そういや最近、納経して御朱印もらう人見かけないな。そういうもんだと思ってやらなかったんだが、今やどこでも待ち行列、人気寺ではアルバイトさんらしき人が書いてる。
今じゃ古めかしく堅苦しい言い方でも、当時は進歩的な最先端の言い方だったりするので、仰々しいとか直感的に思うのもだめだなあ。
身内の話を切り売りする気にはなれんなあ。ましてひどいことを。「この世界の片隅に」アニメ、爾来戦前戦中戦後を語るのが変なブームになっていて、穿った見方をすれば身内の戦争体験をまるで「手札」のように使ってバズることが目的のような、このツイッターの世界の片隅に思う。
執着とは病気である。比喩ではない。周囲が止めなければならない。






清親は主観に景色を合わせるけど、安治は正確に書くのでこの九段坂上も安治のがあってる。構図は同じで人物・人力車をシルエットでかなり減らし、清親の味を消している(人力車は無人だが画面配置が同じで、構図だけ真似したとも言い難い)。清親が灯篭の高さを誇張し暗闇にまぎれた上部構造は色を赤っぽく変え明かりを表現してはいるが、省略したり位置を少しずらしているのは写真や現物を見ればわかる(位置は現存しない登攀台とのバランスで当時少しずらしていたのかもしれないが)。一番違うのは灯明台の下の石積みを小粒に省略していることで、安治はしっかり描いている。ちなみに柵の大きさを見ると灯籠だけを囲っている清親の方が古く、安治は偕行社側全面覆っている。この差は時期の違う写真で確認できる。個人的に清親が古い風景を後で起こしただけで時期は安治とあまり変わらないのではと思う(別項参照)。







九段坂に鉄路が通された写真。右に当時から独特の造り(石を積み上げて高くした)といわれた前記の燈明台が見えます。手前林中が偕行社。お堀際を掘り下げて通していたのです。今は地下鉄が通ってますが。


























フィンガルの洞窟を前にしたマルヴィーナだったんだが、なぜこれを選んだのかなぞだ(昨夏使っていたアイコン)。気合い入れた絵をアイコンにする人々に含まれるのが嫌だった頃のことだったか。たぶん「ふしぎ発見」でやったんだな。 https://twitter.com/ryookabayashi/status/985353487620845574…


現物を見てない(開通前に描いたとも推定されている)絵の他の例

ペリー献上の汽車、これが原案と思われる(原典Wikipedia)


まじで日本のヒエラルキーってああいうのがまかり通る形で維持されてるので、というかまさかバブル崩壊後30年近くたってまだそれなのは「世代交代しない、偉くなったら体質が承継される」腸が煮えくり返る思いなんだが、ほんと日々実感してますわrt事務次官のセクハラ&態度
風景好きからすると二代のほうが実景に近く想像しやすいから良い絵に見えるんだなあ。rt広重亀戸梅屋敷臥龍梅比較
あんまりにも限界が来ないので忘れてたがSanDiskのmicroSD400GB、カメラや表示に不具合を生じた使用初期からすると安定してきて書き込み速度も遅いながら許容範囲です。
まんがなんて直感的影響力の強い手段は扱いにも読む方にもリテラシが必要になるので、こどもに見せるまんがとして何のチェックも通ってないネットのものを与えるのは反対。レイシストの強烈な一枚を見せていいわけがない。ひどいのは規制すべき派。酷い内容のまんが描いたら罰金取る、江戸時代的刑罰ではどうか。
難しいこと考えてると禿げるので、フサフサの人は何にも考えてないのだ。ぜったいそうだ。
捨て垢は重罪に処すべきである。フォローフォロワー一桁、プロフなしは見つかり次第他人にコメントできない刑に処す。
自分のツイートについたクソコメントに「クソリプ」タグを付けられるようにしたらいい。そんでクソリプタグついてるコメント非表示にすればいい。Twitterじゃ140字で済むかんたんな論が勝つので、議論なんか成り立たない。
土俵の上に石長姫は登らないでください!アテナ神はいいです。(神差別)
漫画も読むと面白かったんだなあ、と思ったその漫画が何だったのか思い出せない昨今、当座の楽しさだけを提供する消費財としての漫画と文化、文芸(連作絵画)としての漫画はおそらく全然別物で、前者は無料当たり前のような感覚の層にリーチしてしまってて、イタチごっこなんだろかなあ。 https://pic.twitter.com/kNYIHebwiL
ネット規制が表現の自由の侵害…?通信の秘密の侵害など問題は認めるが、ネットなんてもともと無かった。無かったんだからべつに問題ないんじゃない遵法なひとには。リアルな交流の場は多いんだし。
明治神宮の名木代々木。代々樅の木が植えられることから村名の元となった。井伊家下屋敷をへて御料地内の大樹として知られたが、江戸後期には50mもの高さ・幅で登れば江戸を見晴らせると評判となり、幕末は黒船を見張ったとも。明治半ば枯死し、こんなになった。山手空襲で焼失。戦後植え直されている https://pic.twitter.com/YDhDME5noM

末期だと思うが十二階の木造十二階部分(展望台)に「十二階」と看板をめぐらせてる写真があるのね。気が付かなかったが、必死さが伝わる。人気が陰ってたとこに地震でひび割れ、破滅的な本震でそこから割れて転落死が出た。凌雲閣は会社として続いたが、書籍以外で十二階なき瓢箪池北側写真は無いのね


手彩色写真は手彩色は美しいが元の写真とは異なる絵の技術が邪魔してる。おもっきし塗る大正昭和の半絵画の絵葉書は美しいしリアルだけど、よく撮れた白黒写真は手を加えないことにより原型の細部を残し迫力がある。今回の花やしきからの十二階は殊の外細部まで写っており構造が明瞭。値段差がわかる。

ネットは煽り文句で引き付けるのが常套だが、中身が煽りに負けているのはどうにも気に入らないのでそのままにする。だからアクセスが稼げないのだろうと思ったが、よく読んだら八割方引用の記事だった。
(スタッフより)先程アカウント主の脳に羽根が生えて東の空に飛んでいってしまいました。