ち着いてきたら物理的にグラグラして気持ち悪くなってきた
きつい目眩になると心なんてどうでもよくなる
ただこういう病気逃避はリアルを何も解決しない

やられたら やられ倒す
八方塞がりだ!

posted at 00:28:56

信長がやられたら
秀吉がやり返す

中国大返しだ!

というのを何百人の人がつぶやいたことだろう https://pic.twitter.com/yJgTrlMPhE

アックス表紙原画展、購買はむりですが日を選んで見にいかせていただきます(きっと) pic.twitter.com/OIVYhIOyx4

posted at 02:11:40

石峰寺の紙焼き写真が探し当てられず、そのためにフィルムスキャナを買う羽目に。4台目。簡便性と箱の中を掃除できるかどうかがポイントです。150万画素でいいならキタムラが一本400円という昔みたいな価格でデジ化してくれるが、二週間かかるというから電車に乗らなきゃならないゆえやめた。

posted at 14:45:12


やはり晴れた日曜日 pic.twitter.com/hYiJmdZXgl

posted at 16:59:04

つかの間の休息
日曜日暮れる pic.twitter.com/dLUyFvDfDR

posted at 17:58:39

ねむいけど夕食作る pic.twitter.com/rB0DmGsZdD

posted at 18:10:00

おいとま。 pic.twitter.com/zCBfW8yqHU

posted at 23:41:01


<落語家殺しデマ予言>

予言獣は妖怪の形をとるが、従来予言する者は神か獣であり、おおかた身近な家畜や神秘的と考えられる野生動物だった。デマ予言として落語起源譚に連ねられる話を宮武外骨がまとめた説は最近ネットでも広く知られるようになっている。元禄6年4月下旬ある所の馬が物を言う。

本年ソロリコロリという悪疫流行す。南天の実と梅干しを煎じて飲めばよし。これを「病除の方書」という小冊子にして発行した者がいて、物好きが目をつけ、噂となって大きく広がり、南天の実と梅干しを求める者多く20倍に高騰した。悪疫のことで皆頭が一杯で仕事も手につかない様子に6月18日月番の町奉行からおふれが出る。馬が喋ったという不届きな噂をたてたのは誰か、順々に遡り話し書き上げよ云々極めて厳重に言い渡した。すると「堺町馬の顔見せ」なる、役者見習いの齋藤甚吾兵衛が堺町市村座で市川團十郎の乗る馬になったが、贔屓の者が見に来たので馬のまま応答したという落語を、当時の落語家鹿野武左衛門がしたため鹿の巻筆と名付けた本に載せたのを見て、神田須田町八百屋総右衛門と浪人筑紫園右衛門が申し合わせ前のような話を作り、梅干呪法の書物等をもって大金を巻き上げたと発覚した。関係の数人が牢に繋がれ、翌年三月首謀者の浪人は市中引き回しの上斬罪、八百屋は流罪中牢死、何も関係ないのに落語家もデマの元になる根も葉もない話を出版し人心を狂わせたとがで三月二十六日伊豆大島へ遠島となった。版木元弥吉という者も追放、版木は焼却された。武左衛門は5年を大島で過ごし江戸に戻るも憔悴して8月に没した。


ソロリは曽呂利にかけているのか、単なるとばっちりにしても悪質だ。こういう「出現した者が悪いことを予言して逃れる方法を教える」パターンは洋の東西を問わない民話だろう。ただ江戸はいささか数が多く、しまいにただ妖怪の絵を写すだけになってしまったのか。


京都三条大橋の旅館に坊主が二人立ち寄った。米2斗を飯にしてくれといってそれを平らげ一両も置いていった。亭主はあまりに不思議に思い後をつけさせると、大津の茶屋まで来て何故ついてくると言われ、あまりに不思議なので亭主の命でお見送りさせていただいておりましたと答えると、我々は瀬田大橋の下に住む蛇です、見送りいただいた礼に一つお聞かせいたしましょう、一両年は諸国豊作でしょう、しかれども人は6割死にます、この一言を聞いた者は助かるでしょう。人々に広めなさいと言って消えた。「水海神」という文字を見たり三べん唱えても6割の死は免れます。(原注)この話はデマ。いつのことか月日もわからないし、江戸では他の土地のことはそれぞれの役目が色々なことをタイムラグあって伝えるもので、既に8月頃千葉沖で地引網に3つ頭のイヌの形のものが引き上げられたという絵を誰彼ともなく見せられたが、ウソだから書物からは除外されるのだろう、この一件も上方のことゆえ私も故郷へ帰ったときに友人に聞けば虚実は明らかになるだろう(吾妻みやげ)(おわり)


