揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

2020/7/13-16小石川伊藤晴雨雑記、日本橋謎の道標、猫の史跡、江戸の奇談、泉岳寺墓改修中、八犬伝を読む


7/13つづき


M-1チャンピオンだから笑わなきゃならない、という義務感はこの裏だなーrt

posted at 12:20:01

ここんとこ深夜ラジオはずば抜けて面白いのはないが凡庸なのもなかったのてなにもふれなかった。しかし土曜の鬼越ann2回目は初回より面白かったなー後半あんま流さなかったし。真をついた毒舌じゃなくてちょっとでも気に入らなかった部分を暴言にするのはマニアは喜ぶしハガキ職人の腕も鳴るだろうなー

posted at 17:55:38


<天狗のつく森の話>


天狗の怪は人智の及ばぬところで皆恐れるが種類が様々、地方によって為すことも様々変化すると思われる。岐阜県の一部の天狗は一つではないが共通する怪をなす。山の木を伐採するときは初めて斧を入れる前に狗賓餅というものを作って山神に供える。人々は祝ってこれを食ってから木を伐る。そうしないと様々の怪が邪魔して木を切れない。長年木を切って回る山では度々狗賓餅をして物忌し直さなければ駄目だ。怪は様々だが大抵木こり道具を取り、使用中の斧の頭を抜き取る。あるいは山の上から大木大石を落とす音をさせ、終いに山をも崩し大岩をも抜く凄まじいものになるため、まだ最初の段階で慌てて狗賓餅の祭を行い許しを請う。あるとき関市志津野の村続きの平山で伐採することがあった。山というほどの所にもなく特に古木の覆い茂った森林でもなく、裏山の松林で、誰も天狗など住んでいるとは思わなかった。物忌せず伐採を始めようとすると皆、振り上げた斧の頭が消えてしまった。それ天狗出たと道具を見ると悉く無くなっている。今日は仕事にならない、さあ狗賓餅をしなければ、とそれぞれ家に帰り支度して餅をたずさえ、山神を祭って詫びをなした。すると道具が見つかり、翌日から無事伐採を進めることができたという。この村で働いていた者が下男にいて証言してくれた。木を刈るとき、斧を振り上げ振り下ろす間に急に手応えがなくなり、頭が無く柄だけになっていて、打ち付けた時に驚くことになる。

岐阜では当たり前の話だそうだが他の地域の人が聞くと奇怪に思うことだ。狗賓餅は先に村じゅうに知らせ、今日は狗賓餅を行うから来いと言う。老若男女大勢で山に集まり、飯を強く焚き握り飯にして串で貫き、よく焼いて味噌をつけ、まず初穂を5つ6つ木の葉などに盛り、清浄なところに供え置いて、あとは各々思う存分飽きるまで食うことになる。とてもおいしいがこの餅をあつらえると天狗が集まり来るといって、各々の家屋では一切作らない。苗木のあたりでは山小屋餅といって大焼飯である。また小さくあつらえて串で貫き焼いたものを五平餅という。御幣餅の意かどうかはわからない。場所により作り方も名付け方も変わる。これは昔言うところのしとぎの事で、今も江戸近くの山地では粢餅と呼ぶ。

また文政7、8年のこと、苗木の二ツ森山の木を伐採するため、10月7日に山入りしてごへい餅をあつらえたが、山神へ供えることを忘れ皆食べてしまった。さて夜に入ると大木を刈りかかる音がし一山が荒れ出したため、はっと思いつき早々に餅をこしらえ詫び入れをして無事に済んだ。この後はとりわけ心得て大切に供えるようになったと、苗木の山奉行の話である。新潟の蒲原郡と磐船郡の木こりに聞いたところによれば山に入って木を伐るとき、その一枝を折って異なる場所に立て、これを祭らないと大木などにはことに祟りがあるという。新潟山形秋田など、木こりでも狩人でも、山に入るときはオコゼを懐中に入れて行く。大木相手に難儀したり獲物が一日得られなかったときは山の神へ祈請し、オコゼの頭を少し見せかけて獲物を得させたまえと祈る。だめなら全身をお見せしましょうという。これをすると速やかに効果がある。但しなかなか容易くは行わないようにしないと、よほど追い詰められたときでないと効果はないといわれる。(想山著聞奇集)


