揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

【エキブロとともに】2005-2021の私的なできごとを整理(仕事も交友関係も波乱万丈、病気がちだった10年代)そしてコロナと介護【人生】

超個人的な備忘録で、2005年以降のトピックを時系列で並べておきます。自分にとって重い年は●をつけます。たぶん今後忘れてしまうためです。2005年より前はそのあとにくらべて(書ける範囲では)重いことは起きておらず、また00年代後半は非常に思い出深いので、ここ10年という書き方ではなく2005年を起点としています。超個人的なので、超身近な人が見たら「ああそうだったのか」というくらいで、まあ、スルーでいいです。表に書けないことは書かないですね。手書きで手元に置いておきます。
【エキブロとともに】2005-2021の私的なできごとを整理(仕事も交友関係も波乱万丈、病気がちだった10年代)そしてコロナと介護【人生】_b0116271_17052914.jpg
:狂斎百図「長いものには巻かれろ」河鍋暁斎(幕末の原画を死去直後頃に明治の絵具で新色再版、大人気のシリーズでこのとき大量に発売された。今は絵柄にもよるが一枚5000円くらいが基準。)

2005年
青森オカルト旅
オカルトツアーいくつか参加(山口敏太郎先生、前後にかなりの回数声をかけていただき参加していた)

オカルト系紙面記事を書く(確か何度か別のところからあり、使う名前もまちまちで記憶も曖昧なので、2009年くらいまでの間にということで。山口さんの雑誌に田中河内介怪談について書かせていただくがネタが尽きる(もとはブログ記事、田中河内介はかなり面倒な歴史の話になりネットで交流した方には申し訳なかったが途中で止める))

奈良紅葉旅行(酒船石遺構発掘現場を見る)

部署が別会社に移管、元の会社への帰還を以後十年模索する(元の会社からの帰還意向調査は2007年異動先の職場で握りつぶされた)
2006年
四国半周オカルト旅(初めて一人でまともに四国をまわり、高知市をくまなく歩く)
絵金祭(遍路宿にとまり数キロ歩いて赤岡町で宵宮と本祭2日を楽しむ、赤岡の酒が最も口に合う、あと高知市の残りをめぐる)

京都盆オカルト旅行(ネットの友人と市街をまわったあと、比叡山で文筆は失敗すると諭されてやめる。若い希望は大文字とともに昇天)

隠岐・境港・投入堂・鳥取・姫路(恐らく最後の超長距離旅行、オカルト要素は薄まる)
2007年
ブログ関連の新規部門の人員募集に応募
→即転勤
その関係で大量のブログやSNSアカウントを作成
twitter開始(英語)
mixiが滅びつつあったので、個人的な場としてエキサイトブログ開始(心機一転、趣味で書き物など続けることを決める)書いたことない漫画など挑戦するも時間がなくて全部ラフで終わる

帰宅時間限らず毎日7キロ走り可能なら1キロ泳ぎ、可能なら楽器を弾いてブログ漫画など一つ記事更新することを自分に課す(ジョギングは痙攣発作発生まで続く、脳梗塞が怖くて酒とともにやめて太る)
だがそれらのスケジュールをこなすには厳しい環境に置かれる。募集スキルと全く異なる要求・上級採用があった時代の管理職やその反動で引き上げられた若年管理職、スキル者の先行同僚、客からの失敗の押し付けからの四方八方パワハラ・さらに若手のような終電生活の過負荷による不調で3か月でドクターストップがかかる。すぐ復帰すると言うも医者からそのままずるずると計半年出社を禁じられる(だが体は元気なので、金を使わず時間をつぶすということでひたすら歩いた・・・)
2008年
前から決まっていたため、上野奏楽堂で室内楽演奏会。楽器生活を終了する(この頃には手の痙攣などが始まっていた)オーケストラに所属しかかるが左手が動かなくなり断念

