中國の紅卍敎
ーここに到って、吳さんは,兩手をあげて、ウキウキ踊る恰好をして見せた。これも放射能のナセルワザかもしれない。
私
今日の科學者は、現在の科學で證明されないものは、みなインチキ呼わりをします。飛んでもない思い上りだと思いますね。今日證明されなくても,明日は證明されるかも知れない。そう考えるのが、本當に科學的なのです。事實,人類の知識なんてものは…。
吳
人間のタマシイの放射能は、具體的にやって下さいよ。
ー
この調子では、私が、放射能敎の敎祖にでもなると、吳さんは早速信者になってくれそうである。これから、話は中國の紅卍敎のことになって、呉さんはその神秘性に就て詳しく語った。
二人の者が、T字形のコックリさんみたいなもの(フーチと稱す)を、兩方から支えていると、その足の方が砂の上に、天下の名文を書く、それも一時間三千字という速さであるという話など出る。四百字詰の原稿用紙にして七枚半だから大した速力である。これも何者かの靈から發する放射能が書かせると思えば、アリソウナコトになる。
さて、この対談の席は、午後三時頃から御馳走が出て、六人の客が參加した。 一座は八名と相成る。私の組が、東日學藝部記者,漫畫家,寫眞班員と私の四人。先方が和田三造畫伯·日置昌一氏,この邸の御主人と吳さんの四人。畫伯の名は讀者諸君も萬御承知、日置氏は史學者で例の平凡社版「國史大年表」の著者である。
私
時に映畫は見られますか?
呉
妹が好きですが、私はあまり見ませんです。每日會館の下で、文化映畫をやっている時、よく行きました。あすこは、いつも空いていたからよろしいのです。人混みが嫌いだもんですから。
ー映画の話から、私は龜井文夫監督「にはと
り」撮影中に起った、不可思議極まる體驗談を始めた。それは、播磨灘で慘殺された、田中河內之介父子に携わる怪異談で、いろいろと無氣味な出來ごとを語った末に、私が倒殿場の町で買った「田中河内之介」という書物に關する放射能的奇々怪々談をした。
「いや、その本なら私が著者です。」
と、日置氏が云ったので、一座のもの皆ゾッとするものを感じ顏見合せた。これは愈々、心靈放射能說を裏書きするような現像である。
この時、既に歸らねばならない時間となったの
で、引き止められるのを固辭して、外へ出る。玄関脇の紅梅は今が盛りである。私たちの木炭自動車が、長い坂を下りきるまで、吳さんは門前に立って見送ってくれた。
世問には、彼を狂人扱いにする者もあるようだ
が、決してそんなことはない。ただ,常人ではな
いだけだ。先日某誌から新九段吳清源に何か希望することを書けというハガキ回答を求められたので、「どうか遠慮なく強くなって下さい」と書いて返送した。
〜徳川夢声「同行二人」呉清源の巻、前記事参照
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