五平餅やオコゼは今もよく知られた風習で多少意味合いが違うがここでは美濃を中心に天狗の祟りに起因する祈祷としている。じっさいの天狗の姿の描写などあれば面白いのだが、そこは江戸後期のリアリティなのだろう。大変読みやすい古典的な奇談集です。(おわり)

7/14

アメトーーク東野プレゼンツ3連発見てて、キンコン西野がまだ余裕ない顔してたけど、この人がツイッタラーと格闘して訣別した2015年こそがTwitterの終わりの始まりだったんだと気づかされた。アンチは酷いが今のような悲惨な状況でなく昔のにちゃんのような相互の遊びがあった(例外の底辺は別)。ま、ここも反応不要の単なるログです

posted at 00:18:39

あちこちオードリーは意外とヒリヒリせずほんわか意外な話を聴けたのに前々回凄まじい受取師攻撃で、あれ冷静に見てとても誰のファンにもなろうと思わないよなと。ラジオですら今はここまではきつい。文脈やキャラ理解の必要な深夜のノリだよ。。唯一の嫌いな回だ。

posted at 00:21:45

キングちゃんはほんと奇跡の番組だったんだなー。キャスティングの天才性。企画の無謀さを受け容れて昇華できる中堅の力。でももう中堅番組って古いって時代だな。第七に飽きてるんだけど。

posted at 00:23:24

体調酷いので今日は昨日全然つぶやかなかったぶん異常な数になる可能性。


汚らしいもしゃもしゃゴミが増えない。自分で詰めるほうが無駄なく楽。ただし市販マイバッグはポケットサイズでは小さすぎるので二枚持ってかなきゃならないこともある。頑丈で小さく畳める大袋開発希望。抗菌もだよ。そうそう。>「レジ袋有料化の効果」実感してますか twitter.com/i/events/12825

posted at 00:46:20

ひょっとして年末以上に荒んでいるのかなあ、芸人番組で芸人がトークする内容がけっこうきついと感じる。求められる以上に言い放ってしまう、まるで00年代以前みたい。しくじり先生はそれ以前の段階の人が出るけど、永野の迫力は見た目だけじゃないなあ。分厚くて面白い。

posted at 00:48:57

永野45歳、40歳にいじられるのはハラスメント、ってとても会社員としては身につまされるよくあることなんだけど、逆の年下というだけでかさにきるのもハラスメント、となるともう人間関係の秩序が消えるリモート時代には危険な気もしてくる。ところで内Pはホリプロっていって内村さんマセキでは。

posted at 00:56:15

おばけの観察してた時のメモに「おばけはメガネを取ってもはっきり見えるから内因性か」とある。ちなみに当時から薬は投与されており、この可能性はあるなー。おもしろい、はっきり書いてある他人の記録は初めてだ。逆に、お化けもぼけるので何が何だか分からない、てのもあるが、これは脳の別部分が記憶に基づいて処理したんだろうか。

rt

posted at 10:14:11

今のトレンドワードは子育て主婦がむらがるネタが多い。まあ誰かを賞賛する話であるわけもなく旦那か老人を攻撃する怪しいネタ。時間帯の問題かと思いきや昨日のネタが再燃している。だから嫌いだよ。深刻な話はかえってバズらなくなってる。ほんとどうでもいい。

posted at 10:29:29

5時間籠もってるとおかしくなってくるので茶。雨天時のネットのつながりが悪い。リモート会議は厳しいな。 pic.twitter.com/WTZYkOUqJ7

posted at 12:24:50

まとめて
・幻ラジオ、蛭子さんレビー小体型の件。含めアルツハイマー(昔は痴呆症)は小さい頃から身近で急速進行しなければいいと思ってるけど、有吉クイズでの驚くほど不思議な状態の理由がはっきりして、TVキャラの根幹を揺るがす変貌という意味では厳しい。
・サンドリ、島田秀平回。怪談否定楽しい。

posted at 12:30:13

ドラえもんのひみつ道具が思い出せない大山のぶ代さん(タレント名鑑)とともに笑いで処理できないから二度と見られない映像だろうなあ。

posted at 12:36:12

報道特集と連続して、と思ったら同時。ひとつだけ。うちは女性率高いので書いとくと、女の出世率が高騰したら男と同じことが起きる。これ性差ではない>【HBO!】「嫉妬深い男の社会は息苦しい」赤木雅子さんが、産休中の「ニュース23」小川彩佳キャスターの取材を受けたワケ hbol.jp/223680/3

posted at 16:38:28

この見苦しさ息苦しさにどれだけ苦しめられてきたか。

posted at 16:39:31

「男の嫉妬見苦しい」という言葉は誰かを傷つけてると思わないのかな。その言葉はどうなの。歴史の長く根深い話なのに、別件と絡めてるから腑に落ちない。

posted at 16:43:04

車椅子押し疲れのめまい(まだ帰りがある…)

posted at 17:34:35

<生類憐みの令がらみの伝説はうさんくさいという話>


本郷谷口与右衛門横死の事、本郷三丁目の裕福な町人で吉原へ飲みに行き帰るところ加賀屋敷の脇で犬に囲まれ、酔っていたので脇差を抜いて追い回したときに落とし物をした。犬一匹に傷がつくと他の犬も逃げて行ったので家に帰った。翌朝、犬の頭に傷があるのを町の者たちが見つけて奉行所に届けた。すぐに検分が来たが詮議の末わからず庭先の番人を牢屋に送る。番人言うには夜明け前に見回りのとき鼻紙一房落ちていたのを拾った。これを取り寄せて見てくださいということで吟味すると手紙二三通があり、みな与右衛門宛となっている。早速与右衛門召し捕られ牢に送られ、一回詰められてすぐに白状した。小塚原で磔、年三十三。一人息子で母親は嘆き鈴ヶ森と小塚原に一丈もある御影石の石塔に名号を彫ったものを建てた。今も谷口の名が残る。

~これは以前も書いたが「江戸真砂六十帖」にある刑場跡の巨大石碑についての起源譚。現存していますが谷口塔は京都を中心に広域の街道や刑場跡に分布していて、日蓮宗に深く信仰のあった京都近辺の谷口氏による建立と推察されています。従って犬公方の時代の話と思われるこれはどうも怪しい。

この3つあとに「宇田川善右衛門鰐の口を逃し事」という話がありますがこれが宇田川と文字のある渋紙に子犬を殺し包んで捨てたという事件で、絹問屋宇田川はあらぬ恨みを買って濡れ衣を着せられたのですが、番頭の機転で真犯人は捕らえられ、拷問にかかったうえ磔にされています。但し理由は犬ではなく金二千両使い込んだためとされています。さらに谷口話の前の段には「秋田淡州家滅亡の事」という話が置かれ、秋田淡路守は五千石領の殿様だったが十二三歳の若殿が庭の塀の上にいる雀を吹き矢で射たところ、ぱたっと隣へ落ちて死んだ。生類憐みの令の頃であり隣家でも捨て置くわけにいかず届け出た。吟味したところ吹き矢の矢は反古で、秋田の名が確かに残っている。これが証拠となり秋田殿は領地を召し上げられ親子とも八丈島に流された、となっています。いくらなんでも雀であきらかに隣家から落ちた小さなものをそんな折にお上に伝えるものでしょうか、と思いますが、この本に動物傷害事件はこの三つだけであるものの、同じ巻にほぼ連続してあり、一つはうわさに過ぎないとなると、綱吉時代の話というものもやっぱり疑わしいものが多かったのかもしれないなと。

posted at 23:06:07

<即身成仏を皆の衆で成し遂げさせた話>

蛇足。酷い話もあり、有名な話ですが、深川焙烙島入定の沙汰、という話では当時まだ跡があったという真言宗の僧侶の入定塚について書かれています。焙烙島に庵を結び、このたび入定いたします(天命を悟ったので手順を踏み深い穴に入り生きたまま往生するという、厳しい方法ではミイラとなることで有名な「修行方法」で中世から結構多かった)と木戸のあちこちに張り紙をして日付を示した。回向の儀式は夥しく物見高い人々を集めた。日付が近づくと江戸中に噂が広がった~入定の穴には抜け穴がある。馬鹿にしやがって、と誰から言い出したことでもなく当日町中から若者が集まった。そろりそろりと鉦の音に応じて穴の中に僧侶を降ろしていき、下へ着いたとなると回向となって、上から蓋をした。途端、江戸じゅうの若者が群がり蓋を捨てると、逃げないうちに埋め殺せといって土や石を夥しく投げ込むと、土を塚のように盛り上げ、その上に大勢上って踏みつけた。見物人でごった返し、けが人も多く懐の物や履物をなくして命からがら皆帰ったという。~このての話は同じ話かどうか知りませんが他でも見たと思います。既に伝説化している話のように見えます(入定窟がすでにあやふや)。次が紀伊国屋文左衛門の話なので古いことは古いでしょう。

ついでに。諏訪部何某という武士は給料泥棒という話。高い給料六百石をもらっているのに以前毎年交代で御城番のとき江戸に来るたび吉原に通い金銀をどぶに捨てた。手当で増額されたぶんも前もって使い越し、生活費は芝居役者やたいこもち、浄瑠璃語りなどにあげてしまい、帰るときは借金しておいて上方で渡し、上方の借金は江戸で渡し、具足櫃はからっぽでかわりに石を入れて道中をかつがせた。万一道中何かあったらということも想像がつかない。お城の番人が武具なく素肌で戦場に出ようというのか、これを給料泥棒と言わずして何と言う。お調べもなく、天下が治まっているからわからないが危うい城番だ。今は小普請になっている。

~かくも日本の組織というものは変わってないし、こんな鬱憤嫉妬もろもろは容易に解決するわけがない。

posted at 23:40:28

超ツイッターどうでもいいのでじつはテレビをふたつ掛け持ちして見てて無難なほうはあの物件のクオリティなら治安とかそういうのは日本なのでとりまいいのではないかという(中目だって物件次第で良いとは思わない)ボンビーガール好きだなあ

posted at 23:52:18

「若者向けの曲ならただ速くすればいい」ってだれかいってたな(ロンハー)

posted at 23:59:41


7/15

ぞっとして他人事じゃねーからつぶやかないんだけど、まだわかんないからね。知られざることがまだ出てくる可能性もあるだろう。ただ、世論は無力じゃないから。

posted at 00:04:26

LINE→みんな使わなくなった
インスタ→マンネリ
エキブロ→システム不安定でアクセス激減、寿命?
gooブログ→非活性化著しく、コロナのためお出かけ記事書けない
YouTube→一周して飽きた
Twitter→偏向がひどくて参考にならない
note→文売り場
ミクシィ→少数の老人

ネットつまんなくて鼻水たらす

あちこちオードリー、ファッサマ&宮下草薙後編。タレント第7世代だなもう。ファッサマって役者出身なんだ、と思って見てると視点が時々そう見えてくるから面白い(アイドルも客観視してる)。宮下草薙は凄いな、ほんとにエキセントリックコンビ。ちょっと本気で5年後が見えないのが良いのか悪いのか。

posted at 15:04:20

泉岳寺に猫塚があったことは記録にあるが(荒木又右衛門 : 柳荒美談M28.内容は類話
の多い飼猫が仲間とともに大鼠を退治したというもの)魚らん坂のお寺に三味線屋の猫塚があるのは初めて知った。しかも看板猫を祀ってるらしい。 wankotabi.blog.fc2.com/blog-entry-78.

posted at 16:00:16

木曜は身体安めに一時間早くあがるが、文京区の資料を見に行こうか。

posted at 19:27:08

顔色をうかがうときは露骨にうかがう。そうすることにより顔色をうかがっているという印象を相手に強く残し、周囲にそういう考え方に立っていることを明確にするのだ。

posted at 20:27:37

この戦略的思考を理解しない者は組織と人について語る知識がない。

posted at 20:29:05

人を見るうえで気をつけてれば、嘘の態度なんて子供でもわかる。顔色をうかがっている、ということを隠そうとするのはリスクだ。うかがわれる程度の相手ならすぐに見抜くから。それなら何か強い意思があって恭順していると理解させたほうが深く関係を築ける。

posted at 20:32:22

家康の番組見てて「空気を読ませる上司の元祖」として楽しんだ。というかもう言葉にしてるんだけど、92歳綱吉の時代まで生き延びた忠輝の生涯が結構気になるな。気になる以上ではない。