春に仕事復帰するも客観的に見てこのビジネスに先はないと判断、前の仕事でやっていた自然文解析に関連するアイデアを一人でこねる(特定のテーマに関するネットのインフルエンサーを自動抽出し広告というかステマを依頼するのちのビッグデータ解析に近い仕組みの検討だったと思う)

岡山オカルト旅行(他にもここに書いていない旅行は沢山ありますが大抵このブログに個別に書いていますので心に残ってるもののみ)
沖縄関係の交友関係が緩く終焉(基本的に理由のないやつですが、おのおのの立場が変化しすぎて共通の話がなくなったのが原因。色恋沙汰がクリティカルヒット)
職場が国会図書館近くになり図書館の鬼(旧日比谷図書館は閉館前に吸い尽くす)

映画をよく見て刺激を保とうとする
2009年
別のチームへ移る(テレビでも取り上げられたものだったが既にビジネス化困難が見えており、並行していくつかテーマにかかわる。そのひとつがtwitterAPIを利用した事業検討、自分のアイデアではないし他人の褌で収益を得られるわけないので、やってるふりをする口実にする・・・そこに余裕ができる)
伊豆、人間ドック帰りに温泉
2010年
長崎五島オカルト旅行(この年は平和であり00年代の楽しさの余波が残っていた…)
しまなみ海道ふたたび
2011年
正月三輪山登山と都七福神めぐり(このへんからオカルトが外れてくる)

★東日本大震災(オカルトくだらなくなる)職場損壊、当時収集していた音楽家のサインを飾る大きな額縁が落下し壊れる(NYより7000円くらいかかって輸送した、半世紀はたっているような手作りの額縁、ジャズバーに掛かっていたっぽいもの)

宮城・岩手(直接支援ができず、赤十字とチャリティに合計2ヶ月分以上の給与を出す。現地から情報をTwitterに流す。12月には買えるものは買ってくるツアー。気仙沼の港が再開していて安心するも、サメ博物館のある黒っぽい市街地を上から覗いて言葉を失う。帰宅後鮭に飽きる。瑞巌寺参道が本堂直前で津波を退けて安堵)

職場辺境に移り意欲減る(ビル破損のせいと思われる)
西表島閑散(東北の常客がキャンセル)

3月から意識変化、再び体調に異変。本格的に会社から個人に気持ちが移る(初めて人生の終焉を見据える)
2012年
高知墓参り(祖父の代までさかのぼり全ての親戚&墓をまわる、祖父の写真を古い親戚にあげる、墓まとめをした高知市の高台以外はどこも超山奥)

※Twitterきっかけで新たな分野と交流開始、mixi、LINEなどでオカルト関連のネタ提供、一時的に交友関係が拡大(しかしメイン業務が軽くなっているとはいえ深夜や昼間の対応、SNSで変に広がった人脈対応などかなりの負担となっていく。交友の全体的に熱しやすく冷めやすいこと、捏造に躊躇ないこと、合わないと感じた人は排除する冷たさ、編集に対する日和見の態度に警戒。最終的にはネットに既に書いたネタしか提供しなかった(今は全てこちらにmixiより転載)。

また00年代初頭からのネットの音楽仲間にこの意味不明の交友を疎ましく思われる。Twitterでの衝突もあり次々と消滅、最後はほぼ全員ネットから撤退。ブログの読者を全面的に失う。

波照間島で軽く交友(この年だと若い人はほぼこちらを警戒するがここでは異例に警戒が薄かったので、最後の「バックパッカー式交友」を楽しめた)
マンタ見物(現在川平沖の瀬がマンタが背中の寄生虫をこすり取りにくるため確実に見学できる名所になっている。むかしは小浜島と西表島の間のヨナラ水道が有名だったが流れが速く今はツアーはない)
2013年
足利フラワーパークと益子焼きもの市(全員健康な家族と最後の旅)
軍艦島など(※のグループの「子分扱い」はこの年では辛いと思い、誘われた旅行を断り長崎と雲仙へ。関係一気に遠くなる。)

鹿島オカルト旅行(※メンバーのラスト旅、震災の影響もあり、心霊スポットはほとんど消滅していた)
鎌倉まんだら堂跡など探訪(少しいやな「障り」があり、これをもってオカルト旅行はほぼやめてしまう)
2014年
※グループの参加者が減衰。LINE中心だったためルームの細分化と疑心暗鬼、さらに誤爆という、よくある理由。自分は体調不良とさらなる異動も原因↓

さすがに無駄な業務に行き詰まりパワハラに耐え前の会社へ戻る方法を模索するも、騙されて突然知らない仕事に異動(20年近くやってるサービスなのに、とっくにビジネスモデルが破綻し幹部への取り入りで無理矢理続けていたことを後で知らされる)先が何も見えなくなる…これは今に至る

→★桜の季節ごろから全身痙攣発作が頻繁に発生、身体の不随意運動を繰り返す。座ったり寝たりが不可能。5月に職場で業務継続困難と判断、以後11月までほとんど記憶がない(ラジオを聴くのがやっとで、twitterも途切れる)
症状はてんかんそっくり、しかし検査は白、MRIも白だがいくつかまわったところの神経科が小脳に小梗塞跡があり、後遺症と推定。しかし通常の小脳梗塞の症状(慢性的なモヤモヤ目眩)とは異なり、最後は精神科にまわされ全くきかない薬と自己啓発本しか頼るもののない半年をすごす
収入的に厳しく無理に職場復帰もさすがに会社が怖がり、出勤訓練なるものを始める。が出勤訓練時間中は何もなくてもずっと外出しなければならないという指示により精神的な圧力が加わったと思われ、頻繁に発作が誘発され地獄。ただ発作が無いときは何もないので、特に死ぬとかいう感覚はない。

発作中は体が勝手に動くので、以後電車でそういう人を見る目が変わる(頭でわかっていても心底わかるには自分がならないとだめと悟る)※これは収束しておらず、睡眠中に発生することも
SwingOutSister来日公演(11月末)これに行くことで電車を含む外出が可能と確認。本格職場復帰した。→2018年秋の公演は体調厳しかった。
2015年
一応表に出す原稿は(ストック含め)すべて終焉したため、いっそ※の交友関係もごく親しく感じる人を除き絶つ(自然に消えたり減衰した人の方が多い)
漫画への興味を失う、長年支持していた著者の作風が荒れ、2018年には趣味として終わったものと感じる。単発や一人を除きほぼ読まなくなる。

広島旅行(ほんとに楽しんだ)
西表島(ほんとにほっとした)
だが父の重篤入院により秋は記憶がほとんどない(ウィルス性肺炎)
2016年
★水木しげるお別れの会(水木先生の死がこれまでもやもやしていたすべての考え方をシンプルにした。オカルトは完全に「読むだけのもの」になった。いつまでも生きている人はいない、巨大な才能の前に改めて畏怖する自分に気づいた。このへんはどっかに書いてます。自分の中にこんなに巨大な位置を占めていたのかと驚きすらあり、青山で最前列で眺める祭壇はまるで自分の過去との離別も象徴しているように感じた)

→無常感からどの分野においても偏執的な「ファン」であることを徐々にやめていく。ロックやジャズなどは一組を除きライヴへ行くのをやめる(スティングのファンをやめたのは新譜の不出来)。クラシック音楽だけは前より垣根を設けなかったが、経済的理由で偏りを敢えて作る。漫画は最終的にお一人の作品だけは追うことに。
2017年
エキブロ本格再開
仙台福島(当時まだ除染の関係で入りづらかった地域の石仏がどうなっているか確認がメイン、オカルト要素ゼロです)
横浜(一昨年入院した父と散歩、回復したことを確認)
2018年
浅草十二階礎石再発見を確認(既に以前からここに煉瓦が散乱していることを確認していた、かけらをもらう)