ソロリコロリ、って落語家殺し、って疫病なんだよなきっと。コロリはコレラと語感が似てるだけで突然死を含む症状をいうのだろう。元禄十二年に古呂利の流行りあり、意味は古来卒倒、とWikipediaもとい浅田宗伯「古呂利考」にあるそうな。とにかく宮武外骨を典拠にするのはちょっとねーだ。 pic.twitter.com/IJgIqtpE2E

posted at 22:08:04


7/20


無印の粉ジュースまじ神。マンゴー&パッションフルーツやざくろやライムジンジャーとくにライムジンジャーさやわか〇ただオレンジジュースおまえだけは駄菓子屋の味

posted at 00:47:25


経済学者をすべての学者の上に置いて回させたら人類死滅するよ

何についてもコメントしちゃうし経済回れば新型コロナもただの風邪になるようだし


posted at 11:04:17



示談金の方が高いのは法律で裁くと軽くなってしまうから条件付き示談とした決め事の一つということだそう。安くはないが、二年半かかったのはしんどいな>春名風花さんが「ネット中傷」の投稿者と示談成立 示談金315万4000円|弁護士ドットコムニュース https://www.bengo4.com/c_23/n_11484/


posted at 11:15:23



猫又橋の写真をあっさり見つける。小石川区史、昭和5年1月着手10年発行、したがってここで猫又橋(猫狸橋)の写真とされる石橋は大正7年3月にコンクリ橋となり昭和9年暗渠になったため既に存在せず、着手以前に撮影されたものだろう。親柱と袖石は庭石となり、残り現地に袖石二本移されたようだ。 https://pic.twitter.com/7FG5nlECxE

posted at 11:56:12

これは…わからない。西表の船浮沖に広がってた肌色の気持ち悪いカーテン状のやつもこのてのものなんだろうか>サンゴを死滅させる「黒い悪魔」の正体は… 沖縄の海に広がる  (沖縄タイムス) https://news.line.me/issue/oa-okinawatimes/lubf67gxpt85?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none… #linenews


posted at 14:35:25



荒川区史。西日暮里の蛙塚が大正時代に家業で潰した墓標と知り興味失せた。日暮里におまじない横丁というのがあった。小説に使われてたとぐぐると現地比定されてた。文政年間病気を治す者がいたが全部患部を足で蹴る。弘化年間浅羽某が計算で灸を据えた。伝からこの名あり→ https://edo.amebaownd.com/posts/5556826/


posted at 16:51:51




石浜神社にあったという金雉塚。荒川区史旧版にはこのとおりオニギリ型の石に金という文字やなにかの線画が見える。平知盛の伝説で子供の夜泣き???場違い感凄い。で、オニギリ型の石を今の石浜神社で探すと宝珠を除けばこの2つ。でも両方とも金の字はなさそうです。ググッて出るわけない。。 https://pic.twitter.com/52is2Fmvss

posted at 17:21:29

小塚原回向院に残る侠客腕の喜三郎などの墓碑は願掛けなどで損壊され作り直されている。さらに何度も場所を移されています。腕の喜三郎は鋸で落とした方と逆の右腕の形の墓標で有名ですが荒川区史掲載の昭和のものと今のものはかなりディテールがちがいます。 pic.twitter.com/XDzonIQnkM

posted at 17:39:33

なんかもう話をするのが億劫でたまに話さざるを得ないと喉痛くなる。 pic.twitter.com/WlZwBAazCs

posted at 21:31:36

お菓子総選挙、Twitterだと視聴率80%くらいありそうだなー…

posted at 21:36:22

鶴見辰吾さんの不思議なおじいさんが亡くなる数年前から節分の日のある時間になると不機嫌になり、節分の日に亡くなった、というのはなぜか懐かしい雰囲気のある話で、戦争から無事帰り、仕事をせずに占いをしたり芝居など見て人生を終わった、というの、もう現代ではほとんど存在しない生き方だ。

posted at 23:47:53

前評判どおり過度に期待しないよう、というとおり画素数は十分の一感覚、色合いもそのままだと液晶画面よりかなり褪せてしまう。簡易フィルムスキャナーはKENKO一択と判断はしてたが前の縦型の機種のほうが色はよかったかも。この形はサンコーと同様の緑味が少し出る。うーん、まあでも楽だからなー。 pic.twitter.com/KVEGbGtxcA

posted at 23:58:01


by r_o_k | 2020-07-21 21:32 | 純粋日記 | Comments(0)
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