2019/10/30
春梅斎北英。
大阪の絵師。文政から天保の九年間だけ活動するが(浮世絵師は明治に至るまでこの短期決戦パターンが多い)、初期から技巧に優れ、役者絵での人物の力の漲る体躯と面相の強さが、とくに後のほうに明らかである、と思う。春江斎、雪花楼など時期を経て名を多く使い、印はまた風雅な言葉で作られいかにも上方風である。
北、春を頂いた絵師による江戸後期の上方絵の流れはここで絶えたということになっている。上方の浮世絵は独特の様式美と激しさを調和させる、ように思うが、この師匠が北英よりかなりメジャーな
春好斎北洲。
さて北英のこのお岩さんはまさに北斎の百物語からの剽窃だ。追加された人物はまるきり違う画風の役者絵なものの、一見、北斎との関係の確からしさを証明しているように見える。
さて飯島虚心「葛飾北斎伝」下巻末尾に北斎の弟子が列挙されている。北英は号を雪花楼、大阪の人として書いてある。まず春梅斎北英と同一人物と考えるのが妥当だろう。
ここでWikipediaでは葛飾北英とされる鍾馗図が一枚あり、それが北英唯一のもので、そこには桃華園としるしてあるという。落款の「北」が北斎本人に似ているというが、弟子筋の絵の落款を見ると北を北斎風に描いているのはこの人だけではない。北斎のことなのでどんな変なことをやって、そこに自筆を混ぜているかわからないが。
葛飾北斎伝の北英の次にはなんと師匠の北洲の名がある。雪花亭と号す大阪の人、錦絵、読本を多く描いたとあるが、そのとおりである。北斎の弟子と認められたのは、憶測だが絵を送ったか、手紙の交流をもって遠隔的になされたものではないか。それにしても、師匠と弟子があまり間をおかずに同じ弟子とされたのは何故だろう。
北英について「浮世絵備考」には「為一の弟子」とある。葛飾為一(弟子)については飯島虚心の本にも度々出てくる。明治初期まで存命だった。
推測では師匠は本人と交流があり、北英は為一と交流があったのだろう。見立絵とはいえ、この北斎流とは言い難い乱暴なコラージュは、本人との関係の薄さを示しているように思う。提灯の目が薮睨みになっているのも何かになぞらえているのか。こういうものは大阪だからできたのではないか。
パロディだとしたら洒落ている。上方らしい。
などと。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-29748196"
hx-vals='{"url":"https:\/\/okab.exblog.jp\/29748196\/","__csrf_value":"6e56fbb32c48b70078db60c32d4c9a837ddd46717181918f3baedcef6edc893742bfdc664dfa57822d0c043b061d2c675d911c9349fa828b63fe509254fb5069"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">