チーム解散、急遽異動。まったく現場から外れたため業務内容がわからず困惑。受け入れ先も準備ができておらず、事情を知らない同僚からパワハラ。たちまち体調が不安定に・・・
鹿児島旅行(※で残った交友関係が非常に助けになり、とてもお世話になり、印象にも残っている。これまで沖縄側の視点だったが、島津側の文化に興味を持ち、濃かったといわれる動物との関係性など調べ始める)

伊是名島と沖縄本島北部へ
→最後に慶良間の海へ行ったとき妙な感覚をおぼえ、帰りの飛行機で初めて酔う・・・
→数日後の朝とつぜん、目の前がぐるぐるまわり吐き気。(この前夜、服用していた薬(睡眠薬含む)を飲み忘れている。それを疑っているがこのような症状を引き起こす薬は一つだけで、それも止めてみても何も起こらず原因ではないとなった。しかしきっかけではあるので、、、みなさん気をつけて、、、)
★同時に父が入院、対応を余儀なくされる(腰椎圧迫骨折)
★「めまい」という症状を初めて体験、だがそうも言ってられず悪化の一途をたどる。耳鼻科系のめまいではなさそうで、どんな眩暈止めもきかず、自律神経も異常なし。最初、耳鼻科と循環器科系内科に脳梗塞を疑われるも耳鼻科は迷惑だから帰れ、後者はすぐMRIとるも二転三転したすえ「以前のMRIと変化なし」。MRIは大病院など何度もとるがすべて同じ。脳神経科に頼んで撮った頸部も神経や血管異常なくヘルニアのみ。以前同級生の脳系医師に小脳梗塞の症状を聞いていて、2014年の神経科の示唆もあって、後遺症的なもので、そこに耳系の眩暈とストレスなど加わった、なおらないものと思いぞっとする。薬剤的にはもう手はないですと言われる。めまい外来は半年やってきかなかった眩暈体操を市販本をコピーして教えただけ。役立たずだった。
ひどいときは24時間強いめまいと吐き気が持続し睡眠中もえんえんとその状態で結局寝てるのかねてないのかわからないくらい。気は心という言葉は嘘で、病院に見舞いに行っては人目につかないところで吐いたりしていた。暫定「脳梗塞」でこれだともう死を意識しないほうが無理だった。2014年の発作より厳しかったが、今度は意識も記憶も残っている。認知機能は不安定だが保たれていたから、なおさらきつかった。。
唯一効いたのが2014年の神経科でもらった(しかし当時はきかなかった)リボトリールで、今も横になったときめまいが出るので服用している。精神的な理由の可能性もあり、これはそういう薬でもあるそうで、人により違うとは思う。あと市販薬でアネトンニスキャップは吐き気止めにはある程度きいたが高くて閉口した。
2019年
眩暈は続いているが、3月ころ時々すっと抜け始め、ゴールデンウィーク後にほぼ夜だけ出るようになる。それも疲労と関係しているようで、2014年電車を止めていたころのような失神はないが、まれに悪いときは杖をつき、座らせてもらっている。
兵庫旅行(体調確認旅行)
西表島で台風(もうここで体験できることはないと悟り、八重山に別れを告げたつもりだが、前にも一度告げている)
生まれて初めて歯を破損、手術が嫌なので我慢する(買ったそうざいに金属質の異物混入。強く噛んだ後強烈な痛さにおもわず飲んでしまい証拠がない。これがなければまれにみる頑丈な歯だったそうだ)

