陋巷小品●明治最終の日

陋巷小品
●明治最終の日
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明治四十五年七月二十九日は、明治天皇の崩御なされた前日で、明治の年號は其日で盡きた。天皇の御病勢は其前日の午後から革って、街頭の交番の揭示表や、新聞の號外は不安に滿たされて居た。其日私は、日本橋の書肆から歸って、淺草へ用達に出掛けた。夕方から活動寫眞もやまって居た。晴れた空に、 圓い月が出て、それが凌雲閣の屋根の上にあった。凌雲閣の最上層の軒には、電燈が光って居た。路傍の交番には、五六人の人が揭示表を見て居た。其内の三人は老人であった。其一人の愚直らしい顔をした老人は、片手を腰の上にのせ、片手の扇團でニ三枚重なった揭示表を捲って居た。翌日は、朝から雑司ヶ谷へ行って、午後になって神田に廻って帰った。東明館の入口に掲げられた某新聞社の掲示表にも玉體の四肢に紫色を帶びられたとあった。其夜は曇って居た。夜に入って、子供を連れて、池の端から廣小路に向って散歩した。暗い水の上は、一面に蓮の葉で、花は見えない。池の向ふの勧業博覧会の建物は、「やまと新聞」の納凉博覽會の會場になって、イルミネーションばかり華やかに輝いて居たが、物音がばったり絶えて非常に淋しかった。
三枚橋に出やうとする左側の料理屋の塀に、大きな貼紙をして居るものがある。近寄って見ると小學校の生徒を集める告示で、四學年以上のものは、明日の午後三時迄に学校に參集するやうにと記してあった。

廣小路には、夜店があって、人もかなりに出て居たが、大聲を立てる者も無いので、森として居た。蟲賣の籠に居る蟲ばかりが耳に立った。二人引の車に乘って、シルクハットを着た紳士が、往来するのが見えた。

其夜は蚊遣香を焼いて寢た。 一時頃でもあったらうか、路次の入口の氷屋に人聲がして居た。消魂しい號外賣の聲が聞えて來たが、睡かったので、夢心地に、遅い號外だなと思ひながら眠った。

朝になると、早く起きて玄關ロの雨戸をあけた妻が、號外を持つて来た。それが崩御の號外であった。新聞は、正午迄來なかった。私はがっかりしたが、又心のどこかに落付いた所があった。私は日本橋の書肆へ行った。途では、ボッボッ喪の國旗を出して居るものもあった。書肆では、主人が先帝と新帝との寫眞を見て居た。

五時頃帰つた。六時頃から大きな雨が降り出した。私は其雨に、意味のあるやうな氣がした。私ははじめて其日の新聞を見て、時々眼に涙の浸む事を感じた。雨の中に大正元年七月三十日は暮れた。私等三人の家內は、奥の薄暗い二疊で、雨の音を聞きながら改元の話をした。座には、三個の茶碗と、鐵瓶をのせた盆と、子供の繪本と、對を切った手紙などが、取り散らかしてあった。妻は、其時私の白縮の浴衣の肩助を仕かへて居た。

田中貢太郎「桂月先生従遊記」T4収録
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田中貢太郎は随筆家であった。独特の表現と不格好な描写、粗野な内容の怪談でしられるが意図的なものである。新聞記者として書いていたこともあるようで速記的な校正のないところもあるにはあるものの、流麗に読ませる技術とある種の味がある。田中貢太郎流に言えば独特の旨味がする。漢籍古典に影響を受け独自に進化させた漢字、言葉遣いはデジタルな、読み仮名や行間などの調整のできないネットには不向きではあるが、そこに骨頂もあるため読みづらい部分は容赦いただきたい。ちなみにOCRで読み取った自動記述のため誤りがあるかもしれない。

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by r_o_k | 2018-04-21 11:04 | Comments(0)

岡林リョウの日記☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi