辻原墓地の幽霊

那覇。今は歓楽街となっている辻原にあった有名な辻原墓地。波上宮も近い鍾乳崖べりに、中世より築かれ始めた一大古墓ゾーンで1700基を越える多様な墓が見られることから戦前はペリーを含む外地の人間にも、海から陸から興味深く観察された。王族墓もあったといい人気のないにも関わらず不気味な話はなく、シーミーのときは賑わった。大きな墓が多かったため戦後区画整理の対象となり、石材は埋め立てなどに使われ、墓の機能自体は識名へと移された。その頃より墓地跡に幽霊の噂がたったという。戦後の大変な時期の開発とはいえ今なら文化財としても重要なものであったはずで、歓楽街にしたのも墓地を鎮める意味があったのかもしれない。子孫のいない古墓の骨は密かに焼かれ粉砕され肥料にされたり、結構そういうことは多いようで、いつのまにかなくなっている墓というのはあるが、ここのものも全部が全部きちんと移されたのかどうか、移されなかった者が迷い出たのかもしれない。話によれば石材は石塀に転用した例もあるという(これはよくある話で寺院の塀に角柱墓など一般的)。
シマクサラシの夜

新しい写真だとスマホアプリで書くのしんどかった。シマクサラシ民話自体とは別の小原猛さん「シマクサラシの夜」より表題作から。何者かの瘴気に寄り集まってきた者たちの行為が、疫病除儀式を契機に寧ろその力を増すという不条理性、実は内側にいた、本人鎮まっても他の寄り来た者たちは…という後味。
仲西ヘーイ

場所が違う&長さが違う&石橋じゃない&干潟じゃない&要素不足&手抜きとかゆうな!資料がなかったのと仮アップじゃ(潮渡橋の仲西ヘーイ) いくつか話があるようだが単純に言うとかつて那覇の大きな干潟をのぞむところにあった橋(橋の名前と川は現存)で仲西を呼ばわると異界へ連れ去られるという。付帯して民話や妖怪話が絡むことがある。https://pic.twitter.com/hG5YlNHuXe
よしやチルー

手の届く場所にある資料が貧弱だったので別件で。よしやチルーさん。19にして琉歌の名手で知られた辻の類尾。想い人あるにも関わらず身請けされそうになり自殺してしまう。その骨を故郷へ運ぶ若衆が休憩のため藁の袋を路傍に掛ける度、歌を詠む声が響き人々を驚かした。埋葬後来た楼主へは恨歌を詠んだ https://pic.twitter.com/qLu7Ddu3vS
耳切坊主

写真に書き込むのおもしろいんだけど、基本的にスマホ(むかしはガラケー)で無理して書くので、今見ると見苦しすぎるのも散見される。編集失敗するものもある。消えてしまったよ。なのでこれでおしまい。場所が違うとかゆうな。耳切坊主。黒金座主という悪僧が耳を切られて殺されたものが、屋敷の角に立つという。 https://pic.twitter.com/vzUI14cfYw
真玉橋の逆立ち幽霊
遠景が多くて苦労する。。真玉橋の逆立ち幽霊。石橋の人柱伝説はヤマトの伝承にみられるもので、その一つの芝居を異化輸入したとも言われるが、原型の話は当地にあったのでは。神女が自分のお告げで埋められる因果。逆立ちは冥界を向いて立つ幽的の暗示か。戦前の橋は戦争で失われたが一部発掘された。 逆立ち幽霊は他の土地にもいくつも言い伝えがあり、筋書きにも姿にも幅があるのはやはりまた別の芝居が元になっているせいとも思われる。那覇のど真ん中を通っていた真嘉比道(マカンミチ)の逆立ち幽霊は類型的な話を組み合わせた芝居が元と思われるが元々松島中学校から古島の土手途中のデイゴの木の下に出る逆立ち幽霊の噂を採用したとも。一つ墓のいわゆる飴買い幽霊も逆立ちである。鼻を削いだ幽霊は北の岬に伝わるハナモー(鼻もいだ?)と共通する。これはかつて遊女が操を立てる指切りに似た行為でもあるかもしれない。https://pic.twitter.com/lgydhSCaos