













調べると溜池の虎ノ門滝口の浮世絵に描かれる葵坂がまず出てくる。滝口脇に上がり左に屈曲するまでの溜池下の坂で、坂上の榎が「印の榎」と呼ばれる並木の手前部分。ここで続きとなる堤上経由での榎坂、汐見坂と霊南坂の三叉路となる。その榎坂は幕末切絵図を見ると頂部以外は武家屋敷間であり、そうするとここでいう榎(並木)はむしろ池沿いの葵坂上の堤防の路傍、馬場と玉川上水の取水路沿いに植えられていたと思われる。ちなみに絵入重宝記の絵には榎坂ではなく「葵坂」とある。この絵はつまり滝口脇で右手に水流があるのは溜池とその川下。番小屋の後ろに榎と祠があるというわけである。ベアト写真にも葵坂と滝口が写ったものがあるが(肥前守屋敷とあるが時期的に切絵図の通り加納屋敷)このあたりの治水記念に堤に並木を植えた一部ということだろう。道割は明治時代に溜池埋め立てのため坂ごと削られて完全に変わっている(榎坂上の三叉路から見て左方向に堤、葵坂があった)。切絵図の葵坂は消滅している。三叉路から左、溜池(元)方面へ降りる道はあるので、溜池の元馬場沿いの部分は斜面として偶然あるにはある。
※探訪記
















































錦糸町移転先は今の丸井の裏あたりにあたる。













両国橋(かつての橋とは位置が少し北にずれている)

擬宝珠といえば擬宝珠。錐を落とす。



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業平橋と南蔵院縛られ地蔵。お寺は水元に移転し(境内の業平神社は廃止)現在は小屋の三面を開放して自由に縛ることができるせいか、繭モナカのようになってしまってるが、明治後期の写真は伊藤晴雨画と対照するとわかりやすい。子供のための祈願らしき様子が伺え子安地蔵にも思えるが単なる立像とのこと。犬張子(赤子の初午)が奉納されてる。江戸双六にも犬張子が。


かつては四面のある堂内にあった。


















































