【東京失楽園】四谷津の守の瀧、幽霊に潰される(桐座写真追加、江戸七瀑布ほか東京の納涼施設としての滝について追記)

四谷左門町即ち於岩稲荷とは甲州街道はさんで逆方向、新宿歴史博物館ほど近く。荒木町にかつて美濃高須藩は松平摂津守義行の屋敷があり、急峻な凹地に大池を作り作庭していた(幕末明治に高須四兄弟を輩出)。それは屋敷の四分の一に達するほどで、池の排水施設として作られた石樋は何百年も経た今も地下で機能しているという。明治維新後に武家屋敷が民間に払い下げられたときにここは風光明媚ということで人々が集いぐるりに店屋が建って名所化。
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明治5年、玉川上水から引いた水を西崖の上から落とし、懸泉とした。高さ四メートル。これを「津の守の滝」と呼んだ。一景のこの浮世絵はまさにその年に描かれたものです。津の守坂志ん瀧(新滝の意味。津の守坂は現存します。現存する小池は滝壺でこの写真の箇所に該当します、後年はかっぱ池と呼ばれました)。
※ちなみに昇斎一景は東京名所三十六戯撰のシリーズとして歌を書き込んだ小判「四ッ谷花やしき」というものも描いており、これが果たして同じ場所なのかどうかはわかりませんが、庭園の雰囲気を残していたと言う話とは一致します。
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※同年、「四ツ谷伝馬町新開遊覧写真図」国輝。窪地の上、いまの荒木町公園辺に明治6年芝居小屋桐座が移転すると一気に茶店などが開かれ見世物や料理屋も出て栄えたといいます。同地の金丸神社はもともと屋敷神でした。
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~桐座(尾張徳川家)

これは修行でも滝行でもなんでもない。「浴瀑」です。健康にどうのこうのという指南もあるそうですが、着ている浴衣は店屋のものでしょう。芝居の真似事をしているのは末広座があったからでしょうか。クーラーのない時代に涼をとる、リゾートだった。
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明治28年9月の風俗画報99号は表紙に松谷さんの津の守の瀧図を掲載し、最も近場で涼をとれる稀な場所として一文紹介されています。サマリーを書くならば、

〜避暑には懸泉。川は汚いし船が危ない。水鬼に憑かれるのは怖い。井戸から水を汲むのはしんどい。海は遠い。そこで江戸っ子が喜んだ四谷津の守邸の懸泉である。今は三井不動産の土地だが市街整備地図には四谷公園とあるから園地化が期待される。明治10年代は繁華な名所だったが既にだんだん荒廃し、今は僅かな雰囲気が残る。ただ西崖の懸泉は変わらない。玉川上水を支える岩の上から2条に別れて落ちる。崖樹天を覆い日光を通さず、むちゃ涼しい。左右に層亭がある。梯子で滝壺へ下りる。飲むこともできる水だ。
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水浴び場の側に策の井(鞭の井)がある(※徳川家康が鷹狩りのさい馬の鞭を洗った伝説からそう呼ばれた(西新宿にもある)、池をそう呼ぶこともある)。北崖に三層の浴楼を作り井戸水を沸かして策の湯とした。今はもうない。食堂や呑み屋はある。
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王子、目黒、轟(※等々力)、十二社など浴瀑場数あれど都心から最も近いのは津の守の瀧。
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〜松谷さんは誇大に描いてしまった。滝上の大岩はこうではない。これでは水浴に向く滝は落とせない。樋口より両条に落下し浴びられるようになっている。〜

最後の絵は松谷さんらしく「絵的にかっこよく描かれた」もので写実ではないのでしょう。一景の絵のほうがこの文章に合いそうです。報知新聞を読むスペースもあったかどうか。
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明治末年頃の本、たとえば「東京案内」を見ても「すっかり景色なし」。滝も竹筒より絹糸のような水が垂れて青息吐息。明治は長かった。写真があるとの話も見ましたが東京名所図会に無ければ無いでしょう。四谷は小さな屋敷ばかりでお岩さんくらいしか名所が無かったとも言われます。
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(土佐光起)
昭和7年の花街の本に津の守の名が出てきますが、これは今もその雰囲気が残る花街としてのもので、避暑地のたぐいではなさげです。この坂地にかなり密集した花街だったようで、断腸亭日乗にも名が出ますが、国会図書館デジタルでも読むことができる「三都花街めぐり」で最盛期を窺い知ることができます。特に高級な三業地であり、庶民の憩いの地ではありませんでした。そこにはこうも書かれています。大正元年頃までは大池があり、西崖に滝があった。津の守の滝といい夏の遊び場だったが夢の如し。さらに、これは有名な話ですが、こんな話も書かれています。

明治33年、小よしという藝妓が某陸軍中尉と心中するという騒ぎがあった。以後ここに幽霊が出るとうわさになり、それをあてこんだ尾上松鶴が近所にできた末広座へ四谷怪談を出して大当たり。しかし興行中失火により小屋は全焼してしまった。
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これは小よしの幽霊のしわざというより、お岩さんの祟りとして知られた話だと思います。それにしても人工水道から落ちた人工滝に幽霊が出るとは何とも開化なもんです。滝には幽霊が憑き物、十二社も等々力もそんな話があったところですが、津の守の滝が無くなったのはひょっとするとこの噂のせいではないでしょうか。。
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池は小さいながら弁財天とともに現存します。駐車場や古木で面影が無かったところ少し整備して園地化されています。窪地はそのまま歩いて急峻なクレーターを実感させてくれます。

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等々力不動の滝は今もあります。
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勝海舟も浴びた目黒不動の滝は原型通りにあり、水量も確保されています。戦災を受けているのに浮世絵どおりの境内配置には驚かされます。等々力で浴びる人もいますが都内で自然水垢離場というと目黒不動以外には殆どないのではないか。
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江戸七瀑布(都内七瀑布)というのがありました。津の守滝は明治に作られたので含まれていません。王子、等々力、目黒不動も含まれます。こちらは嘉永年間(幕末)修築の氷川の滝(五反田)。目黒不動に近いです。近年に復元されたものでとっくに原型をとどめてませんでした。
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王子名主の滝。人工庭園で明治初期には外国人に大変人気がありました。メインのものだけでも4つあり、これは最大の男滝で岩はほぼ原型を留めています。水をコントロールしていて、オフには枯れてます。
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上野の音羽の滝、王子もうひとつの弁天の滝(金剛寺の境内にあった)は壊滅しています。新宿十二社は明治二十年代に滝、さらに淀橋浄水場により池を失いましたが、現代に人工滝が2つ作られています。もともと十二社の滝も人工だったといいますので、おかしくはないでしょうか。大きいような幕末写真がありますが(ベアト撮影、上掲)最後は等々力の滝状態だったようです。ここも元々1つではなく最後まで残った大滝の往年の姿は広重が描き残してます。詳しくは別項。
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2019/1/30

by r_o_k | 2021-07-10 21:38 | 不思議 | Comments(0)