posted at 21:09:58

出版数が少なく本画が半端に多くて網羅が難しい伊藤晴雨古景画を意地でも拾う。文京区の展覧会で出たことある(震災後の住所)いくつかの中に彩色の団子坂の賑わいがあったと思う。伊藤晴雨はかなりの速筆で雑描きしたらしく腕の割に同じ物を山程描き遂に凡庸さが出る。この挿絵は彩色のと同じ様に思う pic.twitter.com/zPwqfCy8nz

posted at 21:24:51

伊藤晴雨「文京区絵物語」戦後に地元紙連載していたものに加筆とのことで、絵に期待したら偏ってて少ない。何でもあまり気を入れて書かず、考証もいいかげんで記憶で描いた、傍らに置いたのは東京名所図会くらい、ともある。文京区民として地元の本画は描いており、それを見たいの。牛天神の貧乏神。 pic.twitter.com/hqTeJCgLYv

posted at 21:33:56

湯島天神下麟祥院前に猿飴という店。猿が飴袋を持って木の台に乗っている看板はのち安っぽい外装になったのを正岡容が惜しんだ(山手歳時記)。昭和十八年末迄営業とあるが晴雨は明治十四年の冬より栄えた、近くの霊雲寺に葬られた女の飴買い幽霊で有名になったと。秋櫻子、岡本綺堂も句にした今や昔。 pic.twitter.com/PFBY4j7ADW

posted at 22:18:20

定期的に民間人機銃掃射の話が流れてくるが、同時にミリオタのツイートが流れてくるのが気分悪い。戦争のおぞましさはこんなとこじゃなくて記録で勉強すりゃいい。否定のための考証はその後だしそも元ツイどこ?流れてくるもん毎回一緒。なぜそんなことをという点は軽くするためとか理由が言われてた。 pic.twitter.com/HJzCqTFE8h

posted at 22:46:45

占い番組おもしろかった!割り切って楽しもうよ。リモートだと全国の興味深い人が見られる。占い師はバリエーション豊かになってきたけど、やっぱぷりあでぃすだなあ(この人は容姿に関しては占いだけじゃなく説得力がある)

posted at 22:54:26

親に聞いた話とかもうこちらも親も忘れてるので葬られた秘密。


井谷茂三郎が生大黒天というのは写真もあるししってたが、桂文福改桂文左衛門という円朝門下にもいた人が生布袋として布袋を背負い大軍配をかざして見得を切る興行で全国回っていた、という晴雨の記述。違う人だったのか。しかもネットじゃ出ない。江戸っ子らしい。

posted at 00:16:53

神田川の御茶ノ水方向に有名な掛樋があった。跡地と水道局の展示施設がある。手前現在の水道橋のあたりにあった江戸城郭の枡形の溜りに水が落ちるところがあり、カッパがいるという迷信があった。胡瓜が売っていてここに来て投げ込むと底に沈んで二度と浮かばない。名物だったと晴雨。ちな貧乏神はこれ pic.twitter.com/GE6QqXunAm

posted at 00:50:38

北斎漫画に出てくる、尻でカッパを釣る絵はあるいはここみたいなところだったのだろうなー

posted at 00:52:17









7月16日

@ryookabayashi2

STE@ka@ryookabayashi2

ツイ民って寿命3年くらいだから4年後に同じネタで同じ騒ぎも起こせば4年前総叩きした芸能人を本人変わってないのにちょっとしたことで聖人君子扱いするんだよなあ。(鬼越のラジオを聴いてる、ちょっと聴くラジオを絞る(関西やめる))

posted at 11:57:45

ついでがあって奥田孫太夫さんの墓へ。四十七士墓は一部改修中で自由拝観となっている(展示室は閉じてた)。気が付かなかったけど2つ力石があった。丸い石は何かと珍重され奉納されるので、ほんとに力石かどうかは大きさ形と刻銘しかないだろう。 pic.twitter.com/69ZqBzfNsQ


posted at 16:52:41

7月16日

@ryookabayashi2

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ガキに絡まれたくなきゃこの時間つぶやかなきゃいいのに。深くない程度の夜つぶやけばガキはいないよ。おさんおばさんしかいない。