人間ドックのあと温泉
★ウォーキングと温泉銭湯マニアに。コロナ汚染までかなりのめりこむ(gooブログに記載)
20キロやせる

父、誤嚥性肺炎(すぐ対処し軽傷)
2020年
1月コロナ禍到来、外出自粛傾向
3月銭湯は自粛無し、一般にウォーキングブーム 完全リモートワーク 
★お彼岸:花見緩む→コロナの拡散始まる 個人的には墓参り
4月温泉銭湯行ききる、眩暈悪化で体調不良から目的達成後大幅に食事や運動量緩和、すぐリバウンド
緊急事態宣言(1)異様な風景、正月のような風景、路上遊び増える
GW自粛、20年ぶりに自宅蟄居
夏:徐々に緩んでくるほどの感染 GOTO準備のような雰囲気、東京だけ10月
9月夏休みで一泊京都大阪旅行
前後より両親体調よくない とじこもりのせい、足腰なえる 父の体力低下が著しい
11月中旬父一人で整形外科へタクシー、そのまま呼吸器で病院行って37.5度で発熱外来送り(帰宅して大人しくする選択肢は選ばなかった、コロナは突然おかしくなるし、最近微熱続き)→肺にすりガラス状肺炎(良い方)普通にかぜのような対処でもいいらしいが肺炎二回やっており、きっちり薬をもらう。PCR陰性。主治医もしっていたようだがちゃんとなおさないとコロナに万一触れたら命取りだ。
足腰が弱っているところへ肺炎ときて、最近汚しがちだったこともあり尿瓶をつかうことに。
この尿瓶を自分で風呂場で洗おうとして尻もち転倒、怖れていた腰部骨折(診断では骨折なし炎症のみ、カルテに腰椎圧迫骨折)。老人が弱る見本のようなけが。腰のため動けず。かなりの痛みも治す手がなくねているしかない。ケアマネ慣れたもので暫定で各種手配。のちに急に回復して不要になる介護トイレ5万円など疑問のものもあるが、本人気力がもたず寝たきりで気持ちとしてなんでもやってくれるのは助かった。要介護は上から2番目の認定。コロナでなければ入院して毎日リハビリすれば足腰の筋肉が落ちなかったのにとは思う。筋肉はほんとに戻らない。尻の肉がなく骨に当たって車いすに座れなくなる。
毎日介護入るまでは下の世話を中心とする介護が本当にきつかった。毎日全布団を洗濯。サイズが合わずおむつの山。脊柱管狭窄症も発症したようでブロック注射三組。結局二か月の時間(若ければ半分)と訪問リハビリと鎮痛剤のコンボが決め手。看護師さんに下の世話をお願いしたのは最初だけ。便秘への固執は看護師指示で医者から軟便剤処方、量調整でうまくいきそう。
2021年
年明け、コロナのため兄一家以外呼ばず継続して介護。徐々に介護部分が減ってくる。銭湯に行く余裕ができた。
1月後半、父が突然歩けるようになり、腰も抜けない。以前から週の半分は寝るなど必要だったが、それを除けば11月に戻ったようだ。筋肉はまだ養生が必要。きっちり肺炎を治したのでごく短期を除けば風邪もひかない。
しかし年末、今度は母が骨粗しょう症の影響で足の骨を折る。しかも我慢して歩き回るため痛みは強く骨はつかず、もともと体調不安定だったのがもっときつくなる。外出もできないので、外出不要の父に代わり母を車いすで送ったりする。いまのところ精神的ケア以外の支障は少ないが、しっかり足を休めていれば一か月でなおったらしいのに。
父、1月末には気力が筋力を上回るまでになる。疲労があり時間は短いがしっかり歩ける。普通に階段を上る。孤独にさえしなければ頭もしっかりしてくる。
世間は1回目よりはるかに深刻な二回目の緊急事態宣言。だがいれかわりたちかわり違う種類の人が町を占拠し、大して減らない。
気が抜けるとひどいめまいや吐き気。恐ろしい睡眠中発作を起こす。食生活と運動とストレスと以前からの症状のコンボだろう。ここ一年では最もひどい。
自分を長期もたせるために精神的緊急状態を母と交互としていたが、母既に離脱、父回復により自分も緊急状態をとりまやめて自然体に。激しい不眠症をなおし、目を治さないとならない。
銭湯趣味は終了、コロナ鎮静化後また考える
電車に何か月も乗らない

by r_o_k | 2021-01-29 02:32 | 過去日記 | Comments(0)
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