posted at 16:59:21

7月16日

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謎の日本橋元浜町十三番地はやっぱ謎だった。十二番地を非公式に2つに分けたんじゃないかな(てきとう)再開発で暗渠上半分残る商店も風前の灯とか色々。人形町側へ行くと失せ猫探しの三光稲荷、ここも昔の盛況ぶりがわからない。ひっそり奉納猫、管理するお店が5時まで御朱印と探猫を受け付けている。 pic.twitter.com/kJ6jQpgq1N

posted at 17:39:08

7月16日

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魚籃坂大信寺、三味線石村近江顕彰碑と累代墓がある。本堂前に移築され脇に供養塔があるのは三味線の皮に使われた犬猫のもの。本堂裏の墓地は小さいが大名墓など残り、こちらの愛猫塚は三味線屋ねこや看板猫駒のもの、刻銘が判然としないがここも合葬墓である。魚籃寺の亀石は足摺岬と同様の子宝石。 pic.twitter.com/vxDAmtLz3l

posted at 17:59:44

7月16日

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「20世紀初頭のフランス・ヴァイオリン曲」プレイリストでいきなりショスタコーヴィチとか出てくるのどういうことだ。。初頭でもフランスでもない、全然ない

posted at 19:20:07

7月16日

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久しぶりの水ダウ、リレーの顛末はとてもいい感じの調査だった!たぶんもう忘れてしまうから、記録としてもいいし、一番笑えたネタが最後の「ガンジーの教えだ!」なのも最高。前半の芸人の笑える瞬間、は人により割れるなー、これ関西と関東でも違うと思う。。もう中はもう中を知ってないとわからん。

posted at 20:47:26

7月16日

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南総里見八犬伝なんて読んだことないけど猫又橋が出てくるときいて少し見た。犬塚信乃は庚申塚で身重の母が授かった犬に護られ育つが、近所を統べるまでになった犬が村長の飼う猫を食い殺したためトラブルになる。狼藉。もろもろで父が自害した時瀕死の犬の頭も落とすと孝の玊が出たと。 その猫の死体を手下が抱えて渡ったのを猫又橋、これが起源と。無論嘘だがここは著作堂さんの近所ですね pic.twitter.com/sQ8xVHzZqi

posted at 22:37:13

7月16日

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四十七士と日本橋はビュー数があるのに、三味線の皮供養についてはまったくビュー数がない。そのときどきの宗教観や制度によってモラル感覚は変わるので、飼い犬が遊ぶ脇の台所で犬を調理したり、飼い猫がのん気に店番している裏で猫の皮を剥いだり、残酷と思うそれは当時は何かの理由があったはずと。 pic.twitter.com/VYn8pJcOKQ

posted at 23:28:18

7月16日

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伊藤晴雨本に水戸黄門話がでててソースは多分みんな一つだろうが他と微妙に違う。子供の頃夜に父から晒し首をもってこいと言われ向かったが重くて引きずってきた(灯りもなくわかったのかな)話。明治の役者が人の頭の重さを存命の役目に聞いたら色々試し当時のバケツに水一杯が近かった、と子供の腕力

posted at 23:33:46

7月16日

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その水戸黄門が綱吉(伊藤晴雨は暗愚な犬公方と盛んに罵る)の過激な生類憐れみの令に怒り領内の全ての犬の皮を剥いで送りつけた、とか、これほんとなら結構当時の体制的に問題だったと思うけど、動物に対する感覚が極端なんだよな近代まで。身分の問題で蔑まれることはあったにせよ維新後は変化する。

posted at 23:37:10

7月16日

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三味線屋の近所は猫がいなくなるから用心、なんておぼろげながら記憶があるくらいの噺だったけど、当時から犬の皮が多く今は輸入で7割(合皮でない場合)とか。薩摩屋敷の近所は犬がいなくなるから用心、なんて話は品川田町近くの噂だが実際には文京区辺の屋敷の話とかなんとか。

posted at 23:47:24

7月16日

@ryookabayashi2

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猫でも種類や乳の数で音が変わり等級が違うという。ただ、三味線は三線が元で、三線は蛇の皮を使い悪い言葉では蛇味線と呼ばれる。ハブがいないから内地で作れない、なら弾き方も変えてしまえ、ということらしいが、ハブと猫では随分違う。思い込みではないのかなあ。

posted at 23:50:04


by r_o_k | 2020-07-21 15:37 | 純粋日記 | Comments(0)

by ryookabayashi